2017年07月21日

【いい空気を一瞬でつくる 誰とでも会話がはずむ42の法則】秀島史香



第1章 「話すとなぜか気持ちいい」人たちが心がけていること
第2章 「明日あの人に会う」ときに私がしていること
第3章 どんな想定外でも大丈夫!緊急事態にも揺るがない「切り返し」の方法
第4章 「また会いたい」と言われる人に共通すること
第5章 もう困らない!一生使える話題の拾い方・見つけ方

著者はラジオDJ。もうキャリア20年以上の大ベテランであるらしいが、私はこれまでまったく知らなかった方である。その道で苦労を重ねてきた人の言葉には重みを感じるが、もともと「人見知りで、人と会うのが不安でしょうがなくて、アガリ症」とおよそDJにはふさわしくないような著者が、それでも20年以上キャリアを続けられてきたのは、それこそ本一冊書けるくらいの苦労があったのであろう。そんなところに何かを探して手にした一冊。

まず、人といい関係を作るには、「いかに相手と自分にとって『いい空気を作るか』」だとする。
「初対面の相手にも受け入れてもらえる空気の整え方」
「心の距離を縮める空気の温め方」
「緊張する自分を落ち着かせるための空気の緩め方」
「苦手な相手にも対応できる空気のまとい方」
そんな空気を作る方法を42の法則にまとめてある。

まず相手といい空気を作るのに大切なのは、アイコンタクト。やわらかい気持ちで目と目を合わせるのは、お互いに「よろしく」の意思表示。最も効果的なアイスブレイクは視線・笑顔と語るが、確かにそうだと思う。著者は、写真で見る限り美人だからそれもあるかもしれないが、男でもある程度は通用することではないかと思う。

「顔を合わせたら、一番に相手の『いいね!』を探す」とし、例えば「髪切った?」と言うことでもいいとしている。だが、職場だとセクハラの懸念もあり、このあたりは男としては難しい。
「共通点が見つからない相手には、全面的に教えてもらう」としているが、これはなかなか参考になる。自分としてもしばし経験することだからであるが、今度使ってみたいと思う。

セールストークでは、「自分が持っている専門知識の中から相手が喜びそうなものを探す。相手にとって有益な情報はなんだろうかと考える」とする。これは仕事で使えそうである。と言うか、無意識のうちにできているかもしれないと思ってみたりする。
「会話の中で相手の名前を呼ぶ」は、あちこちで語られているテクニックだが、やはり有効だと言うことだろう。

「ギクシャクしたらまずは相手のペースに時間感覚を合わせてみる」
「悪意を向けてくる相手には無理せず心に『防水加工』」
「失言をしてしまった時は、逃げないで言葉を尽くす」
相手との関係がうまくいかなさそうな時の対応も書かれていて、これはこれで参考になる。

「人と人の関係において重要なのはフェアであること」は、相手が子供であっても真摯に質問に答えていた宇宙飛行士の毛利さんを例に挙げて説明。確かにその通りだと思う。「誰が言ったか、ではなく何を言ったか」ここも自分としてはこだわりたい。
「話題は大皿料理、取り分け上手は愛される」は、まさにその通りだと思うが、自分にはなかなか難しい。

「雑談力を上げるには、トホホ体験」
やはり自分をネタにするのは、1番害のない話題提供だろう。
「好奇心があれば日常生活は話題満載のドラマ」
これは本当にそうなのだろう。要は、「そう言う目で世界を見ているか」なのだろう。とても参考になる。

やはり苦労して得てきたものというのは、迫力があると思う。みんなさらりと書かれてはいるが、自分には向いていないと思いつつも、DJになりたいからと頑張った著者の汗と涙の結晶がこの本には詰まっている。やはり人見知りで他人が苦手な自分としては、少しでも身に付けたいと思うことがたくさん出てくる。いくつかは、早速実践してみたいと思う。

今度、このかたのDJを聞いてみたいと密かに思う。
似たような性格の人には、一読の価値ある一冊である・・・



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2017年07月19日

【数学の言葉で世界を見たら 父から娘に贈る数学】大栗博司



第1話 不確実な情報から判断する
第2話 基本原理に立ち戻ってみる
第3話 大きな数だって怖くない
第4話 素数は不思議
第5話 無限世界と不完全性定理
第6話 宇宙のかたちを測る
第7話 微分は積分から
第8話 本当にあった「空想の数」
第9話 「難しさ」「美しさ」を測る

著者は、いろいろと肩書きのある方のようだが、一言でいうなれば数学者ということだろうか。そんな数学の専門家が、世の中のことを数学に関連づけてやさしく解説しようというのが本書である(たぶん)。ただ、あまりやさしくはない。

最初は確率の話。アメリカの予防医学作業部会が、40代の女性には乳がんの定期検診を推奨しないとして話題になった例を取り上げる。そこでこの問題に対し、確率の考え方から考えていく。乳がんに罹っていた場合に検査で陽性の結果が出る確率からはじめ、ベイズの定理を使うと、なんと「乳がん検診で陽性の結果が出た時に乳がんに罹っている確率は9%」という結果がでる。乳がん検診の有効性がどうのというよりこの数学的な考え方が面白い。

確率の話としては、原発の重大事故が起こる確率は、やっぱり「100年に1度」だとか、OJシンプソン事件で相手の弁護士の無罪主張には確率の話でこう切り返せば良かったとか、日常的に数学の考え方は潜んでいるものだと思う。基本原理の話では、「(-1)×(-1)はなぜ1になるのか」という解説が面白かった。学校で習ったのかもしれないが、今は自動的に「1」と覚えてしまっているが、「毎日100円ずつ使っている場合を例にとり、3日前(-3)には300円多かった「(-3)×(-100)=300」という解説には改めてなるほどと思わされる。

天文学の話となると、大きな数が登場する。「対数」はその昔学校で確かに習ったが、やはり日常生活で縁がないせいか忘却の彼方だ。「log」が出てくるとちんぷんかんぷんになるが、それでもケプラーの第三法則「惑星の公転周期の2乗は軌道の長半径の3乗に比例する」の解説は面白く読める。改めて勉強してみたくなる。

素数の原理を利用したインターネットの公開鍵暗号の原理だとか、「アキレウスは亀に追いつけない」パラドックスの解説などは、改めて数学の凄さがわかる。特に紀元前275年に地球は丸いと考え、その円周を46,500キロと実際の40,000キロと遜色ない誤差で推定したエラトステネスの話は興味深い。夏至の正午にアスワンとアレキサンドリアと離れた場所で太陽が落とす影の角度から推定するというもので、実に驚異的だと思う。

話はピタゴラスの定理のような馴染み深いものからデカルト座標や虚数など多岐にわたる。中には難しくて目眩がしてくるものもあるが、基本的に数学は奥が深く、そして面白いと心から思う。できればもう一度高校あたりから学び直してみたい気になってくる。著者の狙いももしかしたらそんな数学の面白さを伝えたいというところにあるのかもしれない。

サブタイトルには「娘に贈る数学」とあるが、私の場合は「自分に贈られた」と感じられた一冊である・・・

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2017年07月18日

【反哲学入門】木田元



第1章 哲学は欧米人だけの思考法である
第2章 古代ギリシアで起こったこと
第3章 哲学とキリスト教の深い関係
第4章 近代哲学の展開
第5章 「反哲学」の誕生
第6章 ハイデガーの二十世紀

著者は中央大学の名誉教授。哲学をずっとやってきた方のようである。そんな著者が、「反哲学」と言う聞きなれない言葉を西洋の哲学の流れとともに語った一冊。
著者は、「哲学を勉強し、大学でも哲学を教えてきたが、自分のやっている思考作業は『西洋』と言う文化圏で伝統的に哲学と呼ばれてきたものの考え方とは決定的に違うところがある」とし、「哲学を批判しそうしたものの考え方を乗り越えようとする作業」を「反哲学」と呼ぶとする。正直言ってよくわからない。

そもそもであるが、哲学とは「人間を含む生物やモノなど地球上にあるありとしあらゆるものが『ある』と言うのはどういうことか」、それを全体として研究しようとする学問だとする。もう既に難しい。哲学は好きなのであるが、どうもこの難解さが気になる。日常では、難しいことを簡単に言うことが大事という価値観で動いているが、哲学は逆で簡単なことを難しく言う世界だと言える。

ハイデガーは、「哲学するとは、なぜ一般に存在者が存在するのであって、むしろなにもないのではないのかを問うこと」とする。この本では、特に「存在するとは何か」が問われる。
「存在」すなわち「ある」と言う状態だが、同じ「ある」でも「つくる」「うむ」「なる」という3つの状態があるとする。「つくる」とは、「つくられてある」状態、「うむ」は「産み出されてある」状態、「なる」は生成されてある状態だとするが、こういう一般人が気にもしないことを哲学者は問うている。そしてソクラテス、プラトン、アリストテレスから解説が始まる。

意外なことに、西洋の哲学はいまだにソクラテス、プラトン、アリストテレスの影響下にある。単に歴史順で出てくるのではなく、源流として今も無視できないから出てくるのである。そしてカントやヘーゲルらの有名哲学者が出てくるが、例えばカントの前後から文体が変わるが、それは哲学者が大学にポストを持つことができるようになったからなどという背景の話が興味深い。同様に、ヘーゲルはフランス革命、テルミドールの反動、ナポレオンの登場などの時代背景があり、考えてみれば各哲学者の思想について学ぶ際、その時代背景まで意識した方がいいのは当然かもしれない。

そして著者は、ニーチェを西洋哲学の分岐点としている。「ニーチェ以前と以後とを同じ哲学史に一線に並べるのはおかしい」とする。それは、ニーチェの目指したことは、これまで哲学と呼ばれてきたものをすべて批判して乗り越えようということだかららしい。このあたりは、正直言ってよくわからない。ただ、「力への意志」「永劫回帰」「神は死せり」といったニーチェ哲学のキーワードの解説がわかりやすい。「そうだったのか」と改めて思わされた。

はっきり言って、部分部分の理解は比較的できたとは思うが、著者が反哲学と名づけたものの正体はイマイチわからなかった。本文でカントがわからなくて70回以上繰り返し読んでいる学者さんの話が出てくるが、平易な解説書である本書であっても、1回で理解するのは難しいのかもしれない。ただ、個人的には改めてニーチェやデカルトの思想には興味を持ったところである。『デカルト方法序説を読む』をもう一度読んでみたいし、哲学に対する好奇心が大いに刺激されたところである。

難しいのではあるが、知的好奇心を大いに刺激される一冊である・・・



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2017年07月12日

【野村證券第2事業法人部】横尾宣政



第1章 ノルマとの闘い
第2章 「コミッション亡者」と呼ばれて
第3章 「主幹事」を奪え
第4章 ブラックマンデーと損失補填問題
第5章 大タブチ、子タブチ-「ノムラな人々」
第6章 やりすぎる男
第7章 さらば、野村證券
第8章 オリンパス会長の依頼
第9章 事件の真相
第10章 国税との攻防
第11章 逮捕-私は闘う

 著者は、元野村證券の社員で、独立後オリンパスの巨額粉飾決算事件で指南役として逮捕された人物。しかし、ご本人は無実を訴えられており、この本は自身の野村證券での日々を回顧しながら事件の真相を語った一冊である。

オリンパスの巨額粉飾決算事件については、以前事件が発覚する経緯となったジャーナリストの本(『サムライと愚か者 暗闘オリンパス事件』)を読んでいたが、その本の中で、「奇妙なコンサルティング会社」として描かれていたのが著者が独立後に設立した会社であると思う。1つの事件を角度を変えて見るというのも面白いことである。

著者は77年に京都大学を卒業して野村證券に就職する。しかし、当時の学生によくありがちで、あまり実態はよくわかっていなかったようである。多少厳しい方が自分のためにもなると考えたようだが、入社して早々に「ここまで厳しかったのか」と焦るも後の祭り。最初の配属店である金沢支店に行くと、上司が成績の悪い課長代理を奥さんもろとも怒鳴りつけているところを目撃する。かなり衝撃的である。

オリンパス事件の真相よりも、はっきり言って著者の経験談の方がはるかに面白い。「ノルマ證券」と揶揄され、入社した社員の半分が辞めて行く環境の中で、著者は実績を上げて行く。売れない=客が損をする投資商品を売るわけであるが、買った瞬間に損をしてあとは基本的に下がるだけという商品に厳しいノルマを果たして売らせる野村證券のスタンスがすごい。

客に損をさせることに耐えられない者は辞めていき、平気なものが実績を上げて出世して行く。著者もその1人であるが、それでも「20億出してやるから君の名前で株を買え、損は全部被ってやるし、利益は全部取っていい」とまで取引先に言わしめるのだから、単なる金の亡者(野村證券ではコミッションの亡者と言われたらしい)ではなかったのだろう。転勤の時、損をさせた取引先の社長に「オレの数億、無駄にするな。立派になれよ」と声をかけられたと語るが、そこまで信頼関係を築いていたわけである。

そしてタイトルにある第2事業法人部へ転勤となる。いろいろと事情はあったようであるが、異例の出世とも言えるわけであるが、ここでも著者は創意工夫を繰り返して行く。時に世はプラザ合意の金融混乱期。創意工夫といっても、勉強と研究のベースがなければできないはずで、詳しくは書かれていないものの、影なる努力はかなりあったのであろう。

そして独立する。残っていても役員には慣れたのかもしれないが、実績のためには社内を敵に回すことも厭わなかったようなので、軋轢もあったのかもしれない。ついて来た部下とともにコンサルティング会社を立ち上げる。問題となったオリンパスとは、野村證券時代からの付き合いだったが、粉飾の中心人物である山田秀雄氏とのやり取りも詳細に語られて行く。

事件の真相は、当事者にしかわからない。ただ、著者の言葉を信じれば、うまくオリンパスの山田氏に利用されただけであり、著者を悪人と決めつけた検察側がシナリオを創作して有罪にされたとなるのである。その前に国税が著者が関わった節税スキームを「シロ」と断定しながら、膨大な調査費がかかっていることもあり、「お土産」として200億ほど納税しろと言ってくるシーンがある。これを拒否した野村證券は、国税に損失補填で訴えられてしまう。官がすべて正しいと盲信するのも控えた方がいいかもしれない。

著者によれば、オリンパスの粉飾決算事件は、山田氏が中心となった投資で損失が発生し、それを糊塗しようと長年画策し、ついには暴露されてしまったのが真相。一度はオリンパスの損失穴埋めを得意の創意工夫で利益を上げてやってのけた著者は、山田氏に頼られそしていいように利用されたということらしい。入社以来の著者の経歴、考え方、国税や検察の考え方・行動等を読んで行くと、そこに嘘はないように思える。

ただ、正直いってあまり真相には興味はない。ただ、今とは比べものにならない労働環境下で、実績を上げて来た1人のビジネスマンとしてのスタンスには学ぶべきところがあると、個人的には思う。そういう部分で刺激を受けたという意味では、一読の価値ある一冊である・・・



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2017年07月11日

【国のために死ねるか−自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動−】伊藤祐靖



第1章 海上警備行動発令
第2章 特殊部隊創設
第3章 戦いの本質
第4章 この国のかたち

著者は、元海上自衛隊2等海佐。能登半島不審船事件を現場で体験し、それが元となって創設されることになった「特別警備隊(SBU)」、つまり「特殊部隊」の創設に携わることになった方。そんな著者が、特殊部隊創設の経緯を含め自らの体験談、考えを語ったのが本書である。

冒頭では、その能登半島不審船事件の様子が語られる。著者は、イージス艦「みょうこう」の航海長として不審船を追う。日本の腰抜け政治家に発令できるわけがないとタカをくくっていた「海上警備行動」。自衛隊発足以来一度も発令されたことがないこの「海上警備行動」が発令される。この緊迫した追撃戦の迫力がすごい。自衛隊始まって以来の出来事が、まるで眼前で行われているようである。

結果として不審船を停船させたものの、今度は立入検査の問題が出てくる。高度な軍事訓練を受けていると考えられる北朝鮮工作員が待ち構えている中に入って行くということは、かなりの確率で死を意味する。隊員たちが防弾チョッキがわりに少年マガジンを体に巻いて「お世話になりました、言って参ります」と挨拶する。この緊迫感はすごいと思う。

そしてこの経験の反省から特殊部隊の創設となる。と言っても手順が決まっているわけではなく、手探りで進めて行く。普通に考えると、米軍に教えてもらうとなるのだろうが、米軍には断られてしまう。しかし、実は特殊戦の世界では米軍の評価は低いのだという。装備品は高価で最新のものであるが、個人の技量は信じられないくらい低いのだとか。映画の世界とは大違いのようである。

また、以前から個人的に気になっていたのが、「自衛隊は強いのか」ということ。これに関しての説明が興味深い。曰く、日本人はトップのレベルに傑出したものはないが、ボトムのレベルが他国に比べて非常に高いのだそうである。そして軍隊はその国のボトムの集まりであり、従って自衛隊の隊員のレベルは他国の軍隊と共同訓練をするとその優秀さに驚かれるレベルなのだとか。「最強の軍隊はアメリカの将軍、ドイツの将校、日本の下士官」というジョークが紹介されるが、さもありなんと思う。

そして著者は、自衛隊を退官すると、フィリピンのミンダナオ島に行く。目的は戦闘行動について、必要な技術、知識を習得しそれを必要とする後輩に伝えること。治安の悪いその地で著者が得た死生観は、普通の日本人には触れることのできないものだろう。「戦いの本質」と著者は表現しているが、今の平和な日本では忘れ去られているもの。その内容には言葉も出ない。

一方、防衛大学内での訓練での「想定外」の話も面白い。非常事態を想定し、学生を伝令に向かわせるが、走って行く。伝令の任務はと問われ、学生は「早く正確に」と答える。だが、早くならバイクを使う方が走るより早い。なのに学生の頭の中には「防衛大生はバイクに乗るのは禁止」というルールで固まっている。非常時ならルールから逸脱することもありだが、平時と非常時の意識、常識を捨てられない問題として説明されているが、似たような問題は身の回りでもあると思う。

そして最後に出てくる自然の生物の摂理。
・殺し殺されながら共存している
・そのためのルールがある
・全部を生き残らせようとしたら全滅する
・必要以上に殺してしまえば自分が飢える
日本人がバブルを契機に、経済力の勢いを衰えさせたことと絡めた哲学は、深く考えさせられるものがある。

憲法9条死守を叫ぶ人たちには、絶対に受け入れられることのない本だと思うが、人間の本質のところで理解しておかないといけないことが書かれている。軽い気持ちで手に取ったが、実に重みのある内容であった。信条的にどうとかいうことでなく、是非とも読んでおくべき価値ある一冊である・・・


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2017年07月06日

【やり抜く力−人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける−】アンジェラ・ダックワース



原題: GRIT The Power of Passion and Perseverance
PART1 「やり抜く力」とは何か?なぜそれが重要なのか?
第1章 「やり抜く力」の秘密
第2章 「才能」では成功できない
第3章 努力と才能の「達成の方程式」
第4章 あなたには「やり抜く力」がどれだけあるか?
第5章 「やり抜く力」は伸ばせる
PART2 「やり抜く力」を内側から伸ばす
第6章 「興味」を結びつける
第7章 成功する「練習」の法則
第8章 「目的」を見出す
第9章 この「希望」が背中を押す
PART3 「やり抜く力」を外側から伸ばす
第10章 「やり抜く力」を伸ばす効果的な方法
第11章 「課外活動」を絶対にすべし
第12章 まわりに「やり抜く力」を伸ばしてもらう
第13章 最後に

 原題にある「GRIT」とは、ここでは「やり抜く力」と訳されているが、元々の意味は「(困難にあってもくじけない)勇気,気概,闘志」ということであるらしい。そしてこの本の主張を一言でまとめるのなら、「成功に必要なのは才能ではなく、やり抜く力」ということ。本書は、そんな「グリット」研究の第一人者による解説である。

 米国陸軍士官学校は通称ウエストポイントと称される米国陸軍の最高峰の士官学校であるが、その狭き門は毎年全国の優秀な生徒14,000人が目指し、わずか1,200名が入学できるレベルなのだという。にもかかわらず、その過酷な訓練で5人に1人は中退するのだという。肉体的・精神的に最も過酷な環境に最後まで耐え抜けるのはどんな人か。調査によれば、それは「ネバー・ギブ・アップ」という態度であったという。

 「やり抜く力」に必要なのは、「情熱」と「粘り強さ」。才能があっても関係ない。しかし、世の中のほとんどの人は、努力よりも才能を上と見てしまう。言われてみれば確かにその通りである。紹介されているニーチェの言葉が興味深い。
 「芸術家の素晴らしい作品を見ても、それがどれほどの努力と鍛錬に裏打ちされているかを見抜ける人はいない。その方が好都合と言っていい。気の遠くなるような努力のたまものだと知ったら感動が薄れるかもしれないから」
なるほどである。

そして示される公式。
「才能」✖︎「努力」=「スキル」
「スキル」✖︎「努力」=「達成」
どちらにも「努力」が入っていることに注目したい。別の言葉では、「情熱とは1つのことに専念すること」と説明されている。いい言葉である。また、とにかくやり抜けばいいというものでもない。目的は重要度を考え、低いものは諦めてもいいが、高いものは安易に妥協すべきではないとする。

 そんなやり抜く力は、ある程度は遺伝の影響らしいが、大事なのは関係する遺伝子は1つではないこと。諦める必要はなさそうである。そして環境。1人が賢くなると、まわりも賢くなっていく。バスケが上手くなるコツは、自分よりややスキルの高い仲間と一緒にプレーすることだという。環境が変われば変わるし、また必要に迫られても変わる。

 やり抜く力の4つの特徴は、「興味」「練習」「目的」「希望」。やり抜く力の強い者は、他の者より練習時間が長い。時間だけでなく、「高い目標設定」「集中と努力」「改善と反復」も重要なファクターだとする。そんなやり抜く力を自分が身につけるのも大事だが、子供のやり抜く力はどう育てればいいのだろうか。そんな疑問が親としては当然思うが、それにも答えは用意されている。

・最後までやる習慣をつけさせる
・厳しくしつつも温かく支える
・自分で決められる感覚を持たせる
・親が愛情深くどっしりと構えている
それぞれ具体的に説明されているので大変参考になる。しかし、最も大事なのは次の考え方。
「自分が人生の目標に対してどれくらいの情熱と粘り強さを持って取り組んでいるか。子供が自分を手本にしたくなるような育て方をしていると思うか」
思わず考えさせられてしまう。

 何事も大事なのは才能ではなく、「やり抜く力」だとする考え方は、自分が凡人だと思っている身には救いとなる。同時に言い訳もできなくなる。「やれるかやれないか」ではなく、「やるかやらないか」。希望を持って物事に取り組みたいと思う。
 実に勇気の湧いてくる一冊である・・・

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2017年07月05日

【1984年のUWF】柳澤健



序 章 北海道の少年
第1章 リアルワン
第2章 佐山聡
第3章 タイガーマスク
第4章 ユニバーサル
第5章 無限大記念日
第6章 シューティング
第7章 訣別
第8章 新・格闘王
第9章 新生UWF
第10章 分裂
終 章 バーリ・トゥード

タイトルを見た瞬間、読むことを決めてしまった一冊。かつてプロレスにのめり込んだ身としては、当然の反応だったと思う。何事も当事者にしか知ることのできない世界を知ることは興味深いもの。それがもともと興味を持っていたプロレスの世界であればなおさらであるというものである。

UWFの源流はやはりカール・ゴッチ。実力的には優れていたものの、ショービジネスであったプロレスには溶け込めず、不遇の身に甘んじる。嘘が嫌いなカール・ゴッチは、「(八百長をやる)プロレスラーなんでしょう?」と問われ、「アイム・リアルワン」と答える。プロレスラーとは答えられず、しかし己の実力に誇りを持っていたのである。

一方、日本のリングで革命を起こしたのは、タイガーマスクとして一世を風靡した佐山聡。プロレスこそ最強の格闘技と信じて新日本プロレスに入門するも、試合はあらかじめ決着の決められたものだと知ってショックを受ける。レスラーを志す者は、皆そのパターンで真実を知ってショックを受けるそうである。

著者曰く、「身体能力の化け物」である佐山聡は、メキシコ、イギリスと遠征してたちまち人気を博す。そこに白羽の矢が立てられ、タイガーマスクとして帰国。日本で大ブームを巻き起こす。この頃、毎週金曜日が待ち遠しくてたまらなかったものである。しかし、すでにアントニオ猪木には、打撃と関節技を組み合わせた新しい格闘技を作りたいと打ち明けていたという。そして衝撃の1983年8月。タイガーマスクが突然引退を表明する。あの時のショックは今だに忘れられない。そしてそこに至る経緯。いろいろなメディアでだいぶ真相は明らかにされているが、改めて詳しい経緯が述べられる。

それから新間寿氏が暗躍してUWFが旗揚げする。当時の事情もまた新鮮。新間氏は早々に失敗と見切りをつけようとしたが、前田日明やフロントが反発。そのまま継続することになる。そして藤原と高田が参加。このあたりの経緯はお馴染みだ。しかし、UWFはまだプロレスの範疇。何とかリアルファイトに近づけるべく、佐山は前田、高田、藤原らとともに無限大記念日大会の前日リハーサルを行うも、関節技中心のグラウンドはとてもファンの支持を得られそうもないとわかる。まだ、UWFはプロレスを離れられない。

その後の展開、新日へのUターン、第二次UWF、三分裂という経緯は記憶にしっかりと残っている。その時何が行われていたのか、改めて知る事実は興味深い。特にリングスの試合については、前田はフィクストマッチ(決着が決められている試合)を行い、それ以外ではリアルファイトが増えていったという。これは個人的に知りたかった事実なので、満足である。そしてリアルファイトは、パンクラスにてついに実現する。

著者の最後の言葉が印象的である。
「1984年に誕生したUWFはプロレスと総合格闘技の架け橋となり、役目を終えて消滅した」
カール・ゴッチの目指したものを日本で佐山聡が受け継ぎ火を灯す。今更ながら、佐山聡は大きな役割を果たしたのだとわかる。
読み終えて大いなる満足感を得る。かつてプロレスとUWFとに夢中になった人なら、読んでみてもいい一冊である・・・



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2017年06月29日

【あなたの人生の意義】デイヴィッド・ブルックス



原題:The Road to Character
はじめに アダムII
第1章 大きな時代の変化
第2章 天職 フランシス・パーキンズ
第3章 克己 ドワイト・アイゼンハワー
第4章 闘いの人生 ドロシー・デイ
第5章 自制心 ジョージ・マーシャル
第6章 人間の品位 ランドルフとラスティン
第7章 愛 ジョージ・エリオット
第8章 神の愛 アウグスティヌス
第9章 自己省察 サミュエル・ジョンソンとモンテーニュ
第10章 大きい私 

 著者は、ニューヨーク・タイムズのコラムニスト。本書は、ビル・ゲイツが「2015年に読んだ本ベスト6」の筆頭に選んだことで話題になり、ベストセラーにもなったと言う。そんな評判を耳にして手にした一冊。邦題のサブタイトルに「先人に学ぶ『惜しまれる生き方』」とあるように、人間の内面の重要性を説いた本である。

 はじめに、人間の美徳には2種類あると説く。「履歴書向きの美徳」と「追悼文向きの美徳」である。どちらが大事かと問われれば、たいていの人は後者と答える。しかし、現代の教育制度をはじめとして、メディアも世間の関心も前者に向けられている。ジョセフ・ソロウェイチックは、前者をアダムI、後者をアダムIIと分類している。アダムIは、職業的な成功でアダムIIは、道徳的な成功である。

 この本は、アダムIIに関する本であると著者は定義する。「私はこの本を自分の心を救うために書いた」とし、過去の偉人の人生を手本としてそれを明らかにするのが目的とされる。そしてその通りに、偉人たちがその人生とともに採り上げられる。それによって、読者には「良い人間になりたい」「この人のように生きたい」と言う気持ちに火がつくことを期待しているとのことである。アメリカでも、「自分のことを重要な人物と思うか」と言う質問に対し、1950年前後には12%だったのが、1989年には男で80%、女で77%にもなったと言う。そう言う謙虚さがなくなっていると言う危機感が背景にはあるのであろう。

 そして、フランシス・パーキンズから、モンテーニュまで10人の偉人が採り上げられる。10人の偉人たちが偉人であることは間違いない(半分は知らなかったが・・・)。ただ、著者はその人生を淡々と要所だけ解説し、さらに真理と思われる事項の解説をその合間に挟む形で話を展開する。その結果、話のアウトラインはわかるものの、登場人物たちに対する感情移入があまり沸き起こらない。

 例えば、フランシス・パーキンズは、ロビー活動により労働時間を週54時間に制限し、社会運動を天職として、のちにルーズヘルト大統領に請われて労働長官になっている人であるが、その人生を語るのに、合間にはフランクルの「大事なのは私たちが人生に何を求めるかではなく、人生が私たちに何を求めるか」といった言葉を紹介したりし、教訓めいた解説が挿入されている。言いたいことは伝わってくるが、フランシス・パーキンズに対する共感が湧いてこないのである。

 以下も同様。
「罪が罪によって大きくなる」
「底の浅い人間は、自我というごく狭い世界の中だけに生きている。だが、愛を知った人は真の豊かさが自分の中にではなく、外側にあるといったことに気づく」
「人間は強い感情が湧くとその感情を消すために行動することが多い。飢えていると感じれば何かを食べて満腹になろうとする・・・・・・・しかし悲しみだけは例外で、悲しみは悲しみを生み悲しみにくれる人間は悲しみを消すべく行動せず、悲しみだけが積もっていく」
こうした言葉は、なるほどと思わせるものであるが、偉人たちの人生への共感には繋がらない。

 偉人たちの共通点は、みんなそれぞれに欠点を抱えていたが、それぞれの欠点と闘い、困難に直面するとそれを機会に人間性を磨き成長したということ、そして全員謙虚であったことだという。個人的には、こういう「偉人に学ぶ」形であれば、『運命を開く』のように、1人の人物を徹底して追って行くタイプの方がずっといいような気がする。偉人たちがよくないというのではなく、あくまでも共感性の話である。

 誤解のないように言えば、この本が示唆するところは全く同意できるが、ただそれを「偉人に学ぶ」という割には、共感性がわかないというだけのことである。伝えられているメッセージはよく理解できたと考えている。ある意味理想に生きる生き方であり、普段からの意識が大事。それを改めて認識したのは事実である。
そういう意味では、自分もかくありたいと思わされる一冊である。



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2017年06月27日

【応仁の乱−戦国時代を生んだ大乱−】呉座勇一



第1章 畿内の火薬庫、大和
第2章 応仁の乱への道
第3章 大乱勃発
第4章 応仁の乱と興福寺
第5章 衆徒・国民の苦闘
第6章 大乱集結
第7章 乱後の室町幕府
終 章 応仁の乱が残したもの

 基本的に歴史好きである自分は、面白そうだと思うものにはなんでも手を出す方である。この本もタイトルを見ただけで即、読むことにした次第。その理由としては、歴史の授業でも学んでいて有名であり、後の戦国時代へと繋がったという事件である割に詳しいことを知らないということである。そんな興味を持ちつつ、ページをめくったのである。

 はじめに、著者自身、「応仁の乱が日本社会に残したものは何だったのか」記したいとしている。まさに自分が願った通りの狙いなわけである。応仁の乱は難解だと言われているらしいが、その理由は「なぜ戦乱が起こったのかよくわからないし、最終的に誰が勝ったのかもよくわからない」からだとする。そんな戦乱を、著者は時代を少し前に遡って丁寧に描いて行く。

 応仁の乱の38年前の1429年、奈良にある興福寺大乗院衆徒の豊田中坊と興福寺一乗院衆徒の井戸氏とが対立し、合戦へと発展する。これが大和永享の乱であるが、南北朝時代が終わったあと足利将軍は第8代義教の時代、畿内は火薬庫状態であったところに起こった事件であったらしい。これが結城合戦へと繋がり、やがて嘉吉の乱では将軍義教が暗殺されるという事態にまでなる。こうなると、将軍家の威光も地に落ちている。

 そして大乱直前には、伊勢貞親を中心とする将軍義政の側近グループと、これと敵対し義政の弟義視の将軍就任を支援する山名宗全をリーダーとするグループ、そしてその中間の細川勝元をリーダーとするグループの3つの勢力が対立するようになる。要は、将軍継承問題をめぐる争いであるが、これが御霊合戦へと進む。将軍義政による停戦命令が出され、細川勝元と山名宗全は一旦従うも再び戦火が上がる。

 これが細川勝元を東軍とし、山名宗全を西軍とする勢力の衝突であり、応仁の乱がスタートするのだが、当初は東軍側に大義名分もあり兵力も多かったが、やがて西軍に足利義視が寝返り、西幕府を宣言したことからややこしくなる。さらに井楼(物見櫓)や御構という陣地による要塞化といった戦法の変化が、乱が長期戦と化していった背景だと語られる。また、この時代に足軽が誕生したらしい。

 応仁の乱を著者は、第一次世界大戦と類似していると言う。それは、
・新興勢力(山名宗全=ドイツ)が覇権勢力(将軍家=細川勝元=英仏)に挑戦した戦いであったこと
・最初から全面戦争を意図していたわけではなく、共に短期決戦を志向していながら長期戦化したこと
・最後は補給路を絶たれた方が破れていること
などである。なるほど、面白い比較だと思う。

 一応、東軍に軍配は上がった形となるが、勝った東軍も内紛が起こり一枚岩が崩れていく。そして中央の将軍の力が衰え、その取り巻きである参戦大名も没落していく。そしてそれ以外の各大名は、京都から地方の支配地へ戻り統治力を高め、これが後の「戦国大名」となっていく。まだ、織田信長も豊臣秀吉も徳川家康も出てこない時代。何となく漠然とした時代の雰囲気がよく伝わってくる。

 正直言って、登場人物の数が多くとても覚えきれない。読んでいても誰と誰がどういう関係でというのが複雑化していき、読んでいてわからなくなることしばしば。多分、一ヶ月くらいしたら忘れてしまいそうである。気がついたらベストセラーになっている本書だが、なぜそうなったのか正直よくわからない。まぁ、大まかな流れは理解できるし、面白いことは面白い。歴史好きにはいいだろうと思う。
 
 戦国時代へと繋がる時代の雰囲気がよく伝わってくる一冊である・・・



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2017年06月19日

【幻庵(上) (下)】百田尚樹



第1章 鬼因徹
第2章 仙人の碁
第3章 天才少年
第4章 桶狭間
第5章 両国小町
第6章 天保の内訌
第7章 吐血の局
第8章 黒船来航

久しぶりの百田尚樹の小説。いつもいろいろな分野で小説を書かれているが、今度は囲碁の世界。囲碁はもともと中国発祥のものであるが、江戸時代の日本では中国のレベルを凌駕する発展を見せたという。その発展の舞台となった江戸時代後期が物語の舞台。それを担ったのは、「本因坊家」「井上家」「安井家」「林家」の4つの家元。当時の囲碁事情が語られる背景の話が興味深く、例によって小説を読み進むうちに囲碁に詳しくなっていく。

主人公の幻庵は、幼名は吉之助。服部家の当主で、後に「鬼因徹」と異名を取った服部因淑にその才能を見出され、弟子入りする。しかし、この小説の変わったところは、主人公を中心に追って行くのではないところ。前半は、吉之助が弟子入りすると、あとは当時の囲碁界の状況説明が続く。本因坊家では、碁界中興の祖と言われた名人察元が出て、その後烈元、元丈と続く。元丈には安井家の知得というライバルがいる。この2人はそれぞれ名人となるべき腕前を有していたが、名人になれるのは1人だけであったため、2人とも名人になれずに終わる。

本因坊家は元丈の跡目候補として智策という名手がいたが、病に倒れその地位を丈和に譲る。丈和は典型的な大器晩成型。智策亡き後の本因坊家で、跡目候補がいなくなったにもかかわらず、当主の元丈は丈和に対する不安感からなかなか跡目に指名しない。そして丈和は、後に幻庵となる因徹との数々の勝負を経て、ようやく跡目に指名される。しかし、そこから実力を発揮し、囲碁界最高峰の名人位を目指す因徹の前に大きな壁として立ちはだかる。この2人の対決が、物語の主軸となる。

囲碁の歴史を学びつつ、当時の実力者たちの対決が語られて行く。当時の棋譜はかなり残されているようで、その戦いぶりは現代でも「観戦」できる。それが碁の面白いところなのかもしれない。そしてそれに現代の囲碁界のプロの解説が加わったりするので、素人にもなんとなくの雰囲気はわかる。盤面の戦いは、「ハネる」「ツケる」「ノビる」「スベリ」など専門用語がならび、素人には何が何だかわからない。実際の碁面も載せられているが、もちろんそれを見ても何が何だかわからない。ただ、その迫力だけは伝わってくる。

当時の実力者たちの腕前は、現代でもすごいそうである。本因坊道策などは、今でも「史上最強の棋士」と現代の実力No.1の方も語るほどである。しかし、現代と当時とでは、「時間制限」という違いがあるという。現代は持ち時間が決まっていて、その制限内で打たないといけないが、当時は無制限。長考となれば1日では終わらず、「打ち掛け」が宣言されると翌日以降に持ち越されたらしい。この小説でも、何日にもわたる対局が描かれている。

当時の名人は、比類なき実力を持っているとみんなが認めてなれたという。したがって、四家のうち、1つでも反対があれば名人にはなれない。しかし、そういう異議に対し、実力で認めさせるという「争碁」の制度もあり、それがこの物語でも出てきて、ストーリーを盛り上げる。時代は外国船が来航する騒乱期、名人の座を目指す幻庵の戦い。実在の人物なだけに、ググれば物語の結末もわかる。ついついそういう誘惑に耐えながら読み進めて行く。

それにしても、著者がなぜ幻庵を主人公にしたのかはとても興味深い。他にも主人公になりそうな人物がゴロゴロいるのである。幻庵では不満というわけではないし、この小説も面白かったのではあるが、是非とも聞いてみたいところである。
小説以外の政治的なところで注目を浴びる著者であるが、小説はやっぱり面白い。これはこれで書き続けて行って欲しいと心から思う。

早く次が読みたい。またもそう思わせてくれる一冊である・・・




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