2020年05月26日

【蝉しぐれ】藤沢周平 読書日記1152



 かつて私は「時代劇は年寄りが見る(読む)もの」という意識があった。今では好き好んで時代劇の作品を読んでいるが、それは藤沢周平の時代劇を読んでイメージが変わったから。そしてその藤沢周平を読み始めたのは、人にこの作品を勧められて読んだから。自分の持っていた時代劇の偏ったイメージを1発で消しとばしてくれた思い出深い作品である。それを時を経て再読。

 主人公は、藤沢作品ではおなじみ、東北にある架空の藩、海坂藩の普請組牧家の跡取り文四郎15歳。ある初夏の朝、家の裏手の小川で顔を洗おうとして隣家のふくと会う。ふくは12歳。まだ子供だが、文四郎と会うと恥ずかしそうにする。ところが蛇に指を噛まれる。文四郎が傷口を吸い出してやるが、この朝の光景がのちにいつまでも2人の心に残る。文四郎には小和田逸平・島崎与之助らという友人がいて、武士の子としてごく普通の生活を送っている。

 しかし、突然一家を悲劇が襲う。文四郎の父がお家騒動に巻き込まれて切腹を余儀なくされる。幽閉されている父と最後に面会を許され、身内だけで葬儀の準備を進め、指定された日に文四郎は1人荷車を押して父を引き取りに行く。馴染みのない武家社会のしきたりが読む者には目新しく、1人遺体を乗せた荷車を引く文四郎が哀れを誘う。罪人ゆえに世間の目も厳しい。

 文四郎は武士の子のたしなみとして道場に通っている。腕前はまだまだであるが、少しずつ上達して行く。道場でも犬飼兵馬というライバルがいて、杉内道蔵という後輩もいる。突然の悲運に見舞われ、禄を減らされあばら家へ母とともに引っ越しをせざるを得なくなるが、友人や兄の支えでなんとか暮らしていく。

 やがて父の巻き込まれた陰謀と藩を二分する勢力の存在が明らかになる。文四郎も成長とともに藩から召し抱えられ、剣の腕も上達させていく。そんな縦糸のストーリーに対し、幼馴染のふくへの思いが募るが、ふくは江戸勤めとなり、やがて藩主の側室となって文四郎からは遠い存在となってしまうという横糸も描かれる。

 また、親友の与之助は、剣はダメだが学問ができたために江戸留学を許され、文四郎も郡奉行支配を命ぜられて村周りをするようになる。時代劇といえば剣劇のみがクローズアップされるが、江戸時代の暮らしも丹念に描かれていて興味深い。武士といえば城の中だけでなく、村周りをして農民との付き合いも描かれ、そんな暮らしぶりも新鮮である。

 剣の腕前を上げていった文四郎は、いつしか道場主の目に留まり、「秘剣村雨」を伝授されることになる。このあたり、時代劇の王道たる剣劇でも大いに読ませてくれる。藩を二分した陰謀は、やがて殿様の寵愛を集めるふくにも及ぶ。敵も腕の立つ者がおり、ハラハラドキドキの要素も加わる。そして秘めたふくへの思いも最後にクライマックスを迎える。それは不倫文化隆盛な現代からはかけ離れた純愛であり、静かに胸を打つ。

 改めて読み返してみると、剣劇からロマンスから陰謀や友情が主人公の成長とともにすべてミックスして描かれている。これ一冊で時代劇の総集編とも言えるかもしれない。映画化が残念ながら失敗だったのも無理はない。この物語を2時間程度の映画の世界に収めるのは無理がある。これをきっかけに数多く藤沢作品を読んできたが、やはりこの作品が不動のナンバー1だろうと思う。

 これを読まずして時代劇は語れない。そう断言できる一冊である・・・




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2020年05月24日

【メタ思考トレーニング 発想力が飛躍的にアップする34問】細谷 功 読書日記1151



《目次》
はじめに
第1章 ウォームアップ編
第2章 Why型思考のトレーニング
第3章 アナロジー思考のトレーニング
第4章 ビジネスアナロジーのトレーニング
メタ思考を鍛えるために
おわりに

 タイトルの聞きなれない言葉を見て読もうかどうか躊躇したが、著者の名前を見て読むことにした一冊。著者は過去にも『地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」』『アリさんとキリギリス−持たない・非計画・従わない時代−』を読んでおり、その内容に感銘を受けていたからである。

 そのタイトルにある「メタ思考」であるが、「あるものを1つ上の視点から客観的に見てみる」「もう1人の自分の視点で自分を客観視してみる」と言うことだという。「様々な物事を1つ上の視点から考えてみることが重要」と言うのが、本書を通じた基本的なメッセージだとする。その「メタ思考」には3つの意味があると言う。それは、
 1. 成長するための気づき=メタの視点
 2. 思い込みや思考の癖から脱する
   (自分は間違っているかもしれないと常に自分の価値観を疑ってみる)
 3. 上記1、2で得られた気づきや発想の広がりを基にした創造的な発想ができる
というものらしい。

 思考の偏り、あるいはバイアスの最たるものが自分中心の視点(自分中心にしか物事を考えることができない)。それはある意味、当然といえば当然かもしれない。しかし、「上司の短所はいくらでも挙げられるが、自分は良い上司だと思っている」のは誰もがどきりとすることではないだろうかと思う。「言っていることは自分が見えている世界、やっていることは他人から見えている世界」という意識は大事だろう。

 また、メタ思考には「上位目的を考える」ことが大事であるとされるが、その2つの意味は下記の通り。
 1. 真の目的を考えたら、そもそもやるべきことは他にある
 2. そもそもの問題を定義し直し、新たな問題を発見する
本当に解くべき問題とは何かを定義しなおすということは日頃から自分も大事だと考えている。「なぜ」と問うことが必要になるが、一方で「日本人同士の会話においてあまり露骨に『なぜですか?』を連発すると煙たがられる」のもまた日頃感じている事実である。
 
 実際、「会議が短かった」という意見を聞き、「では今度は長くしましょう」というのは解決にならないのは当然。「なぜ短いと感じたのか」を突き詰めないと、長くしても「長かった」と言われるかもしれない。これは本当にその通りである。さしづめ、自分は意識せずともこの「メタ思考」の考え方を日頃からしているなと気付かされる。

 もう1つのテーマとして「アナロジー」ということが説明される。アナロジーとは類推のこと。アナロジーは「抽象化」+「具体化」で成り立つ。ビジネスマンにこのアナロジー思考が必要な理由は次の3つ。
 1. 現状にとらわれない新しい発想ができること
 2. 抽象化によって新しい概念を理解することができる様になる
 3. 複雑な事象を他者に簡単に説明する
アナロジーはロジックとは正反対。ロジックからは「ブッとんだアイデアは出てこない」と言われるとよくわかる。

 アナロジーはざっくりと理解したり大きな方向性を考えたり、仮説を考えたりするのに向いている思考法だという。直接目に見えない関係性や構造をパズル問題ではなく日常生活やビジネスの中で見出して、それをパターン化することで様々な領域に応用させることができるとビジネスマンにとっては鬼に金棒である。

 アナロジーの重要性は理解できても実際にどうやれば良いのかと思うが、「新聞と百科事典の共通点は?」とか「コピー機とエレベーターの共通点は?」「タクシーと土産物屋の共通点は?」など豊富な実例でわかりやすく解説されている。不慣れな向きにはいいトレーニングになると思う。やっぱりこの著者の思考系の考え方は面白いと思う。実践的でもあるし、重要なことでもある。身につけられれば大きな力になる。

 これからも著作には注目していきたいと思う一冊である・・・






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2020年05月20日

【ハイ・コンセプト】ダニエル・ピンク 読書日記1150



原題:The Whole New Mind
《目次》
第1部 「ハイ・コンセプト(新しいことを考え出す人)」の時代
 1. なぜ、「右脳タイプ」が成功を約束されるのか
 2. これからのビジネスマンを脅かす「3つの危機」
 3. 右脳が主役の「ハイ・コンセプト/ハイ・タッチ」時代へ
第2部 この「六つの感性」があなたの道をひらく
 1. 「機能」だけでなく「デザイン」
 2. 「議論」よりは「物語」
 3. 「個別」よりも「全体の調和」
 4. 「論理」ではなく「共感」
 5. 「まじめ」だけでなく「遊び心」
 6. 「モノ」よりも「生きがい」

 この本を手にしたのは14年前だが、非常に「目から鱗」であった。改めて読み直してみると、既視感のある内容であるが、逆にそれだけ自分もこの本の内容を意識して行動してきたということでもある。何となく誇らしい気もする。

 冒頭に来るのは大前研一の推奨の言葉。一億総中流と言われたわが国も、今や上へ行く人と下へ行く人とに分かれてM型社会に移行して行く。格差社会とも言われるが、上へ行くためになすべきことは次の3つ。
 1. よその国、特に途上国にできることは避ける
 2. コンピューターやロボットにできることは避ける
 3. 反復性のあることは避ける
理屈としてはよくわかる。
 
 かつて情報化社会の到来を意味する第三の波という言葉がもてはやされたが、今やコンセプチュアル社会の到来を迎える第四の波がきているとする。それはたとえて言えばカンニングOKの社会であり、そこではみんなの意見を聞いて消化し、その上で自分の仮説をもとに仕事を作っていく力が必要とされる。それはまさにその通りだと思う。

 タイトルにある「ハイ・コンセプト」とは、「パターンやチャンスを見出す能力、芸術的で感情面に訴える差を生み出す能力、人を納得させる話のできる能力、一見バラバラな概念を組み立てて何か新しい構想や概念を生み出す能力」とされている。また、「ハイ・タッチ」は、「他人と共感する能力、人間関係の機微を感じ取る能力、自らに喜びを見出し、また他の人が喜びを見つける手助けをする能力、ごく日常的な出来事についてもその目的や意義を追求する能力」としている。要はそれまでの論理的=左脳的な能力よりも感情的=右脳的な能力である。

 今や左脳的なMBAよりも右脳的なMFA(Master of Fine Arts)がもてはやされている(『ビジネスの限界はアートで超えろ!』)が、それはもうすでにここで説かれている。これからはMBA的な左脳型能力も大事であるが、「他人との共感、長期的視野、超越したものを追求する能力」である芸術的手腕(右脳型能力)が必要となるとする。これからのビジネスマンも「処理能力より想像力」「マニュアル知識より潜在的知識」「細部よりも全体像を描く能力」が要求されていく。

 農業の時代が工業の時代になり、それが情報の時代を経て今やコンセプトの時代に突入している。「今の仕事をこのまま続けていいのか」とビジネスマンなら自らに問わなければならない。もはやナレッジワーカーでは、医者や弁護士ですらジリ貧になる。そんなことを言われても、公務員的志向の人には戸惑うばかりだろう。そういう志向でなくても、「ではどうすればいいのか」と思わざるを得ない。それに対し、著者は6つのセンスを説く。
 1. 機能だけでなくデザイン
 2. 議論よりは物語
 3. 個別よりは全体の調和
 4. 論理ではなく共感
 5. 真面目だけではなく「遊び心」
 6. モノよりも「生きがい」

 トースターは、「パンを焼く」というトースターとしての機能を求められるのは1日のうちの1%。残り99%は家を飾るデザインの一つとしての「有意性」だという意見は目から鱗だろう。今読み直してみても、やはり刺激的である。初めて読んだ時から14年。これまで意識の底にはあったと思うが、この本に書かれていることは今も色褪せていない。その後、この本に書かれていることを部分的に説いた本も多数出ている(右脳志向、物語等々)。改めて思うが、読むだけでなく強く意識したいことが書かれている一冊である・・・

 


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2020年05月15日

【狭き門】アンドレ・ジイド 読書日記1149



 タイトルはよく知られたる言葉で、聖書のルカ伝(第13章第24節)からきている。また、マタイによる福音書(第7章第7節)にも同じ言葉がある。どちらもその内容はよく理解できるが、実践するとなるとかなり辛い。実にキリスト教的な言葉だと思うが、そんなタイトルが表す通り、アンドレ・ジイドの代表作である本書はキリスト教の精神が登場人物を通して描かれる。

 物語は主人公たるジェロームが過去を回想する形で展開される。それはジェロームが12歳の時まで遡る。毎夏、フランスはル・アーヴルの近くのフォングーズマールへ出かけるのを恒例としている。そこでいとこのロベール、アリサ、ジュリエットとともに過ごすのであった。記憶の回想が始まるその時、2つ年上のアリサと再会したジェロームは、自分たちがもう子供ではないことをはっきり感じる。

 ジェロームといとこたちは離れて暮らしている。したがって会うのはジェローム一家が夏ごとに訪れる時に限られる。子供ではないと意識したとて、実際の年齢的にはまだ子供の2人は、母親と教会に行って、牧師の話を聞いたりする。そこで「狭き門より入れ」という説教を聞く。ジェロームの夢想する狭き門は、アリサの部屋のドアに変わったりする。

 回想は時を追って行く。中学になり2人の言動も大人びていく。ジェロームの回想の中心は常にアリサ。1つ年下のジュリエットもいるが、ジェロームはアリサ一筋。しかし、当のアリサはそんなジェロームの心を知っても心は信仰が中心。「君に出逢えないんなら、天国だって僕は御免だ」と語るジェロームに、アリサは「先づ神の国と神の義とを求めよ」と答えるほどである。

 このアリサのスタンスは最後まで変わらない。一方。ジュリエットは密かにジェロームに想いを寄せる。だが、ジェロームはアリサ一筋。ジェロームの想いに対し、常に一定の距離をおくアリサ。ではアリサはジェロームに気がないのかと思いきやそうではない。それが随所にアリサの言葉で表されるが、アリサにとっては何より神が大事。神の前ではジェロームと愛を育むという世俗のことには身を染められないという感じである。

 読んでいて、もどかしくなることしばしば。この時代はそもそも貞操観念が現代とは比較にならないほど強い。純愛の時代であるが、それでもアリサの神への献身はちょっと理解が難しい。それは自分がクリスチャンではないからかもしれないし、現代とは感覚がそもそも違うからかもしれない。他に好きな男がいるならまだしも、そうではないのに自分の想いには答えてくれない。ジェロームの焦燥はよく伝わってくる。

 この小説が受け入れられた背景はよくわからない。当時のクリスチャンの感覚では、アリサの心もジェロームの気持ちも人々の胸を打ったのかもしれない。ただ、現代の感覚ではなかなか理解が難しい。それだけ世の中も変わったということなのだろう。そんな時代感を味わうという意味では参考になるかもしれない一冊である・・・




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2020年05月11日

【犬にきいてみろ】池井戸 潤 読書日記1148



 テレビドラマにもなった著者の『花咲舞が黙ってない』シリーズの短編である。

 冒頭、花咲舞がお見合いに来ている。らしくない状況であるのは本人もよく認識しているのだが、断りきれなくてのもの。相手は親の代からの町工場を経営している平井勇磨。初めての対面で男の場合だと、どうしても話は仕事の方に行く。舞は銀行員でもあり、自然と話は仕事のことで深まって行く。すると、突然、平井は舞に相談に乗ってほしいと持ちかける。そこへ偶然、同僚の相馬健と出会い、その流れから2人で平井の相談に乗る形で物語は進む。

 平井の会社は赤字決算となってしまっており、平井はそれに悩んでいる。相馬と舞が後日平井の会社を訪れ、決算書を見せてもらう。すると、売り上げは減っているのに、むしろ工場の製造コストが上がっていることが判明する。聞けば、親の代から支えている工場長がワンマンで、社長の平井も持て余していてモノが言いにくい状況だという。そこで2人は工場を訪ねることにする。

 工場長は先代から支える古株で、しかも先代が主要取引先である大日マシナリーから三顧の礼で迎えたという人物。自分が主要取引先とのパイプも握っており、ワンマン化しているのである。しかもそんな状況下、平井の下には工場長の不正を臭わす告発状まで届いている。そこで相馬と舞は密かに工場を調べ始める・・・

 元銀行員だけあって、著者の著書には銀行系、ビジネス系が多い。それゆえにビジネスマン的には興味深い。中小企業を経営している立場からすると、「赤字の原因はなんであり、それをどう解消するのか」という過程に興味津々となる。ましてや、不正となるとどこの企業でも可能性はある。どんな展開になるのか先が気になるところである。

 同じ会社といっても、工場は独立して本社から離れており、そこは1つの王国。早期と舞は手がかりを求めて工場の社員に聞いて行くが、みんな口は堅い。ところが元工場経理マンが、「犬に聞いてみろ」とヒントをくれる。これがタイトルの由来。果たしてそれはどういう意味なのか。ヒントの意味に気づいた舞が、真相に迫って行く。

 短編ゆえに短くまとまっていて、あっという間に読めてしまう。しかも、ビジネスマンにはきちんとビジネス視線の興味を満たしてくれる。短編といえども侮れない。単純にエンタメとして読んでも、ビジネス目線で読んでも面白い。やっぱり池井戸潤の作品であるとそれなりに満足させてくれる一冊である・・・




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2020年05月10日

【面白いほどよくわかる!臨床心理学】下山晴彦 読書日記1147



《目次》
1 臨床心理学とは何か
2 アセスメント
3 人の発達と心の問題―発達臨床心理学について
4 精神障害と臨床心理学―異常心理学について
5 問題への介入
6 コミュニティへの介入
7 臨床心理学の研究活動
8 社会と臨床心理学

 昔からなんとなく心理学には興味を持っており、いつか機会があれば学んでみたいと考えていたが、そんな時に目にしたのがこの本。心理学の中でも「臨床心理学」とは何かとすると、それは心理学の一分野であり、「人の異常心理や生活していく上で問題となる行動の原因を科学的に探求し、その成果を踏まえて問題の改善を目指すための学問」だとする。具体的には、「実践活動」「研究活動」「専門活動」と3つの柱があるらしい。

 精神医学との違いは、精神医学が精神障害などの心の病気を扱い投薬などの医学的な治療を行なって原因の排除を目指すのに対し、問題を受け入れて自分の人生をよりよく生きられるように心理的なサポートをするのが臨床心理学だという。臨床心理士は医者ではないということなのだろう。

 その昔は、医者の補助的な役割だったらしいが、今では患者を中心にチームを組んで当たるパートナー的な存在らしい。臨床心理学、カウンセリング、心理療法は似たようなものに思えるが、別のものだとする。この本は、臨床心理学の入門書的な存在であり、大まかな概要から、歴史的な経緯等を含めて説明される。

 医者が患者と向き合い、「治す」存在であるのに対し、臨床心理士はクライアントに寄り添い、クライアントが主体的に問題を解決できるように援助していく存在とのこと。クライアントの状態を調査し、問題解決のための方針を決める作業を「アセスメント」というが、そのいろいろな方法が説明される。このあたりは心理学部の学生が学ぶテキストのような感じがする。

 「知的障害」や「発達障害」、「学習障害」や「AD/HD(注意欠陥/多動性障害)」等、人の発達過程で生じる問題が説明されていたり、それに対して「遊戯療法」「箱庭療法」「夢分析」「フォーカシング」などの手法が簡単に触れられる。あくまでも概要であって詳細ではない。それがこの本の特徴でもあるのだろう。アウトラインを理解するのには役立つ。

 個人的には、概論よりも具体的な内容に興味があったのであるが、アセスメントにせよそうした具体的な事例等は挙げられていなかった。それは概要書としての範囲外というのかもしれない。教科書的な内容は、そういうものを想定していないとちょっと厳しい。そうした目的であるならば、別の本をということなのだろう。タイトルの「面白いほどよくわかる」というのは、ちょっと誇張かもしれないと思う一冊である・・・




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2020年05月09日

【誰もが戻れない】 読書日記1146



原題:INNOCENT GRAVES

 本書は、実はカナダ在住の英国人作家である著者が発表しているシリーズ物の一冊だと言う。それは本書の主人公であるアラン・バンクス首席警部を主人公としたシリーズで、これが第8作目と言うことである。読むにあたりそんなことは知らなかったし、知らなくても本書は十分に楽しめる。それぞれ独立色の強いシリーズなのかもしれない。

 事件は、イギリスはヨークシャーの市場町イーストヴェイルで発生する。産業界の大物サー・ジェフリー・ハリソンの16歳になる一人娘デボラが絞殺体で発見される。着衣は乱れ、一見レイプされた末の犯行かと思われたが、さにあらず。所持金も取られていない。ただ、持っていたカバンの口は開いていて、物色されたかもしれない。一見、不可解なところがある。発見者は、遺体が発見された教会敷地を管理する教会の牧師夫人。すぐにアラン・バンクス主席警部が現場に到着する。

 捜査が開始されると、やがて捜査線上に怪しい人物が浮かび上がる。まずは教会の下僕を務めていたクロアチアの移民イェラチッチ。自らの行いを棚に上げ、クビにされたことの逆恨みで牧師を同性愛被害で訴えていた。そして当日同時刻、付近をうろついていた国語教師オーエン・ピアス。さらにはデボラと付き合っていたという不良青年のジョン・スピンクス。

 人の家庭というのは、外からはうかがい知れないもの。サーの称号を持つジェフリー・ハリソンの家には友人のマイケル・クレイトンが出入りしている。ジェフリーの親友で信頼も厚いが、実は大きな秘密がある。デボラも良家の子女であるにも関わらず、よからぬチンピラのスピンクスと付き合っている。そしてどうやらオーエン・ピアスが有力な容疑者として浮上する。

 昔の刑事コロンボのパターンは、初めに犯人がわかって、それをコロンボが追い詰めていくパターンだったが、このアラン・バンクスシリーズは犯人がわからない。パブで一人で飲んでいるところを目撃され、しかも当日着ていたコートにデボラの髪の毛が付着していたことが判明する。そのほかの物的証拠も出揃い、オーエン・ピアスが逮捕される。ところが本人はこれを否認する。

 果たしてピアスが犯人なのか。裁判が開始され、ピアスには不利な証人が登場する。アラン・バンクスは特に何か優れた資質があるというわけでもなさそう。推理力が鋭いでもなく、腕っぷしもそれほど強調されてはいない。そういう意味では、なんとなくどこにでもいそうな普通の中年刑事という感じである。ただ、一方的に決めつけるのではなく、地道に捜査をするという当たり前の資質は持ち合わせているようである。

 事件の犯人は、意外と言えば意外。ただ、特段、何かそこに至る過程で驚かされたりすることもなく、物語は進んでいく。それが特徴なのかもしれない。シリーズ化されているということは、それなりに人気があるのかもしれないが、これ一冊ではなんとも言えない。また、ではほかの作品も読んでみようかという気になるわけでもない。まぁ、こんなものもあるのかな、という感想を持った一冊である・・・






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2020年05月08日

【人性論ノート】三木清 読書日記1145



 著者は、昭和初期の哲学者、社会評論家、文学者。教科書でも読んだ記憶がある。この本は学生時代に読んだ記憶があるが、まだ人生経験が不足していたのか、あまり感じることなく終わった記憶がある。改めて読んでみたくなって手にした一冊。内容は、「死について」「幸福について」「懐疑について」等、23のテーマについてそれぞれ書かれている。

 普段、「死について」など改めて考えることもない。「死は観念、生とは想像」と著者は述べる。「死別した親しかった者と再会するチャンスは、生きている限りゼロだが、死んだ場合は可能性がある。」と言う。個人的にはそれもゼロだとは思うが、死んだこともないので否定はできない。改めて言われればその通り。

 「幸福について」は、「倫理の中心問題」と捉えている。「幸福である者は幸福について考えない」というのもそうかもしれない。幸福について述べられている意見は1つ1つがやはり深い。
 1. 幸福そのものが徳
 2. あらゆる事柄において幸福は力
 3. 生とは想像、幸福も想像
 4. 幸福は人格
 5. 幸福は表現的なもの。自ずから外に現れて他の人を幸福にするものが真の幸福
自分でもいろいろと考えてみたくなる。

 「懐疑について」では、懐疑は人間的なものだとする。「神には懐疑はなく、動物にもない。」確かにその通り。「論理によって懐疑が出てくるのではなく、懐疑から論理が求められる。」このあたりになると、ついていくのが苦しくなる。「人生は形成作用によって作られる故に、すべての懐疑にもかかわらず人生は確実なもの。」デカルトもおそらくこんなふうに考えていたのだろう。

 それぞれ難しく書かれているところもかなりあるが、ドキッとさせられるものもある。「習慣について」では、「習慣を自由になし得る者は人生において多くのことを為し得る」とある。これは深い。「虚栄について」では、「虚栄は人間の存在そのもの。人間は虚栄によって生きている」「虚栄心とは自分があるよりも以上のものであることを示そうとする人間的なパッションである」とする。わが胸に手を当てるとそうかもしれないと思ってみたりする。

 「孤独について」では、印象的な表現があった。「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の「間」にあるのである。孤独は「間」にある者として空間の如きものである。「真空の恐怖」−それは物質のものではなくて人間のものである」。実に深い表現である。

 つらつらと読んでいくと、テーマは実にバラバラである。「死」「幸福」「懐疑」「人間の条件」「孤独」「利己主義」「秩序」「希望」なんてものはなんとなく選びそうなものだという気がする。されど「嫉妬」「瞑想」「噂」「偽善」「娯楽」などというテーマは、どうも偉い人が取り上げるようなテーマでもない気がする。それであるのに、それぞれ深い考えが表されていて、そこは凡人には及びもしないところである。

 もっともっといろいろなテーマについて書いて欲しかったとつくづく思う。大人物ならどんなふうに分析してみせるのか。興味が湧くところである。今更ながらであるが、何度も読み返してみたい一冊である・・・




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2020年05月06日

【本当にわかる論理学】三浦 俊彦 読書日記1144



《目次》
序章 「論理を学ぶこと」の困難
第1章 論理と論理ならざるもの
第2章 「論理」から「論理学」へ
第3章 論理学の規則を学ぼう
第4章 論理学の原則を確かめよう
第5章 「論理的な誤り」を避けるために
終 章 演習問題

 もともと物事を論理的に考えるのが好きな性分であり、「論理学」の存在は知っていたが、どんなものか学んだことはなかった。そんなところに目についた一冊。基本的なことぐらい知っておきたいと手にする。

 はじめに「論理とは、主題や対象が変わっても成り立つ構造、方法」という説明がある。これだけだとなんのことやらと思うが、読み終えるとしっくりくる。そして「論理学」は、「思考の構造」「思考の方法」を研究し、効率よくあやつるための実践的学問であるとする。その意味するところは、本書を読むと理解できるようになっている。論理と対になっているのが「直感」。普通人は論理と直感とを併用して問題解決に当たる。直感は「発見法(ヒューリスティック)」とも呼ばれ、論理(アルゴリズム)と無意識に使い分けている。

 また、論理は懐疑精神の結晶であるとする。自分の直感を信用せず、見た目がいかにも正しそうな事柄もアルゴリズムの行方に従って判定する。こう考えると、実は数学も論理であることがわかる。文系・理系という分け方はここでは当てはまらない。さらに論理の反対語は「事実」だとする。前提が事実に合致していれば、結論は必ず事実に合致しているが、事実に合致しているかどうかは論理には関係ない。ここが難しいところ。

 前提1と2が認められれば、結論が認められなければならないというのが論理学の基本。ただし、それが事実かどうかは関係ない。例えば、
 前提1 日本の首都は浜松である
 前提2 日本の首都が浜松ならば日本の首都は静岡県にある
 結論 したがって日本の首都は静岡県にある
という文は論理的には正しいとされる。これが理解できれば、かなり論理学の理解も進むと思う。

 また、「売春は悪である」ということについても、議論の前にはいくつかの同意がないといけないというのも新鮮である。「売春」とはどういう行為を指すのか、善悪は何をもって判断するのか、その前提となる同意が食い違っていると当然議論が噛み合わない。日常生活ではよくあることである。その時、真であることが保証されているのが「公理」であり、その組み合わせによって導かれる「定理」である。

 以前からわかりにくかった「演繹」と「帰納」もすっきりと説明されている。すなわち、「演繹」とは論理的推論であり、「帰納」とは演繹以外の推論、前提に含まれない情報を結論として導き出す拡張的な推論である。演繹と帰納は表裏一体という説明に、これまでしばしばどちらが演繹でどちらが帰納かわからなくなっていた身としてはありがたい。ここでも数学とは論理であるということがよくわかる。

 しかし、本格的な論理学の説明に入るとなかなか難しくなってくる。「命題論理学」「述語論理学」「量化子」「量化文」「三段論法」「存在量化」「矛盾律」「排中律」「前件肯定」「後件肯定」等々説明を読めばなるほどと思うが、本格的な学問として捉えるとやはり大変である。しかし、「背理法」などは、アリバイ証明にも使われる推論であり、日常生活でそれとわからずに使っていたりする。

 また、相手の言葉の潜在的な意味のうち、否定しやすい要素だけをクローズアップして批判する方法や歴史的に誰が何を述べたかというような議論の本筋とは関係ない事柄を持ち出す詭弁(燻製ニシン)ということも議論ではよくある。「モンティ・ホール・ジレンマ」など面白い話もあって、難しいながらも楽しませながら考えさせてくれる。内容をよく理解することによって自分の思考を整理することができるようになるのではないかと思わされる。

 これ一冊ですべて理解できるというものではないが、イロハのイとしては程よい一冊である・・・



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2020年04月21日

【猪木伝説の真相 天才レスラーの生涯】アントニオ猪木 読書日記1143



《目次》
第1章 プロレス界「最大の謎」を猪木本人に問う!
第2章 猪木・最盛期「昭和」の弟子たち
第3章 猪木・現役晩年「平成」の弟子たち
第4章 新日本・前夜“若獅子”時代を知る男たち
第5章 外部から見た“燃える闘魂”の実像
特別インタビュー サイモン・ケリーが語るアントニオ猪木と「新日本・暗黒時代」の真実
アントニオ猪木1943‐2019完全詳細年表

 小学生の頃からのプロレス好きであり、最近はめっきり見なくなってしまったが、それでもこの手の本を見ればついつい手にしてしまう。「伝説の真相」というタイトルは大げさだが、様々な角度からのインタビューでアントニオ猪木を語った一冊である。

 はじめに猪木本人のインタビューである。ここで、第一回IWGPグランプリの決勝戦について、「昭和のプロレスのミステリー」とする。「舌出し失神事件の真相」と威勢はいいが、肝心の猪木の回答は「真相」には触れない。ただ、ハルク・ホーガンのアックスボンバーを受けて「言語障害が出た」と述べるに止まる。それはそれで悪くはないが、ならあまり大げさに煽り立てないほうがいいのにと、構成の下手さ加減に呆れる。

 1999年1月4日の小川・橋本戦も猪木が黒幕とされているが、それにも触れられない。肝心なところがぼかされている。だが、「今のプロレスは強くない奴がスターになる。カッコばかり気にして強さを求めない」という発言は、さすがだと感じさせる。「猪木イズム」であるが、それは「繋げなかった」と語るが、そもそも「猪木イズム」ってなんだというのもある。ありもしない幻を指しているような気がする。

 そんな本人が繋げなかったという「猪木イズム」を佐山聡は「タイガーマスクとは猪木イズムの結晶」と語っているところが興味深い。猪木イズムとは、プロレスでも格闘技でもないとするのはいかにも佐山らしい。入門した頃の親日道場は、練習はセメントの練習ばかりだったという。みんな強くて、その中でも猪木が一番強かったらしい。佐山は猪木に「お前を格闘技の第一号にする」とまで言われていたという。当時はなぜ異次元空中殺法から離れてしまったのかわからなかった。こういう内幕は面白い。

 周りのレスラーたちの話もまた興味深い。藤波は何と言っても新日本プロレス立ち上げメンバーでもあり、独立時の話は見えない未来に向かっていた雰囲気が漂っていてなんとも言えない。藤原は付き人から見た猪木の素顔を伝える。「パンツを自分で洗っていた」「UWF移籍を引き止めてくれなかった」。蝶野は猪木が風呂で使い終わった後水で流して綺麗にしていたと証言する。こういう見えないところのトップの意外な姿勢は大事だと改めて思う。

 武藤はちょっと猪木とは系統が違うレスラーであるが、「自分を裏切ったような人間でも受け入れる度量がある」と猪木を評する。古い頃を知るグレート小鹿は「アイデアの猪木、カネの馬場」と語る。スパーリングでは力道山も猪木に勝てなかったという話は実に面白い。そんな猪木ももう77歳だという。若い人たちは、アントニオ猪木など名前と「ダァー!」くらいしか知らないのではないかと思う。かつて熱中していた頃が懐かしく思える。

 アクラム・ペールワン戦はガチンコで、後日墓参りに行ったこと、モハメド・アリと結婚式で語り合ったことなど知られざるエピソードや、4人目の奥さんが最近亡くなったという近況のこと、やっぱり興味深いエピソードは読むと面白い。あの頃は面白かったなと改めて思う。かつて熱中したプロレス世代には、いい暇つぶしになる一冊である・・・




posted by HH at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする