2017年12月03日

【論理的思考力を鍛える33の思考実験】北村良子



第1章 倫理感を揺さぶる思考実験
第2章 矛盾が絡みつくパラドックス
第3章 数字と現実の不一致を味わう思考実験
第4章 不条理な世の中を生き抜くための思考実験

普段から「考える」ということを重視している私にとって、「論理的思考力」「思考実験」というキーワードは実に魅力的である。そんな魅力的なキーワードのタイトルを見たら、これはもう読むしかないと手にした一冊。中には33の思考実験の例題が掲載されていて、著者は「ビジネスの場でも欠かせない論理的思考力を鍛えるために役に立つ」と語っているが、その通りだと思う。

そんな思考実験であるが、初めに登場するのは「暴走トロッコと作業員」。『これからの「正義」の話をしよう』で採り上げられていた例である。暴走するトロッコの先に、これに気づかずにいる5人の作業員がいる。トロッコが向かう途中には切り替えポイントがあり、これを利用してコースを変えれば5人は助かるが、今度は変えた先に別の作業員1人がいる。5人を救って1人を犠牲にできるかというものである。

さらに同じ5人を救うために1人を犠牲にするケースでも、トロッコの先に太った男を落としてトロッコを止めるという方法はどうかと続く。同じ5人を救うために1人を犠牲にするのでも、切り替えポイントとはちょっと違ってくる。人命が絡むと、なかなか判断は難しい。「臓器くじ」の例も同様の倫理観に関する問いかけである。

一方、「テセウスの船」は気軽に楽しめる。老朽化から部品を交換して当初からすっかりリニューアルしたテセウスの船は、元の船と同じか。交換した古い部品で復元したテセウスの船は「テセウスの船」なのか。有名な「アキレスと亀」やタイムパラドックスが常に問題となる「タイムマシン」は実に気軽に楽しめる。

個人的にどうにもわからなかったのが、「モンティ・ホール問題」である。3つのドア(A,B,C)があって、正解のドアは一つだけ。Aを選んだ時、モンティがCのドアを開けるがこれはハズレ。この時、モンティから「選択を変更できるがどうするか?」と問われる。選択を変えた方がいいか否かという問題。どちらでも同じだと思うし、惑わされたくないと思うから自分だったら選択を変えないと思うが、実は変えたほうが当たる確率は高いという。正直言ってこれは何度考えても理解できない。

本では9通りの実例で説明されていたが、これがどうにも納得できない。
例えばAを選択した場合(選択を変えた方が良い場合)、
1. Aを選択してモンティがBかCを開け、選択を開けなかったBかCに変更したがAが正解⇨✖️
2. Aを選択してモンティがBを開け、選択を開けなかったCに変更してCが正解⇨◯
3. Aを選択してモンティがCを開け、選択を開けなかったBに変更してBが正解⇨◯
の3通りがあって、選択を変更した場合の正解率は2/3だから変更した方が良いとしている。

しかし、よくよく考えて見ると、

1. Aを選択してモンティがBを開け、選択を開けなかったCに変更したがAが正解⇨✖️
2. Aを選択してモンティがCを開け、選択を開けなかったBに変更したがAが正解⇨✖️
3. Aを選択してモンティがBを開け、選択を開けなかったCに変更してCが正解⇨◯
4. Aを選択してモンティがCを開け、選択を開けなかったBに変更してBが正解⇨◯
の4通りがあるのではないかと思えてならない。この場合の正解率はどちらも2/4=1/2だからどちらも変わらないとなる。もちろん、この方が個人的には納得である。

単なる数学的問題に含まれるものもあれば、「囚人のジレンマ」のような心理的なものもある。あれこれと頭をひねって見るのも面白い。何れにせよ、著者が最初に語っているように、ビジネスでもこうした悩ましいシーンは多々あり、程よい思考トレーニングになる。読み物としても面白いし、トレーニングとしても面白い。良い思考実験ができる一冊である・・・

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2017年11月29日

【君と会えたから・・・】喜多川 泰



画廊
八月六日
長い一週間
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第一講 自分の欲しいものを知る
第二講 夢を実現させる方法を知る
第三講 経済的成功の真実を知る
第四講 魅力溢れる人になる
第五講 手段を目的にするな
第六講 できないという先入観を捨てる
****************************************************************
電話
助言
ハルカの部屋
手記
扉の向こうの真実
最後の講義
勝利の女神
手紙

著者は自己啓発の作家であり、これまでに『賢者の書』から始まって、『「また、必ず会おう」と誰もが言った。』『書斎の鍵-父が遺した「人生の奇跡」』『株式会社タイムカプセル社-十年前からやってきた使者-』『きみが来た場所 Where are you from? Where are you going?』と読んできていて、いずれもそのテイストが気に入って愛読している。さらにまた一冊と手にしたのが本書。

冒頭、会社を経営し、海外へも仕事で忙しく飛び回るかたわら、著作の打ち合わせもしている「私」の作品を展示している画廊から物語は始まる。なんだか「私」はとんでもないマルチスーパーマンのような人物である。その画廊に1人の老女がやってきて一枚の絵をずっと眺めて帰っていく。幼い娘からその老女の名前を聞き、「私」の記憶は17歳の夏へと遡る・・・

もともと「私」の実家は本屋を経営していたが、夏休みのある日、「私」が店番を言いつけられて店にいると、1人の美しい少女がやってくる。しかし探している本が見当たらず、やむなくその本を予約して帰っていく。やがて予約した本が届くが、「私」は少女のことが気になり、その本を読むことにする。内容は多分自己啓発系だったのだろう、それまでろくに本を読んだことがなかった「私」はその内容に大いなる衝撃を受ける。

やがて少女がやってきて、予約した本を受け取る。すでに読破していた「私」は、その話題でその少女ハルカと仲良くなる。そしてそれから「私」とハルカの奇妙なデートが始まる。ハルカは父に教えられたと言って人生で大事なことを「私」に教えていく。
・自分が人生において欲しいもの、実現したいもののリスト(ライフリスト)を作る
・人生において他人にやって上げたいことのリスト(2枚目のライフリスト)を作る
・お金を払う行為は、欲しいものを手に入れるために、それに携わった人に「ありがとう」を届ける行為
・自分の内側に明かりを灯せば、コンプレックスなどの傷もその人の魅力となる
・職業は夢ではなく、夢を実現するための一つの手段
・昨日までできなかった事実が、今日もできないという理由にはならない

やがて物語はハルカの「事情」を明らかにする。この展開はどうも安っぽいドラマのよう。だが、著者の書く本の魅力はストーリーそのものよりそこから訴えてくるものといえる。この物語も「人生において約束されていることなど何もない。だからこそ自分の行動次第でどんなに素晴らしい成功だって手に入れることができる」というメッセージを伝えてくれる。これは子供に読ませてみたいと強く思う。

自分自身もそうであるが、子供にも読ませてみたいという点で、著者の本はこれからも外せないと思うのである・・・





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【百円の男ダイソー矢野博丈】大下英治



第1章 仕入れは貧乏と格闘技
第2章 夫婦で一番売るトラック売店
第3章 百円の高級品
第4章 矢野式人材の育て方
第5章 破竹の海外進出
第6章 入社二年目のバイヤー
第7章 九九パーセントが自社開発商品
第8章 新しい風、生き残るために

個人的に創業社長の「創業伝」は結構好きである。目につくと無条件で手に取ってしまうと言っても過言ではない。ましてやそれが誰もが知る企業であればなおさらである。これはそんなメジャーな企業である「百均」のダイソーの創業者の自伝。

矢野は戦時中に天津で生まれ、引き揚げ船で帰国する。もともと祖父は広島の地主だったらしいが、農地解放で没落。父は医者であったが、当時の医者は貧しく、少年時代は貧乏暮らしであったという。田舎者と馬鹿にされたことがきっかけで、ボクシングを始めて熱中する。一時は東京オリンピックの強化選手に選ばれたらしいが、プロのグローブの薄さに驚いてプロは断念する。

勉強は嫌いで、なんとか大学の二部に合格して上京するも、勉強より体を動かして働くことを選ぶ。青果市場でアルバイトを始めると、これに熱中。働き者で有名になるほどであったと言う。働くのはいいがその代わり勉強はせず、「創意工夫」で単位をもらって卒業する。女性には奥手だったらしい(なんとなく表紙の写真から想像できる)が、なんと学生結婚する。その理由も「家は貧乏だから学生なら金をかけなくても結婚式ができる」というもの。そんな理由でよく結婚するなと思うが、親孝行でもある。

そして「商売に良さそうだから」という理由で妻の姓を名乗る。このあたりの感覚はすごい。妻の実家の商売を継ぐも、赤字で借金がかさみ、親兄弟から借りてくれと義父に頼まれ、これを見限って東京へ夜逃げする。この時から「いつ潰れるか」という心配を常に口癖のようにして生きてきたようである。

チリ紙交換を始めて成功し、一時は金持ちの養子になるがそれを解消し、たまたま目にした移動販売を始める。時代もあるのだろうが、とにかくあちこち目を光らせてこれとなったらすぐ飛びついて必死にやるというイメージである。馬鹿正直に商売し、それが評判を呼び物が売れていく。あまりに売れるので、面倒臭くなり商品を全部100円で売ることにする。これが「百均」の原点となる。

移動販売では売り逃げができる。しかし、著者は定期的に巡回しリピーターを増やしていく。売り逃げなら暴利を得られるが、それではリピーターがつかない。原価率を上げ、「いいものを安く」したからリピーターがつく。このことを体感した著者は自分の利益を後回しにする。勉強嫌いの著者に成功理論はないが、この体感がモノを言う。のちに百均は大手に真似されるが、利益を確保したそれは著者の商品とは格段の差があり、顧客の支持を受けて成長していく。

それでも社員の造反などがあり、倒産の危機とは背中合わせ。こうした思いから、「大きくしよう、儲けようと大それたことは考えず、お客様第一主義で倒産しなければいい」と考えるようになる。そんな考えや人柄は、大企業となった今でも失っていないようである。成功の要因を一つあげるとすれば、やはり「利益を考えなかった」と言うことになると思う。その考えに至る経緯は、この自伝を読んでいるとよくわかる。自伝にはそういう効果があるとつくづく思う。

中小企業に身を置いていて、自分たちは何をすべきかとよく考える。我々は小売業ではないが、客商売である以上、共通するものはあるはず。そんな目で読んでいくと、いろいろとヒントが散りばめられている。この本では、「利益は後からついてくる」というところだろうか。社員に対するスタンスも見習いたいところである。
読み物としても面白いし、お手本としても面白い。苦労人の創業者の自伝には学ぶところが多いと改めて思わされる一冊である・・・


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2017年11月26日

【ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室】キャスリーン・フリン



原題: The Kitchen Counter Cooking School
PROLOGUE スーパーのカートには人生が詰まっている
PART 1 泣き笑い、料理する、その心にはいつもパリ
PART 2 加工食品はもういらない、なんだってイチからカンタン
PART 3 ほんの少し買い、たくさん作り、捨てない幸せ

著者は、ライターであり、ジャーナリストであり、料理講師であり、国際料理専門家協会の理事でもある方だという。そんな著者が、料理素人の主婦に料理を教え、その人生を変えたというお話。なんとなく面白そうに感じて手に取り、なんとなく読み終えてしまった感のある本である。

きっかけはあるスーパーでのこと。買い物途中のある女性のカートの中を見て著者は衝撃を受ける。カートは半分以上埋まっていたが、「ちゃんとした食品は何ひとつ入っていない」と。興味を持った著者は、30代後半のその女性に話しかける。そしてそれから1時間ほど2人は話し込み、著者はカートに入った箱詰めの商品とそれが「真似している本物の食品」とを入れ替えて行ったのだという。この経験から、著者は料理を苦手とする女性を集めて料理を教えることを思いつく。

著者は、もともと37才でル・コンドン・ブルー(よくは知らないが、おそらくパリの有名な料理学校だと思われる)を卒業したという。そんな素養がある中で、フランスが長時間保存可能なアメリカ式の食品を受け入れたことから、フランス人が太り続けたことや、アメリカでも自炊すればするほど体重は減ることなどから、アイデアが湧いていく。そしてどうやったらもっと料理をしたいという気持ちにさせられるかについて考えを巡らせる。

そして地元のラジオ番組に出演した著者は、そこで自らの考えを述べ、希望者を募る。そこで応募者の中から10人を選び、著者の試みはスタートする。著者のちょっと変わったところは、料理のスタートは応募者各人のキッチンを訪問して見て回るところから始めたところ。各人それぞれの家庭事情とキッチンとが描写される。そうして始まった料理教室の様子が述べられていく。

どの女性も家庭で主婦の立場に立つが、当然ながら皆料理ができない。そんな状態で台所を預かるというのも恐ろしい気もするが、スーパーに行けば調理とは言えないような調理で手軽に食べられる食品が溢れており、それでなんとかなってしまうわけである。料理教室では、そもそもの食材の味をテイスティングし、本当の味を教えたりする。

アメリカに行けば真っ先に気がつくが、実にデブが多い。最初は「飽食」が原因かと思っていたが、「本物をまねた箱詰め食品」もその一因だと言われている。参加者の状況を見て、自分の母親や妻でなくてよかったと心から安堵するが、参加者も慣れない手つきで包丁の扱いを学んだりと授業が続いていく。

箱詰めでなくても安心はできない。巨大なバラックに閉じ込められ、大量のエサと少しの運動で太らされた鶏の肉に、さらに水や食塩水を注入し、重さを水増しして売る実態などが紹介される。また、買って帰った食材の1/3が捨てられているという話も紹介される。事実、メンバーの家の冷蔵庫には4年前に買った食肉が入っていたりする。単なる料理教室の話にとどまらず、現代社会の食にまつわる問題が溢れ出てくる。

やっぱり料理することは大事なのだと改めて思う。実はいつか自分も将来に備えて料理ぐらいはできるようになっておきたいと思っているのだが、その思いが強くなった。料理する楽しさが行間から伝わってきて、多分実際に作ったら楽しいかもしれないと思えてくる。なんとなくやめられずに最後まで読破してしまったのもそんなところに理由がある。

「人生を変えた」というのも、決して大袈裟な表現ではない。自分もやっぱり料理をしてみたいと思わされた一冊である・・・

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2017年11月23日

【「週刊文春」編集長の仕事術】新谷学



はじめに 私が「仕事術」より大切にしていること
第1章 情報/人脈 全てのビジネスは「人」から始まる
第2章 企画/発想 予定調和はおもしろさの敵である
第3章 依頼/交渉 難攻不落の相手から「YES」を引き出す
第4章 組織/統率 ヒットを生み続けるチームはこう作る
第5章 決断/覚悟 リスクを恐れずに壁を突破する
第6章 戦略/本質 「売れない」時代のマーケティング

週刊文春と言えば、近年は不倫などのスクープで世を賑わせている。個人的にはその手のことに面白みを感じないので読んでもいないのだが、その文春の編集長の本としてはちょっと興味をそそられた。好き嫌いで言えば「嫌い」の部類に入る分野の人物が語る言葉に共感などしそうもないと思うが、「何でも食ってみるべし」の精神で手にした一冊。

冒頭はやっぱり編集長なりの基本スタンスが書かれている。「世の中で起こっている様々な出来事、あるいは話題の人びと、それらをおもしろがる気持ちがスキルやノウハウよりも大切」だとする。「不況をおもしろいものが作れない言い訳にしてはいけない」とするが、そのあたりはよく理解できる。
「週刊文春がやっていることは極めてシンプル。毎週いいネタをバンバン取ってきてフルスイングする」。
なるほどそうなのだろう。

写真などはコソコソ撮れるが、インタビューはそうはいかない。野球賭博で逮捕され、球界を追われた元巨人の笠原投手は、多くのメディアがインタビューを申し込んだがことごとく断られていたが、文春だけには応じた。その陰では、笠原氏のアルバイト先に潜り込んで仲良くなり、一緒に徹マンまでやって人間関係を築いたという努力があったのだという。
「用がなくても幅広く連日連夜日常的な付き合いをしておくことが大切」という考えは、ドキリとさせられる。

そもそもゼロの状態から人間関係を築くのは大変な事。
1. 大切なのは図々しさ
2. 情報はギブアンドテイク
3. どれだけ人に会うか、どれだけ大切にするか。用がなくてもこまめに会う
4. 敬意は表しても迎合しない
5. 折に触れてこちらからアプローチする
6. 肩書で人と付き合わない
人間関係の構築は昔から苦手としている私からすると、今さらながら苦手から抜けられない理由を突きつけてくれる。

企画についての意見はなかなか面白い。
1. みんなが右と言っている時に左を向く
2. 実現出来たら面白いなと思ったらまずやってみる
3. 「こうなったらどうしよう」と心配するより「こうなったらおもしろいな」と考える
4. 「見たこともないもの」「誰も予想がつかないもの」はマーケティングをしても意味はない

その他にも参考になる言葉が続く。
1. どうすればいいかウジウジ考えるより「やる」
2. 全ての出会いは一期一会。聞くべきことはその場で聞く
3. スピードが熱を生む。走りながら考える
4. 嘘をつかない、弱いものいじめをしない、仕事から逃げない
5. 健全な競争と共同作業のバランス
6. 編集長(リーダー)はとにかく明るく
7. 異論・反論がリーダーを鍛える
8. ネタに対してもフェア、人に対してもフェア、仕事に対してもフェア

駆け出しのころから創意工夫して身につけた「仕事術」には重みを感じる。また、それと並行して書かれる世の中に話題を提供してきた各記事についての説明も興味深い。特にマスコミは小沢一郎のような大物政治家やジャニーズなどの強い事務所からの圧力には弱いらしく、そんな業界仲間に対して苦言を呈する。政権には右でも左でもなく「ファクト」で勝負するというスタンスは、読んでいて心地よい。信念のある人に特有のオーラを感じる。

芸能人の不倫など、どうでもいいことを世の中は騒ぎすぎると個人的には思う。そんな不倫を報じる週刊文春に対する嫌悪感はこの先も消えないだろうから、買うこともないだろう。ただ、雑誌の未来を危惧し、ネットへの模索などもしているようだし、仕事に対するスタンスや考え方というものは、なるほどと思うことが書かれている。そこは食わず嫌いで敬遠しなくてよかったところである。

週刊文春に対する好き嫌いは置いておいて、読んでみるのも面白い一冊である・・・




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2017年11月20日

【すごい学習メソッド−勉強しなさいと言わずに成績が上がる!学校成績アップ日本一の塾長が教える、子どもが即やる気になる勉強法−】藤野雄太



第1章 子どもを勉強嫌いにさせている原因は、コレだ!
第2章 一度勉強嫌いになった子どもをやる気にさせる方法
第3章 全科目成績アップの土台をつくる、何がなんでも「国語力」
第4章 正しく答える力を身につける「トレーニング型勉強法」
第5章 必ず5科目合計100点以上アップする、最強の学習法
第6章 勉強のゴールは、自分の才能を発見して社会に貢献すること


子供を持つ親なら教育という事を考えないことはないだろう。私自身も当然、関心はある。ただ、「勉強しろ」とは言いたくないし、一度も言ったことがない。ではどうするべきか。常日頃そんな問題意識を持っているから、こういうタイトルを目にするとすぐ手が出てしまう。この本は、個別指導塾を経営する著者が語る「子どもが即やる気になる勉強法」の本である。

冒頭から著者は、「子どもは本来勉強が好きである」と語る。しかし、「日々の生活の中でやる気を削がれている」と言う。子どものやる気を削ぐのは、親の「勉強しなさい!」と言う言葉だと言う。我が家にも聞かせたい人物が約1名いる。勉強のために遊びを制限すると成績は伸びなくなるとする。逆に遊びでも好きなことに打ち込める子どもは勉強も頑張れるとすら言い切る。こう言う考え方は面白い。

著者の経営する個別指導塾は、成績がアップする割合が100%なのだと言う。一般的な塾で1/3程度であると言うので、かなり驚異的である。それももともと偏差値39だった著者が、それを70.9まで上げた自身の経験からきているのであろう。「苦手科目は捨てる」と言う大胆な指導法も面白い。子どもは苦手なことよりも好きなことに関心を持つのは当たり前。我が家の息子も歴史が大好きで、1人でどんどん学んでいるのを目の当たりにしているので尚更共感する。

1. 平均点以下のものがあっても気にしない
2. 早期の英才教育は子供をつぶす
3. 毎回のテストに一喜一憂すると長期的視点が持てなくなる
4. 欠点には目をつぶり期待の目で接する
早期の英才教育は、子どもが「ガス欠」になると言うのは、私も小学校時代に塾に通って成績の良かった同級生が、結局「普通の大学」に行っていた経験からよくわかる。

教科の中でも国語力が大事だと著者は語る。これは、『学校じゃ教えない「子供のアタマ」を良くする方法』でも別の方が主張していたが、やはり真理なのだろう。語彙力の違いが理解力の違いになり、点数の差となって現れるのだと言う。そんな語彙力を鍛えるには、「音読」「自由読書(なんでもいい)」「新聞書写」が有効だとする。自由読書のあと、本の要約を説明させたり、意見を聞いたりするのも良いそうで、これなどは親ができることだろう。

終盤は具体的な勉強方法が説明されているが、個人的にヒットしたのは英語の勉強法だろう。日本語と同様、まずは「音」から入るべきで、NHKのラジオ講座などを利用するのがいいとする。そうした勉強法に加え、親としてどうするべきかも興味を引く。親や先生に求められるのは、「子供に嫌われていないこと」だと言うが、そう言えば自分も嫌いな先生の授業には身が入らなかったものだと思い出す。「教育で大事なことは、生涯勉強する子どもを育てること」と言う意見には激しく同意する。全体的に著者の主張するところは、納得性が高い。

内容的には小学生の子供が対象といった感じがするが、子どもの教育にはとても大切なことが書かれていると思う。子どもに勉強させる前に、まず親からこう言う本を読んで勉強すべきと思わされる一冊である・・・


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2017年11月17日

【もうひとつの浅草キッド】ビートきよし



序章
出会い
ツービート誕生
浅草修行時代
テレビ下積時代
漫才ブーム
それぞれのツービート
永遠の相方

かつて漫才ブームの時に、時代の先頭を切っていた漫才コンビ「ツービート」。そのうちのビートたけしの活躍ぶりは語るまでもないが、もう1人のビートきよしの方は、「今何をしているのだろう」と言う感じだ。そんなところにたまたま目にしたのがこの本。ノモンハン事件ではないが、色々な角度から見てみると言うのも面白いと思うが、これはもう一つのツービートの物語として興味を抱いた本である。

もともと山形で高校を中退して自動車整備工場で働いていたきよしは、週刊誌に出ていた「タレント募集」の広告に惹かれ、母親に2万円を借りて上京する。「スターになって帰ってきてやる」という昂ぶる思いを胸に秘めていたのだそうであるが、このあたりは若者の無鉄砲かもしれない。しかし、映画出演の話に現場に出かけていくとそこはピンク映画の撮影現場。悶々とした日々を過ごすうちに誘われたのが浅草の演芸場。

浅草の演芸は今は廃れてしまったが、当時はまだ盛ん。と言っても弟子入りした深見師匠には毎日怒られていたという。師匠と組んで舞台上でのコントをするが、それはストリップの前座。時代を感じる話である。肝心のビートたけしとの出会いは、そんな浅草の出入りしていたフランス座という劇場だったとか。たけしはエレベーターボーイをしていたらしい。みんなスタートはそんなものなのかもしれない。

ある時、欠員が出て、急遽たけしが呼ばれて舞台に上がることになり、それが初めてたけしと組んだ経緯だという。当時のコントが再現されているが、くだらなくて面白そうである。当時は「女は芸の肥やし」と言われていて、師匠からは「女遊びしてこい」と言われたそうである。今だととんでもないことになりそうだが、いい時代だったのかもしれない。きよしは割とモテたらしいが、たけしはモテなかったという。何となく想像できてしまう。

一旦はコンビは自然消滅するが、その後きよしはある演芸場での出演チャンスを掴み、相棒としてたけしを口説く。最初は嫌がっていたというから、もしもこの時きよしがしつこく口説かなければツービートも誕生していなかったのだろう。しかし、コンビを再結成してもたけしは素行が悪く、いつも酔っ払ってきたりすっぽかしたりしていたという。面白いエピソードである。

やがてたけしの毒舌漫才が芽吹き、それは芸人仲間も見にくるほどだったという。かつてテレビで見たツービートの漫才が脳裏をよぎる。そんな毒舌漫才は当時は異色だったらしい。せっかく舞い込んだテレビ出演でも、最初は厳しい事前チェックでダメ出しされていたという。華やかなテレビ時代の話も面白いが、やはり下積時代の話も面白い。それは普通の人には窺い知れない世界である。

有名な「コマネチ!」の芸は突然やりだして、本番中なのにきよしも笑ってしまったという。やっぱりたけしは才能があったのだろう。そしてきよしは自分にはないその才能を支えようと独自に工夫していく。それなりに役割を果たしていたのである。改めてツービートは2人でツービートだったのだと思わされる。

最後にはたけしとの対談も載せられている。ここでのやり取りも面白い。漫才コンビでも裏では相方の悪口を言っていたところもあったらしいが、ツービートはそんなことはなかったという。それはきよしの人格によるのかもしれない。
改めて昔のツービートの漫才が見たくなってしまったが、人に歴史ありをつくづくと実感させる一冊である。

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2017年11月16日

【2030年ジャック・アタリの未来予測 不確実な世の中をサバイブせよ!】ジャック・アタリ



第1章 憤懣が世界を覆い尽くす
第2章 解説
第3章 99%が激怒する
第4章 明るい未来

著者のことはこれまでまったく知ることもなかったが、フランスではサルコジ大統領時に政策委員会委員長を務め、オランド大統領にも政策提言を行い、マクロン大統領を抜擢して大統領に押し上げたほどの方らしい。そんな方とはつゆ知らず、最近未来予測関連の本に興味を抱いているというただそれだけの理由から手にした一冊。

冒頭で著者は、「起きるわけがないと決めつけても、どんなことだって起こりうる。そうした最悪の事態を予測することこそが最悪を回避する最善の手段」と語るが、内容はまさにその通りのものとなっている。まずは現状についてであるが、これは順調に見える面が列挙される。
1. 向上し続ける生活水準
2. 続伸する平均寿命
3. 減少する極貧
4. 新たなコミュニケーション手段の普及
5. 技術進歩によって減る苦役
6. 環境問題に対する意識の高まり
等々

一方で、多くの重要なことが悲惨な状況になりつつあるともする。
1. 高齢化する世界人口
2. 医療サービスの乏しい世界での人口爆発
3. 地球環境の悪化
4. 加速する富の偏在
5. 貧困化する先進国の中産階級
6. 膨張し続け制御不能に陥る公的債務
7. 国家を牛耳る大企業
8. 吹き荒れる保護主義の嵐
等々

これらの現状と問題に対し、著者は「市場」と「相互依存意識」を解決策として提示する。すなわち、市場はイノベーションをカスタマイズされた財やサービスの開発を導くとし、他者の失敗で利益を得る者はいないという意識だとする。このあたり、それ事態は間違っていないと思うが、「解決策として正しいのか」は、素人にはよくわからない。

不均衡な人口増、悪化する公害、枯渇する水資源、悪化する世界事情、移民の増加、富の集中・・・問題点を改めて挙げられていくと暗い気持ちになる。せいぜいドローンが警察の監視や追跡、危険な場所への突入支援といったところで使われるのが技術進歩の良い印象を与えてくれるが、問題点に比べれば小さい。

その上さらに、「最悪の事態が起きる可能性は極めて高い」と著者は語る。また、続けて著者は「民主主義はまもなく幻想になると覚悟しておく必要がある」とまで言う。それに対する著者の提示する解決策は、「利他主義」である。「他者の幸福は他者の悲しみよりも有用である」とする。まるで稲盛さんのようであるが、正直言ってちょっと拍子抜けしてしまう。それが本当に未来を救うのかと。

さらに著者が「非論理的でない」とする10個の提案とフランス政府に対する10個の提案をしている。これも個人的にはどうもピンとこない。著者の立派な経歴を見ると、とてもイチ素人が批判できる筋合いのものではないのだが、素人的には理解が難しいのかもしれない。
「未来予測」というタイトルに惹かれて手に取った一冊であるが、ちょっと求めるものとは少し違っていたというところが正直なところの一冊である・・・




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2017年11月14日

【ノモンハン秘史】辻政信



一. 眼と眼
二. 歯と歯
三. 誇る伝統
四. ノモンハンは何処ぞ
五. 一勝一敗
六. 拡大の責は何人ぞ
七. 敢戦苦闘
八. フラルキ爆撃さる
九. 第六軍の戦場統帥
十. 骨を曝して

ノモンハン事件にはもともと興味を持っていて、その実態を少しでも知ろうと手にしたのが、半藤一利の『ノモンハンの夏』。そこで当時東京の大本営と現地の関東軍との温度差が指摘されており、大本営の曖昧な命令とそれを軽視する現場との対立が描かれていたが、半藤一利がもっとも問題視していたのが、辻政信少佐。その元凶とされた人物の手記が本書である。

何事も一方向からの意見だけで語るのは良くない。本人には本人なりの言い分があろうというもの。なるべく偏見のない目で、それらの言い分を聞きたいと思って本書を手にする。冒頭で、国際政治学者である人がノモンハン事件を振り返って、「実際には日本の勝利だった」と語る。近年の情報公開によって様々な事実がわかってきているという。戦力は日本軍3万に対し、ソ連は23万。それでいて被害はソ連の方が大きく、日本軍は10万の増援を得たところで停戦命令が出てしまったという。現地がまだまだやりたがったのも無理はないとする。

『ノモンハンの夏』でも紹介されていたソ連将校のジューコフは、対ドイツ戦の英雄ながら「生涯で最も苦しかった戦い」にノモンハンを挙げていると紹介されている。冒頭からして『ノモンハンの夏』とは真っ向から方向が違う。『ノモンハンの夏』では、最後はようやく停戦させたという安堵感が漂うが、冒頭の学者はその判断を「情報不足と情勢判断の誤り」と断じる。まことに面白いものである。

手記は昭和13年から始まる。既にソ連の満州国境への圧力は増してきており、著者はその最前線を視察する。全般を通じて描かれているが、辻少佐は決して後方で指示だけしている人物ではない。その姿勢は立派である。最初にカンチャーズ事件というのが説明される。これは領土侵犯したソ連砲艇に対し、東京の指示を無視して現地が攻撃したという事例で、「積極果敢に敵の不法を膺懲して事件の拡大を防止」したと著者は語る。

中央と現場の意識の違いを著者は「中央部は侵されても侵さないことを希望し、関東軍は侵さず侵されざることを建前とした」とする。この考え方の対立がすべてであろう。事件の推移は、それほど大きくは異ならない。ただ、現場の迫力はやはり違う。事件の初期に東支隊主力がソ連戦車部隊と交戦し、全滅する。少佐は山縣支隊とともに戦場に出て、その惨劇を目撃し、越権行為となるのを厭わず死体回収を命じ陣頭指揮を取る。

第一次ノモンハン事件では、中央も信頼と好意を持って支援したとある。だが、その後中央と現場との意見は大きく食い違っていく。「左の頬を叩かれて右の頬を叩かすか、あるいは断固として敵の出鼻を挫き、白熊の巨手を引っ込めさすか」との表現にそれはよく表れている。少佐の言い分にはもちろん、説得力がある。侵攻作戦に反対する中央に対し、正式に中止命令が来る前にやってしまおうという意見が平気で出て来る。現場の雰囲気は当然ながら正しいものをまとっている。

現場と中央の対立も激化していく。「現場サイド」から見れば、中央の参謀本部作戦課の大佐は「実戦の経験が全くなく」、「戦果の陰で死んでいった英霊に対し無礼」となる。現場にいれば「ソ連が対日宣戦の意志を持っていなかったことは明らか」である。中央との交渉と最前線との視察を繰り返す著者。「ああ東京が恨めしい。足枷手枷を外してくれたら、と毎日天を仰いで嘆息する」と語る。

結局のところ、本部と現場との対立というのは現代でもどこにでもある話であるが、一読してどちらが正しいとは判断がつかない。著者は、軍人としては確かに立派だと思う。偉そうに安全なところで指示だけしている人間ではなく、最前線で堂々と立ち居振舞っている。最後の遺書でも「卑怯な行動は断じてなかった」と子供たちに書き残しているが、その通りだったのだろう。全体を見て判断する作戦本部と、現場感覚でモノを言う最前線とどちらが正しいのかは難しい。

自分が正しいと信念を持って行動する姿が終始一貫して語られるが、また一方で本部の統帥が効かなかったのも事実であり、このあたりが帝国陸軍の問題点だつたのだろうと思う。本書と『ノモンハンの夏』とは、一つの事件を別々のサイドから比較すると言う意味で、対にして読むべき非常に面白い2冊である・・・


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2017年11月12日

【勉強の哲学 来たるべきバカのために】千葉 雅也




第1章 勉強と言語−言語偏重の人になる
第2章 アイロニー、ユーモア、ナンセンス
第3章 決断ではなく、中断
第4章 勉強を有限化する技術

タイトルに惹かれて手に取った一冊だが、冒頭で著者はこの本について、「勉強が気になっているすべての人に向けて書かれている」と説明する。現代は何かあればすぐ検索でき、良い入門書が溢れていて、英語のニュースも読んでいてわからない単語があればクリックしてすぐに意味がわかるし、今日ほど勉強するのに良い時代はないとする。それを「勉強のユートピア」とするが、確かにその通りである。

この本は、最初に勉強とはこれまでの自己破壊だとし、次の章で「真理を目指すアイロニーと見方を変えるユーモア」という考え方を披露し、どのように勉強を開始するのかを説明する。それを「自分の現状をメタに観察し、自己アイロニーと自己ユーモアの発想によって現状に対する可能性を考える」と説明するが、そのままでは意味がわからない。ただし、この本を読んでいけばその意味が分かるようになっている。そして最後に「勉強とは何かの専門分野に参加すること」と教えてくれる。

哲学の本となると、とにかく「難しい」というイメージがある。簡単なことを難しく言うのが哲学というイメージがある。だが、同じ哲学の本でも著者の説明は丁寧である。そもそも我々は「環境」という「他者関係(自分以外のモノすべて)」に属している。その「環境」には「こうするもんだ」という目的(=環境のコードと呼ぶ)があって、これに順応・適応している状態(=ノリ、乗っていること)にある。勉強とはこれまでのノリから自由になる自己破壊であると定義するが、このように説明されると難しい言葉もよく理解できる。

環境から自由になり、外部へと向かうための思考スキルを著者は「アイロニー(漫才で言うツッコミ)」と「ユーモア(同ボケ)」と定義する。「アイロニー」は根拠を疑う。「本当にそうか」と。「アイロニー」は、言葉をはぎ取られた現実それ自体を目指す。ジュリエットではないが、バラはバラと言う名前がなくても甘い香りには変わりはないのである。そして「ユーモア」は見方を変える。

こういう風に考えると、哲学も面白さが伝わってくる。「環境に成約されて可能性を狭くしか考えられない状態から抜け出すために言語をもっと自由に使う=言語偏重になる。環境のノリによって即断せず、立ち止まって環境をメタに眺め、言語をアイロニー的、ユーモア的に使って別の可能性をたくさん考える」。これは賢くなることを意味するとする。著者はフランスの哲学者ドゥルーズの研究をしているというが、その考え方も取り入れているようである。

最後に勉強の仕方を教えてくれる。ネット社会とはいえ、「まともな本を読むことが勉強の基本」と説く。入門書を複数比較することが肝心で(「専門書の名前」「教科書」で検索するといいとする)、その次に教科書、そして基本書と辿るのが筋道だと言う。勉強を嫌にならずに続けるには「完璧主義」を避けることが肝要で、難しければ無理に納得しようとせず納得より構造をを分析するようにすべしと言う。どこまでが他人の考えで、どこからが自分の考えなのかはっきり区別して意識すべしとする。このあたりは参考になる。

哲学には興味はあるものの難しいのがネックになっていたが、その抵抗感が薄れた感がある。今何か勉強したいテーマがあるわけではないが、今後是非とも何か勉強してみたいと思っているので、その時の参考にしたいと思う一冊である・・・




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