2012年06月30日

【蒼穹の昴】浅田次郎



以前から気になっていた、中国を舞台とした壮大な物語。
文庫本にして全4巻を読み終えた。
主人公は、と書いてふと考える。
誰になるのであろうか。

時代は清朝末期。
前半の主人公は河北省静海の地主の次男梁文秀(リアン・ウェンシュウ)と貧民の子李春雲(リイ・チュンユン)=春児(チュンル)。
科挙を受けるため都に上京する文秀とお伴をする春雲。
神がかり的な出来栄えで、見事科挙を首席で突破する文秀と、貧困から脱出するための手段として宦官になる春雲。
春雲は自ら男性器を切り落としての志願である。

世界史で習っていた科挙と宦官の制度であるが、これが実にすさまじい。
身分に関係なく挑戦できたこともあって、全土から試験を受けにくる。
省の試験に及第して挙人となり、中央の会試を突破して進士となる。
その半端でない猛烈な試験が、余すところなく語られる。

そして宦官制度。
手術には高額な費用が必要で、みな借金をする。
そして切り落とした男性器は、担保=「宝貝(パオペイ)」として取られる。
宦官になると昇進や異動のためにこの「宝貝」を提示しなければならず、その都度貸賃も取られる。
うまく買い戻せればいいが、買い戻せなければ一生借金漬け。
しかも仕事で失敗すれば、過酷な折檻でカタワになったりする事もしばしば。
死ぬまでに取り返せないとあの世でメスの騾馬になると信じ、みんなそれを極度に恐れる。
そんな事は教科書には書かれていない。

中盤からは西太后慈禧(シータイホウツーシー)、李鴻章(リイホンチャン)、栄禄(ロンルー)などの歴史上の人物たちが登場する。
歴史上の人物たちと架空の人物たちが歴史の一ページで共演する。
「ベルサイユのばら」も同じような形式だが、歴史の流れを学びながら物語を楽しむ事ができる。

帝国主義の時代。
列強は中国に進出し、国土を切り刻む。
何とか西太后の支配を終わらせ、新体制へ移行させようと目論む改革派。
日本だけが「侵略者」と断罪される現在だが、当時の雰囲気がよく伝わってくる。
列強に蹂躙される国土と、それに対して有効な手を打てない現政権。
改革派の焦りと儒教に染まり切った光緒帝。
何だか今の日本にも同じような空気を感じてしまう。

紫禁城(ヅチンチョン)、頤和園(イホユアン)など名だたる建物も物語の中では、生きいきと浮かび上がる。
中国のスケールの大きさを次第に肌身に感じる。
主人公は、と改めて考えてみると、梁文秀でもなく李春雲でもなく西太后でもなく、それは中国なのだという気持ちが湧きおこる。

物語は終われど、歴史は続く。
小説は次の 「珍妃の井戸」へと続くようである。
その先駆けなのか、珍妃もミセス張(チャン)も登場する。
続けて読むと面白いのだろう。

圧倒的な迫力。
歴史の重みと引きつけられるストーリー。
やはり浅田次郎は凄い作家だ。


      

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2012年06月28日

【人生生涯小僧のこころ−大峯千日回峰行者が超人的修行の末につかんだ世界−】塩沼亮潤




著者は住職。
つまりお坊さん。
しかし、ただのお坊さんではない。
大峯千日回峰行大満行大阿闍梨という異名を持つ大住職である。

大峯千日回峰行というのは吉野山で行われる修行で、険しい山道を一日で往復48キロ歩くという修行を千日間行うものらしい。
標高差1,300メートルの山道と言われてもピンとこないが、夜中の11時半に起きて滝に打たれて身を清め、それからほぼ丸一日歩きづめのようである。
人間の歩行速度が時速4キロと言われているが、それだけで48キロと言えば12時間。
さらに山中を歩くとなると、それは並大抵の事ではない。

千日と言っても、山開きしている半年ほどの間毎日という意味らしい。
足掛け9年で満行だったようである。
何よりも、吉野金峯山寺1,300年の歴史で史上2人目と言う事実がもの凄い。
修行期間中は何があっても休まないそうで、やめる時は死ぬ時というものらしい。
(まあさすがに現代では死なないだろうが)
そんな修行の内容と、自らの考えを語ったのがこの本である。

なぜそんな修行をしたのか。
修行とは何なのか。
「肉体的にも精神的にもギリギリの状態のところに自分を追いやって、その場所にしか咲いていない悟りの花みたいなものを見て帰ってくる」
そんなものらしい。
また、「修行とは、風呂に入って体を洗うように心を洗うようなもの」だとの説明には、納得感がある。

同じような毎日。
同じようでいても決して同じではない。
そんな日々から得た気づきは、やはり違うものなのだろう。
「一回目の失敗は失敗ではなく、よい経験であるととらえて同じことを繰り返さない事が大切」
そんな言葉が、いくつかの中から心に引っ掛かる。
「千日と言ってもみんなに注目されるのは、最後の満行の日だけ」という言葉にも重みがある。

さらに満行のあと、四無行という修行に挑戦している。
これは9日間にわたって、「断食、断水、不眠、不臥」つまり、「食わず、飲まず、寝ず、横にならず」という修行をする事で、こちらも凄い。
そしてそれをやり遂げる。

現在は普通のお寺の住職として、小僧さんたちと一緒に同じ事をしているらしい。
タイトルにある通りの生活のようである。
言葉の端々から感じられるのは謙虚な心。
厳しい修行を通して得られた悟りの心なのかもしれない。

我々凡人にはとうてい真似のできない修行であり、到底到達できない境地であるかもしれない。
ただ書かれている文字を通して、そのエッセンスを感じとる事はできる。
そうしたエッセンスを味わえた本である。

 
   
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2012年06月20日

【奇跡を呼ぶ天使の贈り物】中井俊已



主人公はごく平凡なOLである「私」。
クリスマスに彼氏にふられてやけ酒を煽り、酔った勢いで教会の前の天使の像に彼にプレゼントするはずだったマフラーを巻く。
すると、驚いた事にその天使が話しかけてくる・・・

こうして始る「私」と天使の天ちゃんとの生活。
天ちゃんは食いしん坊で、いろいろと食べては、「私」の問いかけに応えてくれる。
天ちゃんとの会話で、「私」はいろいろな気づきを得ていく。

何だか似たような話がどこかにあったな、と思う。
そう言えば、「夢をかなえるゾウ」がそうだったとすぐに思いつく。
あれも不思議な神様ガネーシャが現れて、主人公にいろいろと人生で大事な事を教えていく物語だった。
まあ「二番煎じ」と言えなくもない。

そうなると、なんとなく本の中身も色褪せて感じる。
確かに良い事は書いてあるのだが、誰かがどこかで語っていたようなものばかりで、目新しさは感じない。

・夢を具体的に書く
・大きな目標は小さく分割して少しずつ達成していく
・人生の学びは今日の出来事の中にある
・辛い通勤時間も本を読める楽しい時間と考えると同じ時間でも意味が違ってくる
・自分で自分に限界を作ってはダメ

天使の天ちゃんにいろいろな事を教えてもらいながら、「私」は成長していく。
そして、絵本を書くという夢をもった「私」には、わざとらしい出会いが用意されていて、やがてわざとらしいハッピーエンドに向かって物語は進んでいく。
「夢をかなえるゾウ」を読んでいなければ、そこそこ面白かったかもしれない。
どちらかと言えば、読むのであれば、若手向きと言える一冊である・・・
     
     
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2012年06月16日

【灘中 奇跡の国語教室】黒岩祐治




著者はテレビキャスターから神奈川県知事になった人物。
東大合格者を毎年多数輩出する名門灘中・灘高の卒業生であるが、この本は著者が在校時に特に強い影響を受けた国語の先生のユニークな授業を取り上げて語ったものである。
その先生とは、御年99歳になる橋本武先生である。

橋本先生の国語の授業はユニーク。
まず教科書を使わない。
正確に言えば、文科省検定の教科書を使わないということである。
その代わりに使うのは、一冊の本。
中勘助の『銀の匙』。
この本の存在自体初めて知ったが、夏目漱石が絶賛したというから、これはこれで興味深い。

指定の教科書を使わなくとも、東大に合格する者が溢れると言う事は、指定の教科書に拘る事はないという事の証だろう。
この本を題材にして、授業はあちこち脱線しながら進んでいく。
凧揚げのシーンが出てくれば、みんなで凧を作って揚げ、駄菓子が出てくればそれを食べ、百人一首が出てくれば教室で百人一首大会が開かれるといった具合だ。
これで著者は「学ぶ事は楽しい」と知ったと言う。

教科書に頼らない授業というと、自由で良いような気がするが、教師の負担は大変なものとなる。
あらかじめ決められた指導要綱に従って授業を行うのは楽だ。
しかし、従わないとなると、橋本先生は独自の研究ノートを作り、生徒に配る資料を毎回ガリ版で制作しと(パソコンのある現在と違ってその労力は大変なもの)、なかなか信念がないとやり切れるものではない。

教師に期待する事は、子供も大人もともに、
一番目は「子供の興味・関心を引き出す授業ができる事」
二番目は「子供を適切に評価し伸ばしてくれる事」
だそうであるが、橋本先生はその期待に十分応えていたようである。

そんな遊びのような授業一辺倒ではなく、「とにかくたくさんの文章を書かされた」と著者は述懐する。
文集もたくさん作ったというし、毎月読後感想文を提出させられたという。
そうした書くトレーニングも知らず知らずのうちに血となり肉となっていったのであろう。

実際の授業を6年間にわたって受けられた著者は本当に幸運であろう。
読んでいて伝わってくるのは、ただ単にユニークな授業という事ではなく、先生の溢れんばかりの熱意だ。
現代のサラリーマン化した教育界では、なかなか登場しない先生なのだろう。

著者の恩師に向けた眼差しに羨ましいものを感じる。
同じ授業を受けられないのは残念だが、せめて『銀の匙』は近いうちに読んでみたいと思う・・・

      
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2012年06月12日

【世界は危険で面白い】渡部陽一




アフリカ編
中東編
アジア編
中国・チベット編
欧州・その他編

最近はテレビタレントになった感のある著者であるが、本職は戦場カメラマン。
その本業についての体験談を語った一冊である。

戦場カメラマンとしてのご本人の事はよく知らなかったが、実に様々な場所に取材に出掛けている。
かならずしも戦場というわけでもない。
ネタあるところ、といった具合のようである。

冒頭はアフリカ編。
ここではマラリアに罹り、死の淵をさまよう。
ジャングルで迷い、助けてくれた住民が毛虫を食べさせてくれる。
人助けをしたり、カメラなど貴重品を盗まれたりと多彩なエピソード。

中東では独特のイスラム文化を体験し、レバノンでは戦場の取材で本領発揮。
イラクでは米軍に従軍し、ヨルダンではイラク・バース党の外交員の必死の脱出を見守る。
北朝鮮では監視員のガードのもとで、38度線を取材。
ジャワ島・四川では被災地の取材。

各地の便所事情なんていう話や、財布を無くした中国人女性との心温まるエピソードなど、話題は豊富。
死の淵をさまよう事も一度や二度ではなく、決して華やかな職業というわけではなさそう。
そんな危険な職業に就こうと思ったのは、高校時代のひょんなきっかけだったと言う。

個人的に感動したのは、「日本ブランド」だ。
取材先では、状況に応じて様々な変装をしたというが、「日本人である事がもっとも世界に通用し信頼を得やすい国籍である」という。
アフリカのジャングルでも南米の山奥でもJAPANESEと切り出すと、知らない人はいないし、大歓迎される事が多かったという。
「世界を飛び回る上で日本のパスポートは最強の手形である」という説明は、誇らしい気持ちにさせてくれる。

どの話でも裏返せば日本の豊かさと平和が伝わってくる。
我々はつくづく恵まれているのだと思う。
興味深い話が多いのだが、難を言えば、各エピソードが短いという事が一つ。
各々前後の話ももっと面白そうだと端々に感じた。

もう一つは肝心の取材の中味まで触れられていない事。
それはこの本のテーマから外れてしまうだろうから、仕方ないのかもしれない。
しかし、「ソマリアで武装勢力に接するために潜入した」とあれば、その中味も知りたくなるというのが人情。
また別に出版されていると言うのであれば、読んでみようかという気にもなる。

手軽に読める一冊。
著者の取材のほんの一端に触れてみるのも面白いと思う・・・
      
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2012年06月07日

【逆境を生き抜く力】我喜屋優




第1章 人間の根っこが逆境の守備力となる
第2章 離れてわかる「ディスポート精神」
第3章 何事も信念をもって取り組む 魂
第4章 たくさんの知恵や知識を身につける 知
第5章 仲間の信頼や協力を得る 和
第6章 人生のスコアボードで一流になれ

著者は沖縄の甲南高校野球部監督。
2010年の甲子園大会で史上6校目の春夏連覇を達成し、沖縄県勢としては初の夏の大会制覇を成し遂げた人物である。
現在は同校の理事長・校長も兼任されている。

もともと沖縄出身で、自らも甲南高校野球部で甲子園ベスト4の経験を持ち、大昭和製紙で社会人野球に携わり、選手、コーチ、監督として34年間北海道で過ごす。
他のスポーツからも貪欲に学び、長く雪に閉ざされる北海道は不利という常識を、あえて雪の中で練習する事で打ち破る。
そして母校甲南高校の監督に招かれ、就任3ヶ月で甲子園出場を果たす。
プレーヤーとしても監督としても実績を残している。

着任時、だらしない寮生活を送る生徒に対し徹底したのは、
・早寝早起き
・食事は残さず食べる
・大きな声であいさつをする
・整理整頓を心がける
・自分の意見を自分の言葉で伝える
ということだったという。
これだけで甲子園出場になったらしい。
もっとも、もともとそれだけの下地はあったのだろう。
しかし技術だけではない、監督の言う「根っこ」がしっかりしていないと、甲子園レベルに至らない。

そんな監督の信念は、みずからの体験から導き出されている。
「魂・知・和」(こんちわ)の精神もその中から培われる。
魂:何事も信念をもって取り組む
知:たくさんの知恵や知識を身につける 
和:仲間の信頼や協力を得る 

厳しい生活指導も理由がある。
ただ食べるのではなく、噛みしめて味わう。
ただ見るのではなく、見つめる。
こうした事で五感を研ぎ澄ませば、おのずとプレーにも現れる。

野球バカになってはいけないという考えは、野村監督も同じような事を言っている。
野球を取ったら何も残らないという社会で通用しない人間はダメだという考え方だ。
自分で考え、実行し、反省し、目標を立てられる人間。
それが野球でももちろん、社会に出ても通用する大人なのだと。

野球部では朝の散歩が日課。
そして部員たちは落ちているゴミに気づけば拾う。
最初はなぜマナーの悪い大人たちの後始末をしなければいけないのか、と部員たちも反発したという。
それを、「大人だってエラーをするしミスもする。それをお前たちがフォローしただけ。野球と同じ。お前たちは捨てる人ではなく、拾う人になりなさい」と諭す。
なるほど、こんな監督だから強くなるのだろう。

次の人をいかにラクにさせるかというのは、チームプレーの鉄則。
全員がそういう気持ちを持つ事でチームは強くなる。
誰かのミスを糾弾するよりも、そのミスをすぐにフォローする心を育ててほしい。
子供たちにあいさつをさせたいなら、自分がまずあいさつをする。
生徒にゴミを拾わせたいなら、自分がまず率先してゴミを拾う。

こんな言葉が続き、胸も熱くなる。
人の上に立って実績を残す人というのは、やはり違うと考えさせられる。
読んで人としてのあり方を考えて見るのもいいかもしれない。
自分もかくありたいと思わせられる一冊である・・・


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2012年06月03日

【1Q84 BOOK3】村上春樹




「1Q84 BOOK1」 「1Q84 BOOK2」と続いてきた物語の最終編。
前作で登場してきた謎の人物牛河が、この本では第3の人物として独立した章が与えられる。
容姿の醜い男であり、優秀なれどその容姿ゆえに苦労もある。
弁護士であったのに、裏社会とつながりを持ち、それがゆえに弁護士会を除名になる。
家庭も失い、孤独のまま教団「さきがけ」の調査を請け負うことになる。

独自の嗅覚で天吾と、そしてその先の青豆を追う牛河。
一方で施設にいる父親を訪ねる天吾。
空気さなぎが再び現れる事を期待している。
そして教団から追われ、マンションの一室でじっと息をひそめて待つ青豆。
ドアを叩くなぞのNHKの集金人。

天吾と青豆と牛河と、それぞれの視点から物語は進んでいく。
それぞれの視線から語られる事で、一つの事実を角度を変えてみる事になる。
あわせ鏡のように平行して進む物語。
天吾と青豆と牛河はどのように絡み合うのか、自然とページを送る手が早くなる。

空に浮かんだ月二つ。
物語の中のお話であったはずのリトル・ピープルが登場する。
雷の夜の出来事が、まだ出会わない天吾と青豆とを結ぶ。
1Q84年はどうなるのか。
長い物語がついに結末を迎える。

村上春樹の小説は初めてである。
これ一冊で評価すべきではないところではあるが、不思議な世界観を感じる。
映画では 「ノルウェーの森」を観たが、何となく同じ匂いを感じる事はできる。
その匂いが人気の元なのだろうかと考えてみたりもする。

長い小説であり、どうなるのだろうと気を持たせられたところもあったが、さすが見事な着地という感じである。
そのうち機会を見つけて他の本も読んでみようか。
そんな気持ちにさせられた小説である・・・


「1Q84 BOOK1」
「1Q84 BOOK2」

   
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2012年06月02日

【パブリック 開かれたネットの価値を最大化せよ】ジェフ・ジャービス




・パブリックの預言者マーク・ザッカーバーグ
・パブリックの選択
・<パブリックネス>のメリット
・プライベートとパブリック その歴史
・パブリック・メディア
・プライバシーとは何か?
・僕らはどこまでパブリックだろう?
・パブリックなあなた
・シェア産業
・スーパー・パブリックカンパニー
・人民の、人民による、人民のための・・・
・新しい世界

フェイスブックなどのSNSを始めとして、今やネットであらゆる人が情報発信をしているし、できるようになってきている。
そうした時代、日本では「個人情報の保護」が叫ばれ、法律すらできている。
それに対し、アメリカではすべてオープンにしてしまおうという動きがある。
この本は、その先陣を切っている人物の持論を展開した一冊である。

すべてオープンと言っても、さすがにクレジットカード番号やパスワードは対象外にしていると言う。
ただそれは犯罪対策という意味からやむなくということらしい。
それが証拠に、著者は前立腺癌に罹り、その後の体験談までオープンにしている。
おかげで、前立腺癌の手術を受けると10日間導尿管を入れられるとか、そのあとはおむつ生活を余儀なくされるとか、さらにしばらくの間性的不能になるといった事までわかってしまう。
一般論ならともかく、自分の事として公表するのは、普通はちょっと勇気がいるだろう。

SNSは今やアラブなどの革命の原動力にもなっているが、ネットでのオープン化がもたらすものもいろいろだ。
イランでは、特殊警察に連行される事をオープンにした若者が、事実を公表して「パブリック」な存在になったことで、逆に相手に尋問を躊躇させ、結果として身を守る事になった事が紹介されている。

そうしてオープンになる事は、一方でプライバシーとの衝突をもたらす。
フェイスブックで職員の飲酒の写真を見つけたある学校の校長は、それを理由としてその職員を解雇できるのだろうか。
法にふれるわけでもなく、生徒の前であったわけでもない。
この職員のプライバシーは侵害されているのだろうか。
その指摘は場面を変えてあらゆるケースに当てはまりそうである。

ネットに公表する事で、様々なモノを他人とシェアできるようになる。
写真、考え、位置(GPS)、それにクレジットカードの購入履歴なども公開の動きがあるとか。
リナックスのように、デザインを公募して製作する車などもあるらしい。
著者はそうしたオープン化を徹底して支持する。

「それは僕らに力を与える。
創造し、つながり、集まり、知識を積み上げる力を。
それは寛容さとコラボレーションを引きだす。
人々に新しい生き方の手段を与え、新しい産業と市場をつくる。
国境という垣根を低くし、国家の概念にさえ挑戦する。」

著者の主張をどうとらえるかは、一人一人の価値観によるかもしれない。
そんな事を、読みながらあれこれ考えてみるのも面白いかもしれない・・・

    
posted by HH at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネス/自説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする