2013年02月24日

【それをお金で買いますか】マイケル・サンデル



原題:What Money Can’t Buy – The Moral Limits of Market

序章  市場と道徳
第1章 行列に割り込む
第2章 インセンティブ
第3章 いかにして市場は道徳を締め出すか
第4章 生と死を扱う市場
第5章 命名権

「これからの正義の話をしよう」を読んですっかり気に入ってしまったマイケル・サンデル教授の著書を再び手に取る。
「ハーバード白熱教室」は、 「これからの正義の話をしよう」の続編的な内容であったが、今回はタイトルにある通り、「お金で買うことが許されるモノと許されないモノ」を決めるために社会・市民生活における価値観をいかに決めるかを考える事がテーマとなる。

まずは現状認識。
我々は今あらゆるものが売買される時代に生きていると、冒頭で紹介される。
刑務所の独房の格上げ:一晩82ドル
インドの代理母による妊娠代行サービス:6,250ドル
絶滅に瀕したクロサイを撃つ権利:150,000ドル
主治医の携帯電話の番号:年に1,500ドル〜
額(あるいは体のどこか)のスペースを広告用に貸し出す:777ドル
病人や高齢者の生命保険を買って、彼らが生きている間は年間保険料を払い、死んだ時に死亡給付金を受け取る:保険内容によって異なる

売りたい人と買いたい人がいれば、売買は成り立つ。
始めに取り上げられるのは、行列に並ばない権利。
アメリカでは、ファストトラックと呼ばれる優先レーンが至るところにある。
空港、テーマパークのアトラクション。
お金を出せば優先的に列の先頭に並べる。
個人的にはハリウッドのユニバーサル・スタジオで、この優先チケットを利用した事があるが、これはかなり合理的なシステムに思える。

これは公演のチケットや医者の診断など様々な行列に当てはまる。
しかしさらに、それが転じてダフ行為となると、ちょっと考えないといけなくなる。
ダフ屋は好ましくないとされているが、チケットをどうしても欲しい人にとっては、ダフ屋はありがたい存在だ。

インセンティブでは、むしろその具体例に驚く。
特定の薬を飲んだり予防接種を受けるとお金がもらえる。
50万ドル支払って家を買えば、アメリカ在住権が得られる。
絶命に瀕したクロサイを撃ち殺す権利が買える。
しかし、それらもきちんとした理由がある。
病気の予防によって保険支出が抑えられ、住宅市場の活性化は経済に貢献し、お金のためにクロサイを飼育するメリットが生まれ、一部を殺しても全体として個体数が増える。

インセンティブはまた、罰金と料金の境界を曖昧にする。
イスラエルの保育所では、子供の迎えに遅れる親に対し、それを減らそうと罰金制度を導入したら、逆に遅れる親が増えてしまった。
「罰金を払えば遅れてもいい」というメッセージになってしまったのである。
さらに裕福なドライバーは、スピード違反のチケットを「かっ飛ばす対価」ととらえる者もいる。

生と死となると、もっと議論は深くなる。
デスプールと呼ばれる有名人がいつ死ぬかに関する賭け。
病人や高齢者の生命保険を買って、彼らが生きている間は年間保険料を払い、死んだ時に死亡給付金を受け取る保険売買では、保険を買った者は、被保険者が早く死ねば死ぬほど投資利回りはよくなる。
人の死を望む投資について、どう考えるべきか。

物を買うという例が様々紹介されていて、考える要素はたくさんある。
売りたい人と買いたい人がいれば、売買は確かに成り立つ。
しかし、「売りたい人が売れる」市場であれば問題はなさそうに思えるが、「売りたくないけど売らざるを得ない」という状況になると問題が生じるように思える。

買えるか買えないかではなく、買えるべきか買えないべきか。
それが、原題の意味であるのだろう。
お金は人々を幸せにも不幸にもする。
そんな事をあれこれと考えてみるのも面白い。
マイケル・サンデル教授の期待を裏切らない一冊である。


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2013年02月17日

【ヒア・カムズ・ザ・サン】有川浩



ヒア・カムズ・ザ・サン
ヒア・カムズ・ザ・サンParallel

タイトルを見て真っ先に連想したのは、ビートルズの歌である。
ビートルズの歌をタイトルにするというと、 伊坂幸太郎の「ゴールデン・スランバー」や村上春樹の「ノルウェイの森」などがあるが、この本のタイトルもたぶん、(意味はないのだろうが)ビートルズの曲から取られているのだろう。

この本の物語はちょっと変わっている。
主人公は出版社で編集の仕事をしている真也30歳。
真也には不思議な力があり、物や場所に残された人の記憶が見えるのである。
そして同僚のカオル。
アメリカからカオルの父が20年振りに帰国する。
この同じ前提条件で、内容の異なる2つの話が納められている。
言ってみればパラレル・ワールドストーリーである。

最初の「ヒア・カムズ・ザ・サン」では、カオルの父はアメリカでHALの名前で成功したライター。
もともと日本のテレビドラマの脚本家として活躍していたが、プロデューサーと方向性を巡って対立。
妻子と別れ、アメリカに渡ったという経緯がある。

真也の所属する雑誌『ポラリス』では、大物脚本家へのインタヴューと20年振りとなる家族との対面を雑誌に載せようと、色めき立つ。
ぎこちない親子の対面の席で、真也はHALが落としたカオルへの手紙を偶然拾う。
その瞬間、その手紙に残された“カオルの父”の想いが真也に流れ込んでくる・・・

次の「ヒア・カムズ・ザ・サン Parallel」では、カオルの父はダメおやじとなる。
見栄っ張りで夢見がちで、日本では脚本家として自立できず、藁をもすがる思いでアメリカに渡る。
しかし、やっぱりそこでもどうしようもない暮らしをしている。
しかし、家族には見栄を張り、成功しているが如く振舞う。

カオルはそんな父を嘘つきとして毛嫌いする。
婚約者の父は自分の父と考えた真也は、カオルの父を自分の家に連れて帰り、再渡米の日まで滞在させる。
しかし、カオルの父の手紙に触れた時、そこに秘められた事情が真也の心に流れ込んでくる。
それは、外からは伺い知れない事情・・・

同じ設定から似たようでいて、それでいて異なる二つの物語を紡ぎだすところは、さすが作家なのだと思う。
どちらが好きかと問われれば、まったく好みの問題であるが、個人的には「Parallel」の方がちょっと切なくていいなという気がする。

どちらも20年という親子の断絶の後に、少し明るい陽が射しこんできたようなところがある。
長い冬のあと、ようやく迎えた暖かい陽ざしを歓迎するジョージ・ハリスンの詞にピッタリと嵌る内容だとわかる。

有川浩の本はこれが3冊目であるが、どれもハズレがない。
そういう意味で、まだ読んでいない本にも手を出してみたいと思うところである。

    
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2013年02月16日

【ローマ法王に米を食べさせた男】高野誠鮮




第1章 「1.5次産業」で農業革命!
第2章 「限界集落」に若者を呼ぶ
第3章 「神子原米」のブランド化戦略
第4章 UFOで町おこし
第5章 「腐らない米」。自然栽培でTPPに勝つ!

著者は石川県にある羽咋市というところの市役所職員。
テレビ東京のビジネス番組 「カンブリア宮殿」でも昨年取り上げられたが、スーパー公務員として有名になってきている方である。

ご本人は謙遜しているが、スーパー公務員というのもあながち大げさとは言えない。
「前例踏襲」「複雑な意思決定」などのお役所体質を考えれば、民間レベルで考えるものと違って、お役所は新しい事へのチャレンジはそうとうハードルが高い。
「県庁おもてなし課」にもその一端は伺えるが、そういう環境下でのこの実績は並ではないと思う。

羽咋市の神子原地区は、人口の減少と高齢化とで、65歳以上の人間が半数以上という “限界集落”になっていた。
そこへ著者が、市長の依頼を受けて過疎高齢化集落の活性化と農作物のブランド化に取り組む事になる。

「役人」とは「役に立つ人」という考えの著者は、役所の壁に当たりながらも、「会議はやらない」「企画書は作らない」「上司には事後報告」という常識外れの方法でチャレンジしていく。
もちろん、その背景には市長の信頼と、腹の据わった一人の上司の存在があるわけであるが、それだけでできるものではない。

農家とのいく度もの話し合い。
マスコミの利用。
まずは若者を呼び込む工夫からだが、古くからの「烏帽子親農家制度」を始め、農村に若い女性を呼び込む事に成功する。
この時、県庁から旅館業法や食品衛生法に引っ掛かるとクレームがくる。
これをマスコミを使ってぎゃふんと言わせるところは、なかなか痛快である。

そしてもともとおいしいと言われていた神子原米。
年収87万円の農家の人たちは、著者が主張する「自分達で売る」という事に及び腰。
売り言葉に買い言葉。
「お前が売ってみせたら」という言葉に、著者は立ちあがる。
最初は天皇陛下に、それがダメなら世界の要人にと米を売り込む。
そしてローマ法王庁から献上OKをもらい、それを機に、神子原米はブランド米となっていく。

著者は繰り返し主張する。
「可能性の無視は最大の悪策」。
自分達に足りないのは行動する力と言って、思いついた事を次々に実行していく。
実はここがスーパー公務員と言われるすべてであるように思われる。

公務員には3つしかいない。
いてもいなくてもいい公務員
いちゃ困る公務員
いなくちゃならない公務員
「公務員」を「会社員/職員」に置き換えて、自分に問い掛けてみたい。

UFOを使った町おこしや、 「奇跡のリンゴ」の木村秋則さんとの交流による自然栽培の試みなど読み所は満載。
不良外国人が村人との交流で更生するエピソードはなかなかウルッと来る。
ただ読んで面白いというに留めるには惜しい本。
何かを学び取りたい一冊。

「可能性の無視は最大の悪策」
これを心に秘めて、「いなくてはならない職員」になるべく努力したいものである・・・

     
posted by HH at 19:24| Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネス/自伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月15日

【人生の科学】デイヴィッド・ブルックス




原題:The Social Animal

「人生の科学」とは何とも大げさなタイトルである。
もちろん、それは邦題で原題とは異なるものの、内容的にはおかしな邦題ではないと思う。
二人の夫婦を主人公とし、二人が生まれた時から、「死が二人を分かつまで」の人生の折々に触れ、様々な学問を当てはめていく。
二人の人生を辿りながら、それらを学んでいくというスタイルである。

例えば夫のハロルドが赤ん坊の頃、偶然父が落としたボールを見てハロルドが笑いだす。
喜んだ父はまたわざとボールを落とすと、ハロルドがけたたましく笑う。
飽きもせずそれを繰り返す。
よくありがちなシーンである。
そこから笑いに関する解説がなされる。
「笑いは、話が面白いから起きるというよりも、その状況が心地の良いもので、また他の人も同じように感じていると察知した時に自然に起きるものである」という具合である。

そのあと幼いハロルドを例に、脳の発達の様子が語られる。
「僕はトラだ」とふざけるハロルドを取り上げ、人間の脳の凄さが語られる。
なぜなら5041の平方根を一瞬で答える事は、コンピュータには簡単だが、「僕はトラだ」と叫ぶ事は簡単ではない。
なぜならその手の想像には、「一般化」と呼ばれる「ある物事の特徴を察知しデータに合致させる」という複雑な作業が必要になるからだという。

有名なマシュマロ実験も取り上げられている。
これは子供が目の前のマシュマロを我慢できるかどうかの実験で、より長い時間我慢できた子供は、できなかった子供よりもテストなどの能力が優れているというものである。
人間の性格は長い時間をかけて徐々に決まっていくものだという事も紹介される。

妻のエリカはアジア系アメリカ人。
そこからは文化という事が語られる。
そして大学を卒業したエリカはビジネスの世界に進むが、そこで行動経済学を学ぶ。
「無意識の偏見」と題されたこの章は、人間の様々な行動が語られる。

やがてハロルドとエリカは出会い、結婚する。
二人の仕事は動的なエリカと静的なハロルドといった具合に異なる。
「科学と知恵」の章では、「無意識」について取り上げられる。
「あなたは今幸せですか」という質問を、晴れた日にするのと雨の日にするのとでは違ってくるように、無意識は人の思考に影響を与える。

「ペンとメモ帳を買って値段が合わせて1ドル10セントだったとする。
メモ帳の方がペンよりも1ドル高いとすると、ペンの値段はいくらか」という問題を出されると、無意識は「ペンは10セント」だと思うという部分はなるほどというものだ。
正解は5セントなのだが、よく考えないと理解できない。

エリカとハロルドは時に夫婦の危機を迎えながらも長く寄り添う。
そして「最後に幸せだった」という人生を歩むのであるが、ハロルドの死に際しては、無意識こそ人間の中核であるとされる。
サブタイトルに「無意識があなたの一生を決める」とあるが、無意識の役割についての一貫した解説が最後までなされる。

少し変わった物語風の理論書とも言える。
ページ数もあり、読み応えはあるが、試してみるのも良いかもしれない一冊である。

     
posted by HH at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネス/理論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月07日

【自分のアタマで考えよう】ちきりん



序 「知っている」と「考える」はまったく別モノ
1 最初に考えるべき「決めるプロセス」
2 「なぜ?」「だからなんなの?」と問うこと
3 あらゆる可能性を検討しよう
4 縦と横にくらべてみよう
5 判断基準はシンプルが一番
6 レベルをそろえて考えよう
7 情報ではなく「フィルター」が大事
8 データはトコトン追い詰めよう
9 グラフの使い方が「思考の生産性」を左右する
終 知識は「思考の棚」に整理しよう

著者は有名なブロガーらしい。
ちょっと変わった考え方で、読む人の心をつかみ、月間100万ページビュー、日に2万以上のユニークアクセスを誇るというから、たぶん、凄いのだろう。
(どのくらい凄いのか、正直わからない・・・)
ただ、この本で一貫して書かれている「考える」という事は、共感することばかりである。

よくありがちなのは、「どうしよう」と迷っている事や、情報を集めてパソコンに向かって作業している時間を「考えている」と思うこと。
普段の仕事でも我々は仕事=考えると思いがちだが、それを具体的に図式化してみると、いかに「作業」時間が多いかがわかる。
あらためて、「考える」とは、と考えさせられる。

情報に接した時は、「なぜ?」と「だから何なの?」のふたつを意識する事と著者は言う。
少子化問題を例にとって、その実例を上げている。
戦後の出生数の推移をとらえ、そこから導き出される事実。
その結果、人口減少は問題ではなく、人口構成のゆがみが問題であると言うことが導き出される。
そのプロセスはなかなか唸るものがある。
自分にできているだろうか。

あらゆる可能性を検討しようと言う事は、コンサルティングの世界でMECEと言われる「漏れなくダブリなく」という事と同じであるが、それに縦と横の比較という方法も紹介される。
各国の時代別の発展などの例は、縦横比較がわかりやすいと改めて思う。

判断基準をシンプルにする(多くの基準を設けず、重要な基準2つくらいに絞る)事の効果もわかりやすく説明される。
2×2マトリックスを使い、「重要な判断基準を選ぶ」「選んだ基準において物事を白黒に明確に分ける」と言うことが、意思決定を実にスムーズにする。

「レベルをそろえて考える」では、省庁を例に取り、「国民のための行政」と言う視点から、
「産業と一体になって国づくりをする省庁」=経済産業省
「国益を追求する省庁」=内閣府、外務省、防衛省
「消費者の利益を追求する省庁」=厚生労働省、文部科学省、国土交通省他
と分けているのは面白い例だ。

この定義からいくと、「厚労省=一流の医療と適切な労働環境をすべての国民へ」、「国交省=バリアフリーで便利な日本へ」、「文科省=すべての国民に質の高い教育機会を」となっていく。
そうすると、「消費者庁」などはいらなくなってくる。
目から鱗というのだろうか、今の役所がいかに消費者目線に立っていないかとと改めて思う。

自分の頭で考える事の重要性は誰も疑わない。
ただ、本当に「考えて」いるのだろうかと思うと、実は曖昧だったりするのだとこの本を読んで思う。
「考える」ってどういう事なのか。
どうすればうまく「考えられる」のか。
そのヒントがたくさん詰まった本。
得るものの多い一冊である・・・


     
posted by HH at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネス/自説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする