2013年03月31日

【ルーズヴェルト・ゲーム】池井戸潤



第1章 監督人事
第2章 聖域なきリストラ
第3章 ベースボールの神様
第4章 エキジビションゲーム
第5章 野球部長の憂鬱
第6章 六月の死闘
第7章 ゴシップ記事
第8章 株主総会
最終章 ルーズヴェルト・ゲーム

ここのところハマりつつある池井戸潤。
働くビジネスマンを主人公にした熱いストーリーが特徴的だ。
今度の一冊は社会人野球。
会社の業績不振で企業スポーツから撤退するニュースをよく耳にするが、この本に登場する野球部の名門青島製作所もその葛藤に苦しむ一社である。

青島製作所は中堅どころの電気製品メーカー。
技術力はあるが資本力が弱く、リーマン・ショック後の経済不況の中で、受注減で苦しんでいる。
リストラを進める中で、年間3億円の予算を使う野球部への風当たりも強くなっている。
野球部員は勤務は午前中のみの特別待遇という事で、よけいに肩身が狭い。
おまけに前年まで監督を務めていた村野は、チームの4番とエースを引き連れてライバルのミツワ電器へと移籍してしまう。

創業者の青島から経営のバトンを受けついだのは、経営コンサルタント出身の細川。
専務の笹井とともに経営の重責を担うが、資本力をバックに攻勢をかけてくるミツワ電器に対し、劣勢に立たされている。
青島製作所の技術力に注目したミツワ電器は執拗に合併を仕掛けてくる。
物語は、細川社長を中心とした経営陣の奮闘と、廃部の危機の中で、エースと4番を引き抜かれた野球部の存続をかけた戦いが平行して進んでいく。
それぞれに、池井戸潤らしい手に汗握るストーリーが展開される。

タイトルの「ルーズベルト・ゲーム」とは、アメリカのフランクリン・ルーズヴェルト大統領が名付けたという「8対7のスコアのゲーム」の事を言うらしい。
このスコアの試合がもっとも面白いという事である。
取ったり取られたり。
青島製作所は、ミツワ電器と事業でも野球でも取ったり取られたりの、まさにルーズベルト・ゲームを展開する。

新監督の大道が、マネーボール理論でチームを牽引するが、これはちょっと中途半端な描き方だったが、新しいエースの沖原を巡る問題などもあって、これはこれで楽しめる。
ミツワ電器に追い込まれた青島製作所が、どう窮地を脱していくのか。
次から次へと襲い来る危機。
最後に8点目を取ってルーズベルト・ゲームをモノにできるのか。
時に目頭が熱くなるストーリー展開。
ビジネス・ストーリーとしても十分面白い。

やっぱり池井戸潤は面白いと実感させられる一冊である。

   
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2013年03月30日

【大前家の子育て】大前研一



日本一のコンサルタントである大前研一の子育てという事で、やっぱり二児の父としては気になって手に取った一冊。
ただ過去にも大前研一の子育て本『親が反対しても、子供はやる』は読んだ事もあり、その続きかと思っていた。
しかし、読んでみたら内容は一緒。
タイトルを変えての再販モノであった。

それでも読んだと言っても結構前の話であり、もう一度読むのも新鮮だった。
また、巻末に二人の息子さんの感想も載っており、再販モノとはいえ、プレミアムがついていると言える。

大前研一氏の本は随分読んでいて、ご本人もかなり変わり者だったとは感じているが、子育てにおいてもやっぱり独自の価値観を持っている。
特に学校教育に重きを置いていないところは、大いに共感する部分である。
「勉強するよりファミコン(ちょっと古くなりつつある表現だ)をやれ」というのは極論に近いが、それでも時代は変化しており、親も子供から学ぶ事が多くなっている時代である事も確か。
親の意識変換という意味でも至言だと思う。

氏は世界中を股にかけるコンサルタント。
大勢の外国人を見ているから、日本人の良さも悪さもわかる。
そういう意味で、ともすれば受験重視、就職重視になりがちな我々には多くの気付きを与えてくれるものがある。
本当に必要なものは、自分自身が自立してしっかりと生きていける力。
それがベースになっている。

「子供の将来を定食メニューで考えない」という事は、多くの親たちが考えねばならない事だろう。
食事の時はテレビをつけず、かわりに親子でディスカッションするところなどは是非真似してみたいところだ。
自分に対する責任、家族に対する責任、会社に対する責任、社会に対する責任、その4つを果たすようにするという基本的な教えは、我が家でも参考にしたいと思う。

学校や塾などに任せるのではなく、子育てこそ何より真剣にやらないといけない親の義務。
稼いで食べさせればそれで良いというものではない。
改めてそう思うが、同じように考える人であれば、読んで参考にすべき一冊だと思うのである・・・




   
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2013年03月24日

【愛着障害/子ども時代を引きずる人々】岡田尊司



第1章 愛着障害と愛着スタイル
第2章 愛着障害が生まれる要因と背景
第3章 愛着障害の特性と病理
第4章 愛着スタイルを見分ける
第5章 愛着スタイルと対人関係、仕事、愛情
第6章 愛着障害の克服

愛着とは、人と人との絆を結ぶ能力の事を言い、愛着障害とはその能力についての障害の事。
そしてそれは幼児期における母親との関係というのが著者の主張。
「三つ子の魂百までも」
「スズメ百まで踊り忘れず」
という言葉があるくらい、幼少期の体験はその人の人格形成に大きな影響力がある。
著者の主張も、要はそういう事であり、それはサブタイトルにも表れている。

愛着障害の危険がある幼少期というのは、生後6カ月後くらいのちょうど母親の顔を見分けられる頃から、1歳半くらいの「臨界期」と呼ばれる時期らしい。
この頃を過ぎてしまうと愛着形成はうまくいかなくなって、実際2歳を過ぎて養子になった子が、なかなか養母に懐かなかったりという事もあるらしい。

著者は精神科医であり、さまざまな症例から愛着障害という考えを導き出している。
この本では、かなり専門的な分類が行われているが、細かい愛着パターンがいろいろあるようだが、そういうパターン分けに意味があるのかどうかは少々疑問に思うところである。
もちろん、専門家からすれば大事なのであろうが・・・

愛着障害の要因としては、近年虐待や育児放棄が社会問題になっているが、そうした親の不存在というのが一番大きいようである。
そうした不存在がどのような影響をもたらすのか、具体的な人物を挙げて例証してくれている。
オバマ大統領、川端康成、ルソー、夏目漱石、太宰治、ビル・クリントン、アーネスト・ヘミングウェイ・・・

愛着障害の影響は多岐にわたる。
ヘミングウェイの最後には自殺につながるアルコール依存症、漱石の神経衰弱、太宰治の人間失格論、谷崎潤一郎にスティーブ・ジョブズの子供嫌い、チャップリンのロリコン。
さらには釈迦の出家にまで影響しているという。

そうした説明はわかりやすくもあるのであるが、それはあまりにもありとあらゆる事に広がっていく。
結局、著者によればすべての人が何らかの愛着障害を抱えていると言ってよく、それを否定するつもりはないが、それって何か意味があるのか、と読み進むにしたがって思うようになる。
ご説ごもっともであるが、一言で言えば、「人格は幼少期の親の愛情に影響を受ける」という誰もがわかっていそうな事になる。
「だからこうしたら良い」という対策が示されているわけでもなく、したがってほとんどの人は「気付いた時にはどうしようもない」という状態だと言える。

だから何だと言うのだろう。
読んでも意味はなかったな、という感想を持った一冊である・・・

      
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2013年03月23日

【サラリーマンは、二度会社を辞める。】楠木新



プロローグ 人事部には見えないものがある
第1章 仕事で自己実現を目指してはいけない
第2章 会社人間になってみる
第3章 こうして社会人への疑問は生まれる
第4章 会社はサラリーマンの家なのか
第5章 会社員のまま2つの自分を持つ方法

誰もがふと立ち止まって「自分はこのままで良いのだろうか」と思う事があるだろう。
そんな時に参考になるのは、他人の生き方かもしれない。
同じこの世界で他の人はどう生きているのかは、自分自身の生き方を探る上で大いに参考になる。
あるいは、自分が気がつかなかったこの世の真実。
この本は、そんな事を知るのに参考になるかもしれない一冊。

書かれているのは、一言で言うと「冷たい現実」。
・新入社員の配属先は「ばらまき」で決めている
・自分に向く仕事は他人が決める
・ほとんどの人はスティーブ・ジョブズになれない
・会社では頑張った分は自分には返ってこない
・会社は人事評価よりも評判を重視する
最初からこんな言葉が続く。
社会人生活も長くなればわかってくる事だが、そうでなければわかりにくいかもしれない。

始めの方に書かれている事は比較的若い人向けだ。
就職活動をする娘に、大事な事は「とにかく縁のあった会社で、まずは一生懸命働いてみる事」とアドバイスしているが、人は一定程度時間をかけないと変化できないとして3年程度頑張る事が大事と説く事には素直に共感できる。
適職を探すと言いつつ、それが洋服選びと同じように自分にとって都合のいい、かつ割のいい就職先を探そうとする若者の姿に、著者は苦言を呈している。

著者自身、うつで休職した事があるというが、そんな経験があちこちに現れているように思える。
評価される社員の条件としては、「一緒に気持ちよく仕事ができる人であり、組織のパフォーマンスが上がる環境作りができる人」であるという。
資格を一生懸命とっても、それだけではダメなわけである。

「40歳になったら自分の評価は変えられない」という部分は、ショックを受ける人もいるかもしれないが、それが現実だと実感する。
ただ、だから諦めろと言う事ではない。
では、どう生きるかという事であり、それが著者が最後に主張する事。

サラリーマン八策として挙げている事は、会社勤めをしながら具体的にどのような点に配慮し、どういう動きをすれば、従来の枠組みから一歩抜け出る事ができるかを説く。
その中でも人との出会いを広げる4つの条件が目についた。
・1つの事に固執しない
・課題意識を表に出す
・自分から与えるのが先
・集団や団体とうまく付き合う
いずれも当たり前の事のように思われるが、そんな当たり前が大事なのだということだろう。

会社員生活も残り少なくなってきて、しかもまだまだ何とか頑張りたいと思っている人には何かのヒントにはなるかもしれない。
そんな人に良いかもしれない一冊である。

    
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2013年03月17日

【ナミヤ雑貨店の奇蹟】東野圭吾



第1章 回答は牛乳箱に
第2章 夜更けにハーモニカを
第3章 シビックで朝まで
第4章 黙祷はビートルズで
第5章 空の上から祈りを

東野圭吾と言えば、ガリレオや加賀恭一郎シリーズを中心としたミステリー作家というイメージが強いが、その一方で 「手紙」や「秘密」といった心に残るドラマもあって、どちらも甲乙つけがたいものがある。
この本は、後者に含まれる一冊である。

物語は盗みを働いた3人の若者が、ある一軒の家に隠れるところから始る。
長い間空き家であった事が明らかなその家は、かつて雑貨店を営んでいた店舗兼住宅。
まだ残る看板には「ナミヤ雑貨店」の文字がかろうじて読み取れる。
主は33年前に他界しており、生前は雑貨店のほかに主が悩み事相談に応じていて、雑誌にも取り上げられたりとちょっと近所では知られた店だった。

明るくなるまで隠れていようとした3人だが、店のシャッターから一通の手紙が差し入れられた事に気付く。
恐る恐る中を開けてみると、それは何と悩み事相談の手紙であった。
誰が、何の目的で。
戸惑いながらも返事を書いてしまう3人。
そして不思議な事が起こる。

物語は5章に分かれ、ナミヤ雑貨店と孤児院の「丸光園」とを中心に、時間を移動しながら物語は紡がれていく。
ちんけなコソ泥3人が、他人の悩みに触れて伺い知れない世界を垣間見る。
シャッターと牛乳箱での不思議な手紙の往復。
読みながらも、何となくそんな事もあるかもしれないと思えてくる。
いろいろな事情を抱えて生きる人たち。
そして、知らず知らずのうちに関わり合う事になる人たち。

各章に散りばめられたプロットが、最後に見事なハーモニーを奏でてくれるところは、さすがミステリー作家と言えるだろう。
読みながら随所で胸の中が温かくなってくる。
タイトルからは予想できない深い物語。
ミステリーでない東野圭吾も実にいいと思う。
これからも折に触れ、こうした物語を読ませてもらいたいと思うのである・・・

    
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2013年03月15日

【四百万の企業が哭いている/ドキュメント検察が会社を踏み潰した日】石塚健司



序章  夏
第1章 軌跡
第2章 強制捜査
第3章 逮捕
終章 冬

2011年、本来なら利用できない震災後の緊急融資制度を、粉飾決算によって銀行をだましてお金を借りたとして借入をした社長と、それを指南したとしてコンサルタントが逮捕された事件を取り上げた一冊。
このコンサルタント会社は、元みずほ銀行員らが立ちあげた財務営業パートナーズ社(文中ではZ社)であり、逮捕されたのは立ち上げメンバーである佐藤真言氏。
ご本人は実名で登場する。
この事件は個人的にもよく知っている関係もあって、興味を持って手に取った次第である。

事件自体は逮捕された佐藤氏と会社社長が始めから事実を語っていた事もあり、そこに疑義が入る余地はない。
問題はその解釈だ。
粉飾をしたエス・オーインク(仮名)社はアパレル産業に従事。
社長は仕事熱心で、粉飾に手を染めたのも銀行から融資を止められた場合、会社が立ち行かなくなるためやむを得ずの事。

中小企業から儲ける事しか考えないような現場に失望して銀行を退職し、コンサルタントになった佐藤氏。
同氏はエス・オーインク社のサポートに全力を尽くし、社長に信頼されるようになる。
粉飾の実態を知りながら、急にやめれば会社が立ち行かなくなると粉飾を黙認し、秋冬物の入金があるまでの資金需要期に震災復興制度融資の利用を手伝う。
この人は巷に跋扈する悪質コンサルタントと違い、決まった報酬以外は受け取っていない極めてクリーンなコンサルタントであったようである。

そんな彼らに東京地検特捜部は別の詐欺事件から辿りつき、やがて悪質コンサルタントが制度融資を悪用させて資金を搾取したというシナリオで捜査を進める。
そしてやがて逮捕。
社長逮捕によってエス・オーインク社は立ち行かなくなり倒産。
借入はすべて貸し倒れとなる。

著者は正義感に燃え、検察の捜査を批判。
いかに佐藤氏が真面目に中小企業を支えようと奮闘していたか、エス・オーインクの社長が真面目に働いていたか、現実的には多くの中小企業が粉飾に手を染めざるをえないか、そしてそれを作り出しているのは金融庁の銀行指導マニュアルである事など、時に熱くそして感動的に描写する。
正直言って粉飾決算は本当に悪なのかと、読んでいて迷いが生じたほどである。

ただ読後によくよく考えてみると、やはりこれは都合の良い解釈にしか過ぎない。
銀行は顧客の決算を正しいと信じて融資をする。
確かに粉飾をしていても、潰れることなくお金をきちんと返していく会社はあるだろう。
ただそれは結果論であって、なぜ粉飾企業に金を貸さないかというと、業績が悪い企業にお金を貸すと返してもらえない可能性が極めて高いからだ。
どんな立派な理由があろうと粉飾によって借入をしたら、それは相手を騙してお金を借りる事になる。
「騙してお金を借りる」事を、日本語では「詐欺」というのである。
あとで立ち直って返せば問題ないというのは、貸す者の事を考えない勝手な論理である。

事実として佐藤氏もエス・オーインク社長も実刑判決を受けている。
これは動かせない事実である。
本でも例示されているが、スピード違反で捕まった時に、「他もみんなやっている」とか「親の死に目に会えなくなりそうだった」などと感動的に語っても、捕まえた警官を責めるのは間違っている。
著者はそこを勘違いしている。
文中でも元検事である弁護士が語っている。
「ゴルフで言えばOBに打ち込むようなもので、見つかればアウトだ」

確かにこの事件は東京地検特捜部が動くほどのものではなかったのかもしれない。
似たような例は他にもゴマンとあるだろうし、もっと悪質な例だってあるだろう。
ただそれは結果論だ。
始めは悪質な事件だと踏んで捜査を開始したのだろうし、結果的に「大山鳴動してねずみ一匹」だったのだろうが、例えねずみでも出て来た犯罪を見逃すわけにはいかないだろう。
いろいろな例を上げて検察批判を展開するが、犯罪は犯罪だ。

さらに著者は、銀行員が「これくらい利益がないと貸せません」と言った事をとらえ、「銀行員があからさまに粉飾を指示した」などというが、それもねじ曲がった解釈だ。
「このくらい利益がないと」とは銀行員である私も言うが、「粉飾をしろ」などという意味で言っているわけがない。
文字通り「このくらい実際に利益を出せるようになってくれ」と言っているのであり、「粉飾をしてあるように見せかけてくれ」などとは欠片も思っていない。
いくら著者が素人だからといって、普通に考えれば分かるはずで、そうした「勝手な思い込み」で全編にわたって快走している。

佐藤氏やエス・オーインク社長が悪質な詐欺師ではない事は事実なのだろうが、「粉飾しなければお金を借りられなかった企業が、粉飾してお金を借りた」という事実は弁護できるものではない。
「検察が逮捕したからエス・オーインクが潰れ、その結果返せたはずのお金を返せなかった」というのも、詭弁でしかない。
「警察がスピード違反で捕まえなければ、事故を起こす事なく無事に病院に着き親の死に目に間に合った」と言うようなものである。
そこには貸す者=被害者の視点が決定的に欠けている。

結局、逮捕されたのは不運だったのかもしれないが、無実の罪で逮捕されたわけではなく、それは検察のせいでもなければ金融庁の責任でもなければ銀行の責任でもない。
時に感動的な表現があちこちに出てくるが、本質的な部分は見失わないようにしないといけないだろう・・・
   
     
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2013年03月10日

【世界を変えたいなら一度“武器”を捨ててしまおう】奥山真司



第1章 なぜ日本人は「戦略」が苦手なのか?
第2章 戦略を考える上で大事な3つのイメージ
第3章 戦略の本質を知れば、世界を変える「人生の戦略」が生まれる
第4章 あなたの人生に「2つの戦略」を授けよう

著者は、 「悪の論理で世界は動く!」の地政学者。
肩書きにはもう一つ「戦略学者」とあるが、この本はそちらの方面となる。
もっとも読んでみれば、両者にはかなり関連性があるものだという事がわかる。

始めに日本人が戦略が苦手な理由を分析している。
日本人は、「ルールは外から与えられ、それに従うという意識が強い」という意見には、なるほどと頷かせられる。
欧米人は「そもそも論」から始める。
日本人はいかに環境に適用するかを考えるが、欧米人は環境がよくないなら変えてしまえと考える。
だから暑い時に日本人は「打ち水」という発想だが、欧米人はエアコンなのである。

いかに決められたルール内でうまくやるかを考える日本。
そして不利ならば勝つためにまずルールを変えようとする欧米。
ルール内でうまく勝つために必要なのは、技術=スキル=武器。
しかしルールそのものを変えられてしまったら、その技術=スキル=武器は役立たない。
世界=欧米に勝とうとするならば、まずその武器を捨てるべし、というのが本書のタイトルの所以である。

次に当たり前のようだが、戦略とは戦術ではない。
戦略とは勝つ事だけを意識するものではなく、勝った後コントロールできる事も戦略であるという。
この章では、そこから転じて「成功本も戦略の階層に落とし込んで選ぶ」事を主張している。
戦略の階層とは、「世界観→政策→大戦略→軍事戦略→作戦→戦術→技術」という段階別になっているものであり、例えば勝間和代の一連の本(例:『効率が10倍アップする新・知的生産術』)などは「技術」レベルなどという具合で、これはなかなか「目から鱗」の話であった。
やみくもに読めば良いというものでもないという事である。

そして人生においては、この戦略の階層の上の方を意識する(この本では『抽象度を上げる』と表現されている)事が重要だと説かれる。
居酒屋で働いていても、店全体の事を考えたり、従業員全体の事を考えたりし、上へ上へという視点を持ち、最終的には社長と同じ視点を持つ事ができるかどうかが大事だという。
成功本もそれに関連して選べばよいということなのだろう。

最後に「順次戦略」と「累積戦略」が取り上げられる。
「見せる戦略」とも言える「順次戦略」は、多くの成功本がテーマとしているもの。
それに対して「見せない戦略」とも言える「累積戦略」。
両者はどちらが優れているというものではなく、平行させるもの。
事業で成功したある社長が、若い頃から続けていた新聞配達を密かに続けていた例が紹介されているが、これも今までにはあまりお目にかからなかった発想である。

最後に提唱されている「水になれ」。
1.冷静であれ
2.選択肢を持て
3.柔軟であれ
と言うことであるが、これもなかなか示唆に富む。

薄い本である割には驚くほどの内容。
世の中わかったようでいて、まだまだだと実感させられる。
こういう本は読んでおきたいと、つくづく実感させられる一冊である・・・

     
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2013年03月09日

【沈黙のひと】小池真理子



小池真理子の作品には、静かな作品が多い。
それは登場人物たちの年齢にもよるのかもしれない。
登場人物たちは平均して40代前後。
前回の 「二重生活」は、20代の女性が主人公だったが、多くは中高年が主人公となる事が多い。

この作品の主人公は50代の離婚歴のある女性三國衿子。
タイトルは衿子の父三國泰造から来ている。
泰造は高齢でパーキンソン病を患い、手足も不自由でしゃべることもままならなくなり、最後は老人ホームで息を引き取る。
そんな言葉を話せなくなって「沈黙の世界」に入ってしまった泰造を娘の衿子が見つめて行く作品となっている。
まさに静かにならざるを得ない作品である。

泰造は石油会社のサラリーマンとしての人生を歩む。
最初の妻と一人娘の衿子と、一時期幸せな生活を営んでいたが、なぜか浮気をして子供を作り、離婚して他の女性の元へと行く。
そして衿子には腹違いの妹となる二人の姉妹が生まれる。

泰造の死後、衿子は二人の姉妹とともに遺品を整理し、自らが話せなくなった父に与えたタイプライターを持ち帰る。
そこには話す事のできなかった泰造の思いが残されている。
父が送った手紙。
タイプライターに残された文章。
それらのものを通じて、衿子は沈黙のひとの思いを汲みあげて行く・・・

泰造は歌も作り、それは随所に散りばめられている。
中でも何度も取り上げられる代表的な一首は、珠玉の出来栄えだ。
これはあとがきで、小池真理子の父の作品だと紹介されている。
「プーシュキンを隠し持ちたる学徒兵を見逃せし中尉の瞳を忘れず」
父に捧げるとされたこの作品。
衿子の年齢を考えると、これは小池真理子自身と父とをイメージして書かれたものなのかもしれない。

生前、十分に話ができた時には疎遠だった父と娘。
別れてもなお、娘には人知れぬ愛情を抱いていた父。
そんな父の心の内に触れて行く衿子。
そこには自分の人生を生きた父の姿がある。

自分もいずれ老いる時が来る。
その時はどんな様子になっているのだろう。
そしてそれまでにどんな人生を送っているのだろう。
それまでに家族と親と友人たちとどんな付き合い方をしていくのだろう。
そんな事を想像してみる。

恋愛小説の名手でありながらも、これは父娘の愛情を描いた作品。
読みながら時折胸も熱くなる。
小池真理子と言えば、味わい深い文章が好きなのであるが、これは物語としても気に入った。
こういうものに感化されるのは、ひょっとしたら自分の年齢的なものもあるのかもしれないという気もする。

次の作品も楽しみにしたいと思う・・・

    
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2013年03月03日

【二重生活】小池真理子



小池真理子と言えば恋愛小説の旗手とも言うべき作家であるが、作品は必ずしもすべて恋愛小説ばかりというわけではない。
この小説も恋愛小説というジャンルには入らないのではないかと思うが、では何かと問われると答えに窮する。
ドラマ化しても面白くはなさそうであるが、味わい深い小池真理子の文章とともに読むと感じるところのある小説である。

主人公は大学院に通う白石珠(たま)、25歳。
女優三ツ木桃子のアルバイト運転手をしている卓也と同棲中である。
大学の仏文科の授業でたまたま取り上げられたジャン・ボードリヤールの文学的・哲学的尾行という行為に興味を持ち、それが心に残る。

ある日、最寄りの駅で近所に住む石坂史郎を見かけた珠は、まったくの思いつきで後をつけ始める。
石坂は大手出版社に勤め、美しい妻と愛らしい娘と幸せを絵にかいたような生活を送っている。
そんな石坂が向かった先は渋谷。
喫茶店に入った石坂の隣の席に座った珠は、密かに石坂の観察を始めるが、やがて彼の元に美しい女性がやってくる・・・

仲無妻じい様子の二人。
やがて二人は不倫関係にあるとわかり、さらにクリスマス前にホテルで会う約束をするのが聞こえてくる。
石坂の裏に隠された顔を、珠は偶然見てしまう。

一方、同棲相手の卓也の様子が気になる珠。
アルバイトのはずなのに、女優の三ツ木桃子から頻繁に呼び出され、卓也はその都度いそいそと出かけて行く。
はるか年上の50代とは言え、魅力的な女優と卓也間の関係が、ただならぬものであるような錯覚を珠は次第に覚えて行く。

世間から見ると人も羨むような石坂家。
しかしながら主の史郎が送る二重生活。
そしてそれを目にした珠が、卓也の二重生活についても妄想に取りつかれる。
それは果たして妄想なのか。

物語はドラマチックな展開があるわけでもなく、静かに進んでいく。
文学的・哲学的尾行という、よくわからないが、何となく大きな意味がありそうな概念。
なぜかそれに取りつかれた珠の様子を、物語は静かに追っていく。
小池真理子の小説は、ゴールを目指して進んでいくものではない。
例えればフィギア・スケートのように優雅な舞を楽しむものである。
この小説も、そんな小池真理子の優雅な語り口を楽しみながら読み進めるべきものだと思う。

読み終えて、静かに本を閉じるのが、ぴったりの一冊である。

「他者の後をつけること、自分を他者と置き換えること、互いの人生、情熱、意志を交換すること、他者の場所と立場に身を置くこと、それは人間が人間にとってついに一個の目的となりうる、おそらく唯一の道ではないか」
                             〜ジャン・ボードリヤール〜
   
   
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