2013年04月21日

【吾輩は猫である】夏目漱石 読書日記328



文豪夏目漱石のデビュー作となった本作品。夏目漱石は、学生時代に何冊も読んだが、なぜか「坊ちゃん」とこの本は読んでいなかった。何となくお子様向けのイメージもあってか、敬遠してしまっていたのである。(その後「坊ちゃん」は電子書籍で読んだ)

あまりにも有名な冒頭の出だしは、読んでいなくとも知っている。
「吾輩は猫である。名前はまだない。」
その通りに始ると、何となく嬉しくなる。ストーリーはまったく知らなかったが、一匹の猫の目を通して飼われている(本人は“飼われている”などと思っていないかもしれない)家の主人および家族、そしてその家に出入りする人々の様子が描かれていくというものである。

当時(1905年)、小説の主人公に猫を採用するという発想がどのくらい斬新だったかはわからないが、“猫の目”を通じて描かれるという視点はかなりユニークだったのではないだろうか。そしてユニークなのは、視点ばかりではない。近所の猫同士が集っての会話もそう。猫から見ると、何気ない人間の行動も不思議だったりする。

一方、雑煮の餅を食べようとして食いちぎれず煩悶したり、一念発起してネズミを取ろうとして騒動を繰り広げたりする主人公の猫のコミカルな様子は、ただでさえ面白いのだが、高所から論じるが如き真面目な描写がそれに輪をかける。
例えば猫が雑煮の餅に食いついたが噛み切れず、焦るシーン。

「早く食い切って逃げないと御三(お手伝い)が来る。〜斑紋の極尻尾をぐるぐる振ってみたが何等の功能もない、耳を立てたり寝かしたりしたが駄目である。考えてみると耳と尻尾は餅と何等の関係もない。要するに振り損の、立て損の、寝かし損であると気がついたからやめにした」

といった具合である。そしてのたうちまわる様子を人間が見つけて大笑いする。
文豪のあまりに真面目な描写に、読んでいて吹き出してしまうほどである。

主人公が猫ゆえに、その視点は猫のものとなる。自由に垣根を越えて、あちこちと歩きまわる。時に銭湯を覗いたり、縁側や部屋の片隅や主人の膝の上から、人間たちの会話を伝えてくれる。会話も今の感覚からすると随分違和感がある。
「面白いのが出来たら見せたまえ」
「いや決して御心配になる程の事じゃ御座いません、神経を御起こしになるといけませんよ」
「それがよかろう」
なんて具合だが、当時はそんな日本語が飛び交っていたのだろうかと想像する。時代によって言葉は変化するだろうから、そんな変化を伝えてくれているのかもしれない。

ストーリーらしきストーリーなどないのではないかと思っていたが、客の残したビールを飲んでカメに落っこちるラストのくだりは想定外であった。最後まで、真面目に主人公の視点から語られる。そのラストは、今読んでも斬新だと思う。温故知新ではないが、やっぱり日本の代表的作家の有名な作品だし、一度は読んでおくべきだろうと思わされた一冊である・・・

     
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2013年04月16日

【現実を視よ】柳井正 読書日記327



プロローグ 成長しなければ、即死する
第1章 いまやアジアは「ゴールドラッシュ」
第2章 「資本主義の精神」を忘れた日本人
第3章 政治家が国を滅ぼす日
第4章 あなたが変われば、未来も変わる
エピローグ 2030年・私が夢見る理想の日本

ご存知、ユニクロの柳井会長兼社長の著書。今や日本を代表する経営者のお一人であるが、この本はよくありがちな経営者の成功本ではない。これからの日本に対する提言である。

もう既にこの手の本は、大前研一との共著 「この国を出よ」を記しているが、それに続くものである。既にユニクロは世界各地に営業展開している。社内の公用語も英語だし、外国人の採用も当たり前になっている。近いうちにもはや日本の企業という範疇に収まらなくなるのだろう。

この本の底に流れるのは強烈な危機感。「このままでいいはずがない」という意識だ。そしてそれを感じる事なく、太平の眠りを貪っている日本人に警告を発してくれているのである。大企業に入って、安定した日々を安らかに送っている身としては、耳の痛いところがある。

今や中国のみならず、アジアの若者たちは必死に勉強し、貪欲に成功を求めている。中国、韓国、フィリピン、シンガポール・・・
日本人がいつまでも上だと勘違いしていたらあっという間に抜かれる。得意の技術も「町工場」の職人だけだと言う。

本来競争社会であるはずの資本主義だが、日本では総サラリーマン化し、成長しなくても安定していればいいと言う風潮が支配し、いつの間にか社会主義のようになっている。国家財政が破綻状態にあってもなお改善しようとしない政治家。無駄の削減などいつのまにか忘れ去り、消費税を上げてお茶を濁し、年金問題も原発事故も一票の格差も、曖昧なまま時が流れている。

それを変えていくのは、もはや国民一人一人しかない。
ケネディの就任演説の有名な言葉を繰り返し、自覚を求める。
 Ask not what your country can do for you,
      ask what you can do for your country
それを社内でも社員に求めているという。

最後に柳井社長の考え方が、messageとして列挙されている。
 1 起こっていることは、すべて正しい
 2 人間は求めていい
 3 需要は「ある」のではなく「つくりだす」
 4 サムスンに躍進の秘訣を聞きに行け
 5 売れる商品は、世界中どこでも同じ
 6 100億円売ろうと決めねば、100億円売れない
 7 戦うのなら、「勝ち戦」をすること
 8 日本語はハンデにはならない
 9 日本の「商人道」を取り戻せ
 10 苦しいときほど「理想」をもて

読んでいて共感するところは多い。
されど、「では明日から何をする」となると難しいものがある。
年齢的に「今からでは」という気持ちもある。
されど、問題意識を持ち続ける事は大切だと思う。
自分に何ができるか。
考えながら、毎日を過ごしてみたいと思うのである・・・
   
   
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2013年04月13日

【ここに学校をつくろう!】グレッグ・モーテンソン&デヴィッド・オリバー・レリン 読書日記326



原題:Three cups of tea
≪目次≫
大失敗
川の反対側
僕が学校を建てましょう
生い立ち
五百八十通の手紙、たった一枚の小切手
困難な道
やっとコルフェへ
学校より前に、橋を
アイベックスを追って
橋をつくる
六日間
始まり
ハジ・アリの教え
ほほ笑みは、思い出の中だけでなく
写真
新しい学校が次々に
戦争から逃れて
やることがありすぎる
ニューヨークという村で
アフガニスタン
コルフェで初めて教育を受けた助成たち
一つ一つの石を学校のために

著者はアメリカ人。
K2に登ろうとして失敗。
下山途中でたった一人迷子になり、迷い込んでパキスタンのある村に辿りつく。
人里離れたその村で温かい歓迎を受け、村で貴重な砂糖を使ったお茶を飲ませてもらう。

もともと看護師だった著者のグレッグは徐々に体力を回復し、世話になったその村コルフェのために何か恩返しをしたいと考えるようになる。
そしてコルフェの村に学校がない事に気がつく。78人の子供たちはみな凍った地面に座り、先生に来てもらうのも一日1ドルかかり、しかも村には先生を週3回呼ぶ余裕しかない状況であった。

「ここに学校をつくる」と決意したグレッグの挑戦がその日から始る。アメリカに戻って資金調達。アメリカとパキスタンを往復する日々。途中、誘拐されたり、学校をつくる以前に橋を造らないと資材を運び込む事ができないとわかったり、苦難は続く。

そんなグレッグの奮闘とあわせ、イスラム社会の様子も紹介される。満足に学校がないという現実に加え、学校があったとしてもそもそも女の子には教育を受けさせようとする考え方がなかったり。アメリカでは、人々は食べるために生きているが、パキスタンでは生きるために食べているというのも印象的である。

原題にある「三杯のお茶」とは、現地の風習。1杯目はお客さん、2杯目は友人、そして3杯目が出される時にはもう家族の一人になっているというもの。お茶の習慣は、しばしば出てくるが、現地ではこの習慣がとても大事なものであるようである。

イスラムと言えばテロリストをイメージしてしまうが、それも教育によって変えられるというのがグレッグの考え方。アメリカ人らしく、スピーディに物事を進めようとするあまり、困難な現実に直面して凹むグレッグに、村の長老がのんびりと諭す。そこは遥か昔から変わらぬゆったりとした時間の流れるところなのである。

やがて賛同するアメリカ人投資家などから、資金が集まってくる。ある投資家が、スイス人の投資家に「俺は学校を作った」と自慢するエピソードが何とも言えない。グレッグの子供もそんな父親を見てか、「平和のための1ペニー運動」に参加している。みんながそんな気持ちをもっていたら、世界はずっと平和になるに違いない。

グレッグのような大きな事は無理だろうけど、自分にも何かできないだろうか。そんな事を考えさせられた一冊である・・・
   
    
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2013年04月06日

【阪急電車】有川浩 読書日記325



宝塚駅
宝塚南口駅
逆瀬川駅
小林駅
仁川駅
甲東園駅
門戸厄神駅
西宮北口駅
そして、折り返し・・・

阪急電車というタイトルであるが、正確に言えばここに登場するのは阪急今津線。
宝塚駅から西宮北口駅までのわずか8駅のローカル線である。
宝塚駅を出発した車両に乗り合わせた人々を主人公にしたこの物語。
着想と物語の展開がとてもユニークである。

個人的にはかつて逆瀬川に行く時に、西宮北口からこの阪急今津線に何度か乗った事がある。何となく記憶に残っているだけに、情景が思い浮かぶというのも読む楽しみに加わったところがある。今でも当時と変わらないのだろうか・・・

初めに登場するのは征志。
宝塚中央図書館にたびたび通う征志は、そこで時折見かける本の趣味が似ている女性に興味を持っている。声をかけるチャンスなど思いもしなかったが、そんな彼女が何と隣の席に座る。

宝塚南口駅から乗り込んできたのは翔子。
会社の同僚の結婚式帰りの翔子は、なぜか結婚式ではタブーとされている白いドレスに身を包んでいる。おばあさんに連れられた小さな女の子が、その翔子を見かけて「花嫁さん」と声を上げる。さらにその翔子を見ていたカツヤとミサのカップルが喧嘩を始める。そしておばあさんがミサに囁く・・・

カツヤと別れたあと、ミサは車内で高校生グループと一緒になる。
彼女たちのほのぼのとした会話に笑いがこみ上げてくる。終点まであと一駅となって混み合う車内で、同じ大学に通う圭一と美帆が知り合う。圭一も美帆もそれぞれ高校時代にトラウマを抱えており、大学生活で心機一転しようと考えている。

それぞれに短いエピソードが連ねられ、そして半年後、今度は西宮北口から折り返した電車の中で、それぞれの登場人物の半年後が描かれる。どのエピソードもほんのり温かい。普段何気なく利用している電車にも、同じようなエピソードがたくさんあるのかもしれない、と考えてみる。今度電車に乗ったら、乗り合わせた人々をよく見てみようかなと思ってしまう。

有川浩の小説は、基本的に優しさが伝わってくる。
読んでいて心地良い気持ちにさせてくれる。
また次も。
そんな気にさせてくれる作家である・・・


  
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2013年04月05日

【綱の力】九重貢 読書日記324



第1章 プレッシャーに負けない
第2章 試練を力に変える
第3章 人知れず努力する
第4章 譲れない美学を持つ
第5章 出会いを大切にする

九重親方というよりも、この人はやっぱり「千代の富士」と呼んだ方がしっくりくる。
第58代横綱千代の富士が、人生の秘訣を語った一冊である。

千代の富士が活躍していたのは、私が高校から大学にかけての頃。相撲なんて面白くないと思っていた私にとって、千代の富士は衝撃的だった。相撲取りと言えば当たり前のようにアンコ型の体型で、デブが嫌いな私が好きになる要素はなかった。ところがそこに登場した筋肉質の力士。ウルフとあだ名される精悍な顔つき。そして偶然にも誕生日が一緒。すっかりファンになってしまい、相撲中継を観るようになってしまった。そんな千代の富士の本ゆえに、迷わず手に取った一冊。

千代の富士は大型力士の中に入るとそんなにでかくない。それでいて横綱まで務めたのは、やっぱり努力。
「毎日の努力の積み重ねが、少しずつ力を蓄えていく事につながる。努力しているときは、過去も未来も関係ない。ひたすら、その時に集中して自分を鍛え上げる。そうした稽古の充実があってはじめて、経験が力に変わり、将来を見据えることで目標ができて励みに変わる」
やっぱりやった人の言葉は重みが違う。

千代の富士と言えば、脱臼が有名だったが、そんな脱臼の歴史とそこから取り口を変えていった裏話は、当時を知る者としては興味深い。苦手としていた琴風には、何度も出稽古に行ったという。一門以外への出稽古は行きにくいものだが、敢えて行ったという。7連敗していた相手なのに、出稽古の結果はその後の20勝1敗。横綱になった後でさえ、小錦の登場に危機感を抱き、出稽古に行ったと言うからすごい事である。

たった3キロの体重増で自分の相撲が取れなくなる。
以来125キロのベスト体重を維持。
土俵入りや取り組み前の所作にも形を求める。
美学にこだわる姿勢もなるほどというもの。

相撲界で知り合った人々へのまなざし。
心技体とは良く言われるが、言葉の端々にえも言えぬ風格が漂う。
問題児だった朝青龍とは格が違うのだろう。
個人的には「千代の富士の前に千代の富士なし、千代の富士の後に千代の富士なし」と言っても良いと思っているが、それを改めて実感した一冊である・・・
   




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2013年04月04日

【考える野球】野村克也 読書日記323



第1章 考える力が一流を生む
第2章 野村野球の原点にあるもの
第3章 リーダーとなる者の考え方
第4章 一流のチームを作る難しさ
第5章 プロ野球を考える

 目につくと手に取ってしまう野村監督の本。一通り読んでみると、大概がもう既にどこかの本で読んだ話がほとんど。まぁこれだけたくさん書いていれば、自ずとそうなるだろう。かと言って読んでも無駄かと言うとそうでもない。何度聞いてもその都度味わえる。野村監督の本には、そんな「おじいちゃんの昔話」のような味わいがある。

 タイトルにある通り、野球で重要な事は何よりも自ら“考える”事。「プロで通用するかしないかの分かれ道は、技術以外のところにある」と監督は断言する。そう言えば毎年多くの選手がドラフトで指名されてプロになる。しかし、ドラフト1位がすべてレギュラーとして活躍するかと言うとそうではない。( 「ドラフト1位九人の光と影」
その差は、「持って生まれた天賦の才」か「考える力、感じる力」だと言う。

 例えばダルビッシュのような天賦の才に恵まれた投手は、黙っていても勝てるが、斉藤祐樹のような技巧派投手は、一球一球目的を持った配球が必要になるのだという。有能なキャッチャーがそれを助ける。監督は自分なら2桁勝たせ、新人王も取らせる事ができると断言する。

 南海時代、パッとしなかった皆川投手に今で言うカットボールを覚えさせて31勝させた話を筆頭に、シダックス時代には武田(日本ハム)に内角を攻める変化球を覚えさせ、ヤクルト時代には高津投手に投手にシンカーを覚えさせた話が続く。はっきり言って自慢話なのであるが、これが心地良く読めてしまう。稲尾の癖を研究したエピソードはもうお馴染みだが、癖を探したり相手投手の配球を研究したりという姿は、何度聞いても頭が下がる思いがする。

 巻末に団野村との対談形式の話が載っている。団野村とは義理の親子だとは知らなかったが、それぞれの立場から日米の野球に対する考え方を披露してくれていて、これはちょっと変わったおまけで嬉しく思う。野球好きならそれだけでも読んで面白いと思うし、ビジネスマンなら監督の「考える」姿勢は多くの示唆に富む。同じ話でも飽きが来ず、何度でも聞きたいと思ってしまう所以である。

 仕事のヒントにもしたい野村監督本なのである・・・

     
   
posted by HH at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 野村克也 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする