2015年08月01日

【ぼくの命は言葉とともにある】福島智 読書日記569



プロローグ 「盲ろう」の世界を生きるということ
第1章 静かなる戦場で
第2章 人間は自分たちが思っているほど強い存在ではない
第3章 今この一瞬も戦闘状態、私の人生を支える命ある言葉
第4章 生きる力と勇気の多くを、読書が与えてくれた
第5章 再生を支えてくれた家族と友と、永遠なるものと
第6章 盲ろうの視点で考える幸福の姿

著者は、9歳で失明、18歳で聴力を失うという「盲ろう」の方。
それでも大学を卒業し、今は東大の教授だというから、その努力たるや並大抵ではないのだろうと思わされる。
視力と聴力が失われた著者にとって、外界との意思疎通の接点となるのは「言葉」。
ヘレン・ケラーは、生まれつきの「盲ろう」だったから「言葉」すらなく、だから「三重苦」と言われたが、著者の場合は18歳まで言葉によるコミュニケーションができていたわけで、だからこそ、よけい「言葉」というものに対する重みを感じているのかもしれない。

暗く静かなるところにいる著者にとって、我々がさりげなく使う言葉に対する感性も違うのかもしれない。
ホロコーストを生き抜いたフランクルからは、「絶望=苦悩−意味」という言葉を学ぶ。
「絶望とは意味なき苦悩」
よくよく考えてみれば、なるほどと思うも、言われなければスルーしてしまいそうだ。
そんな言葉をつかみ取るのも、著者の感性のレーダーが発達しているからに他ならない。

この本は、著者の思うままが綴られているが、「いかに生きるべきか」というところが強く出てくる。
自分の生きる意味を見出すことが救いになると語るのである。
前向きに生きていければそれが良いが、時として横向きや斜めを向いてしまう時もある。
さらに後ろ向きにさえなることもあるかもしれないが、そうなったら「後ろ向きに後ずさればいい」と語る。
この発想は、私にとっても参考になる。

著者は、他者とのコミュニケーションには従来の点字に加え、指と指とで行う「指点字」なるものも利用しているという。
そうした他者とのコミュニケーションこそが自己を認識できる機会であり、著者からすれば、「コミュニケーションは命」ということになる。
「ぼくの命はいつも言葉とともにある」と語る理由がそこにある。

盲ろう者になって、著者が学んだことの一つが「挑戦」。
「どんな困難な状況にあっても、可能性がゼロになるわけではない」という。
「挑戦とは相手を打ち負かして競争に勝つことを意味するのではなく、その本質は自分自身に対する挑戦」
「挑戦とは他者の立場を想像する力と、他者と協力しながら新しいものを生みだしていく営み」
考えてみれば、著者は他者の協力がなければ生きてはいけないわけであり、それゆえに紡ぎ出された考え方なのだろうと思う。

著者に比べれば、健常者はそれだけで恵まれているわけである。
それを当り前とせず、切磋琢磨しつづけないといけない。
前向きに、常に挑戦者たらんと思わせられる一冊である・・・