2015年10月25日

【日本語(上)(下)】金田一春彦



序章 日本語はどういう言語か  
第1章 世界の中の日本語
第2章 発音から見た日本語
第3章 語彙から見た日本語
第4章 表記法から見た日本語
第5章 文法から見た日本語(1)
第6章 文法から見た日本語(2)
第7章 日本人の言語表現
終章  日本語はどうなる

金田一 と言う名前を聞くと、まず二人の有名人の名前が挙がる。
一人は探偵で、実在の人物ではないが、横溝正史の小説で有名だ。
そしてもう一人は、その名を聞けば自然と国語辞典を思い起こす。
この本の著者は、その後者の方。
まさに、国語辞典と大いに関係ある、タイトルもそのものズバリの「日本語」の本である。

我々が日常当たり前のように使っている日本語であるが、世界から見ると改めて気付かされることがある。
例えば、街を歩いていて、タバコを買いたいと思った時、あの店で日本語が通じるかどうかを心配しなくて良いという指摘である。
当然ながら、世界に出れば、そういう心配をしないといけないところもあるわけである。

我々の社会は、そんな単一言語の社会であるが、実は一つの言語だと言っても外国人からするとわかりにくい「変化」があるという。
「いつ江戸へ来たか」という表現をとると、
「いつ江戸へお出でなされました」
「いつ江戸へお越しでございました」
「いつ江戸へ御座った」
「いつ江戸へ参られた」
「いつ江戸へ来なさんした」等々、武士や町人や男女など使う人によって様々変化する。
外国人からすると難解かもしれない。

単一言語と言っても、実は方言の違いで、国内でも互いに何を言っているかわからないというケースはある。
例えばウラル語族では、その中で方言が別の言語として発展しているらしい。当然、互いに言葉は通じない。
日本語はそれより5倍以上も多い人口がいるが、「標準語」という共通言語があるから「日本語」という言語で互いに相通じる。
この点が「日本語族」の特徴なのだという。
これら最初の「世界の中の日本語」という見方は、掴みとして非常に面白い。

発音から見た日本語もまた独特で、著者は「拍」という概念でそれを説明する。
「拍」とは、「一番小さい音の単位」だそうで、例えば「春」だと「ハ」「ル」がそれにあたるそうである。
これが外国人には難しいらしく、例えば「討論会」だと、「ト・ウ・ロ・ン・カ・イ」で6拍であるが、外国人からすると、「トウ」「ロン」「カ」「イ」と4拍になってしまうのだという。

この拍は外国語に比べて少なく、そのため日本人は小学生の低学年から、ひらがなを覚えればほぼすべての単語がわかるようになる。
ところが、例えば英語だと、dogにしろcatにしろ一つ一つ教わらなければ書くことができない。
このメリットは大きいだろう。

語彙でいけば、各言語ともその背景にある文化の影響が大きそうである。
英語ではcow,oxなど雌雄で使い分けるが、日本語では「牛」である。
逆に日本語では魚の種類が豊富だが、インドではレストランで何の魚か尋ねたところ、sea fishで済まされたという例が紹介されている。
そういえば、兄も弟も英語ではbrotherだし、違いを表現するならelder brotherと2語になってしまう。

表記法も面白く、例えば漢字で「コ」を使う場合、「親子」なら「子」の字を使うが、だからと言って「心」を「子頃」とは書かないなど、当たり前のように理解していても、改めて指摘されるとなるほどと思わざるをえない。
「時雨」は「シグレ」と読むが、「時」は決して「シグ」とは読まず、「雨」も決して「レ」とは読まない。

最後の他人への考慮を表す表現が日本語らしくていい。
例えば「お茶が入りました」を主語がはっきりしている英語などの言語では、
「私があなたのためにお茶を入れた」となり、なんだか押し付けがましい。
「お風呂が沸きました」
「ご飯ができました」
などもそうであるが、いかにも自然に用意されたかのごとき表現で、著者によれば「優しい表現」になっている。

総じて「日本語」と言っても、新たに何かを学ぶという内容ではない。
我々が普段何気なく使っている日本語の、気付かないでいた一面を教えてくれるものとなっている。
「日本語トリビア」と言ってもいいかもしれない。
1988年出版で、多少時代を感じさせるところはあるが、自分たちの母国語を改めて学ぶのに古さはないだろう。
日本人の教養として、知っておいても損はない。
改めて「日本語」を意識させてくれる一冊である・・・
   
    
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2015年10月22日

【モンローが死んだ日】小池真理子



新刊が出れば、必ず読むことにしている作家小池真理子の新作である。
短編は先日読んでいるが、長編は実に2年半ぶりである。
短編は短編なりにいいと思うが、やはり長編の方が好きなので、この間隔はちょっと長いと飢餓感を感じる。

物語の主人公は59歳の女性鏡子。
夫に先立たれ、一人軽井沢で暮らしている。
仕事は原島富士雄という作家の記念館の管理人である。
いつの頃からか、心身に変調をきたし、どうにもならなくなる。
危機的状況の中で、同然出会った友人の勧めで精神科を受診することにする。

対応したのは高橋智之医師。
本業は横浜の医院であるが、軽井沢の病院に新設された精神科で、アルバイトをしているのである。
初めての精神科であったが、高橋医師に「鬱ではない」と診断された鏡子は、それで気持ちも楽になり、みるみる快方に向かう。
そして治療は無事終わる。
イケメンと言われていた高橋医師の治療が終わり、安堵とともに高橋に会えなくなることに対する残念な気持ちを抱いていた鏡子だが、ある日鏡子の働く原島富士雄記念館に高橋が訪ねてくる。

こうして高橋と会うようになった鏡子。
二人の距離は、いつしか縮まっていく。
やがて高橋は、軽井沢で診療のある前日の水曜日と終わった後の日曜日の晩は、鏡子の家に泊まっていくようになる。
そんな日々に幸せを感じていた鏡子だが、ある日、高橋は忽然と姿を消してしまう・・・

小池真理子の小説は、ストーリーよりもその文章が好きで読んでいる。
しかし、この作品はストーリーにも引き込まれる。
なぜ、高橋は鏡子の前から一切の連絡を絶って姿を消してしまったのか。
再び危うくなる自分の精神状態の均衡を何とか保ちながら、諦めきれない鏡子はわずかな手掛かりをもとに、高橋の行方を捜しはじめる。
そんな展開が、何となくミステリーめいている。
そして少しずつ明らかになっていく真実・・・

タイトルにある「モンロー」とは、マリリン・モンローのことであるが、この物語ではある人物のことでもある。モンローの自殺と言われる死因にはいまだに他殺説もあり、そして晩年には専属の精神科医がいたという。ストーリーと絡めながら、そんな「モンローの死」が物語の転機となっていく。
このあたりは、ストーリーの妙も味わえる。
そして意外な失踪の真相と、深い余韻の残るラストシーン。

久しぶりの長編は、いつもの文章だけでなく、味わいあるストーリーも相まって満足できる内容。
やっぱり読むのはやめられないと思う。
55歳の男と59歳の女の恋愛物語など、若者には理解できないだろう。
だが、その年代に近い者としては、十分に理解できる。
まだまだそういう気持ちを抱いていたいとも思う。

こういう物語に触れると、「また次も」と思わざるをえない。
ずっと読み続けていきたい作家である・・・

posted by HH at 22:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 小池真理子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月20日

【カラマーゾフの兄弟】ドストエフスキー



学生時代、いわゆる文学作品を読んだものである。
日本の文豪や海外ではヘミングウェイやブロンテ、セルバンテスやディケンズなどなどである。
ドストエフスキーもその一人で、『罪と罰』も読んで印象深く残っている。
それでも読み漏れたものは数多くあり、暇を見つけては読みたいと思っているが、そうして今回手に取ったのが、「ドストエフスキーの最高傑作」と言われているこの本である。

「兄弟」とあるように、物語の中心となるのはカラマーゾフ家の3人の兄弟。
ドミトリィ、イワン、そして末弟のアレクセイ。
父フョードルは地主であり、長男のドミトリィとの関係はどうもしっくりとこない。
財産の問題や、グルーシェニカという女性を巡って対立しているのである。
金と女という二大欲で対立しているところに、この親子の根本的な問題がある。
それにしても、金はともかく、女を巡って父子で対立というのも、いかがなものかと思わざるをえない。

次男のイワンは中立的だが、どうも心を病んでいるところがある。
事実、物語の終盤ではそれが明らかになる。
一番まともな末弟のアレクセイは修道僧で、そこがこの問題ある一家の唯一の救いかもしれない。
ドミトリィは、一方でカテリーナという婚約者がいる。
カテリーナは、ドミトリィを見限りつつもまだ未練もあるような様子で、にもかかわらずイワンにも接近する。
アレクセイは、敬愛する修道院の長老ゾシマの具合が悪く、家族と修道院とで心配を抱える。

カラマーゾフ家には、スメルジャコフという使用人がいる。
母親は気がふれた乞食で、父親はフョードルだという噂もあり、カラマーゾフ家は物語に相応しい混沌に溢れかえっている。
登場人物が多様で、それに合わせたサイドストーリーも実に複雑な気がする。
そんな中で、父と長男の対立を中心に物語は進んでいく。

物語は、上・中・下と3巻に分かれる大作。
長いのは苦にならないものの、物語は会話で構成され、そしてこの会話が実に冗長。
シェイクスピアもそうであったが、この物語も同様である。
そしてこの会話が回りくどくて読んでいて疲れてしまう。
「ドストエフスキーの最高傑作」と期待していたものの、読んでいて苦痛を感じてしまったのは事実である。

最高傑作であることや評価が高いことは否定するつもりはないものの、正直言って期待したほどではなかったと言える。
個人的に書評家でもないし、所詮素人だし、大作家の傑作の良さなどわかる訳もない。
素人一人が批判したところで、どうということもあるまい。
恐れずに言えば、子供達に勧めたい本だとは思わない。
「罪と罰」には感じるところは多かったが、この作品はイマイチであった。

これはこれ。
次はトルストイにいきたいと思う。

posted by HH at 23:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 長編ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月14日

【声優魂】大塚明夫



第1章 「声優になりたい」奴はバカである
第2章 「演じ続ける」しか私に生きる道はなかった
第3章 「声づくり」なんぞに励むボンクラどもへ
第4章 「惚れられる役者」だけが知っている世界
第5章 「ゴール」よりも先に君が知るべきもの

著者は声優。
最近は、吹き替えで洋画を観る機会も少なく、アニメもまたしかりだし、ましてやゲームなどやらないし、というわけで著者の声にほとんど記憶にないのだが、唯一『攻殻機動隊』のバトーの声だけはなんとなくわかるという程度の認識であった。

そんな著者は、冒頭でいきなり「声優になるのだけはやめておけ」と語る。
「声優になるためには、声優学校に通って」と何となく素人でも思うが、「声優ほどハイリスク・ローリターンな生き方も稀」と著者は言い切ってしまう。
されど、それも説明を聞けばなるほどと思う。

一つには、「声優の数」と「仕事の数」のアンバランスだという。
昔は50の椅子を50人で争っていたのが、今は300の椅子を1万人以上で争っている状況だという。
声優は自分から仕事を作れないのが特徴で、仕事は「待っていることしかできない」というが、それは確かにそうだと思う。
作品がなければ、出番もないわけである。

そんな著者はなぜ声優になったのかと言えば、もともと父親が役者であり、大学中退後様々な仕事を経験したあと文芸座の門を叩いたのだという。
つまり役者としてスタートしたわけである。
そしてラジオドラマ出演を機に、声優の世界へと入って行ったようである。
人との出会い、仕事の流れから声優の世界に入り、役との出会いがあって成功したというのが経歴のようで、だから「こうしたら成功できる」という方程式などないのだろう。
著者なりの正直な気持ちだろうと思う。

「良い声だったら成功できるのでは」と思わなくもないが、著者はそれも否定する。
声優の仕事は「役づくり」であって、「声づくり」ではないと語る。
「人が本当に『良い声だ』と感動するのは、芝居自体がその人の胸に刺さった時」だと言うのは、その通りなのだろう。
「台本に書いてある通りに言っていても、人の心にはひっかからない」
「声優だから声が良くないとダメ」という事でないという事は、素人でも納得できる。

「声優になりたいから声優学校へ」というのは、間違いだと著者は断言する。
それは、「それが一番安全で確実な道だから」ということだろうが、「『安全策』として学校を選ぶ人はその時点である種のステレオタイプを選んでいる」という指摘はもっともだ。
しかし、世の中にはその安全策を求める考え方が、声優の世界以外にも一般的だ。
「ガンダムを一機作るより、量産型ザクをたくさん揃える方が安上がりだし手間もいらない。しかし、ザクで世の中は変わらない」という言葉は、実に深いと思う。

単に声優の世界のあれこれだけではなく、世の中一般に広く通用する考え方が溢れていると思う。
「作品作りにおいて『こうしたい』という意志を明確に持ち、それをはっきり役者にも打ち出してくれるデイレクターに会う機会が減ってきた」という言葉は、今のサラリーマン全体に当てはまることではないかと思う。

声優になることは勧めないという著者の言葉は本心だろうと思う。
だから飛び込むには覚悟が必要だということではないだろう。
声優になりたいと思う人は、まず耳を傾けるべき内容ではないだろうか。
子供が将来「声優になりたい」と言ってきたら、読ませたいと思う本である。
それだけに留まらず、書かれていることは世間一般にもヒントになりそうなこともある。
やはり一つの道を極めた人の言葉には重みがある、と改めて思う。

声優になるならないではなく、得るもののある一冊である・・・

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2015年10月08日

【なぜ今LOWSONが「とにかく面白い」のか】上阪徹



Chapter 1 「驚きのスイーツ」はいかにして生まれたか?
Chapter 2 そもそもコンセプトが違う「MACHI caféコーヒー」
Chapter 3 実は「保存料ゼロ、合成着色料ゼロ」製造工場の挑戦
Chapter 4 自社出資の農場から野菜を直送「ローソンファーム」
Chapter 5 「健康」に配慮された食品がなにげなく、続々と
Chapter 6 「Ponta」データ分析でリアルな消費行動を読み取る
Chapter 7 一点集中主義、「これぞローソン」を作りたい
Chapter 8 共存共栄を目指す対等なパートナー「FCシステム」
Chapter 9 「お客さまに来ていただくのではなく、お客さまに近づく」
Chapter 10 ローソン誕生40周年「180日プロジェクト」
Chapter 11 ローソンは、コンビニはどこへ向かうのか?

著者は、『成城石井はなぜ安くないのに選ばれるのか』『弁護士ドットコム困っている人を救う僕たちの挑戦』の著者でもあるフリーのライター。
どうやらこの手の” 企業モノ”が得意な方のようである。

普段利用するコンビニと言えば、セブンイレブンかファミリーマートという私であるゆえに、ローソンの品揃えについてはあまり知らなかった。
だが、それはちょっと損していたのかもしれない。
はじめに紹介されるのは、「驚きのスイーツ」と言われる「ローソンプレミアムロールケーキ」。
140種類の生クリームから選び抜かれた3種類の生クリームのブレンドで、女性の圧倒的支持を受けて人気商品となっているという。

「添加物を使わない」低糖質の「ブランパン」は、血糖値を気にする人に喜ばれているという。
そして今ではどこでもやっている「店頭コーヒー」は、ローソンでは店員さんが淹れてくれるという点で、他のコンビニとは異なる。
それは機械まかせだと、サービスが行き届かなかったり、ミルク系のコーヒーが出せなかったりするためだという。
そんな店員さんが淹れるローソンの「MachiCafeコーヒー」のスタートは、セブンイレブンより早かったらしい。

一日3万食以上の弁当、18万食のおにぎりは、こだわりの米を使う。
ローソンファームで作られた野菜を直送する。
おでんの大根は、畑で抜いて1時間以内に工場に運ばれるという。
「コンビニ弁当」と言えば、「それなり」と思っていたが、ここまで拘られるともうバカにできないものがある。

旬にあまおうのいちごを使ったサンドイッチは、ものすごい人気だという。
国産の高級魚を使ったおにぎりとなると、これはもう食べてみるしかないと思う。
牛ハラミのおにぎりもしかり、である。
私も持っているPontaカードで、顧客のリアルな消費行動を分析して活かしているらしい。

以前は、搾取されているかのようなフランチャイズ経営も、ローソンでは対等なパートナーシステムが導入されているという。
コンビニで唯一ミステリーショッパーを導入し、加盟店の自由度も高いようである。
ヘルスケアへの取り組み、介護相談窓口の設置など、進化は続いている。

社長は元慶応ラグビー部の玉塚氏。
現役のプレーヤーの頃から知っていて(もちろんテレビで、だ)、親近感もある。
これからもう少しローソンの利用を増やしてみようかと思っている。
と言っても、私の行動範囲内に店舗が少ないのがネックだ。

『成城石井はなぜ安くないのに選ばれるのか』もそうだったが、こういう企業研究モノは、個人的に大好きである。
自らの仕事にも何か応用できないかと考えてみたりする。
役立つか役立たないかももちろんあるかもしれないが、単純に好きで面白いと思う人にはいいかもしれない。
また、別の企業を採り上げてほしいと思ってみたりする。
そのあたり、是非期待したいと思わずにはいられない一冊である・・・

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2015年10月03日

【いい仕事をしたいなら、家族を巻き込みなさい!】櫻田厚




はじめに モスはいつも「家族」に助けられてきた
第1章 家族的なつながりが、現場を強くする
第2章 家族的なつながりが、強い会社をつくる
第3章 家族的なつながりの中で、会社や社員を成長させる
第4章 家族的なつながりから、働き方を考える

著者は、モスバーガーの会長兼社長。
例によって経営者の本が好きなことから、手に取った一冊である。
モスバーガーは、著者の叔父が創業する。
そして著者は、第1号店である成増店にアルバイトとして入社し、そのまま社長まで上り詰めたという。

「はじめに」は、そんなアルバイト時代の話から始まる。
著者は、とにかく周りの人から何でも学ぼうと心掛けたという。
「その気になって見てみれば、自分のまわりに仕事を教えてくれる『先生』はたくさんいる。」
「人から学ぼうという姿勢が成長につながる」という言葉はまさにその通りで、自分の子供たちにも教えたいことである。

そんな成増店の目の前に”黒船”マクドナルドが出店してきたというエピソードは、既にどこかで聞いたものである。
当然ながら最大の危機だと思っていたらしいが、蓋を開けてみればマクドナルドの開店から3日間は過去最高の売り上げを達成したという。
それまで利用していたお客さんが危機感を持って来店したようである。
ここまで行けば、「本物」だろう。

そんな強さの根源は、「家族的なつながり」だという。
モスはフランチャイズも展開しているが、その加盟のハードルは高いらしい。
優先するのは、「オーナーの家族のしあわせ」。
理念の共有を求め、家族を仕事に巻き込む覚悟を求める。
約3,000の加盟希望に対し、開店できるのは30だとか。
それだけで、そこに利益追求優先のスタンスがないことがわかる。

とにかく「人」重視のスタンスが込められている。
人間関係をよくする5つの自戒が紹介されているが、それは、
1.ウソをつかない
2.約束を守る
3.でたらめをしない
4.ごまかさない
5.人を裏切らない
と、実に簡単ではあるが、このシンプルな原則のなかにこそ真実はあるのだろう。

人間関係をよくするには、自分の失敗談も有効だとする。
確かにトップはそれだけでも話しかけにくいもの。
さらに、
「やりたいことを邪魔しているのはいつも自分」
「ラクな生き方こそ、最もリスクが高い」
「経営者の成長が止まると、社員の成長も止まる」
「話が続かないのは、あなたの好奇心が不十分だから」
といった言葉が続く。
どれも深い経験に裏打ちされており、なるほどその通りと素直に思える。

経営者の話であるが、何をどうすれば儲かるなどということは書いていない。
理想の店長として7つの特性を上げているが、「すば抜けた笑顔、やさしい表情、人の話によく耳を傾ける、誠意を感じる話し方をする、早起きする、自分の苦手なことから逃げない、メモを取る」とこれも実に簡単である。
タイトルをそのまま取れば、家族を巻き込めということになるが、実は「社員と家族のようになれ」ということに他ならない。
7つの特性もそのために必要なことと理解できる。

本当にそのような関係になれたら、会社もみんな来るのが楽しみになるだろう。
会社を経営している人、あるいはそれに近い人は、是非意識してみたいことだろうと思うのである。
いろいろとヒントに溢れる一冊である・・・

  
posted by HH at 19:10| Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネス/経営者の本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする