2015年11月06日

【逆説の日本史21】井沢元彦 読書日記599



第1章 1865年編-“犬猿の仲”薩長を接近させた坂本龍馬の秘策
第2章 1866年編-天才・高杉晋作とミニエー銃が帰趨を決した「四境戦争」
第3章 1867年編-孝明帝の死と「倒幕の密勅」の衝撃
第4章 1868年編-江戸百万の人々を救った慶喜の「大功績」

シリーズ21巻。
時代は1865年に入る。
明治維新まであと2年。
高杉晋作、西郷隆盛、岩倉具視といった“歴史の教科書の面々”が惜しげもなく登場する。
攘夷への過激なエネルギーに燃える長州藩の中で、世界の現実を知り、密かに攘夷を捨てた高杉晋作は、功山寺で決起する。
わずか84人の決起であったが、時代の波は高杉晋作の背中を押す。

完全攘夷の考え方が支配する長州藩内で、「開国」を口にすれば斬られると分かっている高杉晋作の言動は、歴史学者のように「公式発言」だけに注目していてはわからないと著者は説く。
この辺りは「逆説シリーズ」の真骨頂である。
蟄居していた岩倉具視が動き出す。
坂本龍馬は、日本初の貿易商社「亀山社中」を設立し、長州藩のため薩摩名義で武器を購入し、まさに歴史的な薩長同盟の動きへとつなげる。

1866年。
ついに薩長同盟が成立する。
しかしそれは内容的には「同盟」と呼べるようなものではなく、せいぜい「合意」または「盟約」とでも呼ぶべきものであった。
さらにその盟約に坂本龍馬が、「保証人」となる。

幕府は、第二次長州征伐に乗り出すも、朝廷とのやり取りで時間を空費し、さらにその間に14代将軍家茂が亡くなる。
そしてついに、幕府軍は長州への攻撃を開始し、四境戦争となる。
だが、最新鋭のミニエー銃で武装した長州藩は攻撃力も士気も高く、旧装備の幕府軍を敗走させる。
さらに絶対的に優位だった海軍も、高杉晋作の奮闘により、撤退することとなる。

そして1867年。
家茂の死後、5か月経過し、ようやく慶喜が15代将軍に就任する。
「二心殿」と言われたおよそ信念あるとは言えない将軍慶喜。
坂本龍馬は「船中八策」を発表し、大政奉還のアイディアを土佐藩の山内容堂へ伝える。

徹底して攘夷派だった孝明天皇が、天然痘で死去するが、これが開国への道を開く。
この頃、すでに種痘が一般的に行われていたのだが、ケガレを嫌う皇族はこれを行わず、天然痘で死んでしまうというのは、なかなか興味深い事実である。
こんな細部も、歴史の事実としては面白い。

ついに迎えた1868年。
鳥羽伏見の戦いで幕を開け、「王政復古の大号令」へと続く。
有名な錦の御旗や江戸城無血開城をめぐる慶喜の言動も、これまでのイメージとは異なる。自らの保身に躍起となるが、実はものすごい強運の持ち主とも言える。
およそ武士とは言えぬ保身こそが、逆に江戸庶民を戦火から救ったという皮肉。
武士の一分を通して、領民を奈落の苦しみに落とした会津藩主松平容保との違いがなんとも言えない。

大きな歴史の流れに加え、明治天皇がすぐに即位しなかったエピソードなど、細かい事実も興味深い。
歴史好きにはたまらないシリーズ。
まだまだ続くようだし、次もまた多いに期待して待ちたいと思うところである・・・

posted by HH at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする