2016年01月23日

【人は、誰もが「多重人格」】田坂 広志 読書日記623



序文 なぜ、このような本が生まれたのか?
第一話 人は、誰もが「多重人格」
第二話 「表の人格」が妨げる才能の開花
第三話 「隠れた人格と才能」を開花させる技法
第四話 「豊かな人間像と人間性」を開花させる技法

著者は、様々な肩書きを持つ一方、著作活動も盛んな方のようである。
そんな著者が講演の中で語ったことを基にして、この本が生まれたようである。
人には様々な顔があるのが普通だが、それをこの本では「人格」と称している。
例えば普通のサラリーマンでも、「会社での仕事中の顔」、「仕事が終わった後(アフター5)の顔」、「家庭での顔」とあるが、それらを「人格」としているのである。

一例としてイチローのインタビューが紹介される。
10年連続200本安打に挑戦中に、「大変なプレッシャーですよ・・・一方で、そのプレッシャーを楽しんでいる自分もいるのです」と語ったのをして、二つの人格がバランス良く存在しているとする。

また、一流の経営者ともなれば、
・全社員の前で会社の将来ビジョンを語る「ロマンと情熱を持った人格」
・経営会議で経営陣を前にした時の「数字の鬼」とでも呼ばれる人格
・若手社員に対しては「優しい親父」と言った人格
・幹部やマネージャーに対しては「強いリーダー」
という人格を使い分けていたりるするものだという。

そうした人格を自覚しているのであれば、自分の中にある「複数の人格」を自覚し、置かれた状況や立場によって「異なった人格で対処する」ということを意識的に行えれば、自然に「様々な才能」が開花するという。
これを「多重人格のマネジメント」としている。

また、実際に人と会っている時だけでなく、ビジネスメールの中でも「冒頭」「本文」「末尾」と人格を使い分けられるという。
こうした「使い分け」には「精神的な基礎体力」が必要なのだそうである。
そして、「人格」は、誰の中にも「すべての人格」が潜んでいるとのことで、これらの「人格」は、「後天的に形成」されるため意識的に育てていけるものだという。

人にはいろいろな考え方があって、何が正しいということはない。
著者のこの「人格説」も、要は考え方であって、それを否定すべきものではない。
ただ、個人的にすんなり腹に落ちるか否かと問われれば、「どうもピンとこない」というのが正直な感想である。

わざわざ「人格」などと定義されなくても、人は誰でも相手によって態度を変えたり、かしこまってみたり、硬い表現や柔らかい表現を織り交ぜたりすることはある。
それを「人格を使い分ける」と言われても、しっくりとこない。
こういう感覚は個人的なもので、もちろん、しっくりくる人もいるだろう。
そこは、個人の感覚で判断するしかない。

これはこれで一つの考え方として理解するのであれば、それもいいという話である。
残念ながら、私には合わなかったと言える一冊である・・・


posted by HH at 14:46| Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネス/自説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする