2016年07月30日

【貯金兄弟】竹内謙礼/青木寿幸



第1章 大卒の生涯年収が、高卒の生涯年収よりも、3000万円も低い理由
第2章 給料も人並み、お金を貯める気もあるのに、なぜ、口座残高はゼロなのか
第3章 生命保険は人生で住宅の次に高い買い物、だからマジメに選びなさい
第4章 住宅ローンは固定金利と変動金利、どちらがトクなのか
第5章 家を買った方が、賃貸よりも本当に“正解”なのか
第6章 老後にいくらの貯金があれば、安心できるのか

 元銀行員としては、会計系の話は好きである。これまでもその手の本はずいぶん読んできた。そんな私が、この本については書評とかで何となくその手の本と理解していたので、以前よりチェックしていたもの。ようやく読む機会が巡ってきた次第である。

 登場人物は、二人の兄弟、横田宗一郎と翔太。子供の頃に、義父に虐待されて育つという不幸を味わう。義父は、ある火災事故によって大やけどを負い、同時に虐待が発覚して兄弟は施設で育つ。不幸な生い立ちがあってか、二人は兄弟ながら金銭感覚については、普通の人より過剰になるが、その方向性は真逆となる。兄の宗一郎は母親の残した生命保険で大学を卒業し、一流の広告会社に就職。営業経費をたくさん使い、営業成績を上げながら派手な生活に傾いていく。

 一方、弟の翔太は、高校を卒業するとすぐ消防士になる。その理由がすごい。すなわち、大学へ行けば、その間の学費や諸費用等々で1,000万円かかり、年収500万円とすると、遺失収入は4年間で2,000万円、合計で3,000万円もあるという。公務員の安定度を考えると、大卒のほうが有利とは言い切れないとする。まぁその内容の是非はともかくとして、発想としては面白い。

 その後、各章がそれぞれ前章の5年後を舞台としており、兄弟それぞれの5年間の変化が描かれていく。兄の宗一郎は、大手広告代理店電報堂でメキメキと頭角を表す。接待の毎日で生活は派手。接待費の立て替えで懐が厳しくなると、先輩のアドバイスを受けクレジットカードを利用し、消費者金融を利用しと、便利なツールで資金を賄っていく。弟の翔太は、異常すぎる倹約生活で、職場でも奇異な目で見られる。お金に関するメッセージとしたいという意図なのだろうが、二人の兄弟は両極端で、どちらが良いとも言い切れない。あえて選ぶとすれば、兄の方であろうか。

 社会人となると、生命保険に加入することを誰でも考える。職場にセールスレディが来たりするが、かつては私もあまりよく理解しないまま、勧められるままの定期保険に加入したものである。ここでは賢い弟がその知識を披露し、兄宗一郎はスノーボードで怪我をした恋人に対する対応から、弟の宗一郎に恋人を取られてしまう。

 互いに結婚すれば、子供もできる。子供の教育という点でも、お金は重要である。兄弟2人の子供に対する教育についての考え方も対照的である。そして究極は住宅。住宅ローンをどう組むか、手元資金をどう用意するか、税制との絡みもあって人生で最も大きな買い物と言っても良い。そんな互いに異なる2人の意見に耳を傾けることは、これからローンを組んで家を買おうという人は参考になるであろう。

 こうして、この本は物語形式で進んでいく。会計の知識という意味では、「ごく初歩的なもの」ではあるが、身についていくだろう。しかし、肝心の物語としては正直、あまり面白くない。義父が会いたいと何度もコンタクトしてくるが、その伏線がうまく生かされていないし、弟の「超能力」の存在も疑問だ。もう少し、自然なストーリーにしたら一般人にも身近な会計知識の本として良かっただろうと思う。

 年老いた2人の兄弟の姿を見て、結局どっちが良かったかと問われれば、「兄の方」と答えたい。されどそれも「どちらかといえば」の話であり、この兄弟の姿から描けるもっと理想的なあり方もあったはずである。それが提示できたら、もっと良かったのにと個人的には思わざるをえない。関連した著者の他の本があって、それぞれ面白そうでチェックしているのであるが、この本を読むとちょっと読むかどうか躊躇してしまうのも事実である。

惜しいなぁと思わざるをえない一冊である・・・

   
  
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2016年07月28日

【すごい手抜き−今よりゆるくはたらいて、今より評価される30の仕事術−】佐々木正悟



なんとなく、タイトルに惹かれて手に取ってみた一冊。普通、「手抜き」と言えば悪い意味で考える。それをあえて否定してかかるわけであるから、そうした部分でも興味を持った次第である。冒頭、「手抜きを仕事に活用してこそ一流と言える」と著者は語る。「ここぞというところで実力を発揮できるという人は、ここぞでないところで巧みに力を抜いている」と。なんとなく、わかったようなわからないような説明である。

著者は、「手抜き=悪」の殻を破ってみると主張する。と言われても、「手抜き=悪」の概念にすっかり染まってしまっている私としては、なかなか洗脳から逃れられない。しかし、著者が主張している「手抜き」とやらに、だんだん違和感を感じてくる。

・うまく手を抜くという中には、他人に任せるべきことは他人にやってもらうことも含まれる
・計画よりもはじめの一歩。(気楽に)手を抜いてとにかく最初の一歩を踏み出す
・なんでもすぐ「手抜き」だと決めつけないでおく
・仕事とは足りない部分を互いにカバーしあうこと・・・

言っていることは、極めて当たり前のことである。そして先に感じた違和感の正体に気がつく。「当たり前のことをなんでも『手抜き』としてしまっている」と。「他人に任せるべきことは任せる」ということは、マネジメントの問題であり、それは「手抜き」でもなんでもない。仕事はチームワークである。「なんでもすぐ『手抜き』だと決めつけないでおく」との著者の主張は、違う意味で著者自身に当てはまる。それは「手抜き」とは言わないだろう、と・・・

著者は、一方で「完璧主義=悪」と決めつけている。例えば仕事を完璧にこなそうと、早め早めに取り掛かるが、結局早めたぶん余計な仕事をしてしまうという例を挙げ、「完璧主義」はダメと決めつけているが、普段早め早めに準備してつつがなく仕事をこなしている私は、完璧主義とは思っていないが、相手のためにより完璧に準備するのは当たり前の行動だと思っている。「完璧主義」も決して悪くはない。

また、仕事に「優先順位」をつけるのは当たり前のことであるが、著者はこれも「大事なこと以外手を抜く」として「手抜き」にしてしまう。当たり前だが、これは手抜きではない。「完璧主義の人はあらゆる不安要素を取り除いておかないと安心できない」として、少し気楽に構えることを勧める。自分で自分にアドバイスするようにと語るが、ここでもリラックスを手抜きと称している。当然、リラックスは手抜きではない。

結局のところ、著者にかかれば何でもかんでも「手抜き」にしてしまっている。これは如何なものかと思わざるをえない。内容的には、ビジネスでは当たり前の心得だったりするものを、無理やり「手抜き」と称しているわけである。そうした論理展開が見えてくると、従来の自分自身の「手抜き=悪」の概念は揺るがないものになる。下手に誤解を招く表現を苦々しく感じる。それってどうなのだ、と。

まぁ、内容を表すが如く薄っぺらい本であったのが、唯一の救いであったと言える。「手抜きはやっぱりダメだ」と意を強くした一冊である・・・

   
   
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2016年07月24日

【儲けすぎた男 安田善次郎】渡辺房男



序章  東大安田講堂
第1章 鰹節と一文銭
第2章 金貨銀貨を集めねば
第3章 維新の嵐
第4章 太政官札を買い占めろ
第5章 円が生まれる
第6章 公金を手に入れろ
第7章 公債を買い占めろ
第8章 我が安田銀行
終章  栄光、そして不慮の死

安田善次郎と言われても、正直ピンとこないが、江戸から明治にかけての激動期に商人として財をなし、現みずほ銀行や明治安田生命保険などの企業グループの礎を築いた人物である。同時期の同じように三菱グループを創設した岩崎弥太郎や渋沢栄一などと比較すると、なぜか知名度が劣るが、それは政治家とあまり関係を持たず、表に出てこなかったからかもしれない。ともあれ、現在も東大の安田講堂にその名の残る人物を少し知りたくて、手に取った一冊である。

安田善次郎は、富山の下級藩士の家に生まれる。父親が苦労して藩士としての身分と姓を手に入れたが、実態は田畑を耕し、城下町でそれを売り歩いて生計を立てている身分。武家としての誇りだけが自慢のような生活に絶望し、善次郎は家を抜け出して江戸へと出てくる。そして両替屋で下働きを始め、身を粉にして働き、ようやく店を構えるまでになる。

当時の両替屋は、要するに小銭への両替をするところであったらしい。現代のようにお金が巷にあふれていて、小銭がなくて困るということは万札の使えない自動販売機くらいだし、店に行ってもお釣りがないなどということはほとんどない。しかし当時はお金の発行量も多くなかったのであろう、小銭もある程度用意しないと日々の買い物もできなかったようで、そうした小銭への両替を手数料を取って行っていたようである。

もともと志が違うから、商売に対する気持ちも違う。店に来る客を待つばかりではなく、両替ニーズのあるところには、荷車を引いて出かけて行ってそのニーズに応える。なんであっても、いつの時代であっても商売の鉄則は同じである。そして両替屋には、真贋判定というのも求められたようで、善次郎は修行時代にこの能力を磨き上げる。こうした「差別化」が商売に役立つのは、現代もなんら変わらない。

こうして次第に商いを大きくしていく善次郎だが、決して順風満帆というわけではない。江戸末期の社会の混乱の中で治安も悪化し、押し込み強盗が広まる。商売を中止する同業者を横目に、善次郎は店を開け続ける。やはり強盗に入られたりするのであるが、あらかじめ用意していた損害で切り抜ける。また、崩壊しつつある幕府の要人から古金、古銀の回収を頼まれ、治安の悪い中、大金を預かる決断をする。要所要所でのこうした決断が、善次郎の飛躍へとつながる。やはり、リスクを恐れていては、事業の拡大は覚束ない。

明治政府となり、紙幣が発行されるようになるが、この時の決断も後で大きくモノを言う。まだ金銀こそ価値があると信じられていた時代、紙の紙幣を誰もが信用しきれない。政府が流通を促そうとしても、値崩れが止まらない太政官札を善次郎はあえて両替に乗り出す。値が戻らなければ大損だが、値が戻れば大儲けできる。時代の流れを読んだ善次郎は、この勝負に勝利する。歴史を後から振り返れば、簡単な決断でも当事者の目から見れば危険な橋。こうした事例は、現代でもありふれている。

こうした勝負に勝ち続け、また人脈にも恵まれ、善次郎はやがて自らの銀行を開業させるまでになる。国立銀行が次々と開業されていく様子や、三井・三菱・住友といった財閥が、それぞれの功績者の下で発展していく様子が背景で描かれ、歴史の教科書としても役立つところがある。単なるエンターテイメントにとどまらないところが、この本の面白いところだろう。

歴史の教科書としても、ビジネスストーリーとしても、あるいは単なるエンターテイメントとしても楽しめる内容である。我が国近代黎明期の偉人伝としても、一読の価値はあるだろう。個人的には、ビジネスの先達の教えの本と位置付けたい一冊である・・・

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2016年07月23日

【人を動かす人になれ!】永守重信



序章  「一番以外はビリと同じ」と考えろ!
第1章 「人を動かすのがうまい人」のこのやり方
第2章 指示の出し方-何をどう話すか
第3章 叱り方、褒め方@-人を動かすこのノウハウ
第4章 可能性を秘めた人間を見抜く、育てる
第5章 女性、中途採用-相手によって手法を変えろ!
第6章 叱り方、褒め方A-“部下”を動かすこのルール
第7章 理屈で人は動かない!だから-
第8章 リーダーの敵は、妥協である
第9章 組織を動かす人が絶対知らなければならない「考え方」
第10章 一回でダメなら、二十回続けよ

著者は、日本電産の創業者。今や日本の優良大企業でもある日本電産を成功に導いたというだけでなく、業績不振に陥った企業を次々と再生させているその手腕でも有名であり、そのエッセンスの一部でも知りたいと手に取った一冊。1998年ともう20年近く前の本であるが、内容に古さはまったく感じられない。この点、経営のエッセンスというものは、ある程度普遍的とも言えるのではないかという気がする。

最初に、経営者はどんな状況にあっても、「アイ・アム・ファイン」と言えないといけないという。これは大事な心得だと思う。そして「二番というのは一番の次ではない」という強烈な負けず嫌いと、「人を動かす人間に土日も盆も正月もない」というこの本を貫く猛烈精神が続く。

会社も人も二つのバランスで動いているという。勝ちと負け、成功と失敗、苦と楽、温情と冷酷、褒めることと叱ること。特に「叱ること」については、この本で繰り返しその効能と方法が語られる。個人的に「叱る」のが苦手な私としては、理解はできるものの、実践は難しいと感じてしまう。

「仕事ほど楽しいことはない」と語る著者は、言葉通り週7日、年365日働いているという。「物事を実現するか否かは、まずそれをやろうとした人が“できる”と信じることから始まる。自ら“できる”と信じたときにその仕事の半分は終わっている」と語るが、これはよく理解できる真理である。

部下の指導については、全体としてかなりページが割かれている。「能力の差は5倍でも意識の差は100倍まで広がる」という言葉は、以前から知っており意識しているが、この本が出典だったようである。
・「部下が使えない」というのは、自分に問題があると思え
・部下は上司を映すカガミ
・(いい部下が)「欲しい」ではなく、自分自身の器を大きくして力を引き出してやらなければ、一流の部下は育たない
・社員のやる気を引き出す最大のポイントは、その仕組みづくりと管理者の意識改革
・人づかいに自信のない管理者は、まず部下と感動感激を共有するところからはじめるべき
総じて、「部下は育てるもの」という考え方が根底にあるようである。それはその通りだろうと、こういう方が主張しているだけに改めて思う。

「加点主義の風土がやる気を引き出す」とする。これは、「言い出した人が損をする」という傾向が強くなる減点主義と対をなす考え方で、チャレンジして失敗した人が、何もしない人より評価されるということであり、これはわが社でも見習いたい考え方である。
「相手の土俵で自分の相撲を取る」という言葉は、それだけでカッコ良く響く。「仕事も人材もベストではなく、ベターを追求せよ」というのは、実に合理的である。

求められる人材として、
1. 野心のある努力家
2. プライドのある情熱家
3. やり抜くネアカ
4. 負けず嫌いの耐心家
5. 経営感性を持つ細心家
と説明されているが、なるほどと思う。自分は自己分析では、2に近いと思う。

日本電産の三大精神は、まさに著者の精神の集大成だろう。
1. 情熱、熱意、執念
2. 知的ハードワーキング
3. すぐやる、必ずやる、できるまでやる
個人的に、2が気に入った。

独立にあたってついてきた部下と4人で創業した企業が、この本の時点で25年、現時点で43年経過して、日本を代表する企業になり、著者も日本有数の名経営者であるが、そこに至る考え方がそこかしこに溢れている。真似したいところ、とても自分には真似できないところ等多々あるが、ページごとに学ぶべき点は多い。古い本ではあるものの、実に有意義であると言える一冊である・・・

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2016年07月20日

【持たない幸福論】pha



第1章 働きたくない
第2章 家族を作らない
第3章 お金に縛られない
第4章 居場所の作り方

著者はちょっと変わった人物。京都大学を卒業して就職するも、「働きたくない」と言って仕事を辞め、以来最低限の生活費を稼ぎながら自由に暮らしているという。そんな人物が、自らの胸中を語った一冊。「人は働かねばならない」と基本的に考える私にとって、一瞬「とんでもない人物」と思えた。世の中、「働かざるもの食うべからず」である。だが、この方、働いていないわけではない。とりあえず先入観だけでなく、読んで判断しようと読破した次第。

気になるのは、「やはりどうやって生活しているか」だ。基本的な収入は、ネットでものを書いたりしてわずかな収入を得ているとのこと。年収百万円前後というから、まぁそのくらいは稼げるのかもしれないと思う。住まいはシェアハウスで、従って家賃は格安。贅沢をしなければ、十分やっていけるようである。肉体労働で稼いでいると、年取って体が動かなくなったらという懸念はあるが、PCに向かう仕事であれば、とりあえずその心配はないのだろう。

もともと無欲なようで、欲しいものがあるわけでもなく、家族も不要らしい。子供も「人間は遺伝子の運び屋ではない」としている。子供を育てたいというのは、有力な生き方の選択肢の一つであるが、そうでなくてもいいというのは、その通りだろう。実際、望んでいても子宝に恵まれない人もいるわけである。

「働きたくない」と聞くと、なんだか怠け者のように聞こえてならない。だが、今はかつてのように社会も「人の生き方を包括的に支えてくれる力」を失っており、人それぞれが自分にあった生き方を考えられるという。「今までの歴史の中で一番なんでもできる自由な時代」と逆に説得されてしまうところがある。それは確かにその通りであろう。この方、さすが京大出だけあって、言葉を持っている。

考えてみれば、恵まれた社会であるとはいえ、我が国は年間3万人もの自殺者を生んでいる国である。その理由は人それぞれだろうが、著者の説明する社会と自分とを肯定・否定で四つのマトリクスに分けた考え方はわかりやすい。すなわち、「社会肯定・自分否定」(やらなきゃいけない仕事はあるけど辛い)、「社会否定・自分否定」(自分はもうダメ、仕事も何もかもどうでもいい)は、その説明としてなかなかである。一方著者は、「社会否定・自分肯定」(ひたすら自分の好きなことをしているだけで楽しい)なわけで、これで生きられるなら、苦しみながら生きるより、あるいは命を絶つよりいいとも言える。

「『幸せ』とか『意味』を感じられる手がかりになりそうなものは何でもいいから利用して自分がうまく生きられる世界を作り上げればいい」という主張は、それはそれで一つの立派な考え方である。実際、著者はうまく社会と折り合いをつけている。今は「男がお金を稼いで女が家庭を守る」という生き方から外れることもそれほどハードルが高くない。それを主張する「頭の古いおっさんはほっとこう」と気楽だ。

従来の価値観については、「少しずつ改造してアップデートしていくしかない」と考えられれば、こういう生き方も楽かもしれない。事実、シェアハウスについては可能性を言及していて、例えばシングルマザーなんかと一緒にシェアハウスで暮らせれば、「子育てを手伝ったりできて面白そう」と屈託がない。それも考え方次第だ。

著者はさらに友人と熊野の山中に家を借りていて、都会と田舎を行き来する暮らしをしているという。居場所とは「安心して居られる場所」であり、「合わない人とは棲み分けをする」としている。こうした暮らしぶりからは悲壮感は伝わってこない。たださすがに将来については不安もあるとしていて、「認知症になったらキツい」し、「できれば60代前半くらいにサクッと死んでおきたい」と語る。まぁこのあたりは誰にも同じように当てはまる懸念である。

当初は、違和感・嫌悪感のイメージがあった著者の生き方だが、読んでみればまぁこれも一つの生き方だと思う。ホームレスなんかよりずっといいし、下手に心を病んで自殺なんてするよりもいいだろう。自分に合った生き方をしているなら、他人がとやかく言うことではない。一つの生き方として、真似はしないが立派だと思う。何はともあれ、本一冊書くのは並大抵ではないし、そういう意味では尊敬できるかもしれない生き方だと思うのである・・・

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2016年07月14日

【君の膵臓をたべたい】住野よる



変わったタイトルの小説というのは、そんなに珍しいものではない。ただ、どうしてそういうタイトルをつけたのか、が気になるだけである。そしてそれが、『いま、会いにゆきます』 みたいだと、「お見事!」と唸ってしまうわけである。その意味では、そこまでいかずとも「座布団一枚」という感じがするタイトルである。

物語は、高校生カップルの淡い淡い物語。男の子の方は、氏名ともに「有名作家を連想させる」ような名前だそうなのだが、【秘密を知っているクラスメイト】くんのような【◯◯のクラスメイト】としか出てこない。人と接するのが苦手で、学校でも友達はなく、いつも一人で本を読んでいる。その存在感のなさが、【クラスメイトくん】という呼び名に現れていて、読む方も彼の名前は最後までわからない。

一方の女の子は、膵臓の病で余命一年と宣告されている山内桜良。クラスでも明るくて人気者の桜良だが、病気のことは親友にも打ち明けていない秘密。ところがその胸中を綴った「共病日記」をたまたま病院に来ていた【クラスメイトくん】に読まれてしまう。かくして、【クラスメイトくん】は、家族以外は誰も知らない桜良の不治の病を知ってしまうことになる。

もともと友達もいない【クラスメイトくん】なら知られてもバレる心配はない。しかし、誰にも打ち明けられない病気の話をできるのも【クラスメイトくん】からか、桜良は【クラスメイトくん】をしきりに誘い出す。同じ図書委員をやることにし、焼肉にスイーツバイキングにと誘う。そしてついには福岡まで一泊旅行に出かけていく。「一泊旅行」となると、大人はついつい期待してしまうのだが、それは純情さを失った哀しき性か。

自分の高校時代を振り返ってみると、もっとませていたが、こういう純真な関係というのもあっても良かったと思う。別に否定していたわけではなく、ただ縁がなかっただけなのであるが、ちょっと羨ましくなる。読みながらしばしば高校生だった時代に想いを馳せてみるも、卒業から35年近くも経つと、セピア色の向こうに霞んだような思い出になってしまっている。桜良のようなガールフレンドがいたら、高校生活も一層楽しいものになっていただろう。

最後に【クラスメイトくん】の本名がわかる。それは、彼自身の変化・成長を意味しているのだろうが、考えてみれば上手い演出だと思う。しかしながら、正直言ってちょっと感情移入しにくいところがあった。もう少し素直な展開だったら、個人的には良かったかもしれない。素直に感動できなかったのは、物語の高校生が、「かつての高校生だったことがある身」には遠かったのかもしれないし、単純に受け入れにくいストーリーだったからかもしれない。

とはいえ、「大人過ぎる大人」からすると、眩しいくらいに純粋な物語であるのは事実で、いろいろとストーリーを離れて想像する楽しさがあったのは事実である。「つまらない」というような評価はしたくない。楽しい想像ができただけでも良かったと思う。こういう小説も受け入れていきたいと思う。
もう一度高校生に戻ってみたくなった一冊である・・・


    
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2016年07月13日

【多眼思考】ちきりん



生きること
働くこと
社会
少子化と高齢化と男と女
ゆるく考えよう
ビジネス
ぐろーばりぜーしょん
自立&未来へ

ブロガーちきりんの主張する「自分の頭で考えよう」ということは、とても大事なことである。自分もそうしようと思うが、ついつい誰かのもっともな意見をそのまま受け入れそうになる。もっとも根っからの「へそ曲がり根性」が、それを防いでくれてはいる。それはそれでいいのだが、やはり色々な意見を聞くことは考えることにつながる。その際、この人の意見はとてもいい材料である。ブログもそうだが、本も目につけば手に取っている。そうして6冊目となるこの本は、ツイートを集めたツイート集である。

「こびないこと。憧れないこと。うらやましがらないこと。『すごい』と言われたら『やばい』と思うこと。誇りをもつこと。小さな池で満足しないこと。楽観的に考えること。一足飛びにすべてを手に入れようとしないこと。自分の器を広げること。」
う〜ん、最初から飛ばしてくれる。

「『愚痴を言う』、『他人を嫉む』、『誰かに評価して欲しいと願う』、人生を無駄にしたければ、この3つをどうぞ」
「成長できる会社と成長できない会社があるんじゃなくて、どこで働いても成長できる人と、手取り足取り教えてもらえないと成長できない人がいるだけ」
「昭和10年ごろでも、デキのいい息子に『この子は優秀だから、将来は陸軍士官学校に入って、軍人さんになってほしい』と思っていた親はたくさんいたんじゃないかな。今でも、デキのいい息子に『この子には一流大学から安定した一流企業に・・・』と思っている親がたくさんいるように」
ちょっとシニカルだが、実に本質を突いている。

「人生に大事なのは、『希望』と『コミュニケーション』のふたつ」
「努力すればできるとかいう人は、努力してもどうにもならないレベルのことに挑戦したことがないだけ」
「思考力がある、ないとか言うけど、大事なのはどれだけ考えたか、つまり思考の量」
「すごい人に会って、憧れているようでは話にならない。悔しがらないと」
「頭がいいとかより稼ぐ力のあるほうが、これからの世の中、圧倒的に有利だと思う。」
思わず、そうだなぁ、なるほどなぁと思ってしまう。

「貯金額の世帯平均の都道府県ランキングで1位の東京以外は、香川、徳島、富山、奈良と地方が続くのを富裕層は地方に多いとかまとめてて笑えた。それ貯金額がゼロに近い若者が都会に出てしまうから世帯平均貯蓄額上がってるだけです」
「日本の65歳以上の人口は約3,000万人、北朝鮮の全人口は2,400万人。日本の74歳以上人口は1,609万人で、オランダの全人口とほぼ同じ。スウェーデンの全人口930万人より、日本の78歳以上人口1,085万人の方が多い。」
目の前に提示されたデータを普通我々はそのまま素直に受け取るが、よくよく考えるとそこから違う側面が見えてきたりする。そんな風に考えて見ることも大事である。

「生活保護は不正受給がゼロになっても増加し続ける。日本にはこれしか福祉がないから」
「人間の世話に関して言えば、育児だろうと介護だろうと、最も必要なのはお金ではなく『誰かの時間』」
「ロシアが北方領土を返さないのは、返したら翌年にはそこに米軍基地が造られ、ミサイルが配置されるから」
世の中の問題もよくよく考えると、表面に出ている事実の裏に真実があるのがわかる。そうした真実を見る目を養うことは、努力次第でできるようになるのではないかと思わせられる。

「自民党は『生活保護が貰えるから働く意欲がなくなる』とか言うわりに、企業や産業に対しては『補助金が貰えるから頑張る意欲がなくなる』とは言わない」
「(ブラック企業とは)優秀な若者を抱え込んで、30年後には市場でまったく評価されない中高年のおっさんにしてしまう企業」
「日本から工場がなくなると雇用が確保できないとか言う人って、自分の子供や孫を工場で働かせたい、って思ってるのかな」
「日本もこれからは「アジアに追いつけ追い越せ」を合言葉にしたらどうだろう?誰かに追いつくのとかは、得意そうじゃん?」
ちょっとシニカルなつぶやきも、よくよく考えてみればその通り。そういえば、自分も大田区の町工場がピンチと聞いても、職人の技術の継承が難しいと聞いても、自分自身がそこに身を置きたいとは思わないなぁと思ったものである。誰でも思うことかもしれないが、改めて言葉にすると問題点が浮き彫りになる気がする。

「これから世界の問題を解決してくれるのは、『技術』と『市場』」
そうなのかもしれないと思う。もう国家がどうこうという時代ではないのかもしれない。こうしたこれからの時代、どう考えていくかは大事だ。ちきりんのつぶやきは、「こう考えたらいいんだ」と教えてくれているように思える。自らの考える力を養いたいと思っている人は、参考にすべきであろう。

この人の意見には、これからも注目し続けたいと思わせられる一冊である・・・





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2016年07月09日

【小泉今日子書評集】小泉今日子



キョンキョンといえば、ほぼ同世代の私にとっては、なんてったってアイドル。今は亡きブラウン管の向こう側で華やかなスポットライトを浴びていたのを思い出す。さすがに今はアイドルではなく、たまに映画だとかドラマだとかで姿を見かける存在であった。そんなキョンキョンは、キョンキョンという愛称からしても、「書評」とは程遠い存在であるはずだったのだが、それがなんと立派な書評家だったらしい。

読売新聞を購読していない我が家では、それも無理からぬところなのであるが、小泉今日子はなんと読売新聞の読書委員を務めていたとのこと。さらにそれにとどまらず、「余人をもって代えがたい」と評価され、通常2年任期のところを5期10年務めたという。その文章を読んでみれば明らかであるが、「余人をもって代えがたい」のは、元アイドルという肩書きではなく、書評の実力であるから、これはもう驚き以外の何物でもない。

実際、文章を読むとそれも納得で、選挙で担がれるタレント候補などとは全く異なる、100%実力の結果である。そんな小泉今日子が本を読むのが好きになったのは、忙しかった10代の頃、人と話すのが億劫で、本を読んでいれば話しかけにくいだろうと本を読み始めたからだという。それほど親しくない人と話すのが、やはり億劫な私にはその気持ちがよくわかる。

冒頭の言葉が早速目を引く。10年読書委員をやり、自ら読み返すと、「その時々の悩みや不安や関心を露呈してしまっているようで少し恥ずかしい」と語る。そういうものを込められているのであれば、それは見事であると思う。そして続ける。「でも、生きることは恥ずかしいことなのだ。私は今日も元気に生きている。」素直な言葉が爽やかに伝わってくる。

肝心の書評はといえば、冒頭はそれらしくない。小泉今日子の独り言のような形で始まるのだが、実はもうそれが書評の始まりなのである。
「誰だって、昔は女の子だった。おばさんだって、お婆ちゃんだって。女の子という骨組みに贅肉のようなものを少しずつ纏って女になっていくのだ。」(『しゃぼん』-29歳の“女の子”の話-)
「人を愛する決心。愛される覚悟。本当の意味でそれを知っている女性は、今の世の中にどれだけ存在するのだろう。残念なことに私はまだそれを知らない。」(『沢村貞子という人』)
「嬉しい時、犬は尻尾を振る。あんまりにも嬉しいと、ブンブンブンブン尻尾が飛んで行ってしまいそうなほど激しく振る。」(『さくら』-サクラという犬の話-)

書評というのは、普通それを読んでそこで採り上げられている本を読もうか読むまいか、その参考にするものだと思う。これまでそれが普通だと思っていたし、自分の読む本は大抵そういう書評に影響されている。いい本に出会って、読んでよかったと思う本はたくさんあるが、その本を勧めてくれた書評を覚えているものは一つもない。だが、この小泉今日子の書評はちょっと違う。ページをめくるごとに、どんなことが書かれているかが気になるのだ。「どんな本が採り上げられているのか」ではなく。あえて「書評集」などと一冊の本にした意味はそこにある。

「小説は私のタイムマシーンだ。ページをめくれば、どこにでも、どの時代にも旅することができる。とても贅沢で、かけがえのない時間。・・・・・そんな思いで最後のページを閉じ、私はタイムトラベルを終えた。」(『漂砂のうたう』)
実にうまいと思う。そして流れるような文章とともに、この本を読んでみたいと思う気にさせられる。本を読んでいるのか、本を勧められているのか、よくわからなくなる。いつも持ち歩いている手帳には、「積ん読リスト」のページがある。これは、と思った本のタイトルを書き留めているのである。そのリストが一気に増えてしまった。

書評家小泉今日子オススメの本を、これからゆっくりと読んでいきたいと思うのである・・・


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2016年07月07日

【新人OL、つぶれかけの会社をまかされる】佐藤義典



プロローグ 宣告
第1章 屈辱
第2章 奮闘
第3章 希望
第4章 確信
第5章 決着

著者は、マーケティングコンサルタント。いつもメルマガを愛読しており、その関係でこの本の存在も知っていたが、改めて読んでみようと思い至った次第。本書を一言で表すと、「物語をベースとした超わかりやすいマーケティングの入門書」と著者は自ら語る。内容は、そう著者が語る通り中堅商社広岡商事の新規事業室に勤める売多真子が、ある日社長に呼ばれ、経営不振のイタリアンレストランの立て直しを命じられるところから始まる。

2ヶ月の期限が与えられ、改善案の提出を命じられる。できなければ店も閉店となり、新規事業室も解散となる。上司の大久保からは「任せる」とだけ言われた真子は、問題のレストラン「リストランテ・イタリアーノ」の改善案を作ることになる。突然の指示に戸惑いながら、真子は親戚であるマーケティングコンサルタントの勝に連絡し、アイディアをもらうことにする。こうしてレストランの経営改善案を作るというストーリーが始まる。

ドラマ仕立てで何かを学んでいくというスタイルは、これまでにも『もしも高校野球の女子マネージャーがドラッカーの【マネジメント】を読んだら』『女子高生ちえの社長日記』などがあったが、難しい理論を理解しやすくしてくれるという効果がある。それはたとえばの例とともに説明されるようなものであり、イメージもしやすくなる。何となく子供っぽい気がするが、それはそれで飲み込む方がいいように思う。

本書全体を貫くキーワードは、「一貫性」と「具体性」。「一貫性」とは、論理的であるということ、そして「具体性」とは肌感覚と説明される。お客様と言った場合、それは具体的にどう言うお客様なのか、「強み」といった場合、それは具体的にどういうことなのか。分かってはいても、ついつい具体性のないイメージで語っていることがよくある。ストーリーの合間にきちんとした説明が挿入されているので、より理解しやすい。

最初の教えは、「ベネフィット」。ベネフィットとは、「お客様の立場で考える価値」。レストランだから、それは「おいしいもの」とするのは短絡的。お客さんは料理だけでなく、店の雰囲気や楽しさなどを求めているかもしれない。そう教えられた真子は、お客様が「他店ではなくこの店に来る理由」をお客様アンケートによって考えていく。

個人的に参考になったのは、「手軽軸」「商品軸」「密着軸」の考え方。何に力点を置くかで、店作りは決まってくる。「誰もに愛される」ことを目指すと「誰にも愛されなくなる」のはよくわかるから、この切り口は大事である。それぞれ何に力点を置くかで、他店との差別化も異なってくる。
1. 「手軽軸」なら競合より早い、安い、便利で差別化
2. 「商品軸」なら競合より高品質、新技術で差別化
3. 「密着軸」なら競合より顧客の「個別」ニーズに対応した密着感で差別化
とされており、この説明もよくわかる。

こうして周りの人たちの協力を得て、新しい店「そーれしちりあーの」が誕生する。ストーリー自体は、単純で予定調和的であるが、それはこの本の目的がストーリーでないゆえに仕方ないであろう。何より、マーケティングの考え方がよくわかる。仕事でマーケティングは関係ないというのではなく、ビジネスマンならこの程度は知っていたいところである。そういう意味では、手軽に学べるマーケティングの教科書として、読んでもいい一冊である・・・


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2016年07月06日

【ダメなやつほどダメじゃない】萩本欽一



第一部 コメディアンの履歴書
第1章 やっぱり喜劇だな
第2章 浅草の東大
第3章 コント55号誕生
第4章 このまんまでいいのかな
番外編 欽ちゃんのキャンパスライフ、教えます
第二部 欽ちゃんの笑いには「浅草」が流れている

少し前に『負けるが勝ち、勝ち、勝ち! 「運のいい人」になる絶対法則』を読んで俄然興味を持った欽ちゃんの本。こちらは日経新聞の『私の履歴書』に連載されたものの書籍化版プラスαである。

欽ちゃんといえば、我々の世代では『欽どん』であり、『欽どこ』である。お茶の間を舞台にしたファミリーコントをいつも見ていた。その後は、『仮装大賞』の司会を見たぐらいだが、ご本人はまだまだ健在。今は駒澤大学の学生だという。そんな欽ちゃんの自伝である。

父親の事業が傾き、借金取りに追われるようになった子供の頃、多感な欽ちゃんは母親が頭を下げる姿を見て、働いて金持ちになる決意をする。そして選んだのが「お笑い」。親には高校を受験すると言って試験を受ける振りをし、浅草の喜劇人に弟子入り志願する。ところが「高校を出てから」と言われてしまう。すでに学費の安い都立の入試は終わっており、やむなく母親に事情を話して私立高校に行く。世の中、こういうことは多々あると思う。

校則で決まっていた革靴を買ってくれと言い出せず、運動靴で通って毎日先生に注意され続ける。それが母親にバレて兄のお古の革靴をもらうが、それを履いていくと、あまりのボロさに今度は注意した先生が言葉を失う。欽ちゃんの笑いに、どこか優しさが混じっているのはこういう経験をしていたからなのかもしれない。アルバイトのエピソードには思わず目頭が熱くなる。

ブレイクしたのは坂上二郎とのコンビ、コント55号。二人でネタを考え(と言ってもアドリブが多かったようである)、テレビで一躍人気者となる。この頃の事はよく知らないが、それまでの苦労を思うと、その成功を嬉しく思う。そして『欽どん』の時代。この頃、1週間に持っていたレギュラー番組3本がそれぞれ視聴率30%を超え、トータルで「視聴率100%男」と呼ばれたらしい。私が最もよく記憶しているのもこの頃である。

よく芸能人など、テレビの顔と素顔とはかけ離れていたりする。それはそれで不思議ではないと思うが、本を読んでいて伝わってくる欽ちゃんの素顔はテレビの顔そのままだ。道端で会ったら、「欽ちゃん」と呼びかけてしまうかもしれない。エネルギッシュで自信に満ち溢れた人が成功しても、そんな風には思えないだろう。高校時代から若手修行時代のエピソードを読むと、行間からその人柄がまさに滲み出てくる。苦労が報われて良かったと、読む立場のこちらの方が思う。

第一部の『私の履歴書』に比べると、第二部の対談は、ちょっと昔の話でついていけなかった。だが、第一部だけで読む価値は十分にある。
読み終えて少し優しい気持ちになれる一冊である・・・

posted by HH at 22:47| Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネス/自伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする