2016年08月31日

【幸せになる勇気】岸見一郎



第一部 悪いあの人かわいそうなわたし
第二部 なぜ「賞罰」を否定するのか
第三部 競争原理から協力原理へ
第四部 与えよ、されば与えられん
第五部 愛する人生を選べ

 この本に先立つ、『嫌われる勇気』を読んで興味を抱いたこともあり、その続編たる本書を手にした次第。正直言って、前著ではアドラーの考え方について判断のつかないところもあり、もう少し知りたいと思ったところである。そしてその目的は、この本を読むことによって概ね達せられたと思う。

 物語は、またもや前著で出てきた青年と哲人との対話形式で進む。前著で哲人によってアドラーの考え方に魅了された青年は、その後教育者となる。ところが子供たちを相手とする現実の日常で、アドラーの考え方がうまくいかず、悩んだ青年がアドラーとの決別を宣言しに哲人の元を訪れるところから始まる。

 青年は、「褒めることも叱ることもしない」アドラーの教育に限界を感じてやってきたのであるが、哲人は「誤ったアドラー像を捨て、本当のアドラーを知るべき」と青年を諭し、議論が始まる。教育の目標はズバリ「自立」。しかも介入ではなく、「自立」に向けた「援助」だとする。そして哲人は青年に「子どもたちに対して尊敬の念を持つ」ことを勧める。その根源にあるのは「人間への尊敬」であり、その第一歩として青年に「他者の関心事に関心を寄せよ」と説く。

 学級は民主社会であり、その主権者は教師ではなく生徒であるとする。生徒を怒ることと叱ることは同義であり、怒りとは人と人を引き離す感情だとする。子どもたちの決断を尊重し、その決断を援助する、そしていつでも援助する用意があることを伝え、近すぎない援助できる距離で見守るとする。なんだかわかったようなわからないような説明である。

 こうして、主として教育論から入り、それが展開されていく。そして前半で説かれた自立とは「わたしの価値を自らが決定すること」であるとし、話題は「愛」へと続く。「愛」とは他者を愛する技術であり、「ふたりで幸福なる生を成し遂げる課題」だとする。「わたし」ではなく、「わたしたち」の幸せを築きあげることが愛であり、結局、自立とは「わたし」からの脱却であるとする。

 こうして人生の主語が「わたし」から「わたしたち」へと変わり、それがやがて共同体全体に、そして人類にまでその範囲を広げていくとする。前著で登場した「共同体感覚」がここでも登場する。読めばもちろん、意味はわかるものの、その本質が理解できたかというとそれは心もとない。正直言ってよく分からないといったところである。抽象的すぎて具体的にイメージできないのである。

 アドラーとの決別を決意して哲人の元を訪れた青年は、議論の挙句、納得・感動して哲人との会話を終える。しかし、二人の議論を読んでいて、ちっとも理解できない。本当に青年はこれで理解できたのであろうかと思わざるを得ない。またすぐに限界を感じて哲人の元に乗り込んでくるのかもしれない。現にこの本に続く第3弾が出ているようでもある。その内容については、全く知らないし、もはや知りたいとも思わない。もうアドラーはいいかなというのが正直なところである。

 あえてアドラーを批判するつもりはないが、よくわからないしわかりたくもない。興味はもはやここまでということで、私も物語の最初の青年のごとくアドラーとは決別したいと思うのである・・・


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2016年08月30日

【言ってはいけない残酷すぎる真実】橘玲



I 努力は遺伝に勝てないのか
 1. 遺伝にまつわる語られざるタブー
 2. 「頭がよくなる」とはどういうことか-知能のタブー
 3. 知識社会で勝ち抜く人、最貧困層に堕ちる人
 4. 進化がもたらす、残酷なレイプは防げるか
 5. 反社会的人間はどのように生まれるか
II あまりに残酷な「美貌格差」
 6. 「見た目」で人生は決まる-容貌のタブー
 7. あまりに残酷な「美貌格差」
 8. 男女平等が妨げる「女性の幸福」について
 9. 結婚相手選びとセックスにおける残酷な真実
III 子育てや教育は子どもの成長に関係ない
 10. 女性はなぜエクスタシーで叫ぶのか?
 11. わたしはどのように「わたし」になるのか
 12. 親子の知られざる真実
 13. 「遺伝子と環境」が引き起こす残酷な真実

 タイトルにある通り、「言いにくいけど事実である」ということを列挙した一冊。こういうことは密かに専門家がわかっていたことなのだろうが、隠されたことを知りたいと思うのは人の常。まさにそれがタブーであればなおさらである。

 はじめに遺伝にまつわるタブーが紹介される。スバリ、馬鹿は遺伝するのかということで、「子どもの成績が悪いのは親がバカだから」という。「それを言っちゃあおしめえよ」と言いたくなるが、論理的推論能力の遺伝率は68%、IQは77%と冷静に語られると口をつぐむしかない。もっとも、その数字がどこまで本当なのかという疑問はあくまでも残る。

 こんな調子で、「統合失調症の遺伝率は82%、躁鬱病は83%」と続く。「身長の遺伝率が68%、体重が74%」となると、かなりの遺伝率だ。だが、「そもそも統合失調症の人は結婚して子供を作れるのだろうか」という疑問が思い浮かばなくもない。こうした一般論的なところはまだいいが、人種とIQとなってくると、なかなかキワドイ議論になってくる。

 ユダヤ人が優秀なのはよく知られているが、それはユダヤ人の中でもアシュケナージ系と言われる人たちに特に顕著で、それは1,000年のディアスポラの中で、IQの高い人たちが生き残る確率が高く、それが40世代にわたって時を経ると、12ポイントも遺伝率が高くなるとされると、それもありなんと思えてくる。まだいい例は良いが、「アメリカの経済格差は知能格差」となると、周りを気にしたくなる。特に黒人と知性の問題は微妙だ。さらにそれは日本でも現れているという。

 なぜレイプが起こるのかも、進化論的な観点から説明される。嫉妬に駆られた男が妻や恋人を犯すのは、自分の精子を注入することでライバルの精子に打ち勝つためだという。心拍数の低い子どもは刺激を求めて反社会的な行動に走る傾向があり、知能や才能を備えた子ならリチャード・ブランソンのような起業家になるが、そうでなければ反社会勢力になるのだという。

 さらに外見の良し悪しで格差が生じる話が続く。美人とブスの生涯年収格差は3,600万円であり、見かけで損をするのは、実は女より男の方だとか。女子校では望まない妊娠が共学校より少ないというのは、なんとなく感覚でわかるが、それが論理的に説明される。男女平等の社会を作るためにこそ、男の子と女の子は別々に扱う必要があると結論づける。

 黒人女性のシングルマザー率は高いそうなのであるが、その理由は、「高学歴の黒人が少ない」、「黒人女性は黒人男を選びたがるが、黒人男は人種にこだわらない」、「黒人男は収監率が高い」とされる。非常に説得力が高い。治安の悪いサウスブロンクスから田舎の白人町に転向した黒人青年が、地元のヒーローである好青年に成長できたのは、周りに悪い黒人がいなかったという例が紹介される。「朱に交われば赤くなる」のは何処も一緒である。

 確かに公に発言したら炎上しそうな数々であり、読み物としては面白い。ただ、疑い症の自分としては鵜呑みにはしたくないものも多い。特に「女性がエクスタシーで叫ぶ理由」など進化論的な説明は、笑止の世界である。「子どもの人格や能力、才能の形成に子育てはほとんど関係ない」とするが、「そういうこともあるかもしれない」という己の考えを変えるには至らない。まぁ、軽い読み物と読み流したいところである。

 本の主張もいろいろ、その読み方もいろいろ。自分なりにさらりと読み流した一冊である・・・

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2016年08月29日

【ふたりの季節】小池真理子



 定期的に読まずにはいられない小池真理子の恋愛小説。その特徴は、「大人の静かな恋愛」とでも言えるであろう。40代、50代の女性の恋愛モノであるが、おそらく若い人にはわからないであろう。だが、私にとっては、その味わいと表現がなんとなも言えないのである。

 この本は、短編としては長過ぎるし、長編としては短過ぎるという感がある長さ。
主人公は55歳になろうとしている由香。夫とは2年前に離婚し、一人息子がいるものの、そろそろお互いに干渉しないようにしようと考えている。弟の介護職を手伝い、それなりに忙しい日々。短い夏休みを取り、以前から一度は行ってみたかった青山のお洒落なカフェに入り、一人のんびりしている。

 すると、そこに偶然一人の男が通りかかる。それは由香の昔の恋人である拓。30年ぶりの再会に驚きながらも、二人はカフェで互いの近況を語り合う。そして、それとともに甦る30年前の日々。高校時代の夏休み、よく行っていた喫茶店で出会った由香と拓は、付き合うようになる。名曲喫茶で待ち合わせし、互いに考えていたことや読んだ本の感想を話し合い、レコード店や書店をめぐり、映画を観に行き代々木公園を散歩する。年代が近いせいか、懐かしい風景である。

 お互い夢中になって相手しか見えない。そんな相手が、30年の間どんな生活を送り、今は何をしているのかはとても興味深いところであろう。若い頃にはわからなかったことがわかる年齢になり、その上で相手を見るというのも、またこの年代ならではの感覚がある。互いに共通の思い出を語り合う中で、忘れていたことを思い出したりもする。

 受験生だった二人は、図書館へ行き並んで勉強をし、かというと同伴喫茶へ行ってノートを広げたまま抱き合い、道を歩けば信号ごとにキスをする。会えない時は、手紙をしたためる。今ならメールかLINEだろうが、手段は変われども、熱い真夏の恋愛の只中にいる二人の様子は、今も昔もそう変わるものではない。かつては自分もそんなことをしていた気がするが、今となるととても真似できない。

 偶然の再会を嬉しく思いながら、会わなかった時間が埋められていく。次の予定も迫る中、名残惜しくも別れの時間が来る。携帯の番号とアドレスの交換は、現代ながらである。そして「その後」を予感させながら拓は30年前の朝と同じように去っていく。短い出会いを描いた物語なのに、遠い過去から未来へと物語は広がる。「うまいなぁ」とため息が漏れる。この味わいが良くて、いつも小池真理子の小説を手に取るのである。

 小説を読みながら、自身の思い出にも浸ってみられる。そんなところもまたいいのである。自分自身の心を温めながら、「また次」と思わせてくれる一冊である。

   
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2016年08月27日

【逆説の世界史2】井沢元彦



序 章 一神教の起源
第1章 ユダヤ教と『旧約聖書』の謎
 第1話 ユダヤ民族が体験した二大奇蹟
 第2話 聖地エルサレムをめぐるローマ帝国との攻防 
第2章 キリスト教と『新約聖書』の謎
 第1話 民主主義社会における「平等化推進体」
 第2話 『新約聖書』で読み解くイエスの生涯とその復活
第3章 イスラム教と『コーラン』の謎
 第1話 メッカで布教を開始した使徒ムハンマドと聖戦
 第2話 誰がムスリムのリーダーを務めるのか
第4章 十字軍遠征と聖地エルサレム
第5章 オスマン帝国の崩壊と中東戦争
 第1話 近代資本主義社会の成立を阻むもの
 第2話 中東平和をこじらせる最大の障害

 『逆説の日本史』シリーズの著者が、世界史に進出したシリーズ。第1巻『逆説の世界史』はまずまず期待を裏切らない内容。それに気を良くして本書に進む。

 今回のテーマは宗教。今や地球人類の3人に1人はキリスト教徒であり、2人に1人は一神教(キリスト教徒またはイスラム教徒)の信者であることから、「世界史を知るということの根本に宗教を知るということがある」と著者は語る。一神教というものを我々はよくわかっているようであるが、実はそうでもないと読むに従ってわかってくる。

 人類最初の完成された一神教はユダヤ教である。その神の名は、「ヤハウェ」とされる。神聖四文字では「YHWH」と表記されるらしい。このあたりは旧約聖書の世界。イスラエル王国のソロモンの栄華からバビロン捕囚までの苦悩が語られる。そして「エジプト脱出」と「バビロン捕囚からの解放」がユダヤ民族としての二つの奇跡体験だとする。この間、神殿を失ったことからユダヤ民族は律法中心となり、聖典が重視され、それは識字率と教育水準の向上という副産物を生む。

 多神教と一神教との大きな違いは、多神教は多神教ゆえに他の神を信じることに寛容だが、一神教はそれゆえに自分の信じる神以外の神は絶対悪と決めつけるところにあるとする。それは大航海時代のスペイン・ポルトガルによる大虐殺にもつながる。考えてみれば、我が国も宗教には寛容だ。

 ユダヤ民族の受難は、ユダの裏切りだけにその原因があるのではない。イエスの処刑を記したマタイによる福音書に、イエスの処刑について「その血の責任は我々と子孫にある」とユダヤ人たちが語ったとされている記述がある。聖書にこう書かれたら、その運命は明らかであるが、同じ場面を記した他の三つの福音書にはこの記載がない。それについての「逆説」を期待したいところであったが、著者は「削除されることが望まれる」とするだけである。

 そしてもう一方の一神教であるイスラム教の成立が語られ、コーランの説明やスンニ派とシーア派の違い、十字軍の遠征などが続く。ユダヤ人差別はシェイクスピアの『ベニスの商人』にも現れる。唯一へぇぇとなったのが、なぜアントニオはキリスト教徒の金貸しにお金を借りなかったのかという疑問について、「当時良心的なキリスト教徒の経営する金融機関など存在しなかった」と説明するところである。単なる小説でも奥が深いものである。

 こうして、キリスト教とイスラム教を通じて、「世界史」が語られるわけであるが、気がつくとそれは普通の歴史の説明で、著者の得意とする「逆説」的な解釈部分が見られなかった。歴史は歴史でもともと好きだからいいのであるが、「逆説」の著者であるだけに、いつもの切れ味ある「逆説」を求めたかったというのが正直なところである。とはいえ、さすがに難しいのかもしれない。今後、このシリーズはどうなるのであろうか。多分、続いていくのであろうと思うが、「逆説」は期待できるのであろうかと思ってしまう。

 期待できるか否かは別として、もともと世界史好きではあるし、なければないで普通に歴史書として読めば良い。そう考えて、また次も読もうと思うのである・・・


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2016年08月20日

【小倉昌男経営学】小倉昌男


  
第1章 宅急便前史
第2章 私の学習時代
第3章 市場の転換-商業貨物から個人宅配へ
第4章 個人宅配市場へのアプローチ
第5章 宅急便の開発
第6章 サービスの差別化
第7章 サービスとコストの問題
第8章 ダントツ三カ年計画、そして行政との闘い
第9章 全員経営
第10章 労働組合を経営に生かす
第11章 業態化
第12章 新商品の開発
第13章 財務体質の強化
第14章 組織の活性化
第15章 経営リーダーの10の条件

 著者はヤマト運輸の元会長。日本における宅配市場を創設したクロネコヤマトの宅急便の創始者である。何事であれ、市場を作り出すということは大変なことで、その生みの親ということで興味を持っていたが、本日まで手に取ることなくきてしまったこの本。書かれたのは1999年であるが、読んでも古臭いところは全くない。

 ヤマト運輸は、もともと著者の父である康臣氏が創業し、戦前は日本一のトラック会社であったという。関東一円を営業基盤としていたが、戦後の長距離トラック運送の波に乗り遅れ、同業他社の後塵を排することになる。5年遅れて長距離部門に進出するも、時すでに遅く、トラック部門の業績悪化に加え、通運部門、百貨店部門の業績悪化が重なる。特に百貨店部門は、戦前からの付き合いであった三越百貨店が、社長交代に伴い売上至上主義になり、ヤマト運輸に高額商品の購入や駐車場料の徴収などを強いられ、三越出張所は一億円を超す赤字部門となる。

 こうした中、「経営とは自分の頭で考えるもの」とする著者は、ターゲットを商業貨物から個人宅配貨物へと切り替えることを考える。しかし、社内の役員は全員反対。意外にも賛成してくれたのは労組だったという。そして視察に行ったマンハッタンの十字路で4台のUPSの集配車が停まっている光景を見て、宅配市場の可能性を確信する。どんなものでもメリットとデメリットがある。要はデメリット対策だとして市場参入を決める。

 参考にしたのは、吉野家の単品経営と日本航空のジャルパック。メニューの絞り込みを参考にする。キーワードは、「荷物の密度」。集配のための取次店を設置し、輸送ネットワークを築く。地滞別均一料金を設定し、翌日配達を歌う。トレードオフに立つサービスとコストの関係は、「サービスが先、利益は後」と標榜し、創業5年でついに採算点をクリアする。それまで儲かるはずがないとされていた個人宅配市場。ヤマト運輸の成功を見て、なんと35社が一気に市場に参入してくる。

 ダントツ三カ年計画を掲げ、市場拡大に邁進するヤマト運輸の前に立ちはだかったのが、トラック輸送路線の免許を握る運輸省。路線申請を何年も棚上げにされ、満を持して訴訟に出る。さらに運賃でも運輸省と対決。これを突破して、サービスエリアは拡大。さらにスキー宅急便、ゴルフ宅急便、クール宅急便などのサービスを次々と開始する。すでにあちこちで語られているところであるが、こうした新市場拡大の物語は血湧き肉躍るものがある。できれば運輸省との対決の経緯はもっと詳しく語ってもらいたかったところがある。

 経営者に必要なのは、「論理的思考」という意見は、実に我が意を得たりの感がある。「論理的に考える人は、その結論を導き出した経緯について筋道立てて説明することができる」とするが、それがまさに大事だと思う。そうした理論的裏付けがあったからこそ、役員全員が反対する事業を始める勇気となったのであろう。著者の真似をして役員全員が反対する案件を独断で始めて失敗するという例を知っているが、違うのはこの理論的裏付けではないかと思う。

 経営者に必要な条件が最後に語られる。
1. 論理的思考
2. 時代の風を読む
3. 戦略的思考-経営目標を実現するための長期的な策略
4. 攻めの経営
5. 行政に頼らぬ自立の精神
6. 政治家に頼らぬ自助努力
7. マスコミとの良い関係
8. 明るい性格
9. 身銭を切ること
10. 高い倫理観

 いずれも大事な心得として参考にしたいと思う。一流の経営者の語る言葉には重みがある。自らの血肉にしたい一冊である・・・




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2016年08月18日

【99%の社長が知らない銀行とお金の話】小山昇



序 章 借金をしたくないなら、今すぐ社長をやめなさい
第1章 銀行がお金を貸したくなる会社とは?
第2章 赤字の会社でも、融資を引き出す方法がある
第3章 徹底解説!「武蔵野」の「資金運用に関する方針」
第4章 「3点セット」で銀行の信用を勝ち取る
第5章 “実例”銀行交渉術 あの会社はなぜお金に困らなくなったのか?

 著者は、これまで『部下はなぜあなたをそんなに嫌うのか?』『社長はなぜ、あなたを幹部にしないのか?』などの著書を記している株式会社武蔵野の代表取締役社長。今回は、社員教育や掃除や経営のことではなく、銀行交渉術である。色々と多岐にわたる内容で著書がある著者であるが、どれも「会社経営」という根幹は変わらない。銀行からの借り入れも、重要な経営項目である。

 一般的に「借金=悪」というイメージがあるが、これは個人には当てはまっても会社には当てはまらないとする。経営者にとって本当に罪悪なのは、「会社を潰すこと」であり、無借金経営の会社ほど、いざという時に倒産しやすいとする。実はこれ、事実である。無借金の会社は、普段銀行との融資取引がない。そして銀行は初めての貸し出しには慎重になる。いざという時に銀行に飛び込んでも、銀行は警戒し、慎重な態度をとる。余裕のない危機にある時は、危険であるのである。

 銀行は、「儲けている会社」ではなく、「確実に返してくれる会社」にお金を貸す。では、何を持って「確実に返してくれる」と言えるのか。著者はそれを3点セットだとする。3点セットとは、
1. 経営計画書
2. 経営計画発表会
3. 銀行訪問
である。

 さらに、銀行の事情を知り尽くした著者は、そのノウハウを語る。
1. 近くの支店より(支店長の)決済額の大きな支店
2. 資金に余裕があっても、繰上げ返済してはいけない
3. (銀行の)新規の飛び込み営業は、三顧の礼で迎えるのが正しい
4. 手形貸付ではなく、証書貸付で借りる
5. 証書のコピーを取っておく
6. 取引銀行の数は、都市銀行1、地方銀行1、信用金庫1、政府系金融機関1
7. 資産の部はより上位の科目へ、負債の部はより下位の項目へ移すように努力する
こうしたノウハウは、一般の会社はほとんど知らないであろう。

 3点セットの「銀行訪問」も実は重要であるが、「忙しくない時間帯に訪問」、「一行の訪問時間は20分以内」と、これも銀行員の痒いところに手がとどくほどの気配りである。そして話す内容は、「会社の数字」、「会社の現状」、「今後の展望」の三つで、「銀行ごとの温度差を知るには同じ話をすること」とこれもよく知っているなと感心させられる内容である。銀行訪問には、「幹部を帯同させる」と社員教育も忘れない。

 銀行は一行取引だと、生殺与奪権を握られてしまうというところも、単に銀行に迎合するだけではない。押さえるところは押さえている。私のような元銀行員には目新しい内容ではなく、「そうだよなぁ」と一々同意させられる内容だが、一般の会社社長さんにとっては、かなり為になる内容であると思う。今や本業は順調で、他社の経営支援にも手を出している会社だが、これだけのノウハウがあるのなら、立派な収益源としてそれも当然だと言える。

 中小企業の経営者は、常に勉強し続けないといけない。それは本を読んでもいいと、個人的には考えている。そうして、その時読むべき本には、この本も入れておきたいところである。中小企業の経営者なら、読んでおきたい一冊である・・・



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2016年08月13日

【わが心のジェニファー】浅田次郎



 浅田次郎の作品は、まず読んでハズレがない。新刊が目に止まれば、迷わず手に取るところである。今回も迷わず手に取る。
 物語の主人公は、意外にもアメリカ人のローレンス・クラーク、通称ラリー。恋人のジェニファーにプロポーズをしようとしている。プロホーズの場所として選んだ店が、日本贔屓のジェニファーのリクエストによるそば屋。そしていざフロポーズとなった時、ジェニファーから「プロポーズの前に日本を見てきてほしい」と言われる。さらに日本滞在中は、電話でもなく、メールでもなく、手紙を書いてほしいと頼まれる。かくして恋人の願いを聞き入れ、ラリーはやむなく日本へと旅立つ。

 ラリーは、両親を知らず、海軍軍人だった祖父に育てられている。その祖父からは、女性に手紙を書く時は、もしもその女性が特別の人なら、「ディア○○」ではなく、襟を正して「○○・オン・マイ・マインド」と書けと教えられている。それゆえに、ラリーは日本に向かうJALの機内で最初の手紙をジェニファーにしたためる。「ジェニファー・オン・マイ・マインド」。これがタイトルの所以となっている。なかなか勉強になる。

 ラリーがやってきた日本の季節は10月。ジェニファーのお気に入りの季節でもある。成田に到着したラリーは、トイレに飛び込む。日本人はみな小さいのに、どうして便器がこれほど立派なのかとラリーは疑問に思う。そしてその設備に感嘆する。続いてバスで都内へ向かうラリー。渋滞でバスの到着が15分遅れる。15分の遅れを詫びるドライバーの姿勢に、アメリカ人ドライバーとの違いに思いを馳せる。さらに予約していた安いビジネスホテルの狭さに愕然とする。

 翌日ラリーは新幹線で京都へ向かう。手にするのは、ジェニフアーが貸してくれた正統派のガイドブック「ポジティブ・ガイド」と、空港で買ったアナーキーな「ネガティブ・ガイド」。両者は同じものでも表現方法が異なる。その説明の違いも、ラリーとともに旅する読者の楽しみでもある。そして東京駅では、『新幹線お掃除の天使たち』でおなじみのテッセイのサービスに驚く。そして3分ごとに発車する時速170マイルの列車に言葉を失う。

 京都の清水寺では、日本人女性マコトと知り合い、三十三間堂を案内してもらう。そしてホテルまで共にしてしまう。その間も書き綴るジェニファーへの手紙には、もちろんそんなことは書かない。大阪ではたこ焼きを食べ、お好み焼きを食べる。さらには串揚げ。日本の食事の量は少ないとこぼすラリーは食べまくる。そして次は温泉。ラリーは日本を代表する温泉と言える別府温泉に行く。こうしてラリーは日本を旅し、およそ日本の、そして日本人の特性ともいうべきものを体感していく・・・

 日本にいればそれが当たり前で特に何も感じないが、実は海外の人から見たら実に特徴的ということがある。近年、日本のそういう日本人だと当たり前すぎて気がつかない点が海外から称賛される例が目につく。この本も、小説の形をとりながら、そういう日本の特徴を浮かび上がらせていく。なぜ、ジェニファーがラリーに対し日本へ行けと言ったのかは、最後まではっきりと語られない。そこは想像するしかないが、なんだったのかクイズの答えを知りたいように教えて欲しい気がする。

 アメリカ人を主役とし、その視点から日本を見てみるということで、自分たちの姿を鏡で見ているような気分になる。それもまた良し、である。浅田次郎の作品も実にバラエティに富んでいる。どれもこれも最高に面白いというわけではないが、まずハズレだと思うものがない点がいい。これもそんな作品の一つとしたい一作である・・・


    
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2016年08月12日

【家族という病】下重暁子



序 章 ほんとうはみな家族のことを知らない 
第1章 家族は、むずかしい
第2章 家族という病
第3章 家族を知る
第4章 旅立った家族に手紙を書くということ

「家族」と聞くと、そのイメージは「幸せ」だろうと思う。そして「病」のそれは「不幸せ」だろう。そんな正反対のイメージを持つ言葉が重なり合うと、なんだか違和感を覚えるが、実は自分自身、思うところあって手にした一冊。もちろん、ベストセラーになっているという興味もあったのは事実である。

日本人は家族を盲信しているが、実は家族間でもかなり事件は起こっている。家族だから問題が起こらないというのは間違いで、「家族だから」問題が起こるということもある。冒頭からそんな覚めた意見が出てくるが、著者はもともと父母と折り合いが悪かったらしく、異母兄ともそれほど親しくなかったようである。「つれあい」と呼ぶ夫との間に子供は作らなかったそうで、そんな背景もこの本の根底に影響を与えていると思われる。

著者の考えは実に冷ややかな感じがする。
・子離れができない親は見苦しい
・仲の悪い家族の中でも子はまっとうに育つ
・大人にとってのいい子はろくな人間にならない
・夫や妻への不満は、あれをして欲しいこれをして欲しい、それなのに何もしてくれないということ
・夫婦でも理解し合えることはない
・結婚ぐらいストレスになるものはない

どっぷりと家族に浸かっていると気がつかないことだろうが、もともと愛ある家庭に育っていないからこそ、冷ややかに見つめられる真実なのかもしれないと思う。言っていることは、確かにその通りである部分もあるだろう。

最近では女性の社会進出が後押しされており、それに関する問題も噴出している。しかし著者は、「国は女性の生き方について口をはさむ前に社会環境を整えるだけで十分」とする。あとは「女の選択に任せるべき」と。その提言は、確かにその通りだろう。そしてやはり社会問題となっている孤独死も、「不幸ではない」とする。「心ない家族に看取られるよりは満ち足りているかもしれない」と言うが、言われてみればそれもそうであろう。

そんな著者は、家族否定論者かというと、そうでもないらしい。「家族というもたれ合いは好きではないが、共に暮らす相手がいるのは良かった」としているのである。女優高峰秀子とその養子になった女性編集者を例にして、「一番よく理解できる者同士が家族になる」のも良しとする。要は、家族はDNAではないということである。

日本人は血のつながりにこだわるが、何より「安心」が得られることが大事で、その「安心」とは、「何も言わないでもわかる、自分の味方になってくれる人がいる場所、自分が自分で居られる場所」だという。その根底には「愛情」があって、「黙って自分を愛してくれる者が存在しない家族は家族とは呼べない」と語る。考えてみれば、その通りであろう。

「家族とは何か」
この本を読みながらつくづく考えさせられる。
「家族とは幸せの基本単位」
そんな答えを自信を持って言えたら、なんて素晴らしいことだろうと思わざるをえない。ベストセラーになっているということは、みんな何かしらの思いを抱えているのかもしれない。自分の家族について、考えてみたくなる一冊である・・・

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2016年08月10日

【実践経営哲学/経営のコツここなりと気づいた価値は百万両】松下幸之助



実践経営哲学
経営のコツここなりと気づいた価値は百万両
第1章 商売のコツ 経営のコツ
第2章 経営者の心得

 経営の神様と呼ばれる松下幸之助が亡くなったのは、私が社会人になって2年目のこと。名前くらいは知っていたが、活躍されていた時代は、ほとんど「すれ違い」であり、「自分より前の世代の経営者」という感覚が強い。そのためか、なんとなく著書も読まずに今日まで来てしまっていた。改めて気がついて愕然とし、手に取った一冊。

実はこの本、『実践経営哲学』という本と『経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』という本の2冊が「合本」されたものだと、手に取ってから知る。「一連の著作にあって、ひときわ経営者の評価が高い2冊」だということでもあり、何だか得した気分である。それぞれ昭和53年と55年の出版であり、もう40年近く前のものということになる。

まずはじめに、「経営理念を確立すること」と説かれる。「この会社は何のために存在しているのか」、「どういう目的でどのようなやり方で経営を行っていくのか」、著者は昭和7年にすでに松下電器の経営理念を発表したという。それによって「経営に魂が入った」とし、また同じことは国家にも言えることであり、この国をどのような方向に進めていくのか、国家経営の理念が必要とする。言われてみれば、その通りだと改めて思う。

「利益は報酬である」という言葉は、まさに商人らしい。「利益は企業の使命達成に対する報酬」であり、「赤字を出すことは企業としての社会的義務を果たしていない」と喝破する。利益と言っても多ければ多いほどいいというわけでもなく、「適正水準は10%」と考えていたようである。要は、自分たちだけが儲ければよいというものではなく、仕入先も適正利潤が確保されるように「共存共栄」に徹することが大事とする。のちに中国に製造を移す動きをどう見たのであろうと思ってみたりする。

さらにその経営哲学が続く。
1. 世間は正しく、世間から受け入れられるものが正しい
2. 成功は運のせいだが、失敗は自分のせい
3. ダム経営-設備のダム、資金のダム、人材のダム、在庫のダム、技術のダム・・・
4. 適正経営-適正規模の経営、部門責任者に権限委譲してあたかも独立会社のように
5. 専業に徹する
6. 人をつくる
7. 衆知を集める
8. 時代の変化に適応する-日々に新たに
9. 雨が降れば傘をさす-当たり前のことをやる
10. 率先垂範が社員を動かす
11. 好況よし、不況さらによし
12. 中小企業は人を100%以上生かす
13. 任せて任せず
14. 社長は軍師ではない
15. 経営も腹八分目が大事
16. 平穏無事の1日にも体験がある
17. 経営は手品ではない
18. いざという時に社員から借金ができるか
19. 悩みこそ社長の生きがい
20. 右手に経営、左手に政治

 心に響いたものを列挙すれば限りがない。どれも今の自分に役立つものである。特に「衆知経営」という考え方は、大事だと思う。カリスマ社長のリーダーシップもありだと思うが、中小企業の社長は皆「普通の人」であろうし、「衆知を集める」という考え方も必要であろう。その衆知は「集めるものではなく、求めれば集まるもの」だとする。心したいところである。

「いざという時に社員から借金できるか」という考え方も新鮮であった。社員が100人いれば、100万円借りられれば1億円集まるわけであり、100万円貸そうと社員が思ってくれるかを考えて経営するというわけである。そんなことは大半の社長が思ってもみないことではないかと思うが、もしそれができる会社であれば、そもそも社員に借金するような状況にはならない気もする。

今読んでもまったく古さを感じさせられない。それどころか、今でも十分に教えとして通用する。「神様」と言われるのも、頷けるというものである。経営に近いところにいる人は、一読すべき一冊である・・・


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2016年08月08日

【短編工場】



【かみさまの娘】桜木紫乃
【ゆがんだ子供】道尾秀介
【ここが青山】奥田英朗
【じごくゆきっ】桜庭一樹
【太陽のシール】伊坂幸太郎
【チヨ子】宮部みゆき
【ふたりの名前】石田衣良
【陽だまりの詩】乙一
【金鶏のもとに】浅田次郎
【しんちゃんの自転車】萩原浩
【川ア船】熊谷達也
【約束】村上由佳

 タイトルにある通りの短編集。それも1人の作家の手による短編集ではなく、その名も知れたる作家たちの手による短編集であり、なんとも贅沢といえば贅沢な短編集である。共通項といえば、2000年代に「小説すばる」に掲載されたという点らしい。初出を見ると古いので2000年、新しいので2008年とあるから、ちょっと前のものである。しかし、「小説すばる」なんて読まないので、もちろん、ほとんど読むのは初めてである。

「かみさまの娘」は、母と離れて働く娘が、母の訃報を受け取るところから始まる。母は生前霊能者のような振りをして、相談料をもらうようなことをしていたという。そんな「かみさま」をしていた母に反発していた娘の心境を綴ったもの。道尾秀介の作品は、これからちょっと読んでいきたいと思っていたので期待していたのであるが、わずか5ページで終わってしまった。

「ここが青山」は、14年勤めた会社が倒産した男の話。「人間いたるところ青山あり」という諺がキーワードになっている。「人間」を「じんかん」、「青山」を「せいざん」と読むということを改めて思い起こしてくれる。再就職よりも、むしろ主夫業に喜びを見出していく主人公に、妙に共感してしまう。「じごくゆきっ」は、生徒と逃避行に走る教師の話。

「太陽のシール」は、唯一読んだことのある作品。かつて読んだ『終末のフール』の一編である。そういえば、伊坂幸太郎を読まなくなって久しい。「チヨ子」は、宮部みゆきの作品。ウサギの着ぐるみを着たアルバイトの女性が、着ぐるみを通すとその人がかつて愛玩したおもちゃの姿で見えるという物語。

「ふたりの名前」は同棲カップルの話。別れる時に揉めないようにと、互いの持ち物に名前を書いていているふたりが、ある日子猫をもらってくる。子猫が急病となったのを契機に、ふたりの未来が明るくなる。読んでいるこちらの心も温かくなる、石田衣良のテイスト溢れる作品。「陽だまりの詩」は、近未来絶滅に瀕した人類の話。死の病原菌に侵された男が、自分を埋葬するため、アンドロイドを造る。

「金鶏のもとに」は、浅田次郎の作品。戦地から帰還した主人公が、廃墟でなりふり構わず生き抜く男たちと過ごす。決してきれいごとだけでは生きていけなかった世界。似たような話が溢れていたんだろうなと想像してしまう。「しんちゃんの自転車」は、オカルトの入った話。何気なく読んだが、考えてみればちょっと怖い。

「川ア船」は、ちょっと長い一編。タラ漁に携わる親子の物語。戦後間もなくのどこか東北の話であろう、全編にわたる方言が心地よく、そしてラストの父親の愛情に思わずホロリときてしまう。最後の「約束」は、仲の良かった同級生4人の物語。1人が病に倒れ、治療法がないと言われるその友を治すべく、残りの3人はタイムマシンを作り始める・・・

短編集とはいえ、名の知れた作家の作品をまとめて読めるというのは、贅沢な気持ちがする。多分この本を出版した意図もそこにあるのかもしれない。「これが良かった」という一品を選ぶとしたら、「川ア船」だろうか。板子一枚下は地獄と言われる漁師の生活。その中で父子の対立があり、そして親子の愛情がある。思わずホロリとさせられたところが良かったところである。作者のことは知らなかったから、今度は他の作品を読んでみようかという気にさせられた。

お馴染みの作家の作品を楽しむのもよし、そして今まで読まなかった作家の作品を楽しむのもよし。しかしながら、個人的には「新しい作家との出会い」という意味で、意義ある短編集であったと言える一冊である・・・

   
posted by HH at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする