2016年09月28日

【ベスト・パートナーになるために−男は火星から、女は金星からやってきた−】ジョン・グレイ



原題:Men are from Mars,Women are from Venus
1章  男と女は違う星からやってきた・・・男は“受容”を、女は“共感”を求めている
2章 「男は単純で、女は複雑」は本当か・・・男は“調停屋”に、女は“教育委員長”になりたがる
3章 男は分析して満足する、女は話してすっきりする・・・言葉が愛を生む、憎しみを生む
4章 相手の気持ちを上手に“翻訳”してますか?・・・男と女がうまくいく究極のルール
5章 男の恋愛観、女の結婚観・・・この“小さな気づかい”が、彼を男らしい気分にする
6章 男に自信をつける“女のひと言、会話の仕方”・・・“男のやさしさ”を上手に引き出すテクニック
7章 “二人の愛”をさらに深める心理法則・・・男と女の“愛のパラドックス”

 まだ独身の頃、男にとって結婚は人生の墓場だという声を少なからずよく聞いた。そんな寂しいセリフを吐くような身にはなりたくないと思っていたが、現実は理想通りには行かず、むしろそんな寂しいセリフを吐く気持ちが分かりつつあるこの日この頃である。こればかりは自分にそんなつもりはなくとも、相手あってのことであるので、現実は難しい。そんな思いでいるところに、目に付いたのがこの本。引き寄せられるように手に取った次第である。

 男と女がうまくやっていくためには、お互いがまったく異なった“人種”であることを心得ておかないといけないと著者は冒頭で語る。それこそ、原題にある通り、「男は火星人で女は金星人」という自覚が必要なのだという。男と女が互いに相手に求めるものはそれぞれ違っており、男は“与える”ことを学び、女はそれをいかに“受け入れる”かを知る必要があるという。

 女は、しばし男に対し、「私の言うことをちっとも聞いてくれない」と不満を漏らす。男は女が話す「問題」について、しばし独善的な解決策を押し付けようとする。男は“ミスター・フィクサー(調停屋)”の本領があり、これはこれで男なりの思いやりなのであるが、実は女の方に必要なのは、「解決策」ではなく、「感情移入」であったりする。男には問題をくどくどと並べ立てているだけという状況は理解できない。問題は解決するためにあるからであるが、この認識のズレが男女間のギクシャクになったりする。個人的にも大いに思い当たるところがある。

 男の「調停屋」に対し、女には「教育委員長」の本領がある。男の女に対する不満の一つに、「相手が絶えず自分を変えていこうとする」ということがある。家庭でもあれこれ指図されることはしょっちゅうだし、実感を持って頷けるところである。男には、この「余計なお節介」が耐えられない。「自主独立こそ男の誇り」、「達成感こそ男の存在証明」なのである。

 そんな男は、大きな問題にあたると、独り心の中に閉じこもり、自分の力で片付けようとする。女はそんな男の普段とは異なる様子を心配し、あれこれ聞き出そうとするが、男は余程のことでない限り、問題に関することを口にしようとしない。そんな男の心情を理解できない女は、男の愛情を疑う。痛いほどよく伝わってくる情景である。

 男にとって、女がアドバイスをしたり意見を挟むことは屈辱であり、アドバイスより慰めが欲しい女とは根本的に異なる。女にとっては、「ただ相手の話を聞いてあげる」ことが大事だったりするが、男にこういう考えはない。おしゃべりは女の何よりの清涼剤であるが、女のあやふやな話し方に男は耐えられない。

 こんな男と女の違いがいろいろ紹介され、そしてその処方箋も示される。著者はアメリカの心理学者で、最初に「アメリカ人と日本人の違い」があるのではないかとの不安が脳裏をよぎったが、それは杞憂で、実に思い当たるケースが多々出てくる。もちろん、アメリカ人と日本人の表現力には差があり、男が女の愛情タンクを常に満タンにするための小さな98のアプローチにある「夜仕事から帰宅したら何よりもまず彼女を抱き、『ただいま』の挨拶をする」なんて行為は、ちょっと如何なものかと思ったりする。

 著者は男であるが、女性にとっても有意義なアドバイスが公平に出てくる。「女の感謝の気持ち『ありがとう』は男をその気にさせる」なんてところは、我が家の妻にも教えたいところである。どうやったら妻にこの本を読ませることができるか、猫に鈴をつけるではないが、その方法もアドバイス願いたいところである。単なる読み物としても、心理学的読み物としても、実用書としても面白いと思わせられる。

 恋人や夫婦間の関係に問題意識を持っている人には、参考になるかもしれないし、そういう人に一読をお勧めしたい一冊である。

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2016年09月22日

【大西郷という虚像】原田伊織



第1章 火の国薩摩
第2章 西郷と島津斉彬
第3章 西郷の幕末動乱
第4章 明治復古政権の成立と腐敗
終 章 田原坂への道

 前著『官賊と幕臣たち』に続く続編であり、『明治維新という過ち』シリーズの完結編という位置付けである。実は、『明治維新という過ち』はまだ読んでいない。気がつかないまま前著を読んでしまった結果であるが、あまり順番には意味がないと思うので、気にしない。
 
 今回は、「維新三傑の筆頭」と称される西郷隆盛を中心に添えている。と言っても、実は周辺事情が多く、ご本人に対する分析は心なしか中途半端である気がする。そもそもであるが、本書の狙いは明治維新を単なるクーデターととらえ、官軍教育としての薩長史観の産物である現代の歴史教育に対し、明治維新なるものの実相を史実に忠実にあからさまにすることとされている。それはそれでいいのだが、どうも偏り感がきつい。

 話は西郷の故郷鹿児島からスタートする。著者が訪問した時、知り合いに紹介されて行った飲み屋のママに世話になった例を挙げ、これぞ「薩摩おごじょ」だと持ち上げる。薩摩の気風を言いたかったのであろうが、たった一人の飲み屋のママを挙げてそう言われても、という気がする。そんなママなら全国津々浦々どこにでもいそうである。ここからして著車の思い込みの激しさが伝わってくる。

 そこから話は薩摩藩に及ぶ。蘭癖大名と言われた島津重豪が莫大な借財を作り、家督を斉興に譲る。藩財政を立て直した斉興は、同じく蘭癖性のある斉彬に家督を譲るのを躊躇し、藩内で対立要因を作る。西郷隆盛は斉彬につき、やがて斉興の側室の子久光との間でお由羅騒動が起きる。西郷には、「テゲ」という薩摩男の気風があると説明。「テゲ」とは、上に立つものは下に対しては細々としたことは任せておけとする気風だとする。なんとなく、西郷さんのイメージにあっている。

 ペリーの来航前にすでに西洋との接触はなされており、ペリー来航で初めて日本人がアメリカ人と接したかのような歴史教育は事実と異なるとする。このあたり『逆説の日本史18』と同様である。さらに大政奉還、王政復古の大号令によって明治維新とするのも間違いで、特に王政復古の大号令は失敗だったとする。このあたり、もう少し詳しい説明をして欲しかったところである。

 王政復古の大号令は、幼い天皇を人質とした岩倉具視、西郷隆盛、大久保利通らのクーデターだとする。作家の司馬遼太郎が、明治維新を「革命であった」と評したことを指し、「これは単なるクーデター」だと断じる。正直言って、よく違いがわからない。革命とは、天の意思を背景とするイメージがあるが、そうではないと言いたいのであろうか。ともかく著者には「反薩長・親幕府」の思想があり、そうした思想が随所に言葉として現れる。

 会津戦争は、戊辰戦争とは切り離して考えるべきで、倒幕とは無用の単なる復讐とする。そしてそもそも倒幕という目的を著者は「大義とは言わない」と断ずる。こうなると、違和感を覚える。もうはるか150年も昔のことである。今更薩長も幕府もないであろう。そもそも徳川幕府も家康の巧妙な策により豊臣家を滅ぼして成立しているのである。政権を取ったものが歴史の主人公となるのは、洋の東西を問わず行われていることである。とはいえ事実は事実であるから、冷静に論ずれば良いことだと思う。

 むしろ新政府の腐敗の説明が個人的には目新しかった。著者としては、にっくき薩長の新政府の腐敗を白日に晒したかっただけかもしれないが、こうした事実を知らなかった立場としては、単に興味深い。まぁ酷いことだとは思うが、150年前のことだし、「そういうこともあっただろう」と思うだけである。伊藤博文も井上馨も、女癖悪く金銭欲も強かったと蔑むが、だからどうだとも思わない。

 それよりも「大西郷という虚像」というタイトルを掲げながら、当の西郷隆盛に対する記述が少ない。有名な征韓論については、さらりと触れられているだけであり、西南の役も記述はほとんどなく、没後わずか12年で復権し上野に銅像まで建立されている。それを著者は、西郷を死に追いやった新政府指導者の「後ろめたさと断言して間違いない」と主張する。「後ろめたさ」というのもいかがかと思う。薩長史観を排除し、歴史を正しく認識せんとするなら、このあたりも冷静に論じてもらいたいと思わざるをえない。

 大西郷の虚像を剥がすと勇ましかったが、どうも剥がれなかったというのが正直なところ。『逆説の日本史』の著者井沢元彦氏との力量の差は否めない。こうなると、『明治維新という過ち』も知れてくる気がするが、売れていることもあり、結論は読んでみてからにしたいと思う。どちらにせよ、西郷隆盛については、『逆説の日本史』最新刊に期待したいと思うところである・・・

  
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【老子-もう一つの道】原田禎忠



 中国古典の一つである老子。その専門書は多々あるのだろうが、自称専門家でない著者が、「古の智慧を生かす道はどうあるべきか」を考え、字句解釈や逐語訳にこだわらず話の精髄を咀嚼した自由訳を試みたのが本書であるという。そして老子の思想の本源をなす「道」という概念。これは今の世界の主流とは異なるものの、今こそ我々が追求するべきものではないかと考えた著者が、タイトルをあえて「もう一つの道」としたそうである。自然と内容に興味をそそられる。

 一読してやはり難しいのが、「道」の理解である。「道とはすなわち歩んでいれば万人をいずこかへ載せ連れて行くものである」という。すべての存在に先立って存在し、中身のないようでいながらとてつもない充実がその中にある。そしてその存在を確信する方法は直観だとする。結局、一読してもその正体はなお漠然としていて、言葉での説明は難しい。だが、そもそもそういうものでもあるようである。

 一方、具体的行動を示すものはわかりやすい。
・正しいことでも大きな声で主張すべきでない
・多言は無用
・無私-事業を成就したくば、私心を捨て欲望を捨てること
・違った発想をしてみる

 また、言われてなるほどと思わせられる真理もある。
・水はすべての存在を生かし、すべての存在にとって役に立つ。水は他とは争わない。
・満つれば欠ける
・静かなる者、受身の者、下にある者が制する
・恨みに報ゆるに徳を以ってする
・争わない人とは誰も争わない

 さらに普段それとは知らず使っている言葉が出てくる。
・大器は晩成す
・天網恢々、疎にして漏らさず
これらのことわざ(四字熟語になっている)は、出典が老子ということであり、浅学の身には意外な発見であった。
いかに古くから中国古典が読まれてきたかという証だとも言える。

 大海はあらゆる谷の水が集まってくる。すべてのものより低いところにいるからこそ、いわば「百谷の王」となれたという言葉には唸らされるものがある。平和を愛し、戦争を憎み、人と争うことを避ける。強剛よりも柔弱を尊ぶ。こう言う生き方を誰もがしていたら、世の中は平和な楽園と化すに違いない。それは決して難しいことではないと思うが、誰もが実践するとなると難しいのかもしれない。

 いずれにせよ、こう言う心持ちで暮らしていたら、心中穏やかでいられるのかもしれない。「道」という概念はうまく説明できないものの、なんとなくイメージとして理解できる。まともに読めば、小難しくて抵抗感ある古典も、このようにゆるやかに解説を兼ねて示されると素直に理解できる。中国古典初心者にはいいかもしれない。電子書籍だけであるが、一読してみたい内容である・・・


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2016年09月19日

【ミライの授業】滝本哲史



ガイダンス きみたちはなぜ学ぶのか?
1時限目 世界を変える旅は「違和感」からはじまる
2時限目 冒険には「地図」が必要だ
3時限目 一行の「ルール」が世界を変える
4時限目 すべての冒険には「影の主役」がいる
5時限目 ミライは「逆風」の向こうにある

 著者は京都大学の准教授。これまでに『僕は君たちに武器を配りたい』『君に友だちはいらない』を読んでいるが、いずれも内容、テイストともに気に入っている。この本は、14歳の中学生向けに書かれている。だからといって大人が読んで悪いということでもないだろう。そう思って手にした本である。

 内容は、といえば、やはり14歳向け。冒頭から世の中の変化を説明する。かつてもてはやされた「メイド・イン・ジャパン」は、今やユニクロにも見られる通り、「メイド・イン・世界」となっている。そして世界全体で「人件費が安い」人が選ばれ、それはいずれロボットに代替されていく。しかし、「未来をつくる人」はロボットに置き換えられない。だから「未来をつくる人」になろうと呼びかける。

 学校では何を学ぶのか、どうして勉強をしなくてはいけないのだろうか。著者は、勉強とは「魔法の基礎」だと説明する。かつて机の上を占拠していた電話やカレンダーや時計、国語辞典や英和辞典、漫画や本やゲーム等々、今やそれはスマホ一台に収まっている。これが魔法でなくて何なのかと言うが、確かにその通り。そしてそれらの魔法を生み出した過去の偉人たちを紹介していく。

 万有引力の法則で有名なニュートンは微積分を発明している。中学生の頃の成績は学年で下から2番目。中学生の頃の成績は関係ないという証拠。そして「知は力なり」のベーコンからは、「観察と実験」の大切さを学ぶことができる。さらに人間は4つの「思い込み」(「人間の思い込み」「個人の思い込み」「言葉の思い込み」「権威の思い込み」)に支配されており、そこからの脱却を勧める。自分の中に生じた小さな「違和感」を掘り下げ、常識を疑い、嘘を見破る。ただし、「人」を疑うのではなく、「コト」を疑う。

 戦場の兵士たちを救い、世界の医療・福祉制度を変えていったのは、「看護師としてのナイチンゲール」ではなく、「統計学者としてのナイチンゲール」だったという話は面白い。「事実」の持つ力とそれを追求する重要性がよくわかる。この「事実」を拾えなかったため、森鴎外は医者としてではなく、文学者として記憶される事になったというのも面白い。コペルニクスの世紀の発見も、詳細な観測データという事実が元になっている。大人でも重視しなければいけないところであろう。

 冒険には地図が必要だとするが、ここでいう「地図」とは「目的地」とか「狙い」とでも言えるだろうか。日本人ノーベル賞学者大村智やビル・ゲイツは、仮説を立て、自分の描いた目的地に向けて努力して成功する。そしてその仮説は、「空白地帯」である方が良い。この本での扱いは違うものの、ファッションのココ・シャネルも同じだと思える。このあたりは、子供達にとって良い刺激になるかもしれない。

 『ハリー・ポッター』シリーズの作者JKローリングは、小説家になるという自分の夢を最後まで諦めず、栄光を手にする。そしてそれを見出したのは、出版社社長の8歳になる娘だったという事実も面白い。それ以前に原稿を持ち込まれた12の出版社は、大ベストセラーを出版するチャンスを手にしながら、それまでの常識にとらわれて出版を断ってしまっていたのである。これは、「偏見」という常識に凝り固まった大人達こそ意識しないといけないことだろう。

 結局、14歳向けと言いながら、大人にとっても示唆に富む内容である。過去の偉人達と自分の境遇を比べ、いつの間にか偉人達の打ち破ってきた「壁」に自分たちがなっていないか。胸に手を当てて考えてみる必要がある。いつの間にか「古いパラダイムの住人」になってはいないか、我が身を省みてみないといけない。子供達に背中で語れるような大人であるためには、そんな意識も持っていたいと思わせられる。

 著者の本からは、いろいろと学ぶことが多い。これからもまた、意識して読んでいきたいと思うところである。次は我が家の子供達に読ませたい一冊である・・・


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2016年09月15日

【冤罪 田中角栄とロッキード事件の真相】石井一



第1章 オヤジの側近として事件の渦中に
第2章 ロッキード裁判は間違っていた
第3章 真相を求め米国へ
第4章 米国の「陰謀」-その構図
第5章 何がオヤジを「闇将軍」にしたか
第6章 苦悩のゴルフとオールドパー
第7章 オヤジが枕元に置いた小冊子

最近、「田中角栄」がブームである。火付け役は、石原慎太郎の本であろうが、そのヒットを受けてなのかテレビ番組や関連本などが多数目につく。普段はそんな「便乗商法」には乗らない自分なのであるが、「元側近」が書いた「真相」に興味を持って、「便乗」に手を出した次第。

著者は、かつて「田中軍団の青年将校」と言われた政治家。50年前の昭和41年、神戸から立候補するにあたり、田中邸を訪れて初めて角栄に面会したという。その時激励とともに渡された封筒に入った30万円を渡される。今の価値にして300万円くらいらしいが、角栄といえば今でも「金権政治」のイメージがあり、それを彷彿とさせる。著者も「金権政治は事実」と認めている。ただし、角栄のお金は自分の商才で稼いでいたもので、他の政治家とは違うとも述べている。

かくして角栄から期待され、やがて側近になった著者。そこへロッキード事件が起こる。「逮捕」は寝耳に水であったという。当時の角栄非難の世論は凄かったと記憶しているが、著者は角栄批判の矢面に立ったという。当然、選挙にも落選し、それは著者のキャリアにも影響したそうである。ポピュリズムに走る最近の政治家と比べると、選挙に落選する覚悟であえて火中の栗を拾える政治家でもあることをうかがわせる部分である。

ロッキード事件は、ロッキード社のコーチャン副会長の「嘱託尋問調書」が発端となっている。事件の捜査段階で最高裁が不起訴確約の宣明書を出し、証拠採用する。のちに最高裁自身がこの証拠採用を取り消しているが、検察はこれを基に捜査を開始し、各証人から証言を集め、一審有罪に持っていく。手続き的に違法だとする指摘はその通りだと思うが、大事なのは「真実」はどうかという部分。ここも著者は米国の陰謀説を主張していく。

もともと角栄は総理大臣就任後、独自外交を進め、アメリカに先駆けて日中国交回復を成し遂げた。これが「米国の虎の尾を踏んだ」のかと思っていたが、その前に独自の資源外交も展開していたという。その相手には、アメリカが擁護するイスラエルと敵対するアラブ諸国や、冷戦中のソ連も含まれていたという。これが、キッシンジャーの怒りを買い、事件をでっち上げられたとする。「水を飲むのに井戸を掘った人を忘れない」とする中国からすれば、大事な友となるのであろうが(『中国で尊敬される日本人たち』)、飼い犬が逆らうことをアメリカは良しとしなかったのであろう。

著者は、真相を探るため独自に渡米し、味方として著名弁護士の協力を得る。しかし、田中角栄ご本人は無罪を信じきっていて、のちにこの弁護士の協力を断ってしまう。著者はその心境を「米国に仕掛けられたワナから逃れるのに米国人の手を借りたくないという日本人としてのプライドがあったと思う」と語る。それが果たして仇になったのか、頼んでいたら無罪となっていたのか、今となっては「もしも」の話でしかない。

読んでいて問題だと思うところは、マスコミの世論リードであろう。「有罪」一色の論調。そしてそれが世論に波及し、裁判官ですら無視できない雰囲気だっただろうと語る。裁判官がどの程度世論の影響を受けるかどうかわからないが、しかし当時から事件に疑問を投げかける主張はあったようであるし、中立的な報道をするところがあれば、ムードも変わったのかもしれない。しかし、現代に至るまでその傾向は変わらず、政治家はますます世論を気にするポピュリズムが蔓延してしまっている。

アメリカではいまだに機密指定されている資料があるそうだし、いずれ真相が明らかになるのかもしれない。そういう意味で、「歴史の評価」はいずれ定るのであろう。当初から信念を持って田中の無罪を訴えてきた著者が、この頃の角栄ブームでチャンスを得て、積年の思いを一気にぶちまけたかのような内容。著者の信念の迫力が随所に溢れている。冤罪を生み出す危険性はまだ内包されているようであるし、いろいろな問題にも気がつく。

単なる角栄ブーム本の一つと切り捨てるのは惜しい、一読の価値ある一冊である・・・



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2016年09月14日

【人魚の眠る家】東野圭吾



第1章 今夜だけは忘れていたい
第2章 呼吸をさせて
第3章 あなたが守る世界の行方
第4章 本を読みに来る人
第5章 この胸に刃を立てれば
第6章 その時を決めるのは誰

東野圭吾の新しい本をまた一冊。この人の本を読まないという選択肢は私にはないと断言できる。しかし、今回の一冊は、ちょっと今までと違ったテイストである。
舞台となるのはある家族。一家の主人播磨和昌は、先端技術を開発している株式会社ハリマテクスの社長。ハリマテクスではBMI(ブレーン・マシーン・インターフェース)と呼ばれる脳と機械を繋ぐシステムを開発している。これを使うと、全盲の人が杖なしで歩けたり、義手でモノを不自由なく掴めたりできたりするものである。そして和昌には、妻薫子との間に娘の瑞穂と息子の生人がいる。

ある日、プールに遊びに行っていた瑞穂が溺れ、救急病院に緊急搬送される。治療の甲斐なく、医師は無情にも意識が回復することはないと告げる。そして呆然とする播磨夫妻に、瑞穂の臓器提供の意思を確認し、脳死判定のシステムを説明する。やがて臓器提供の意思を固めた夫妻だが、瑞穂の体のわずかな反応に、妻薫子は治療継続に方針転換する。

和昌の会社の技術で、瑞穂は意識が戻らないまでも、体の各部を動かすことにより健常児のように体は成長する。そして夫妻を取り巻く人々。薫子に密かに思いを寄せつつ、技術者としてBMIのシステムを瑞穂に利用する星野。播磨家に通う訪問学級の教師新章房子。背景に臓器移植の我が国の問題点が描かれる。

東野圭吾の小説というと、ついついミステリーをイメージしてしまうが、これはガチンコのドラマである。「人間の死を何によって定めるか」というテーマが根底に流れる。脳死は人の死と認められているが、では脳死した人間を刺して息の根を止めたらそれは殺人になるのか。死んでいる者なら殺すことはできないわけで、なかなか難しい問題である。

臓器移植によってしか助からない人たちがいて、特に子どもの臓器提供は我が国ではまだまだ少ない。提供があるということは、どこかで子供が死んだということ。提供を望むということは、どこかで子供が死ぬことを期待するということ。多くの国で渡航移植が禁止される傾向があり、今や日本から臓器移植で渡航できる国はアメリカぐらいであること。それにも5%ルールがあることなどがさりげなく語られる。読む者は、こうした問題を自然と考えさせられる。

この問題を早いうちに国民的な議論とし、解決をはからなければならないという著者のメッセージなのかもしれない。技術の進歩は、いずれハリマテクスのBMIを実現化するのだろう。それと合わせて、我々の倫理と意識の問題も解決しなければならないのだろう。意図的にメッセージとして発信しているのだとしたら、物語に姿を借りてなかなかうまいと思わせられる。

そうしたことを抜きにしても、ストーリーとして十分に面白い。やはりこれからも必読書たりうるだろう。次も楽しみにしたい一冊である・・・


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2016年09月12日

【靴下バカ一代 奇天烈経営者の人生訓】越智直正



第一部 丁稚時代 超人誕生編
第二部 創業時代 昭和豪傑編
第三部 黄金時代 悲願達成編
第四部 承継時代 無限激闘編

著者は、「靴下屋」の屋号で知られる靴下専門店タビオの創業者。その創業一代記である。この方、とにかく変わっている。靴下のことになると、我を忘れるようで、街で見かけた女性がタイツが似合っていないから忠告しようと声をかけようとしたエピソードが紹介されるが、とにかくそんな調子なようなのである(その時は結局声をかけなかったそうである)。靴下の品質を確かめるため、商品を頬に当てたり噛んだりするそうである。

そんな変わった著者であるが、中学を卒業すると丁稚に出る。出たところが靴下の卸問屋。出来は悪かったというが、朝の6時から起きて夜中の1時2時まで働いたというエピソードは、同じ年代の私の父の体験談と同じであり、やはりそういう時代だったのだろうと思わされる。通用しないとわかってショックを受けるも、その時中学の恩師の「中国古典を読め」という言葉を素直に信じ、猛烈に読みふけったという。しかし、前述の仕事の合間を縫っての話であり、まさに蛍雪の功を地で行っている。

丁稚時代の大将の教えも良い。
・商品と残品は似ても似つかぬもの。商品は利益を生み、残品は赤字を生む。
・大切なことは書くな。書いたら忘れる。言われたことは反復しろ。反復したら忘れない。
・計算ばかりするな。キタナイ商売人になる。ソロバンくらい目ではじけ。
・まず頭を使え、次に体を使え、銭を出せばバカでもできる。
・儲けの秘訣は、貧乏人は金持ちを、金持ちは貧乏人を相手にすること。
・商売は雪だるまを作るのと一緒。基本を固めて、あとは慎重に転がせ。
これはほんの一部であるが、こうした教えをきっちり覚えているのも大したものだと思う。

やがて、大将に追い出される形で独立。部下2名と共にダンという社名で会社を創業する。「凡そ商品は造って喜び、売って喜び、買って喜ぶようにすべし」という二宮尊徳の言葉を創業理念とする。そして随所に古典の言葉が登場する。
「勝兵はまず勝ちてしかるのちに戦いを求め、敗兵はまず戦いてしかるのちに勝を求む(勝つか負けるかはまず勝利の条件を整えてから戦争を始めるか、それともまず戦争を始めてから勝利をつかもうとするか、によって決まる)」
思わず旧日本軍を思い起こしてしまう。

その他にも心に響く言葉が続く。
・自分が打たれることを考えない剣道はない
・約束は絶対守れ
・借金はさっさと切り出す(最初から伝える)
・原因の解決なしに、結果の改善はない
・覇道ではなく王道を歩め-武力や権謀術作ではなく徳や仁義に基づいて組織を治める
・戦わない経営をする。戦うなら自分の理想と戦う
・真剣になれば商売のヒントは身近になんぼでもある
・バットを研究してもホームランは打てない
・仲間の利益をまず優先せよ

 一つ一つ己が実地で培ってきたことだからであろう、説得力がある。創意工夫を重ねているうちに、自然とサプライチェーン・マネジメントを築きあげる(それをご本人は「サムライチェーン・マネジメント」という)。いろいろと苦しい時期もあったようであるが、正しいやり方を追求し(それは古典の影響でもあろう)、靴下という一品だけで上場企業を育て上げたのは、立派というほかない。靴下の履き心地がわかるように普段から一切靴下を履かないというほどのこだわり。何事かを成し遂げるには、やはりここまでやらないとダメだということであろう。タビオで靴下を買ったことはないが、今度是非買ってみたいと思わせられる。

「一生一事一貫」という言葉が冒頭で紹介されているが、まさにそれが著者の生き方。自分の仕事でも意識したいと思う。仕事に情熱を傾けている人は是非、そうでない人も一読の価値ある一冊である・・・

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2016年09月10日

【USJを劇的に変えた、たった一つの考え方】森岡毅



第1章 USJの成功の秘密はマーケティングにあり
第2章 日本のほとんどの企業はマーケティングができていない
第3章 マーケティングの本質とは何か?
第4章 「戦略」を学ぼう
第5章 マーケティング・フレームワークを学ぼう
第6章 マーケティングが日本を救う!
第7章 私はどうやってマーケターになったのか?
第8章 マーケターに向いている人、いない人
第9章 キャリアはどうやって作るのか?

著者は、USJのCMOを務める人物。USJには行ったことがないのでわからないのであるが、USJは開業以降業績が低迷していたが、様々な施策が奏効しここ数年は爆発的な成功を収めているのだとか。なんとなく『ハリー・ポッター』が話題になっていたことくらいしか知らなかったのであるが、どうやらその業績回復の立役者となった方のようである。

そんなUSJの変化のあれこれがわかるのかと思って手に取ったこの本であるが、内容はマーケティングである。マーケティングこそビジネスを成功させるための方法論であり、マーケターでない人が読んでもわかる本を、ビジネスで成功したいすべての人に向けてわかりやすく書いたものであるという。本書の目的は、「マーケティング思考」を伝えることと著者が体得してきた「キャリアアップの秘訣」を伝えることとされている。

著者はもともとP&Gで実践を通じてマーケティングを身につけ、USJに転職。まず最初に集客低迷の原因を多くの幹部に確認したところ、過去の不祥事や映画のテーマパークとしての軸がずれたことなどが挙げられたという。直感的に違うと感じた著者は、USJを「消費者視点」の会社に変えていく。

「ゲストが喜ぶもの」と「ゲストが喜ぶだろうと作る側が思っているもの」は必ずしも一致せず、自然と離れていくものだという。まず著者の所属するマーケティング部が、エンターテイメント部や技術部が製作するアトラクションやイベントにダメ出しする権限をもらったという。何事も民主的なのが一番ではなく、何かを決めて動かしていくには、そうした権限があってこそであると思う。

書かれてはいないが、当然衝突もあっただろう。だが、「自分起点で周囲を説得し人を動かすことが重要」だと語る。確かにその通り。「人というものは、できるだけ他人との衝突を回避したがる性質を持ち、その結果皆の意見という利害を足し合わせて頭数で割ったような妥協案を求めがち」になるのは道理。このあたりは、「外資系」育ちの良さが出ているのかもしれない。

そうした妥協のせいかもしれないが、日本企業ではマーケティングが発達せず、技術志向に陥り、費用対効果の検証がなされない巨額広告がされたりしているという。それも日本企業の規制や終身雇用、年功序列が原因だとする。マーケティングとは「売る」より「売れるようにする」ことだとするが、本質は「売れる仕組みを作ること」という意見は、改めて重要だと気付かされる。

「消費者を大きく落胆させる商品ならば世の中に出さないほうがマシ」という考え方も、当たり前のようであるが大事なことなのだろう。USJは転売されたチケットは利用させないらしいが、一部の者が大量に買い占めて転売益を得ることを排除しているというが、聞けばそれはかなり困難を伴うことのようで、そうした取り組みも盛況を支えているのだろう。

戦略とは「目的を達成するために資源を配分する選択」としているが、たとえとして、上司から10球飛んできたとしたら、そのうち最も重要な3球を選んで打つようにしているという著者の話は参考になる。ついついすべて打ち返そうとしがちだが、それは無意味に資源を分散させているだけで、結局どの球もそこそこしか打てないで終わるというのは、確かに言えることだろう。

戦略の大きなミスは戦術ではリカバリーできず、従って企業にとって「どう戦うか」という戦術よりも「どこで戦うか」という戦略が何よりも重要とする。日本の企業は、そもそも「戦略がない」ことが多いというが、我が社のような中小企業であっても意識したいことだと思う。最後にキャリアアップについて語られる。

マーケターは「マーケティングのスペシャリスト」であり、「ビジネスのゼネラリスト」だという。これはなかなか示唆に富んでいる。今から「マーケター」になろうと思っても慣れるものではないかもしれないが、意識したいところである。そんなマーケターに向いているのは、
・リーダーシップの強い人
・考える力(戦略的思考の素養)が強い人
・EQの高い人
・精神的にタフな人
だという。自分にも一部適性はあるかもしれない。

 当初思っていたのとは異なる内容だったものの、内容は大変参考になるもの。できる限り応用してみたいと思わされる。USJの回復については、別の著書で語っているらしいので、次はそちらを読んでみたいと思う。持って他山の石としたい一冊である・・・


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2016年09月07日

【ザ・町工場】諏訪貴子



序 章 未来が描ける町工場に
第1章 「応募者ゼロ」からの大逆転
第2章 “見守り”で新入社員を育てる
第3章 「人材マップ」で若手を育てる
第4章 「頼むね」の刷り込みで幹部を育てる
第5章 ベテランを「最高の教官」に
第6章 「女将」のコミュニケーション論


 少し前に、『町工場の娘』を読んだが、この本は同著者の二冊目の本。前作に感銘を受けたこともあり、「もう一冊」となったものである。

 今回の内容は、一言で言えば「人材戦略」とでもいうべき内容。父から受け継いだ町工場で、どうやって若者を増やして育て、高齢者の多い従業員構成を変えたのかが語られる。内容的には、前著と重複する部分が多いが、致し方ないところだろう。初めはハローワークに求人票を出すが応募がない。そこで応募者の目線、さらにその親の目線を意識してパンフレットやホームページを作成する。こうした取り組みは、いい意味で「素人感覚」が生きている。

 マッチングフェアでは、他社と違い唯一社員が全員でガッツポーズを取っている写真を掲載、以後このスタイルの写真が広まる。経験者ほど挫折する傾向が強く、ならばと業界未経験者を採用し、ゼロから育てる。そのヒントは、生え抜きの社員の一言。社長自ら毎日工場に顔を出し、従業員と接する中から次々と課題に対するヒントをつかんでいる。この姿勢なのだろう。

 若手が一旦入社したら、今度は辞めないように見守る。若手社員の中から「若手生活相談係」を指名し、新人が気軽に相談できる体制を作る。仕事面では、「教育係」がフォローする。教育はもちろんOJT。本物の製品をいきなり作らせることで、緊張感とやりがいとを与える。さらに社長自ら交換日記によって新人の様子を掴み、適宜周りにフォローさせる。

 社員全体では、QC発表会を開催し、若手にチャレンジさせる。ベテランに褒められた社員は自信を得て成長していく。独自の「人材マップ」を作り、社員の技能レベルを把握する。年功序列と成果主義をミックスした給与体系で、社員の給与面での不満をなるべく取り除くようにする。

 社長の人材対策は、ベテランにも及ぶ。生産設備の導入では、ベテランに機械を選ばせ、やる気と責任感を植えていく。副工場長を選抜し、年上のベテランとの関係構築にも社長が一肌脱ぐ。自ら経営の軸に添えるのが「社員とのコミュニケーション」という通り、社長の意識はほとんどここにあるようである。「問題の多くはコミュニケーションによって解決する」としているが、その通りなのだろうと思う。社員旅行で、社員に「一生ついていく」と言われ、一人号泣したと告白しているが、突然の社長就任からの苦労のあとは、ビジネスのヒントに溢れている。

 どんな企業でも、創意工夫と情熱とでうまくいくような気がする。問題は、具台的に何をするか、己の立場で己の答えを見出すことだろう。自分の会社なら、どう応用するか。そんなことを読みながら考えてみた。求める人にはヒントになる一冊である・・・

    
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2016年09月06日

【好奇心を“天職”に変える空想教室】植松務



Lesson1 思い描く。
Lesson2 思い込む。
Lesson3 思いやる。
Lesson4 思い切る。
Lesson5 思い続ける。

 著者は地方の中小企業ながらロケットを開発しているということで、話題になった人物。以前何かの講演を聞いたことがあって、興味を持っていた経緯から手に取った一冊。なんで地方の中小企業がロケットと思うが、それはすべて著者が子どもの頃から抱いてきた夢によるもの。夢を持つ大切さを知る著者が、それを次世代に語る内容。ゆえに、「空想教室」なのである。

 著者は、中学生の時、母親から「思うは招く」という言葉を教えられる。
その意味は、「思ったら、そうなる」というもの。
実にシンプルであるが、それが著者の心に突き刺さる。夢について、アメリカの辞書と日本の辞書の対比がされているが、これが面白い。
米:夢・・・強く願い、努力すれば実現できるもの
日:夢・・・はかないもの、叶わないもの
我々は、見事辞書通りのイメージを抱いている。

 著者の工場には、世界でNASAとドイツとこの会社にしかない実験装置があるという。それは無重力の状態を地上で再現する装置で、JAXAも実験しにくるという。外からの補助は一切なく、それを20人に満たない従業員の会社が実現しているわけであり、実に驚くべきことである。それは、夢とははかないものではなく、「今できないことを追いかけること」とする考え方のなせる技なのであろう。そんな言葉が続く。

 うまくいかなかった時、「だったらこうしたら?」と考える
失敗を受け入れないと新しいものは生かされない
現実を見ろと人が言う場合、「現実」とは「これまでの人生」のこと。見るべきは「これから」。
「どうせ無理だから」が日本中に広まって、がんばれない人、できることしかしない人、考えない人ばかりになった

 これからロボットが高度化してくるが、ロボットに負けないために必要なのは「考えること」だという。考える人とは、「やったことがないことをやりたがる人」とする。他人にどう評価されても、自分たちの評価を信じること。やったことがない人に相談すると、「できない理由」を教えられる。著者は子どものころから、先生などに「どうせ無理」、「現実を見ろ」と言われてきたようで、それに抗って今があるとする。言葉は簡単だが、ずはりと核心をついている。

 「どうせ無理」と戦い、この世からなくしたいと言う。「だったらこうしてみたら」と言いたい、と。自信を取り戻せばみんな優しくなれる。「何になりたいか」ではなく、「何をやりたいか」を考える。「できるかできないか」ではなく、「やりたいかやりたくないか」。感動をアルファベットで書くと、can do。勉強とは社会の問題を解決するためのもの。そして教育とは、死に至らないよう、失敗を安全に経験させるためのもの。この教室の言葉は、心に響いてくる。

 さて、もう50を過ぎた自分にどんな夢があるかと問われると、言葉に詰まってしまう。だが、無理に夢などひねり出さなくてもいいと思う。「あれをやってみたらどうだろうか」、「これをやったら面倒だろうか」、そう言うことは日々仕事でいろいろある。そういうことを「どうせ無理」ではなく、「だったらこうしてみたら」の精神でやってみればいいのだと思う。子供もこれから社会に出て行くわけだし、そんな未来ある我が子に、「どうせ無理」の精神を身につけて欲しくはない。なら、親である自分が率先垂範しないといけないだろう。

 そんな風に自分に言い聞かせてみた。シンプルな内容だが、得られるものは多い。
どうやら著者にはもう一冊著作があるようなので、そちらも読んでみようと思わされた一冊である・・・


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