2017年02月26日

【帝国ホテルの考え方 本物のサービスとは何か】犬丸徹郎



第1章 ホテルの理想は「窓の開くホテル」
第2章 生まれも育ちも田園調布
第3章 少年時代-アメリカでの夏休みとテニス
第4章 ローザンヌ・ホテル・スクール時代の日々
第5章 パリからフランスへ-フランス料理修業
第6章 軽井沢別荘ライフ
第7章 東京日比谷-ホテルとプロフェッショナリズム
第8章 人が集まる場所、それがホテル

著者は、元帝国ホテル副総支配人。祖父の代からのホテルマンの三代目だという。タイトルからして、何か「おもてなし」系の話なのだろうとイメージしていたが、中身は全然違っていた。主となるのは、ホテルマンとしての著者の自伝的なもので、そしてそこから導き出される考え方、それも「本当のホテルとは何か」といった事である。

著者の祖父と父は、それぞれ帝国ホテルの社長、総支配人(どう違うのかはよくわからない)であり、著者は子供の頃からフランク・ロイド・ライト設計の「ライト館」を遊び場にしていたという。そんな著者は田園調布に生まれ育つ。その昔、「田園調布に家が建つ」と漫才で言われたが、この方、「根っからのセレブ」である。当然、幼稚舎からの慶應ボーイ。その経歴は非の打ち所がなく、ちょっと事業で成功して金持ちになった程度の成金とはモノが違う。

著者の語る理想のホテルとは、「窓の開くホテル」だという。それは物理的な意味ではなく、「スタッフの心の窓も開いて、滞在するお客様を極めて自然な形で受け入れるホテル」なのだそうである。正直言って、イメージできない。レマン湖畔にあるホテル・ボーリバージュ・パレスがその見本のようなのであるが、そこでは館内に細かな表示はなく、わからなければ近くにいるスタッフに尋ねて必要があれば案内してもらうのだとか。玄関ドアも押して入るモノらしい。

帝国ホテルも施設的には五つ星ホテルに属するらしいが、欧米の一流ホテルとは異なり、幅広い客層を取り込むことに傾注したため、はっきりとホテルを星によってセグメントすることが難しいとする。その理由は、日本においてはヨーロッパの最高ホテルに見られるような最高級な客層がまだまだ限られているためで、ホテルが「ビジネスホテル化」しているのだそうである。つまりは、庶民が出入りするようでは真の一流とは言えないということらしい。

日本でヨーロッパにおける本当の「ホテルらしいホテル」を目指すのは帝国ホテルくらいで、あとはチェーン化された外資系ホテルになってしまっていると著者は語る。どこからそんなセリフが出てくるかと言えば、それはやはり著者のキャリアからである。田園調布に生まれ育ち、そこは自動販売機などなく、必要であれば駅前のスーパーなり商店が届けてくれる世界。

別荘は当然軽井沢で、あの白洲次郎に誘われて祖父がその隣を購入したのだとか。毎年夏に訪れるのは当然のこと、それ以外にも川奈ホテルでバーベキューをし、箱根の富士屋ホテルの室内プールで泳ぐ生活。小学生になると、単身アメリカのサマーキャンプに参加するようになる。このあたりは富裕層、名家の子女の生活ぶりが伺えて興味深い。

それでも著者はただのボンボンではなく、自ら単身アメリカのサマーキャンプに行くなどチャレンジ精神は凄い。慶應大学時代にスイスの名門ローザンヌ・ホテル・スクールに留学するが、フランス語が必須であったため、事前に語学留学し現地に溶け込んで働く話にはすなおに頭がさがる。日本に戻ってきて、横浜のニューグランドホテルを経て帝国ホテルに入社するが、帝国ホテルも大企業化する中で、世襲はできなかったのかそのキャリアは副総支配人で終わっている。

「考え方」と言っても、「企業としてのホテル」と「文化としてのホテル」の違いを説き、著者としては「文化としてのホテル」を強調したいのだが、企業としては採算も大事で、収益としてのホテルとなっていることに忸怩たる思いを抱いているようである。確かに、著者の説く「文化としてのホテル」を作るのは相当困難であると思うし、著者のような経験を持つ人がそれを継承するべきなのだろう。

代表的庶民の自分としては、縁もゆかりもない世界の話であり、だからと僻むわけではないが、こういう世界もあるんだと知るにはいい機会であった。日本には伝統的な職人も数が減っていると問題視されている。ある意味こういう真のセレブの人たちも「絶滅危惧種」なのかもしれない。是非とも「文化と伝統」を維持していっていただきたいと素直に思う。

自分とは違う世界を知るという意味で、いい一冊である・・・

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2017年02月23日

【参謀−落合監督を支えた右腕の「見守る力」−】森繁和



序 章 投手会の夜
第1章 なぜしぶといチームは完成したのか
第2章 教えるより考えさせるコーチ術
第3章 落合博満監督の凄さ
第4章 参謀の心得
終 章 選手への愛情は決してなくさない

 著者は、元中日ドラコンズのヘッドコーチ。落合監督の下で8年間苦楽を共にした方で、サブタイトルにある通り、「右腕」としての8年間から得たものを語った一冊である。
プロ野球をほとんど見なくなって久しく、したがって著者の現役時代(1979年〜1988年)はもちろんのこと、そのすぐ後のコーチ時代(西武→日本ハム→横浜)のことも中日に移ってからのこともほとんど知らない。まさに、「落合監督の下でこれを支えた」という一点に興味を持って本を手にした次第である。

 落合監督といえば、やはり2007年の日本シリーズの完全試合目前のピッチャー山井を変えた采配が印象深い。著者はまずそれを冒頭で語る。「非情な采配」と言われたが、実は交代を決めたのは著者だという。山井はマメを潰しており、本人から「岩瀬さんでお願いします」と言われたという。本人が「投げる」と言えば、著者はたとえ監督が反対しても投げさせたというが、本音は「交代」であったため、本人の申し出はありがたかったという。のちに落合監督も「山井に救われた」と語ったそうである。実に興味深い裏側である。

 著者は、横浜のコーチをしているシーズン終了間際に、落合監督から電話をもらい誘われたという。落合監督は、そうして誘った著者の契約期間を3年とし、報酬も球団と交渉して相場よりも高くしたという。そんな裏事情も興味深い。そして「ピッチャーのことはわからないから」と言い、著者にすべてを任せたという。著者はそんなやり方に、意気を感じたようである。だから、日本シリーズの采配に際しても、落合監督が批判にさらされたことを悔やんでいるのである。

 本の表紙に写る著者は、顔もそうだが、コーチとしては怖いのだと言う。しかし、落合監督からは、「絶対に手を上げるな」と言われたらしい。それは「選手が監督やコーチの顔色や機嫌を見て動くようになってはいけない」と言う考えらしい。落合監督自身、若い頃暴力的な指導に反発した経験があるからのようで、こう言う監督の側面は、『采配』には出てこなかったと思うが、別の角度から見た落合監督の姿として興味深い。

 そんな監督の下で、組織づくり体制づくりをした経験から、そのポイントは3つあるとしている。
1. すべてを任せられるトレーニングコーチ
2. 1軍と2軍の情報共有、コミュニケーションをよく取れるようにしておくこと
3. シーズン中も練習をしっかり欠かさないこと
1は意外や意外と言う気がする。選手は調子が悪くても、それを言わないことがあるらしいので、選手の管理という面で大事だということである。2はどんな組織でもやはりそうなのだと思う。3をわざわざ挙げるということは、出来ていないところが多いということだろう。

 著者は投手の起用を一任され、監督からそれを覆されたことはなかったという。こうした権限移譲は、今の自分の仕事でも参考になる。そしてやはりコーチとしての最大の責務は選手の指導育成だと思うが、自分は選手を「育てた」というより「潰さなかった」のだと語る。謙遜しているのかもしれないが、選手としっかりコミュニケーションを取り、「こうやれ」ではなく「こういうやり方もあるよ」と「教えるより考えさせるコーチング」を実行したという。サラリーマンでも、部下の育成にも言えることではないだろうか。

 落合監督が成功した要因は、すべて自分でやるのではなく任せることの重要性を理解していたことだという。そして判断基準は、「優勝のために是か非か」で組織づくりをしており、そのシンプルさが良かったとする。指導に際しては、「監督の言葉を借りるだけの指導は簡単だが責任逃れ」とし、「自分が任されているなら部下にもしっかり任せて責任を取る」としたらしい。こういうやり方は、サラリーマン社会でも効果があるのではと思う。

 プロ野球関係者の本は、読んでいても興味深く、そして得られるものも多い。野村監督の本などはその最たるものであるが、こういう自分が全く知らない人でも同様である。
『采配』とセットで読みたい一冊である・・・


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2017年02月22日

【アリさんとキリギリス−持たない・非計画・従わない時代−】細谷功



第1章 キリギリスの復権
第2章 ストックとフロー
第3章 閉じた系と開いた系
第4章 二次元と三次元
第5章 川下と川上
第6章 アリとキリギリスの共存は可能か

 著者は、ビジネスコンサルタント。この著者の本は、以前【地頭力を鍛える 問題解決に活かす『フェルミ推定』】を読んだことがある。すっかり忘れていたが、なかなか面白い本であった。この本は、「思考やそのベースとなる価値観との対立構造」について、「新と旧」、「保守と革新」、「自由と規律」、「新参者とエスタブリッシュメント」という対立構造の根底に潜む価値観とその要因を「アリとキリギリス」に例えることで探る本と説明されている。

 「人があるべき論や善悪を語るときには、知らないうちに自分が育った環境や価値観を引きずりそれが唯一絶対のものだと思いがち」という指摘は、実生活でもすごく実感している。その通りである。著者は、これについて、「あるのは善悪ではなく、前提となる価値観の違いだけ」とする。価値観の違う世界で、別の価値観を表現してしまうことを吉幾三の歌の歌詞に例え、「銀座で山を買う」と表現する。
・創造性の教育のために効率的で画一的な方法を考える
・新規事業の意思決定のために過去のデータと事例を使った説明を求める
といった具体例が挙げられるので、分かりやすい。

 有名なイソップ童話の「アリとキリギリス」では、「アリを見習うべし」とされているが、本書では「違いを理解すべし」とし、あくまでもアリとキリギリスは並列で良し悪しではないとされる。しかし、一方で現代はキリギリスが活躍できる時代とする。そういう変化が9例ほど挙げられるが、中でも個人的には「知識から思考へ」というところに重きを置きたいと思う。AIの進化はますますこの傾向に拍車をかけるだろう。

 アリとキリギリスの違いは大きく分けて次の3点。
1. 貯めるアリと使うキリギリス(ストック重視かフロー重視か)
2. 巣があるアリと巣がないキリギリス(内と外、集団思考か個人思考か)
3. 二次元のアリと三次元のキリギリス(次元とは行動の自由、アリは制約の中で最善を尽くそうとし、キリギリスは制約を変えてしまおうとする)

 具体的な例だとはっきりわかる。ストックとフローでは、
1. アリはお金を貯めてから使おうとし、キリギリスは使えばそれによって入ってくると考える。
2. 知識のアリ、思考のキリギリス
3. 過去を見るアリ(前例思考、前例がないからやらない)、未来を見るキリギリス(前例がないからやる)

 内と外では、アリはチームワークを得意とするが、キリギリスは個人プレーである。一見、チームワークが勝るように思えるが、仲間意識はセクショナリズムと表裏一体という指摘は、その弱点を示す。確かに、見方は様々である。「仕事」と「遊び」についてもしかり。アリはワークライフバランスとして分けて考えるが、キリギリスはワークとライフはそもそも表裏一体と考える。

 自分はどちらのタイプだろうかと、自然と例を見ながら考えている。どちらかといえば、自分はキリギリスタイプである。「規則は絶対ではなく、見直しも選択肢の一つ」だし、「選択肢を与えられるよりも自分で作り出す」方だ。だが、どちらのタイプかと決めるのも無益であるとする。例えば起業家は、会社を立ち上げるまではキリギリスであることが求められるが、会社を成長させ規模を大きくしていく際にはアリの要素がいるとしており、一人の中でも変化があるとする。自分はどちらだということに意味はないのであろう。

 なかなかこれも面白い本である。相手のタイプがわかると、対応も変わってくるかもしれない。自分がキリギリスで、相手がアリであればその反応も納得できる。腹も立たずに冷静に対応策を考えられるかもしれない。著者の言うように、どちらが優れていると考えるのではなく、違いを理解すると言うところがミソなのだろう。
今後のコミュニケーションに参考になりそうな一冊である・・・



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2017年02月21日

【自分の時間を取り戻そう−ゆとりも成功も手に入れられるたった1つの考え方−】ちきりん



序 「忙しすぎる」人たち
1 高生産シフトの衝撃
2 よくある誤解
3 どんな仕事がなくなるの?
4 インプットを理解する 希少資源に敏感になろう
5 アウトプットを理解する 欲しいモノを明確にしよう
6 生産性の高め方@ まずは働く時間を減らそう
7 生産性の高め方A 全部やる必要はありません
8 高生産性社会に生きる意味
終 それぞれの新しい人生

 ブログを始めとして、この人の意見には傾聴する価値が大きいと思い、その著作には注意を払っているが、そんな中でまた手にした一冊。この本は、著者曰く、「今後の社会を生きていくために、そして人生を楽しむために私たち全員が身につけるべき根幹の能力とは何なのか」をテーマとするもので、『自分の頭で考えよう』『マーケット感覚を身につけよう』に続く第3弾なのだという。特に『マーケット感覚を身につけよう』は、私にとって衝撃的とも言える内容だったので、大いに期待して手にした次第。


 冒頭、4つのタイプの人物が登場する。
部下を持ったばかりの「デキる男正樹」、妻と母との両立に「頑張る女ケイコ」、何とか現状を変えようとして「休めない女陽子」、成功の裏で「焦る起業家勇二」。
それぞれが悪戦苦闘する姿が描かれるが、どのタイプも至る所にいそうなタイプである。そこから、「忙しすぎる」という問題について切り込んでいく。

 この背景には、
1 長い時間働くことによって問題を解決しようとしている
2 すべてのことを「やるべきこと」と考え、全部やろうとしている
3 何もかも完璧にやろうとしている
4 不安感が強すぎてNoと言えなくなっている
5 とにかく頑張るという思考停止モードに入ってしまっている
と分析する。そしてその本質的な問題として「生産性が低すぎる」ことを挙げる。この「生産性」がこの本のキーワードである。

 例えば著者は、タクシー業界を差し、「ものすごい数のタクシーが空のまま走っている」ことを、「何という生産性の低いビジネス」と語る。言われてみればその通りだが、そういう視点は持ったことがなかったので、実に刺激的である。最近登場したUberは、無駄な時間が発生しないとするが、これから社会の高生産性化は不可避で、生産性の高いものが残り低いものが淘汰されていくだろうとする。

 グーグルやアマゾンが税金を回避していて問題になっているが、「グーグルが1,000億円を自分たちで人工知能やゲノム解析や自動運転の研究開発に使うのと、アメリカ政府に納税して無人攻撃機や爆弾代として使われたり、日本政府に納めて地方再生の資金としてバラまかれたりすることを比べたら、お金という資源の生産性はどちらが高いか」という著者の問いには深く考えさせられる。

 江戸時代は国民の9割(数千万人)が農民だったが、しょっちゅう飢饉が発生していた。現代は農業従事者は200万人だが、米の自給率は100%を維持しているとして、それが「生産性の向上」だと説明する。将来はさらに20万人でまかなえるとするが、ドローンで農薬を散布してなどという説明をされると、さもありなんと思えてくる。

 さらに衝撃的なのは、「生産性がゼロ以下の人たちは働かないでベーシックインカムをもらって暮らせるようにする」という考え方。ベーシックインカムとは、生活保護みたいに支給される現金であるが、これを福祉としてではなく、「生産性向上への反対論者に邪魔をされたくないから」という考え方から著者は主張する。こういう考え方は、私には出てこない。

 さらに、一例としてあるガン患者に対しなかなか治療の成果が出ない中、IBMのAIであるワトソンに遺伝子情報を読ませたところ、ワトソンはわずか10分で診断を下し、抗がん剤の変更を提案し効果を得たことを挙げ、これからの社会の変化を示唆する。電子書籍の登場によって、「紙の本」という言葉が使われるようになってきたが、今後は「人間の医師」「人間の薬剤師」という風になっていくとする。

 高生産性社会になっていく中、我々は何をすべきだろうかと必然的に考える。「働く時間を増やすのは暴挙」とするが、この本を読めばそれはよくわかる。「一人で全部やれ」思想はすでに自分は脱している。「すべて完璧にやる」も同様。それにとどまらず、いろいろと考えてみようと自然と思う。すべての人が豊かな生活を手に入れるためにも、社会の高生産性シフトは福祉よりも重要とする著者の主張もその通りだと思う。そんな働き方を(すでに半分くらいはできているつもりだが)、さらに心掛けていこうと思う。

 またしても、刺激と学びの多い一冊である・・・

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2017年02月20日

【第四次産業革命−ダボス会議が予測する未来−】クラウス・シュワブ



原題:The Fourth Industrial Revolution
1章 第四次産業革命とは何か
2章 革命の推進力とメガトレンド
3章 経済、ビジネス、国家と世界、社会、個人への影響
付章 ディープシフト

著者は、世界経済フォーラムの創設者であり、会長である人物だとのこと。現在の世の中の動きから未来を予測する内容とあって、興味を持った一冊。

イギリスで蒸気機関の発明と鉄道建設とによってもたらされた産業革命を第一次とすると、電気と流れ作業の登場によってもたらされたのが、第二次産業革命。そして半導体、メインフレームコンピューター、パソコンの開発とインターネットにより推進されたのが、第三次産業革命であるとする。そう分類すると、これまでとは比較にならないほど遍在化しモバイル化したインターネット、小型化し強力になったセンサーの低価格化、AI、機械学習が特徴的な現在は「第四次産業革命」と言える状況であるとする。

第一次産業革命後、紡績機械がヨーロッパ外へ普及するのに120年かかったが、インターネットが世界に浸透するのにかかったのは10年、そして2007年に登場したスマホが8年で20億台売れているという。こうした状況を考えると、「産業革命」という言葉もまんざら大げさではない気がする。その第四次産業革命は、大きな利益がもたらされる一方、不平等も悪化している。

現代のタブレットは、30年前のデスクトップコンピューター5,000台分の処理能力があるという。そうした新たな変化やテクノロジーには、1つの重要な共通する特徴があって、それはデジタル化と情報テクノロジーの浸透力を利用した物理的なメガトレンドがみられるという。それは以下の通り。
1. 自動運転
2. 3Dプリンタ
3. 先進ロボット工学
4. 新素材
どれもこれも未来に向けて大きく話題になっているものである。

読んでいてやはり興味を抱かされるのは、今現在の状況説明より未来予測だろう。個人的に興味を惹かれたのは、「2025年までに起きると予想されるティッピングポイント」という項目のうちのいくつかである。
1. 米国で最初のロボット薬剤師が登場する
2. 体内埋め込み式携帯電話の販売開始
3. 人口5万人を超える都市で初めて信号機が廃止される
4. 企業の取締役会にAIマシンが登場
どれも「遠い未来には実現しているかもしれない」というものではなく、それゆえにそうした変化というのも念頭に置いておきたいと思う。

新たな技術は労働の性質を劇的に変えるという話は、ちょっと心底冷やすものがある。労働者は、「失業者になるかスキルの再配分を余儀無くされる」という。これまでも技術革新は一部の仕事を奪う一方、別種の新たな仕事を生み出してきており、仕方のないものであるが、自分としては淘汰されないようにしないといけないと改めて思う。

それは国家間でも言えることで、先進国向けの製造業において、低賃金労働が競争力とならなくなるとする。すでに「ウーバーのドライバーをしつつ、インスタカートのショッパーをしつつ、エアービアンドビーのホストをしつつ、タスクラビットでの請負仕事をする」ということもありうるわけで、労働の本質が劇的に変化している。

ショッキングなのは、やはり軍事面だろうか。軍用ロボット、AI制御の自動兵器の配備、海底や宇宙にも軍隊が配備され、人間が関与せずに目標を認識し攻撃開始を判断できる。まさに『ターミネーター』のスカイネットであり、『ターミネーター』の「ジャッジメントデイ」が本当に来るかもしれないと思わされる。

そういう危険性などを考えると、「結局、すべては人々や文化、価値観にかかっている」と著者が結論づけるのも当然だと思う。「人間を中心に据えた人間が優先される未来、人々に権限を委譲し、すべての新技術は何よりも人間のために作り上げたツールであることを絶えず自覚しよう」という呼びかけは、もっともである。

技術だけを追求するのではなく、人間性、公益性などとのバランスが大事だというのは、何事も同じかもしれない。これからの未来を考える上で参考になる一冊である・・・



posted by HH at 18:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 金融・経済・株式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月18日

【えんとつ町のプペル】にしのあきひろ



 キングコングという漫才コンビの芸人である西野亮廣の著書『魔法のコンパス』でその存在を知った絵本。絵本業界の常識を覆す分業で製作したということで、話題になりかつベストセラーにもなっているため、興味を持った絵本。小学生から「高くて買えない」と言われ、ネットで全部を公開するという大胆な行動とその心意気に、思わずアマゾンでオーダーしてしまったものである。

 クラウドファンディングで資金を集め、分業で絵のクオリティーにこだわったというだけあって、中の絵は豪華そのもの。『ブレード・ランナー』を観ているような感覚に陥ってしまう。1ページ1ページじっくりと隅々まで見たくなり、そんな読み方をしていると普通の絵本なら数分で読めてしまう厚さなのに、濃厚感を味わえる。

 物語は、タイトルにあるように、どこかにある煙突だらけの町。4,000メートルの崖に囲まれ、人々は外の世界を知らず、おまけに煙突からの煤煙が町を覆い、そこに住む人たちは青い空も輝く星も知らない。そんな町で、あるハロウィンの夜、配達屋さんが配達中の心臓を落としてしまう。心臓は町外れのゴミの山に落ち、ドクドクと動き続ける。

 動き続けた心臓は、やがて周りのゴミをくっつけてゴミ人間が生まれる。ゴミ人間は、ガスの臭い息を吐きながら町へとやってくる。汚いゴミ人間を町の子供達は嫌って近寄らない。しかし、そこへススだらけの少年がやってきて話しかける。少年は煙突掃除をしているルビッチ。ルビッチは、他の子供と違い、ゴミ人間を嫌わず、むしろ「プペル」と名付けて仲良くなる・・・

 こうして物語は、ルビッチとプペルの交流となる。出会いがあり、仲違いがあり、そして心が通じ合う瞬間がある。最後は、大人でもほろっとさせられるストーリー。1枚1枚の見事な絵とともに、ストーリーを味わえる。さすがに絵本ゆえに、大人としては物足りないところもあるかもしれない。しかし、物語は日本語と英語で表記されている。あえて英語で読むのも、物足りない感がある大人にはいいかもれない。絵本ならではのシンプルな英語は、ちょっとした英語トレーニングにもってこいである。

 絵本は絵本であるが、その制作の意図を『魔法のコンパス』で知っていたし、そういう背景を理解しながら読むと、大したものだと思わざるを得ない。小学生向けにネットですべて公開されているが、大人だったら買って読みたいところである。ベストセラーになっているということは、そんな風に思う大人が多いということだろう。アイデアと行動力が正しく評価されているわけで、いい世の中だと思う。

 そんな背景もすべて含め、じっくりと味わいたい大人の絵本である・・・



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2017年02月15日

【コーヒーが冷めないうちに】川口俊和



第1話 『恋人』結婚を考えていた彼氏と別れた女の話
第2話 『夫婦』記憶が消えていく男と看護師の話
第3話 『姉妹』家出した姉とよく食べる妹の話
第4話 『親子』この喫茶店で働く妊婦の話

 最近ベストセラーになっているので、読んでみようと手に取った一冊。こういう選び方もたまにある。物語の舞台は、とある街の、とある喫茶店。もっと正確に言えば、その店の中のとある座席。その席には不思議な現象が起き、そこに座っていると、その席に座っている間だけ、望んだ時間に移動できるという。つまりタイムトラベルが可能なのだという。その不思議な席を巡る物語。

 タイムトラベルと言っても、この物語には厳格なルールがある。
1. 過去に戻っても、この喫茶店を訪れたことのない者には会う事ができない
2. 過去に戻ってどんなに努力しても、現実は変わらない
3. 過去に戻れる席には先客がいて、席に座れるのはその先客が1日に1回だけ席を立った時だけ
4. 過去に戻っても、席を離れる事は出来ない
5. 過去に戻れるのは、コーヒーをカップに注いでからそのコーヒーが冷めてしまうまでの間だけ
 なんと極めて限定的なタイムトラベルなのである。

 第1話は、この喫茶店で別れ話をした恋人たちの話。正確に言えば、男は恋人にアメリカに行く事が決まったと告げるだけ。だから別れるともついてきてくれとも言わない。女も何も言わない。そういう恋人同士。後から思うところのあった女が、この話をした瞬間に戻ることを願う。過去に戻っても、男がアメリカに行く現実は変わらない。だけど、過去に戻って素直になれた彼女の気持ちは大きく変わる・・・

 第2話は、若年性アルツハイマーに罹ってしまった夫と看護師をしている妻の話。次第に薄れて行く記憶。夫はとうとう妻の記憶を失ってしまう。「他人」に戻ってしまった妻は、それでも看護師として夫を見守る覚悟を決める。しかし、記憶がなくなる前、夫が手紙を書いていたことを知ると、妻はその手紙を受け取りに行くことにする・・・

 第3話は、地方の古い旅館の女将の座を妹に押し付け東京に出てきた姉と、その姉を迎えにきた妹の話。月に1回上京しては姉の説得を試みる妹。最近ではそれが煩わしくて、妹が来ると隠れてしまう姉。今回もそうして隠れて過ごした姉だが、妹はその帰り道、自動車事故で帰らぬ人となってしまう。姉は、妹が最後に迎えにきた日に戻り、妹と話をすることにする・・・

 第4話は、この店で働くマスターの妻、計の話。計は妊娠しているが、生まれつき心臓が弱く、医師からは出産に耐えられないと宣告されている。計はそれでも出産を望むが、心配なのは無事に産む事ができるかどうか。そして計はそれを確かめるために未来へ向かう事を決める。極めて限られた条件下、どうなっているかわからない未来に向かうリスク。それでも計は時間を指定して席に座る・・・

 人は常に、「あの時ああしていれば」という思いを持っている。登場人物たちにとって、まさにその「あの時」があるのである。それは極めて限定的な瞬間だ。色々と制約があったとしても、限られたその瞬間に戻れるなら、自分の人生を変えられるかもしれない。そう考えると、限定された条件もそれはそれで十分物語として成り立つものである。まぁ、いつも席には「幽霊(過去から戻れなかった女)」が座っていて、無理にどかそうとすると「呪われる」という前提には苦笑せざるを得ないが・・・

 それでも4つの物語には味わいがあって、特に最後の話には思わずウルウルとさせられてしまった。ベストセラーになっているのもなんとなくよくわかる。作者は、この小説がデビュー作らしい。今後、ちょっと名前を覚えておきたいと思う作家である。
 そんな喫茶店があったら、自分ならどうするだろう。ちょっと想像してみたい一冊である・・・

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2017年02月14日

【雑談力】百田尚樹



第1章 人を引き付ける話をする技術
第2章 その気になれば、誰でも雑談上手になれる
第3章 こんな話に人は夢中になる
第4章 親友とする真面目な話

百田尚樹は、ツイッター等での発言を目にしているが、その政治的言動もさることながら、関西人ならではのユーモアに満ちていて面白いと常々感じていた。実際に話をさせるとさらに面白いらしく、その「面白い話をする秘訣のようなものを本にしてくれ」と言われて書いたのが本書であるという。百田尚樹は、小説が面白いのだが、小説以外の本となると『大放言』以来である。

ご本人は、小説家でありながら書くことよりも喋る方が100倍も好きなのだそうである。「起承転結を考えて、なおかつ盛り上げにも留意して最後のオチも決める、これを即興でやるのがトーク」と簡単に説明するが、一般人には言うが易しである。しかし、素人でも参考になりそうな説明がちゃんと続く。

まずは「つかみ」が大事とのこと。これは小説を書く場合にもすごく気を付けていて、「極端な話、最初の1ページから面白いシーンがないと気に入らない」と語る。
『しかしあのゼロだけは忘れない。悪魔のようなゼロだった。』(『永遠の0』)
『磯貝彦四郎殿は亡くなっておられました。』(『影法師』)
確かに、最初の1ページからこちらも引き込まれてしまっている。

「質問から入る」と言うのも良いと言う。『惑星って、どうして惑星って名前が付けられているのか知ってる?』と聞かれれば、確かに惹きつけられる。「常識を揺さぶるような話から入る」のも良しとする。『人工衛星というのは、永遠に落ち続けている』と言われれば、「えっ!?」となる。そして面白い話にはストーリーがあるというのも納得。無味乾燥な歴史の年号も、それにストーリーが加われば俄然生き生きとしたものになってくる。

面白い話をする秘訣は何よりインプットが大事。話の急所を理解し、本や新聞を読む時も、テレビを見る時も、人の話を聞く時も、「面白いと思えばそれを覚える」という気持ちを持つことが大事らしい。そんな著者なりのアドバイスが続いていくが、なるほどと思うところがある。
・失敗談ほど面白いものはない
・相手ではなく、自分が関心を持つ話題を探せ
・自分の感性に自信を持て(自分ならどんな時に感動し、笑い、びっくりするのか)
・ネタをどう仕込むか(話を聞く時にただ一方的に聞き役になるのではなく、積極的な聞き役になる)
・話し方が上手くなるコツはとにかく実践あるのみ

特に、「話し上手は聞き上手」という部分に興味を持つ。これは確かにそうかもしれない。そしてとっておきの練習法として、映画や小説の話をするのだとか。話題としてはそれ以外でも、個人的な思い出でも普遍性を持たせればOKだという。それにしても野口英世が、現在は世界的には評価されていない研究者だという話は驚きでもあったが、こういうネタもかなり含まれている。

最後に「親友とする真面目な話」として、南京大虐殺や慰安婦問題、靖国問題などの話題が取り上げられる。このあたり、『大放言』の続きとも言える。
話題もそうであるが、やはり一番大切なのは「人を楽しませたいという気持ち」なのだというところに強く共感した。それが何よりなのだろう。そして百田尚樹は、その気持ちが人一倍高いのだろうと思う。
この本を読んだからといって、すぐに話が上手くなれるわけではないが、「人を楽しませたいという気持ち」だけは、常に持っていたいと思うところである。

面白い小説が書けるというのは、やはりそれだけには止まらないのだと改めて思わされる。小説もいいが、それ以外の分野の本も読んでいきたいと思わされる一冊である・・・




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2017年02月09日

【誘拐】五十嵐貴久



COUNT ZERO
ファースト・ステップ
セカンド・ステップ
サード・ステップ
ラスト・ステップ
ファイナル・ステップ
IN THE END

 著者は以前、『贖い』を読んで面白いと思った作家。前作からの期待連想というわけではなく、選んでみたらたまたま同じだったというのが正直なところだが、偶然選んだ二冊がともに面白いと今後は作家の名前で選んでみたいと思わされる。そんな一冊。

 主人公は大角観光の人事部に努める秋月孝介。冒頭、いきなり何やら重大事態の発生。孝介は会社を飛び出し、会社や家族からの連絡にも応じず街をさまよい酔いつぶれる。やがてそれが孝介の会社の社員が一家心中をしたことだとわかってくる。大角観光は経営不振によるリストラを行っており、死んだのは孝介が退社させた社員であったのである。

 悲劇はさらに続き、その家の中学生の娘は孝介の娘宏美の親友であり、孝介が深夜に帰宅すると、宏美にそれをなじられる。そしてあろうことか、宏美は批難の言葉を残し窓から飛び降りてしまう。それを機に、妻も孝介の元を去り、職を辞した孝介は職と家族とをともに失う結果となってしまう。

 それからしばらくし、かつての信頼できる部下であった関口純子とともに孝介は大胆な行動に出る。それは時の内閣総理大臣佐山憲明の孫娘百合の誘拐である。時に佐山は総理大臣として日韓友好条約締結を控えており、それに伴う韓国大統領の来日が大きな政治テーマとなっている。そんな中で、白昼堂々現職総理大臣の溺愛する孫娘を誘拐した孝介と純子。

 佐山総理は動揺し、警察は威信をかけて犯人逮捕、百合の保護に向けて動き出すが、警察は韓国大統領の来日に伴う厳戒態勢で誘拐捜査に十分な人員を割けない。その中で、警視庁の荒巻捜査一課特殊捜査班班長が捜査担当に任じられる。荒巻以下捜査陣は、犯人を条約締結に反対する北朝鮮と見て捜査を開始する・・・

 以前はよくニュースになっていた営利目的の誘拐事件であるが、最近はあまり聞かない。それも捜査技術の進歩によって、誘拐が成功可能な犯罪ではなくなってきていることによるのかもしれない。それを示すのか、作中では今の技術の一端が語られる。誘拐といえば、かつては脅迫電話を少しでも長く喋らせて逆探知するというのが定番だったが、今は一瞬で逆探知できるという。

 そうした技術背景を考えたのか、孝介の考えた脅迫電話の方法はなかなかユニークである。そして韓国大統領が来日する厳戒下の東京で孝介から要求が出される。一介の個人にそんな大胆な犯罪が可能だろうかというところが、この物語のポイントになると思うが(少なくとも私はそう思う)、そのあたりは実にうまく説明されている。なるほどと思う中、物語の展開も先を読ませず、ぐいぐいと引き込まれてしまった。

 誘拐という、一種手垢のついた感のある内容であるが、なかなかアレンジされていて良かったと正直思う。ラストに至る一瞬まで気をぬくことができなかった。この作者の他の作品もますます読んで見たくなった一冊である・・・


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2017年02月08日

【日本共産党と中韓】筆坂秀世



序 章 離党から10年-日本共産党とは何だったのか
第1章 コミンテルンと日本帝国主義との戦争
第2章 日本に武力闘争路線を押し付けた毛沢東
第3章 中国と日本共産党
第4章 韓国と日本共産党
第5章 東京裁判と日本共産党
第6章 靖国神社参拝問題と日本共産党
終 章 二転三転し続ける日本共産党
付 録 中国の膨張主義と沖縄

 著者は、元共産党衆議院議員。18歳の時に入党し、以来57歳で離党するまで共産党で准中央委員、中央委員、幹部会委員、常任幹部会委員、政策委員長、書記局長代行等を歴任し、No.4まで勤めた人物なのだとか。それが今や離党し、共産党を批判する立場に回っているという。そんな著者の経歴に興味を持ち、手にした一冊。

 私自身、若い頃は共産主義に共鳴するところもあったためか、「私的利益を一切求めず、革命のために自己犠牲を厭わないというストイックな生き方は世間知らずな私を惹きつけるに十分だった」と著者が語るところはすごくよく理解できる。誰かが言っていたが、「共産主義は麻疹みたいなもの」だとか。言い得て妙である。そんな著者はしかし、どっぷりと共産主義思考に染まる。

 そんな著者が離党したのは、「共産主義は所詮ユートピア思想」だと気付いたところだとか。「現実の共産主義体制は人類解放どころか専制主義的一党独裁の人類抑圧社会でしかない」と語るが、それを理解するのに40年もかかったのと思わなくもない。元アサヒビール名誉顧問で、『おじいちゃん戦争のこと教えて』の著者である中條高徳氏の薫陶を得たことも大きいようである。

 著者は、この本で共産党の歴史を語る。戦前の日本共産党の最大目標は、中国革命の成功とソ連擁護。戦争を内乱に転化し、革命成功に導くのが最終目標であったとする。当時のソ連は労働者の祖国で、日本共産党員にとっては憧れの存在であった。著者が入党した頃は、毛沢東の文化大革命を巡って日中両国の共産党は大げんかの真っ最中だったらしい。

 今は関係改善が図られているが、逆にそれゆえに南シナ海のベトナム沖の中国の石油採掘という領海侵犯に対し、日本共産党はベトナムの正義の戦いを支持していないと著者は批判する。ベトナムが領海を維持するには防衛能力の向上が急務であるが、中国共産党と関係を改善した現在、「日本共産党は口をつぐんでいる」と批判する。

 朝鮮戦争はアメリカが仕掛けたものと規定し、韓国も朴正煕大統領時代はまともな国として認めいなかったようである。現在では、朝鮮戦争の評価は180度変換して「まとも」になっている。河野談話については、平成5年の発表時には批判していたという。今は天まで持ち上げて安倍政権批判に利用している。「いつまでたっても“これでは駄目だ”と言っているだけ」とそのスタンスを批判する。

 韓国に対しては、「ベトナムで何をやったか」とわが国に対する従軍慰安婦問題を批判するスタンスに対して批判する。戦地での市民虐殺、強姦、為替偽造、物資の横流し、麻薬密売と同盟国のアメリカでさえ手を焼く有様だったことを述べる。韓国軍の韓国兵のための慰安所もあり、国連で日本を批判する立場にはないとする。このあたり、溜飲が下がる思いがする。

 共産党は、東京裁判を絶対的に肯定している。それはそのまま靖国批判につながるが、著者自身がその考えを改めるに至ったのは、共産党時代、支持者の人たちの中に身内が靖国神社に眠っている人たちがいたからだという。かつては日本共産党も中国の靖国批判に対し、「内政干渉だ」とこれを批判していたとする。

 さらに興味深いのは、日本共産党が現在の憲法制定時に、「唯一反対した政党」であったという事実。「わが国の自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある」というのがその反対理由。この頃はまともだったのかと思わなくもない。現在も自衛権自体は認めており、一方で自衛隊は憲法違反としており、この矛盾も著者は指摘する。

 中国の膨張主義等現在の情勢を述べているところもあって、このあたりは著者の意見を披露している部分であり、その主張は至極もっとも。こうして著者の説明を読むと、日本共産党がいかにその時々の政権批判に終始してきているのかというのがよくわかる。そこには一貫したポリシーというものがない(もっとも「なんでも反対」というポリシーなのかもしれない)。何より元共産党員(それもキャリア40年)という方の意見だけに重みがある。

 著者の境地は、普通に考えていけば、当然至る帰結なのだろうと思う。改めてそれがわかったからどうだということもないが、そういうまともな意見を「元共産党員」が語るがゆえに、極めて意味のある一冊である・・・



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