2017年11月14日

【ノモンハン秘史】辻政信 読書日記857



一. 眼と眼
二. 歯と歯
三. 誇る伝統
四. ノモンハンは何処ぞ
五. 一勝一敗
六. 拡大の責は何人ぞ
七. 敢戦苦闘
八. フラルキ爆撃さる
九. 第六軍の戦場統帥
十. 骨を曝して

ノモンハン事件にはもともと興味を持っていて、その実態を少しでも知ろうと手にしたのが、半藤一利の『ノモンハンの夏』。そこで当時東京の大本営と現地の関東軍との温度差が指摘されており、大本営の曖昧な命令とそれを軽視する現場との対立が描かれていたが、半藤一利がもっとも問題視していたのが、辻政信少佐。その元凶とされた人物の手記が本書である。

何事も一方向からの意見だけで語るのは良くない。本人には本人なりの言い分があろうというもの。なるべく偏見のない目で、それらの言い分を聞きたいと思って本書を手にする。冒頭で、国際政治学者である人がノモンハン事件を振り返って、「実際には日本の勝利だった」と語る。近年の情報公開によって様々な事実がわかってきているという。戦力は日本軍3万に対し、ソ連は23万。それでいて被害はソ連の方が大きく、日本軍は10万の増援を得たところで停戦命令が出てしまったという。現地がまだまだやりたがったのも無理はないとする。

『ノモンハンの夏』でも紹介されていたソ連将校のジューコフは、対ドイツ戦の英雄ながら「生涯で最も苦しかった戦い」にノモンハンを挙げていると紹介されている。冒頭からして『ノモンハンの夏』とは真っ向から方向が違う。『ノモンハンの夏』では、最後はようやく停戦させたという安堵感が漂うが、冒頭の学者はその判断を「情報不足と情勢判断の誤り」と断じる。まことに面白いものである。

手記は昭和13年から始まる。既にソ連の満州国境への圧力は増してきており、著者はその最前線を視察する。全般を通じて描かれているが、辻少佐は決して後方で指示だけしている人物ではない。その姿勢は立派である。最初にカンチャーズ事件というのが説明される。これは領土侵犯したソ連砲艇に対し、東京の指示を無視して現地が攻撃したという事例で、「積極果敢に敵の不法を膺懲して事件の拡大を防止」したと著者は語る。

中央と現場の意識の違いを著者は「中央部は侵されても侵さないことを希望し、関東軍は侵さず侵されざることを建前とした」とする。この考え方の対立がすべてであろう。事件の推移は、それほど大きくは異ならない。ただ、現場の迫力はやはり違う。事件の初期に東支隊主力がソ連戦車部隊と交戦し、全滅する。少佐は山縣支隊とともに戦場に出て、その惨劇を目撃し、越権行為となるのを厭わず死体回収を命じ陣頭指揮を取る。

第一次ノモンハン事件では、中央も信頼と好意を持って支援したとある。だが、その後中央と現場との意見は大きく食い違っていく。「左の頬を叩かれて右の頬を叩かすか、あるいは断固として敵の出鼻を挫き、白熊の巨手を引っ込めさすか」との表現にそれはよく表れている。少佐の言い分にはもちろん、説得力がある。侵攻作戦に反対する中央に対し、正式に中止命令が来る前にやってしまおうという意見が平気で出て来る。現場の雰囲気は当然ながら正しいものをまとっている。

現場と中央の対立も激化していく。「現場サイド」から見れば、中央の参謀本部作戦課の大佐は「実戦の経験が全くなく」、「戦果の陰で死んでいった英霊に対し無礼」となる。現場にいれば「ソ連が対日宣戦の意志を持っていなかったことは明らか」である。中央との交渉と最前線との視察を繰り返す著者。「ああ東京が恨めしい。足枷手枷を外してくれたら、と毎日天を仰いで嘆息する」と語る。

結局のところ、本部と現場との対立というのは現代でもどこにでもある話であるが、一読してどちらが正しいとは判断がつかない。著者は、軍人としては確かに立派だと思う。偉そうに安全なところで指示だけしている人間ではなく、最前線で堂々と立ち居振舞っている。最後の遺書でも「卑怯な行動は断じてなかった」と子供たちに書き残しているが、その通りだったのだろう。全体を見て判断する作戦本部と、現場感覚でモノを言う最前線とどちらが正しいのかは難しい。

自分が正しいと信念を持って行動する姿が終始一貫して語られるが、また一方で本部の統帥が効かなかったのも事実であり、このあたりが帝国陸軍の問題点だつたのだろうと思う。本書と『ノモンハンの夏』とは、一つの事件を別々のサイドから比較すると言う意味で、対にして読むべき非常に面白い2冊である・・・


posted by HH at 18:05| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする