2018年03月07日

【ものの見方が変わる座右の寓話】戸田 智弘 読書日記899



第1章 視点と視野と視座
第2章 幅広い認識としなやかな思考
第3章 思慮深さと正しい判断
第4章 聡明さと創造的な仕事
第5章 強い組織の精神
第6章 働く姿勢と働く意味
第7章 正義の心と共同体
第8章 科学技術と社会の関わり
第9章 人生の道理と「有り難う」
第10章 欲望との付き合い方
第11章 学びの心得と学ぶ理由
第12章 挑戦と持続可能性
第13章 自分の物語の描き方
第14章 生と死のつながり
第15章 どんなときでも「ものは考えよう」

 タイトルを見ても分かる通り、この本は古今東西の寓話を集め、そこから得られる教訓を紹介したものである。著者のプロフィールは、あまり詳しく書かれていないが、何冊か本を書いている方のようである。そんな著者が、なぜ寓話に目をつけたのかはわからないが、目の付け所は面白いと個人的には思うところである。

 何を持って「寓話」とするかであるが、著者はあまり細かい分類にはこだわらず、「何らかの教訓を読み取ることができれば広い意味で寓話」だとしている。そしてその目的は「教訓や真理を伝えること、お話そのものはそれらを届けてくれる運搬手段」とする。さらにここで著者が提示するのは、「1つの視点、1つの解釈に過ぎない」としている。事実、話によっては「そう解釈するのか?」と疑問に思うものが多々ある。けれども「それでいい」としているところは安心できるところである。

 採り上げられる寓話は、知っているものも多い。最初に出てくる「六人の盲人と象」もその1つ。「部分の総和は必ずしも全体にはならない」とはまさにその通り。我々は時として自分の見方のみに固執し、相手の意見を強引にねじ伏せようとすることがある。相手の意見は時として自分が気がつかなかった視点を与えてくれるものであり、「耳を傾ける」ことの重要性を教えてくれる寓話だと、個人的には解釈した。

 「オアシスの老人」と「泣き婆さん」もともに物事に対する見方を説いたもの。平たく言えば、「物は考えよう」である。物事の良い面を見られる人、悪い面ばかりを見てしまう人、面白いくらい見事に当てはまる。「2ズウォッティのモイシュ」は、ビジネスパーソンにはウケる話かもしれない。同じ職場なのに同僚と給料が違うモイシュ。なぜと問うモイシュに店主は、仕事を与えてそれを証明する。モイシュは言われたことしかしないのに対し、給料の高い同僚は、言われた事の真意を悟りプラスαの仕事をする。だからモイシュは2ズウォッティしかもらえないのである。

 水の中のカマスと象と鎖の話は同じような内容。以前できなかったからと言って、ずっとできないと思っている。やってみれば簡単にできるようになっているにも関わらず・・・こういう事は、笑い話ではなく仕事でもよくある。古くからの習慣に漫然と従っていたりするのである。与えられたタラントの話は、著者とは受け取り方が異なる。旅行中に3人の召使いにお金を預けた主人が、帰ってきてそれを増やしていた2人を褒め、そのまま返した1人を叱責したもの。しかし、増えていたから良かったが、減っていたらどうなっていたのだろう。責められるべきは明確な指示をしなかった主人と、勝手な運用をした召使いにあるように思えてならない。

 有名な「キツネとすっぱい葡萄の話」は、「愚痴より負け惜しみの方が良い」と著者は解釈するが、負け惜しみも愚痴も「どっちもどっち」にしか思えない。それとは別に、1つ1つの教訓が妙に心に残ったものもある。
・人間1人の力は、無力ではなく微力
・失ったものを数えるな、残ったものを数えよ
どちらも深い奥行きのある言葉である。

 人に何かを説明するときに、寓話は実に有効だったりする。さらりと読み終えてしまったが、いくつかはどこかで使えるかもしれないので、頭の片隅に残して起きたいと思った。うまく使えるようになれればいいと思う一冊である・・・




posted by HH at 00:00| Comment(0) | 良い話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする