2018年03月13日

【孤独について】中島義道 読書日記901




序 章 孤独に生きたい
第1章 ずっと孤独だった
第2章 孤独な少年時代
第3章 孤独な青年時代
第4章 孤独を選びとる
第5章 孤独を楽しむ
第6章 孤独に死にたい

 この本を手にしたのは実に偶然である。最近個人的に哲学に興味があって、著者の『「純粋理性批判」を嚙み砕く』を読んだのであるが、他にカントについて著者が書いた本はないだろうかと調べて見たら、この本が目に止まったというわけである。そこからさらに手に取ったのにも理由があって、実は身内に心を病みかけているのではないかという者がいて、それに対して自分はどうすべきかと考えていたところだったため、何かヒントになりそうな気がしたという次第である。

 それにしてもこの方、超難解なカントを容易く読み砕くものだと思っていたが、実は予想外の一面を持つ人であった。というのも、この方実に人との関わり合いを嫌う方のようなのである。「他人から関心を持たれることそのことがひどく嫌」と語る。タイトルにある通り、孤独が好きなようである。本書では、「他人は決してあなたの孤独を解消してはくれない」と訴える。その考え方も独特で、「孤独になり不幸になることは、たいそう辛いからこそ貴重。その辛さがあなたの目を鍛えてくれる」と語る。

 その考え方のルーツは、小学生時代に遡る。「死ぬのが怖い」と泣き叫んで学校を休み、しばらく登校拒否になったという。これだけでもちょっと変わっている。さらにご本人は「世界が折れる」と表現しているが、独特の世界に入り込む術を持っていて、のちにそれはある精神分裂病の少女の手記に書かれていたものと同じだったと気づいたようであり、要はそういう要素があったと言える。

 また、一斉におちんちんを出して一緒に用を足すということがどうにもグロテスクで耐えられないと、トイレに行けなくなる。我慢しきれずに漏らしてしまうこともしばしばであったらしい。よく「大」の方は行けないというのは私も経験があるが、「小」までもは例がないかもしれない。さらにアイスクリームが配られる時に、友達とアイスをもらう群れの中に入って行けないとか、ボールが投げられないから足元にボールが転がってくると恐怖するとか、およそ私には理解できない感覚を持っていたようである。

 それでも成績は良くて、県立川崎高校から東大法学部に一発合格で入学する。しかし、そもそも東大法学部は優秀な家系ゆえのプレッシャーからであり、行きたかったわけでもなかったことからたちまちうつ病を発症してしまう。ここから迷走が始まり、わざと留年したと思えば思い立って教養学部へ転部し、大学院、ウィーン私費留学と迷走する(普通は能力的にやりたくてもできない迷走だったりするのだが・・・)。ようやく誘われて大学の教員になるも、今度は教授に徹底的にいじめられる。ただ、教授のいじめと言っても、実は非は著者にありそうな気もしなくもない・・・

 そんな壮絶とも言える人生の中で、哲学を勉強してこられたようで、『「純粋理性批判」を嚙み砕く』にはこんな裏の物語があったのかと感心してしまう。最後に著者は自分の「ぶざまな人生」をなぜここまで書くのかと問われれば、それは「生きるのが困難な多くの人に私の血の言葉でメッセージを送りたいから」と語る。確かに、こういう人でもそれなりに社会の中で地位を築いていけたというのは、大いに自信になるかもしれないと思う。

 世の中やっぱりいろいろな人がいるわけで、著者の例はそれでも極端だとは思うが、多少は生きるのが困難であったとしてもそれでもうダメということはない。周りに身を置く者としては、著者の例を念頭に置きつつ暖かく見守る事ではないかと思う。そして必要に応じて手を差し伸べて上げられたらと思う。こういう人がいるというのは、大いなる安堵をもたらす。必要な人には勇気付けられる一冊である・・・



posted by HH at 00:00| Comment(0) | ビジネス/自伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする