2018年07月28日

【藤十郎の恋・恩讐の彼方に】菊池寛 読書日記942



恩を返す話
忠直卿行状記
恩讐の彼方に
藤十郎の恋
ある恋の話
極楽

蘭学事始
入れ札
俊寛

菊池寛の名前は一応知ってはいたが、小説となると読んだことはなく、どこかで読んでみたいと「積ん読リスト」に入れておいたもの。本作はすべて時代劇の短編集である。

「恩を返す話」は、島原の乱の鎮圧に赴いた戦場で主人公の甚兵衛が敵に不覚をとり、同藩の惣八郎に救われるところから始まる話。実は甚兵衛は宗八郎に対し、あまり快く思っておらず、命を助けられたのがどうも心に重しとなってしまう。そこで今度は助け返そうと試みる・・・
「忠直卿行状記」は、家康の孫である越前少将忠直卿が、幼き頃より何をやっても藩内随一の腕前であり、己の力に自信を持って成長するが、ある晩家臣たちの話を立ち聞きし、家臣たちは自分に花を持たせるためにわざと譲っていたのだと知り、愕然とする話。

「恩讐の彼方に」は主人を斬って逃走した男が、悪事を働きながら生きて行くが、やがて思うところあって出家し、とある村で村人たちの窮状を知りトンネル造りを決意する話。
「藤十郎の恋」は、狂言役者の藤十郎がライバルとの争いで劣勢になる中、新たに近松門左衛門の不義をテーマとした作品を演じることになるが、不義密通の経験などない藤十郎はどう演技するかに悩み、そしてある宴席の晩、思い立って顔見知りの女将に告白をする話。

「ある恋の話」は、商家に嫁いだ女が芝居役者に惚れる話。芝居小屋に日参する熱心さであったが、ある時その役者の素の顔を知って興ざめしてしまう。しかし、役者としての魅力は変わらず贔屓を続けるが、今度はその役者が逆に女を見染めてしまう・・・
「極楽」は、死後極楽浄土へ昇天した老女が、そこで喜びの日々を送るが、やがて単調な毎日に飽きがきてしまう話。

「形」はわずか4ページの短編。戦場で敵味方に一目置かれた武士の正体。自分の鎧兜を請われて貸した男がそれに気づいた時には・・・という話。
「蘭学事始」は解体新書を翻訳した杉田玄白の話。完璧主義と走りながら考えるスタイルの違いが描かれる。これは現代のビジネスにも相通じる教訓的な話でもある。

「入れ札」は、国定忠治の物語。追っ手を逃れて隣国に逃げ延びる国定忠治とその子分たち。しかし、大人数での逃走は困難であり、忠治は心に思う3人を連れて行きたいと思うが、他の子分の手前自分からは指名できず、やむなく「入れ札」という手段に出る・・・
「俊寛」は、孤島に島流しにあった僧俊寛が、共に流された2人が許されて帰って行く中、孤独の中から生きる目的を見い出して行く話。

どれも短い話の中に、ピリリと光るものが入っている。特に表題作である「恩讐の彼方に」は深い味わいがある。主人の寵妾と恋仲になり、それが主人の知るところとなり、まさに成敗されようとした時に、正当防衛とは言え主人を逆に斬って逃走した市九郎。生きて行くためとは言え、旅人を殺して金品を奪う生活をしていたが、ともに逃げた女のあまりにもの浅ましさと罪の意識から女の下を去って出家する。そこからの改心の姿。やがてかつての主人の息子が仇を求めてやってくる。その結末には実に深い味わいがある。

「忠直卿行状記」も考えさせられるものがある。今まで自分こそが一番だと思っていた忠直卿が、実はそれは家臣が皆手加減をして譲っていたのだと知る。ならばと、家臣と真剣で斬り合おうとするが、家臣からすれば主人を斬ることなどできず、自ら斬られての死を選ぶ。それがまた忠直卿の不満へとつながる。何をしてもどんなに理不尽をしても周りは黙って従う。封建制の常といえばそれまでであるが、忠直卿の心理にもよく共感できるところがある。

小粒でもピリリと辛い作品群は、さすがに現代まで名前と作品の残っている作家ならではだと思う。折に触れ、こういう作家の作品も読んで生きたいと思わせてくれる一冊である・・・






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2018年07月27日

【知られざる皇室外交】西川恵 読書日記941



第1章 宮中晩餐会では「誰に対しても最高のものを」がルール
第2章 昭和と平成、皇室2代にわたるミッテランとの友好
第3章 皇室外交の要としてのおことば
第4章 美智子妃とヴァレリーさんの頬ずり
第5章 英王室と皇室の長く深い縁
第6章 終わりなき「慰霊の旅」
第7章 国際政治に寄せる両陛下の関心

天皇陛下が普段何をされているのか、なんとなく「国事行為」というくらいの知識はあるが、具体的にはあまりよくわかっていないというのが、国民の大半の実情ではないかと思う。当然、興味がないわけではなく、まったくの興味から本書を手にした次第。

ここでは天皇陛下の役割のうち、タイトルにある通り「外交」に絞って紹介したもの。ただし、現行憲法では天皇陛下は「象徴」であり、政治や外交とは一線を隔てられていて、あくまでも「国際親善」と位置付けられている。宮内庁的には「皇室外交」という言葉そのものが違うということらしい。ただ、それはあくまでも「日本国内の見方」であり、諸外国は天皇を日本の国家元首として迎え、両陛下の訪問に政治・外交的な意味を付与しているという。そこに彼我のズレがある。

皇室の外交儀礼の特徴は、「どの国も平等にもてなすのがルール」となっていることであり、「誰に対しても公平・平等に最高のもてなしをする」というものであるという。当たり前じゃないかと思うのだが、実は国際基準からするとそうではないという。相手国の位置付けによって差をつけるのが当たり前で、それはかの英国王室でさえそうなのだというのである。驚きであると共に、我が国の皇室のやり方に誇らしい気も湧いてくる。

皇室での晩餐会となると、フランス料理が基本なのだという。これは明治維新時に外交儀礼はフランスを範とした名残だという。世界の一流国となった今、和食にすればいいのにと思うが、実は和食はフランス料理よりコースが多く、かつ使われる和食器の数も様々多岐にわたり、百数十人分用意しなければならない晩餐会などに対応できないのだとか。へぇぇと思ってしまう。

外国の賓客の訪問形式は、「国賓」「公賓」「公式実務訪問」「非公式訪問」と分かれていて、最もランクの高い「国賓」は国の元首に限るのだとか。首相が訪問しても国賓待遇にはならないというのも面白いものである。最近では君主制の国の数が減っており(193カ国中、英連邦を除くと30カ国)、日本の皇室はその長い系統を保持していることで各王室の中でも敬意を集めているのだとか(皇室に匹敵するのはバチカンのローマ法王だけ)。

そうした話を読んでいくと、少なくとも対外的に日本の皇室の存在感というのは、かなり日本の国益に貢献しているのだとわかってくる。天皇陛下の各国首脳・元首との交流も多々紹介されているが、さすがに皇太子時代から長いので、アメリカの歴代大統領をはじめとして、フランスのミッテラン大統領とかエリザベス女王とか、この交流の例は数多く興味深い。

天皇陛下が外国を訪問した際、その国の慰霊碑等に参拝するようであるが、これは「相互主義」が国際ルールだという。しかし、日本の場合、海外の賓客は靖国神社を参拝できず、これが「慰霊の相互主義」に影を落としているのだとか。こんなところにも影響があるのかと驚く。また、日本の新聞における国際感覚の欠如を著者は嘆いているが、さもありなんと思う。メディアは陛下のお人柄のようなことしか報じない。確かに言われてみればの感はある。

外国を訪問した際、天皇陛下が訪問するのと、皇太子などが「天皇の名代」として訪問するのとでは扱いが違うのだという。高齢を理由に天皇陛下が退位を決めたのも、こういう事情があるのだという。そう言われれば説得力はある。国内の建前がどうあろうと、宮内庁が「皇室外交」という言葉はあり得ないと否定しようと、日本の国益や政治・外交の脈絡から乖離した両陛下の訪問はあり得ないというのもよく理解できる。

外国からの賓客のもてなしも我が国にとっては重要な行為であり、コロコロ変わる首相ではなく、長く一貫した皇室が大きな役割を果たしているのもよくわかる。皇室について何かを議論する時に、こうした事実を知らずして議論するのは的外れになるだろう。
まさに、「知られざる」という言葉がぴったりの、皇室外交を知る一助となる良い一冊である・・・



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2018年07月25日

【高田明と読む世阿弥−昨日の自分を超えていく−】高田 明/増田 正造  読書日記940



第1章 〈積み重ねる〉自己更新
第2章 〈伝える〉プレゼンテーション
第3章 〈変える〉革新
第4章 〈つなぐ〉永続

著者は、ジャパネットたかたの創業者。ある時、社員から「社長がいつも社内で語っていることがそのまま書かれている」と手渡されたのが、世阿弥について書かれた本であったという。著者も素直にそれを読んで共感し、本書に至っているようである。真理というものは、時を経ても変わらないものだと思うが、その見本みたいなものであろう。

著者は、世阿弥に共鳴できる点として以下を挙げる。
1. 仕事や日常生活に役立つプレゼンテーション論やコミュニケーション論
2. 不遇の時代をいかに過ごし、絶頂の時にいかに慢心を抑えるか
3. 他人の評価に一喜一憂することなく、自分の夢を追い続けるための心構え
個人的には、「昨日の自分を超えていく」という自己更新の考え方だろうか。「自分史上最高を常に目指していく生き方」という言葉は、とても良い響きがする。

「タイミング」という点で、世阿弥の「男時、女時」という言葉が紹介される。「男時」とは、勝負事において自分の方に勢いがあり果敢に攻める時とされる。「女時」は逆にじっと耐えてやがてくる男時に飛躍する英気を養う時とされる。これは自分も共感する。外部環境に変化が起きたら、自分ではどうすることもできない部分は諦めて自分でどうにかできることに集中するということは心しておきたいことである。

「悩みの99%は悩んでもどうにもならないこと」という考えは、その通りだと思う。こういう何気ないが、「そうだよなぁ」と思わされることがさり気なく語られるのが良い。世阿弥は能楽師ゆえにプレゼンテーションという部分で特に著者は、共鳴するところが多かったようである。そういう部分に関心がない自分としてはスルーしそうになったが、「自分の言い分だけ連呼していたら相手の心には届かない」という部分は、自分も感じるところがあった。

「我見、離見、離見の見」という考え方も然り。「我見」とは「役者(自分)の見方」、「離見」とは「観客(相手)の見方」、「離見の見」とは「役者が観客の立場になって自分を見ること」。相手の立場に立つということは簡単ではないが、いつの時代も真実なのだろう。
1. すべての独創は模倣から始まる
2. その時の正解が正解(一度うまくいった方法を惰性で続けてもダメ)
これらも共感できる真実である。

その昔、学生時代に『風姿花伝』を読んだことがある。今も本棚の奥深くで眠っているが、また引っ張り出してきて埃を叩いて読んでみようか。そんな気にさせられる一冊である・・・



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2018年07月21日

【不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか】鴻上尚史 読書日記939



第1章 帰ってきた特攻兵
第2章 戦争のリアル
第3章 2015年のインタビュー
第4章 特攻の実像

著者がこの本を書こうと思ったきっかけは、ある本の小さな記述で、「9回特攻に出撃して、9回生きて帰ってきた」人のことを知ったことだという。それだけ聞けば、確かに興味はそそられる。その興味だけで、手にした一冊。

その人物とは、陸軍の第一回の特攻隊のパイロットだった人だという。その人の名は、佐々木友次伍長。本は、ひょんなことからこの実在の特攻兵の存在を知った著者が、まだ存命と知って病院にまで駆けつけ、そしてインタビューしたものを基に書かれている。
そしてそれは佐々木伍長の生い立ちから始まる。

小さな頃から飛行機に憧れ、いつか飛行機に乗ると志し、逓信省航空局を受験する。なぜ陸軍ではなかったのかはよくわからないが、ただ陸軍並みに鉄拳制裁のある厳しいところであったようである。そして卒業後は鉾田陸軍飛行学校に配属され、九九式双発軽爆撃機に乗る。実際の特攻でもこの機を使ったそうである。何となく特攻機というと零戦をイメージするが、佐々木伍長は陸軍であり、イメージとは違う。

そして1944年、いよいよ特攻が始まる。佐々木伍長は第一回陸軍特攻隊「万朶隊」に所属。最初の特攻機には先端に3本の信管が付いていて、これが接触することで抱えていた爆弾が爆発する仕組みであったらしい。しかし、幸運なことに、上官の岩本隊長が特攻作戦に懐疑的な人で、3本の信管を1本に減らした上で、爆弾を投下できるように改修させたという。これがなければ佐々木伍長も生きては戻れなかっただろう。

9回の出撃といっても、正確には「出撃命令」であり、実際に飛び立っていないケースも含まれる(飛び立つ前に空襲で飛べなかった)。引き返した回数もあり、実際に爆弾を投下したのは2回。「9回出撃して」というのは誇張であるが、だからおかしいというものではない。肝心なのは、やっぱり生きて帰還したことで、かなり「死ね」と圧力がかかったこと。この圧力に耐えて帰還したのはかなりの精神力である。

それに始まり、著者の記述は広く特攻全般に渡る。それは読んでいて、絶望的な気分とともに激しい怒りも湧いてくる。読めば読むほど特攻作戦は、戦術的にも効果のないものであったらしい。特に軽い機体(そもそも飛行機は皆軽くするように作っている)は、急降下で揚力が発生し、重装備な甲板に突入しても効果がないのだとか。「コンクリートに卵をぶつけるようなもの」との喩えが心に響く。

さらに効果よりも死ぬことのみが目的化されていく恐ろしさ。飛行機が不足すると未熟練パイロットを練習機で突っ込ませることも厭わなかったという。もちろん、命令する方はいかにそれが無謀かと合理的に説いても、精神力を盾に正当化し、上官の命令は天皇陛下の命令という理論で強制する。それにはもう逆らえない。特にフィリピンの富永司令官は、自分1人戦線離脱して逃げてしまう有様で、特攻の虚しさばかりが浮き立っていく。

恐ろしいのは、この陸軍の理不尽性が決して過去のものではないということ。陸軍だけの特性なら安心もするが、今に至る現代でもあちこちに残っているのである。大企業なら当たり前のようにあるだろう。佐々木伍長の話ばかりでなく、特攻全般について知らなかった事実もかなりあり、これはこれで大いなる収穫であった。

日本人なら特攻についてきちんとその実態を知っておく必要があると思う。この本は、「カミカゼ」ではない特攻の真実を伝える貴重な一冊である・・・




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2018年07月20日

【遅刻してくれて、ありがとう−常識が通じない時代の生き方−】トーマス・フリードマン 読書日記938



原題:Thank You for Being Late:An Optimist’s Guide to Thriving in the Age of Accelerations Version 2.0

Part 1 熟考 REFLECTING
Part 2 加速 ACCELERATING
Part 3 イノベーティング INOVATING
Part 4 根を下ろす

著者は、ピューリッツァー賞受賞の著名なジャーナリスト。ニューヨークタイムズで週2回コラムを書いていたらしいが、その「回転木馬を降りて歴史の根本的な転換点にいることの意味をもっと深く考えよう」として記したのが本書。しばし、待ち合わせで相手が遅れて来ると、思いもかけず自分の時間を作ることができて感謝の気持ちが湧くらしいが、それがこの本の奇妙なタイトルの所以。何事もポジティブに捉えたいものだと思わされる。

全体は4部構成。Part1については、「心から出たことは心に入る。自分の心から出なかったことは他人の心に入らない」という言葉が端的に表している。Part2は、「現在のマシーンの働きについてどう考えるか」。Part3は、「テクノロジーやグローバリゼーションや気候変動などの加速する力が人々や文化にどう影響しているか」。Part4は、「すべてから導き出した結論」としている。全2巻の分厚い本だが、全米ベストセラーというもので、アメリカ人もこういう本を読む人が多いと知って無関心ではいられない。

まずは「ムーアの法則」について語られるが、もう生まれてから50年経つらしいが、この法則は今だに有効だとする。テクノロジーが幾何級数的な速さで加速し続けている。特に2007年はスティーブ・ジョブズがiPhoneを世に発表した年であるが、そのほかにも様々な技術、企業、サービスが誕生していて、エポックメイキングな年であるようである。著者はクラウドを「スーパーノバ(超新星)」と称してその進化のすごさを述べる。これらに母なる自然が加えたものが、2007年以降の加速の時代の原動力となる。

そのうちスーパーノバが最も目に見える形で現れていると思う。
1. 医療への応用では、画像診断や症例検索等により医師をサポートし、医師は患者への対応に専念できる。
2. 中国の物乞いはスマホでQRコードをスキャンするモバイルペイメントで施しに応じる
3. Airbnb、ウーバーらのシェアリングエコノミー
挙げればきりがないほどであるが、個人的にはそうした「進化」にワクワク感を感じる。しかし、一方で環境への4つの大きな問題には背筋が寒くなる。それは、「地球温暖化」、「森林破壊」、「海水の酸性化」、「生物多様性の消滅」である。

さらに2050年に97億人に達すると言われている人口増加は、少子化問題を抱える我が国とは対照的で、「女性が20人の子供を産んでその20人がすべて生きて子供を20人産めば孫が400人になる」という喩えは笑い話では済まない。そんな発展途上国と対照的に、先進国では労働者がほとんどいない工場での製造が可能になる。ISISを産んだ要因の1つは、間違いなく北アフリカと中東においてこの50年で人口が3倍になったことであるということも、暗澹とした気持ちにさせてくれる。

さらにポスト冷戦後、何が従来と異なるのか、著者は思考を巡らせていく。「ムーアの法則」「市場」「母なる自然」は国際関係を作り直していく。アメリカと国際社会は地政学的な安定をどうやってもたらすか。ソ連が崩壊したとは言え、跡を継いだロシアは国家としての安定が何よりも求められており、中国の崩壊は世界経済に深刻な打撃を与えうる。そこには「高度な相互依存関係」がある。

変化する現在の環境で、レジリエンスを創出する上でかつてなく必要不可欠となっているのは、「多様性」だと著者は説く。その例を母なる自然に求め、単一栽培よりも混合栽培のほうが自然の抵抗力が増すとする。当事者意識の文化の促進も重要で、それは「レンタカーを洗車する者はいない」と喩える。当事者意識による自力推進こそが、レジリエンスの重要な構成要素だとする。

相互依存関係の強まる世界で何が必要となるのか。それは破壊力ではなく、建設力。人類という1つの集団の仲間であると捉え、コミュニティが大切であるとする。そのコミュニティの見本として挙げるのが、著者が育ったミネソタ州のセントルイスパーク。モンデール副大統領をはじめとして様々な著名人を生み、多様性が育まれたところだとして紹介する。強力なコミュニティのみがアメリカを再び偉大にするという。多様性という部分では、我が国はちょっと心もとないかもしれない。

上下巻に渡る著者の長い思考の旅は、現代の様々な問題を採り上げていて、読んでいて考えさせられるところ大である。みんなが考えなければならないことだとも思う。分厚い本であるが、頑張って読む価値はある。自分でも世の中の問題について、もっともっと関心を持って眺め、考えていきたいと思わされる一冊である・・・




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2018年07月13日

【マスカレード・ナイト】東野 圭吾 読書日記937



『マスカレード・ホテル』『マスカレード・イブ』と続いてきたマスカレード・シリーズの最新作である。今回も舞台となるのは、ホテル・コルテシア東京。

都内で女性の死体が発見されるが、それはそもそも匿名通報ダイヤルに連絡があったもの。さらに匿名通報ダイヤルには、犯人に関する情報が寄せられる。それは犯人を特定するものではなく、犯人が12月31日の午後11時にホテル・コルテシア東京のカウントダウン・パーティ会場に現れるというもの。警視庁捜査一課はこの情報に基づき、ホテルに刑事を配置しようとする。となると、フロント・クラークもこなせる新田刑事に白羽の矢が当たる。こうして新田は再びホテル・コルテシア東京に行き、今はコンシェルジュとなっている山岸尚美と再会する。

被害者は自分の部屋で一人で死んでおり、交友関係からも男の姿は浮かび上がらないが、実は妊娠している。そして部屋にはロリータの服装が残されている。そんな状況証拠だけで、犯人の手掛かりになるようなものはない。そして匿名通報ダイヤルにかかってきた電話も、犯人の行動がわかるのなら、なぜ犯人を特定しないのかも謎が残る。なかなか今回も期待を持たせられる内容で物語が進む。

ホテル・コルテシア東京に潜入した新田ら捜査員。犯人が現れるとされるカウントダウン・パーティは、お客さんが仮装することになっていて、通称「マスカレード・ナイト」と呼ばれている。今回もホテル・クラークとして業務をこなそうとする新田だが、補佐についた敏腕ホテルマンの氏原は、ホテルマンとしてのプライドから新田に顧客対応業務をさせようとしない。これも東野作品ではお馴染みであるが、後々に伏線として描かれることになる。

一方で、ホテルだから様々なお客さんがやってくる。そして山岸尚美の肩書であるコンシェルジュは、お客様の要望に対して、「できない」とは言わないことになっている。美味しいレストランの場所を聞かれるくらいならまだしも、今回はプロポーズの演出を頼まれ、さらにその相手方からそのプロポーズを断る依頼まで受けることになる。新田刑事も事件捜査のかたわら、山岸がどう対応するのか興味を持つが、それは本を読む者も同じ気持ちである。

様々に散りばめられた伏線が、ラストで1つにまとまっていく。前作までは品川警察署の刑事であった能瀬も、いつの間にか警視庁捜査一課の刑事になっていて、ここではまたその捜査能力を発揮する。張られた伏線をつなぎ合わせ、謎を解き明かして、物語は大円団を迎える。このあたりはいつもながらさすがである。余すことなくすべてのピースが埋め込まれて1つの物語が完成する。

気になるのは、やはり今後であろう。果たしてまた新田がホテル・コルテシア東京に潜入することはあるのだろうか。
ご本人が望むかどうかは別として、またあって欲しいと願いたくなるシリーズ第3弾である・・・



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2018年07月06日

【教養としてのテクノロジー AI、仮想通貨、ブロックチェーン】伊藤穣一/アンドレー・ウール 読書日記936



第1章 「AI」は「労働」をどう変えるのか?
第2章 「仮想通貨」は「国家」をどう変えるのか?
第3章 「ブロックチェーン」は「資本主義」をどう変えるのか?
第4章 「人間」はどう変わるか?
第5章 「教育」はどう変わるか?
第6章 「日本人」はどう変わるべきか?
第7章 「日本」はムーブメントを起こせるのか?

著者はMITメディアラボの所長(及び研究員)だとのこと。どういうラボなのかはよくわからないが、興味のあるところである。そんな著者が、これまで教養と呼ばれてきたレベルでテクノロジーについて本質的な理解が必要になったとして記したのが本書。全体を大きく3つのパート(「経済」「社会」「日本」)に分け、それぞれをまた「労働」「国家」「資本主義」(以上「経済」)、「人間」「教育」(同「社会」)、そして「日本人」「日本」(同「日本」)に分けて分類されている。

はじめの「経済」のパートでは、「労働」のところで「働くとは」が問われる。「AIは労働を代替するのか」などは興味深いところではあるが、単なるシナリオを述べるのではなく、「人間はお金だけのために働くのではない」「人生の意味(meaning of life)は」などという哲学的な話も出てくる。そしてここでも「ユニバーサル・ベーシック・インカム」が説かれていて、これは将来実現するのかもしれないと思ってみたりする。自分の生き方の価値を高めるためにどう働けばいいのか、ただ漫然と働くのではなく、ちょっと考えてみたいところである。

新たなテクノロジーという意味では、ICO(イニシャル・コイン・オファリング)という資金調達手段が興味深いものであった。これは仮想通貨を利用したもので、その企業が提供するサービスで使える「トークン」を買ってもらうことで、その代金をもって資金調達と為すものらしい。著者によれば、企業が倒産すれば意味はなくなるものであるから、「最終的に損する被害者がいる仕組み」であるのが問題としているが、仕組みとして知っておきたいと思うところである。

今話題の自動運転では、「倫理」との絡みの議論が興味深いところである。すなわち、「トロッコ問題」というサンデル教授が議論として採り上げていた(『これからの正義の話をしよう』)問題であるが、例えば親子2人が飛び出してきた際、ハンドルを切って電柱に衝突する(ドライバーを犠牲にする)か、そのままはねるか(親子を犠牲にする)となった場合、どうするか。結論はともかく、そうした問題をどう解決していくのかは面白いところだと思う。

東京にミシュランの星付きのレストランが世界一多い事実を捉え、著者はその理由を「お金や利益ばかり考えているレストランは星を取れない」からとしている。日本ではオーナーやシェフが自分のやりたいことをしていて、そもそもお客さんからなるべく大きな利益を取ろうとしていないためではないかと推論する。それも一理あるように思う。

そうした職人にこだわりのある日本だが、サラリーマンにはそのこだわりがないとする。例えば建売住宅では、デザインに対するこだわりが感じられないとするが、言われてみればそういう例が多いと思う。それは社会として、イノベーションよりプロセスを重視するからではないかとするが、そうなのかもしれない。

なんとなく最後はテクノロジーから離れていってしまった感はあるが、いろいろと考えるいいヒントになることが並んでいるのは確かである。ただ漫然と生活のために働くのではなく、社会の動きとその抱える問題に常に興味を持っていたいと思うが、そんな人には一読の価値ある一冊である・・・



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2018年07月02日

【長く高い壁】浅田 次郎 読書日記935



浅田次郎の小説は、なぜか中国を舞台にしたものが多い。それと戦時中のものが多いという特徴がある。そしてこの小説は、まさに両方が一体となった物語である。
時代は1938年。太平洋戦争前夜である。主人公は、探偵小説家の小柳逸馬。時代から従軍作家として中国に赴任し、北京飯店に宿泊している。冒頭、書き上げた原稿を検閲するのは、陸軍の川津中尉。川津中尉は原稿の書き直しを指示するが、その内容に時代が現れている。

そんな2人に対し、突然軍命が下る。長城の張飛嶺で憲兵隊の手に余る大事件が惹起したため、真相を究明せよとのこと。かくして従軍作家の小柳と、川津中尉が現地へと向かう。中国大陸は広い。地名を聞いてもピンとこないが、2人は奥地へと分け入って行く。現地で迎えたのは、憲兵隊の小田島曹長。現地の憲兵隊のトップは山村大尉であるが、軍隊は「星の数より飯(メンコ)の数」と言われており、実質は叩き上げの小田島総長が仕切っている。

そんな風にして登場人物たちが揃うと、いよいよ事件が明らかになる。張飛嶺守備隊は歩兵一個小隊30名が交代で任務に就いている。そのうち監視廠勤務の10名が毒殺されて全滅するというもの。監視廠は万里の長城の一部にあり、それがズバリタイトルの所以であろう。本体は武漢制圧作戦に動員されており、30名は留守番部隊。手薄なところを共産ゲリラの「共匪」に襲われたというのが、支配的な見方。しかし、小柳は安易な答えをよしとせず、きちんと調査を進めて行く。

果たして犯人は誰なのか。状況からして真っ先に疑われるのは共匪ではあるが、それにしては武器と食料が手付かずで残されており、国旗も掲揚されたまま。共匪であれば、当然武器・食料を奪い、国旗は焼いて行くと思われるところ。普通に考えれば、まず「解剖」となるが、守備隊は留守番部隊であり、軍医すらいない状況でそれは期待できない。浅田次郎の小説にしては推理モノのミステリーというのも珍しい。

本の最初には、軍における階級が示してある。これが物語を読み進めるのに大いに役に立つ。階級の他に「下士官」や「将校」、「尉官」や「准士官」「兵卒」などの違いが実にわかりやすい。軍隊の特性・習わしなども描かれていて興味深い。盧溝橋事件に端を発し、日中戦争へと突入していった当時の状況が背景に描かれているのも然りである。

小柳が推理し当てた事件の真相。それは当時でもあったかもしれない日本軍の蛮行とともに明らかにされる。推理そのものは東野圭吾のような本格的ミステリーほどではないが、読み物としては満足いくレベル。何より浅田次郎の薫り漂う物語の空気が心地よい。

期待に十分答えてくれる浅田次郎の世界である・・・





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