2018年10月31日

【考える力の育て方−世界で800万人が実践!ものごとを論理的にとらえ、目標達成できる子になる−】飛田 基 読書日記969



《目次》
CHAPTER 0 子どもの考える力を伸ばす親の習慣〜「指示する、答えを教える」から「問いかける」へ
CHAPTER 1 子どもの話を引きだす対話の秘訣〜自ら考え、問題と向き合うようになる
CHAPTER 2 対立した状況を解決する秘訣〜クラウドで、創造的なアイディアを出せるようになる
CHAPTER 3 ものごとを論理的に考える秘訣〜ブランチで、自分の行動を改善できるようになる
CHAPTER 4 学習の理解スピードを上げる秘訣〜ブランチで、勉強を楽しみながら成績が上がる
CHAPTER 5 大きな目標を達成する秘訣〜アンビシャス・ターゲット・ツリーで、夢を実現する
CHAPTER 6 「学び方」を身につける秘訣〜自律的に行動し、成長し続けることができる
CHAPTER 7 成長の階段を上り続けるために〜やりきる力を支える思考ツールの組み合わせ方

 日頃どんな本を読みたいかというのは、いつもいろいろと考えているが、「子育て」はその大きな対象の一つである。特に我が子には「自立」を求めているので、本書のようなタイトルを見てしまうと、手に取らざるを得なくなる。そんな経緯から手にした一冊。著者は、あのエリヤフ・ゴールドラット博士のTOCに感銘を受けて、ライフコーチに転任し、博士の設立したNPO法人の最高位資格を有する方らしい。

 そんな著者が、本書では子供の「考える力」を伸ばすことについて語っている。中心となるのは、3つの思考ツール。すなわち、「クラウド」「ブランチ」「アンビシャス・ターゲット・ツリー」であるが、正直言ってよくわからない。正確に言えば、言葉では理解できるが、応用できるかどうかわからないというところ。まぁ、本を読んだだけで理解・実践できたら著者の出る幕はないかもしれない。

「子供がなかなかいうことを聞かない」
「したくもないお説教を繰り返してしまう」
まるで我が家の妻の言葉のようだが、これらを含めて子育ての6つの悩みの原因は、
「大人が子どもにやるべきことを指示してしまう」
「大人が子どもに答えを教えてしまう」
ことであるという。「問いかければ人は答えを考える」とするが、これはその通りだと思う。ただ、子どもから返ってくる答え(「わかんない!」)が予想できてしまうが、その場合はどうしたらいいのだろうと疑問が湧く。

 CHAPTER 1では、「子どもの話を引きだす対話の秘訣」が語られる。その1つは、「困りごとを聞く」というもの。夢や目標は答えにくくても、困りごとなら話しやすい。「どんなことで困っているのか」と質問し、おうむ返しし、「他には」とひたすら聞いていく。困りごとを活用し、「どうやったら理想か」と考えさせていく。なるほどと思うところである。

 CHAPTER 3では、「ものごとを論理的に考える秘訣」として因果のつながりを考えさせる。起こった出来事をまとめた「出来事マップ」なるものは、どうしてその出来事が起こったのかを「最初のアクション」から「途中の出来事」、そして「起こった問題」まで因果関係から説明するもので、なるほどこれなら論理的に考えられると思わせてくれる。応用すれば、国語・数学・歴史などの勉強にも、円高ドル安とはと言ったことまで理解が進みやすくなるかもしれない。

「目標を達成するための5つのステップ」も興味深い。
 1. 大きな目標を定め、具体的な言葉にする
 2. 目標の前に立ちはだかる障害をリストにする
 3. 障害を乗り越えた先の中間目標を決める
 4. 中間目標を取り組む順番に並べる
 5. 中間目標達成の具体的な行動を決める
「手段ではなく、理想の状態を考える」というのは、確かにいいかもしれない。

 もっとも大事なのは、子供たちに「学ぶ楽しさ」を実感させることという言葉には激しく同意してしまう。そのための「コーチングサイクル」なるものが説明される。
「やって見せ、伝える」→「質問でサポートし、体験させる」→「グループで練習させる」→「1人で練習させる」→「自ら振り返ってもらう」→「フィードバックをする」→「評価させる」というものであるが、実際に著者の指導した子がボーイスカウトで発揮した具体例がわかりやすい。

「自分で考えて行動する」「うまくいかなかったら、また考えて行動する」「そうしてうまくできるようになる」言葉では簡単だが、実践するには経験が必要かもしれない。書いてあることは難しいことではない。著者は、スポーツ選手なんかも指導しているようであり、書かれているノウハウは子どもでなくても応用が効きそうである。ただ言われたことだけやっているサラリーマンなどは、いい対象だろう。

 読んだだけで、実践できるようになるものでもなさそうであるが、エッセンスは使えそうだと感じる。我が子相手に試してみたいと思う。
 大人になっても大事な「考える力」。
改めて我が子に身につけさせたいと思う一冊である・・・
 



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2018年10月27日

【働くことがイヤな人のための本】中島義道 読書日記968



《目次》
1 一生寝ているわけにはいかない
2 「命を懸ける仕事」はめったに与えられない
3 仕事と能力
4 仕事と人間関係
5 仕事と金
6 金になる仕事から金にならない仕事へ
7 死ぬ前の仕事

 著者は哲学者。最近その著作を集中的に読んでいる。働きたくないと思いつつ、16年にわたる学生生活を送り、37歳にして初めて定職に就いたという著者の経歴も興味深い。引きこもりや社会不適用ということに興味があり、手に取った次第。そういう人とどうやって接したらいいのかというヒントを求めて、である。

 「働くことがイヤな人のための」というタイトルになっているが、著者がメッセージを送りたい相手として、「引きこもりの留年生」「30歳過ぎの未婚のOL」「中年サラリーマン」「元哲学青年の会社経営者」とが登場する。それぞれ20〜50代の架空の人物との会話という想定で、著者が仕事に就いて語る。個人的に特に興味を惹かれるのは、引きこもりである。

 「どうにかしなければならない」という叫びと、「どうにもならない」という叫びが交錯するという引きこもりの声は、想像がつく感じがする。それは著者が自らの経験をもとにしているのからということのようである。そう叫んでみても、世の中が突如として崩壊しないかと望んでみても始まらず、結局は自分で出るチャンスを掴まなければならないと語る。その通りだろう。

 しかし、著者はこの本を通じて一貫して「人生とは『理不尽』の一言に尽きる」と語る。
「思い通りにならないのが当たり前」
「いかに粉骨砕身の努力をしても報われないことがある」
「いかにのんべんだらりと暮らしていても、頭の上の棚からぼたもちが落ちて来ることがある」
身も蓋もないが、社会に出て仕事をするとは、このすべてを受け入れるということだとする。その中でもがき、ため息をつく。だから尊いのだと。
できれば若い頃にこの言葉を聞きたかったと思う。

「仕事で報われなかった膨大な数の人生にも価値がある」
「一握りの成功者のことなどどうでもいい」
「仕事に生きがいを見つけられないのは当たり前」
「実社会では結果ですべて評価されてしまう」
「そしてその結果には運や偶然がつきまとう」
その通りだと思うが、渦中にいる人はやりきれないかもしれない。

 大部分の者が仕事に報われず、理想的な要求ではなく、日々の現実的な要求に応えるものこそが大方の仕事だとするが、その通りかもしれない。成功の秘訣などいくら読んでも成功しやしないと。本当に身も蓋もない。辛い人にはいい慰めにはなるが、未来を信じる若者はそれでもなおかつ奮闘努力すべきことは確かだと思う。

 自分がしたい仕事がどうしても見つからないなら、金を儲けるだけの仕事、あるいはなるべく楽な仕事をすればいいとする。極端な話、女性のヒモとして生きるのもいいとまで言う。理不尽を飲み込むことが生きること。著者は徹底して生きることを大事にする。「仕事に対する理想が高くて、それを下げることができないから必然的にやりたい仕事が見出せない」と言う言葉は真実だと思う。

 印象的なのは、若い頃ああしていればと後悔しているサラリーマンに対し、もしもその頃に戻って再び選択が許されるとしても、やっぱり安全な道を選ぶだろうと諭すところだろうか。得てしてその通りだと思う。人は結局、その時々でできない言い訳を考えるものなのである。実に深いと思う。

 世の中は理不尽であると自覚し、その理不尽を呑み込む。理不尽を味わい尽くすべしと著者は説く。引きこもりの主な要因は、人間関係恐怖症であり、それを克服するにはどうにか耐えられそうな職場を見つけてとにかく働き出すことが大事とする。そうすれば否でも応でも人間関係のうちに入ることになり、その中で自分を鍛えられると。大いに参考にしたい言葉である。

 人は誰でも強い者ばかりではない。自分はともかく、身内で弱い者がいたら寄り添ってあげたい。そんな時にどんなことを考えられるのだろうか。そんなヒントを求めて手にした本だが、まずまず参考になったところである。著者の本にはまだまだ参考になりそうな本もあり、追い追い読んでいきたいと思う。
 そういう目的にピッタリな一冊である・・・



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2018年10月26日

【数学を使わない数学の講義】小室 直樹 読書日記967



第1章 論理的発想の基本―まず「解の存在」の有無を明確化せよ
 1 はたして解けるのか解けないのか
 2 社会観察にどう応用するか
第2章 数学的思考とは何か―日本人が世界で通用するための基本要件
 1「論理」の国と「非論理」の国
 2 「法の精神」の根底にも数学がある
第3章 矛盾点を明確に掴む法―論理学を駆使するための基本テクニック
 1 論理矛盾は、どこから生まれるか
 2 人間の精神活動を数学的に読む
第4章 科学における「仮定」の意味―近代科学の方法論を決定した大発見
 1 非ユークリッド幾何学の誕生
 2 近代科学の基本となった発想法
第5章 「常識の陥穽」から脱する方法―日本には、なぜ本当の意味での論争がないのか
 1数学の背景を読む
 2「全体」と「部分」の混同

 私は昔から「文系人間」を自負しているが、実は数学は大好きである。自分でも文系人間なのか理系人間なのか迷う時もあったが、その答えは意外なところにあったとわかったのがこの本である。著者は政治学者であり、経済学者でもある方のよう。なのになぜ数学かと訝しく思うも、それはすべて「数学=数式」というイメージによるものである。

 著者は冒頭で、「数学とは何かという本質(論理)を知らない人が急増している」と説明する。この本のタイトルにある「数学を使わない」とは、「計算だとか補助線を引くなどの技巧を使わない」という意味だそうで、技巧を駆使しなくとも数学の本質(論理)を理解することによって数学的発想を持つことができるとする。要は、「数学的思考法」を説いた一冊である。

 まず著者はギリシャの数学の素晴らしさを語る。それは「公理主義」によるもので、ユークリッド幾何学はすべて5つの公理で説明できるとする。このあたりは昔の数学の授業を思い出す。そして数学的思考法であるが、最初に出てくるのは「存在問題」。存在しないものについてはいかなる命題も当てはまるとし、真っ赤な嘘も数学的には正しいと説く。「実際にはいない妹がお前に惚れている」と言う例を挙げているが、なんだか詭弁くさい。

 日本社会の特徴と西洋社会の特徴の違いの記述は興味深い。例えば日本には「食物規定(牛を食べてはいけないなど)」があるようでいてないとか、日本は社会規範が曖昧だとか。例として日本では「やっていいことと悪いことが状況によって変わる」ことが挙げられる。それが例えばユダヤ教では、神との契約によって規範は成立しており、やってはいけないことは絶対にダメとされている。これは言われてみればなるほどの世界である。

 これが高じて、日本では契約が曖昧であると言われるが、その理由がよくわかる。日本では人間関係がどちらかと言うと重視され、何もかもきっちり契約で謳う欧米とは異質である。日本人は世界でも珍しい無論理民族であり、無規範民族なのだとする。契約という概念が曖昧だから、外交音痴にも繋がっているし、相続もその場その場の状況によって変わったりする。本来、白黒をつける裁判に大岡裁きの伝統のあるわが国では、裁判官はしきりに和解を勧める。すべてなるほどと思う。ただし、そういう日本社会の方が個人的にはいいと思うが・・・

 論理的矛盾はどこから生まれるのか。ここでは「必要条件」と「十分条件」について説明される。どちらも数学の授業でやったなぁと思い出す。聖書の翻訳で、「信仰少なき者」という訳がなされているが、本来信仰は「あるかないか」であって、「信仰が少ない」という考え方はおかしいと指摘する。確かにその通りだろう。だが、日本人的には違和感がないのも事実。宗教戦争が残虐になるのは、神と契約していない人間は人に非ず、従って何をしてもいいと考えるという理屈にも頷かされる。

 面白いのは否定の概念。「才色兼備」の反対は3種類あって、それは「ブスでバカ」、「美人だがバカ」「ブスだが頭はいい」となる。これも言われてみればその通り。そしてこれも数学的思考である。日本人は議論が下手と言われるが、実は日本の論争は遺恨を残すことが多いのがその主因。意見が実体化して人格化するので、意見を否定されると人格まで否定されたようになる。だから議論を避けたがるというものだとする。私も議論好きでよく疎まれるので、すんなり腹落ちする意見である。

 なるほど確かに、数学を使わないが、ではこれが数学かと言われればピンとこない。どちらかというと論理の世界の話に思える。しかし、考えてみれば論理と数学的理論とは重なり合って一体化しているものなのかもしれない。そう考えるとこの本の主張もよく理解できる。ただ、やっぱりそれが数学だと言われても、こびりついたイメージを取り除くのは難しい。まぁそのあたりはあまり深く考えずに理解したいところである。

 論理的思考方法を身に付けたいという人には、参考になる一冊である・・・



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2018年10月23日

【月と六ペンス】サマセット・モーム 読書日記966



原題: The Moon and Sixpence

 かねてから、これまで読んでいなかった名作を読んでいきたいと考えている。そんな中で今回、目に留まったのがこの本。なんとなくタイトルからすると、女の子を主人公とした心温まる物語を想像してしまっていたが、実態はまるで違っていた。個人的には随分とイメージが異なった名作である。

 物語は、「私」の視線で語られる。その先にいるのは、チャールズ・ストリックランド。「私」は作家として紹介されており、一人称で語られる物語は、なんとなく架空の小説というより「自伝」的な雰囲気がある。そして、実はここで描かれるストリックランドは、画家のゴーギャンをモデルにしているのだとか。なかなか興味深い背景である。

 「私」は、友人の紹介でまず「私」の小説のファンだというストリックランド夫人に紹介される。それから昼食会やティーパーティーなどに呼ばれるようになり、夫人との交流が始まる。このあたりは、時代を感じさせる背景である。時を経た小説というものは、しばし何気ない日常生活という形でその時々の時代を伝えてくれる。そんな時代を味わいつつ読み進む。夫人との交流は、当然の流れとして主人のストリックランドへとつながる。「私」が紹介を受けた時、ストリックランドその人はイギリスの証券会社で仲買人として働いている。なんの問題もなさそうな家庭であったが、ストリックランドはある日突然家族を残して姿を消してしまう。

 他に頼む者もなかったのであろう、夫人は「私」に間に立つこと頼み、「私」はストリックランドがいるというパリへ向う。その陰には女性の存在が噂され、「私」はストリックランドは駆け落ちしたという前提のもと、ストリックランドを訪ねて行く。しかし、そこに女性の姿はなく、ストリックランドは一人で貧しい生活を送っている。話を聞くとストリックランドは絵を描くために生活を捨てたという。

 現代でも、妻子を捨てて絵を描くために仕事も辞めてしまうなどということをすれば、それは非常識でもあり批判されもするだろう。それはこの小説の時代でも同じ。しかし、そんな「私」の常識的な批判に対しても、ストリックランドは動じもしない。凡人はついつい「生活」のことを考えてしまうが、ストリックランドはそんなことは気にもしていない。蓄えを持ってパリへ遁走したわけでもなく、所持金わずかの極貧生活。「生活はどうするのか」という「私」の当然の質問にも、ストリックランドは「稼ぐさ」と答えるだけ。まさに身一つで飛び出たのである。

 常識人には想像もできない行動であり、それゆえに「私」もストリックランドのことがそれ以降も気になる存在となる。肝心なストリックランドの絵であるが、「私」には当然その価値がわからない。本人もそれを積極的に売り込もうとはしないから周りもその価値を認めていない。そんな彼の絵に対し、パリにいる「私」の古い友人ストルーヴェだけが絶賛する。そのストルーヴェも実は変わっている男なのである。

 ストリックランドの絵を激賞するストルーヴェは、極貧生活の中で病気になって苦しんでいたストリックランドを家に連れて帰ると、何くれとなく世話をする。反対する妻をなだめて面倒を見させるが、なんとこれが裏目に出て、妻はストリックランドに惚れてしまう。普通であれば、ストルーヴェは激怒しそうなものであるが、なんとストルーヴェはストルーヴェでこれを仕方ないとして、挙句に妻がストリックランドと一緒に出て行こうとすると、妻を愛するばかりに自分が出て行く始末。庇を貸して母屋ばかりか女房まで取られてしまうのである。

 こんな「非」常識人たちの様子を「私」は見つめて行く。ゴーギャンは晩年はタヒチに移住したが、ストリックランドもパリを離れてタヒチに向かう。そして彼の最後までを「私」は見つめて行く。ゴッホにしてもそうであるが、天才となんとかは紙一重と言われるが、まさにそんな感じがする。それを見つめる「私」は極めて平凡な凡人であり、それを読む自分自身もそうであることを実感する。

 名作の名作たる所以は、正直言ってよくわからない。ただ、「非」常識人の行動に凡人の心は刺激される。一枚の絵にも物語があるように、画家にも知られざる物語がある。それは凡人には到底理解できない物語かもしれない。今度ゴーギャンの絵を見る機会があったら、あるいは他の画家であったとしても、是非とも「月と六ペンス」を思い出してみたいと思う。そんな思いを起こさせてくれた一冊である・・・



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2018年10月22日

【日本再興戦略】落合陽一 読書日記965



《目次》
第1章 欧米とは何か
第2章 日本とは何か
第3章 テクノロジーは世界をどう変えるか99
第4章 日本再興のグランドデザイン
第5章 政治(国防・外交・民主主義・リーダー)
第6章 教育
第7章 会社・仕事・コミュニティ221

 著者のことは、すでに『超AI時代の生存戦略<2040年代>シンギュラリティに備える34のリスト』を読んでいるが、あの落合信彦の息子という経歴も個人的には興味深い人物である。

 そんな著者が、タイトルにある通り、「日本の再興」について語った一冊。「日本をなんとかしないといけない」という思いを多くの人が持っているはずで、その解決策も見えてきているが、それだけでは日本は変わらないとする。日本を再興するため、世界を理解するために重要なのは「意識改革」だとする。
 こういう内容は個人的に大変興味深い。
 
 ちなみに著者個人の戦略としては以下の3点が挙げられている。
 1. 経営者として社会に対しより良い企業経営をすること
 2. メディアアーティストとしての活動
 3. 大学での活動
著者は、この本の後半でも出てくるが、いくつものわらじを履くことを推奨している。それを自ら実践するわけである。

 そしてまず語られるのが、「欧米」というユートピアの否定。西洋的な思想と日本の相性の悪さを指摘し、「個人として判断することをやめる」ことを著者は提唱する。「自分個人にとって誰に投票すればいいのかではなく、自分たちにとって誰がいいのか」で判断すべしとするもの。日本は東洋にあるのだから、もっと東洋化した方がイノベーションが起きやすくなると言う。その可否はともかく、考え方が面白いと感じる。

 『超AI時代の生存戦略<2040年代>シンギュラリティに備える34のリスト』でも語られていたが、「ワークライフバランス」から「ワークアズライフ」へという考え方がここでも語られる。日本人はもともと仕事と生活とが一体化していた歴史があり、その方が向いているとする。生活の中に労働を含み、時間やノルマのスタイルで過労すると心身がもたない。オンとオフとの区別をつけないというが、これは個人的には同感である。

 仕事と生活とが一体化するとついつい働き過ぎを連想してしまうが、「ストレスがないことが重要」というのはその通りであり、今の働き方改革がともすれば「残業禁止」という考え方に行きがちなことを諭す。今、自分がそういう働き方をしているだけに、よけいに納得してしまう。この辺りも西洋を重視し、東洋を軽視することに警鐘を鳴らす考え方が披露される。我々のバックグラウンドにある東洋思想をもっと学ぶべきだと。

 続いて語られる「デジタル・ネイチャー」も興味深い。人と機械の融合が進むと、やがて「健常者」、「障碍者」という考え方もなくなる。例えば電子プロジェクターで網膜に投影できる技術が広まればメガネも不要になり、老眼ともおさらばとなる。これなどできれば向こう10年くらいで一般化してほしいところである。

 今、あちこちで嬉々として語られる人口減少・高齢化は、逆にチャンスであるという。その3つの理由は下記の通り。
 1. 自由化、省力化に対する「打ち壊し運動」が起きない
 2. 少子高齢化対策技術(ロボット技術等)を輸出戦略に活用できる
 3. 人材の教育コストを多くかけることができる国になる
危機をチャンスにするというのは、一つのセオリーであり、面白いと思う。

 日本再興戦略として「ホワイトカラーおじさん」を生かすというのも共感度大である。大企業で出世コースから外れた「ホワイトカラーおじさん」は、実は優れた「ディフェンダー人材」であり、これが市場にリリースされれば若手が活躍しやすくなるという。自分もそう感じていたし、実際に転職して「鶏口となるも牛後となるなかれ」を実践した身として実感する。そのほか、「年功序列との決別」、「自分探しより自分ができることから始める」、「兼業解禁と解雇緩和をセットにせよ」などの意見は独特で面白い。

 まだまだ自分も老け込む歳ではないし、子供たちの成長を手助けしなければならない。これから我が国はどのような未来を目指すべきなのか、いろいろな意見に触れていたいと思う。そんな人には一読の価値ある内容であり、よく咀嚼したい一冊である・・・



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2018年10月16日

【大前研一 デジタル・ディスラプション時代の生き残り方】大前研一 読書日記964


《目次》
第1章 デジタル・ディスラプション(デジタル化による破壊的変革)時代の生き残り方 大前研一
第2章 FinTechビジネス最前線 北澤直
第3章 リクルートの「Airレジ」戦略 大宮英紀
第4章 「第四次産業革命」の変化をチャンスに変える経営 菅谷俊二

大前研一の著書となるとまず読んでみる主義の自分にとって、この本を手に取ったのはごく自然の行為。「デジタル・ディスラプション」という言葉も目新しかったし、その判断に間違いはないと思うが、読んでみてなんとなく「騙された感」が否めない一冊。というのも、肝心の大前研一の著書と言えるのは第1章のみで、残りの3章は別の著者によるものであるからである。それはページをめくるまではわからない。

その第1章はデジタル・ディスラプションについて。デジタル・ディスラプションとは、「デジタル・テクノロジーによるイノベーションが既存のビジネス秩序を覆し破壊する事」だとする。それは情報格差で支配されてきた民衆が主導権を握る「革命」だとしている。具体的にはまずは自動車業界の例から説明される。

もうあちこちで語られ尽くされている感のあるUberが登場する。ライドシェア業界では、Uberがインフラ業界企業になっていくとする。人・物の運搬、自動運転、自動車ローン、自動車保険等々においてUberが中心となっていくというもの。トヨタ自動車もうかうかしていられない。そしてそんな例として、AMAZONやテスラ、airbnb、NETFLIX等々のデジタル・ディスラプターが各業界に様々に登場している。

そうしたデジタル・ディスラプターの登場に対し、既存の企業が対抗していこうとしたら、とにかく「素早い対処」が必要であると説く。その例は日本交通で、同社はUberが上陸する前に独自の配車システムを作り、国内競合タクシー会社にも提供して24,000台のネットワークを構築したという(知らなかった・・・)。確かに、利便性が整えば素人の車よりタクシーの方が安心感がある。

金融業界では、ブロックチェーンやスマホアプリ決済、ロボアドバイザーなどのキーワードが登場する。これらもあちこちで目にし、耳にしている言葉である。ホテル、農業、メディア、コンテンツ業界、人材分野等々。クラウドソーシングの普及が後押ししているようであるが、これらを一読すれば、世の中の動きの概況を知ることができる。そういう意味では、いい解説部分の第1章である。

そしてこのデジタル・ディスラプション時代の生き残り方なのであるが、これがどうもボヤけた感じになってしまっている。例えば政府においては、「行政の自動化に迅速かつ全力で取り組む」としていたり、既存企業においては「ディスラプターの来襲に備え業界定期検診を行う」といった具合である。まぁ、具体的には描きようがないというところなのかもしれない。それでも、
 1. IやAIよりWE(集合知)の活用
 2. 個人としては感性・構想力などAIやロボットに代替されないスキルを磨き、同時にAIやロボットを使いこなせるスキルを身につける
といったところは参考になる。意識したいところである。

第2章は、フィンテック。(株)お金のデザインという会社が登場するが、ここはロボアドバイザーTHEOについて語られる。資産運用のAIということであるが、「プロの資産運用を誰もが簡単にスマホで」というコンセプト。これはこれで、人間の運用よりもいいかもしれないと思える。今後はこれが普通になっていくのかもしれない。

第3章は、リクルートのAirレジなるものが説明されていたが、正直言ってどういうものなのかアウトラインを説明して欲しかった。最後まで「Airレジってそもそも何なの?」という疑問が解消できなかった。第4章は「ネットを空気に変える」というコンセプトの(株)オプティムが登場する。〇〇業界×ITというのがその試み。例えば、銀行については、「銀行業免許を持っているソフトウェア会社」というもの。自分の業界だったら、と考えてみるヒントになるだろう。

「大前研一」の名を冠していてもそれは全体の1/4程度。なんとなく「看板に偽りあり」の感があるが、まぁそれなりに読めば時代の流れが読めるということはある。看板を気にせずに読めばいいのかもしれない。
そういう捉え方で読みたい一冊である・・・



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2018年10月15日

【世界史を変えた詐欺師たち】東谷暁 読書日記963



《目次》
プロローグ―巨大な詐欺は詐欺でなくなる
ジョン・ロー―フランスの財政赤字に挑戦した「賭博師」
アイザック・ニュートン―天才の二つの錬金術
ベンジャミン・フランクリン―米国紙幣の「父」の希望と悪夢
ネイサン・ロスチャイルド―ナポレオン戦争で台頭した金融政商
チャールズ・ポンジ―ただの詐欺師が生んだ「国家的詐欺」の手法
ヒャルマー・シャハト―敗戦国ドイツで振るった「魔術」の正体
ジョン・M・ケインズ―「ジョン・ローの再来」インサイダー取引に手を出した大経済学者
ジョージ・ソロス―世界の金融当局を「味方」にしたヘッジ・ファンド
ケネス・レイ―史上最大の倒産エンロンの内幕
アラン・グリーンスパン―バブル「形成者」にして「始末人」の欺瞞
サトシ・ナカモト―新しい通貨の「神」か、金融詐欺の「悪魔」か
エピローグ―国民の信頼を裏切る「サギノミクス」

ちょっと面白そうだなと感じて手にした一冊。しかし、タイトルとは裏腹の内容にちょっとがっかりした一冊でもある。

冒頭、詐欺と言ってもそのスケールが大きくなり国家規模となると、つまり政府が絡むと詐欺とは言われなくなると著者は語る。それはその通りかもしれない。「1人を殺せば殺人だが、大勢を殺せば英雄」という言葉もあるくらいである。このあたりが何となく引っ掛かるところ。必要のない建物、ほとんど使われないような道路、国民の資産を紙クズにしても犯罪として裁かれないことを挙げ、どうやらこれを「詐欺」と断定したいようである。

そしていよいよ内容に入るが、採り上げられるのは11人。知らない名前もあるが、そのほとんどが著名人。それが本当に詐欺師なのかと思って読んでいくと、どうもその内容には疑問符がつく。始めに採り上げられるのは、ジョン・ロー。『フランスの財政赤字に挑戦した「賭博師」』とされていて、確かにその前半生は放蕩と浪費、さらには決闘での殺人罪もあるという「立派な」もの。それがヨーロッパ放蕩で得た経済知識を元にフランスの財務総監に上り詰める。

当時、財政難に陥っていたフランス政府。そこでジョン・ローはバンクジェネラルを創設し、当時貨幣と言えば金か銀でなければならなかったのを紙の紙幣を印刷することを提案する。先見の明があったわけである。しかし、結局はうまくいかず、財務総監を5ヶ月で更迭されてしまう。西方会社を設立し、その株式購入資金に国債を充てるということもやったらしいが、それが失敗だったからと言って、「詐欺師」とするのは如何なものかという感じである。

さらにはニュートンが採り上げられる。ニュートンと言えば、万有引力の法則くらいの知識しかないが、怪しげな錬金術にはまっていたとか、高級官僚として金融的な犯罪組織を摘発したとか、知られればその地位を失いかねない神学研究に浸ったなどという事実は興味深いが、南海泡沫事件に関わったとか、地位を利用して莫大な資産を築いたからと言って詐欺師とするのは如何なものかという感じがする。

こんな調子で、ベンジャミン・フランクリンも新大陸において紙幣を発行したが、金貨や銀貨に交換する気があるならまだしも、何の見通しもなくやるなら詐欺と批判される。もっともこれは著者も「当時の植民地の状況を考えるなら一時的には必要になる事態があった」と認めているくらいであり、詐欺というには無理がある。ロスチャイルド家は、ワーテルローの戦いでいち早くナポレオン敗北の情報を得て膨大な財産を作ったという話が有名だが、実はこれは伝説だとする。その実態が細々説明されるが、豆知識としては面白いがどう読んでも詐欺には思えない。

結局、本当にいかがわしいのは、チャールズ・ポンジなる人物くらいである。それよりもエピローグではアベノミクスが批判の槍玉に上がっているが、結局のところ著者は黒田総裁のインフレターゲット策を含め、アベノミクスを詐欺と批判したかったようである。これらの「詐欺的政策」を見分けるには、歴史に現れたそれらを思い出すことが新たな経済政策に対する冷徹な目を養うことにつながるらしい。ただ、著者の例示した「詐欺例」をいくら研究しても難癖つけるくらいの役にしか立たないと思う。

考えてみれば、思わせぶりなタイトルで読者を釣るのも「詐欺」と言えるのではないかと思う。そういう意味で、著者も立派な「詐欺師」と言える。まぁ、その解釈は別として、事実として面白い部分もあったからそれはそれで良しとしたい。
そう前向きに捉えたい「詐欺的な」一冊である・・・




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2018年10月11日

【「不思議な会社」に不思議なんてない】荒木 恭司 読書日記962



第1章 期待を超える感動を
第2章 「お客さまが感動させる」社員を育てる
第3章 変化に即応した会社だけが生き残る
第4章 やはり一番大切なのは「社員」
第5章 島根から全国に元気を!

 中小企業に勤務していて、常に業績改善を考えている身としては、うまくいっている他社の例は大変興味深いところ。この本は、営業エリアは所得・人口ともに最下位エリアの山陰であり、業種は建設業という不況業種、それにも拘わらず躍進を続けているという島根電工(株)を取り上げたもの。近年はそのノウハウを活かし、業界活性化を目的としてフランチャイズを全国展開しているという。それだけで興味津々である。

 その躍進の中心となっているのは、「住まいのおたすけ隊」という地元でCMをも流している「小口工事」であるという。一般家庭向けにコンセント一個から小口工事を引き受けているという。小口工事の7割が5万円以下というから、本当の小口工事である。もっとも提案営業も絡めているらしいが、それが生きるのも「私たちは建設業ではなくサービス業」という認識が大きいだろうと思う。

 そんな島根電工も、元は普通の建設業らしく公共工事の受注等を中心としていたという。それが小口工事に舵を切ったのは、公共工事の縮小によって存続が危うくなったことだという。現社長である著者が、ヤン・カールソンの『真実の瞬間』を読んで気が付いたというが、これは確かに意識を変えてくれる本である。そして著者自ら先頭に立って小口工事へと邁進したという。なんとなくヤマト運輸の宅急便の誕生プロセスと似ていると思わされる。

 目指すところは「満足」ではなく「感動」。「そこまでやってくれるの」という感動を求めるのだという。「お客様を恋人と思え」という指示はわかりやすくていいと思う。それゆえに、簡単な依頼の場合、「この程度ならお金はいただけない」と現場の社員が判断したら無料でやるという。それを支えるのは社員教育。ひたすら「お客さまのために」と自発的に考えて行動できるようになるには社員教育は大事だろう。それがリピート率90%になっているのだと思う。

・仕組みがあっても「文化」がなければダメ
・ヒットをたくさん打つ人間を育てる監督を作る
・研修にかけるお金は絶対に惜しまない
・部下を研修に行かせないと恥という文化
こうした考え方が躍進を支えている。

 「顧客第一主義だけど、社員とその家族が一番、そして関係する会社の社員とその家族が二番、お客さまは三番」という考え方は理に適っていると思う。
1. それは社員にとって幸せだろうか
2. 取引先企業にとって本当にいいことなのか
3. お客さまが求めていることだろうか
こうした問い掛けが文化を作っていることは間違いない。

 社員が辞めず、出産育児後100%復帰、ほぼ全員参加の社員旅行、息子を会社に入れて誇らしそうな社員の話等々が眩しい。我が社もこういう会社を目指したいと思う。
そういう思いを抱く人には一読の価値ある一冊である・・・




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2018年10月09日

【ピーター・ティール−世界を手にした「反逆の起業家」の野望−】トーマス・ラッポルト 読書日記961



原題:Peter Thiel Die Biografie
はじめに――iPhoneはイノベーションではない
第1章 はじまりの地、スタンフォード大学
第2章 「競争する負け犬」になるな――挫折からのペイパル創業
第3章 常識はずれの起業・経営戦略――ペイパル、パランティアはなぜ成功したのか
第4章 持論を発信する――『ゼロ・トゥ・ワン』と『多様性の神話』スキャンダル
第5章 成功のカギは「逆張り思考」――スタートアップの10ルール
第6章 ティールの投資術――なぜ彼の投資は成功するのか
第7章 テクノロジーを権力から解放せよ――ティールのリバタリアン思想
第8章 影のアメリカ大統領?――トランプ政権を操る
第9章 ティールの未来戦略――教育、宇宙、長寿に賭ける
おわりに――テクノロジーがひらく自由な未来へ

この本で描かれているピーター・ティールは、シリコンバレーでその名を知らぬ人はいないというくらい注目されている起業家であり、投資家である。ペイパルの共同創業者、フェイスブックを創業から支える初の外部投資家、CIAやFBIを顧客に持つビックデータ解析企業パランティアの共同創業者という経歴は確かに凄い。さらに以前読んだ『ゼロ・トゥ・ワン』の作者だとは、この本を読むまでは忘れていた。いろいろなところでその名を目にするし、そんな人物に改めて興味を持って手にした一冊である。

ピーター・ティールは、もともと西ドイツのフランクフルトで生まれ、1歳の時に両親と米国に移住したのだという。子供の頃は成績優秀で、それはチェスの選手としても生かされていて、その腕前は13歳未満の部門で全米7位になったこともあるという。そんな優秀さから大学進学にあたっては、出願したハーバードを含む全ての大学から合格通知が来たという。そしてティールはスタンフォード大学を選び進学する。

20世紀哲学で学部を卒業し、ロースクールで法務博士号を取る。ニューヨークの法律事務所に就職するが、法学部生にとって憧れの連邦最高裁の事務官職には落ちてしまう。これが本人にとっては大きな挫折だったよう。そして一転してみんなが羨むエリート弁護士事務所を辞め、クレディ・スイスのデリバティブ・トレーダーとなる。この経験が後の投資家としての活動につながるのだろう。ここで3年働き、シリコンバレーに戻る。

友人や家族から資金を募り、自らのヘッジファンド「ティール・キャピタル」を100万ドルで立ち上げる。最初の投資はうまくいかなかったようだが、ソフトウェア開発者のマックス・レフチンと知り合い、ソフトウェア会社を創業する。最初は投資家として参加する予定だったが、レフチンに説得されてCEOに就く。これがのちに「ペイパル・マフィア」と呼ばれる創業メンバーを集めてペイパルになる。

ピーター・ティールは、「創業者のパラドックス」という持論を持っているという。それは、企業を創業するような者は、大企業の人事部長なら採用しないようなはみだし者が適しているというもののようである。普通の安定を求める者はサラリーマンになるのだろうし、これは真実だと思う。いい大学を出たからと言って、大企業に就職するにはいいかもしれないが、大企業を創業することは難しいということなのだろう。

ピーター・ティールは、自ら起業するというより誰かと組むというのを得意としているようである。「1人で全部やらない」「よく話し合う友人がいて、彼らと密に協力しながら仕事をする」というのが信条のようである。私自身もそういうタイプなので、考え方は理解できる。「誰と創業するか、ビジネスパートナーの選択は結婚のようなもの」という考え方はとても参考になる。

こうして創業したペイパルは自由闊達な企業文化を醸成し、今や流行になっているアジャイル型開発を徹底した最初のスタートアップになる。全社員が提案を出すことを求められる企業文化は自分の組織もこういうタイプを目指したいと思わされる。「毎日を自分が永遠に生きるかのように生きよ」という考え方は自分も心がけたいと思う。

ピーター・ティールの考え方で惹かれるのは、逆張り思考だろう。人の行かない道を行く、あるいは人と反対の道を行くという考え方は、自分も意識している。独占を目指し、他社との競合を避けるのは、利益を考えるなら当然である。それをやらずに模倣に走るのは、独自のアイディアはそう簡単に思いつくものではないし、わざわざ苦労して考えるよりも模倣した方が楽だからだろう。考えるのを放棄していることに他ならないと思う。「最良の企業は独自のマーケットを創出する」という言葉は大いに意識したい。

トランプ大統領を支援したのも逆張り戦略の一環なのだろう。その良し悪しは別として、そんなところにも一廉の人物であることが伺える。また、ティール・フェローシップを創設し、18歳から20歳の若者に10万ドルの創業資金を提供しているが、その唯一の条件が「高校または大学を中退すること」だと言う。こういう人物だからこそ、スケールの大きな成功を収めるのだろう。

こういう大人物の考え方を知るのは、大いなる刺激である。その考え方を少しでも取り入れたいと思う。今後の活躍もウォッチしていきたい人物である・・・




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2018年10月05日

【みかづき Crescent Moon】森絵都 読書日記960



第1章 瞳の法則
第2章 月光と暗雲
第3章 青い嵐
第4章 星々が沈む時間
第5章 津田沼戦争
第6章 最後の夢
第7章 赤坂の血を継ぐ女たち
第8章 新月

ある学習塾に関わる経営者一族の三代にわたる奮闘記である。
物語は昭和36年から始まる。ある小学校の用務員室で大島吾郎は、集まって来た生徒を相手に補習を行っている。吾郎は用務員であるが、抜群の教える「才」を持っていて、授業についていけない生徒を集めて教えていたのである。そんな吾郎の用務員室に蕗子という生徒がやってくる。

蕗子は他の子と違い、勉強ができることにやがて吾郎は気付く。そして蕗子から、実は母の赤坂千明から送り込まれたのだとわかる。そして当の千明が吾郎に会いに来て、これから立ち上げる学習塾へ来て欲しいと頼む。こうして塾講師どころか千明と世帯を持つことになった吾郎は、千明とともに千葉で一軒家を借りて塾を始める。

世の中はようやく「戦後」を抜け本格的な好景気に沸く中、世間の教育熱も高まっていく。しかし、新聞では「塾は受験競争を煽る」「塾は実のない教育界の徒花」というコラムが掲載されるなど、世間の塾に対する風当たりは厳しい。そして実は、千明は戦時中の国民学校で国への忠誠心を植え付けられた六年間の経験から、文部省を中心とした公教育を毛嫌いしている。塾を目の敵にする世論とは裏腹に、子供への教育に目覚めた父兄から塾は支持を得て生徒を集めていく・・・

こうして始まった吾郎と千明の学習塾は、国の成長とともに発展していく。物語を追いながら戦後の教育業界の発展の様子が伺えて興味深い。吾郎と千明が塾を立ち上げた当初、塾は鬼っ子であり、例えば2人の子供が学校で塾の子というだけでイジメられたりするのである。学校関係者も当然塾を敵視する。このあたりは実際の歴史を踏まえているのだろうが、実に興味深い。

やがて吾郎と千明は、塾の進路を巡って対立するようになる。吾郎はあくまで「補習」を重視しているが、千明は世間のニーズに合わせて「進学」をメインに掲げたいとする。子供たちに重きを置き、一人一人のことを考えると当然「補習」となるが、親のニーズに応え、「塾経営」の観点からすれば「進学」を重視すべきとなる。自分が塾を経営するとなったらと考えると、このバランスは難しいと思う。そして2人の場合、千明の意見が通ることになる。

2人の間には、長女蕗子をはじめ、吾郎と千明の間に生まれた次女蘭、三女菜々美と3人の娘が生まれる。3人とも当然ながら両親の影響を受け、自分なりの教育論を築いていく。そして蕗子は母への反発もあり、母の嫌う公教育下で教師となり、蘭は母とともに塾経営に参加する。それぞれに求める理想の教育があり、物語を楽しみつつ考えさせてもくれる。自分は塾へ行けと親からうるさく言われた経験があって、結果としてそれを突っぱねて行かなかったものであるが、そんなことを思い出す。

受験戦争は確かに愚かなこと。学校の授業について行けない生徒が、吾郎の指導で学ぶことで理解する喜びを得るところは、心動かされるところでもあり、これこそが教育の理想だと思う。しかし、世間はいまだに「いい高校、いい大学」を目指して親は子供の尻を叩く。長い物語だが、随所で心動かされるシーンが連続し目頭が熱くなる。長い物語である分、読み応えも十分である。

自分とは異なり、2人の子供たちはともに抵抗もなく塾に通っていた(あるいは通っている)がどうやらそれほど抵抗感もないようである。ふと、自分は行ったことのない塾の様子を覗いてみたい気分となった。塾の変遷史とともに、熱い物語を楽しみたい一冊である・・・




posted by HH at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | 小説(長編ドラマ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする