2018年12月28日

【「米中関係」が決める5年後の日本経済 新聞・ニュースが報じない貿易摩擦の背景とリスクシナリオ】渡邉哲也 読書日記985



《目次》
序章 米中経済対立の背景を読み解く
第1章 米中貿易摩擦の真相を読み解く
第2章 北朝鮮をめぐる米中の政治対立を読み解く
第3章 中国経済の実態を読み解く
第4章 トランプの世界戦略を読み解く
第5章 米中対立から日本経済の「勝ちパターン」を読み解く

 著者は経済評論家。米中対立が世間を賑わせているが、そんなタイムリーなタイトルに惹かれて手にした一冊。ニュースや新聞は世界経済を断片的、一面的にしか捉えていないとする。経済はそれだけで独立したものではなく、政治があって経済があるという説明はその通りだと思う。ニュースに出ていることは、ある意味結果の1つの断片であるという説明は納得である。

 この本は、知っているようで知らない米中関係と日本経済の行方について、80の疑問を基に解説・分析をしたものとされていて、まさに求めているものと期待を抱く。自分で考える力と情報の裏を読む力が身につくという説明も然りである。そんな中、かねてから疑問に思っていたことが採り上げられている。それは中国が保有する米国債。その量が増えるにつれ、アメリカがそれを売られることを恐れ、中国に対してモノが言えなくなるのではという考え方である。

 これに対して、著者は「可能性は限りなく低い」と説明する。その理由として、世界の債権の6割以上がドル建てとなっている現状、取ると同様の価値を持ちながら金利がつく米国債は世界で最も安全にドルを保有するのに適したものという背景があり(つまり需要が高い)、しかもいざとなれば国際緊急経済権限法、米国愛国者法という法律面の安全装置があるからだと言う。なるほどと思う。こういう実情は知っておきたいところである。

 トランプ大統領誕生の背景には、従来民主党の支持基盤であった労組が、特に五大湖周辺州でプアホワイトと呼ばれる労働者の不支持から共和党に流れたという解説が、個人的にはなるほどであった。二極化が進む中、アメリカは中間層を維持するために製造業を中心としたものづくり基盤を構築する必要があるという背景は、今後の動きを理解する上で頭に入れておく必要があると感じる。

 その他、ちょっとメモしておきたかったのは以下の通り。
 1. 北朝鮮は、中国が何もしなければアメリカはしびれを切らして自ら手を下すかもしれない
 2. 中国の実体経済は判断が分かれるが、おそらく悪い
 3. 中国が好景気に見えるのは、数字の水増しとバブルマネーによる消費
 4. 中国の進んだキャッシュレスは、偽札の横行でやむを得ぬ結果
 5. アメリカファーストは自由貿易と並存可

 米中対立構造が深刻化した場合、日本にはアメリカを選ぶという選択肢しかないとする。それはそうかもしれないが、うまく立ち回る道があるような気がする。安倍政権の外交スタンスも部分的に報じられているだけだと分かりにくいが、中国包囲網である「自由と繁栄の弧」だとか「セキュリティ・ダイヤモンド構想」とかの視点を理解しておく必要があると感じる。このあたりは、鷹の目が必要だと思う。

 肝心の日本経済は、オリンピックと大阪万博の中間である2023年に絶頂期になる可能性が大だとする。また、日本が世界トップになれる産業は再生医療だとも。そうした議論も頭に入れておきたいと思う。いずれにせよ、日々のニュースだけを見ていては気がつかない視点もかなりある。こうした本でそれを補うのも必要だと思う。
 今後の経済を見る上で、意識したいと思わされる一冊である・・・




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2018年12月26日

【「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義】シェリー・ケーガン  読書日記984



原題:DEATH
目次
第1講「死」について考える
特別書き下ろし 日本の読者のみなさんへ
第2講 死の本質
第3講 当事者意識と孤独感――死を巡る2つの主張
第4講 死はなぜ悪いのか
第5講 不死――可能だとしたら、あなたは「不死」を手に入れたいか?
第6講 死が教える「人生の価値」の測り方
第7講 私たちが死ぬまでに考えておくべき「死」にまつわる6つの問題
第8講 死に直面しながら生きる
第9講 自殺
死についての最終講義 これからを生きる君たちへ

アメリカの大学で行われている講義が書籍化されるのはよくあるパターンであるが、この本も「イェール大学で23年連続の人気講座」と名打っている。大学の方も、おそらく宣伝の意味で後押ししているのだと思う。テーマを見てもわかるが、内容は「死の本質について考え始めた時に沸き起こってくる哲学的な疑問の数々を検討するもの」となっている。その説明だけで興味をそそられる。

この本は、実は原書ではもっと厚いらしい。内容的に形而上学的な詳しい考察のほとんどを省き、倫理と価値に関わる問題に的を絞ったとのこと。後半部分だけでも面白いが、できれば形而上学的内容にも触れてみたかったと残念に思う。原書の後半部分に当たる本書だが、まずは死について、「二元論」と「物理主義」の見地を説明してくれる。「人間は死んだらどうなるのか」という基本に関わる部分である。

「二元論」は、人間は体と魂とから成り立つとするもの。これに対し、「物理主義」は体のみとするもの。この立場だと、人間は死んだらそれまで。魂もないから天国も地獄もない。死がすべての終わりとするものであるが、著者はこの立場を支持する。私自身もどちらかと言えば「物理主義」の立場である。これは宗教の否定にも繋がりそうであるが、著者はそこまでは言及していない。

「死の本質」に入ると、「人はどこ(の時点)で死ぬのか」という問いがなされる。すなわち、「思考が停止した時」か「心臓が停止した時」かである。これは臓器提供の際に問われることである。「思考停止」を持って死亡とするもので、臓器提供は道徳的に正当化できるのかという問題に行き着く。これに対し、「生死の境は実は曖昧」として著者は結論を下さない。

以後、「私たちは自分がやがて死ぬとは本当は信じていない」、「 『死ぬときは結局独り』は本当に正しいのか」という問いと解説が続く。「死はなぜ悪いのか」という問いに対し、「残された人にとって悪い」「死ぬプロセスや悲しい思いこそが悪い」「機会を奪うから悪い(略奪説)」と様々な考え方を検証していく。自分なりの回答を考えながら読んで行くのもまた一興であるが、著者は略奪説を支持する。

人は誰でも問われれば、「死は悪いもの」と答えるだろう。となれば生きることは良いことだとなるが、では「不死は」となるとどうだろうか。もちろん、いつまでも健康的で若々しければ良いかもしれないが、老いも考えればそうはいかない。「不死と生き地獄は紙一重」というのはその通りだと思う。著者は、「最善の生とは」という問いに対して、「自分が望むだけ生きられること」と答えている。自分もこれには同意したいと思う。

「人生の良し悪しは何によって決まるのか」
「人生そのものにどれほどの価値があるのか」
普段考えもしないことをあれこれと考えながら読むのも面白い。
いずれ死ぬとしても「人生で何をするべきか」
「死ぬか死なないか以前に人生を台無しにしないこと」
「人生は何もしないには長すぎるが、何かをするには短すぎる」
死を考えることは、結局、生きることを考えることかもしれない。

流れとして当然ながら「自殺」にも考察は及ぶ。
「もし自殺をするのが理にかなっている状況があるとしたらそれはどんな状況だろうか」
自殺と聞けばそれだけで批判する声が出てくるが、それはあまりにも考えのない条件反射だろう。「自殺をするのが適切だという状況があるとしたらそれはどんな状況だろうか」、「『死んだほうがマシ』なのはどんな時?」これも考えれば奥が深い。著者は「自殺は時として正当化できる」とあえて語る。

「死ぬのはどうして悪いのか」
単純だが、いざ答えよとすると難しい。子供に問われたら親はなんて答えるだろう。
物事を突き詰めて考えることは、その物事の本質に迫るもの。しっかりと考えないと本質には迫れない。だから哲学が面白いと感じるのかもしれない。残念ながらイェール大学の講座を直接受講することはできないが、書籍を通して体験してみるのも面白い。今度は前半部分もぜひ読んで見たいと思うが、書籍化は難しいだろうか。

読みながら考えるという点において、まさに大学の講義を受けている気にさせてくれる一冊である・・・



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2018年12月20日

【定年前後の「やってはいけない」−人生100年時代の生き方、働き方−】郡山 史郎 読書日記983



はじめに 定年後うまくいく人、いかない人はどこが違うのか
第1章 「働かない老後」から「働く老後」へ
第2章 定年前後の「やってはいけない」
第3章 いますぐはじめる暮らしの見直し方
第4章 人生100年時代を生きるヒント

 著者は現在プロ経営幹部の派遣・紹介を行う会社の代表者。元ソニーの役員を歴任された方で、自ら退任時の65歳で再就職活動に苦戦したことから、その時の苦い経験を活かし、仕事探しをしている人のサポートに回ろうと会社を設立したとのこと。タイトルだとニュアンスはわからないが、この本は主として定年後も働き続けるためのあれこれを語った内容である。

 かつては定年後と言えば、年金をもらってのんびり過ごすというイメージであった。事実、それなりに退職金も支給され、年金も現役時代の月給の6割程度もらい、利息も普通預金で3%あったから、それなりに勤めた人なら悠々自適の生活を送れたが、現代ではもちろんそれは夢。今は定年後もしっかりと働かないといけない。残念ながら、それは誰もが気付いている真実である。

 しかし、定年後の再就職と言っても簡単ではないと言う。比較的早く再就職の口が見つかるのは、自分の職業人生を一度リセットし、改めてキャリアの再スタートを切れる人だと言う。いけないのは、定年前の地位や収入、仕事の内容にこだわること。実は大企業にいて定年前のポジションや年収が高かった人ほど頭の切り替えができないらしい。さもありなんことである。第三新卒だから、ゼロから挑戦するくらいの気持ちで新しい職場を探すのが適切な態度であると言う。

 実際の例として、同じような経歴のメーカー出身者の事例が紹介されている。片方は低い給料でも構わずすぐに受け、もう片方は希望の月収にこだわってなかなか決まらず、やがてその2人には対照的な顛末が待ち受けている。これを読むと、著者の言いたいこともよくわかる。この例からしても、やってはいけないのは、「条件を徐々に下げる」こと。逆に良いのは、企業の提示額をすぐに受けるスタンスで、キーワードは「安い、やめない、休まない」の3つのY。実際、その通りなんだろうと想像できる。老後資金は「貯める」より「稼ぐ」と著者は語るが、現役時代のようにはいかないのだろう。

 そんな定年後だからこそ、生活水準は上げず、義理と礼を欠くのは高齢者の特権と割り切り、働き続ければ新しいチャンスがあるかもしれないと、とにかくこだわらずに職に就く。やってはいけないのは、起業であり、条件にこだわっていたずらにブランクを作ること。転職は2回が限界ということも実は重要。さすがに、プロだけにその言葉には重みがある。

 自分はとりあえず中小企業に転職して定年のない身分になったが、これから定年に向かう人はよくよく知っておくべき大事なことが書かれている。そういう立場にある人は、早いうちに一読しておくべき一冊である・・・



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2018年12月14日

【負けグセ社員たちを「戦う集団」に変えるたった1つの方法】田村潤 読書日記982



《目次》
まえがき 『キリンビール高知支店の奇跡』とは
第I部 100戦100勝の「戦う集団」に変える方法
序章 弱体化する現場の原因は「本社」にある――ブレイクスルーできるのは自立する「現場」
第1章 理念があるから飯が食える――「指示の奴隷」からいかに脱するか
第2章 戦略は顧客視点で考える――考え抜くリーダーになるためにデータに囚われるな、
第3章 部下の行動スタイルを変え、現場力を高める――「やる気」を引き出す環境整備
第4章 本社を味方につけ、活用する――上司と「うまくやっていく」ための秘訣
終章 根本が確立されるとうまくいく――ひたすら本質へ向かえ!
第II部 対談 野中郁次郎氏 × 田村潤

 以前、『キリンビール高知支店の奇跡−勝利の法則は現場で拾え!−』を読んだが、これは同じ著書による詳細解説的な位置付けの一冊。本書の特徴として、著者は『キリンビール高知支店の奇跡−勝利の法則は現場で拾え!−』が著者の経験をストーリー形式で伝えたのに対し、本書では誰でも実践できる方法論を示すことに主眼を置いたのだとする。それに興味を持って手にした次第である。

 そんな本書の特色は以下の二つだと冒頭で著者は説明する。
 1. 『キリンビール高知支店の奇跡』が著者の経験をストーリー形式で伝えたのに対し、本書では誰でも実践できる方法論を示すことに主眼を置いている
 2. 強いミドルリーダーの復活を強く意識した構成にしている
そして、「なぜ本社の指示に従うほど現場力が低下して行くのか」「なぜ現場の劣化が本社機能の低下を招くのか」と問題提起がなされる。その答えが本書で説明されて行く形となっている。

 本社の主な役割は正しい戦略を示すこと、そして各部門や部署はその目標達成のために存在する。しかし、本社の指示に従っても歯車はうまく回らず業績は下がり続ける。どうすればいいのかという問いに対する答えは、「自力で歯車を回せばいい」と極めてシンプル。スタートは現場の自立。その上で本社と現場の情報ギャップを埋めていくこととする。著者が高知支店でやったのは、本社を見ながら仕事をすることをやめ徹底的に顧客と向き合うこと。このあたり、実に示唆に富んでいる。

 著者はPDCAを否定し、米海兵隊の意思決定プロセスであるOODA(ウーダ)ループを主張する。これはObserve(観察)、Orient(情勢判断)、Decide(意思決定)、Actというもの。PDCAには計画を生み出すプロセスが入っていないとの理由であるが、このあたりはそれぞれ何に重きを置くかによって変わって来るところだろうと思う。そして著者は「経営理念」に最も重きをおく。結局のところ、高知支店の成功は「理念をよりどころにしたマネジメント」であるとする。
 
 これはよく耳にすることである。それはよくわかるが、どんな経営理念がいいのかは難しい。高知支店では、「高知の人たちに美味しいキリンビールを飲んでもらい、明日への糧にしてもらうこと」だったそうである。そしてそのあるべき姿として、「どの店に行っても1番目立つ場所にキリンビールが置いてあり、欲しい時にに飲んでいただける状態を営業がつくる」としたという。実にシンプルでわかりやすい。

 実際に自分たちの職場ではどんな風に理念を設けたらいいのだろうかと考えてみる。一つには「弱みの補強」ではなく「強みの強化」を重視せよという言葉がヒントになる。さらに「理念をリアリティを持ってイメージできるか」もヒントにしたい。それに続く戦略の目的は理念を実現することにあるとする。このあたりをいいヒントにしたいと思う。そのほか、いいなと思ったのは下記の通り。

 1. モチベーションがあるから行動するのではなく、行動するからモチベーションが上がる。やるからやる気が出る。
 2. 部下には自分で考え実行させる
 3. 顧客の価値に結びつかない仕事はしない
 4. 理念・戦略・実行力の三要素を常に頭のどこかに置いておく

 各章末に勝見明氏による解説「知識創造理論による読み解き」が収録されており、理論面での補強も参考になる。自分たちの職場に置き換えていろいろと考えてみるのに参考にしたい一冊である・・・


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2018年12月13日

【人間の条件】ハンナ・アレント 読書日記981



原題:The Human Condition
《目次》
第1章 人間の条件
第2章 公的領域と私的領域
第3章 労働
第4章 仕事
第5章 活動
第6章 〈活動的生活〉と近代

 この本に目が止まったのは、たまたま映画『ハンナ・アーレント』を観ていたからに他ならない。哲学者だと言うことであったし、最近哲学に興味があるからこそ、なおさらその代表作と言われる著作を読んでみようと思った次第である。しかし、やっぱりちょっと難解すぎる本でもあった。
 
 この本の中心的なテーマは、「私たちが行なっていること」だとする。人間の条件の最も基本的な要素を明確にすることとしながらも、すべての人間存在の範囲内にあるいくつかの活動力だけを扱うとする。そしてその人間の基本的な活動力を3つに分類する。すなわち、「労働」「仕事」「活動」である。哲学は簡単なことを難しく表現するものだと個人的には考えているが、これだけ聞いても意味はよくわからない。

 「労働」はもちろん働くことだが、著者の説明は難解。曰く、「労働とは、人間の肉体の生物学的過程に対応する活動力である。人間の肉体が自然に成長し、新陳代謝を行ない、そして最後には朽ちてしまうこの過程は、労働によって生命過程の中で生みだされ消費される生活の必要物に拘束されている。そこで、労働の人間的条件は生命それ自体である。」とするが、何回も読んでようやく、「人間は生きるために働く」と言うことかなと思える程度である。

 「仕事」に至っては、労働とどう違うのだと思う。曰く、「仕事とは、人間存在の非自然性に対応する活動力である。〜略〜仕事は、すべての自然環境と際立って異なる物の「人工的」世界を作り出す。〜略〜この世界そのものはそれら個々の生命を超えて永続するようにできている。そこで、仕事の人間的条件は世界性である。」とあるが、何を言っているのだと言う世界である。

 「活動」も似たようなもので、それは人間の多様性に基づいていて、その多様性こそ政治であると政治的側面を語る。この後、「公的領域と私的領域」と言うことが語られるが、政治はこの「公的領域」に関連している。その説明に際し、採り上げられるのは古代ギリシアであり、プラトンやアリストテレスの世界である。確かにポリスの政治状況だとわかりやすいが、改めて古代ギリシアの思想的影響力の大きさを感じさせてくれるところでもある。

 読んでいてその難解さに幾度となく溺れそうになる。なにせわかりにくいのは、言葉の使用=表現方法ということもあるが、長々とした説明にもある。「労働」においては、古代ギリシアの奴隷制度の例が採り上げられているが、そうした制度の状況から説明して遠回りしているうちに論点がわからなくなってくるのである。ただ、それであっても何となく理解できた範囲内では、労働に関する主張が1番興味深かったのは事実である。

 おそらく、それなりにトレーニングを受けた者であるならば、ハンナ・アレントの主張することについていけるのだろうと思うが、そうでない者にとってはこの本を読み解くのは難しい。私のように通勤電車の中で本を読む人間にとっては、とても「サラリと読める」シロモノではない。机に座ってじっくり意味を考えながら読まないと理解は難しい。さりとて、ではそうして読むか、読みたいかと問われると、ざっくりと把握できた範囲内ではあまり興味の持てるテーマではない。そのエネルギーは他に向けたいと思うところである。

 さらには、この本が書かれたのは1958年であるが、それはかれこれ60年前。まだマルクスが権威を誇っていたであろう時代であり、そうした「微妙に古い」ところがちょっとしたズレになっていると感じられるところもある。テーマ的にはもう一つの代表作である『革命について』の方が面白そうにも思える。
 今度は通勤電車ではなく、机に座ってじっくりと読んでみたいと思うところである・・・



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2018年12月11日

【ニューエリート−グーグル流・新しい価値を生み出し世界を変える人たち−】ピョートル・フェリクス・グジバチ 読書日記980



《目次》
第1章 2020年代の「成功者」とは?
第2章 つねに学び、自分をアップデートする
第3章 決断は直感で。早く動いて結果を出す
第4章 会議・チーム作りはアウトプットから逆算する
第5章 スプリントのリズムで体調を管理する
第6章 人材をめいっぱい活かす企業のやり方
あとがき 2050年の世界を創造しよう

 著者は、日本在住17年で、人材開発や組織開発などの事業を手掛けている方のようである。社会主義下のポーランドに生まれ、どっぷりと社会主義に浸かった同級生達を尻目にクラスで1人だけ高校へ進学したという。大きな変化を感じたゆえのジャンプであり、ドイツではたった1日で父親の給料の2〜3ヶ月分のお金を手にするという経験もあり、モルガン・スタンレー、そしてグーグルとキャリアを積んだという経歴はとても興味深い。

 いきなり「クビになる準備はできているか?」という問い掛けにはドキリとさせられる。かつてはともかく、今はどうだろうと自問する。「変化は突然やってくる。次の可能性に備えておこう」と著者は語る。「生き残る人材は官僚でも誰でも起業精神が必要」という言葉は覚えておきたい。 企業の明日はどうなるかわからず、生まれたばかりの子供に「いい大学、いい企業に」と願うのは無意味という意見には激しく同意してしまう。

 東芝よりアップルを目指せと著者は言う。それはアップルは常にイノベーションが宿命づけられているからだとする。真面目に自分の仕事だけしていればいいかと言うとそうではなく、本業以外に取り組むべきとする。それが新しい価値を生み出すのだと。これからの時代をリードする人材は確かなビジョンを持っている。ここで言うビジョンとは、「こういう世界を描きたい」、「こういう世界を見たい」というイメージ。なるほどと思わされる。

 これからは、学び続ける人しかチャンスをつかめないとする。「アフターファイブに勉強するより、仕事に学びを絡めよう」という言葉は頭に入れておきたい。そのほかにもいろいろとヒントが満載である。
 1. 成功者に会えたらとにかく質問をしまくる。まともな質問ができると信頼関係が構築できる。
 2. 人に会うときは、相手の学びになるよう頭を使う
 3. 学力よりも必要になるのは、世界の問題を解決する能力
 4. 判断の速さが結果を大きく左右する
 5. フィードバックを求める時は、建設的でポジティブな聞き方をする
 6. 何でも面白がると、その場が建設的な方向に進んでいく
 7. 楽しんで仕事をした者勝ち

 コミュニケーション能力の評価基準は「相手が行動してくれたか」というのは、今自分に必要な考え方だと思う。「これから流行りそうな活動よりも誰もやっていないこと、自分にしかできないことをやる」というのはその通りだろう。「自分で選択した疲れは心地いい」というのは、何度も実感している。周りを見渡せば、とにかく「言われたことだけやっていれば安心」という人がほとんどである。そんな1人にはなりたくない。

 日本のサラリーマンに足りないものはなんだろうと考えてみると、この本に書かれている考え方だと実感する。各々の職場で、「誰もやっていないこと」「自分にしかできないこと」これだけを考え続けても効果はあるのではないだろうか。こういう刺激も大いに受けたいと思う。
 知的な刺激を求めている人には、参考になる一冊である・・・


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2018年12月06日

【絶滅の人類史 なぜ「私たち」が生き延びたのか】更科功 読書日記979



序章 私たちは本当に特別な存在なのか
第1部 人類進化の謎に迫る
 第1章 欠点だらけの進化
 第2章 初期人類たちは何を語るか
 第3章 人類は平和な生物
 第4章 森林から追い出されてどう生き延びたか
 第5章 こうして人類は誕生した
第2部 絶滅していった人類たち
 第6章 食べられても産めばいい
 第7章 人類に起きた奇跡とは
 第8章 ホモ属は仕方なく世界に広がった
 第9章 なぜ脳は大きくなり続けたのか
第3部 ホモ・サピエンスはどこに行くのか
 第10章 ネアンデルタール人の繁栄
 第11章 ホモ・サピエンスの出現
 第12章 認知能力に差はあったのか
 第13章 ネアンデルタール人との別れ
 第14章 最近まで生きていた人類
終章 人類最後の1種

 今年、『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』を読んだが、もともと歴史好きの延長で、人類史にも大いに興味がある。そんなところから手に取った一冊。

 ここ数年、放射性炭素による年代測定法の精度の向上や試料の前処理の検討によって、人類の化石や遺跡の年代が大幅に修正されているのだという。それによって人類史の解釈も変わっているらしい。改めて説明されると意外であるが、「人類は何種類もいた」という。どうしても人類史というと、「ヒトは猿から進化した」というイメージがあるが、ヒトと猿の間には大きな隔たりがあるという。

 そもそもヒトに至る進化の系統とチンパンジーに至るそれとが分岐したのが700万年前。その頃の最古の人類はサヘラントロプス・チャデンシス。気の遠くなるような昔である。それからの流れの中で、人類は人類で進化し、チンパンジーはチンパンジーで進化、例えれば人類が1番とするとチンパンジーは26番くらいで、その間すべてが絶滅してしまったようなものだとする。実にわかりやすい喩えであり、だからヒトとチンパンジーの間には大きな隔たりがあるのである。

 ヒトの特徴は何と言っても「直立二足歩行」。なぜ直立二足歩行になったかについては、どうやら「食料運搬説」が有力らしい。ヒトの祖先は、どうやら道具を使い、食料を分け合い、ナックル歩行ではなく普通の四足歩行をして樹上に住んでいたと考えられている。そして疎林地域に進出。チンパンジーと比べ、ヒトの犬歯が小さくなっているのは、オス同士の争いがなかったからだとする。化石といっても、全身のものがあるわけでもないのに、よくぞいろいろと調べるものだと感心する。

 脳を発達させるには、エネルギー(=肉)が必要で、それゆえにエサが取れないと脳の大きなライオンから死んで行くという説明は、なぜ肉食のライオンの脳が小さいかの説明としてはなるほどである。そして何よりも肉食獣より弱く足の遅い人類が発展できたのは、食べられても「多く生んだから」という説明にもなるほどである。チンパンジーには年子がいないという話も新鮮である。そんなたくさんのなるほどが詰まっている。

 それにしても、簡単に説明してくれるが、考えてみれば気の遠くなる時間単位の話である。700万年前に最古の化石人類が現れ、アウストラロピテクス属が登場するのが390万年前。そしてホモ・エレクトスの登場が190万年前である。古代エジプト文明が紀元前4,200年頃とされているから、それにしても人類の文明史は現代まで6,300年くらいな訳である。まだ1万年も経っていないのと比べると、非常に長い時間がかかって進化していることに改めて感じ入るものがある。

 ヒト(ホモ・サピエンス)とネアンデルタール人が分岐したのが40万年前。それからヒトとネアンデルタール人は共存。その間にもホモ・ハイデルベルゲンシスやホモ・フロレシエンシスなどの人類もいたようである。しかし、最終的にはすべて絶滅してしまい、我々ホモ・サピエンスだけが残る。ネアンデルタール人の絶滅は、気候変動(寒冷化)とホモ・サピエンスの出現だと結論づける。

 実はネアンデルタール人の方が、体格が良かったようである。なのに生き残れなかったのは、基礎代謝がホモ・サピエンスの1.2倍あり、これはつまり食料が乏しくなる寒冷期にサピエンスより1.2倍の食料を要したということらしい。加えてサピエンスは何でも食べたらしい。ネアンデルタール人に比べると華奢な体は、動き回るのに有利という利点があり、さらに優れた狩猟技術を有していたという。どれもこれも皆興味深い話ばかりである。

 それにしても、やはり人類は奇跡のような存在だと改めて思う。長い年月をかけて、少しずつ進化してきたホモ・ピエンス。高度な文明社会を築き上げた我々は1万年後どうなっているのだろうと思わず想像してしまう。「我々はどこから来てどこに行くのか」という問いかけがテーマとなったのは『オリジン』であったが、その前半部分の問いの答えとなる一冊である・・・




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