2019年06月28日

【情報なき国家の悲劇 大本営参謀の情報戦記】堀栄三 読書日記1044



《目次》
陸大の情報教育
大本営情報部時代
山下方面軍の情報参謀に
再び大本営情報部へ
戦後の自衛隊と情報
情報こそ最高の“戦力”

 著者は元大本営情報参謀。さらに戦後は自衛隊統幕情報室長を務めた情報のプロ。そんな著者が、戦時中の情報活動について綴った一冊。それだけでも大変興味深い。

 陸軍士官学校教官から辞令を受けて大本営の情報参謀となった著者。まず戦史教育で周りの者が様々なケーススタディで表層的な観察に走る者が多い中、「支那軍は弱い」という固定観念に気がつく。「鉄量(火力)を破るものは突撃ではなく、ただ1つ、敵に勝る鉄量のみ」と認識する。当たり前と言えば当たり前であるが、当時はそうではない。

 様々な当時の様子が紹介される中で、きちんと考えている者とそうでない者の差が光る。例えば独ソ戦では、ソ連担当の十六課がソ連軍の実情を正確に把握し、ドイツ軍が破竹の進撃をする中で冬以降の反攻を予想するが、ドイツ担当の五課は、ヒトラーや外相の発表を根拠にドイツ軍の勝利を予測している。当然、五課の声の方が大きく影響する。

 やがて著者は対米担当になり、前線に行くことになる。ここで米軍の戦法を学んで行く。アメリカが日米開戦時に日系人を強制収容したが、著者はこれを情報の観点から、「スパイ網を破壊するための防諜対策」と説明する。そんな見方があるとは思いもつかなかった。さらに台湾航空戦の大戦果に際し、帰ってきたパイロットを捕まえて戦果確認方法を問いただしていく。そしてその結果、戦果が課題報告されていることに気づく。

 今でも「大本営発表」と言えば、過大な成果発表の代名詞とされているが、これまでそれは現地からの戦果報告を大本営でわざと過大発表していたのかと思っていたが、実はそうではなかったらしい。帰還したパイロットの怪しげな報告をしっかり審査せずにそのまま大本営に報告していたのが実際のようである。それゆえに、この過大戦果を元に(敵を過少評価して)作戦を立てていたりしたらしい。意外な真実であるし、なんとなく情けなくも思える。

 立場的に一歩引いたところから全体を冷静に観察していたからかもしれないが、こういう視点が戦争指導者たちにあったら、もっと結果は違っていたかもしれない。現地の簡単な地図だけを見て安易に作戦を立案したり(地図では近距離でも実際は密林を移動しなければならないとか)、制空権を軽視し、軍の主兵は歩兵という考えから脱却できず、補給を軽視する。鉄量の差は精神力で克服できるという呪術的思考にとらわれる。

 著者は米軍の動きを観察し、思考し、フィリピンにあって米軍の作戦を次々と的中させていく。その能力を惜しまれ、山下司令から帰京を命じられる。死なすに惜しいと考えられたのも当然であろう。そして今度はサイパンのB-29の動きをコールサインから追う。何と原爆を投下した別働隊の動きも(それとは知らずに)掴んでいたという。このあたりのスリリングな動きは読み物としても面白い。

 改めて日本軍の問題点として挙げられているのも興味深い。
1. 国力の判断の誤り(アメリカの国力を過小評価)
2. 制空権の軽視
3. 組織の不統一(陸軍海軍の対立だけでなく、陸軍内でも作戦部、情報部、技術本部、航空本部等がバラバラに活動)
4. 精神主義(目隠しの剣術)

 情報機関と言うと、何やらきな臭く、現代でも共産党あたりが噛みつきそうであるが、著者は一元化された情報機関の必要性を説く。戦争をするためだけでなく、防ぐためにも賢く立ち回るためにもそうなのかもしれない。兎の武器は長い耳か早い足かというたとえが最後になされる。「兎の長くて大きな耳こそ、欠くべからざる最高の戦力」という言葉が力強く光る。

 「あやまちを繰り返さない」ためにも、省みなければならない言葉ではないかと深く思う一冊である・・・




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2019年06月27日

【大戦略論】ジョン・ルイス・ギャディス 読書日記1043



《目次》
第1章 ダーダネルス海峡の橋―グランド・ストラテジーとは
第2章 アテネの長城―ペリクレスとトゥキュディデス
第3章 師と原則―孫子とオクタウィアヌス
第4章 魂と国家―アウグスティヌスとマキアヴェリ
第5章 回転軸としての君主―エリザベス一世とフェリペ二世
第6章 新世界―アメリカ建国の父たち
第7章 最も偉大な戦略家たち―トルストイとクラウゼヴィッツ
第8章 最も偉大な大統領―リンカーン
第9章 最後の最善の希望―ウィルソンとルーズベルト
第10章 アイザイア―ふたたびグランド・ストラテジーについて

 最近、自分の中でキーワードの1つになっているのが「戦略」である。それゆえにタイトルを目にして迷わず手にしたのが本書。ただの戦略であるのではなく、「大戦略(グランドストラテジー)」となっているのも気になるところ。著者自ら「クラウゼヴィッツの『戦争論』と同じテーマ」と語っており、しかも「『戦争論』よりも長い期間をカバーしているが(本の)長さは半分以下」というところにまず惹かれる。

 そして内容は、紀元前480年のギリシャから始まる。ダーダネルス海峡を前にしクセルクセスと指揮官アルバタノスとが対比される。ここで示されるのが「ハリネズミとキツネ」のたとえ。「キツネはたくさんのことを知っているが、ハリネズミは大きいことを1つだけ知っている」というもの。キツネはいくつもの目的を追求し、ハリネズミはすべてのことをたった1つの構想あるいは体系に関連づけていくというもの。この例えは、このあと何かと頭に入れておくとわかりやすい。

 冒頭のペルシャ戦争での一幕からペロポネソス戦争へと続く。中でも「メガラ禁令」というのが採り上げられる。初めて知ったが、メガラという小さな都市国家に対する経済政策としての禁輸令であるが、「些末事だが一歩譲歩してしまうと坂道を転げ落ちるような事態になりかねない」という例である。その例としてベトナム戦争が採り上げられる。「未来は過去の反復ではないにしても未来を理解する手がかりとして過去を知ろうとする」ことに意味はあるという。

 戦略というと、国家や組織のものというイメージがあるが、ここでは個人も数多く登場する。オクタウィアノスとアントニウス、アウグスティヌスとマキャベリ、エリザベス一世、リンカーンにルーズベルト等々。これが本書の特徴の1つでもある。ただ、個人の場合、戦略というよりも「思想」と言える描写が多いように思えるのがちょっと気になるところ。アウグスティヌスとマキャベリなどは特にそうである。

 一方、宗教問題、結婚問題、スペインとの開戦という大問題を抱えていたエリザベス一世の行動やナポレオンの侵攻に対して、退去戦から反撃し相手に逃げ道を用意しておいたロシアの総司令官クトゥーゾフの例などは、「戦略」と言われても納得する(クトゥーゾフの戦略は著者も「グランドストラテジーの黄金律」と称賛する)。

 アメリカは建国に際し、「奴隷制」という爆弾を内包していたが、建国の父たちはまず連邦を選び奴隷制解放を先送りするが、これは弱小な邦の集まりよりは強い単一国家になった時の方がこの難事業はうまくやれると考えたからだという。このあたりの「国家戦略」はなんとなく求めていたものに近い気がするが、リンカーンが選挙に際し、待つことで支持基盤を固めたとか、当初はいきなり全面的な奴隷制度廃止論者になったわけではないという「個人戦略」の部分についてはちょっと違う気がする。

 エリザベス一世もリンカーンやマディソンも微妙なバランスをとったとされるが、それが「大戦略」というのも何か違和感を覚えるところ。著者自身もこの本も評価が高いみたいであり、それ自体否定するつもりはないが、微妙に自分がイメージしていたものとは違ったというところは確かである。ただし、歴史上の読み物としては面白かったのは間違いがない。
 
 あくまでも「戦略」という意味では、ちょっとイメージと違った一冊である・・・






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2019年06月20日

【才能の正体】坪田信貴 読書日記1042



《目次》
第1章 「才能」とは何か?
第2章 「能力」を「才能」へ
第3章 「才能」のマネジメント
第4章 「才能」と「成功者」、「才能」と「天才」

 タイトルに惹かれて手に取った本であるが、気がつけば著者は『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』の著者。手にしたから気づくというのもなんだが、期待が盛り上がる。

 著者もビリギャルで名前を売ったようであるが、よく言われるのは、「彼女(ビリギャルのさやかちゃん)はもともと才能があったんでしょう」という言葉。著者のすごいと思うところは、そういう言葉に対し、「才能」という言葉の意味を分析してみたところだろう。塾での指導の全記録を取り、「才能というのは結果でしかない」と気づく。個人的にも大いに同意してしまう。

 「才能がある」と言われている人たちの共通点は、「みんな努力している」。すべての人が優秀と言われる可能性をもともと持っているのだと言う。それが開花するのは、その人に合った動機付けがまずあって、そこから正しいやり方を選んでコツコツと努力を積み重ねているのだとか。人は結果から遡って物語を作ろうとするものだと言う指摘は、そうだよなぁと思わせてくれる。自分自身、努力で才能を超えた経験があるだけに納得する。
 
 才能と言われるものを手にするのに必要なのは、「認知」「情動」「欲求」。「認知」とは、「これなら自分にできそう」で、しかも「これはきっと役に立つ」と思えたら行動に移すものだと言うもの。「やればできる」は結果至上主義の考え方で、「やれば伸びる」と言うのが正解。本当の成功とは、100年かけても達成したいと心の底から思うものを見つけることやそういう思いを分かち合える仲間を見つけることだとする。

 手段と目的を取り違えるとせっかくの才能が無駄になってしまうというのは当然のこと。「現役合格ってそんなに価値が高いものとはとても思えない」というセリフは、一見教育関係者とは思えないが、個人的には常日頃思っているだけに溜飲の下がる思いがする。自分は現役の時に勉強もしていなかったくせに我が子を血眼になって塾に通わせる世の母親たちに聞かせてあげたい言葉である。

 そのほかにもいろいろと同意したい言葉が続く。
1. やらない理由を探すのをやめましょう。いつからだって何歳からだって始められます
2. 生き残りたいならバランスより尖ること
3. 魚の才能を木登りで測ったら魚は一生自分はダメだと信じて生きるだろう
4. 相手が何を求めているか、これを想像し、洞察し、察知することは勉強にもビジネスにも必要最低限の事

 教育とマネジメントの話も面白い。知らない人に知識を教えるのが「教育」で、知っているけどやれない人をやれるようにするのが「マネジメント」であるというもの。言われてみればその通り、なるほどである。人はなぜ勉強するのか。「受験に才能はいらない。才能が必要になってくるのは、学校を出てから先、そこで生きていくために人は勉強する」。このあたりはさすがに教育者らしい言葉である。

1. 人は自分が正しいと思っている価値観に支配されている
2. 人の才能を伸ばすのが上手な人ほど主観的な意見を言わず、ただ事実のみを根気強く言う
3. 教育・指導・改善をする時、またフィードバックする時、相手との信頼関係がないと受けた方は「攻撃されている」と感じる
4. コミュニケーションは自分が何を言ったかではなく、相手にどう伝わったか
 1つ1つがその通りだと思わされるものばかり。

 生まれつきの能力はおまけ。失敗を失敗と思わない能力、それこそが才能。才能・天才・地アタマ・運は4大思考停止ワードだと言う。本当にそれこそが「才能の正体」なのだろう。その正体をしっかりと理解して我が子に接したいと思わされる。日頃思っていたことをうまく言葉で表現してくれた、深く心に響く一冊である・・・



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2019年06月15日

【考えるとはどういうことか−0歳から100歳までの哲学入門−】梶谷 真司 読書日記1041



《目次》
第1章 哲学対話の哲学
第2章 哲学の存在意義
第3章 問う・考える・語る・聞く
第4章 哲学対話の実践

 日頃、哲学など「考えること」に興味を持っているため、この本のタイトルを見たときには迷わず手にした一冊。しかし、期待したタイトルがそのまま本の内容となっていないものもあり(それはまことに理解不能なことであるが)、時折腹立たしくなることがある。この本は、残念ながらその見本のような一冊である。
 
 著者は「知識ではない体験としての哲学」を標榜する。それは「考えること」そのものであり、「考えること」とは、具体的に「問い、考え、語ること」だとする。特に他人との対話を重視し「共に問い、考え、語り、聞く」ことを強調する。そんな考えによって人は初めて自由になれるとする。本書のテーマとして、「生まれてから死ぬまでいつでも誰にでも必要な哲学」としていて、このあたりまでは大いに期待を持って読み進んだ。

 著者がこの本で特に強調するのは、「哲学対話」である。「哲学対話」とは、文字通り「輪になって行う対話である。みんなで輪になって「問い」「考え」「語る」わけである。そこには「何を言ってもいい」「人の言うことに対して否定的な態度を取らない」「発言せず聞いているだけでもいい」など8つのルールがあると言う。このあたりからだんだんと雲行きが怪しくなってくる。個人的にこの「哲学対話」なるものに興味を抱けない。

 対話の中で、「自由に問い語ることによって初めて自由に考えられるようになる」と説明される。「何も質問がない」と言うのは、「何も考えていない」、あるいは「考えるのが面倒臭い」ことに他ならない。哲学対話によって、「自由に考えられること」ができるようになる。実に興味深い話である。

 ただ、「哲学対話」は単なる方法である。私が興味を持っているのは「考える方法」ではなくて「考える」ことそのもの。方法よりも本質的な議論である。輪になって話すとか、そういう哲学対話も否定はしないが、私の読みたかった内容ではない。 何よりこの本のタイトルは「考えるとはどういうことか」であり、「どうやることか」ではない。「みんなで輪になって話しましょう、それが考えることに役立ちます」と言われても、それは違うだろう。それならそういうタイトルにしてほしいと思わざるを得ない。

 途中、「哲学対話の効用は自由に考えること」だとするあたりは、求めていた「考えるとは」という部分に近かった。
・哲学とは恋愛と同じ
・哲学の問題があると言うより哲学的な問い方があるだけ
・自分にとっての問いの意味を問う
・大きな問いを小さくする、抽象的な問いを具体的な問いに
などはなかなか興味深いところであった。それゆえに、その後再び「だから哲学対話がいい」と元に戻ってしまったのは残念であった。
 
 内容に文句はないが、タイトルが正しく内容を表していたら読まなかっただけに、内容にあったタイトルをつけることを改めて願いたい一作である・・・




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2019年06月14日

【やる気と能力を120%引き出す奇跡の指導法】藤重 佳久 読書日記1040



《目次》
第1章  音楽は「自己表現」
第2章 「やる気」がすべてのエネルギー
第3章 「社会に通用する人間」を育てる
第4章 「指導者」としての考え方

 著者は、現在活水学院吹奏楽団音楽総監督。プロの演奏家から始めは福岡県の精華女子高校の吹奏楽顧問に転身し、全日本吹奏楽コンクール19回出場(うち金賞10回)、全日本マーチングコンテスト16回出場(全回金賞)という華々しい実績をあげて定年退職後に現職に転身し、赴任してすぐに全日本吹奏楽コンクールと全日本マーチングコンテストに初出場という実績を残している方。こういう方の指導理論というものには大変興味を惹かれるところである。

「音楽とは、演奏者の感性の中にある表現の元となるイメージが音となって表現されるもの」とする。その表現の始まりは「意思表示」であり、具体的には「あいさつ」だとする。「あいさつは心のキャッチボール」というが、こういう基本はシンプルであっても実に重要なのだろうと思う。演奏する曲には生徒に自分で歌詞をつけさせ自分の声で歌わせるという。これで正しい音程、リズム感を養えて、さらに作曲者が何を表現したいのかという洞察力を鍛えることにもなるらしい。

 音楽の技術的な指導もいいが、他のことにも応用がきく指導の方が参考になる。
1. 「いい音」を聞かせる
2. 生徒同士で教え合う文化
3. 目標 (「全国大会を目指す」)が人間を成長させる
4. 笑顔は心のビタミン
5. いい無理(自分から進んでやろうとしている無理)はしても良いが、悪い無理(やらされている無理)はしない

 指導者が何よりも初めにやらなければならないことは生徒の向上心を引き出すことだとする。音楽の究極的な表現は愛情の表現であり、思いやりが音楽の質に直結するという。それゆえに音楽の指導を通して生徒の人間力を養うのだとか。そして音楽の本質さえ見失わなければ「我流」を貫き続けてもブレることはないとする。こういう考え方だからこその実績なのだと思う。

 そのほかにも、
1. 「押し付ける」のではなく、「引き出す」
2. 1分あれば練習できる
3. 個人練習こそ個性を持たせる
4. 認める、褒める、励ます
5. 長期的な目標は立てず、目の前の目標を超える
6. 集中力、忍耐力、協調性と思いやり
 
 こうした考え方の根底にあるのは、「人間関係を築く上で大切なことは音楽にとってもやはり大切なこと」という考え方。これは音楽に限らず、広く当てはまるような気がする。

 結局、人を育て上げて一流にするということは、何であれその根底にある考え方は似たようなものなのかもしれない。技術だけではなく、その根底にあるものをしっかりと捉えるようにしたいものである。自分でも学び取れるものがあるように思える一冊である・・・


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2019年06月12日

【未来の年表2 人口減少日本であなたに起きること】河合 雅司 読書日記1039



《目次》
第1部 人口減少カタログ
第2部 今からあなにできること

 少子高齢化は今や日本人なら誰でも知っている我が国の抱える問題であるが、実はそれほど実感として持っていない。そんな自分に衝撃的な事実を突きつけてくれた『未来の年表』の続編である。サブタイトルにあるように、前作が「これから起こること」であったのに対し、今回は「あなたに起きること」となっている。この違いが興味深い。

 少子高齢化や人口減少によって起こる大きな数字の変化を「具体的な変化」に置き換えることが大事だと著者は主張する。「合計特殊出生率」がわずかに改善したと強調する向きもあるが、「出生数」で見ると実は減っているとか。よくありがちな事実であるが、その通りだと思う。高齢者が増えて行った場合、交通機関で遅延が続発するだろうとする。乗り降りに時間がかかる高齢者が増えれば当然予想される事である。

 多死社会となれば、火葬場が不足することも考えられる。さらに住職が不足し、思う通りに葬儀もあげられなくなる。所有者不在の土地は全国で北海道の面積に匹敵するくらいに迫り、空室の増加から修繕積立金が不足したマンションのスラム化が起こる。農業従事者が減れば野菜の生産に影響を及ぼし、食卓から野菜が消える。どれも絵空事ではなく、確実に予想しうることであるから深刻である。少子化で甲子園に合同チームが出場した時、どこの校歌を歌うのか、などはのどかな予想である。

 80代が街を闊歩するのはいいが、交通機関の他にも窓口や売り場が大混雑となる可能性がある。説明をしても聞いても理解できないことは今でも往往にしてある。高齢ドライバーの問題はすでに顕在化しているし、後継者不足で大廃業時代となれば熟練技術の喪失にもつながる。40代でも新人の仕事をしなければならなくなる。それらの積み重ねが約22兆円のGDPの減少になる。

 親が亡くなると遺産マネーは地方銀行から流出し、地銀が存続できなくなるというのは意外な予想。だが、かなり深刻な予想である。鉄道やバスの廃線が増加し、2030年問題と言われるパイロットの不足と合わせると、移動すら困難になる。立会人の確保が難しくなり、遠い投票所への移動が困難になれば選挙を通じた民主主義も揺れる。救急車が遅くなり、自販機に補充ができなくなり、ガソリンスタンドが消えて灯油も買えなくなる・・・

 いずれも笑い話となるものではなく、かなり高い確率で起こりうる可能性があるだけに、読んでいて暗澹たる気持ちになる。著者は対策として本作でも「戦略的に縮む」ことを主張している。その具体策として「個人でできること」とするのは以下の5つ。
1. 働けるうちは働く
2. 1人で2つ以上の仕事をこなす
3. 家の中をコンパクト化(使う部屋と使わない部屋を分ける)
4. ライフプランを描く
5. 年金受給開始年齢を繰り下げ起業する
 せっかくの提案だが、参考になるのは「1」くらいである。

 少子高齢化は確実に起こりうる未来だけに気軽に読み流すことができないところがある。己にできることとしては働き続けることくらいしかないが、せいぜい「起こりうること」は常に念頭に置いておきたいと思う。
 
そういう意味で、将来を考えるとても重要な一冊である・・・



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2019年06月10日

【アルケミスト 夢を旅した少年】パウロ・コエーリョ  読書日記1038



 著者はブラジルの作家。かねてから評判を聞いていて、読んでみたいと思っていた一冊。
物語の舞台はスペインのアンダルシア。主人公は羊飼いの少年サンチャゴ。羊たちを連れて依頼があれば毛を刈って売ると言う仕事をしている。いつも本を読んでいる勉強家でもある。ある商人の家を訪れた時、その家の少女が可愛くて心を動かされるというごく平凡な少年である。

 サンチャゴの父はサンチャゴを神父にしたいと願ったが、サンチャゴは旅に憧れ、自分の人生の目的は旅をすることだと考えている。そしてそれに近い仕事として羊飼いになったのである。ある時、サンチャゴは同じ夢を続けて見る。夢の中でサンチャゴはピラミッドに連れて行かれ、「ここにくれば隠された宝物を発見できる」と告げられる。その夢の意味をジプシーの老女に尋ねたサンチャゴは、老女の答えを受け入れ、夢に出て来たピラミッドへ行くことを決意する。

 一生懸命働いて増やした羊をすべて売り払い、そのお金を持ってサンチャゴはエジプトへ向かう。その背中を押したのはある老人。町のパン屋も若い頃旅をしたがっていたが、まず自分の店をやってお金を貯めることにしたという話をサンチャゴにする。人はいつでも自分の夢見ていることを実行できるのに気がつかないと続ける。このあたりお話というより、自分自身にすぐに当てはまる人生訓のようなところがある。

 すべての羊を売り払い、そのお金を手にしてエジプトに到着したサンチャゴは、着く早々見事にお金をすべて巻き上げられる。どうやらそこは生き馬の目を抜く世界らしい。サンチャゴの心中は察して余りある。人生にはすべてを賭けたのに思いがけない失敗をするというのもよくあることだろう。サンチャゴは自分のことをどろぼうに会ったあわれな犠牲者と考えるか、宝物を探し求める冒険家と考えるか、どちらかを選ばなければならないと考える。そして後者を選ぶわけである。果たして自分は後者を選べるだろうかと考えながら読んで行くと面白い。

 タイトルのアルケミストとは錬金術師のこと。ここでは最後に登場し、ピラミッドへ向かうサンチャゴに同行する。中世の錬金術師とはちょっとイメージが違う。そしてサンチャゴが手にする宝物とは。物語の流れから予想していたものとはちょっと違ったが、「何かを強く望めば宇宙のすべてが協力して実現するように助けてくれる」という錬金術師の言葉は心に何かを伝えてくれる。

 単に物語を追うだけでなく、要所要所で示される教えに気づき、心に刻みたい一冊である・・・




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2019年06月06日

【一人の力で日経平均を動かせる男の投資哲学】cis 読書日記1037



《目次》
第1章 本能に克てねば投資に勝てない
第2章 相場は仮説を生み出した人が勝つ
第3章 勝つための一歩は場と自分を冷静に見ること
第4章 職業・トレード職人
第5章 投資に必要なスキルはゲームで磨いた
第6章 億万長者になれたのは2ちゃんねるのおかげ
第7章 これから株を始めるなら
付記 ギャンブルを制すものは株を制す

 著者は株のデイトレーダー。2000年に21歳で300万円の自己資金で本格的に株式投資を始め、今や資産は230億円だと言う。凡人には想像もできないレベルである。そんな個人トレーダーが相場や投資に関して語る一冊。その内容には一般のビジネスにも通じるものがあったりする。

 理解することと実行することの間には大きな距離があるとする。これはよくわかる。頭では理解していても、リスク等を考えると手が出なかったり、面倒だと思ったりするものである。230億もの資産を築いたトレーダーでも思い通りに勝てない日は続き、うっかり大損することもあると言う。そんな日々変わる状況でも「だから相場は面白い」と語る。「好きこそ物の上手なれ」なのであろう。

 株式投資をやっている身からすると、やはり専門的な話は一層参考になる。
1. 上がり続ける株は上がり、下がり続ける株は下がる
2. マーケットの潮目に逆らわずに買う。そして潮目の変わり目をいち早くキャッチする
3. 勝手な予想はしないで上がっているうちは持っておくのが基本
4. 押し目買いをやってはいけない。目先の利確に走れば大勝はなくなる
5. 重要なのは勝率ではなく、トータルの損益
6. ナンピンは最悪のテクニック。株でいちばん大切なのは迅速な損切り

 いろいろなところで言われていたりすることもあるが、改めて強調されるとそうなのだろうとよくわかる。著者自身、利益になっている取引は全体の3割程度だと言う。「失敗は当然としていかに最小にとどめるか」と言う言葉は大切だろう。そんな世界にいるから「年3%以上の利回りを保証するものは、巧妙にリスクが見えにくくなっているスキームか詐欺のどちらか」だと言うが、そういう感覚は自分もよくわかる。

 さらに印象深い言葉が続く。
1. 過去の事例を知っておくと勝てるロジックをすぐ思いつく
2. メディアはかなりいい加減
3. 相場とはリターンを求めてリスクを取る行為。リスクは絶対にある。
4. 適正な価格なんて本質的には存在しない
5. 自分を客観的に見られない人は勝てない
 
 いろいろと語っているが、根本的にはいくつかのシンプルなルールに集約されていく。一体著者はどんな人物なのか気になるが、やはり子供の頃からゲーム好きで、親がテレビゲームをやらせてくれないような家に育っていたら自分は投資家になっていなかったと言う。人間、何が幸いするかわからない。中三でパチンコを始め、高校生で元締めだったと言う。決して褒められた子供ではないが、そういう子こそ世に憚るものなのかもしれない。
 
 「無限に努力していればたいていの人には勝てるようになる」とする。西野亮廣も同じようなことを語っていたが、これは素直に好感が持てる。230億円は伊達ではない。資本主義は人類史上最高のゲームかもしれないと語る著者は、ポーカーも麻雀もよくやるようである(麻雀には場代や飲食代などで年間1億円くらい使うらしい)。どんな分野であれ、努力して名を馳せた人物には学ぶべき点が多い。

 自分ももう少し投資の分野で頑張ってみたいと思わせてくれる一冊である・・・




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2019年06月05日

【福岡市を経営する】高島 宗一郎 読書日記1036



《目次》
はじめに 36歳で市長になったら、まわりは敵だらけだった
1章 挑戦―出馬と裏切り、選挙のリアル
2章 逆襲―数字と結果で流れを変える、弱者の逆転戦略
3章 決断―スピードと伝え方が鍵。有事で学んだリーダーシップ
4章 情報―テクノロジー、SNSの活かし方
5章 戦略―攻めの戦略と市民一人ひとりの意識改革
6章 覚悟―キャリアと死生観、自分の命の使い方
おわりに 成功の反対は挑戦しないこと

 タイトルからも連想できるが、著者は現福岡市長。ニュースキャスターから市場最年少の36歳で福岡市長に当選。現在、3期目を務めているという。3期も務めているというのは、それだけ信任が厚いということであるが、就任以来の実績がそれを物語っている。
1. 国際会議開催件数 − 全国政令指定都市で1位
2. クルーズ船寄港回数 − 日本一
3. 4年連続開業率7%台 − 全国唯一
4. 税収5年連続過去最高更新 − 政令指定都市で唯一
これだけの実績であれば、なるほどである。

 そのスタートは順風満帆というわけではなく、立候補時から苦難の道。若さも裏を返せば未熟、軽いとされ、知人たちは去っていく。それでもそんな環境でこそ友達が誰かわかったと屈託がない。本当に助けが必要な苦しい時に共に闘ってくれる人こそが「同志」だとする。「チャンスが来た時がベストタイミング」と語る著者は、もともと政治家志望だったという。そのタイミングで、キャスターの座を捨てたわけで、大きなチャレンジだったのだと思う。

 若いリーダーは実績がないから説得力がない。だから結果を出す必要があるとする。それを著者は、成果が「短期で出るもの」「中期で出るもの」「長期で出るもの」と分けて実践に臨んだという。この考え方はビジネスでも役立つと思う。「素人という批判がある場合は、玄人でもできないような結果を出す」と語る著者の主張は、まさに実行に重きを置いている。「福岡市を経営する」というタイトルにもある通り、著者の語る言葉はどれもビジネスで役立つものばかりである。

1. 悪口や批判に対しては鈍感力で対抗
2. 全員を意識すると動けなくなる
3. 部分最適ではなく全体最適で決断する
4. プロセスを丁寧に見える化し、納得感を高める
5. 発信力を上げるポイントは「いかにシンプルに言うか」

 有事にはトップダウンのリーダーシップ、平時にはボトムアップ。リーダーにとって決断は重要。「決めない」は最悪の決断というのはその通りだと思う。組織の中で認められるということは、「どれくらい仕事に対して真剣なのか」だとするが、キャスター時代からの著者の働き方を見ていれば、大いに納得する。プロレスが好きで、実況のチャンスを掴むために著者が努力したことは、誰もが見習うべきスタンスである。

 初めてやることに対する批判の声に対し、著者が「車」にたとえて説明するのは秀逸である。すなわち、「時速百キロで人が乗れる鉄の塊を多くの国民が所有すると言えば、相当な反対意見が出るはず」というもの。メリットが具体的に見えれば馬鹿らしいと思うが、そうでなければ色々なデメリットを挙げて大騒ぎになるという。今の野党の反対の大騒ぎを見ているだけに、すごく説得力がある。

「才能には限界があるが、努力なら一番になれる」と語る著者の努力は並大抵ではない。チャンスを逃さないためには徹底的な準備だとする。著者が自らの経歴を持って説明するその内容は説得力に富んでいる。福岡市長としての実績は出るべくしてのものだとよくわかる。自分は果たしてここまで真剣に仕事に取り組んでいるだろうか。そう自問しながら読んでしまう。

 仕事に不満を抱えている人は、不平不満を言う前に、読んでみるといいかもしれない一冊である・・・

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2019年06月03日

【新世界】西野亮廣 読書日記1035



《目次》
第1章 貯信時代
第2章 オンラインサロン
第3章 新世界

 著者はキングコングの西野亮廣。最近ではお笑い芸人と言うよりもビジネスマンと化している気がする。もちろん、だからこそ何冊もの本を出るたびに読んでみたくなるのでもある。何かの分野で成功する人というのは、それなりに1つの分野で並々ならぬ努力をしているもの。著者の芸人新人時代はまさにその努力の日々。

「1年で売れなかったら芸人を辞める」と宣言して高卒でこの世界に飛び込んだと言うが、その覚悟からであろう、初めは先輩の誘いも断って血が出るほどネタを書いたと言う。質はさておき、誰よりも量を書いたと言う。そしてそれを20時間くらいぶっ続けでネタ合わせをしたらしい。それが実って1年で関西の漫才コンクールを総ナメにし、やがてテレビ番組『はねるのトびら』で成功を収める。

「才能なんて努力と環境でいくらでも作り出せる」との言葉は、言い訳ばかりしている人には耳が痛いだろう。それでもさんまやタモリ、たけしらを追い抜くことは「気配すらない」と悟り、違う道を模索する。このあたりもビジネスセンスと言えるだろう。今や「本を出せばどれもベストセラー、有料のオンラインサロンは国内最大、つまんない仕事は全部断り、本気で面白いと思ったことしかやらない」状態なのだから大したものである。
 
 そしてこの本で全編を通して語られるのは、「お金」の話。『えんとつ町のプペル』を従来の方法とはまったくやり方を変えてクラウドファンディングで制作した話を採り上げ、お金とは『信用』であり、クラウドファンディングとは『信用を換金する装置』だとする。今の時代、まず信用を稼ぎ、その後でその信用を換金すると言う選択肢があるとする。

 信用を換金すると言ってもピンとこないが、自分の1日を50円で売った芸人の話や、しるし書店の話などを聞けばなるほどと思わされる。しるし書店の例などは、「誰かが読んでマーカーを引いた本」を売るというもの。通常、そうした本は二束三文であるが、信用のある人が読んだ本であれば、そのマーカーが価値を持つという考え方。「これまで趣味でしかなかった読書ですら、信用持ちの手にかかれば仕事になる」という説明は、目から鱗である。
 
 そんな信用で稼ぐこれからの貯信時代金には、何よりも嘘をつかないことが大事だというのは当たり前だろう。「建設途中のディズニーランドで写真が撮れたなら10万円払う人もいるだろうとするが、それで美術館(えんとつ町のプペル美術館)予定地の更地ですら換金装置と化す。有料のオンラインサロンは今や利用者12,000人で夕張市の人口より多いという。人間が生きていく上で必要なものを抑えるとして、Amazonは買い物、Googleは検索を抑えたが、西野亮廣エンタメ研究所は「地図」を抑えるとする。こうした試みも面白そうである。
 
 最後にレターポットという試みも紹介される。これは文字を送るとお金が送れるというもの。お金の条件としては「保存」、「交換」、「尺度」が定義できるが、これは実は言葉にも応用できるとしたもの。被災地などに言葉とともにお金を送れるもので、なかなかである。そしてなんと1万件以上集まったものの中に誹謗中傷は1件もなかったという。「使える文字に制限があるとわざわざ誰かを傷つけるようなことに文字を割かない」という気付きには心温まるものがある。

 お金、お金という話には心理的抵抗感を覚えるものであるが、お金があれば不幸を追い払うことができるものでもある。著者のようにお金の本質を捉え、うまく世の中に回していけるならそれはそれでいいものである。つくづく、芸人としてよりもビジネスマンとしての存在感の方が大きく感じられる著者の一作である・・・


posted by HH at 00:00| 東京 ☔| Comment(0) | ビジネス/自説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする