2019年11月29日

【かがみの孤城 THE SOLITARY CASTLE IN THE MIRROR】辻村深月 読書日記1097



第一部 様子見の一学期
第二部 気づきの二学期
第三部 おわかれの三学期

 主人公は、中学一年生の少女安西こころ。中学に入学したばかりなのにクラスメイトの女子からのイジメにあい、不登校となってしまう。なんとか立ち直るべく、不登校児専門のフリースクール「心の教室」に行くことになるが、それすら「お腹が痛くなって」行かれない。そんなある日、一人留守番をしているこころの部屋の鏡が突然光り出す。不思議に思って触ろうとしたら、こころはそのまま鏡の中に入ってしまう。そこは見たこともないお城の中。

 出迎えたのは狼の仮面を被った少女「オオカミさま」。突然の出来事に戸惑うこころ。オオカミさまの言うには、この城は翌年の3月30日までの間、日本時間の朝の9時から夕方の5時まで開かれていて、その間どこかに隠されている「鍵」を見つければ、何か1つ願い事が叶うというもの。しかし、5時を過ぎて城に残っていると狼に食べられてしまうというルールがある。そしてこころの他にも全部で7人の中学生が同じようにやってきている。

 ふしぎの国のアリスではないが、不思議な城に招かれたこころは、そこで6人の仲間たちと知り合い、一定の時間城で過ごすようになる。メンバーは、中三のアキ、スバル、中二のフウカ、マサムネ、そして中一のリオンとウレシノ。城の中は自由だが電気しか来ていない。初めは鍵探しを試みるが、すぐには見つからず、やがてマサムネが持ち込んだゲームをやったりして5時までの時間を過ごすようになる。

 実はこの7人には、「学校に行っていない」という共通点がある。そして全員が初対面であったが、同じ中学だと判明する。それぞれどこに住んでいるかはわからないが、日中、鏡を通ってこの城にやって来る。学校へ行けないこころは、心地よい居場所を見つけ、鍵探しよりもここでみんなと過ごすのを楽しみに城にやって来るようになる・・・

 不登校の子どもたちが、学校に変わる不思議な居場所を見つける。はじめはなんとなく子ども向けのおとぎ話の雰囲気でストーリーは進む。どこにでもありそうな不登校の物語。理不尽なイジメをするクラスメイトに、どこかポイントがずれた対応しかできない担任の教師。心配する両親。そんな中でフリースクールの喜多嶋先生だけが、なぜか優しげな雰囲気を醸し出している。一体、どんな物語展開になるのだろうかと先が気になる。

 そして明らかになる7人のメンバーの意外な関係。オオカミさまの正体と「7人」の意味。オオカミさまの謎かけとこの城の正体。途中でなんとなくわかる部分もあるが、意外な展開に思える部分もある。有名な童話にちなんだ物語展開と心温まる顛末。子ども向けのおとぎ話のムードは、やがて涙腺を刺激する展開となる。そして明らかになる諸々の事実。不登校の子どもたちが、こんな風にして救われていったらと思わずにはいられない。

 著者は、気がつけば『ツナグ』の著者だとわかる。そう言えば『ツナグ』も「不思議系」の心温まる物語であり、本作にも通じるところがある。この手の「不思議系ハートウォーミングストーリー」が得意なのかもしれない。実際に学校に行けない子供が読んだら、ちょっとだけ勇気が出るかもしれないなんて思わせてくれる。

 優しく心に響く物語である・・・



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2019年11月25日

【GACKTの勝ち方】GACKT 読書日記1096



 GACKTというタレントのことは実はあまりよく知らない。何かの番組で高級品か否かを言い当てる内容で、50何連勝しているというのを見た記憶があるくらいである。実際はシンガーらしいが、その歌を聴いたこともなかった(この本を読むまでは)。ただ、この本を見た時に強烈に興味を抱いただけである。そしてその内容は、ビジネス書としては得る所の多いものである。

 実はGACKTは金持ちなのだという。シンガー以外にもいろいろとビジネスを手がけているらしい。なぜそんなに金を持っているかというと、「GACKTという名前をブランディングし、カネを生み出す仕組みを構築してきたから」だという。稼ぐ本質とは人生をマネタイズすること。「ミュージシャンは音楽だけで稼ぐもの」という古い固定概念に捉われていることこそが稼げない理由だとする。なかなか鋭い視点である。

 ミュージシャンはたくさんのファンに支えてもらわないと成立しない生き方。だからファンを作ることは不可欠であるが、ほとんどのミュージシャンは「まずはいい音楽を作って・・・」と考えるという(素人でもそう思う)。ところがGACKTは、「音楽を続けていつかファンが勝手につくのを待ってるなんていつか当たるはずだとただ宝クジを握りしめて過ごすのと同じくらい愚かなこと」と切って捨てる。だからGacktはまずサポーターを作ることから始めたという。この辺りの考え方は、普通ではない。

 そのサポーターの作り方であるが、3ヶ月で2,000人以上の女性に声をかけたという。その中の50人が本当にサポーターになってくれたという。GACKTも凄いが、その50人も凄い。「僕はファンと自分自身は裏切らない」という言葉もその原点があればこそなのかもしれない。ファンが必要なのはビジネスでも同じという意見はその通りである。雑誌のインタビューも同じような質問ばかりだというが、GACKTは毎回内容を変えているのだとか。「一万回やれば必ず話が上手くなる」という考え方はただ、ただ感服させられる。

 GACKTをやるのは大変だと語る。ハードワークかつストイックな実践内容を聞けば、確かにその通り。私は真似したくない。「自分自身をナメるな、常におまえの前を歩くおまえを追いかけ続けろ」迫力のある言葉は、のほほんと生きている人間には耳が痛いだろう。ある方に聞いたという話がなかなかいい。大事な原則「知・覚・考・動」を「知・覚・動・考」=「とも・かく・うご・こう」と読むという。何より行動が大事であるのは確かだし、うまい言葉だと思う。

 「すべての人間の行動は思考が支配している。思考が結果を生み出す」というのは、真実だと思う。次々に語られる言葉はどれも印象に残る。
1. 毎日サボらずにやっているという行動が自分はできるという自信になる。精神的な軸はそこで生まれる
2. 少なくともビジネスにおいてデブであることにメリットなどない
3. 人の土俵で勝負するな
4. エコノミーに乗る人は、エコノミーに乗る人たちとしか出逢えない。上のクラスに乗ればそのクラスに乗る事ができる人と出逢う。
5. 悩むという行為は停滞もしくは後退の状況。やることなどいくらでもある。
6. 成功から成幸
7. 人は平等じゃない
8. 姿勢とは覚悟。覚悟なき人生にくいなき人生はない

 正直言って、GACKTについてはあまりいいイメージは抱いていなかった。いわゆる「色モノ」的なイメージである。ところがこの本に書かれているのは真面目でストイックな姿。ここまできちんと考えて行動していれば成功するのも不思議ではない。これまでのイメージがガラリと変わったと言える。本質的には、実に核心をついている。ビジネスマンにも十分タメになる一冊である・・・



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2019年11月22日

【哲学と宗教全史】出口 治明 読書日記1095



《目次》
はじめに──なぜ、今、哲学と宗教なのか?
第1章──宗教が誕生するまで
第2章──世界最古のゾロアスター教がその後の宗教に残したこと
第3章──哲学の誕生、それは“知の爆発"から始まった
第4章──ソクラテス、プラトン、アリストテレス
第5章──孔子、墨子、ブッダ、マハーヴィーラ
第6章(1)──ヘレニズム時代にギリシャの哲学や宗教はどのような変化を遂げたか
第6章(2)──ヘレニズム時代に中国では諸子百家の全盛期が訪れた
第6章(3)──ヘレニズム時代に旧約聖書が完成して、ユダヤ教が始まった
第6章(4)──ギリシャ王が仏教徒になった?ヘレニズム時代を象徴する『ミリンダ王の問い』
第7章──キリスト教と大乗仏教の誕生とその展開
第8章(1)──イスラーム教とは? その誕生・発展・挫折の歴史
第8章(2)──イスラーム教にはギリシャ哲学を継承し発展させた歴史がある
第8章(3)──イスラーム神学とトマス・アクィナスのキリスト教神学との関係
第8章(4)──仏教と儒教の変貌
第9章──ルネサンスと宗教改革を経て哲学は近代の合理性の世界へ
第10章──近代から現代へ。世界史の大きな転換期に登場した哲学者たち
第11章──19世紀の終わり、哲学の新潮流をヘーゲルの「3人の子ども」が形成した
第12章──20世紀の思想界に波紋の石を投げ込んだ5人

 タイトルはわかりやすくそのものズバリ。著者はライフネット生命の創業者で、最近はこの手の歴史関係の著作を多数手がけている方。多分、著作業が最後の「本業」なのかもしれない。そんな大著の始まりは、人類がはるか昔から抱いてきた問いかけから始まる。すなわち、
  1. 世界はどうしてできたのか、また世界は何でできているのか?
  2. 人類はどこからきてどこへ行くのか、なんのために生きているのか?
非常に大きな問いかけであると思う。これを今の知識で簡単に答えてしまうのは何か違う気がする。

 本書は世界最古の宗教ゾロアスター教から始まる。その昔、高校の授業で習ったような記憶がある程度。それを改めて丁寧に簡単に説明してくれる。善悪二元論と最後の審判。なんとなく馴染みがあるのは、ゾロアスター教がのちにユダヤ教、キリスト教、イスラーム教に多大な影響を与えているからである。代々受け継がれていくうちに混ざり合っていったのだろうと素人でもわかる。

 日々、生き残るのに精一杯だった時代を経て、生産性が向上し、有産階級が生まれてくる。奴隷に労働をさせて働かなくなった有産階級から知識人や芸術家が生まれる。それが人類の知識的発展史であるが、現代人としてはなんとも言えない感覚を覚える。そしてギリシャでは特にそれが顕著であり、タレスが哲学の祖となる。こうして「知の爆発」が起こるが、それはギリシャだけではなく、インドと中国でも同様である。

 ギリシャではソクラテス、プラトン、アリストテレスが登場する。中国では孔子、老子、墨子、インドではブッダにマハーヴィーラ。名前だけは覚えている。それでも改めてその思想を簡単に説明されると興味が湧いてくる。アリストテレスの『ニコマコス倫理学』や『形而上学』、『墨子』などは今度読んでみたいと思わされる。

 中には間違って記憶していたのもある。「性善説」と「性悪説」は互いに相対するものだと思っていたが、実はそうではなくて、社会を構成する別々の階層について言及したものであったと教えられる。性善説は理解力のある教養高い上流階級の人々のことで、性悪説は下層の労働者階級の人々のこと。そうした知識の補完修正がなんとなくできていく。中国諸子百家の思想も興味深い。

 キリスト教も拡大していくが、その中で解釈が様々生まれ、公会議が幾度となく開催される。イスラム教は専従者がなく、個々が信仰を全うする。クルアーンは何人であろうとすべてアラビア語で理解されなければならず、「翻訳」という概念がだからない。一夫多妻制は夫を失った妻は生きていくことができなかったことから生まれた制度であること。現代につながるそんな諸々の知識も興味深い。

 イスラム帝国がササーン朝ペルシャを征服したことで、ササーン朝が有していたギリシャ、ローマの古典がアラブ世界に取り入れられる。それがアラブに新しい知識をもたらし、それが今度はヨーロッパに伝わってルネッサンスになる。プラトンやアリストテレスが大事に受け継がれていったのは、改めて不思議な気がする。

 人間が何千年という長い時間の中で、よりよく生きるために、また死の恐怖から逃れるために必死に考えてきたことの結晶が哲学と宗教の歴史だという著者の解説は素直に頷ける。手に重たい大著であるが、そうした人類の哲学と宗教を解説するにはむしろ薄い本だと言えるかもしれない。いわば「ダイジェスト版」ではあるが、各々について簡単に理解するには大いに参考になる。個人的には中国の古典とアリストテレスの思想、そしてヨーロッパの近代の思想には改めて興味をそそられたところである。

 ざっと理解し、個々の興味を惹かれたところについて改めて専門書を手に取るきっかけとするにはいいかもしれない。そんな風に興味を深めていける大著である・・・
 



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2019年11月21日

【オールブラックス圧倒的勝利のマインドセット】今泉清 読書日記1094



《目次》
第1章 フィールドで体感した「勝利」のイノベーション
第2章 頂点に立つ男たちの「凡事徹底」というポリシー
第3章 [貢献]勝ちたければ、あえて組織の歯車になれ
第4章 [リーダーシップ]ラグビーのヒーローは、自己を犠牲にできるプレーヤーである
第5章 [コミュニケーション]粘り強く意思を交換せよ
第6章 [戦略]圧倒的な準備で、貪欲に勝利を求める
第7章[マインドセット]「無死の心」がビッグプレーを生み出す

 著者はラグビーの往年の名選手。早稲田大学の現役時代はよくテレビでプレーを観ていたものである。ラグビーのW杯が日本で開催され、予想外の人気を博していまだに余韻に浸る中であるが、そんな中でブームに便乗したかの如きタイトルの本であり、タイトルだけで判断するなら絶対に手にしなかったであろう。それを手にしたのは、まさに著者が今泉清その人であったからである。

 著者は、早稲田の現役時代にオールブラックスのコーチに指導を受けたことをはじめとして、卒業後にはニュージーランドに留学もしていたという。そして自身が経験したオールブラックスの様々なことをビジネスにも通じるエッセンスとして紹介しているのが本書である。その内容は、ラグビーファンとしてもまたビジネスマンとしても興味深いものである。

 オールブラックスの強さの秘訣の1つは、「当たり前のことを愚直にやりきる凡事徹底」だという。パス、キャッチング、キック、タックルなどの基本スキルに徹底して磨きをかけるのだとか。これはラグビーをやる上でも大変参考になる。そして各人が意識しているのは、「勝つために自分の持っているスキルをいかにチームプレーに適合させるか」だという。自分だけとにかく頑張るというスタンスではないようである。

 基本はラグビーの試合に臨むスタンスであるが、ビジネスにも通じる考え方がいろいろと紹介される。
1. 自分が活かされたいと思うならば、まずは周りを活かす
2. ハードワークが成功のもと、努力は裏切らない
3. 絶対的な目標を持てば、ハードワークがハードワークに感じなくなる
4. 有言実行、リーダーが自ら手本を示す

 特に「キャプテン」と「リーダー」の違いが目からウロコである。すなわち、「キャプテン」はチームに1人だが、「リーダー」は誰がなってもいいということ。いつでもリーダーを引き受けられる、そういう準備を全員が整えていることでチームは最終的なゴール=勝利へと導かれていくとする。確かにその通りだと思う。

1. 指示されたメニューを受け身にただ寡黙にやる練習、目的も定めずに根性でやる練習はなんの意味もない
2. 強いチームは対話から生まれる
3. 自分の意見をはっきり主張しないと周りから評価も信頼も得られない
4. Under-Standなコミュニケーション
 Under-Standとは、まさに下から目線とでもいうべきものであろうか、うまいことを言うなと思う。

1. 論理的に筋道を立てて自分の持っている情報を相手と交換するコミュニケーション
2. できない理由でなく、できる理由を探せ
3. チームメイトを尊重できない人間はいざという勝負どころでチームに貢献できない
4. 型があるから型破りができる、型がなければかたなし

 技術論は少なく、コミュニケーションや考え方の説明が大半である。そしてタイトルにある「マインドセット」とは、「ものの見方や考え方の基本的な枠組み」だとする。これはビジネスにおいても最も根本的なことだと思う。個人的にはこれに「パッション」と「創意工夫」がビジネスマンの三種の神器だと思う。

 ラグビーの本であるかのようなタイトルだが、ビジネスにも十二分に通じる考え方が記されている。ラグビーファンならずとも、ビジネスマンにとっても有意義な一冊である・・・


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2019年11月18日

【1秒でつかむ−「見たことないおもしろさ」で最後まで飽きさせない32の技術−】高橋 弘樹 読書日記1093



《目次》
はじめに「1秒たりとも、飽きないで見てもらいたい」
第1章 1秒でつかむ「見たことないおもしろさ」の作り方
第2章 コンテンツの魅力を引き出すために
第3章 「不快」を排除して見えない魅力を伝える技術
第4章 1秒も離さず常に興味を持ってもらう12の技術
持続編 「裏切り」「笑い」「伏線」「疑問」「振り幅」1秒も飽きさせない「5つの神器」
ラスト編 1秒も「ムダではなかった」と思ってもらうために
第5章 人の心に突き刺さる「深さ」の作り方
おわりに

 著者はテレビ東京のディレクター。毎週水曜日に放送されている『家、ついて行ってイイですか?』の生みの親だと言う。本のタイトルはともかくとして、テレビ東京という大手のテレビ局からすると、資金力で劣る立場からどう戦っているのか。中小企業に努める身としてはなかなか参考になる一冊である。

 その『家、ついて行ってイイですか?』だが、実は「平均視聴時間割合が高い」、「番組録画率が高い」、「番組視聴質が高い(真剣に凝視している)」という特徴があるらしい。そして2018年1-3月には視聴質で堂々の3位に入ったという。著者によれば同番組は「企画術」と「伝える技術」から構成されているという。「おもしろい!」と思ってもらうためにはいろいろな手法があって、それをここでは様々解説してくれる。

 そのもっともシンプルで価値の高い方法は、「いままでにないものを作ること」だという。当たり前すぎるが、よくよく考えてみればテレビ業界もそのほかの業界でも「二番煎じ」「二匹目のドジョウ」がうようよしている。これは「言うがやすし」でなかなか簡単にはいかないことによる。『家、ついて行ってイイですか?』では、それまでのドキュメンタリーの常識をすべて覆したのだという。その内容は以下の通り。

1. 長期密着取材 → 短期密着取材
2. 事前に取材のアポを取る → その場で交渉する
3. 雰囲気のあるナレーションと音楽 → ノーナレーション、ノーミュージック
4. 主人公を意図的に選ぶ → 街を歩いている人の中からその場で選ぶ
ゴールデンタイムの番組でナレーションを外すなんて普通は論外だそうであるが、考えてみれば挑戦的な試みだと思う。

 著者は普段から現実社会を観察し、「おもしろい!」と思う一瞬を自分の脳みその中に切り取ってストックしておくという。一瞬ネガティブなものでも「組み合わせ方次第」、「切り取り方次第」、「ストーリー次第」、「機能次第」でポジティブな魅力を発見することができるという。いま成功している商品やサービスとの差別化は常に新商品開発の最大の課題だとするが、これは普遍的に当てはまることである。

 著者はしばしば「バランスを崩す」という表現を使う。たとえば『家、ついて行ってイイですか?』は予算のバランスを崩壊させたという。というのも、悲しいかな各局に比べて予算の圧倒的に少ないテレビ東京では、番組作りでも同じ戦いはできず、『家、ついて行ってイイですか?』では、その予算のほとんどをロケに振り向けたという。

 たとえば、全体の予算が他局では3,000万円だとするとテレビ東京は1,000万円であり、これを「タレント出演料」「スタジオ予算」「ロケ予算」「編集費用」「ナレーション等」に均等に割り振ると当然予算総額の多い相手には勝てない。そこで「ロケ予算」にたとえば8割をつぎ込めば、少なくとも「ロケ予算」では圧勝できる。選択と集中とも言えるが、、予算のバランスを崩すことによって勝てるという理屈らしい。同番組では、通常5〜10人のディレクターが70人配置しているのだとか。

 「良いものを作るために努力で差別化する」という言葉は、胸に刺さって来る。さらに強調しているのは「ストーリー化」。この「ストーリー化」もいろいろなところで語られているが、「事実を解釈して魅力を最大限に引き出す」ことで結果を劇的に変えることになる。著者が就活を行なっていた彼女にこれを使い、獨協大学で初めて電通に内定をもらうことになったという話は興味深い。
 
 結局、気がついてみると、「1秒でつかむ」というタイトルはよくわからなかったが、自分のビジネスに色々とヒントになりそうなことはあちこちに散りばめられていた。改めて『家、ついて行ってイイですか?』を観てみたが、なるほどみんながチャンネルを合わせるのがよくわかる。これから毎週観てみようと思わされる。野村監督ではないが、「弱者の兵法」の参考になる一冊である・・・








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2019年11月09日

【ソビエト・ミルク ラトヴィア母娘の記憶】ノラ・イクステナ 読書日記1092



 著者は、現代のラトヴィアを代表する小説家の1人だという。サブタイトルでもわかるように、この小説はラトヴィアを舞台としたある母娘の物語。ラトヴィアは、あまり日本では馴染みがないが、「バルト三国」の一国であることぐらいはなんとか知っている。小国の悲哀か、旧ソ連の支配下に組み込まれ、長年ソ連を構成する共和国の1つの地位を占めてきた。この小説の随所に、ソ連下のラトヴィアの様子が描かれていて興味深い。

 この小説の1つの特徴として、物語が母娘それぞれの視点から一人称で語られる。それがくるくると切り替わるので、ぼぉっと読んでいると、果たしてこれは母親の話か娘の話かわからなくなる。時代は母親の生まれた第二次世界大戦末期と1970〜1980年代が並行して描かれる。母親は女医であるが、娘を産んですぐ五日間失踪してしまう。自分の母乳が子供にとって毒だとなぜか考えたらしい。こんなイントロで物語は始まる。

 母親は大戦末期に生まれる。幼い頃、父親がソ連兵がモミの木を伐採するのに抵抗して連行されてしまう。祖母と母はクローゼットに隠れて難を逃れるが、町へ逃げてアパートに移り住むが、まずやらなければならなかったのは、夜中に凍死しないように爆撃で破壊された窓を修復することだった。混乱期の出来事とは言え、母親にとっても辛い幼少期である。

 そんな経験が影響したのかはわからないが、母乳の事件といい、母親は娘にあまり愛情を注がない。「母に抱きしめてもらった経験はない」と娘は語る。それどころか、学校の送迎をしてくれたこともなく、送迎は母を養子にした義父で、娘は祖父母が事実上の育ての親となって育つ。それでも母親なりの愛情はあり、娘にはひたすら体制に従うように教え諭す。「先生の言うことは全部覚えて模範生になりなさい。反抗しちゃだめ。共産主義青年同盟の行事には積極的に参加しなさい」と。

 母親は、ソ連の人間に尋問され、反体制派とみなされた父親との関係を聞かれる。娘もまた、校長室に呼ばれ、灰色のコートを着た人物に尋問される。「母親に学校で教えられていないようなことを教えられていないか」と。娘は咄嗟に女性の妊娠について教えられていると機転を聞かせて答える。日頃、ソ連批判をしていた母親の言動がどこかで漏れたのであろう。母娘二代に渡っての経験である。

 クリスマスを祝うことは禁じられ、新年にはアナウンサーがロシア語で「新年おめでとう!同志諸君!」と呼びかける。「ロシア人を粉砕してゴミにすれば食料計画は達成できる」と誰かが落書きを残す。やがてチェルノブイリで原発事故が起こり、娘の担任は胸を張って医師である息子を事故現場に行くように説得する。そして2週間も経たずに息子は現場で命を落とす。ソ連の一部だという印象しかなかったラトヴィアだが、物語に描かれているラトヴィアはそんなイメージとはまるで違う。

 あくまでも小説なのであろうが、背景に描かれているラトヴィアは、たぶん現実の姿だったのだろうと思われる。事実は小説よりも奇なりと言われるが、小説の中で描かれる事実もまた奇なりであると思う。最後はベルリンの壁が崩壊するのを祖父がデレビで観るところまで描かれる。小説ではあるものの、日本にいてはなかなか窺い知れないラトヴィアの現代史を覗き見ることのできる小説である・・・

 

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2019年11月08日

【ビジネスの限界はアートで超えろ!−「ゼロ→イチ」の思考法「アートシンキング」入門−】増村 岳史 読書日記1091



《目次》
はじめに
第1章 ビジネスとアートの意外なつながり
第2章 アートの位置付け ――その意味と役割
第3章 アート・デザイン・クリエイティビティ ―それぞれの関係
第4章 アートのベースにはロジックがある
第5章 アートに見るイノベーションの要素
第6章 アートシンキング
第7章 実践! デッサンで思考をアップデート
おわりに

 ビジネスとアートとは、一見、なんの関係もなさそうであるが、実は最近アートを取り入れるリーディングカンパニーが増えているという。そこにはビジネスとアートの意外な繋がりがあり、著者はそんなビジネスとアートを結びつける事業を展開している人物。それはビジネスパーソンを対象にデッサンを教える事業だという。

 実は、絵(デッサン)を描くことによって、「右脳と左脳のバランスを活かした全体的な思考能力」と「新しいものを発想して行く能力」、「ものごとを俯瞰して捉え、調和のとれた思考能力を高める」のだという。そういう講座を著者は主催しているらしい。

 絵を描くことには、感性や感覚をつかさどる右脳と論理をつかさどる左脳を統合した調和のとれた能力が必要とされるらしい。今、MBAよりもMFA(美術学修士:Master of Arts)がもてはやされているという。不景気になってもモノだけはあふれ続ける世の中で、魅力的な商品を生み出せるか、商品を開拓させられるかは、デザイン性・アート性が鍵となるという。MFAは右脳と左脳を統合してバランスよくものごとを考えることが可能とする。

 世の中では、全体を直感的に捉えることのできる感性、課題を独自の視点で発見し、創造的に解決する力の重要性が日増しに高まってきているという。テクノロジーはアートとの融合で鋭さを増し、データ可視化の基礎にデッサン力がある。トップ間の商談の際のアイスブレイクで芸術に関する話題が高い確率で出てくる。アートを学ぶことによって、経営者としての新たな知覚と気づきを手に入れるため、経営者はアートを嗜むらしい。

 昨今、デザイン・シンキングなど、「デザイン」も注目を浴びているが、デザインとアートはどう違うのかとふと思う。その答えも解説されている。すなわち、デザインはまず課題ありき。課題解決のための思考がデザインでありテクノロジーである。これに対し、アートやサイエンスは世の中に問題提起をするもの。深層的な思考であり、自己表出、新たな価値の創造、ゼロイチの思考だとする。なるほど、である。

 ゼロからイチを生み出す思考法、それがアートであるらしい。芸術と聞くと、ついつい自分には関係ないと思ってしまう身としては、どうにも辛いものがある。ロジックと感性との絶妙なバランスによって新たな価値を生み出す。センスを呼び覚まし、アートシンキングを実践して行く具体的方法が、「絵を観ること、絵を描くこと」だとする。ゆえに著者はそのための講座を主催している。

 著者が強調したいアートシンキングについてはよく理解できる。そのために基礎たるべきデッサンを学べという主張もなるほどである。だが、苦手意識を拭えない自分としては、思わず唸ってしまう。アートに即効性を求めてはいけないというが、なんとなく自分には「今からやっても」という感覚を覚えてしまう。この本で著者が説明したいことはよく理解できた。ただ、そこから先のハードルは高い。

 とりあえず、「アートシンキングとは」という入門編として、理解することはできた。まずそこから、として少しずつ意識していきたいと思わせてくれる一冊である・・・







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2019年11月05日

【異端者たちが時代をつくる−諦めばかりの現代社会を変えた6つの勇気の物語−】松井 清人 読書日記1090



《目次》
プロローグ 地下鉄の惨劇
第1章 「オウムの狂気」に挑んだ六年
第2章 「がん治療革命」の先導者
第3章 「パイオニア」の意地と誇り
第4章 「宗教マフィア」への宣戦布告
第5章 「実名報道」陰の立役者
第6章 「少年A」の両親との二十二年
エピローグ 神戸の点と線

 サブタイトルを含め、興味を惹かれたのは、何より時代を切り開くパイオニアに対する畏敬の念があるからである。どんな異端者が採り上げられているのかと思ったが、6人のうち4人がジャーナリスト。著者が元文藝春秋社社長で、週刊文春の編集長も歴任したと言う経歴では仕方ないのかもしれないが、なんとなく最初のイメージとは異なるものである。

 最初に採り上げられるのは、ジャーナリストの江川紹子。その名を聞けばすぐに「オウム真理教」が脳裏に浮かぶ。執念を持ってオウムを追いかけた人であることはよく知っている。そのすべては坂本弁護士一家殺害事件から始まったと言う。坂本事件を執念で追いかける。一方、世間ではまだその実態を知らず、テレビ局やタレントは麻原彰晃らをもてはやし、一部の宗教学者らは麻原を宗教的に優れていると評価していた。実は江川紹子氏自身、オウムに毒ガスのホスゲンを郵便受けから部屋に撒かれたりもしたと言う。知られざる事実が興味深い。

 2人目は慶應病院のがん専門医の近藤誠医師。アメリカに留学し、乳がんの乳房温存療法を世に知らしめたのだという。それまでは切除が当たり前であったが、近藤医師の尽力により、温存療法を選ぶ患者は全国で6割を超えるまでになったという。乳がんは切るものという常識で生きていた医者仲間からは反発を受け、慶應大学病院では出世街道からも外れてしまったらしい。癌で亡くなった逸見政孝さんの手術に対しては、執刀した「神の手」と呼ばれる名医を向こうに回し、堂々と異議を述べている。つくづく、医者は選ばないといけないと思わされる。

 3人目は野茂英雄。今やメジヤーリーグの開拓者の第一人者である。冒頭で江夏との「テレビ電話」対談が紹介されているが、興味深いのはこのやり取りぐらい。野茂のことはもうあちこちで語られているから今更感がある。4人目は有田芳夫というジャーナリスト。はっきり言って知る由もない。著名人の合同結婚式で騒がれた統一教会の問題。桜田淳子も参加を表明したという記憶がある。最も、この本で中心となるのは、作家でタレントの飯星景子。その脱会までを追う。

 5人目は花田紀凱編集長。鬼畜の所業と言うしかない「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の少年犯罪。これは今も記憶に新しい。少年法が立ちふさがる中、花田編集長は実名報道の断を下す。当時はまだ少年法の高い壁が存在し、マスコミは実名報道を控えていた。この英断は当然だと思うが、影で少年4人の名前を特定した記者の活躍もあったらしい。実名報道は成し遂げたが、それでも実刑は軽く、中心となった4人が逮捕されるものの、のちに出所し、あろうことか3人は再び犯罪を犯したという。凶悪犯には更生など無理だという証拠だろう。

 最後は、「少年A」で有名な酒鬼薔薇事件。森下香枝記者が、少年Aの両親に寄り添い、両親に手記を書かせる。それは被害者への賠償金支払いのためであったそうであるが、事件の後、世間の知られざるところでどんなことがあったのか。その水面下のストーリーが面白い。今や出所し、さらには『絶歌』という告白本まで出版した元少年Aの波紋も紹介される。こういう世間には知られていない話は単純に興味深い。

 一読して思うのは、面白いとは思うが、本のテーマと内容がマッチしていないということ。6つの勇気の物語とあるが、近藤医師と野茂以外は身内ネタの感があり、違和感がある。それぞれの人物のその時の心情に迫るとか、どういう考え方を持っていたのかが語られるのであればまだしも、外から見た姿の紹介のみで、外側をなぞっているだけである。どうせなら改めて本人にインタビューしたらよかったのにと思わずにはいられない。

 繰り返すが、水面下の話はそれはそれで面白い。ただ看板を掛け違っただけと言える一冊である・・・






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2019年11月01日

【孤絶 家族内事件】読売新聞社会部 読書日記1089



目次
第1部 介護の果て
第2部 親の苦悩
第3部 幼い犠牲
第4部 気づかれぬ死
第5部 海外の現場から

 普段、読売新聞を取っていないから知る由もなかったが、これは「読売新聞社会部」著とあるように、読売新聞で連載されていたものが書籍化されたものである。テーマは家庭内での事件。最近は子供の虐待がニュースを賑わせることが多い。社会で一番密接な社会単位であるはずの家族でなぜと思わなくもないが、それらの事件を1つ1つ取り上げた内容である。

 「介護の果て」は、文字通り老々介護をめぐる悲劇。冒頭から認知症の妻と7年暮らした男性が無理心中をしようとして自分は生き残ったケースが紹介される。81歳と80歳という年齢は、両親の年齢とほぼ同じであり、人ごとではない気がする。執行猶予付きの有罪判決を受けた男性を訪ねて話を聞いたものを紹介しているが、なかなか大変な取材だと思わされる。

 「親の苦悩」は、精神障害や病気、ひきこもりなどに悩んだ末に我が子に手をかけたケース。就職までは順調にいったのに、精神障害を引き起こしたケース。大変だろうけども何もなければいいのかもしれないが、暴力が伴うと穏やかではいられない。息子だけではなく、娘が暴力を振るうケースもある。 ひきこもりなどどうやったら防げるのかまるでわからず、我が身に起こったらと思うとゾッとする。

 「幼い犠牲」は、児童虐待。最近でも痛ましいケースが報じられている。事件が起これば児童相談所の対応のまずさが槍玉に上がることが多いが、限界もあるだろうし、なかなか難しいと思う。1つの事件だけを取り上げて対応が悪いと批判するのは簡単だが、実は似たようなケースで事件になっていないのも数多くあるのだという。どれが事件化するかなどわからないし、児童相談所の対応にも限界はあるだろう。それにしても、やはり子供が犠牲になるケースはやりきれない気持ちになる。

 「気づかれぬ死」は、孤独死。事件性がないという点では、まだマシと言えるが、誰にでも起こりうる問題であると思う。今家族がいるからといって大丈夫とは言い切れない。読んでいてやりきれなくなるということはないが、自分の親は大丈夫か、自分の場合はどうするかなど考えさせられるところである。

 最後に海外の事例が紹介されている。こういう問題に国境はないが、まぁいろいろとあるのだなと思わせてくれる。興味本位で手に取った本であるが、世の中のこと、自分のことをそれぞれ考えさせてくれる。無関心でいるわけにはいかないし、考える材料としてはこういう本も大事だと思わせてくれる一冊である・・・




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