2019年12月26日

【アフリカの奇跡 世界に誇れる日本人ビジネスマンの物語 OUT OF AFRICA】佐藤芳之 読書日記1108



《目次》
はじめに 桁外れにスケールの大きな日本人
序章 風の吹き始める場所
第1章 アフリカへ
第2章 ケニア・ナッツ・カンパニー
第3章 アフリカってところは!
第4章 失敗から学ぶ
第5章 アフリカが教えてくれたこと
第6章 さらに先へ
第7章 新たなるチャレンジ
終章 アフリカから日本を想う、日本を憂う

日本人がアフリカに行ってビジネスをするというと『プータロー、アフリカで300億円、稼ぐ』を思い起こす。しかし、これはそれよりも歴史とスケールの面で大きく異なる。著者は単身アフリカに渡り、ケニア・ナッツ・カンパニーを創業、年商30億円でアフリカ有数の食品加工メーカーに成長し、世界のマカダミアナッツ業界でも第5位の規模になったという。そんな著者の自伝である。

 著者が生まれたのは、戦前の昭和14年の北朝鮮。その後帰国して宮城県志津川で育つ。当時は貧しい生活だったそうであるが、まわりもみんな貧しかったので気にならなかったという。アフリカも同様で、人々はみんな明るく暮らしているらしい。著者がアフリカに興味を持ったのは高校生の時。その夢を胸に抱き、大学は東京外国語大学を選択。ボート部に所属し、ごく普通の大学生活を送るも夢を貫き、ガーナ大学へ留学する。

 著者の性格なのかもしれないが、アフリカに行こうと思い立ったのは高校生の時。一度そう決めると、アフリカの本を読んだり、「アフリカ」と書いた紙を机の前に貼ったりしていたという。そんな思いが人との出会いを生み、ガーナ大使を紹介してもらいガーナ大学への留学の道が開ける。少しでもアフリカを身近に感じていたいとアフリカ協会に出入りして手伝いをしていたことが大きかったようである。「一念岩をも通す」という言葉が脳裏をよぎる。

 ガーナにいる時、著者はヨーロッパの教養人のレベルの高さに触れる。当時のアフリカ研究所の所長は夫人がノーベル賞をもらうような環境で、夕食後にクラッシックを聞き、家族で演奏をしたりして、著者は深く感銘を受ける。日本にいるとなかなかそういう刺激を受けることは少ないが、かの落合信彦も似たような話をしていたし、自分も意識してみたいと思ったりする。

 ケニアに移ったのは、東レの現地法人に勤務することがきっかけ。ここではケニア人の立場に立って仕事をする。そしてケニア・ナッツと出会い、その美味しさに惹かれて創業する。ビジョンを示すと、ケニア人たちの表情が変わる。そもそもアフリカに行ったのは儲けるためではないから、合理的な経営よりもみんなでハッピーになることをめざす。自ら「情の経営」と称しているが、会社内で行っていくことは欧米の合理的な経営とはまったく異なる。主な内容は下記の通り。

 1. 利益はすべて再投資と従業員還元に使う
 2. 株主への配当は創業以来未実施
 3. 従業員の医療費の85%を会社が負担
 4. 工場内に従業員が無料で利用できる医務室を作る
 5. 年金は保険会社と契約し、従業員と折半して積み立てる
 6. 従業員相互扶助組合を設立し、元本は会社が負担、それ以外はメンバーが積み立てし、教育ローンや住宅ローンを提供

 日本人的には当たり前のように感じるが、アフリカでは異例なのだと思う。現地では倫理観・道徳観の違いに苦労したそうである。「言葉は風」として、約束を破っても許される文化はやはり厳しい自然の中で培われたものなのだろう。「アウト・オブ・アフリカ」は商品名であるが、なんだか映画で観たようなタイトルだと思ったら、同じ映画に感動して取得したのだとか。「心配とは想像力の誤用」という言葉を気に入っているというが、その通りだと自分も思う。

 せっかくの会社なのに、著者はそれをタダ同然で現地の人に譲り、今は新しいビジネスを手がけているという。PPP「ポジティブ」「パワフル」「パッショネイト」の精神を大事にしているというが、真の意味で世界に飛躍している日本人と言える方である。「情の経営」については共感するところ大であり、大いに学びたいと思わされる一冊である・・・

 



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2019年12月24日

【町工場の全社員が残業ゼロで年収600万円以上もらえる理由】吉原 博 読書日記1107



《目次》
序章 吉原精工はなぜ生まれたのか
第1章 その昔、吉原精工は「ブラック企業」だった
第2章 3度の倒産危機を乗り越え「残業ゼロ」へ
第3章 年3回の10連休とボーナス手取り100万円
第4章 吉原流「経営改革とリストラ」
第5章 「自分が嫌なことは、社員にもさせない」吉原流経営
第6章 頭の中の99%を占めている「営業」の面白さ

 著者は、ワイヤーカット加工を専門とする株式会社吉原精工の会長。聞きなれないワイヤーカット加工とは、「電気を通した真鍮製のワイヤーで金属を精密に加工する方法」だそうである。著者は高校を卒業後、3つの会社に勤務し、ワイヤーカット加工と出会い、その後縁あって支援者がいて、1人で会社を創業したそうである。「残業ゼロで年収600万円以上」というのはすごいと思うが、その内容を明かしてくれるのが本書である。

 株式会社吉原精工は社員数7名ながら、タイトルにある通り「残業ゼロ」「年収600万円以上(ボーナス100万円支給)」「年3回の10連休」を実現しているという。ネットで紹介された途端、履歴書を送ってきた人が15人もいたというのもよくわかる(ただ、そういう就職希望者についてはあまり質は良くないように個人的には思う)。なぜ、そんな好条件なのか、そしてなぜそれで成り立っているのか。大いに興味のあるところである。

 もともと吉原精工も、バブル期には次々と仕事が舞い込み、残業の連続でブラック企業だったという。それを改めようと考えたのは、著者自身のサラリーマン時代の経験。残業自体には不満はなかったが、「あらかじめ決めてくれたらいいのに」と思っていたという。そこであらかじめ「22時まで残業」「19時まで残業」「定時に退勤」と週2日ずつ分けることにしたと言う。それが効果を生む。

 さらに事務の合理化を進める中、残業代の計算が面倒だからと固定給に切り替える。残業代を支給する代わりに概ねの金額を織り込む。社員からは不満が出ることもなく、さらに週休二日制を導入する。これで「工夫すればできる」という感覚をつかむ。この結果、仕事が効率化し、ミスも減ったという。社員の立場からすれば、残業してもしなくても給料が同じなら早く帰りたいと思うだろう。それが仕事の創意工夫を産むことは想像に難くない。

 社員が自ら工夫し始めると、「指示待ち」もどんどん減る。「クリエイティブな発想は会社のデスクだけで生まれるものではない」というのはその通りである。過去にはリストラ経験もあるらしいが、その基準は「自分から率先して仕事をするかどうか」。この考え方には深く同意する。総じて、著者は「試してダメならやめる」という考え方の持ち主で、工場の機械の稼働率を下げずに社員の労働時間を減らしていく。その中で生まれた夜間専門社員(週休3日)というのも面白い。

 社員の待遇以外にも、面白いと思う取り組みは、
 1. 名人・達人をなくし全社員をプロにする
 2. 事業は本業一本に絞り、生き残りをかける
 3. 返済が苦しい時は今借りているところに頼む
 4. 会議・朝礼なし
 5. お客様を差別しない
というところ。付け加えて社員に対する待遇面では、
 1. 社員がする仕事に対しては十分な報酬で返すこと、休日などの待遇を良くすること
 2. 定年なし
 3. 社員全員に「部長」の肩書
である。

 総じて感じるのは、実践を通じて得てきた考え方といったところであろうか。経営指南書に書いてあることではなく、自らの経験で得てきたこと。それゆえに感じるところが大である。自社ですでに実践していることもあるが、参考にしたいことも多々ある。「十分な報酬」はすぐには実践できないが、なるべく意識していきたいと思う。
 中小企業の経営者なら、一読の価値ある一冊である・・・
 



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2019年12月20日

【そして、バトンは渡された】瀬尾 まいこ 読書日記1106



 著者は、個人的にはあまり馴染みのない作家。作品を読むのもこれが初めてである。そういう新しい作家との出会いは、期待させてくれるものがある。
 
 主人公は女子高生の森宮優子。普通とちょっと変わっているのは、その家庭環境。父親と2人暮らしであるが、実はその父親とは血の繋がりはない。生まれた時は、水戸優子であったが、そのあと田中優子、泉ヶ原優子と三度苗字が変わっている。なぜ、そんなことになったのかと、冒頭から興味を惹かされる。その経緯が明らかになっていく過程が縦のストーリーとなっている。高校生の優子の生活と同時に、過去の優子の生活が描かれていく形で物語は進むのである。

 優子は、初めはもちろん血の繋がった両親の元に水戸優子として生を受けている。しかし、産みの母が早逝し、父は優子が小学校2年の時に再婚する。その女性は田中梨花と名乗り、優子は産みの母に対するこだわりもそれほど見せず梨花を受け入れる。梨花と優子はウマがあったのか、仲良く過ごすがやがて父がブラジルに転勤となる。この時、優子は梨花と一緒に日本に残ることを選択する。まだ小学校の4年生だったせいか、「友達と離れるのが嫌」というのがその理由。そして父はブラジルに単身赴任する。

 しかし、父とはやがて音信不通となり(理由はのちに明かされる)、梨花は「ピアノが欲しい」という優子の望みを叶えるため、優子が中学生の時、泉ヶ原茂雄と結婚する。合間に高校生の優子の日常が描かれる。それは友達同士の他愛ないやり取りだったり、血の繋がりのない父親(優子は「森宮さん」と呼ぶ)とのやり取りだったりする。優子がどういう経緯でこんなに苗字が変わり、そして血の繋がっていない人たちと親子関係になっていったのか。非常に興味を惹かされたまま物語は進む。

 優子の親が変わっていく経緯は、なるほどそんなこともありそうな感じがする。いわゆるたらい回しとはまったく違い、どの親も優子に愛情を持って接する。特に最後の親である森宮は、優子の食事を作ったりと献身的に面倒を見る。親子のやりとりもユーモラスである。高校生の優子の日常もごく普通の女子高生のそれ。特に波乱があるでもなく、物語は静かに進んでいく。この作家のこれが作風なのだろうかと思ってみたりする。

 変わっているのは、親が次々に変わっていった優子の身の上だけで、何があるというものでもない。ちょっと軽い感じの物語である。読み終えてみれば、タイトルの意味もよくわかる。なんとも言えないが、ユニークな作品である・・・




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2019年12月19日

【文芸オタクの私が教えるバズる文章教室】三宅香帆 読書日記1105



《目次》
CHAPTER1 バズるつかみ
CHAPTER2 バズる文体
CHAPTER3 バズる組み立て
CHAPTER4 バズる言葉選び

 つい先日、『読みたいことを、書けばいい。−人生が変わるシンプルな文章術−』という本を読んだばかりだが、ブログをやっているような書くことに対する意識のある人間としては、どうしても「文章術」系の本を手に取ってしまうものなのではないかという気がする。著者は、文筆家・書評家だとのことで、「バズる」という言葉自体が、ネット文筆家を表している。

 そんな著者が語る文章術であるが、各章それぞれ「つかみ」「文体」「組み立て」「言葉選び」と分けて、丁寧に解説してくれる。有名作家の文章を例にしているので、実例付きの理屈でありわかりやすい。そもそも「うまく書く」という視点でなく、「文章で楽しんでもらう」という目線を意識しているもので、素人にはわかりやすいことこの上ない。この本の目的も、
 1. 文章の終わりまで読もうかなと思ってもらう
 2. この人いいなと思ってもらう
 3. 広めたいなと思ってもらう
ということとしていて、気軽に入っていける。

 初めの「つかみ」では、まずしいたけの文章が紹介される(個人的には知らない作家だ)。「合宿ってポロリが多いんですよね」という文章を捉え、それが確かに「つかみ」としては面白いことはわかるが、問題はそれをどう応用するか。著者は文末で、
 1. 伝えたいことを一文にしてみる
 2. その中で一番伝えたい部分を伏せ字にする
 3. その伏せ字をいろいろ言い換える
 4. 一番インパクトのある言葉をチョイス
という具合に解説してくれる。これならなんか書けそうだと思えてくる。

 こんな具合にいろいろな作家の文章を例題にして説明がなされる。
「いい書き出しが見つからない時、ごく日常的な習慣から書き出す」
これはいつも引っ掛かるところであり、なるほどである。「文章とはリズム感」というのは納得であるが、具体的には「同じ語尾を3回繰り返す」とされると、これもストンと落ちてくる。

 「長い文章を二文、三文に切ってみる」「確信ではなく、推量・願望・確認に換える」「語尾をぶった切る(体言止め)」「漢字をひらがなで書く」などは、どれも参考になる。さらに、「漢字をひらがなで書く」のは、「強調したい時」「漢字と漢字が連続する時」「手書きはあまりしないような漢字」とくる。これも具体的でわかりやすい。「何があったのか」→「それについてどう感じたのか」→「どう感じたのかに出来事をくっつける」とくれば、なるほどすぐに応用ができそうに思えてくる。

 「気づいてもらうためには気づいてもらう努力が必要」という言葉はもっともである。「偉人の名言」を引用するも良し、「ひとりごとモード」から「突然問いかける」というのも良し。これだと確かに読んでいてギクッとする。「最後の一文を情景描写で締める」と余韻が残る。「メタファーで表現できる」ようになれば、個人的にはかなり満足感の高い文章になりそうな気がする。突き詰めていくと、自分でどんな文章を書きたいかというと、やっぱり「自分で満足できる文章」となる。他人に高評価されればそれも気分がいいと思うが、まずは自分だろう。そんな文章が書けそうな気がしてくる。

 書くことに興味を持っている人であれば、「バズるか否か」は別として、一読しておきたい一冊である・・・


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2019年12月13日

【「量子論」を楽しむ本 ミクロの世界から宇宙まで最先端物理学が図解でわかる!】佐藤勝彦 読書日記1104



《目次》
はじめに
序章 量子論の世界へようこそ――天才科学者二人と猫による「量子論超特急」
1章 量子の誕生――量子論前夜
2章 原子の中の世界へ――前期量子論
3章 見ようとすると見えない波――量子論の完成
4章 自然の本当の姿を求めて――量子論の本質に迫る
5章 枝分かれしていく世界――解釈問題を追う
6章 究極の理論へ向けて――量子論が切り開く世界

 もともと文系人間であると自負している自分ではあるが、どういうわけか数学と物理に対しては興味を失わずにきている。「わかるわからない」ではなく、「好き嫌い」で言えば間違いなく「好き」である。そんな「わからないけど好き」と言うべき物理の中でも、さらによくわからないのが「量子論」であるが、そんな「量子論」を少しでも理解したいと手にした一冊。
 
 そもそも「量子」とは、「小さな単位量」のこと。素粒子などのミクロの世界に適用される物理学の理論が「量子論」というわけである。この量理論と相対性理論が物理学の二本柱になっているらしい。そしてこの量子論を理解することは相対性理論よりも難しいというが、それはこの本を読むとよくわかる。量子論を代表する物理学者であるボーアは、アインシュタインと並び20世紀を代表する科学者と言われていると言う。

 内容を見ていくと、まず量子論はミクロの物質を「波」と考えるとする。まず光の正体をめぐる歴史が解かれ、光の正体は波か粒かが問われるが、この答えが「光は波でもあり粒でもある」とするもの。そして研究は原子の構造を探ることに及ぶ。原子は原子核の周りを電子が回っているとされるが、この電子も波と考えられる。つまり「電子の波が原子核の周囲を回っている」と言うものらしい。

 しかし、これが簡単ではない。なにせ見ようとしても見ることのできないミクロの世界の話。それはすべて実験結果から推測した「思考実験」に過ぎないわけである。その結果、従来の物理法則とはまったく違うルールに支配されているらしいというのがわかってくる。「見られる前の電子の波は広がっているが、観察したとたんにどこか一点に収縮する」なんて説明が出てくる。シュレーディンガーが波動力学を唱え、波動関数Ψ(プサイ)を発表するが、このΨはなんと電子を「発見できる確率」を表すものなのである。

 この波動関数の確率解釈に対しては、かのアインシュタインも「神はサイコロ遊びを好まない」という有名なセリフで反対する。アインシュタインも反対したと聞くと、やっぱり本当に難しい理論なのだと思う。この不確定性原理だけでもそうで、「相容れない2つの事物が互いに補いあって1つの事物や世界を形成している」という考え方は、やはり理解し難いものがある。その極め付きが、「シュレーディンガーの猫」の思考実験だろう。この実験によると、猫が「生きている状態」と「死んでいる状態」が同時に存在することになる。

 こういう「多世界解釈」は難しいが、それでも量子論によって成果も出ていて、その最大なものは下記の2つだとされる。
 1. 個体の電気的な性質の違いを理論的に説明(導体・絶縁体・半導体)
 2. 概念的または哲学的な意味での「無・ゼロ」は物理的にはありえないこと
量子論は、さまざまな現象を解き明かし、量子コンピューターや量子暗号などの話を聞くとなかなかすごいと思うが、この本では平易に説明されてはいるものの、それでも読んでもよくわからないというのが正直なところ。

 「量子論によってショックを受けない人は量子論をわかっていない人」というボーアの言葉に従えば、自分は間違いなくショックを受けていない。と言っても、「量子論を利用できる人はたくさんいるが、量子論を理解している人は1人もいない」とファインマンも言っているくらいなのだからそれも無理ないところなのだろう。それでもやっぱり量子論のかけらでも触れてみたいという人には、この本はいい入門書だと思う。

 理解できなくても、量子論とは何かと思っている文系人間には程よい一冊である・・・





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2019年12月12日

【時短の科学−非製造業の生産性向上を初めて体系化!−】内藤 耕 読書日記1103



《目次》

第一章   なぜサービス業では時短が進まないのか
第二章   生産性が上がり、時短が進む方法
第三章   サービス業の生産性はどこまで高められるか
おわりに

 世の中は「働き方改革」の掛け声が勇ましいが、中小企業ではなかなかそうも言っていられない。「残業削減」は、「働き方改革」の面でも「人件費負担軽減」の面でも会社の至上命題になっているが、一方でお客様に迷惑はかけられない。その板挟みとなった従業員は、「サービス残業」に走らざるを得ない。この本は、そんな状況を少しでも改善するべく、時短を進めながら売上や利益を伸ばして成長し、従業員は収入を増やし、お客はより良い商品やサービスを得ることを考えた一冊。
 
 人口減少社会において、生産性の向上はあちこちで叫ばれている(『日本人の勝算 人口減少×高齢化×資本主義』)。中でも特にサービス業での生産性の向上が必須であると著者は説く。しかし、サービス業で生産性向上が難しいのは、製造業と比べサービス業では、在庫が不可能であることがその最大の違い。ラーメンを速く作るだけでは限界があるのである。ここで「生産性(労働生産性)」とは、「付加価値」➗「労働投入量」と定義されている。「付加価値」と「労働投入量」は一見、二律背反の関係に見えるが、実はそうではなく、独立した関係だとする。

 まず、大半の会社は適切な人員配置、シフト管理ができていないとする。ここで具体例としてあげられているのが、かつては 「地獄の白菊」と呼ばれた「ホテル白菊」。残業が多く、年間休日数も少ないという典型例。朝食バイキングの提供方法を変えることに象徴される改革で、わずか1年で残業時間は月数時間に減少し、年間休日数も大幅に増加。さらに顧客満足の向上で客単価もアップしたという。これほど劇的な変化だと気持ちもいいだろうと思う。

 世に言う「人手不足」は生産性が低い証拠だとする。何でも闇雲にやるのではなく、「お客様の求めていないことはすべてやめる代わりに求めていることはすべてやる」と言う徹底も必要。著者は、リアルタイム・サービス法こそ生産性向上の鍵だとする。これはお客の流れに合わせてスタッフを移動させるというもので、考えてみれば理にかなっている。そしてこれを可能にするのがマルチタスク化である。

 こうした改善に取り掛かるにあたり、現状把握として、「プロット分析」「業務・人員推移グラフ」などを利用する。ここで関心を向けなければいけないのは、「忙しい時間でなく、ひまな時間」。これは素人的にはなかなか思いつかないと思う。残業時間の削減は後回しにして、人員配置の無駄をなくすことから始める。リアルタイム・サービス法とは、「必要な時」に「必要な人数」が「必要な場所」にいるシフトを実現することである。

 個人的には理論もいいのであるが、やはり具体例に勝るものはない。例えば、作り置き料理をやめた大型旅館の例。「一度に大量に作る」ためには「営業開始の3時間前から大人数で調理」していたが、「こまめに注文量を作る」体制にシフトしたことにより、「営業が始まってから少人数で調理」できるようになったという。「小ロット化」と「マルチタスク化」の具体例がよくわかる。

 打つべき手は「やりたいこと」「できること」「やらねばならぬこと」という3つの中に必ずあるとする。通常、「戦略」→「戦術」→「実行」という流れになるが、まず「やらなければならないこと」をやり遂げ、中でも「できること」を優先して行い、最後に「やりたいこと」をやるという逆の流れ、すなわち、「制約条件から戦術を生み出す」ことが大事という考え方も、はたと気づきを与えてくれる。  

 今の仕事は特にここで改善例として採り上げられているような時短が必要な状況ではない。関係ないと言えば関係ないが、それでもこうした考え方を知っておく事は何かの参考にはなると思う。ましてや、同じようにサービス残業が常態化しているような会社であればなおさらであろう。「サービス品質を上げる」ということでも大いにヒントが得られる一冊である・・・





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2019年12月11日

【小さな企業が生き残る−地域×技術×デザイン−】金谷 勉 読書日記1102



《目次》
全国で関わった「生き残り」あの手この手
第1章 倒産・廃業のピンチから、生き残りの「手」を見つけた
第2章 会社や家業をつぶさず、生き残るためにとるべき「その手」
第3章 自分を知り、自分の強みを見つける「8ステップ」
第4章 下請けの小さな町工場や職人が未来を切り拓くには?
  
 著者は、セメントプロデュースデザインというデザイン会社の経営者。デザインによって経営不振にあえぐ町工場や工房の立て直しに取り組んでいて、その様子は私もいつも観ているテレビ東京の『ガイアの夜明け』にも採り上げられたそうである。自ら「Happy Face Clip」というクリップを作り、発売から14年で販売累計25万個を超す超ロングセラーになったという。そんな著者が、自ら手がけた企業の経営再建の例を紹介しながら、その方法を語った一冊。

 そんな著者の語るところによると、商品をデザインするとは、単に設計して色や柄を決めるだけではなく、どう見せてどういう売り場でどう売ってもらうか、きちんと出口を見据え、企画から流通までを考えて「考動」することだとする。それを別の言い方では、「コト(技術)、モノ(意匠)、ミチ(販路)の一連を考動していくこと」としている。何れにしても、デザインとは形を考えるだけではないというところがミソなのであろう。

 理屈よりも何よりも、具体的事例は大いに参考になる。ここでは、福井県鯖江市の眼鏡材料商社である株式会社キッソオが「ミミカキ」を開発した事例をはじめとして、陶磁器原型職人 による「手編みセーター柄の器」の開発、熱海の建具製作による「まな板」、竹工芸職人による「竹のバングルとリング」が紹介されている。これらの事例は、どれも窮地に陥っていた会社や職人が、デザインの力で新商品を開発したものである。

 ただし、それらの事例を否定するわげはないのであるが、そのエッセンスを他で利用しようとしても難しい。著者は、例えば鯖江のミミカキの事例の成功要因として、
 1. 眼鏡も作る産地と意識改革を進めた
 2. 眼鏡の製造工程を利用できた
 3. 眼鏡の産地で生まれたことを一目で伝えられた
 4. 関わった人たちの目を輝かすことができた
としているが、参考になるのは「2」ぐらいで、あとはこじつけ感が強い(例えば、この商品は眼鏡の産地で生まれたから売れたわけではないだろう)。

 この手の本を読むのは、他の産業でも参考になるのでないかと思うからである。いわば成功のエッセンスであるが、個人的に参考になったののは、「12の手を駆使する」として例示しているうち、
 1. いい風が吹く市場にブリッジング(新規参入)する
 2. 「とりあえず」ではつくらない
 3. 商品はコト、モノ、ミチの3軸で考える
 4. 商品開発は「あるモノ、できるコト」で取り組む
 5. モノの背景にある誕生ストーリーを伝えていく
というところである。

 ヒット商品を開発するというのが望ましいのは当然であるが、熱海の「まな板」のようにそれ自体はそれほど売れなくても、話題となったことから会社の技術力が認知され、本来の受注に繋がるというのは面白い事例だと思う。「売れるかどうか」という見方だけではないわけである。そして、逆に姿が消えていく商品としては、
 1. 企画の感じられない商品(その商品で何を見せようとしているのか、どんな魅力があるのかよくわからない商品)
 2. 流通を考えていない商品
 3. 生産を考えていない商品
だとしているが、この視点も大事であろう。

 製造業でないとピンとこないところはあるかもしれない。ただ広く事業を再生していこうと考えているところであれば、なんらかのヒントが得られるかもしれない一冊である・・・
  

キッソオミミカキ.jpg















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2019年12月06日

【読みたいことを、書けばいい。−人生が変わるシンプルな文章術−】田中 泰延 読書日記1101



《目次》
はじめに 自分のために書くということ -書いたのに読んでもらえないあなたへ
序章 なんのために書いたか
第1章 なにを書くのか 〜ブログやSNSで書いているあなたへ〜
第2章 だれに書くのか 〜「読者を想定」しているあなたへ〜
第3章 どう書くのか 〜「つまらない人間」のあなたへ
第4章 なぜ書くのか 〜生き方を変えたいあなたへ〜
おわりに いつ書くのか。どこで書くのか。

 ブログをやっている人間は、多かれ少なかれ、何らかの形で書くことに興味を持っているのではないかと思う。そんな人間にとって、自分の考えていることを「どんな風に書けば良いのか」という疑問を持ったこともあると思う。そういう者にとって、実に興味深いタイトルであるこの本、それだけで手に取ってしまったと言える。

 著者は、学生時代に6,000冊の本を乱読し、卒業後は電通でコピーライターとして活躍し、今はフリーランスでインターネット上で文筆活動を行なっているという人物。全く知らなかったが、『街角のクリエイティブ』というサイトに映画評のコラムを持つているらしい。そんな著者が語る文章論。

 現在、ネットで読まれている文章の9割は「随筆」だと著者は語る。その随筆とは、「事象と心象が交わるところに生まれる文章」だとする。そのうち、「事象」寄りのものを書いているのが、ジヤーナリストであり研究者である。そして「心象」寄りのものを書いているのが小説家であり詩人だという。その中間がライターだとする。著者によれば、書く文章の「分野」を知っておくことは重要であり、定義をはっきりさせることも然りなのだという。

 意外なことに、ターゲットなど想定しなくていいとする。読み手など想定して書く必要はないのだとか。書いた文章を最初に読むのは間違い無く自分自身。たくさん読まれたい、ライターとして有名になりたいという思いを捨て、まずは書いた文章を自分が面白いと思えれば幸せだと気がつくべき。「他人の人生を生きてはいけない」という言葉は、大いに賛同してしまう。事実、私も別のブログをやっているが、そのターゲットは「自分だけ」である。

 つまらない人間とは何かといえば、それは「自分の内面を語る人」。物書きは「調べる」が9割9分5厘6毛であり、調べたことを並べれば、読む人が主人公になるとする。調べるのは主に一次資料に当たるべきで、それは図書館で調べるべしとする。資料を当たっていくうちに「ここは愛せる」というポイントが見つかるので、そのポイントの資料を掘るといいらしい。言葉で説明されても分かりにくいが、実際に著者の書いたブログを読むと何とくイメージがわく。

1. 感動が中心になければ書く意味がない
2. 思考の過程を披露する
3. 「起承転結」でいい
4. 貨幣と言語は同じもの
5. 書くことはたった一人のベンチャー起業
6. 書くことは生き方の問題である

 総じて言えば、「自分が読みたいことを書けば自分が楽しい。そこにテクニックは必要なく、この本で語られるのは文章テクニックではなく、「(自分が)読者としての文章術」。そんな持論の各章の合間に文章術コラムが入っている。中でも履歴書(エントリーシート)の書き方という部分などはいずれ息子にも教えたいと思わされた。「エントリーシートはキャッチコピー」。元コピーライターらしいその意見になるほどとと思わされた。

 著者も言っている通り、この本にテクニックを求めてはいけない。しかしながら、これもテクニックといえばテクニックなのかもしれないという気もする。ブログをやっている者としては、そして同じような考え方であることもあり、自分に自信を持たせてくれた一冊である・・・





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2019年12月05日

【過酷なるニーチェ】中島義道 読書日記1100



《目次》
第1章 神は死んだ
第2章 ニヒリズムに徹する
第3章 出来事はただ現に起こるだけである
第4章 人生は無意味である
第5章 「人間」という醜悪な者
第6章 没落への意志
第7章 力への意志
第8章 永遠回帰

 著者は最近個人的に興味を持っている哲学者。以前、『善人ほど悪い奴はいない ニーチェの人間学』を読んでいるが、それはどちらかというと「ニーチェの思想をベースにした著者の考え」という感じがしたが、今回はきちんとしたニーチェの解説本となっている。その中心となるのが、『ツァラトゥストラかく語りき』である。

 冒頭から「ニーチェの言説はほとんどの者には全く役に立たない」とくる。その理由は、「人が誠実にニーチェの言葉を読解するなら、自分自身の卑小さを自覚して絶望するかとうていかなわない高みを眺めて溜息をつくだけ」なのだとする。『ツァラトゥストラかく語りき』も超人(候補者)のための書であり、それを自覚している者にとってだけの書だとする。なかなか手厳しいイントロである。

 そんなニーチェであるが、だからと言って諦めるのではなく、そこで立ち止まって考えるべきだとフォローが入る。『ツァラトゥストラかく語りき』を手に取った人は、自分はこの書を読む資格があるのかと問いつつ、悩みつつ読むのが正しい読み方だとする。深く苦悩した人間はいずれもみなどれほど深く苦悩しうるかということがその人間のランクを決定するというが、このあたりは理解が難しい。

 有名な「神は死んだ」ということについては、「人間が神がもともと存在しないことに気づいた」と解釈すべきだとする。原語のドイツ語の解釈についてはよくわからないが、「生きていたのが死んだ」ということではなく、「もともと死んでいる」という解釈は、なかなか新鮮である。ただ、そう説明されると理解が深まるのも事実である。しかし、これはハイデッカーの解釈を否定するものでもあり、なかなか大胆だなと感じる。

 死後の世界などなく、したがってこの世で不幸な人があの世で救われるわけではない。この世しかないという考え、つまり「神の死」は人間の死の意味を根底から変えるというのはその通りだと思う。幾多の人間があの世での救いを頼りにこの世の不幸に耐えてきたと思う。こうしたニーチェのニヒリズムは、ただのニヒリズムではなく、「ヨーロッパのニヒリズム」だとする。我々日本人が上辺だけで理解すべきものではないらしい。

 神はもともと死んでおり、あの世などない。いまここがすべてであり、だからこそ生きる勇気が湧いてくるものでなければならない。著者はこれを「能動的ニヒリズム」と説明し、諦めてしまう「受動的ニヒリズム」と区別する。「よく生きる」とは、この能動的ニヒリズムのうちに生きることだとする。これも有名な「超人」は、能動的ニヒリズムに陥る強さを持った者だとする。『ツァラトゥストラかく語りき』を読んだのはだいぶ昔であり、内容もかなり忘れてしまっているが、この著者の解説を片手に読むとよく理解できるかもしれない。

 超人になりうる者とは、「永遠回帰の心理を受け入れる力量のある者」とする。この「永遠回帰」も理解が難しいが、ツァラトゥストラはこの真理を伝えるために洞窟を出て人間たちの元へ行くことが描かれている。「神が死んだ」という真理と一体となっている「永遠回帰」という真理を伝えるためであるが、醜悪で低劣な人間はそれを理解できずツァラトゥストラを殺すかもしれない。自分の掴んだ心理を伝えるために殺されることをも厭わないことを「没落」と表現する。「力への意志」とは、徹底的没落への意志である。

 こうして説明されていくと、難解な『ツァラトゥストラかく語りき』もよく理解できそうである。なら「もう一度」、『ツァラトゥストラかく語りき』にチャレンジしてみるのもいいかもしれない。ニーチェのことについていろいろ学ぶにあたっては、参考にするべき一冊である・・・



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2019年12月04日

【夫のトリセツ】黒川伊保子 読書日記1099



《目次》
第1章 神は、夫婦を別れさせようとしている
第2章 使えない夫を「気の利く夫」に変える方法
第3章 ひどい夫を「優しい夫」に変える方法
第4章 脳とは、かくも厄介なものである

 前作『妻のトリセツ』があまりにも的を射すぎていて、迷わずこの本も手に取ってしまった。妻のトリセツがあるなら、当然夫版があってもおかしくない。そして、男の目から見ても、その主張はやっぱり的を射ていると思うところである。

 夫に対し、「思いやりがない」「話が通じない」「わかってくれない」「とにかく苛立つ」「一緒にいる意味がない」「子供が巣立った後、夫婦二人になるのが怖い」と三日以内にどれか1つでも感じた人は、この本を今すぐ読んだほうがいいと著者は語る。いい感じのスタートである。そして「夫への怒りは大半は濡れ衣である」という何とも嬉しくなる言葉。著者によれば、男性脳は知れば知るほど不器用で一途で愛おしいのだそうである。

 子供が生まれると、それまでラブラブだった妻が一転して他人みたいになる。私もそう感じた一人であるが、「子供には徹底して優しいが、夫には厳しい」、これこそが母性本能そのものだという。それに加え、脳の違いもある。「経緯を語りたがる女性脳に結論を急ぐ男性脳」というのは、前著でも語られていたが、それもさらに詳しく語られる。

・夫は、夫になり父になり責任をひしひしと感じているからこそ冷たい口を利く
・妻となった方は、子どもの生存可能性を上げるために夫に恋人時代よりいっそう共感を求めている
こんな違いがそもそも存在しているという。これが「夫はひどい」と妻が愚痴る原因だとする。
 
 妻に対しては、トリセツとして提言がある。
1. 言って欲しいことはルール化する
2. 愛を測ると自滅する
3. 男は沈黙でストレスを解消する
4. 男は女が共感で生きていることを知らない
5. 夫の言葉は深読みしない
6. 「夫は気が利かない」は濡れ衣である
 思わず膝を強く打ってしまう。

 個人的には「言って欲しいことはルール化する」はとてもいい提言だと思う。また、「定番」については深く共感してしまった。夫にとって「定番が気持ちいい」のは実感できる。夫は「定番の繰り返しが愛の証」だとし、妻は「非定番こそが愛の証」と考える。このすれ違い。「欲しい言葉も欲しいものもあっさり言葉にして頼めばいい」というのもその通り。気が利かないのではない。「今日ゴミの日だよね、雨が降るかも」なんてなぞかけをしていないで、「雨降りそうだから早く捨てて来て」とキッパリ言えばいいと著者が語る通りなのである。

 夫の方にも定年後に「家事を分担してやろう」という意識を戒めている。「分担」ではなく、「歯を磨くように皿も洗い、お尻を拭くように床も拭く、それは生きる営み」と釘を刺す。「夫のトリセツ」ではなかったのかと思わなくもないが、ここは素直に受け入れないといけない。結局、「妻のトリセツ」だから夫が読み、「夫のトリセツ」だから妻が読むというものではなく、2冊セットでそれぞれ読むのがいいのかもしれない。新婚の夫婦が二人で読んでから結婚生活をスタートさせれば、いい夫婦になれるかもしれないと思う。

 この本を我が妻にも是非とも読ませたい、と強く思う一冊である・・・


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