2020年04月21日

【猪木伝説の真相 天才レスラーの生涯】アントニオ猪木 読書日記1143



《目次》
第1章 プロレス界「最大の謎」を猪木本人に問う!
第2章 猪木・最盛期「昭和」の弟子たち
第3章 猪木・現役晩年「平成」の弟子たち
第4章 新日本・前夜“若獅子”時代を知る男たち
第5章 外部から見た“燃える闘魂”の実像
特別インタビュー サイモン・ケリーが語るアントニオ猪木と「新日本・暗黒時代」の真実
アントニオ猪木1943‐2019完全詳細年表

 小学生の頃からのプロレス好きであり、最近はめっきり見なくなってしまったが、それでもこの手の本を見ればついつい手にしてしまう。「伝説の真相」というタイトルは大げさだが、様々な角度からのインタビューでアントニオ猪木を語った一冊である。

 はじめに猪木本人のインタビューである。ここで、第一回IWGPグランプリの決勝戦について、「昭和のプロレスのミステリー」とする。「舌出し失神事件の真相」と威勢はいいが、肝心の猪木の回答は「真相」には触れない。ただ、ハルク・ホーガンのアックスボンバーを受けて「言語障害が出た」と述べるに止まる。それはそれで悪くはないが、ならあまり大げさに煽り立てないほうがいいのにと、構成の下手さ加減に呆れる。

 1999年1月4日の小川・橋本戦も猪木が黒幕とされているが、それにも触れられない。肝心なところがぼかされている。だが、「今のプロレスは強くない奴がスターになる。カッコばかり気にして強さを求めない」という発言は、さすがだと感じさせる。「猪木イズム」であるが、それは「繋げなかった」と語るが、そもそも「猪木イズム」ってなんだというのもある。ありもしない幻を指しているような気がする。

 そんな本人が繋げなかったという「猪木イズム」を佐山聡は「タイガーマスクとは猪木イズムの結晶」と語っているところが興味深い。猪木イズムとは、プロレスでも格闘技でもないとするのはいかにも佐山らしい。入門した頃の親日道場は、練習はセメントの練習ばかりだったという。みんな強くて、その中でも猪木が一番強かったらしい。佐山は猪木に「お前を格闘技の第一号にする」とまで言われていたという。当時はなぜ異次元空中殺法から離れてしまったのかわからなかった。こういう内幕は面白い。

 周りのレスラーたちの話もまた興味深い。藤波は何と言っても新日本プロレス立ち上げメンバーでもあり、独立時の話は見えない未来に向かっていた雰囲気が漂っていてなんとも言えない。藤原は付き人から見た猪木の素顔を伝える。「パンツを自分で洗っていた」「UWF移籍を引き止めてくれなかった」。蝶野は猪木が風呂で使い終わった後水で流して綺麗にしていたと証言する。こういう見えないところのトップの意外な姿勢は大事だと改めて思う。

 武藤はちょっと猪木とは系統が違うレスラーであるが、「自分を裏切ったような人間でも受け入れる度量がある」と猪木を評する。古い頃を知るグレート小鹿は「アイデアの猪木、カネの馬場」と語る。スパーリングでは力道山も猪木に勝てなかったという話は実に面白い。そんな猪木ももう77歳だという。若い人たちは、アントニオ猪木など名前と「ダァー!」くらいしか知らないのではないかと思う。かつて熱中していた頃が懐かしく思える。

 アクラム・ペールワン戦はガチンコで、後日墓参りに行ったこと、モハメド・アリと結婚式で語り合ったことなど知られざるエピソードや、4人目の奥さんが最近亡くなったという近況のこと、やっぱり興味深いエピソードは読むと面白い。あの頃は面白かったなと改めて思う。かつて熱中したプロレス世代には、いい暇つぶしになる一冊である・・・




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2020年04月15日

【Red】島本理生 読書日記1142



 私にとってはまた新しい作家との出会いの一冊。新しい作家の本を初めて読むときは、いつも期待半分、不安半分である。

 主人公の村主塔子は、結婚して夫の両親と同居している31歳の専業主婦。一人娘の翠がいる。冒頭で友人の結婚式に出席した塔子は1人の男と再会する。それはかつて塔子がバイトしていた先で社長をしていた按田秋彦。思わせぶりな冒頭の再会シーンから過去に塔子との間で何かあったなと感じさせる。なかなかうまい描写だなと思わせられる。そしてその再会シーンにはその後の展開をうかがわせるものがある。

 塔子の姑麻子は人が良く、嫁姑問題も起きていない。夫も優しく安定した収入もあって一見、なんの問題もない幸せな家庭。しかし、実はセックスレスという問題がある。夫に性欲がないわけではないのは、塔子が口で奉仕していることからわかるのであるが、この描写も絶妙。著者が女性であることもあり、どうしてもこの小説の「女性からの視線」を意識させられる。普段、窺い知れない女性からの視線。妻の行為に無邪気に甘える夫の姿も視線の違いを意識させられる。

 結婚式での再会後、塔子は再び友人の付き合いで按田と再会する。友人と一緒だったこともあってか、別れてから現在までの空白が気安く埋まって行く。「男の恋愛は名前をつけて保存、女の恋愛は上書き保存」と言われるが、男は過去の女を忘れない。常に「あわよくば」と考える。別れ際、鞍田は塔子をこっそり誘い、塔子はこれに応じる。そして今度は2人きりで飲み直し、トイレで塔子は按田に後ろからされる。この描写も大胆である。

 不倫といえば男がするものというイメージが50代の自分にはあるが、決してそんなことはない。幸せな環境にあるはずの塔子が不倫に向かって行く過程も実に自然である。塔子も最初は抵抗感がある。子供もいるし、義理の両親も夫も優しい。生活には何1つ不満はない。セックスレスを除いて。結婚記念日に子供を両親に預けて夫婦で食事に行く。帰りにラブホテルの方へ向かう夫に対し、戸惑いながら喜びに溢れる塔子。しかし、夫はただコーラが飲みたくてホテルの前にある自販機に向かっただけとわかり、絶望的な気分になる。

 一方、按田はそれに対し、セックスもうまい。誘われれば塔子も心とは裏腹に誘いを断りきれない。女の「No」は「YES」だと言われるが、按田との関係を深めて行く塔子の心境が、男の視線からは新鮮である。そして塔子は按田の紹介で仕事を得る。それは妊娠を契機に働くことを諦めた塔子に忘れていた世界を思い出せることになる。男もそうであるが、やはり女も働くことで社会に参加している喜びを得られるのだろう。

 按田との関係。そして新たに務めた会社で塔子に近づいてくる男小鷹。読んでいて、果たして塔子の行為は許されざるものなのかと思えてくる。もちろん、小説は主人公目線であり、それは常に肯定感で描かれる。だから塔子の行為も許容的に見てしまう。どこからどう見ても塔子の行為は夫と家族に対する裏切り行為でしかないのであるが、それを責める気持ちにはなれない。人間はどうしてもそういう生き物なのだと思う。

 物語は大きな波乱が起きることもなく、静かに進んで行く。1人の主婦の心の内を小説という形ではあるが、覗いて行くのは男の目からは新鮮である。そして男も女も同じなのだと強く思う。ベッドシーンも実に官能的で、その点でも知られざる女の意識を覗く感じがする。
 幸せに見えても人はどこか満たされぬものがあって、ダメとはわかっていてもついつい求めてしまう。塔子を通じて少しだけ女というものがわかったような気がした。実に興味深く、著者の他の作品も読んでみたいと強く思わせてくれた一冊である・・・



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2020年04月14日

【ビジョナリー・カンパニー弾み車の法則】ジム・コリンズ 読書日記1141



原題:TURNING THE FLYWHEEL
《目次》
弾み車をまわす
優れた弾み車には永続性がある
自社の弾み車を明確にする手順
CEOだけの問題ではない
実行と革新:弾み車に新たな命を吹き込む
弾み車の拡張
弾み車をまわしつづける「衰退の五原則」から何を学ぶか
歴史の判断
[付録]ビジョナリー・カンパニーの枠組みと弾み車
[第一段階]規律ある人材
[第二段階]規律ある思考
[第三段階]規律ある行動
[第四段階]永続する組織
10X型企業
偉大さのアウトプット

 シリーズ第4作が出てからだいぶ時間が経過しており、もう打ち止めなのかと思っていたら、登場したシリーズ第5作。毎回、独特な表現が使用されているが、今回は「弾み車の法則」。「弾み車」とは聞きなれないが、ギアのようなものらしい。

 弾み車は、押し続けると始めはゆっくり、やがて速く、ある時点でブレークスルーが起き、止めようのない勢いがついて回っていくらしい。そこから、事業環境に合わせて弾み車を回すように事業に勢いを生み出していく方法を説くものだとしている。「正の連鎖反応」とでもいうべきものであろう。

 具体例で見るとそれはよくわかる。最初に例示されているのが、アマゾン。
「より多くの商品の価格を下げる」→ 「サイトの訪問客数が増加する」→「サードパーティの売り手が集まる」→「品ぞろえが広がり配送網が充実する」→「固定費当たりの売り上げが伸びる」→「より多くの商品の価格を下げる」・・・という具合である。

 この「循環」を称して弾み車と言っているわけであるが、アマゾンの他にもインテルなどの有名企業の例も挙げられ、さらにこの弾み車は企業のみならず当てはまることも説明される。その例として、小学校やオハイオ音楽祭、クリーブランドクリニックなどが挙げられる。優れた弾み車には永続性があり、また手にした成功を持続的な弾み車に転換する能力があるとする。このあたり読みながら自分たちの事業に当てはめてみたりする。

 この弾み車が失速、あるいは動かなくなる原因は、
 1. 1つ1つの構成要素の革新・実行ができていない
 2. 根底にある弾み車がすでに有効性を失っている
ことが考えられるとする。当然と言えば当然の理屈だろう。そしてうまく行く方法としては、過去のシリーズで取り上げられた方法が説明されて行く。
 1. ANDの才能によって自らを解放する(『ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則』)
 2. 銃撃に続いて大砲発射(『ビジョナリー・カンパニーC 〜自分の意志で偉大になる〜』)
 3. 衰退の五段階(『ビジョナリー・カンパニーB〜衰退の五段階〜』)
等々。

 弾み車以外の部分については、過去のシリーズのおさらいといったところ。本自体も極めて薄いので、弾み車の説明をしただけで終わりといった感がある。もう書き尽くしたということなのかもしれない。前作から8年待ってこれだけだともうこのシリーズには期待できそうもない。シリーズ打ち止めの一作としては、ちょっと寂しい内容の一冊である・・・


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2020年04月13日

【ラグビー知的観戦のすすめ】廣瀬俊朗 読書日記1140



《目次》
第1章 ラグビーをやっているのは、こんな人たちだ
第2章 ラグビーはこう見ると、よくわかる
第3章 「世紀の祭典」ワールドカップと、世界ラグビーの勢力図
第4章 僕がラグビーを大好きな理由

著者は、ラグビーをちょっと知っている人ならよく知っている元日本代表キャプテン。2015年のワールドカップで日本は南アフリカに奇跡的な勝利を挙げたが、直前の2013年にキャプテン交代となっていたので、ちょっと悔しかっただろうなと思えてしまう。それでも昨年のワールドカップ日本大会では影で活躍されていたことは知っている。そんな著者のラグビー本である。

第1章と第2章は、ラグビー初心者向けの解説で、ラグビーを知っている者には今さら感がある。それでも「各ポジションのキャラクターがわかればラグビー理解がグンと深くなる」なんて視点は、初心者向けには面白いかもしれない。「結婚するならフロントロー」なんて確かにその通りだと思うし、各ポジションの特徴をよく捉えていてこれはこれで面白いと思う。第2章は、「なぜパスを放るのか」「なぜキックを蹴るのか」等、「初心者向けの説明の仕方」という意味で参考になる。

第3章からは、ラグビーを知っている者でも楽しめる知識が満載されている。イギリスで起源となったフットボールのこと。サッカーとは「兄弟関係」にあることは、『ラグビーをひもとく』にも書かれていたが、この本ではさらにカップ戦の誕生なんてエピソードがあり、なんでワールド「カップ」っていうのかがわかる。ラグビーのワールドカップは長年のアマチュアリズムがネックになって第1回大会が開かれたのがようやく1987年になってからだったこと。この辺りは興味深い。

第3章の後半は、ラグビーワールドカップ日本大会の見所解説。もう終わってしまったが、改めて振り返ってみるのも面白いかもしれない。逆に大会前に読んでおくべきだったと改めて思う。第4章は、著者の経験の中から語るラグビーの魅力。最大の魅力は「多様性」だという。これはよく言われるが、ラグビーにはいろいろなポジションがあり、背が低くても高くても太っていても適したポジションがある。また、今私自身楽しんでいるように、改めてやったことのないポジションにチャレンジするのも面白いことである。

最後に著者がワールドカップに向けて準備していた「スクラムユニゾン」という活動は本当にすごいと思い。これは各チームの国歌やアンセムを歌っておもてなしをしようというもの。各地でこれをやって喜ばれ、評判になっていたが、これは誰でもできることではなく、日本代表まで務めた著者ならではのことだろう。試合に出られなかったのは悔しかっただろうし、残念だったと思うが、こういう裏方の活躍はそれ以上のものがあると思う。日本大会が世界に評価されたとしたら、著者は確実にその一翼を担っているだろう。

「にわかファン」が増えたのも記憶に新しいところ。ラグビー界を支えている著者の、初心者が読んでも経験者が読んでも一読の価値ある一冊。次のワールドカップの時にまた思い出したい一冊である・・・


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2020年04月12日

【構造主義(図解雑学)】小野功生 読書日記1139



《目次》
第1章 構造主義の登場
第2章 主体性の系譜
第3章 近代哲学の発展
第4章 近代哲学の彼方
第5章 構造主義前史
第6章 構造主義の展開
第7章 構造主義を超えて
第8章 構造主義と同時代思想
第9章 構造主義と神学的思想
第10章 科学と構造主義
第11章 実践的な知性に向けて

 かつて浅田彰の『構造と力』を読み始め、あまりに意味がわからなくて読むのを断念したが、その時以来、「構造主義」というのは私の知的好奇心を刺激してくる言葉であり、思想である。「もっとよく知りたい」が、「難しくて理解できないかもしれない」。そんな思いでいたところに目にした一冊。「絵と文章でわかりやすい」という謳い文句に惹かれて手にした一冊である。

 見るからに初心者向けであるが、その通りに「構造主義とは」という質問に徹底的に優しく説明してくれる。どういう経緯で登場してきたのか。それ以前の哲学界の流れから始まり、その内容まで。1960年台半ばにフランスで登場。レヴィ=ストロースの「野生の思考」がその始まりとされる。当時は実存主義のサルトルが幅を利かせていた時代だが、その御大を堂々と批判。「野生の思考」というタイトルの通り、構造主義の考え方は未開人の研究の中から現れてきたものである。

 そもそも構造主義とは、それまでの歴史の主体であった「自由で理性的で歴史とともに進歩する人間」という考え方を徹底的に批判したもの。「構造」とは「物事を考える時のあるパターン」であり、人間はこの構造の中で考え行動する。そして文明人の思考だけが正しい思考なのではないとする。未開人を研究していたからこそ気づいた考え方なのだろうと思う。

 さらにはそもそも実存主義とは、とか同時代のマルクス主義等の近代哲学も対比して説明してくれる。この比較もなかなか嬉しいところ。近代哲学のこうした流れがあって、構造主義が生まれてきたのだとわかる。また、構造主義という考え方は、数学の思想から生まれたものだとする。構造とは、全体でもなく部分でもなく、「部分同士の関係」という数学的な関係なのだという。

 そして内容は、構造主義の後の「ポスト構造主義」にも及ぶ。「構造主義とは、新たな思想を生み出すための重要な地ならしだった」とし、構造主義が最終的な形ではないことを示す。神学との関係や科学との関係など、構造主義自体の説明よりも周辺との関係の説明の方がむしろ多い。簡単に解説してくれてはいるが、そうはいってもこれ一冊ですべて理解できるというものではない。やっぱり難しいことは確かである。

 個人的に興味深いのは、構造主義が外から入ってきた思想であるという点。それまで哲学界では実存主義のサルトルが君臨し、哲学を学ぶ者たちは時代の先端を行っている感覚だっただろうと思う。そこへ部外で未開人を検討していたレヴィ=ストロースから、予想もしなかった批評が出てきたわけで、言ってみれば革命的な思想だったのだろうという点。最先端の学会の人たちは形無しだったのである。

 逆に言えば、いつ何時業界にまったく予想もしない外部から激震が走る可能性もあるわけであり、そんな経緯が思想そのものだけでなく、大いに興味を惹かれる。もう少し学べば、『構造と力』を読めるようになるかもしれないと思えてくる。そんな思いで、これからも学び続けたいと思わせてくれる一冊である・・・




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2020年04月09日

【地面師たち】新庄耕 読書日記1138



 地面師とは、ちょっと聞き慣れない言葉ではあるが、「他人の土地を自分のもののように偽って第三者に売り渡す詐欺師」のことだという。最近起こった、五反田の土地を舞台にして天下の積水ハウスが55億円も騙し取られた事件が脳裏をよぎる。この本は、そんな地面師たちを描いた物語。

 冒頭で、いきなりその地面師たちが、本番を前に打ち合わせをしているシーンが出てくる。売主になりすました男にあれこれとレクチャーする。地面師たちは、それぞれ仲介業者とコンサルタントに扮し、取引現場に臨む。相手の買主は、司法書士らを伴い、取引現場では所有権移転登記に必要な書類一式をやり取りする。司法書士は売主の本人確認をしなければならないので、初対面の売主にあれこれと質問をして確認をする。バレたら終わりなので、地面師たちも打ち合わせに余念がない。

 恵比寿駅にほど近い好立地の土地につられて名乗りを上げた不動産会社がまんまと騙されて7億円を騙し取られる。リーダーはハリソン山中。現場には顔を出さないが裏ですべての絵を描く。主人公の辻本拓海は、父親が詐欺の被害にあって世を悲観して一家心中を図り、巻き込まれた母と妻子を亡くしている。以来、社会からドロップアウト。デリヘルの運転手をしている時にハリソン山中と知り合い、地面師に加わっている。

 紙面師たちは、ハリソン山中の下、それぞれの役割に応じて準備をする。案件を探してくる者、売主になりすます者(たいていは金に困っている者)、取引現場で仲介業者に扮する者、拓海のように不動産コンサルタントを名乗って同席する者。小説なので架空の話ではあるが、手口は実に生々しい。積水ハウスのような大手がどうして騙されるのかと不思議に思っていたが、なるほどこれなら引っ掛かるのも無理はないと思わされる。

 冒頭の取引をうまく成し遂げ、大金をだまし取った一味はすぐに次の案件に取り掛かる。高輪ゲートウェイ駅開業を控えた品川のお寺に隣接した、不動産デベロッパーからしたら垂涎の物件。しかも、直前で大型案件がボツになって焦る石洋ハウスの役員青柳にしてみれば、社内でライバルに負ける直前の大逆転が可能になる案件。総額100億円の取引がこうして動いていく。持ち主の行動を探り、挙句には架空の話をでっち上げ、沖縄に招待して本人になりすます手口の良さ。

 単純に物語としての面白さもあるが、こうした地面師たちの手口を見られるというのは実に興味深い。積水ハウスの事件でも、おそらくこんなこれに近いような事が行われていたんだろうなと思いながら読み進む。こうした物語の難しさは、主人公を英雄的に描くと「犯罪推奨」になってしまう事。この物語も100億円という取引が進む中、一味の崩壊の予兆も内包していく。不動産業界に身を置く者としては、実に興味深い物語である。

 世の中の悪を知ることは、身を守ることにもつながる。巨額の不動産取引になど縁はないかもしれないが、似たようなことはあるかもしれない。いろいろな意味で、読んでおいて損はない一冊である・・・


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2020年04月08日

【ドーナツを穴だけ残して食べる方法】大阪大学ショセキカプロジェクト 読書日記1137



《目次》
 第0章 ドーナツの穴談義のインターネット生態学的考察 松村真宏
第1部 穴だけ残して食べるには
 第1章 ドーナツを削る--工学としての切削の限界 高田 孝
 第2章 ドーナツとは家である--美学の視点から「ドーナツの穴」を覗く試み 田中 均
 第3章 とにかくドーナツを食べる方法 宮地秀樹
 第4章 ドーナツの穴の周りを巡る永遠の旅人--精神医学的人間論 井上洋一
 第5章 ミクロとマクロから本質に迫る--歴史学のアプローチ 杉田米行
第2部 ドーナツの穴に学ぶこと
 第6章 パラドックスに潜む人類の秘密 なぜ人類はこのようなことを考えてしまうのか? 大村敬一
 第7章 ドーナツ型オリゴ糖の穴を用いて分子を捕まえる 木田敏之
 第8章 法律家は黒を白と言いくるめる? 大久保邦彦
 第9章 ドーナツ化現象と経済学 松行輝昌
 第10章 ドーナツという「近代」 宮原 曉
 第11章 法の穴と法規制のパラドックス--自由を損なう行動や選択の自己決定=自由をどれだけ法で規制するべきなのか? 瀬戸山晃一
 第12章 アメリカの「トンデモ訴訟」とその背景 松本充郎

 「ドーナツを穴だけ残して食べる方法」というのは、実に興味深いタイトルであり、そこに興味を持って手にした一冊。実際、ドーナツを食べるということは、穴も消滅してしまうこととイコールであり、穴を残して食べるということは不可能に思える。その矛盾をどのように克服するのか。内容はこのテーマに関し、大阪大学の各分野の先生方が回答を示す形でまとまっている。

 冒頭の第0章では、インターネット上で「ドーナツを穴だけ残して食べる方法」についてググってみた結果をもとにした考察がなされる。過去何回か検索のブームが出たことや、真面目な議論からジョークまで紹介される。「あまりにもお腹が減っていたので、ドーナツの穴まで食べちゃったよ」というジョークはなかなか面白い。この後読んでいくのに期待を持たせてくれるイントロである。

 続く第1章では工学の先生が、ドーナツの穴を残すという観点から「切る」「削る」という工学的な見地からの方法論をいろいろと説明してくれる。まったく疎い工学という見地からの議論は興味深いといえば興味深いが、ただ、ドーナツを切ったり削ったりする方法が説かれているだけで、「それでどうした?」という疑問が後に残る。そして第2章は文学の立場から、「ドーナツの穴は無くならない、なぜならドーナツは食べてもなくならないから」という考えが説明される。

 ここで説かれるのは、「美学」。ソクラテスが「寝椅子」について語る文章を紹介し、「寝椅子」を「ドーナツ」に置き換えて考えたり、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の有名なマドレーヌをドーナツに置き換えたりして考察が重ねられる。そうした上で、「ドーナツは家である」という命題に至り、「ドーナツの穴は無くならない」となる。屁理屈的なところがなきにしもあらずであるが、こういう議論は好きであるから気にならない。

 第3章の数学的観点からの考察から、ややおかしな方向へと進み始める。三次元、四次元の議論からドーナツを食べても穴は無くならないとするが、数学的知識の不足もあるのかまったくわからない。低次元トポロジーの「絡んだ2つの輪は四次元空間では必ず外すことができる」という論理的トリックを用いているとのこと。そもそも四次元をイメージすることは難しいし、五じげん、六次元・・・と展開できると言われても何が何やらである。どうも本旨からずれている気がして来る。

 第4章は精神医学の立場からになるが、「人間の心が求めているもの、それはドーナツの穴のようなものかもしれない」という意見が出てくる。そして、「心を支えているのは理想であり、それはドーナツが食べられてしまった後に残っているドーナツの穴のようなものである」となる。心の話はそれなりに面白いが、別にドーナツの穴にこじつけなくてもいいと思う。第5章の歴史的観点からの意見も、最初と最後だけドーナツという言葉が出てくるが、間の健康保険や冷戦の話はドーナツとはまるで関係ない。

 その後のパラドックスの話もしかり、さらに第7章に至っては、「ドーナツ型オリゴ糖の穴を用いて分子を捕まえる」であり、ここまでこじつけも過ぎると何もいうことがなくなる。個々の法律や経済学(ドーナツ化現象)の話はそれなりに面白いが、それはそれで単独でいい話で、無理にドーナツにこじつける必要はない。期待から外れていくと読み続ける気も失せてくる。ここまで無理にこじつける必要があるのだろうかと疑問に思う。著者は「大阪大学ショセキカプロジェクト」となっているが、学生が本を無理やり作ろうと頑張ったが空振りに終わったという感じだろうか。途中まではなんとか我慢したが、最後は読むのをやめてしまった。

 期待していただけにちょっと残念な一冊である・・・




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2020年04月02日

【ノーサイド・ゲーム】池井戸潤 読書日記1136



《目次》
第一部 ファースト・ハーフ
 プロローグ
 第1章 ゼネラルマネージャー
 第2章 赤字予算への構造的疑問
 第3章 監督人事にかかる一考察
 第4章 新生アストロズ始動
 第5章 ファーストシーズン
 エピローグ
第二部 ハーフタイム
第三部 セカンド・ハーフ
 プロローグ
 第1章 ストーブリーグ
 第2章 楕円球を巡る軌跡
 第3章 六月のリリースレター
 第4章 セカンドシーズン
 第5章 ラストゲーム
 ノーサイド

 お気に入りの作家である池井戸潤のまた新たな作品。池井戸潤の作品は企業を舞台としたサラリーマンを主人公とした作品が多い。だから余計に面白いというところがある。そして本作品は、それにプラス企業スポーツという要素が加わる。具体的にはラグビーであるが、ちょうど昨年、ラグビーのワールドカップが日本で開催されて盛り上がったのはまだ記憶に新しいところ。企業スポーツといえば、社会人野球を扱った『ルーズヴェルト・ゲーム』があったが、今度はラグビーというわけである。

 物語の舞台は、トキワ自動車という上場企業。主人公の君嶋隼人は経営企画部に所属しているが、冒頭でカザマ商事という企業の買収案件を巡って常務取締役営業本部長の滝川と激しくやりあう。買収を進めようとする滝川に対し、「価格が高すぎる」と反対したのである。結果として買収案は取締役会で否決されるが、恨みを買った君嶋は横浜工場総務部長職に左遷されてしまう。そして着任した君嶋は、その職がトキワ自動車ラグビー部アストロズのゼネラルマネージャー職を兼ねていることを知る。

 トキワ自動車ラグビー部は、プラチナリーグに所属する古豪であるが、成績は低迷しており、かつちょうど監督が退任して後任を決めなければいけない状態。また、年間16億円という巨額の赤字を垂れ流しているという問題を抱えている。ラグビー素人の君嶋がゼネラルマネージャーに就任することは異例であり、右も左もわからぬまま君嶋は職に就く。しかし、巨額の赤字に対する滝川を中心とする役員の視線は厳しく、かろうじて社長の島本の支持でもっている状態。早急な対策が求められている。

 普通であれば、左遷人事の後に興味もないスポーツチームのゼネラルマネージャーを任されれば、ふてくされるかもしれない。どう行動するかは、人それぞれであるが、君嶋は「やるからにはきっちりやる」という性格のようで、目の前に迫った監督人事と予算編成という問題に対し、ただ前任者の前例をそのまま踏襲するのではなく、独自の観点から真正面から取り組んでいく。小説ではあるが、自分自身のサラリーマンであるし、「自分だったらどう行動するだろう」と考えながら読んでしまう。そこが池井戸作品の面白いところなのかもしれない。

 ところでアストロズの年間16億円の赤字というのが、そもそも構造的な問題と説明される。コストは仕方がないものの、問題はほとんど収入がないということ。そしてその原因が、日本蹴球協会の「アマチュアリズム意識」にあるということがわかってくる。読みながらこれはどこまでフィクションなのだろうかと思えてしまう。プラチナリーグとは当然、今のトップリーグのことだろうし(監督人事のところで出てくるのはすべて実名・実例である)、となると今の日本ラグビーフットボール協会も同じ問題を抱えているのだろうかと思えてしまう。となると、正面から協会を批判しているに等しい。「いくら小説でも」と思ってしまう。

 2015年のワールドカップで、日本代表は南アフリカの代表に奇跡的な勝利を収めた。そして昨年のワールドカップでは、長年夢物語と思われていた決勝トーナメント進出を果たした。この物語はその間の期間の物語。フィクションとは思えないリアリティの中で物語が展開する。そして驚くのは、試合の描写。そもそもスポーツを言葉で描写するのは難しいと思う。しかし、ただでさえ「よくわからない」と言われるラグビーを実に巧みに描いていく。経験者であれば、試合シーンを鮮明に脳裏に描き出せるくらいである。「ひょっとして池井戸潤は経験者だろうか」と思うくらいである。

 ストーリーは、君嶋がゼネラルマネージャーに就任した年を「第一部 ファースト・ハーフ」、翌2年目を「第三部 セカンド・ハーフ」とし、その間を「第二部 ハーフタイム」とラグビーの試合になぞらえて描いていく。アストロズの活躍だけでなく、君嶋のビジネスマンとしての仕事上での活躍も描いていく。池井戸作品はみなそうだが、面白くて一気に読んでしまった。どの作品も本当に面白い。期待通りの一昨である・・・

 
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