2020年06月19日

【全裸監督 村西とおる伝】本橋信宏 読書日記1162



《目次》
プロローグ
第1章 4人 太平洋戦争における村西とおるの親族の戦死者数
第2章 1万7千円 「どん底」初任給
第3章 1億円 村西とおるが部下たちと台湾で二週間豪遊したときの総額
第4章 600万円 村西とおるが毎月警視庁刑事たちに渡していた裏金
第5章 180円 『スクランブル』の定価
第6章 1万4000円 保釈された村西とおるのポケットに入っていた全財産
第7章 10点 『ビデオ・ザ・ワールド』誌上の新作批評に掲載された『淫らにさせて』(主演・森田美樹・一九八五年制作)の100点満点の総合点数
第8章 1位 『ビデオ・ザ・ワールド』1985年度ベスト10に選ばれた村西とおる監督作品『恥辱の女』の順位
第9章 4本 『SMぽいの好き』で主演・黒木香が陰部に挿入した指の本数
第10章 370年 村西とおるがアメリカ検察庁から求刑された懲役年数
第11章 3000万人 村西とおるが撮影時に証言するAVファンの人数
第12章 6人 村西とおると対峙したメリー喜多川副社長が会議室に乱入させた親衛隊人数
第13章 16歳 村西とおるが撮った主演女優の実年齢
第14章 ∞ 村西とおるが断言した清水大敬組の制作費
第15章 50億円 村西とおるが個人で負った借金の総額
第16章 8000万円 村西とおるの眼球毛細血管が破裂して血の涙を流して借りた金
第17章 4枚 村西とおるの息子がお受験で使った画用紙の枚数
第18章 21歳 村西とおるが男優として復活したときの相手役、野々宮りんの年齢
第19章 14億人 村西とおるが新たな市場として狙う中国の総人口
第20章 68歳 この書が刊行されるときの村西とおるの年齢
エピローグ
村西とおる年表
参考文献

 1980年代から90年代にかけて青春時代を過ごした者にとって、著者の名前を知らぬものはいないだろう。いたとしたら、ちょっと健全な生活を送っていなかったという証である。それほどまでに有名なアダルトビデオの帝王である。正直言って、知ってはいたがファンというほどの者ではなかった(というよりむしろあまり好きではなかった)のだが、Netflixでドラマ化されていたのを観て、そのあまりの面白さに手にした一冊。

 村西とおる監督と言えば、何より「ナイスですね」というちょっとふざけたような口調が独特で、それが故にあまり好きではなかったのだが、実は「顔面シャワー」や「駅弁スタイル」の生みの親だという。タイトルにもあるが、監督のみならず、カメラと男優もこなすスタイルは当時から知っているが、「前科七犯、借金50億円」という経歴も凄い。この分厚い本は、そんな村西監督を幼少時より描いていく。本人のインタヴューを経て書かれているそうである。

 初体験は、なんと中学1年だったという。しかも相手は同級生の小六の妹。中学時代にのべ200回はやったと言うから並ではない。父親は家を出てしまい、生活は苦しく色々なアルバイトをこなしたという。仕事では手抜きをしないという性格はこのころ培われる。福島から18の時に状況。バーに勤めるが、そこは現代で言えばホストクラブのような感じで、男遊びがしたい女性相手に酒とセックスコンテストの日々だったという。そしてこの時の相手から駅弁スタイルをものにしている。

 やがて英語の百科事典のセールスマンになるが、ここで頭角を表す。今の金銭価値で言えば、全20巻で100万円くらいだったそうであるが、それを売りまくる。街頭セールス、飛び込み、電話セールス。会社では10週間にわたって全国セールスマンコンテストをやっていたが、監督は6週目から参加し、なんと全国1位を獲得したという。その武器になるのが、のちの「ナイスですね」につながる「応酬話法」。目の前にあるどんなものでも売ってみせる自信があったという。

 目についたものをパッとセールスする練習をしていたというが、これは若かりし頃の大前研一のようである。本人さえその気ならば教祖になれたという。この人、やはり只者ではない。やがて、その目が当時勃興しつつあったビニ本に向かう。そして才覚を発揮し、北大神田書店グループを立ち上げ、一気に売りまくる。膨大な儲けを手にしたという。台湾で2週間豪遊して1億円を使ったそうであるから何よりスケールが違う。そして裏本にも進出。ビニ本と裏本で当時流通していたものの7割を北大神田書店が占めていたという。

 当然、違法行為で逮捕もされてしまうが、本人にはそれほど罪悪感はなかったらしい。と言うのも、違法とは言え、殺人などと違って海外では合法だし、絶対悪ではないという感覚があったようである。しかし、警察にはマークされ、集金未回収と使途不明金が重なり、倒産に至る。保釈された時の全財産は14,000円だったという。しかし、めげずに今度はやはり世に出て来始めていたアダルトビデオに進出する。

 時に1984年。当初はコペンハーゲンにロケしたりもしたそうであるが、出来栄えは散々。専門誌にも酷評される。しかし、「顔面シャワー」が衝撃を与え、注文が殺到。これは男優を務めていた助監督が、早漏だったためのアクシデントだったという。やがて黒木香の「SMぽいの好き」で不動の地位を獲得する。この頃の黒木香や沙羅樹、卑弥呼といった専属女優たちは懐かしい。

 ドラマでも描かれていたが、ハワイで逮捕され、懲役370年を求刑された内幕や、克己しげるやフォーリーブスの北公次の復帰の手伝いなんていうエピソードは知られざるもの。撮影現場では口より先に手や足が出るというタイプだったとか、24時間仕事体制でスタッフがみんな逃げ出したとか、とにかく分厚い本でエピソードが満載である。子供が難関有名私立小学校に入学し、取材が殺到したいうのも興味深い。

 様々なエピソードを通じて伝わってくるのが、物事を追求していくエネルギー。借金50億の何が凄いかというと、「それだけ借りられた」ということである。たまたまそのエネルギーがアダルトに向かったというだけで、他のビジネスに向かっていたら今頃企業を上場させていたかもしれない。ビジネスマンとして自分の仕事に生きるヒントが随所にあふれている。これは立派なビジネス書と言えるだろう。

 「お待たせしました、お待たせしすぎたかもしれません」の名調子。当時はあまり好きではなかったが、今だったら楽しく観られるかもしれない。改めて、村西とおる作品を観てみたくなる一冊である・・・




posted by HH at 00:00| 東京 ☔| Comment(0) | ビジネス/自伝・人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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