2020年07月08日

【歎異抄をひらく】高森顕徹 読書日記1167



第一部 『歎異抄』の意訳
第二部 『歎異抄』の解説
第三部 『歎異抄』の原文

 『歎異抄』とは、今から700年ほど前、親鸞聖人の高弟唯円が記したものである。親鸞聖人の教えが曲解されて広まっているのを嘆き、その誤りを正そうとしたものだという。その教えとは、名高い「悪人正機説」。「善人なおもて往生をとぐ,いはんや悪人をや」という言葉に代表される考え方である。その意訳および解説をしたのが本書である。

 実はこの『歎異抄』は、蓮如聖人の指示によって長年封印されてきたのだという。悪人が救われると誤解されがちなものだけに、「仏縁の浅い人には披見させてはならぬ」とされたのである。門外不出の秘本とされたのは、読者によっては自他共に傷つけるカミソリのような書と思われたようである。それが明治に入って広く知られるようになったらしい。

 そんな『歎異抄』の意訳と解説が続く。誤解を招く悪人正機説であるが、そもそも弥陀の救いには老いも若きも善人も悪人も一切差別しないというもの。ただ、誰でも救われるかと言えばそうではなく、唯一大事なのは仏願(本願=阿弥陀仏の請願)に疑心のない信心だとされる。しかし、この信心が実はわかりにくく、ただ信じればいいというものではなく、弥陀に救われた時に生ずるものらしい。

 善人といっても、己の善行で生死の一大事を解決できると自惚れる人はダメで、悪人といっても犯罪者を指すだけではなく、煩悩の塊たる者をいうらしい。つまり全人類である。かつて親鸞研究の第一人者たる東大教授でさえ、その解釈を間違えたというくらいなので、なかなか難しい。哲学と異なり、言葉は簡易だが、解釈は難しい。

 様々な誤解の中には、もっともらしいものもある。その主なものも説明されている。
1. 仏教の大事な経典や釈文を勉強しないものは浄土へ往生できない
2. どんな悪を犯しても救われるからと、少しも悪を恐れない者は往生できない
3. 一声でも多く念仏を励むのが良い
4. 供養する金品の多少によって死後の仏の大小に差が出る
 特に現代でも「4」の傾向は強いと思う。
 
 この本で盛んに強調されるのは「他力」。他力本願というと、現代ではあまりいい意味では使われない(つくづく親鸞の本意は理解されにくい)。しかし、本来は、弥陀による救いを絶対的に信じる他力信心にこそ焦点が置かれている。自力念仏で、自ら成仏しようとする考え方とは一線を置く。このあたり、ほかの宗派とは異なるところ。そのほかにもこの浄土真宗は独特である。例えば親鸞は妻帯しており、葬式・年忌・法要は死者を幸せにはしないという考え方などである。

 「南無阿弥陀仏」とは、阿弥陀仏が「すべての人を一人残らず絶対の幸福に救う」という誓いを実現するために作られた名号だという。普段、身近で知っていそうでいて実はよくわからない仏教。その中でも特に悪人正機説は誤解を招くと思う。一読しても本当に理解できたのかは怪しい。それでもわかりやすく説明されていることは間違いない。親鸞思想の入門書としては、最適だと思う一冊である・・・





posted by HH at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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