2020年07月09日

【自分を知るための哲学入門】竹田青嗣 読書日記1168



《目次》
第1章 哲学“平らげ”研究会
第2章 わたしの哲学入門
第3章 ギリシャ哲学の思考
第4章 近代哲学の道
第5章 近代哲学の新しい展開

 昔から興味はあるものの、なかなか難しい哲学であるが、まずは優しそうな本からどんどん読んでいきたいと考えている。そうした観点から選んだ一冊。著者もかつては哲学を難しいと感じていたという。ところが、フッサールの現象学を契機に一気に理解できるようになったという。そんな体験を自分もしてみたいものである。

 哲学とは何か。それはみんなが説明するが、たいていの答えは次第に難解な言葉の海に消えて行くという。それはまさに私も実感するところである。著者はそれを3つ示す。
1. ものごとを自分で考える技術
2. 困った時、苦しい時に役に立つ
3. 世界の何であるかを理解する方法ではなく自分が何であるかを了解する技術

 ここで、ものごとを自分で考えるとは、「習慣的な自分の考え方に逆らって考えること」
とする。これは目から鱗の感がある。哲学は孤立した知識としては何の役にも立たないという。本来ある人間の自己了解として生きられなければ全く無意味なものだという。難解な表現も、それを知らないうちは表現できなかった自分の中の何かを互いに表現し合い、そのことで新しい質の関係を他人と結ぶことができるとする。なるほどである。

 哲学の本質は、「哲学する」ことにあって、「哲学を知る」ところにはないという。哲学を学ぶことに意味はなく、「哲学すること」を学ぶ時にその本来的な意味を生かすのだという。このあたりの考え方は、これまでに触れてこなかっただけに新鮮である。哲学の歴史の中では、主観と客観の一致問題が大きなスペースを占めてきたという。主観と客観の一致が果たしてあるのかないのかという問題であるが、普通に暮らしているとそんなことは考えもしない。カント、スピノザ、フッサールの代表的な考え方が解説される。

 そして解説はギリシャから遡る。デモクリトスからソクラテス、プラトン、アリストテレス。そして時を経てデカルト、スピノザ、カント、近代哲学のチャンピオンヘーゲル。続くキルケゴール、ニーチェ、ハイデガー、そして現代思想。要点のみであるが、主客一致問題から一元論と二元論に至り、各哲学者たちがそれをどう考えてきたのかが語られる。それぞれ深く追求することはないが、各々の説明はわかりやすい。

 一元論と二元論との対立は、哲学の文章が複雑で難解なものになる大きな原因の1つだという。対立点ではどちらもうまい解決策は導けない。ギリシャでは、「世界は何からできているのか」という問いに答えるのが最初の思考だったという。これは一元論。それがデカルトになり二元論になる。それがスピノザが一元論を主張するといった流れ。このあたりは普段生活していく分にはまったく関係ないところ。でも面白い。

 こうして噛み砕いて説明されれば、それぞれの思想もそれほど難しいものではない。ただ、だからと言っていきなり著書を読めば、また複雑難解な言葉の海で遭難してしまうのだろうと思わされる。著者自身の著作も含めて、いろいろな本が紹介されている。そうしたものをもっと読んでいきたいと思う。哲学初心者にはとても優しい内容の一冊である・・・



posted by HH at 00:00| 東京 ☔| Comment(0) | 人生論・哲学・生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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