2020年07月16日

【遅いインターネット】宇野常寛 読書日記1170



《目次》
序 章 オリンピック破壊計画
第1章 民主主義を半分諦めることで、守る
第2章 拡張現実の時代
第3章 21世紀の共同幻想論
第4章 遅いインターネット

 著者は評論家。その昔、国語の授業では教材として評論の類はたくさん読まされたが、普段は積極的に読むということもない。たまたまであるが、手にしたのがこの一冊。

 冒頭から東京オリンピックの話が出る。著者は東京オリンピックに批判的。1964年の時は半世紀を見据えた都市改造や国土開発の青写真があったが、今回はまったく存在しない。「うっかり呼んでしまったオリンピックのダメージコントロールが実態」だという。それでも批判するだけではなく、理想の東京オリンピックの企画案は発表しているという。代替案を出すところはいいと思うが、残念ながらそれはこの本には書かれていない。

 リオデジャネイロ・オリンピックの閉会式では、東京へのバトンタッチが行われたが、そのクロージングの場での演出には「未来のなさ」を感じたという。日本は過去にしか語るべきものがない国になってしまったと著者は語る。「茶番を反復して再生産する目に見えない力の源泉」を破壊する必要があるのだとか。この本は、そのために「走りながら考える本」にするのだと宣言される。

 著者によれば、平成とは「失敗したプロジェクト」だという。それは政治と経済の2つの改革プロジェクトの失敗なのだという。2016年にトランプ大統領が誕生し、ヨーロッパではブレグジットが起こる。それを「境界のある世界」と「境界のない世界」という表現を使い、「民主主義というゲームは原理的に境界のない世界を支持できない」のが問題の本質と語る。ネットで出回るフェイクニュースについては、人々はそれを信じているのではなく、「信じたい」のだとか。その「信じたい」欲望のメカニズムにアプローチが必要だと語る。

 インターネット・ポピュリズムには少なくとも既存の民主主義は耐えられないとする。それ対して、著者は3つの提言をする。それは以下の通り。
 1. 民主主義と立憲主義のパワーバランスを立憲主義に傾ける
 2. 政治と国民とを接続する回路の多元化
 3. 自己幻想からの自立
 
 1については、民主主義は時として暴走するものであり、その暴走から民主主義を守るにはその決定権を狭めることだとする。著者は憲法改正に賛成なようであるが、「現時点ではリスクが高く慎重にならざるを得ない」とする。このあたり私の考え方と似ている。その意見はわかりやすい。2は意識の高すぎる市民化することと、意識の低すぎる大衆化することを回避し、本来の姿のまま政治参加を促す回路だとするが、これは少々分かりにくい。

 著者は吉本隆明の主張を取り上げ、「自己幻想(自己像)」「対幻想」「共同幻想論」という概念を説明して行く。その流れから自己幻想からの自立を主張するが、これも分かりにくい。タイトルにある「遅いインターネット」とは、フェイクニュースをはじめとして、垂れ流される情報の流れが人々に考えさせないようにしているため、その「速さ」を封印してゆっくりと情報を咀嚼して消化できるインターネットにしようというものらしい。

 そのために著者は、
 1. 自分たちのペースでじっくり考えるための情報に接する場
 2. 5年、10年と読み続けられる良質な読み物を置く場
 3. この運動を担うコミュニティを育成し、自分で考え、そして「書く」技術を共有する場
を作ろうと考えているらしい(実際にもう公開されている)。

 世界における自分の位置を正しく把握する「世界視線」と、自分が立っているこの場所に深く潜る「普遍視線」。「書く」という行為はこの2つの視線の往復運動を行い、前者の中に程よく後者を組み込むための試行錯誤だとする。こうした小難しい表現が果たして必要なのかどうなのかはわからないが、こうした小難しい表現が全体の趣旨をわかりにくくしていることは間違いない。

 「評論家」とはしばし、「言うだけ」で行動しない人たちを揶揄して言われるが、著者は論じるだけではなく実際に行動に移しているようである。そういうスタンスは「言うだけ」の評論家とは違っていいイメージがある。この本で主張していることに対し、共感できるところとできないところはあるが、総じてこの手の評論は面白いと感じる。己の知的好奇心を刺激するにはいい感じである。

 そう言う意味で、他の著書も読んでみたいと思わせてくれる一冊である・・・



posted by HH at 00:00| 東京 🌁| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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