2018年07月25日

【高田明と読む世阿弥−昨日の自分を超えていく−】高田 明/増田 正造  読書日記940



第1章 〈積み重ねる〉自己更新
第2章 〈伝える〉プレゼンテーション
第3章 〈変える〉革新
第4章 〈つなぐ〉永続

著者は、ジャパネットたかたの創業者。ある時、社員から「社長がいつも社内で語っていることがそのまま書かれている」と手渡されたのが、世阿弥について書かれた本であったという。著者も素直にそれを読んで共感し、本書に至っているようである。真理というものは、時を経ても変わらないものだと思うが、その見本みたいなものであろう。

著者は、世阿弥に共鳴できる点として以下を挙げる。
1. 仕事や日常生活に役立つプレゼンテーション論やコミュニケーション論
2. 不遇の時代をいかに過ごし、絶頂の時にいかに慢心を抑えるか
3. 他人の評価に一喜一憂することなく、自分の夢を追い続けるための心構え
個人的には、「昨日の自分を超えていく」という自己更新の考え方だろうか。「自分史上最高を常に目指していく生き方」という言葉は、とても良い響きがする。

「タイミング」という点で、世阿弥の「男時、女時」という言葉が紹介される。「男時」とは、勝負事において自分の方に勢いがあり果敢に攻める時とされる。「女時」は逆にじっと耐えてやがてくる男時に飛躍する英気を養う時とされる。これは自分も共感する。外部環境に変化が起きたら、自分ではどうすることもできない部分は諦めて自分でどうにかできることに集中するということは心しておきたいことである。

「悩みの99%は悩んでもどうにもならないこと」という考えは、その通りだと思う。こういう何気ないが、「そうだよなぁ」と思わされることがさり気なく語られるのが良い。世阿弥は能楽師ゆえにプレゼンテーションという部分で特に著者は、共鳴するところが多かったようである。そういう部分に関心がない自分としてはスルーしそうになったが、「自分の言い分だけ連呼していたら相手の心には届かない」という部分は、自分も感じるところがあった。

「我見、離見、離見の見」という考え方も然り。「我見」とは「役者(自分)の見方」、「離見」とは「観客(相手)の見方」、「離見の見」とは「役者が観客の立場になって自分を見ること」。相手の立場に立つということは簡単ではないが、いつの時代も真実なのだろう。
1. すべての独創は模倣から始まる
2. その時の正解が正解(一度うまくいった方法を惰性で続けてもダメ)
これらも共感できる真実である。

その昔、学生時代に『風姿花伝』を読んだことがある。今も本棚の奥深くで眠っているが、また引っ張り出してきて埃を叩いて読んでみようか。そんな気にさせられる一冊である・・・



posted by HH at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | ビジネス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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