2012年10月21日

【降霊会の夜】浅田次郎



浅田次郎の本は、『鉄道員(ぽっぽや)』を読んで以来、様々読んでいるが、これは『鉄道員(ぽっぽや)』以来続く“不思議系”の物語である。

浅間山のふもと、森に囲まれた別荘地、となると舞台はたぶん軽井沢。
もともと企業の保養所として使われていた家に、主人公の“私”は住んでいる。
雷が鳴り響く雨の日、庭先にいた女性を雨宿りさせる。
お礼に、とその女性梓がやはり西の森に住むミセス・ジョーンズを紹介する。

「会いたい人はいませんか。生きていても、亡くなっていてもかまいません。ジョーンズ夫人が必ず会わせてくれます」
冒頭からこんなセリフが出てくると、否応なしにその先に興味が持って行かれる。
『鉄道員(ぽっぽや)』も死者が現れる話だったが、これもそんなストーリーを思い浮かべてしまう。
自分だったら、誰だろう。
やはり祖父だろうかなどとひとりごちてみる。

もはや老年の域に達した“私”が小学生だった時代に話が遡る。
ストーリーを追ううちに、誰に会いたいのかが次第にわかってくる。
いままで誰に話すこともなかった苦い思い出。
心に澱のように引っ掛かっていた思い出が蘇る。
そしてミセス・ジョーンズに“招かれた”人がやってくる。

昭和の時代もいつのまにか遠い過去になりつつある。
それも比較的語られる事の多い戦時下の事ではなく、戦後の復興期の事、そして平和が定着した学園闘争の時代の事も、である。
そんな遠い過去になりつつある自分達の若かりし日々を、浅田次郎は書き留めているような気がする。

そんな時代を過ごした“私”。
ある程度の財産と地位を手に入れた今、心に残るのは過去の忘れもの。
ミセス・ジョーンズの降霊会で、その忘れものに“私”は向き合う。
例によってストーリーにはぐいぐい引きつけられる。

しかしながら、やっぱり共感感覚という意味では、少し自分の年齢が足りないような気もする。
きっと主人公と同年代になったら、もっとぐっと心にくるのかもしれないと想像してみたりする。
そういう意味では、まだ忘れものも少ないのかもしれない。

読み終えてつくづく今をしっかり生きたいと思った次第である・・・

posted by HH at 22:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 浅田次郎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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