2015年05月16日

【五郎治殿御始末 】浅田次郎



椿寺まで
函館証文
西を向く侍
遠い砲音
柘榴坂の仇討
五郎治殿御始末

浅田次郎の時代劇短編集である。
浅田次郎も幅の広い作家だと思う。
現代ものから中国のものや、はたまた時代劇まで。
そしてそのどれもが温かみをもって描かれている気がする。
そんなことから、期待して手に取った一冊である。

6編のストーリーはどれも独立したものだが、ただ一つ、時代が江戸の終わりから明治にかけてという点で共通している。
長く続いた侍の時代と新しき時代が交差する時代。
そこに戸惑いながら生きる人々が登場する。

「椿寺まで」は商家の旦那小兵衛とそのお供の新太の旅道中の話。
商人といいながら、夜道で追い剥ぎを返り討ちにする腕前を持つ旦那。
なぜ自分が共に指名されたのか疑問に思いながら、新太は初めての旅を楽しむ。
湯船に入り、偶然見てしまった旦那の背中の古い傷跡。
そしてやがて旦那に連れられてある寺へ行く。
そこで新太は、自分の出生の秘密を知ることになる・・・

「函館証文」は、明治政府の工部少輔として努める大河内敦が主人公。
ある時、自宅に名前に聞き覚えのない男が訪ねてくる。
会ってみれば、その男はかつて大河内と函館で敵味方に分かれて斬り合い、組伏せられた大河内が己の命と引き換えに千両の証文を書いた相手であったことがわかる。
約束の千両の支払いを迫る相手に、そんな大金があるはずもない大河内は1週間の猶予を願い出る・・・

「西を向く侍」は、幕府で暦法の専門家であった成瀬勘十郎の物語。
成瀬は、明治政府に仕官の可能性があるが、今は旧碌の1/10をもらい待命の身。
いつ新政府からお呼びがかかるともわからぬ中、日々を暮らしている。
そんなある日、新政府は新暦の施行を発表する。
それは成瀬が専門とする旧暦を否定するもの。
そしてそれはすなわち成瀬自身の仕官の道が閉ざされたことを意味するもの。
それを知った成瀬は、文部省へと出掛けていく・・・

「遠い砲音」は、毛利の支藩である旧長門清浦藩の土江彦蔵の物語。
新政府の近衛砲兵隊に将校として努めるも、家では旧藩主の世話を息子の長三郎とともにしながら暮らしている。
隊からは懐中時計を支給されているが、いまだに西洋式の時間に馴染めず、苦労を重ねている・・・

「柘榴坂の仇討」は、桜田門外の変で、井伊直弼の御籠回りの近習であった志村金吾が主人公。
護衛の失敗で両親は責任を取って自害し、以来13年、逃げた水戸藩士を追って仇討狙いの日々を過ごしている。
生活は困窮し、しかも既に幕府も藩もなくなり、仇討の意味はなくなってしまっている。
それでもある手掛かりを得た金吾は、目指す相手を訪ねていく・・・

タイトルになっている「五郎治御始末」は、回想録。
主人公の曾祖父から聞いた5代前の祖先岩井五郎治の話。
曾祖父は寡黙な人であったが、ある時、「自分は子供の頃死にそこなった」と語る。
そうして話されたのは、かつて桑名藩に仕えていた岩井五郎治の晩年の物語。

どの主人公も時代の端境期で苦悩する。
慣れない暦、慣れない時間。
今でこそ当たり前であるが、改めて当時は大変な変革期、混乱期だったのだろうと思わせられる。
そんな時代の主人公たちの物語は、どの物語も心に沁み入ってくる。

時代劇といっても、派手な剣劇はない。
どの物語も根底に切なさが漂う。
時代の波に戸惑いながら、それでも侍として生きる主人公たち。
よくこういう物語が書けるなぁと今さらながら感心してしまう。
これだから、浅田次郎はやめられない。
早く次を、と思わずにはいられない一冊である・・・

posted by HH at 14:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 浅田次郎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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