2016年07月09日

【小泉今日子書評集】小泉今日子



キョンキョンといえば、ほぼ同世代の私にとっては、なんてったってアイドル。今は亡きブラウン管の向こう側で華やかなスポットライトを浴びていたのを思い出す。さすがに今はアイドルではなく、たまに映画だとかドラマだとかで姿を見かける存在であった。そんなキョンキョンは、キョンキョンという愛称からしても、「書評」とは程遠い存在であるはずだったのだが、それがなんと立派な書評家だったらしい。

読売新聞を購読していない我が家では、それも無理からぬところなのであるが、小泉今日子はなんと読売新聞の読書委員を務めていたとのこと。さらにそれにとどまらず、「余人をもって代えがたい」と評価され、通常2年任期のところを5期10年務めたという。その文章を読んでみれば明らかであるが、「余人をもって代えがたい」のは、元アイドルという肩書きではなく、書評の実力であるから、これはもう驚き以外の何物でもない。

実際、文章を読むとそれも納得で、選挙で担がれるタレント候補などとは全く異なる、100%実力の結果である。そんな小泉今日子が本を読むのが好きになったのは、忙しかった10代の頃、人と話すのが億劫で、本を読んでいれば話しかけにくいだろうと本を読み始めたからだという。それほど親しくない人と話すのが、やはり億劫な私にはその気持ちがよくわかる。

冒頭の言葉が早速目を引く。10年読書委員をやり、自ら読み返すと、「その時々の悩みや不安や関心を露呈してしまっているようで少し恥ずかしい」と語る。そういうものを込められているのであれば、それは見事であると思う。そして続ける。「でも、生きることは恥ずかしいことなのだ。私は今日も元気に生きている。」素直な言葉が爽やかに伝わってくる。

肝心の書評はといえば、冒頭はそれらしくない。小泉今日子の独り言のような形で始まるのだが、実はもうそれが書評の始まりなのである。
「誰だって、昔は女の子だった。おばさんだって、お婆ちゃんだって。女の子という骨組みに贅肉のようなものを少しずつ纏って女になっていくのだ。」(『しゃぼん』-29歳の“女の子”の話-)
「人を愛する決心。愛される覚悟。本当の意味でそれを知っている女性は、今の世の中にどれだけ存在するのだろう。残念なことに私はまだそれを知らない。」(『沢村貞子という人』)
「嬉しい時、犬は尻尾を振る。あんまりにも嬉しいと、ブンブンブンブン尻尾が飛んで行ってしまいそうなほど激しく振る。」(『さくら』-サクラという犬の話-)

書評というのは、普通それを読んでそこで採り上げられている本を読もうか読むまいか、その参考にするものだと思う。これまでそれが普通だと思っていたし、自分の読む本は大抵そういう書評に影響されている。いい本に出会って、読んでよかったと思う本はたくさんあるが、その本を勧めてくれた書評を覚えているものは一つもない。だが、この小泉今日子の書評はちょっと違う。ページをめくるごとに、どんなことが書かれているかが気になるのだ。「どんな本が採り上げられているのか」ではなく。あえて「書評集」などと一冊の本にした意味はそこにある。

「小説は私のタイムマシーンだ。ページをめくれば、どこにでも、どの時代にも旅することができる。とても贅沢で、かけがえのない時間。・・・・・そんな思いで最後のページを閉じ、私はタイムトラベルを終えた。」(『漂砂のうたう』)
実にうまいと思う。そして流れるような文章とともに、この本を読んでみたいと思う気にさせられる。本を読んでいるのか、本を勧められているのか、よくわからなくなる。いつも持ち歩いている手帳には、「積ん読リスト」のページがある。これは、と思った本のタイトルを書き留めているのである。そのリストが一気に増えてしまった。

書評家小泉今日子オススメの本を、これからゆっくりと読んでいきたいと思うのである・・・


posted by HH at 20:22| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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