2017年11月12日

【勉強の哲学 来たるべきバカのために】千葉 雅也 読書日記856




第1章 勉強と言語−言語偏重の人になる
第2章 アイロニー、ユーモア、ナンセンス
第3章 決断ではなく、中断
第4章 勉強を有限化する技術

タイトルに惹かれて手に取った一冊だが、冒頭で著者はこの本について、「勉強が気になっているすべての人に向けて書かれている」と説明する。現代は何かあればすぐ検索でき、良い入門書が溢れていて、英語のニュースも読んでいてわからない単語があればクリックしてすぐに意味がわかるし、今日ほど勉強するのに良い時代はないとする。それを「勉強のユートピア」とするが、確かにその通りである。

この本は、最初に勉強とはこれまでの自己破壊だとし、次の章で「真理を目指すアイロニーと見方を変えるユーモア」という考え方を披露し、どのように勉強を開始するのかを説明する。それを「自分の現状をメタに観察し、自己アイロニーと自己ユーモアの発想によって現状に対する可能性を考える」と説明するが、そのままでは意味がわからない。ただし、この本を読んでいけばその意味が分かるようになっている。そして最後に「勉強とは何かの専門分野に参加すること」と教えてくれる。

哲学の本となると、とにかく「難しい」というイメージがある。簡単なことを難しく言うのが哲学というイメージがある。だが、同じ哲学の本でも著者の説明は丁寧である。そもそも我々は「環境」という「他者関係(自分以外のモノすべて)」に属している。その「環境」には「こうするもんだ」という目的(=環境のコードと呼ぶ)があって、これに順応・適応している状態(=ノリ、乗っていること)にある。勉強とはこれまでのノリから自由になる自己破壊であると定義するが、このように説明されると難しい言葉もよく理解できる。

環境から自由になり、外部へと向かうための思考スキルを著者は「アイロニー(漫才で言うツッコミ)」と「ユーモア(同ボケ)」と定義する。「アイロニー」は根拠を疑う。「本当にそうか」と。「アイロニー」は、言葉をはぎ取られた現実それ自体を目指す。ジュリエットではないが、バラはバラと言う名前がなくても甘い香りには変わりはないのである。そして「ユーモア」は見方を変える。

こういう風に考えると、哲学も面白さが伝わってくる。「環境に成約されて可能性を狭くしか考えられない状態から抜け出すために言語をもっと自由に使う=言語偏重になる。環境のノリによって即断せず、立ち止まって環境をメタに眺め、言語をアイロニー的、ユーモア的に使って別の可能性をたくさん考える」。これは賢くなることを意味するとする。著者はフランスの哲学者ドゥルーズの研究をしているというが、その考え方も取り入れているようである。

最後に勉強の仕方を教えてくれる。ネット社会とはいえ、「まともな本を読むことが勉強の基本」と説く。入門書を複数比較することが肝心で(「専門書の名前」「教科書」で検索するといいとする)、その次に教科書、そして基本書と辿るのが筋道だと言う。勉強を嫌にならずに続けるには「完璧主義」を避けることが肝要で、難しければ無理に納得しようとせず納得より構造をを分析するようにすべしと言う。どこまでが他人の考えで、どこからが自分の考えなのかはっきり区別して意識すべしとする。このあたりは参考になる。

哲学には興味はあるものの難しいのがネックになっていたが、その抵抗感が薄れた感がある。今何か勉強したいテーマがあるわけではないが、今後是非とも何か勉強してみたいと思っているので、その時の参考にしたいと思う一冊である・・・




posted by HH at 00:00| Comment(0) | 人生論・哲学・生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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