2019年11月01日

【孤絶 家族内事件】読売新聞社会部 読書日記1089



目次
第1部 介護の果て
第2部 親の苦悩
第3部 幼い犠牲
第4部 気づかれぬ死
第5部 海外の現場から

 普段、読売新聞を取っていないから知る由もなかったが、これは「読売新聞社会部」著とあるように、読売新聞で連載されていたものが書籍化されたものである。テーマは家庭内での事件。最近は子供の虐待がニュースを賑わせることが多い。社会で一番密接な社会単位であるはずの家族でなぜと思わなくもないが、それらの事件を1つ1つ取り上げた内容である。

 「介護の果て」は、文字通り老々介護をめぐる悲劇。冒頭から認知症の妻と7年暮らした男性が無理心中をしようとして自分は生き残ったケースが紹介される。81歳と80歳という年齢は、両親の年齢とほぼ同じであり、人ごとではない気がする。執行猶予付きの有罪判決を受けた男性を訪ねて話を聞いたものを紹介しているが、なかなか大変な取材だと思わされる。

 「親の苦悩」は、精神障害や病気、ひきこもりなどに悩んだ末に我が子に手をかけたケース。就職までは順調にいったのに、精神障害を引き起こしたケース。大変だろうけども何もなければいいのかもしれないが、暴力が伴うと穏やかではいられない。息子だけではなく、娘が暴力を振るうケースもある。 ひきこもりなどどうやったら防げるのかまるでわからず、我が身に起こったらと思うとゾッとする。

 「幼い犠牲」は、児童虐待。最近でも痛ましいケースが報じられている。事件が起これば児童相談所の対応のまずさが槍玉に上がることが多いが、限界もあるだろうし、なかなか難しいと思う。1つの事件だけを取り上げて対応が悪いと批判するのは簡単だが、実は似たようなケースで事件になっていないのも数多くあるのだという。どれが事件化するかなどわからないし、児童相談所の対応にも限界はあるだろう。それにしても、やはり子供が犠牲になるケースはやりきれない気持ちになる。

 「気づかれぬ死」は、孤独死。事件性がないという点では、まだマシと言えるが、誰にでも起こりうる問題であると思う。今家族がいるからといって大丈夫とは言い切れない。読んでいてやりきれなくなるということはないが、自分の親は大丈夫か、自分の場合はどうするかなど考えさせられるところである。

 最後に海外の事例が紹介されている。こういう問題に国境はないが、まぁいろいろとあるのだなと思わせてくれる。興味本位で手に取った本であるが、世の中のこと、自分のことをそれぞれ考えさせてくれる。無関心でいるわけにはいかないし、考える材料としてはこういう本も大事だと思わせてくれる一冊である・・・




posted by HH at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | ドキュメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月17日

【兵士は戦場で何を見たのか】デイヴィッド・フィンケル 読書日記1083



 著者は、ワシントンポストで長年記者として働き、ピューリッツァー賞を受賞したこともあるジャーナリスト。その著者が、イラク戦争に派遣されたある部隊について密着取材したのが本書である。ちなみに、本書の後編に当たるのが、『アメリカン・ソルジャー』というタイトルで映画化された『帰還兵はなぜ自殺するのか』であるという。そんな一連の従軍シリーズである。

 密着取材の中心となるのが、アメリカ陸軍第1歩兵師団第4歩兵旅団第16歩兵連隊第2大隊(通称16-2)。そしてそのリーダーであるラルフ・カウズラリッチ陸軍中佐。40代にさしかかるところで、その経歴でまだ部下を戦死させたことがない。2007年4月6日、ブッシュ大統領がイラクへの増派を発表する中、800人の兵士を率いてバクダッドに赴く。正確にはバクダッド東部のラスタミヤという「誰も行きたがらない」前線基地。既にイラク戦争開戦から1478日が経過していて、死者3,000人、負傷25,000人を数えている。

 最初にカウズラリッチ中佐が派兵を目前にして準備をするシーンが描かれる。それは
「不測の事態のための手引き」と称される冊子への記入である。その内容は、「火葬か土葬か?」、「墓地の場所は?」(カウズラリッチは「ウエストポイント」と記入する)、「棺に入れて欲しい私物は?」・・・というものである。つまり、戦死した場合の葬儀等の方法を書き記しておくものである。そしてその「不測の事態」が生じた場合、あらかじめ記入していた手引きの内容に沿って葬儀を行ってくれるのである。軍隊だからとは言え、実際に記入する立場となったら複雑であろう。

 「誰も行きたがらない」ラスタミヤで、カウズラリッチの部隊は、ハンヴィーと呼ばれるドアの重さが180キロもある装甲車輌に乗って警備に行く。そしてそれをゲリラが襲撃する。道端に手製爆弾(略称IED)が仕掛けられていて、米兵の乗ったハンヴィーが通るタイミングで爆破される。15万ドルの高価なハンヴィーが制作費わずか100ドルほどのIEDで破壊される。その描写がいちいち生々しい。「四肢は焼け落ち、骨が見えていた」「頭蓋の大半は焼け落ちていた」「上体は炭化が著しくそれ以上の解剖は不可能だった」そんな死に方はしたくないと思う。

 要所要所にブッシュ大統領の演説が挿入される。それは過酷な前線からすれば虚しく響く。中でもアパッチヘリの誤爆事件は生々しい。英国ロイター通信社が契約したバクダッド在住カメラマンがテロリストと間違われ、アパッチヘリの攻撃を受ける。助けに入った民間人まで誤射して子供まで巻き添えにしてしまう。わざとではないが、テロリストとすっかり間違われたその様子は、無実の人たちからしたら恐怖でしかない。アメリカ兵もイラクの人々も共にそこが「誰行きたがらない場所」になるわけである。

 目の前で仲間が焼け死ぬ。血が吹き出し、必死の救命処置中に脚の肉片が少しずつ床に落ち始め、うっかり蹴ってしまった小さな堅いものをよく見ると足の指だった。なんとか一命は取り留めたものの、火傷と四肢切断によって恐ろしい姿になってしまった兵士。そんな描写が続く。なるほど、『アメリカン・ソルジャー』で観たように、PTSDに苦しむ兵士たちがわんさかいるはずである。

 取材は2008年4月10日の日付までちょうど一年間にわたってなされる。その間、犠牲になった16-2の兵士は14名。巻末にはそのすべての写真が掲載されているが、誰もがごく普通の兵士であり、この写真を撮影した時には自分がラスタミヤで人生を終えるなんて夢にも思っていなかったと思う。最前線のありのままの現実を伝える迫真の内容。リアルな現実を知ることができる一冊である・・・




posted by HH at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | ドキュメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月23日

【日本が売られる】堤未果 読書日記1051



《目次》
まえがき いつの間にかどんどん売られる日本!
第1章 日本人の資産が売られる
第2章 日本人の未来が売られる
第3章 売られたものは取り返せ
あとがき 売らせない日本

 著者は、『ルポ貧困大国アメリカU』と同じ著者。こうしたルポを専門とする方のようである。今回の対象は我が国。「日本が売られる」というのは、一見どういうことだろうかと思うが、内容を読み進めていくと知られざる状況ばかり。ニュースで伺う表面の裏に知られざる事実があり、愕然とさせられる。冒頭で、「日本に住みたい」と語る米国人の話が紹介されるが、このままだと日本人がどこかよその国に住みたいと語るようになるかもしれない。

 最初に紹介されるのは「水」。水が売られるとは、水道事業の民営化。水道水が飲める国というのは、実は世界196カ国の中で15カ国しかないという事実に驚かされる。そのわが国で水道事業の民営化が進められようとしているが、各国の失敗例が紹介される。経営の効率化により水道料金が下がることが期待されたが、蓋を開けてみれば料金は高騰。財政の透明性も欠如し、再公営化に踏み切ったボリビアではそのコストは25億円に達し、これは25,000人の教師を雇い、貧困家庭12万世帯に水道水を引くことができる金額だという。

 わが国では、災害時の復旧費用は自治体と折半、かつ利益はすべて運営企業という形で「外資」が参入できる形だという。それ以外に土地、種子、牛乳と売られる例が続くが、基本的に買うのは外資である。この外資の参入こそが、大きな問題の根源に思える。種子については、農薬と遺伝子組換え種子がセットで売られる危険性が語られる。日本は世界3位の農薬大国だとは知らなかったし、ミツバチの生態系を破壊するなどという話は(しかもその埋め合わせはロボットみつばちにやらせるというから愕然とする)、やっぱり看過できない。

 高度プロフェッショナル制度の導入は、企業の思惑通りであり、外国人労働者の受け入れは目先の低賃金に目が行くと、大事な視点が漏れるという。すなわち、外国人も同じように年を取り、家族を育て年金を受け取るようになるという事実。介護の人件費は次々とカットされ、外国人で埋め合わせればと移民50万人解禁が歌われる。労基署の民営化案については、著者は企業側が取り締まる方に回ることになり、事実上機能しなくなると警鐘を鳴らす。

 カジノ法が通過したが、宣伝されているように外国人観光客向けなどではなく、その対象の8割は日本人であるという。カジノで負けた分についての貸付も認められ、さらにそれは貸金業法の適用外とされるという。これも運営側に立つのは外資を中心としたエンターテイメント業界大手とウォール街の投資家だという。

 毎年国庫負担が増加する国保の患者負担が増加する真の理由は、高齢者の増加ではなく、アメリカから買わされる高額の医療機器と新薬だという。他国の3〜4倍の値段だというから驚きである。外国人によって国保が食い物にされているのは最近よく耳にするが、本当に我が国はお人好しだと思わされる。読めば読むほど暗くなって行くが、一方で疑問も湧く。

 例えば、牛乳については農協を指定団体とする買取制度が成長ホルモン入り牛乳の販売を目論む外資の盾となるように説明されている。しかし、農協が我が国での意欲的な農家の独自販売を阻んでいる例は「ガイアの夜明け」などで再三採り上げられている。さらに民営化を推進する竹中平蔵氏を悪者扱いするが、そもそも公営事業の非効率経営が我が国の財政の足を引っ張っているからこその民営化であり、その視点が抜け落ちている。

 著者としては、イタリアの草の根政治革命や92歳のマハティール首相が消費税廃止した例、有機農業大国となりハゲタカたちから国を守るロシアの例などを参考として挙げているが、なんとなく外資を規制した方が早い気がする(もっとも我が国を食い物にするアメリカが黙ってはいないだろうが)。いずれにせよ、知らないというのは怖いものである。自分に何ができるかはわからないが、せめて世の中の動きにはよくよく興味と関心を持っていようと思わせてくれる一冊である・・・

posted by HH at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | ドキュメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月24日

【家賃滞納という貧困】太田垣章子 読書日記1023



《目次》
序章 家賃を滞納すると何が起こる?
第1章 誰もが「紙一重」の家賃滞納
第2章 そこにあるのは「甘え」なのか
第3章 家賃滞納の知られざる闇
第4章 家賃滞納が映し出すシングルマザーの実態
第5章 夢を持てない若者たち
第6章 家賃滞納で露呈する法律の不条理

 著者は司法書士。司法書士と言えば、登記実務の代行というイメージがあるが、実は法律事務も扱う。近年は過払金訴訟の代行などを行う司法書士(法人)のCMなどをよく耳にする。そしてこの本の著者が専門とするのは、法律事務の中でも貸家の明け渡し訴訟手続き。つまり家賃が払えなくなった賃借人を大家の依頼を受けて追い出す立場である。

 「追い出す」というとイメージが良くないが、著者は30歳の時に生後6ヶ月の乳飲み子を抱えて離婚し、その後6年間に渡って極貧生活の中、働きながら勉強して司法書士の資格をとったという経歴の方で、つまり家賃を滞納する人のことがよくわかる人。過払金訴訟は「お金を貸してくれるありがたさがわかっているのでやりくい」というくらいの人であり、「追い出す」というより「寄り添う」という態度でやられてきたようである。

 この本では、そんな著者が、「寄り添って」きた滞納賃借人の数々の事例が紹介されている。なにせ16年間にわたって述べ2,200件の経験というから、もう立派な専門家である。賃貸トラブルのパイオニアというのも大げさではない。不動産賃貸業に携わる立場としては、どうしても興味深くて手にした一冊である。

 そんな著者だが、家賃の滞納原因は一昔前は事業の失敗など単縦な理由が多かったが、近年は景気の低迷や年金受給年齢の引き上げ、定賃料物件の減少等様々な要因が混ざり合っていると語る。家賃滞納は「貧困の入口」と語るが、その通りだろうと思う。はじめに家賃滞納から強制退去までの流れが説明されるが、一般の人はあまり知らないと思うが、知っていると事例も理解しやすいだろう。

 紹介されている事例は、2,200件の中からどのような基準で選ばれたかわからないが、特別な事例ばかりではない。大手の広告代理店に勤めていて順風満帆だったのに独立して起業。ところが思ったようにうまくいかず、かと言って独立に反対していた妻にも言えず、蓄えが尽きると消費者金融で賄うも改善できず、家賃の滞納が始まるなんて例は、誰にでも起こりうることである。

 著者のようにシングルマザーとなると、滞納予備軍と言ってもいいくらいである。特に離婚後の生活費を相手からもらえないと悲惨である。そういう例では、子どもたちが成長していれば解決も容易。初めは独立した子どもたちに面倒をかけたくないと言っていた一人暮らしの母親が、著者の勧めで子どもたちに相談したところ、3人の子どもたちが協力して助けてくれた例はちょっとウルウルしてしまう。

 そんな実例の紹介に加えて、最近は家賃保証会社の登場により、身内の保証人であればやめろと言われそうな高額物件でも借りられてしまうという指摘もあったりして、ちょっと考えさせられる。事例の中には、他の人の教訓になりそうなものもいれば、どうしようもないダメ人間の例もある。そういうのは救うのも限界だろうと思う。

 自分には縁遠い世界の話だとして興味本位に読むのも良し、気をつけなければいけない教訓となる例もあり、極貧生活を送るシングルマザーの人などには困った時の解決方法のヒントになりそうな例もある。興味のポイントは人それぞれかもしれないが、一読の価値はあるかもしれない。

 今の社会の問題の一面を垣間見る意味でも、読んで損のない一冊である・・・



posted by HH at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | ドキュメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月30日

【4歳の僕はこうしてアウシュヴィッツから生還した】マイケル・ボーンスタイン 読書日記995



原題:SURVIVORS CLUB THE TRUE STORY OF A VERY YOUNG PRISONER OF AUSCHWITZ

 ナチスのアウシュビッツ収容所については、本や映画やドキュメンタリーなどで語り尽くされている感があるが、個人個人に限れば人の数だけその物語は違うわけであり、語り尽くされるということはない。これはそんな一個人の、それも当時4歳だった人の物語である。
 
 著者は、これまで自身の経験をあまり人に語るということがなかったそうである。それは辛い経験を思い出したくないという理由と、鮮明に覚えていないという理由があったそうである。それはそうだろうと思う。自分自身の4歳以前の記憶を辿ってみても、それはそんなに多くないし、断片的であったりする。それでも著者は自分自身がソ連軍によって解放された時の写真が悪用されているのを見てショックを受け、語ることにしたという。娘さんの手伝いを得て、取材によって曖昧な記憶を補い、完成させたという。その物語は、やはりショッキングである。
 
 著者が生まれたのは、1940年5月のポーランド。当時ポーランドは前年9月にドイツ軍の侵攻を受けてその占領下にあり、著者の家族が住んでいたジャルキという街もドイツ軍がすでに過酷な支配をしていたという。なんの理由もなく、大人も子供も射殺するナチスの蛮行はその様子を読むだけでも酷いものである。

 著者が結果的に生き残ったのは、運以外にないのかもしれない。その運の1つとして、著者の父がユダヤ人評議会というナチスが任命したユダヤ人支配のための組織の長だったことがあるだろう。父はナチスの将校を買収するという危険を犯し、可能な限り仲間と家族の延命に奔走したようである。どの家庭も庭に穴を掘ったりして財産を隠したというが、こうした逞しさが随所に溢れる。

 最後の最後に著者と家族は収容所に送られるのであるが、著者の父はギリギリまでそれを遅らせる。自分の家族だけ守るという行為は、一見利己的で許されざるようなことかもしれないが、同じ状況になったら誰でもそうするだろうし、そういう選択に追い込んだ方が悪いわけだし、「自分が同じ立場だったらどうするだろう」と考えさせられることしばしである。

 噂は千里を走るというが、既に強制収容所と虐殺の噂は届いていたようで、アウシュビッツに着いて最初にシャワーを浴びさせられた時、本当の水が出て来て安堵したという記述がある。そういうものかもしれない。わずか4歳の著者が収容所の子供棟に入れられるが、みんな腹をすかせているから体の大きな子が著者の食べ物をとってしまう。そんな中で著者が生き残れたのは、母が密かに食べ物を運んだからという。さらに女性棟に連れ込んで隠したというから、そういう深い愛情に守られたところがある。

 家族の無償の愛と窮地にあっても助け合う人たち。同じことができるだろうかと思わざるを得ない。それにしてもやりきれないのは、解放後に故郷に戻って来た時のポーランド人の差別意識。せっかくの我が家に帰って来たのに、そこは既にポーランド人に取られてしまっていて、著者と祖母は鶏小屋を見つけて雨風を防ぐ所とする。子供達は「石鹸にされていれば」と心ない言葉を投げつける。ナチスだけが悪者なのではないのだと感じる。

 遠い国の出来事ではあるが、人間の残酷さが随所ににじみ出ている。自分たちがいかに恵まれた時代と環境に暮らしているかが、改めて実感させられる。「知っておく」という意味でも、一読の価値ある一冊である・・・



posted by HH at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | ドキュメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月17日

【一等兵戦死】松村 益二 読書日記991



《目次》
戦線の序章
僕の参戦手帖から(1)
僕の参戦手帖から(2)
一等兵戦死
戦場の点
詩集戦線
上海戦線の余韻
戦線の土、故国の土

本書は、昭和13年に刊行された同年上期の直木賞候補″品だという。「戦後GHQによって没収、廃棄された幻の名作」というキャッチフレーズは、どうにも好奇心をそそるものがある。著者は当然故人であるが、自らの従軍体験談を語った1冊とあって内容も興味深い。

著者は、昭和12年夏に支那事変に際し応召され、11月には負傷し、そのまま病院を転々とした後、翌年3月に応召解除となったようである。その期間の短さを「はずかしいくらいである」と語るのは、当時の男の一般的な感覚なのだろうか。その後再び応召されるも、体が悪いという理由で返されてしまうが、それも「残念千万」とする。自分なら、「ラッキー!」と思ってしまうが、それはおそらく「今の感覚」なのだろう。

話は上海から始まる。上陸した著者は上海の街を興味深く観察する。「皇軍将士歓迎」「美人日本女性多数あり」などという謳い文句の酒場があり、そんな雰囲気が当時の魔都を想像させる。その夜、密かに酒場に繰り出し、応対したホステスは京城(ソウル)出身と語る。多くは語られていないが、背景事情をいろいろと想像してみると面白い部分である。

そして翌日から前線へ向けての行軍が始まる。当時は日中戦争の最中。日本軍は次々と中国軍を撃破して、後退する中国軍を追って戦線を拡大していた頃である。そんな背景を頭に思い浮かべながら読み進める。「まだころがっている支那兵の死体。陸戦隊員がとりかたづけにいそがしい」という表現に焦げ臭さをも感じるようである。

最初の頃は、当然前進する味方を追いかける感じである。次第に支那兵の死体の数が増えていく。破壊された建物や荒れた農地を見て現地の農民を気の毒に思う。時折吸うタバコのチェリーがなんともうまそうな雰囲気である。やがて小銃弾が目の前に音を立てるようになる。そして目の前で味方が銃弾に倒れ絶命する。

勇ましい戦闘の記録というよりも、生々しい従軍レポートといった趣のある本書。個人的には、途中の廃墟で紅茶を見つけ氷砂糖で飲んだとか、現地のクリークの水で炊いた米が臭くててたまらないとか、時に現地調達した野菜等を食べたりするという描写に興味を惹かれる。そしてやはり何と言っても戦闘シーンが興味深い。

と言っても、勇敢に敵を倒すというのではなく、次々と味方が銃弾に倒れて死んでいく描写が中心。撃たれた者が水を求めたり、「天皇陛下万歳」と言ったかと思うと、「お母さん」と言ったり。全体としては勝っていたのかもしれないが、戦死者も当然出ているわけで、特に親しい仲間が倒れれば、嘆き悲しむ者がいたりもするわけである。

そんな描写が続いていく。戦死は実に一瞬の出来事。倒れた味方を抱き起こすともう息絶えている。胸からは家族に当てた遺書が出てくる。突撃命令にしたがって飛び出すと、銃弾が頰をかすめ、「天皇陛下万歳」という声が聞こえる。子供から「おとうさん、どうか名誉の戦死を遂げて下さい」という手紙をもらったという戦友の話には深く心に響くものがある。

国がギリギリのところにあったのは十分に理解できるが、前線の名もなき兵士たちの営みに、今の自分たちの幸せを対比させる。つくづく、いい時代に生きているのだと思う。ありのままに書かれていることに、善悪は別として当時の最前線の兵士の様子がうかがえる。貴重な体験談だと思う。よくぞ現代に復刻してくれたものである。

直木賞候補も頷ける、一読の価値ある一冊である・・・


posted by HH at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | ドキュメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月09日

【ピーター・ティール−世界を手にした「反逆の起業家」の野望−】トーマス・ラッポルト 読書日記961



原題:Peter Thiel Die Biografie
はじめに――iPhoneはイノベーションではない
第1章 はじまりの地、スタンフォード大学
第2章 「競争する負け犬」になるな――挫折からのペイパル創業
第3章 常識はずれの起業・経営戦略――ペイパル、パランティアはなぜ成功したのか
第4章 持論を発信する――『ゼロ・トゥ・ワン』と『多様性の神話』スキャンダル
第5章 成功のカギは「逆張り思考」――スタートアップの10ルール
第6章 ティールの投資術――なぜ彼の投資は成功するのか
第7章 テクノロジーを権力から解放せよ――ティールのリバタリアン思想
第8章 影のアメリカ大統領?――トランプ政権を操る
第9章 ティールの未来戦略――教育、宇宙、長寿に賭ける
おわりに――テクノロジーがひらく自由な未来へ

この本で描かれているピーター・ティールは、シリコンバレーでその名を知らぬ人はいないというくらい注目されている起業家であり、投資家である。ペイパルの共同創業者、フェイスブックを創業から支える初の外部投資家、CIAやFBIを顧客に持つビックデータ解析企業パランティアの共同創業者という経歴は確かに凄い。さらに以前読んだ『ゼロ・トゥ・ワン』の作者だとは、この本を読むまでは忘れていた。いろいろなところでその名を目にするし、そんな人物に改めて興味を持って手にした一冊である。

ピーター・ティールは、もともと西ドイツのフランクフルトで生まれ、1歳の時に両親と米国に移住したのだという。子供の頃は成績優秀で、それはチェスの選手としても生かされていて、その腕前は13歳未満の部門で全米7位になったこともあるという。そんな優秀さから大学進学にあたっては、出願したハーバードを含む全ての大学から合格通知が来たという。そしてティールはスタンフォード大学を選び進学する。

20世紀哲学で学部を卒業し、ロースクールで法務博士号を取る。ニューヨークの法律事務所に就職するが、法学部生にとって憧れの連邦最高裁の事務官職には落ちてしまう。これが本人にとっては大きな挫折だったよう。そして一転してみんなが羨むエリート弁護士事務所を辞め、クレディ・スイスのデリバティブ・トレーダーとなる。この経験が後の投資家としての活動につながるのだろう。ここで3年働き、シリコンバレーに戻る。

友人や家族から資金を募り、自らのヘッジファンド「ティール・キャピタル」を100万ドルで立ち上げる。最初の投資はうまくいかなかったようだが、ソフトウェア開発者のマックス・レフチンと知り合い、ソフトウェア会社を創業する。最初は投資家として参加する予定だったが、レフチンに説得されてCEOに就く。これがのちに「ペイパル・マフィア」と呼ばれる創業メンバーを集めてペイパルになる。

ピーター・ティールは、「創業者のパラドックス」という持論を持っているという。それは、企業を創業するような者は、大企業の人事部長なら採用しないようなはみだし者が適しているというもののようである。普通の安定を求める者はサラリーマンになるのだろうし、これは真実だと思う。いい大学を出たからと言って、大企業に就職するにはいいかもしれないが、大企業を創業することは難しいということなのだろう。

ピーター・ティールは、自ら起業するというより誰かと組むというのを得意としているようである。「1人で全部やらない」「よく話し合う友人がいて、彼らと密に協力しながら仕事をする」というのが信条のようである。私自身もそういうタイプなので、考え方は理解できる。「誰と創業するか、ビジネスパートナーの選択は結婚のようなもの」という考え方はとても参考になる。

こうして創業したペイパルは自由闊達な企業文化を醸成し、今や流行になっているアジャイル型開発を徹底した最初のスタートアップになる。全社員が提案を出すことを求められる企業文化は自分の組織もこういうタイプを目指したいと思わされる。「毎日を自分が永遠に生きるかのように生きよ」という考え方は自分も心がけたいと思う。

ピーター・ティールの考え方で惹かれるのは、逆張り思考だろう。人の行かない道を行く、あるいは人と反対の道を行くという考え方は、自分も意識している。独占を目指し、他社との競合を避けるのは、利益を考えるなら当然である。それをやらずに模倣に走るのは、独自のアイディアはそう簡単に思いつくものではないし、わざわざ苦労して考えるよりも模倣した方が楽だからだろう。考えるのを放棄していることに他ならないと思う。「最良の企業は独自のマーケットを創出する」という言葉は大いに意識したい。

トランプ大統領を支援したのも逆張り戦略の一環なのだろう。その良し悪しは別として、そんなところにも一廉の人物であることが伺える。また、ティール・フェローシップを創設し、18歳から20歳の若者に10万ドルの創業資金を提供しているが、その唯一の条件が「高校または大学を中退すること」だと言う。こういう人物だからこそ、スケールの大きな成功を収めるのだろう。

こういう大人物の考え方を知るのは、大いなる刺激である。その考え方を少しでも取り入れたいと思う。今後の活躍もウォッチしていきたい人物である・・・




posted by HH at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | ドキュメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月27日

【知られざる皇室外交】西川恵 読書日記941



第1章 宮中晩餐会では「誰に対しても最高のものを」がルール
第2章 昭和と平成、皇室2代にわたるミッテランとの友好
第3章 皇室外交の要としてのおことば
第4章 美智子妃とヴァレリーさんの頬ずり
第5章 英王室と皇室の長く深い縁
第6章 終わりなき「慰霊の旅」
第7章 国際政治に寄せる両陛下の関心

天皇陛下が普段何をされているのか、なんとなく「国事行為」というくらいの知識はあるが、具体的にはあまりよくわかっていないというのが、国民の大半の実情ではないかと思う。当然、興味がないわけではなく、まったくの興味から本書を手にした次第。

ここでは天皇陛下の役割のうち、タイトルにある通り「外交」に絞って紹介したもの。ただし、現行憲法では天皇陛下は「象徴」であり、政治や外交とは一線を隔てられていて、あくまでも「国際親善」と位置付けられている。宮内庁的には「皇室外交」という言葉そのものが違うということらしい。ただ、それはあくまでも「日本国内の見方」であり、諸外国は天皇を日本の国家元首として迎え、両陛下の訪問に政治・外交的な意味を付与しているという。そこに彼我のズレがある。

皇室の外交儀礼の特徴は、「どの国も平等にもてなすのがルール」となっていることであり、「誰に対しても公平・平等に最高のもてなしをする」というものであるという。当たり前じゃないかと思うのだが、実は国際基準からするとそうではないという。相手国の位置付けによって差をつけるのが当たり前で、それはかの英国王室でさえそうなのだというのである。驚きであると共に、我が国の皇室のやり方に誇らしい気も湧いてくる。

皇室での晩餐会となると、フランス料理が基本なのだという。これは明治維新時に外交儀礼はフランスを範とした名残だという。世界の一流国となった今、和食にすればいいのにと思うが、実は和食はフランス料理よりコースが多く、かつ使われる和食器の数も様々多岐にわたり、百数十人分用意しなければならない晩餐会などに対応できないのだとか。へぇぇと思ってしまう。

外国の賓客の訪問形式は、「国賓」「公賓」「公式実務訪問」「非公式訪問」と分かれていて、最もランクの高い「国賓」は国の元首に限るのだとか。首相が訪問しても国賓待遇にはならないというのも面白いものである。最近では君主制の国の数が減っており(193カ国中、英連邦を除くと30カ国)、日本の皇室はその長い系統を保持していることで各王室の中でも敬意を集めているのだとか(皇室に匹敵するのはバチカンのローマ法王だけ)。

そうした話を読んでいくと、少なくとも対外的に日本の皇室の存在感というのは、かなり日本の国益に貢献しているのだとわかってくる。天皇陛下の各国首脳・元首との交流も多々紹介されているが、さすがに皇太子時代から長いので、アメリカの歴代大統領をはじめとして、フランスのミッテラン大統領とかエリザベス女王とか、この交流の例は数多く興味深い。

天皇陛下が外国を訪問した際、その国の慰霊碑等に参拝するようであるが、これは「相互主義」が国際ルールだという。しかし、日本の場合、海外の賓客は靖国神社を参拝できず、これが「慰霊の相互主義」に影を落としているのだとか。こんなところにも影響があるのかと驚く。また、日本の新聞における国際感覚の欠如を著者は嘆いているが、さもありなんと思う。メディアは陛下のお人柄のようなことしか報じない。確かに言われてみればの感はある。

外国を訪問した際、天皇陛下が訪問するのと、皇太子などが「天皇の名代」として訪問するのとでは扱いが違うのだという。高齢を理由に天皇陛下が退位を決めたのも、こういう事情があるのだという。そう言われれば説得力はある。国内の建前がどうあろうと、宮内庁が「皇室外交」という言葉はあり得ないと否定しようと、日本の国益や政治・外交の脈絡から乖離した両陛下の訪問はあり得ないというのもよく理解できる。

外国からの賓客のもてなしも我が国にとっては重要な行為であり、コロコロ変わる首相ではなく、長く一貫した皇室が大きな役割を果たしているのもよくわかる。皇室について何かを議論する時に、こうした事実を知らずして議論するのは的外れになるだろう。
まさに、「知られざる」という言葉がぴったりの、皇室外交を知る一助となる良い一冊である・・・



posted by HH at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | ドキュメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月09日

【食いつめものブルース −3億人の中国農民工−】山田 泰司 読書日記900



プロローグ 食いつめもの
第1章 希望(五輪・万博)
第2章 爆買いとPM2.5
第3章 異変
第4章 夢の国と夢の死(ディズニー)
第5章 彷徨
第6章 初めての海
エピローグ 農民工たちはどこへ行くのか

 近年、経済発展でついに世界第2位の経済大国となった中国。日本でも観光客がやってきて、「爆買い」が話題になるなどしているが、その一方で13億の国民の中には貧しい人々も大勢いる。そんな爆買いとは無縁の貧しき人々の姿を追ったドキュメンタリー。何となくネットで見つけた記事に興味を持って手にした一冊である。

 著者は、現在地上海に暮らすライターのようである。1988〜1990年に北京大学に留学して以降、香港で記者をされていたりという経歴を見ると、ほぼ私と同年代のようである。しかし、あまり裕福ではないようで、自ら「食いつめもの」と自虐的に語り、しかしそれゆえにこそ同じ「食いつめもの」である中国人たちと仲良くなり、その実態を伝えられるのかもしれない。

 ここで登場するのは、上海に暮らす農民工の人たち。農民工とは、もともと地方に戸籍があるものの、地元を離れ都会である上海に職を求めてやってきた人々のこと。ここでは特に上海で暮らす安徽省出身の人たちが採り上げられる。安徽省と言っても、我々日本人にはピンとこないが、上海に隣接する省のようである。

 安徽省の人たちがなぜ都会(上海)に出てくるかと言うと、地元では農業をしているから食うことはできるが、「それだけだから」だと登場人物は語る。「農民の年収より上海人の毎月の年金の方が多い」となると、「やってられない」と思うのは当然かもしれない。そして男たちは出稼ぎに行き、安徽省の農村には「留守児童」と呼ばれる子供達が溢れる。

 そんな出稼ぎの農民工たちだが、受け入れる上海人たちは安徽省人に対しては罵詈雑言を浴びせるほどバカにしている。その背景には、上海に住む人たちのおよそ3人に1人は安徽人と言われる状況があるようである。上海の人口は1,900万人(2009年末)というから東京よりも多い。その三分の一が農村出身で、出稼ぎの肉体労働者というのもすごい気がする。

 そうした総論的な話もいいが、著者が紹介するのは具体的な名前を持った人々。それもゴミ拾いをしたり、家政婦や食堂で働いたりする人々。ほとんどが高い家賃を払えなくて、取り壊しが決まった廃墟などに住んでいる。驚いたことに、そんな廃墟でも安いながら「家賃を払って借りている」という事実。中には部屋の中に間仕切りのない状態で便器が置いてあったりするところもあって、そんな部屋でも家族が暮らしているという事実。

 単に貧しいということだけでなく、社会にある不平等にも驚く。中国の一人っ子政策はよく知られているが、実は2人目以降になると、罰金を取られるのだという。それだけではなく、シングルマザーも子供が1人でも罰金対象になるのだとか。そしてその罰金は決まった金額ではなく、役人が値踏みして決めるのだという。なので「コネ」がないとかなりの大金を取られてしまうらしい。

 また、ここで描かれる中国人の考え方も興味深い。稼いだ金は自分のためには使わず子供のために使う。登場してくる廃品回収をしている人物は、身につけているものはすべて拾ったもので廃墟に暮らしながら、子供の勤め先には大金を出資したりしている。気持ちはわからなくもないが、微妙な気持ちである。

 普段知ることもない中国の片隅の様子は、どれもこれも興味深い。日本はまだまだはるかに恵まれているのかもしれない。こういう中で暮らしているからこそ、中国人は逞しいのかもしれない。ここに登場する中国人はほんの一部でしかないが、これもまた中国の現在の一面でもあり、興味深い。知られざる中国を垣間見ることができ、興味のある人には実に面白いドキュメンタリーである・・・


posted by HH at 00:00| Comment(0) | ドキュメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月02日

【チェルノブイリの祈り 未来の物語】スベトラーナ・アレクシエービッチ 読書日記897



第1章 死者たちの大地
第2章 万物の霊長
第3章 悲しみを乗り越えて

 「チェルノブイリ」と言えば、1986年4月26日に発生した史上最悪と言われる原発事故の代名詞である。今でこそだいぶ実態はわかってきているが、当時は旧ソ連の鉄のカーテンの向こう側の出来事ということで良くわからなかった記憶が残っている。今でこそ、福島の事故を経験しただけにその恐ろしさも実感としてわかるが、そんな大事故の関係者の声を集めたドキュメンタリーが本書である。

 冒頭から、亡くなった消防士の妻の証言が出てくるが、この内容は実に衝撃的である。消防士の夫は、原発での火災発生を受けて消火活動に出かけていく。しかし、何も警告を受けておらず、通常の家事と同様、家を出る時はシャツ一枚という出で立ち。火災発生は午前1時過ぎ。そして7時に夫が病院にいると連絡を受けて、妻は病院へと向かう。しかし、その時点で消防士の夫は全身が腫れ上がり、むくんで目はほとんどなかったと言う。強烈な放射線をもろに浴びた結果である。

 致死量が400レントゲンであるところ、この消防士は1,600レントゲンを浴びたと言う。病院に運び込まれてもほんの慰め程度の治療しかできない。身体中がひどい状況になってついに息絶える。その間、体から発する放射線を警戒して、妻も近づくのを禁止されるが、妻はそれを振り切って看病する。そして亡くなった後は、亜鉛の棺に入れられハンダ付けをし、上にコンクリート板が載せられたという。

 当時は消火に当たった人もほとんどきちんとした説明を受けていなかったようで、それも恐ろしい。報告を受けた地方幹部が、自らの責任に及ぶことを恐れて中央にきちんと報告をしなかったというのも対応が遅れる原因だったようである。証言は、被災地から避難せざるを得なかった人たちや、避難指示を無視して住み続ける老婆の証言などにも及ぶ。このあたりは比較的冷静に読んでいられる。それにしても、住人が避難して空き家になった家が略奪に遭う話には気が滅入る気がする。

 兵士たちは、命令されれば行かねばならない。事故の処理にはロボットも使われたらしいが、(おそらく強力な放射線の影響で)日本製でも5分でストップしたらしい。故障しないロボットはロシア製(=人間)という自虐的な説明が恐ろしい。兵士たちは、車や報奨金をもらって喜んで危険な仕事に従事する。兵士の1人が、被っていた帽子を2歳の子供が喜ぶのであげたところ、のちにその子が脳腫瘍の診断を下される。絶句、である。

 避難して行った人たちも、避難先で差別に遭う。皆放射能を恐れたのだと思うが、避難して妹の家に行ったところ、中に入れてもらえず子供と2人で野宿したという話もある。自分の家にも子供がいればわからなくもないが、やりきれない。放射能の恐ろしいところは、匂いもなく目にも見えないところだろう。だから人々にも危機感がない。ガイガーカウンターのみがそれを知らせてくれる。そしてその針が振り切れたという話が随所に出てくる。

 原発はそうした人力の作業の結果、石棺で封印されて現在に至る。しかし、まだ恐ろしいのは、その石棺の中では衰えることなく放射能が発せられ続けていること。石棺が老朽化すれば、また同じ悪夢が蘇る。石棺には隙間があり、隙間と亀裂の総面積は200平方メートル以上だという。その隙間から放射性アエロゾルが吹き出ているらしい。そんな事実にただ愕然とするだけである。

 日本の福島はここまでひどくはないが、それが人類の進歩なのかどうかはわからない。ただ、読んでいろいろな人の生の声を聞いて考えてみるのもいいことだと思う。それは決して過去の話ではなく、まだ未解決の現在の問題でもあるからである。
 やっぱり原発は何があっても廃止すべきだと、改めて思わされる一冊である・・・



posted by HH at 00:00| Comment(0) | ドキュメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする