2017年09月04日

【キャスターという仕事】国谷裕子



第1章 ハルバースタムの警告
第2章 自分へのリベンジ
第3章 クローズアップ現代
第4章 キャスターの役割
第5章 試写という戦場
第6章 前説とゲストトーク
第7章 インタビューの仕事
第8章 問い続けること
第9章 失った信頼
第10章 変わりゆく時代の中で
終 章 クローズアップ現代の23年を終えて

著者は元NHKの「クローズアップ現代」のキャスター。実はこの番組があるのは知っていたが、ほとんど見たことがない。著者のことも顔を見たことがある程度である。番組自体23年も続いていたということで、ずっとキャスターを務めていたという事実には、やはり興味を惹かれて手にした次第。一つのことを続けてきた経験からは、傾聴に値するものもあると思うのである。

もともと帰国子女で英語ができたという著者。NHKの海外向け英語ニュースを読む仕事を頼まれる。その後、ニュースの翻訳などを手伝ううちに、デレビに出る仕事に誘われる。それを「(日本時間では)深夜の時間帯で誰も見ていないから」という理由で引き受け、やがてそれが高じてキャスターとなる。

クローズアップ現代は、番組としてはスタジオを重視しているという。そして著者が重視するのは、「言葉の持つ力」。キャスターとして、「想像力」「常に全体から俯瞰する力」「ものごとの後ろに隠れている事実を洞察する力」だという。テレビの報道に対しては、個人的に否定的にしか見れていないので、考えている人は考えているのだと思わされる。

テレビ報道には3つの危うさがあるという。
1. 事実の豊かさをそぎ落としてしまう
2. 視聴者に感情の共有化、一体化を促してしまう
3. 視聴者の情緒や人々の風向きにテレビの側が寄り添ってしまう
1については、分かりやすいメッセージだけを探ろうとし物事を単純化することだとするが、これはよくわかる。「偏向報道」などその最たるものだろう。

やはり話の中心になるのは、クローズアップ現代。番組に携わることになった経緯から、その時々の経験。特に著名人とのインタビューの経験談などは興味深い。PLOのアラファト議長や高倉健との部分は、実に印象的である。また、直接のインタビューは例外的なようで、大半はいろいろなテーマについて、取材に基づいて報じるというスタイル。そのため、「キャスターの役割は視聴者と取材者の橋渡し」とする。

取材してきたものを関係者全員で試写し、議論する。そしてその結果を編集し、全体試写を前日と当日行い放映というパターンだったそうである。それが月曜から木曜日まで。なかなか大変であっただろうと思う。著者は初めこそ当日の全体試写のみの参加であったが、やがて前日試写から参加することにしたという。そこには、「最終的に視聴者と向き合うのはキャスター」という思いが著者にあったからだろう。

税金の無駄遣いを問題視していたら、それが公共サービスの民間委託による経費削減へと繋がり、それが労働者の非正規化を招き、次に格差、貧困といった問題が生じる。ものごとは一面だけでは捉えられないわけで、伝える方も難しいと思う。その中にあって、「自分の言葉で語る」というスタンスをとる著者の姿勢から、仕事に対する真剣さが伝わってくる。

もっと早くこれを読んでいたら、クローズアップ現代ももう少し見ていたかもしれない。なんであれ、その道を極めた人の話からは、得るものがあるものだと改めて思わされた一冊である・・・



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2017年07月12日

【野村證券第2事業法人部】横尾宣政



第1章 ノルマとの闘い
第2章 「コミッション亡者」と呼ばれて
第3章 「主幹事」を奪え
第4章 ブラックマンデーと損失補填問題
第5章 大タブチ、子タブチ-「ノムラな人々」
第6章 やりすぎる男
第7章 さらば、野村證券
第8章 オリンパス会長の依頼
第9章 事件の真相
第10章 国税との攻防
第11章 逮捕-私は闘う

 著者は、元野村證券の社員で、独立後オリンパスの巨額粉飾決算事件で指南役として逮捕された人物。しかし、ご本人は無実を訴えられており、この本は自身の野村證券での日々を回顧しながら事件の真相を語った一冊である。

オリンパスの巨額粉飾決算事件については、以前事件が発覚する経緯となったジャーナリストの本(『サムライと愚か者 暗闘オリンパス事件』)を読んでいたが、その本の中で、「奇妙なコンサルティング会社」として描かれていたのが著者が独立後に設立した会社であると思う。1つの事件を角度を変えて見るというのも面白いことである。

著者は77年に京都大学を卒業して野村證券に就職する。しかし、当時の学生によくありがちで、あまり実態はよくわかっていなかったようである。多少厳しい方が自分のためにもなると考えたようだが、入社して早々に「ここまで厳しかったのか」と焦るも後の祭り。最初の配属店である金沢支店に行くと、上司が成績の悪い課長代理を奥さんもろとも怒鳴りつけているところを目撃する。かなり衝撃的である。

オリンパス事件の真相よりも、はっきり言って著者の経験談の方がはるかに面白い。「ノルマ證券」と揶揄され、入社した社員の半分が辞めて行く環境の中で、著者は実績を上げて行く。売れない=客が損をする投資商品を売るわけであるが、買った瞬間に損をしてあとは基本的に下がるだけという商品に厳しいノルマを果たして売らせる野村證券のスタンスがすごい。

客に損をさせることに耐えられない者は辞めていき、平気なものが実績を上げて出世して行く。著者もその1人であるが、それでも「20億出してやるから君の名前で株を買え、損は全部被ってやるし、利益は全部取っていい」とまで取引先に言わしめるのだから、単なる金の亡者(野村證券ではコミッションの亡者と言われたらしい)ではなかったのだろう。転勤の時、損をさせた取引先の社長に「オレの数億、無駄にするな。立派になれよ」と声をかけられたと語るが、そこまで信頼関係を築いていたわけである。

そしてタイトルにある第2事業法人部へ転勤となる。いろいろと事情はあったようであるが、異例の出世とも言えるわけであるが、ここでも著者は創意工夫を繰り返して行く。時に世はプラザ合意の金融混乱期。創意工夫といっても、勉強と研究のベースがなければできないはずで、詳しくは書かれていないものの、影なる努力はかなりあったのであろう。

そして独立する。残っていても役員には慣れたのかもしれないが、実績のためには社内を敵に回すことも厭わなかったようなので、軋轢もあったのかもしれない。ついて来た部下とともにコンサルティング会社を立ち上げる。問題となったオリンパスとは、野村證券時代からの付き合いだったが、粉飾の中心人物である山田秀雄氏とのやり取りも詳細に語られて行く。

事件の真相は、当事者にしかわからない。ただ、著者の言葉を信じれば、うまくオリンパスの山田氏に利用されただけであり、著者を悪人と決めつけた検察側がシナリオを創作して有罪にされたとなるのである。その前に国税が著者が関わった節税スキームを「シロ」と断定しながら、膨大な調査費がかかっていることもあり、「お土産」として200億ほど納税しろと言ってくるシーンがある。これを拒否した野村證券は、国税に損失補填で訴えられてしまう。官がすべて正しいと盲信するのも控えた方がいいかもしれない。

著者によれば、オリンパスの粉飾決算事件は、山田氏が中心となった投資で損失が発生し、それを糊塗しようと長年画策し、ついには暴露されてしまったのが真相。一度はオリンパスの損失穴埋めを得意の創意工夫で利益を上げてやってのけた著者は、山田氏に頼られそしていいように利用されたということらしい。入社以来の著者の経歴、考え方、国税や検察の考え方・行動等を読んで行くと、そこに嘘はないように思える。

ただ、正直いってあまり真相には興味はない。ただ、今とは比べものにならない労働環境下で、実績を上げて来た1人のビジネスマンとしてのスタンスには学ぶべきところがあると、個人的には思う。そういう部分で刺激を受けたという意味では、一読の価値ある一冊である・・・



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2017年03月16日

【コシノ洋装店ものがたり】小篠綾子



プロローグ 父と私、私と娘-コシノ家の生き様とは
第1章 女にしか出来ないこと
第2章 父と娘の二人三脚
第3章 男と女-夫婦というもの
第4章 別れと出会い
第5章 恋という名のあだ花
第6章 我が子との戦い
エピローグ 私の道はまだ続く-三姉妹から四姉妹へ

著者は、国際的なファションデザイナーであるコシノヒロコ、ジュンコ、ミチコ姉妹の実母。国際的なファッションデザイナーを3人も育てた方ということで、興味をもって手にした一冊。そろそろ将来のことも考え始める我が娘に、何か参考になることはないだろうかという思いがあったこともある。読んでみれば、なかなかユニークな人生を歩んだ方のようである。

著者が生まれたのは、大正2年。場所はだんじりで有名な大阪、岸和田。子供の頃は男の子と一緒になって遊んでいたという。それどころか、男の子と取っ組み合いの喧嘩をしたりもしたらしい。「男女七歳にして・・・」の時代にこれはかなり異例のこと。その日、学校に呼び出された後、家に帰り父親にぶん殴られたという。それ以後、男の子とは遊ばなくなったというが、この時好き勝手ができる男の立場を理不尽に感じたらしい。

そしてある日、ミシンの噂を聞きつけ、わざわざ置いてある店に見に行ったという。そしてそれに興味を惹かれ、毎日店に日参する。外から毎日眺められたら店の方もたまったものではなく、中に入れて見せてくれたらしい。そこからさらに店の手伝いを始めてしまう。他人の店で男に混じって女の子が働くことが正常ではない世の中、随分軋轢があったようである。父と対立し、女学校を辞めてその店に通い出す。

こうして著者は洋裁の道へと踏み出す。最初は奉公人としての立場であり、ミシンなど触らせてもらえない。ところが店の主人の計らいで、夜中に使わせてもらえるようになる。なんとも時代を感じさせるエピソードである。やがて独立し、コシノ洋装店を開店する。当時は男社会。女は家で家事をするものという世の中。相当珍しい存在だったのであろう。ただ、扱っているものが流行り始めていた(男が手を出しにくい)女性の洋服だったからよかったのかもしれない。

店も軌道に乗ってくると、著者は多忙な日々を送る。しかし、世の常識として結婚という問題が生じる。著者を見初めたという人が婿養子になる形で結婚するが、親の決めた相手との結婚で、しかも式の当日まで仕事をしていて、新郎を待たせたというから、ホントに何から何まで異例づくしであったのだろう。そして3人の娘たちが生まれる。

この結婚は、しかし夫が戦死するという形で終わりを告げる。さらに父親も死に、著者はコシノ家を一人で背負う立場となる。女手一つと言っても、著者の腕はかなり太い。商売も大きくなるが、ここである人物と不倫関係になる。今でも多少はそうだが、当時不倫となると世間の目は冷たい。子供も3人もいる中で、しかし著者は初めての恋に浮かれる。実に人間臭い方である。

年頃になった娘たちが、ファッションの道を歩むのも、著者が仕向けたわけではない。それでも多分、子供の頃から見ていた母親の後ろ姿が影響したことは間違いないだろうと思う。まるでドラマのような人生が描かれる。つくづく、人は考え方だと思う。時代の中で、多くの女性たちは普通に結婚して専業主婦となって夫を支え子供を育てるという人生を送っていただろう。著者はそれに反して、無人の荒野を誰の目を憚ることなく駆け抜けたのである。できない言い訳を次々に考え出す人には到底送れない人生である。

世の中に対するチャレンジという意味では、十分先駆者と言えると思う。そんな先駆者の人生を時代背景とともに読んでみるのも面白い一冊である・・・



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2017年03月07日

【赤めだか】立川談春



「これはやめとくか」と談志は云った。
新聞配達少年と修業のカタチ
談志の初稽古、師弟の思い
青天の霹靂、築地魚河岸修業
己の嫉妬と一門の元旦
弟子の意欲とハワイの夜
高田文夫と深夜の牛丼
生涯一度の寿限無と五万円の大勝負
揺らぐ談志と弟子の罪-立川流後輩達に告ぐ
誰も知らない小さんと談志-小さん、米朝、ふたりの人間国宝

著者は立川談志の弟子である落語家。俳優としても活躍していて、私も顔を見ればあの人かとわかる方である。そんな著者が、自らの半生を綴った自伝。

もともと著者は競艇に興味を持っていて、競艇の選手になろうと思っていたようである。ところが身長制限に引っかかってアウト。競艇選手は小さくないとダメらしい。時に世の中は大漫才ブーム。ところが著者は図書室で見つけた落語全集に興味を持つ。そして寄席に行き、出会った談志の追っかけを始める。そして弟子になるなら志ん朝か談志かと悩んでいた時、談志の「芝浜」を聞く。これに衝撃を受けて談志に弟子入りすることを決意する。

すぐに高校を辞めて談志に弟子入りする。この行動力は、正直言ってすごいと思う。この方は自分とほぼ同世代。あの頃、そんな思い切った行動はとてもではないが自分にはできなかった。弟子といっても談志は内弟子は取らず、住み込みで新聞配達をしながらの弟子生活のスタートである。実は談志は落語協会から飛び出していて、普通の落語家の弟子とはかなり不利な状況だったらしい。

落語協会は運命共同体。弟子たちは自由な時間はないものの、寄席に入っていれば飲み食いには困らないらしいが、その代わり序列が大事で変革は望まれない。一方立川流は仕事は少なく自由な時間はあるが、自分で腕を磨く必要があり徹底した実力主義の世界。なんとなく立川談志という人の性格が見えてくる。

著者には、兄弟弟子がいる。志の輔、関西、談々、談秋。弟子同士の交流、修業生活の日々。そこには普通の人は知りようもない立川流の修業の世界がある。理不尽な部分もかなりあるが、相手の進歩に合わせて教えるというのも談志の弟子育成の特徴だったらしい。それでも思い通りにいかず、辞めて行く人たちがいる。

修業の途中でクビの危機に陥る。それも風邪で師匠の稽古を断ったことが発端。理不尽にも落語とは関係のない築地魚河岸での修業に出され、戻ってからも食べるものを確保するのに苦戦する日々。そんな生活の中でも感動がある。そして二ツ目と呼ばれる、相撲で言えば幕内に昇進する。昇進試験はまるでそれ自体が落語のようである。さらに二ツ目の後は真打ちであるが、ここで著者は後輩に抜かれる。これは次の日から先輩後輩の関係が逆転するものらしく、なかなかシビアな世界である。そんな一般には知られざる世界の話が興味深い。

それなりに名を成した人の人生には学びが多いと思う。この方の人生にしてもしかり。理不尽さには理不尽さの理由と長所がある。今風に言えば、完全に「ブラック」な世界だが、それを否定するのは難しい。著者が成功し得たのも、こうした理不尽な修業があったからと言えるに違いない。

今度寄席に行ってみようか。そんな気持ちになった一冊である・・・



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2017年02月26日

【帝国ホテルの考え方 本物のサービスとは何か】犬丸徹郎



第1章 ホテルの理想は「窓の開くホテル」
第2章 生まれも育ちも田園調布
第3章 少年時代-アメリカでの夏休みとテニス
第4章 ローザンヌ・ホテル・スクール時代の日々
第5章 パリからフランスへ-フランス料理修業
第6章 軽井沢別荘ライフ
第7章 東京日比谷-ホテルとプロフェッショナリズム
第8章 人が集まる場所、それがホテル

著者は、元帝国ホテル副総支配人。祖父の代からのホテルマンの三代目だという。タイトルからして、何か「おもてなし」系の話なのだろうとイメージしていたが、中身は全然違っていた。主となるのは、ホテルマンとしての著者の自伝的なもので、そしてそこから導き出される考え方、それも「本当のホテルとは何か」といった事である。

著者の祖父と父は、それぞれ帝国ホテルの社長、総支配人(どう違うのかはよくわからない)であり、著者は子供の頃からフランク・ロイド・ライト設計の「ライト館」を遊び場にしていたという。そんな著者は田園調布に生まれ育つ。その昔、「田園調布に家が建つ」と漫才で言われたが、この方、「根っからのセレブ」である。当然、幼稚舎からの慶應ボーイ。その経歴は非の打ち所がなく、ちょっと事業で成功して金持ちになった程度の成金とはモノが違う。

著者の語る理想のホテルとは、「窓の開くホテル」だという。それは物理的な意味ではなく、「スタッフの心の窓も開いて、滞在するお客様を極めて自然な形で受け入れるホテル」なのだそうである。正直言って、イメージできない。レマン湖畔にあるホテル・ボーリバージュ・パレスがその見本のようなのであるが、そこでは館内に細かな表示はなく、わからなければ近くにいるスタッフに尋ねて必要があれば案内してもらうのだとか。玄関ドアも押して入るモノらしい。

帝国ホテルも施設的には五つ星ホテルに属するらしいが、欧米の一流ホテルとは異なり、幅広い客層を取り込むことに傾注したため、はっきりとホテルを星によってセグメントすることが難しいとする。その理由は、日本においてはヨーロッパの最高ホテルに見られるような最高級な客層がまだまだ限られているためで、ホテルが「ビジネスホテル化」しているのだそうである。つまりは、庶民が出入りするようでは真の一流とは言えないということらしい。

日本でヨーロッパにおける本当の「ホテルらしいホテル」を目指すのは帝国ホテルくらいで、あとはチェーン化された外資系ホテルになってしまっていると著者は語る。どこからそんなセリフが出てくるかと言えば、それはやはり著者のキャリアからである。田園調布に生まれ育ち、そこは自動販売機などなく、必要であれば駅前のスーパーなり商店が届けてくれる世界。

別荘は当然軽井沢で、あの白洲次郎に誘われて祖父がその隣を購入したのだとか。毎年夏に訪れるのは当然のこと、それ以外にも川奈ホテルでバーベキューをし、箱根の富士屋ホテルの室内プールで泳ぐ生活。小学生になると、単身アメリカのサマーキャンプに参加するようになる。このあたりは富裕層、名家の子女の生活ぶりが伺えて興味深い。

それでも著者はただのボンボンではなく、自ら単身アメリカのサマーキャンプに行くなどチャレンジ精神は凄い。慶應大学時代にスイスの名門ローザンヌ・ホテル・スクールに留学するが、フランス語が必須であったため、事前に語学留学し現地に溶け込んで働く話にはすなおに頭がさがる。日本に戻ってきて、横浜のニューグランドホテルを経て帝国ホテルに入社するが、帝国ホテルも大企業化する中で、世襲はできなかったのかそのキャリアは副総支配人で終わっている。

「考え方」と言っても、「企業としてのホテル」と「文化としてのホテル」の違いを説き、著者としては「文化としてのホテル」を強調したいのだが、企業としては採算も大事で、収益としてのホテルとなっていることに忸怩たる思いを抱いているようである。確かに、著者の説く「文化としてのホテル」を作るのは相当困難であると思うし、著者のような経験を持つ人がそれを継承するべきなのだろう。

代表的庶民の自分としては、縁もゆかりもない世界の話であり、だからと僻むわけではないが、こういう世界もあるんだと知るにはいい機会であった。日本には伝統的な職人も数が減っていると問題視されている。ある意味こういう真のセレブの人たちも「絶滅危惧種」なのかもしれない。是非とも「文化と伝統」を維持していっていただきたいと素直に思う。

自分とは違う世界を知るという意味で、いい一冊である・・・

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2016年12月18日

【清掃はやさしさ】新津春子



序 章 空港は私の居場所
第1章 中国から日本へ
第2章 運命の決断
第3章 私の道
第4章 清掃のプロへの一歩
第5章 日本一の称号
第6章 恩人の死
第7章 2年連続世界一清潔な空港

著者は、日本空港テクノ株式会社で働く清掃員。と言っても同社で唯一の「環境マイスター」であり、清掃の実技指導を行う立場の方らしい。その仕事ぶりは、NHKの「プロフッショナル仕事の流儀」でも採り上げられたというから、清掃の「プロ中のプロ」と言える方のようである。そんな著者の自伝が本書である。

著者の父親は、日本人残留孤児。文革の最中はその事実を隠していたというが、それが判明して著者は学校でイジメにあったと言う。やがて残留孤児の帰国事業で一家は来日。言葉もわからぬまま生活を始める。そんな中で、やはり一家で清掃の仕事を始めることになったのは、「言葉がわからなくてもできるから」と言う単純な理由であった。

著者は、高校を卒業し、音響機器の会社に就職する。しかし、生活のため清掃のバイトは続ける。政府による保護を断ったため、一家の暮らしは極貧生活で、「パンの耳がご馳走」と言う状況だったらしい。そんなためか勤める一方で、著者は清掃の仕事を続ける。そして「ビルクリーニング管理」と言う一枚のポスターを見て、職業能力開発センターの存在を知り、仕事を辞めて入学する。

ここで、清掃技術を本格的に学ぶ。清掃員と言うと、当時は(今も)中高年の仕事と言う中、20代の著者は異彩を放つ。そして熱心に学び、「男性しか取らない」と言われた現職に熱心に応募して採用される。著者のこうしたエネルギーはとにかく凄い。困難な状況から這い上がろうとするバイタリティーは、全編にわたって溢れかえっている。何事も成し遂げる原動力は、こう言う「パッション」だろう。

入社後、ビルクリーニング技能士の資格を皮切りに、関連する資格を次々に取得して行く。それに伴い技術も上がって行く。そしてとうとう全国ビルクリーニング技能競技会で日本一になる。何事であれ、日本一になるくらい突き詰めていけば世界は開けていく。それがたとえ地味な清掃であっても、著者のようにNHKから取材が来るような存在になれるわけである。

最初は、がむしゃらにやっていた清掃だが、ある時恩師から「優しさがない」と言われてショックを受ける。清掃における「優しさ」ってなんだか著者はわからなかったらしい。いかにも中国的な合理主義的考えによれば当然なのかもしれない。そして著者はその意味を理解していく。清掃とはプロがお金をいただいて行うもので、これに対し、掃除とは自分の家などを自己満足のレベルで行うこととする。こう言う考え方もプロならではと言える。

自分のやっている仕事は、果たしてプロと言えるレベルだろうか。日本一と言えるくらいのものだろうか。そう言う「パッション」を持ってやっているだろうか。ついつい流されがちになる日々であるが、どんな仕事でも一流と胸を張れる仕事をしたいと改めて思う。
たかが掃除とバカにするなかれ。自分がやったらこの人を超えられるだろうか。今の自分の仕事もそんな意識でやりたいと、改めて思わされる一冊である・・・


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2016年10月30日

【空気を読んではいけない】青木真也



第1章 人間関係を始末する
第2章 欲望を整理する
第3章 怒り、妬み、苦しみ、恐れ。負の感情をコントロールする
第4章 一人で生きていくためのサバイバル能力の養い方
第5章 他人の「幸せ」に乗らない

著者は、総合格闘技のファイター。最近はほとんど観ることもないので知らなかったが、シンガポールに拠点を置く団体ONE FCのチャンピオンだそうである。もともと柔道からスタートし、大学生の時に修斗という団体に参加してチャンピオンになる。卒業して一旦は警察官になるが、すぐに退職してPRIDEに参加。以後、DREAM、ONE FCと所属を変え現在に至っているという。

そんな著者は、子供の頃から「右を向けと言われれば左を向く」ような子供だったという。それだけではないが、とにかく変わっていた様子。それは徹底していて、「大人になった今でも友達はいない」と語るところに現れている。「友達に合わせることで自分の個性がなくなってしまうのであれば誰とも仲良くしないのが一番」という言葉は、なかなかである。

早稲田大学では柔道部に所属する。強くなろうとクラブチームにも参加して練習していたというから徹底している。そして周りと合わせない妥協のなさで、柔道部をクビになる。柔道のスタイルも異質で、指導者から批判されていたらしい。だが、いくら難癖をつけられても「勝てなくなったら自分の価値はなくなる」と意に介さない。このスタイルも徹底している。

そのほかの拘りも独特だ。
・勝つならば負ける覚悟、刺すならば刺される覚悟、折るならば折られる覚悟、両極の覚悟をもたない選手は怖くない
・接待されることによって足元を見られてしまうのなら、その場に行かない
・借りを作らず、貸しを作ることを意識する
・利害が一致すればまた交わるのだから違和感を覚えたら躊躇なく縁を切ってしまえばいい
とかくこの世は人間関係であると思うが、それを極力排除しようとするスタンスは、格闘技という世界に生きるからこそ必要であり、通用するのかもしれない。

・ビックマッチに勝利しても、桁外れのファイトマネーが流れ込んできても、自分の生活を変えることはまったくない
・勝ってちやほやされても、負けてこき下ろされても、やるべきことを淡々とこなす自分でありたい
・格闘技界は恵まれていないが、食えない業界ではない。大勢の何も考えていないファイターが食えていないだけ
・もしも本当に強くなって格闘技一本で食べていきたいならばエネルギーを投下すべきところは格闘技だけ
ストイックなまでのスタンスは、どの業界であろうと必要なスタンスなのかもしれない。

大きな組織に所属していることが安定ではなく、「組織にぶら下がることなく、安定を捨ててこそ本物の強さが得られる」という著者の立場は、フリーランス。しかし、フリーランスであっても、「価格交渉はしない」というスタンスを維持しているとのこと。自分の価値を自分で作るという意識でいるそうである。こうしたスタンスは、サラリーマン根性にどっぷり浸っている人にはわからないかもしれない。

Youtubeで何試合か観てみたが、やはり強さは本物のようである。そして人気を集めるファイターというよりは、嫌うファンも多いのではないかと感じさせるところがある。それがたぶん本を読んで感じる「付き合いにくい人物」というイメージであろう。それを苦とせず、ひたすら己の信じるところを追求するのが、著者の強さの本質なのかもしれない。

それにしても、こういう人物によく本を書かせたものだと思う。さすがは『たった一人の熱狂』の社長さんだと改めて思う。自分とは異質で触れ合うことはない世界の人だと思うが、本を通じて知ることができるというのも、喜ばしいと思う一冊である・・・


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2016年10月22日

【中卒の組立工NYの億万長者になる】大根田勝美



第1章 ビジネスのタネは道端にあり
第2章 チャンスの神様の前髪をつかめ
第3章 群れの中のエリートより一匹狼になれ
第4章 会社を「売る」ことこそ最大のビジネス

タイトルにある通り、著者は一代で巨万の富を築いた成功者。その名を聞くのは初めてであるが、それも大企業を育て上げたというわけもなく腕一本で渡り歩いたという経歴ゆえなのかもしれない。しかしながらその生き様は、ビジネスマンにとってとても参考になるものである。

その著者が生まれたのは、昭和12年。父は東京で理髪業を営んでいたが、太平洋戦争の戦火が激しくなると、一家で長野県へ疎開する。しかし、親戚等身寄りもなく、仕事もない田舎で、一軒家に5世帯がひしめく貧乏生活であったという。著者は常に腹を減らし、同級生にはからかわれバカにされる中、なんとか食べるものを手に入れようと奮闘する。

まずはガラスや鉄くず拾い。次に銅線。さらに農家のために落ちた大豆を広い、やがて田んぼで鰌を取る。この鰌であるが、取ってすぐ売るのではなく、魚屋の店頭の売れ行きに応じて「出荷」するという商才を見せる。在庫管理と市場原理を習わずとも実践するところは、のちの成功の礎であろう。さらにガマの油売りを見て、デモンストレーションを自然と学んだという。

そんな底辺の生活を抜け出たのは、勉強のできた姉が、当時地元の優良企業であったオリンパスに入社し、その勤務ぶりが良かったため、著者も組立工として採用されたからのようである。まともに働き始めるが、胃を壊して2/3を切除する手術を受ける。ところがこれが手術不要の誤診であったことがわかり、著者は胃腸に関する資料を読み漁って勉強する。これが後々活きてくる。

失恋を機に素行不良となり、厄介払いの意味もあって東京転勤となる。ここで英語を駆使する「輸出部」に反発を抱き、自ら英語のマスターを誓う。そして24時間365日英語漬けの日々を過ごし、1年後会社の英会話教室でそれを披露しみんなの度肝を抜く。そこには人事部の目を意識した計算もあり、会社も海外進出の動きが本格化する中、海外勤務の栄冠を勝ち取る。元組立工で機械に強く、当時は営業部に在籍しており、さらに英語ができれば海外派遣の候補となれると読んでの努力は見習うべきところがある。

こうしてアメリカに渡り、オリンパスのガストロカメラ(胃カメラ)の販売を行うことになる。当時は、アメリカ人の営業も不親切なものだったらしく、著者の営業スタイルは顧客の支持を受け成功していく。自らには以下のルールを果たしたという。
1. 相手との約束を守る
2. 相手にメリットのない取引はしない
3. 親身になって対応する
4. 自分ならではのセールスポイントを作る
5. 自分の存在をアピールする
こうして築き上げた信頼は、営業成績もさることながら、グリーンカード申請の時、有名な医師3名からの推薦状をもらうことにも繋がっていく。

会社とも時に腹をくくって交渉し、最後は2度にわたって袂を別つことになるが、その後、日本人医師との出会いや、アメリカ人のパートナーとの出会いによって、莫大な富を築いていく。才能というよりも、その努力にひたすら頭の下がる思いがする。ここまでやっているだろうかと自分に問うてみても、到底及ばない。されどそのエッセンスくらいは試みたいと思うところである。

ありきたりな仕事に危機感を持っている人は、読むと刺激を受けることであろう。少しだけでも何か努力してみようと思わされる一冊である・・・


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2016年07月06日

【ダメなやつほどダメじゃない】萩本欽一



第一部 コメディアンの履歴書
第1章 やっぱり喜劇だな
第2章 浅草の東大
第3章 コント55号誕生
第4章 このまんまでいいのかな
番外編 欽ちゃんのキャンパスライフ、教えます
第二部 欽ちゃんの笑いには「浅草」が流れている

少し前に『負けるが勝ち、勝ち、勝ち! 「運のいい人」になる絶対法則』を読んで俄然興味を持った欽ちゃんの本。こちらは日経新聞の『私の履歴書』に連載されたものの書籍化版プラスαである。

欽ちゃんといえば、我々の世代では『欽どん』であり、『欽どこ』である。お茶の間を舞台にしたファミリーコントをいつも見ていた。その後は、『仮装大賞』の司会を見たぐらいだが、ご本人はまだまだ健在。今は駒澤大学の学生だという。そんな欽ちゃんの自伝である。

父親の事業が傾き、借金取りに追われるようになった子供の頃、多感な欽ちゃんは母親が頭を下げる姿を見て、働いて金持ちになる決意をする。そして選んだのが「お笑い」。親には高校を受験すると言って試験を受ける振りをし、浅草の喜劇人に弟子入り志願する。ところが「高校を出てから」と言われてしまう。すでに学費の安い都立の入試は終わっており、やむなく母親に事情を話して私立高校に行く。世の中、こういうことは多々あると思う。

校則で決まっていた革靴を買ってくれと言い出せず、運動靴で通って毎日先生に注意され続ける。それが母親にバレて兄のお古の革靴をもらうが、それを履いていくと、あまりのボロさに今度は注意した先生が言葉を失う。欽ちゃんの笑いに、どこか優しさが混じっているのはこういう経験をしていたからなのかもしれない。アルバイトのエピソードには思わず目頭が熱くなる。

ブレイクしたのは坂上二郎とのコンビ、コント55号。二人でネタを考え(と言ってもアドリブが多かったようである)、テレビで一躍人気者となる。この頃の事はよく知らないが、それまでの苦労を思うと、その成功を嬉しく思う。そして『欽どん』の時代。この頃、1週間に持っていたレギュラー番組3本がそれぞれ視聴率30%を超え、トータルで「視聴率100%男」と呼ばれたらしい。私が最もよく記憶しているのもこの頃である。

よく芸能人など、テレビの顔と素顔とはかけ離れていたりする。それはそれで不思議ではないと思うが、本を読んでいて伝わってくる欽ちゃんの素顔はテレビの顔そのままだ。道端で会ったら、「欽ちゃん」と呼びかけてしまうかもしれない。エネルギッシュで自信に満ち溢れた人が成功しても、そんな風には思えないだろう。高校時代から若手修行時代のエピソードを読むと、行間からその人柄がまさに滲み出てくる。苦労が報われて良かったと、読む立場のこちらの方が思う。

第一部の『私の履歴書』に比べると、第二部の対談は、ちょっと昔の話でついていけなかった。だが、第一部だけで読む価値は十分にある。
読み終えて少し優しい気持ちになれる一冊である・・・

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2015年12月16日

【熱狂宣言】小林成美



序章  「1967」2周年パーティー
第1章  若年性パーキンソン病の告白
第2章  100店舗100業態という奇跡
第3章  高知での少年時代、憧れの東京
第4章  迷走の時代を越えて
第5章  素顔の松村厚久
第6章  外食産業のさらなる未来
終章   新たな治療、上場の鐘

この本は、東証一部上場企業である株式会社ダイヤモンドダイニング創業者松村厚久を主人公としたものではあるが、書いているのはご本人ではない。
スポーツ選手などの本を手がけているライターである。
ご本人は全面協力しているものの、ご本人が書いていないという点で、『スティーブ・ジョブズ』などと同類と言える。

『スティーブ・ジョブズ』もそうであったが、本人が書いていないということは、内面の思いが書かれていないという反面、周りの評価など客観的なものが入ってくるという良さがある。
この辺りは、一長一短といったところかもしれない。

ダイヤモンドダイニングと聞いて、すぐに反応はできなかったが、「ヴァンパイア・カフェ」のことは聞いたことがある。
そんなテーマレストランを多数展開している会社である。
調べてみたら、新宿にある「キリストンカフェ」と「絵本の国のアリス」には行ったことがあった。
一方で、同じかと思っていた監獄レストラン「ロックアップ」は別系統であった。

そんなテーマレストランを率いる松村社長は、実は若年性パーキンソン病に侵されている。
パーキンソン病とは、脳内のドーパミンの異常で、手足の震えなどの運動障害が起こる病気のようである。
モハメッド・アリが罹った病気として印象に残っているが、上場企業の社長でそういう病気になってしまったのは、大変なことだと想像される。

しかしこの松村社長は、実に人格者らしく、彼を慕う人脈のネットワークがすごい。
初めは、自伝ゆえのヨイショかと思っていたら、どうもそうではないらしい。
ネクシーズの近藤社長、ダイニングイノベーションの西山社長(「牛角」のレインズインターナショナルの創業者)、GMOの熊谷社長、同じ「熱狂」(『たった一人の熱狂』)がキーワードの見城幻冬舎社長などそうそうたるメンバーが、熱い友人として登場する。
単に勢いで上場まで行ってしまった社長さんではないようである。

高知から出てきて、大学時代にサイゼリアでアルバイトし、飲食業の楽しさに目覚める。
就職し、ディスコの黒服をやり、日焼けサロンでお金を稼いで、飲食業に進出する。
初めての場所は銀座と決めるも、なかなか店舗を借りられず、駆けずり回ってようやく最初の店「ヴァンパイアカフェ」をオープンさせる。
その後、常にオンリーワンの店作りを心がけ、「100店舗100業態」に挑んでいく。

上場を企業人としての成功と捉え、目指す人は多いのだろうが、松村社長の場合、「社員が結婚の挨拶に行って相手のご両親に安心してもらえる」「社員が住宅ローンを組みやすくなる」という理由を掲げているところがいい。
病気の症状が出る中、「熱狂」を掲げて社員と共に邁進していく。
自分にはとても真似のできないスケールである。

ご本人が実際にどんな人物なのかは分からないが、本を読む限りはかなりの人格者に思える。
ヨイショなのか、それとも実際その通りなのか、もう少し判断できそうなエピソードが欲しかったと個人的には思う。
それにしても、これでダイヤモンドダイニングに興味を持ってしまった。
他の店舗にも是非行ってみたいと思わせられる一冊である・・・


posted by HH at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネス/自伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする