2019年11月25日

【GACKTの勝ち方】GACKT 読書日記1096



 GACKTというタレントのことは実はあまりよく知らない。何かの番組で高級品か否かを言い当てる内容で、50何連勝しているというのを見た記憶があるくらいである。実際はシンガーらしいが、その歌を聴いたこともなかった(この本を読むまでは)。ただ、この本を見た時に強烈に興味を抱いただけである。そしてその内容は、ビジネス書としては得る所の多いものである。

 実はGACKTは金持ちなのだという。シンガー以外にもいろいろとビジネスを手がけているらしい。なぜそんなに金を持っているかというと、「GACKTという名前をブランディングし、カネを生み出す仕組みを構築してきたから」だという。稼ぐ本質とは人生をマネタイズすること。「ミュージシャンは音楽だけで稼ぐもの」という古い固定概念に捉われていることこそが稼げない理由だとする。なかなか鋭い視点である。

 ミュージシャンはたくさんのファンに支えてもらわないと成立しない生き方。だからファンを作ることは不可欠であるが、ほとんどのミュージシャンは「まずはいい音楽を作って・・・」と考えるという(素人でもそう思う)。ところがGACKTは、「音楽を続けていつかファンが勝手につくのを待ってるなんていつか当たるはずだとただ宝クジを握りしめて過ごすのと同じくらい愚かなこと」と切って捨てる。だからGacktはまずサポーターを作ることから始めたという。この辺りの考え方は、普通ではない。

 そのサポーターの作り方であるが、3ヶ月で2,000人以上の女性に声をかけたという。その中の50人が本当にサポーターになってくれたという。GACKTも凄いが、その50人も凄い。「僕はファンと自分自身は裏切らない」という言葉もその原点があればこそなのかもしれない。ファンが必要なのはビジネスでも同じという意見はその通りである。雑誌のインタビューも同じような質問ばかりだというが、GACKTは毎回内容を変えているのだとか。「一万回やれば必ず話が上手くなる」という考え方はただ、ただ感服させられる。

 GACKTをやるのは大変だと語る。ハードワークかつストイックな実践内容を聞けば、確かにその通り。私は真似したくない。「自分自身をナメるな、常におまえの前を歩くおまえを追いかけ続けろ」迫力のある言葉は、のほほんと生きている人間には耳が痛いだろう。ある方に聞いたという話がなかなかいい。大事な原則「知・覚・考・動」を「知・覚・動・考」=「とも・かく・うご・こう」と読むという。何より行動が大事であるのは確かだし、うまい言葉だと思う。

 「すべての人間の行動は思考が支配している。思考が結果を生み出す」というのは、真実だと思う。次々に語られる言葉はどれも印象に残る。
1. 毎日サボらずにやっているという行動が自分はできるという自信になる。精神的な軸はそこで生まれる
2. 少なくともビジネスにおいてデブであることにメリットなどない
3. 人の土俵で勝負するな
4. エコノミーに乗る人は、エコノミーに乗る人たちとしか出逢えない。上のクラスに乗ればそのクラスに乗る事ができる人と出逢う。
5. 悩むという行為は停滞もしくは後退の状況。やることなどいくらでもある。
6. 成功から成幸
7. 人は平等じゃない
8. 姿勢とは覚悟。覚悟なき人生にくいなき人生はない

 正直言って、GACKTについてはあまりいいイメージは抱いていなかった。いわゆる「色モノ」的なイメージである。ところがこの本に書かれているのは真面目でストイックな姿。ここまできちんと考えて行動していれば成功するのも不思議ではない。これまでのイメージがガラリと変わったと言える。本質的には、実に核心をついている。ビジネスマンにも十分タメになる一冊である・・・



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2019年06月05日

【福岡市を経営する】高島 宗一郎 読書日記1036



《目次》
はじめに 36歳で市長になったら、まわりは敵だらけだった
1章 挑戦―出馬と裏切り、選挙のリアル
2章 逆襲―数字と結果で流れを変える、弱者の逆転戦略
3章 決断―スピードと伝え方が鍵。有事で学んだリーダーシップ
4章 情報―テクノロジー、SNSの活かし方
5章 戦略―攻めの戦略と市民一人ひとりの意識改革
6章 覚悟―キャリアと死生観、自分の命の使い方
おわりに 成功の反対は挑戦しないこと

 タイトルからも連想できるが、著者は現福岡市長。ニュースキャスターから市場最年少の36歳で福岡市長に当選。現在、3期目を務めているという。3期も務めているというのは、それだけ信任が厚いということであるが、就任以来の実績がそれを物語っている。
1. 国際会議開催件数 − 全国政令指定都市で1位
2. クルーズ船寄港回数 − 日本一
3. 4年連続開業率7%台 − 全国唯一
4. 税収5年連続過去最高更新 − 政令指定都市で唯一
これだけの実績であれば、なるほどである。

 そのスタートは順風満帆というわけではなく、立候補時から苦難の道。若さも裏を返せば未熟、軽いとされ、知人たちは去っていく。それでもそんな環境でこそ友達が誰かわかったと屈託がない。本当に助けが必要な苦しい時に共に闘ってくれる人こそが「同志」だとする。「チャンスが来た時がベストタイミング」と語る著者は、もともと政治家志望だったという。そのタイミングで、キャスターの座を捨てたわけで、大きなチャレンジだったのだと思う。

 若いリーダーは実績がないから説得力がない。だから結果を出す必要があるとする。それを著者は、成果が「短期で出るもの」「中期で出るもの」「長期で出るもの」と分けて実践に臨んだという。この考え方はビジネスでも役立つと思う。「素人という批判がある場合は、玄人でもできないような結果を出す」と語る著者の主張は、まさに実行に重きを置いている。「福岡市を経営する」というタイトルにもある通り、著者の語る言葉はどれもビジネスで役立つものばかりである。

1. 悪口や批判に対しては鈍感力で対抗
2. 全員を意識すると動けなくなる
3. 部分最適ではなく全体最適で決断する
4. プロセスを丁寧に見える化し、納得感を高める
5. 発信力を上げるポイントは「いかにシンプルに言うか」

 有事にはトップダウンのリーダーシップ、平時にはボトムアップ。リーダーにとって決断は重要。「決めない」は最悪の決断というのはその通りだと思う。組織の中で認められるということは、「どれくらい仕事に対して真剣なのか」だとするが、キャスター時代からの著者の働き方を見ていれば、大いに納得する。プロレスが好きで、実況のチャンスを掴むために著者が努力したことは、誰もが見習うべきスタンスである。

 初めてやることに対する批判の声に対し、著者が「車」にたとえて説明するのは秀逸である。すなわち、「時速百キロで人が乗れる鉄の塊を多くの国民が所有すると言えば、相当な反対意見が出るはず」というもの。メリットが具体的に見えれば馬鹿らしいと思うが、そうでなければ色々なデメリットを挙げて大騒ぎになるという。今の野党の反対の大騒ぎを見ているだけに、すごく説得力がある。

「才能には限界があるが、努力なら一番になれる」と語る著者の努力は並大抵ではない。チャンスを逃さないためには徹底的な準備だとする。著者が自らの経歴を持って説明するその内容は説得力に富んでいる。福岡市長としての実績は出るべくしてのものだとよくわかる。自分は果たしてここまで真剣に仕事に取り組んでいるだろうか。そう自問しながら読んでしまう。

 仕事に不満を抱えている人は、不平不満を言う前に、読んでみるといいかもしれない一冊である・・・

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2019年04月09日

【仕事にしばられない生き方】ヤマザキマリ 読書日記1015



《目次》
序章 やりたいことで生きていく―母・量子の場合
第1章 働くこと、自立すること―ジュゼッペとの日々
第2章 持てる力をすべて使って―テルマエ前夜
第3章 風呂か、それとも戦争か―先人達が教えてくれること
第4章 私の働き方改革―トラブルから学んだこと
第5章 仕事とお金にしばられない生き方

 「漫画家ヤマザキマリ」と聞いてもピンとこないが、『テルマエ・ロマエ』の作者と聞けば、「ああ」と思い当たる。そんな漫画家が本音で語る「仕事」と「お金」の話。人生においても「仕事」と「お金」の話は最も大切なことと言えるが、なぜ漫画家がそれを語るのか。それはこの人の経歴を知れば納得がいく。

 現在は漫画家の著者であるが、経験した仕事は、チリ紙交換のアルバイトに始まって、絵描き、露天商、大学教師、料理講師、テレビリポーター、美術イベントのキュレーターなど数知れず。最初のアルバイトのちり紙交換は、高校生の時で、1日の重労働にも関わらず報酬は500円だったそうである。もともと絵描きになりたくて、17歳でイタリアに渡り、さまざまなトラブルや苦労を経験。これだけの経験を積めば「仕事とお金」について語られるのも頷ける。
 
 17歳で絵を学ぶためにイタリアへ留学と聞けば、お嬢様を連想するが、母はヴィオラ奏者のシングルマザー。この母親も変わっていて、娘が音楽ではなく絵をやりたいと言うと、「フランダースの犬」を買ってきて読ませ、絵描きになるということはこんな風になるかも知れないということと教えたという。ネロとパトラッシュの悲劇をそんな教訓に使うとはと絶句してしまう。その母親は、わずか14歳の著者をろくなお金も持たせず1人ヨーロッパへ送り出したというから、その感覚は半端ではない。
 
 母からの仕送りは月5万円で到底足りずにアルバイトをする。そのうち詩人と結婚するが、この男が働かない。働かないどころか借金まで作ってしまう。返済に追われ、家を追い出されと極貧生活を送る。おまけにそんな生活の中で子供まで授かってしまう。時に1日10〜11時間働いたりもしたらしいし、鬱になりかけて精神科に入院もしたらしい。イタリアをはじめとして、シリア、ポルトガル、アメリカ、日本と生活習慣も宗教も違う国で暮らす。そんな経験をしたなら、本を書けるくらいになるのだろう。

 『テルマエ・ロマエ』の作者と言っても、『テルマエ・ロマエ』の話はあまり出てこない。ちょっと驚いたのは、興行収入56億円の大ヒットとなった作品なのに、著者に払われたのは最初の原作料100万円だけだったこと。様々な事情は書いてあるが、それでもやっぱり酷いなと思う。それはともかく、読んで感じるのは、生きていく上で大切なことである。

 1. 自分の中に考える基準(ちり紙交換というハードワークで1日働いて500円しかもらえなかった経験)があると人生は少しだけしのぎやすくなる
 2. たった1人でいいから「別に生きてりゃそれでいいじゃん」と言ってくれる味方がいたらこんなに心強いことはない
 3. 失敗っていうのは後々の自分の経験値さえ上げることができれば笑い話に書き換えることができる
 4. いざとなったら次の場所に移動する。私の中には常にこの選択肢がある。
 5. 自分の内側に豊かで揺るぎのない価値観を育てていくことが大切
 
 著者の様々な体験談を通して語られると、なるほどと説得感を持って伝わってくる。人生なんとでもなるという力強いメッセージを感じさせてくれるのである。その通りだと思う。編集者が何故この人に「仕事とお金」について書かせてみようと考えたのか、読み終えるとよくわかる。今は『プリニウス』という漫画を描いているそうであるが、是非読んでみたいと思う。進路に悩む我が子に読ませたい一冊である・・・



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2019年04月04日

【イオンを創った女 評伝小嶋千鶴子 日本一の巨大流通グループ創業者、岡田卓也実姉の人生と経営哲学】東海友和 読書日記1013



《目次》
第1章 小嶋千鶴子を形成したもの―その生い立ちと試練
第2章 善く生きるということ―小嶋千鶴子の人生哲学
第3章 トップと幹部に求め続けたもの―小嶋千鶴子の経営哲学
第4章 人が組織をつくる―小嶋千鶴子の人事哲学
第5章 自立・自律して生きるための処方箋
終章 いま、なぜ「小嶋千鶴子」なのか?

 タイトルに惹かれて手にした一冊。今更ながら、タイトルは大事だと思わざるを得ない。ただ、いい内容であれば、であるが。この本で言う「イオンを創った女」というのは、イオンが江戸時代に創業した岡田屋呉服店がまだ「岡田屋」の頃、父、母、姉の急逝を受けて社長に就任し、実の弟である岡田卓也名誉会長にその地位を譲った小島千鶴子のことである。ハッキリ言ってこの本を読むまで知らなかった人物である。

 しかしながら、岡田屋呉服店という家業をジャスコという企業へ、さらにイオングループへと発展させた影の功労者なのだという。さらには100歳を超えた現在もご存命らしい。ご本人は前述の通り一時代表者の地位にあるも、のちにまだ早稲田大学の学生だった岡田卓也に社長の地位を譲っている。そこにはまだ「男社会」という強い意識があったのかもしれない。

 その短い社長就任期間であるが、戦後の猛烈なインフレ期に、現金をすべて現物(商品)にシフトするという大胆な施作を打って岡田屋の飛躍の土台を造っている。第一次大戦後のドイツの状況から学んでいたらしいが、その実行力はすごいと思う。そして代表を譲った後結婚し、岡田屋を離れる。6年後に請われて復帰するが、潔さも感じさせてくれる。

 復帰後は主に人事部門を手がけていたそうで、「人事組織専門経営者のレジェンド」と称されるようである。発展段階で企業合併を行い、それぞれの文化を融合する。「奥様社員」という今のパート社員の先駆けとなる制度を採用、ジャスコ大学、大学院を設立し、社員の育成を図るなど、なるほどレジェンドと言われるのも頷ける。

 店舗を巡回しては、分け隔てなく社員に接し、「問題あらへんか?」と尋ねて回って問題を発掘・解決してきたという。「人間はどんな時によく働くのか、愉快な時に働くのである。そして人間は人から認められた時に愉快になる」という言葉は含蓄がある。
・経営者視点でモノを見よ
・趣味と私事は脇を甘くする
・失敗を寛容する心が人を育てる
・どんな人でもその人にあったやり方さえ考えれば人はどういう風にでも社会の役に立つ
こうした人事に関する考え方は、特別目新しいものではないが、その通りだなぁと思わされるものがある。

 また、経営全般に当てはまることもある。
 ・他社のどこでもやっているような二番煎じではいずれ会社は衰退する
 ・よく練った独自案こそが会社を成長させる鍵である
 ・短期より長期適合性
 ・根回しや調整済みはろくな案ではない
 ・保守的人間の排除、保守と経験は似て非なるもの
そうだよなぁと激しく同意する。

 ある会社の社長が、赤字を減らしてから息子に継がせようとしたところ、千鶴子はこれに反発。「マイナスから立ち上げる覚悟がなければすぐにやめた方が良い」と言ったという。これはなかなかできることではない。まさにその通りだと思うが、世間的にそんな発想ができる人は少ないと思う。
 ・散歩のついでに富士山には登れない
 ・意思決定に迷った時には長期的にかなうかどうかで決める
 ・どんな仕事でも仕事らしい仕事にはすべての人が賛成するわけではない。反対があればこそ仕事の意義がある
 深い言葉がいくつもある。

 ご本人は早くに代表の地位をバトンタッチし、主に裏方として活躍してきたわけで、そういう人物でも偉人はいるものだと思わされる。もう少し違う角度からスポットライトを当てても面白そうな人物だという気もする。そんな思いをさせてくれる一冊である・・・



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2018年06月15日

【神になりたかった男 徳田虎雄−医療革命の軌跡を追う−】山岡 淳一郎 読書日記930



第1章 アメリカ帰り
第2章 けものみち
第3章 エデンの東
第4章 政界漂流
第5章 王国崩壊、生き残ったものは・・・

医療法人で徳洲会グループというものがあることは、いわゆる「徳洲会事件」で知っていたが、では果たしてそれがどんなグループなのか、あるいはそもそも「徳洲会事件」てどんな事件なのか、改めて問われると答えられない。そんな徳洲会について、設立者である徳田虎雄の人生を踏まえつつ語った一冊である。

徳田虎雄は、昭和13年の生まれ。もともと生まれは兵庫県だが、2歳の時に徳之島に移住。貧しく医者のいない中で、小学校3年の時に3歳の弟が病死する。夜中に叩き起こされて医者を呼びに行かされたというが、この時の原体験から医者になったあと、「患者を断らない」主義を掲げる。38歳の時には当直の時にはあらゆる患者を入院させたという。

高度経済成長下の1971年当時、大都市圏でも休日・夜間の救急患者を受け入れる病院は極めて少なく、「医療砂漠」と呼ばれる医療空白地帯が広がっていたという。そんな中であらゆる患者を受け入れたため、徳田が当直と聞くと、救急隊員が遠くからわざわざ患者を運び込んだという。その数、一晩で救急車20台以上にも達したという。しかも徳田はこの当直を他の病院も含めて週4日こなしていたという。

やがて、「年中無休、24時間誰でも診る」と宣言してそれを実践する病院づくりに取り掛かる。まさに医者の鏡のような人物である。そして奥さんとともに土地を探し、銀行回りをし、あちこちで融資を断られながら最後に第一勧銀の融資を受けて最初の病院を建てる。ストーリーは徳田本人ばかりでなく、関係者の視点からも迫っていく。当時の看護婦は、徳田に誘われてこの病院に移り、28時間勤務に突入していく。理想はいいが、現場は「野戦病院」のようだったという。

なんでもそうだが、こうしたストーリーは上り坂を駆け上がっていく時期が面白い。ヤマト運輸が宅急便を全国展開させようとした時に運輸省が立ちはだかったのは有名な話であるが、徳田が次々と徳洲会の病院を作る過程で立ちはだかったのは医師会。
「患者からの付け届けは受けない」
「健康保険の3割負担も困っている人には猶予する」
「生活資金の立替・供与をする」
こんな方針を掲げる徳田に「理想の医療」をやられては堪らないという考えがあったのだろう。世論は当然徳田の肩を持ち、徳洲会はこの逆風にもめげずに成長していく。

しかし、医師会との対立から「政治」の重要性を痛感した徳田が、選挙に走るあたりから歯車がきしみ始める。選挙資金を捻出するために、医療制度の裏で裏金を作る。カネまみれの選挙に病院建設のための資金調達が膨らみ、外資系銀行団と死闘が始まる。莫大な金が動く中、ファミリーと病院との衝突も起こり、次々と「戦友」も戦線を離脱していく。さらに徳田本人もALSを発症してしまう・・・

徳田氏本人は、今もALSで身動きできない中、完全看護にあると言う。一読してものすごいエネルギーを持っていた人物であることがわかる。本人が書いた自伝でない分、清濁併せて書かれており、物語としても面白い。救急難民の話を最近は効かなくなったが、おそらく徳洲会の果たした役割が大きいのだろう。例え汚い部分があったとしても、スタートに掲げていた理想は本物だと思う。診てもらう立場としては、全ての医者に徳田のようであって欲しいと思う。

その意義を讃えたい一冊である・・・




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2018年03月14日

【中洞正の生きる力 山地酪農家】中洞正 読書日記902



第1章 山地酪農と牛のしあわせ
第2章 酪農のアウトサイダー
第3章 導き、支えてくれた人々
第4章 本当の「おいしい牛乳」
第5章 酪農維新に向けての決意

 この本は、どうやら「ソリストの思考術」というシリーズの一冊であるようで、第7巻とある。だが、そんなことを意識しなくても十分に読める。ここで採り上げられている人物は、山地酪農(やまちらくのうと読むそうである)を実践している酪農家。山地酪農とは、自然放牧の牧場ということである。何となく酪農というと牛舎を想像してしまうが、著者の実践する酪農は日本の従来の酪農とは全くスタイルが異なるようである。

 日本の酪農は、中洞氏曰く、「工業的酪農」だそうで、牛舎の中で一坪に満たないスペースで牛を飼い、器具または綱で牛を固定し、濃厚飼料や配合飼料を与え、邪魔な尻尾や角を切り落とし、ひたすら効率的に牛乳を絞るそうである。これに対し、山地酪農にはまず牛舎がない。自然放牧で24時間365日ほったらかしで、唯一朝夕に搾乳するだけだという。それも牛が自ら搾乳舎にやってくるそうである。農薬も飼料も一切使わず、牛たちにとっては楽園だと中洞氏は語る。

 聞けば聞くほど、自然放牧の良さばかりが目立つ。しかし、農協が取り扱い流通が認められているのは脂肪率が3.5%以上の牛乳。自然放牧だと脂肪率は3.2%程度にしかならず、流通には乗せられないという。この法改正が行われ、それまで少なからずいた自然放牧牧場はことごとく方向変換させられたそうである。

 さらに工業的酪農は、設備投資が大変で、酪農家は皆農協に借金する。濃厚飼料はアメリカからの輸入であり、酪農家は借金を返すためにせっせと「効率的に」稼がざるを得なくなる。なにやら陰謀めいた匂いがしないでもない。大いなるシステムに組み込まれれば、様々な補助金や援助もあり、抜けられなくなるらしい。その中で、己の信念を貫く中洞氏の姿は強烈である。

 自然放牧へのこだわりは、それが「自然の摂理に適っているから」という中洞氏の意見は実にシンプル。自然放牧は牛舎にまつわる重労働から解放され、むしろ「楽農」だとする。牛の幸せがあっておいしい牛乳がいただけるとする。その通りなのだろう。殺菌方法も低温保持殺菌法というものらしく、工業的酪農の高温短時間殺菌法より味がいいらしい。この方法は運送手段の発達した日本ではもう頼らなくてもいいはずと中洞氏は語る。いろいろと日本の酪農界の問題点も描かれる。

 自然放牧は、牛が草を食べることから、林業との相性も良く、コラボすれば可能性も広がるのだとか。さらに日本の土地はスイスの3倍も生産量があるらしく、そう考えるとやりようによっては世界的な競争力もありそうである。とにかくいい事づくしのような感じであるが、ネックはその価格。調べてみたら500mlで800円くらいしていて、めちゃくちゃ高い。これに対しては、「牛乳は『贅沢品』、『滋養食品』として週に何回か飲む程度でいい」と中洞氏は語るが、そう考えないとなかなか飲めない。

 なんでも『奇跡のリンゴ』の木村秋則さんとは交流があるのだとか。無農薬と自然放牧とはその目指すところは同じであり、息が合うのだろう。こういう農業がもっともっと増えてくればいいのにと思わざるを得ない。それはともかくとして、一度飲んでみたいとつくづく思った。できれば毎日飲めなくてもいいから、こういう牛乳を飲みたいと思わされる。そんな自然放牧の実態が描かれた一冊なのである・・・



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2017年10月10日

【再起動 リブート−波瀾万丈のベンチャー経営を描き尽くした真実の物語−】斉藤徹 読書日記842



第一話 ブレイクスルー 自由への始動
第二話 リアリティ 起業の現実
第三話 ブレイクアウェイ 依存心との決別
第四話 ベンチャーバブル 狂乱の宴 
第五話 ロックボトム 失意と戦いの日々
第六話 パラダイムシフト 再挑戦、そして覚醒
第七話 リブート 再起動

著者は、本の肩書きに「起業家」としている通り、これまで起業家としての人生を歩んできた方のようである。大学を卒業して日本IBMに入社するも20代で退職し、それからの起業家人生を綴ったのが本書である。私のようにサラリーマン人生を歩んできた者にはわからない世界の話が興味深い。

日本IBMに入社した時は、プログラムのことなどまるでわからなかったという著者は、入社後猛勉強して詳しくなる。そして学生時代からの仲間たちとの会話から、当時流行りつつあったダイヤルQ2の関連事業で創業することになる。理想として念頭にあったのは、当時大ヒットしていたドラマ『俺たちの旅』の「なんとかする会社」だというから、同世代の香りが漂ってきていい。「フレックスファーム」と名付けたその会社では、「プロレス道場」という番組を始めると、たちまち注目を集め、お金が唸るように入ってくる。

ダイヤルQ2のことは覚えているが、当時はよくわからないまま手を出さなかったものである。その後課金が問題となって、手を出さなくてよかったと思ったものである。その後、フレックスファームはサーバー提供会社へと転身し、成長の波に乗る。しかし、様々な問題が生じ、資金繰りに窮していく。背後にオウム真理教のパソコン事業などがチラつき、自分自身の記憶も刺激される。

起業はうまくいけば華やかであるが、そう簡単にうまくいかないのが世の中というもの。自転車創業の資金繰りを両親と住む家を担保に入れて銀行から資金調達して凌ぐ。一歩間違えれば、両親共々財産を失いかねない。胃がキリキリと痛むような毎日だったに違いない。背に腹は変えられず頼ったコンサルタントに救われるが、今度はそのコンサルタントへの支払いで首が回らなくなっていく。

そんな苦境にあって、著者は「社員の給料だけは払う」と決めて行動する。安易に給料を下げて社員にしわ寄せをする経営者も多い中、このスタンスは立派だと思う。そして資金調達先に翻弄する日々。時にベンチャーブームが起こり資金調達に成功するも、この時自社株購入資金として銀行から借りたお金がまた苦境へのきっかけとなる。

安定したサラリーマン生活とは程遠い著者の起業家人生は大波の中を進みゆく小舟の如し。とてもではないが、精神的なタフさが要求される。1つを乗り越えればまた次の困難。やがて会社を手放し、また創業。そしてまた次の大波が来る。しかし、困難の乗り越え方を習得した著者は強く、呆れて去っていくベンチャーキャピタルの人間との違いが際立つ。

自分では、味わいたいと思わないが、こうして人様の経験を疑似体験できるのは、読書のいいところだと思う。今は大学で起業についての講座も持っているようであるが、貴重な経験談を聞ける学生が羨ましい気もする。一方で、こういう著者の経験が果たして若い学生にわかるのだろうかという疑問も持つ。思い切ってリスクを取るには、ある意味若者ならではの「えいやぁ」の度胸も必要ではないかと思うからである。ベテランサラリーマンにはなかなか難しいことかもしれない。

単なる読み物としても面白いし、起業の真実としても面白い。起業を考えている若者向けでもあり、サラリーマンの身でも十分面白い一冊である・・・



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2017年06月08日

【えんぴつの約束 一流コンサルタントだったぼくが、世界に200の学校を建てたわけ】アダム・ブラウン 読書日記802



THE PROMISE OF A PENCIL
1 ひとと違う道を歩む
2 居心地のいい場所を出る
3 生かされている意味を知る
4 一本の鉛筆で変わる人生もある
5 名刺ひとつで大きなことができる
6 ツーリストは見物し、トラベラーは模索する
7 許可を求めない
8 ひらめきをつかみとる
9 大きな夢も、理由のない小さな行動からはじまる
10 信用は日々作られる
11 夢を口に出してみる
12 目的を持って歩く
13 幸せとは、だれかを祝うこと
14 不可能に発奮する仲間を見つける
15 ひとりだけに語りかける
16 啓示を読み取る
17 つながるために離れてみる
18 最終決定者からイエスを引き出す
19 モノよりも志に従う
20 本物になる
21 第一印象は取り消せない
22 失敗と向き合う
23 フォローアップを忘れない
24 言葉を変えれば評価も変わる
25 明確な目標だけが現実になる
26 自分を向上させてくれる人の側にいる
27 弱さをさらけ出す
28 反響を増幅させる
29 怖くなるほど大きな目標を掲げる
エピローグ 語る価値のある人生を送ろう

著者は、世界の貧困地帯に学校を建てるという活動をしている「ペンシル・オブ・プロミス(POP)」という団体のCEOを務める社会起業家である。この本は、ベイン&カンパニーという有名なコンサルティング会社に勤務していた著者が、その安定した職を捨て、POPを設立して活動していく経緯を語った一冊。

著者がそうした活動に興味を持つのは、ホロコーストの生き残りである祖母の影響があるのかもしれない。学生時代には、騙されてアフリカから連れてこられた学生2人を両親が法的後見人になって世話をする。そんな経験もあるのかもしれない。そしてきわめつけは、「セメスター・アット・シー」という活動。これは各国から集まった学生が、客船で寝食を共にしながら世界を航海するというもの。著者はそこに参加する。

一行がインドに到着した際、著者は物乞いをしていた少年に質問をする。
「もしなんでも好きなものが手に入るとしたら何が欲しい?」
著者は、行く先々で子供達にこの質問をしていたそうである。そしてインドでの少年の答えに衝撃を受ける。少年の答えは、「えんぴつ」。
「ぼくにとっては書くための道具でしかない鉛筆は、その子にとって扉を開く鍵だった」と気づく。これがPOPへと繋がって行く。

大学を卒業した著者は、ベイン&カンパニーという有名なコンサルティング会社に就職する。そのまま行けば、大金を稼げていたに違いない。しかし、発展途上国で目にした子供達への抑えきれない思いから、POPの活動を始める。なんでもエクスターンシップという社外活動が認められており、最初はそれを利用する。しかし、やがて岐路に立たされる。両立できなくなったところで著者は、安定した職を投げ打ってしまう。

「できるだけたくさん稼いで、40代、50代で世の中を良くすることに使えばいい」と「まともな」アドバイスをしてくれる人もいたようであるが、著者は動いて行く。その後も破格のオファーを蹴ってしまったりする。フルタイムのスタッフも大口の寄付者のいない活動は、その筋から見ても足りてなかったようであるが、著者にはそれを上回る情熱がある。やはりこの情熱こそがすべてなのだと思う。

実兄が見出したジャスティン・ビーバーとデビュー前から交流があり、売れてからはそのネームバリューも利用できるという幸運もあったが、本人の活動ぶりはそれだけではないものがある。そしてラオスに建てた最初の学校は、ホロコーストの生き残りである祖母に捧げる。その後の活動で、現在は400以上の学校を建てているようである。様々な人との出会い、そしてその人々たちを活動に巻き込んで行く。たった1人の情熱が、大きなうねりとなって行く。

何より人を惹きつけたのは、理念だと思う。恵まれた環境を蹴って、苦難の道を行く姿は、アントレプレナーの鏡といえよう。自分も社会起業をしたいとは思わないが、何か少しでも社会の役に立つようなことはしたいし、ビジネスでは著者の情熱をこそ真似したいと思う。
学び多き一冊である・・・


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2017年03月03日

【LIFE SHIFT−100年時代の人生戦略−】リンダ・グラットン/アンドリュー・スコット 読書日記769



原題: The 100-Year Life: Living and Working in an Age of Longevity
序 章 100年ライフ 
第1章 長い生涯
第2章 過去の資金計画
第3章 雇用の未来
第4章 見えない「資産」
第5章 新しいシナリオ
第6章 新しいステージ
第7章 新しいお金の考え方
第8章 新しい時間の使い方
第9章 未来の人間関係
終 章 変革への課題

このところ未来予測的な本を続けて読んでいるが、これもその一つ。現代は100年以上生きられる時代であり、そんな100年ライフを過ごすつもりでいた方が良いという。事実、長寿世界一の我が国では、2014年に生まれた子供の平均寿命は109歳だとか。1964年生まれの自分も92〜96歳くらいだというが、やはり素直に喜ぶべきだろうか。

そんな時代、もはや過去のロールモデルは役に立たず、親の世代に有効だったキャリアの道筋や人生の選択が我々にも有効だとは限らず、当然ながら我々の子どもたちも違う決断をするという。長生きするのはいいが、医療や年金は大丈夫かなどと心配したくなるが、それは全体像を見失うことになるので、視野を広く持たねばならないとする。長寿化時代には新しい生き方が試みられるようになるのである。

事実、人々が70代後半や80代になっても活力と生産性を失わず、長く働き続けられれば年金問題や人口減少の弊害はだいぶ和らぐ。20世紀の人生は、「教育」「仕事」「引退」という3つのステージだけであったが、100年ライフではマルチステージになる。そこでは、生涯に2つもしくは3つのキャリアを持つようになる。これは今の自分もそうだから間違いないだろう。

そうしたマルチステージの人生では、「エイジ」と「ステージ」とが結びつかなくなる。「大学生」という情報だけでは年齢を推測できなくなる。「レクリエーション」から「リ・クリエーション」へと変わる。そこでは自分がどのような人間か、自分の人生をどのように組み立てたいか、自分のアイデンティティと価値観を人生にどのように反映させるかを一人一人考えなくてはならないとする。

そんな人生のあり方を著者は、ジャック、ジミー、ジェーンという三世代を例に挙げ、具体的な人生を例示し説明してくれる。自分はジミーの世代だが、そんな自分自身の現状と重ね合わせて考えてみる。我が子供達の世代であるジェーンについては、どんな変化があるのか著者にもわからない。「あらゆる事態に備えていないということは、まったく備えていないのと同じ」という言葉が紹介されるが、我が子たちも大変である。

100年ライフに備えるには、2種類の資産が必要だとする。「無形の資産」と「金銭的資産」である。「無形資産」は、さらに「生産性資産(スキルと知識)」「活力資産(肉体的精神的な健康と幸福)」「変身資産(人的ネットワーク)」とに分けられる。そうした資産を元に、「エクスプローラー」「インディペンデント・プロデューサー」「ポートフォリオ・ワーカー」のステージを生きることになる。

個人的にそれでも不安なのは、加齢による衰え。しかし、脳の機能が低下するペースは、1/3が遺伝的要因で残りは生活習慣、日々の行動、コミュニティの関わり方、人間関係の強さ、肉体的健康、食事などだという。心したいところである。その他、長く生きることによるお金の問題、時間の使い方、さらに子育てが中心だったこれまでと比べ、友達付き合いが生活の中心になる時期が新たに出現するかもしれないということ、考えるべきことは多い。

 「私は何者なのか」「私はどのように生きるべきか」それに応えられるのは自分だけという著者の言葉に深く頷く。自分の生き方について、人生について、今一度考えてみないといけない。もうとっくに折り返し地点を過ぎたと思っていた我が人生。どうやらまだ折り返し地点をウロウロしているのかもしれない。そんな今後の人生を真剣に考えさせてくれる一冊である・・・



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2017年01月15日

【ロケットササキ】大西 康之 読書日記748



プロローグ 孫正義の「大恩人」、スティーブ・ジョブズの「師」
第1章 台湾というコスモポリス
第2章 「殺人電波」を開発せよ
第3章 アメリカで学んだ「共創」
第4章 早川電機への転身
第5章 「ロケット・ササキ」の誕生
第6章 電卓戦争と電子立国への道
第7章 未来を創った男
エピローグ 独占に一利なし

 著者は、『会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから』『ファースト・ペンギン 楽天三木谷浩史の挑戦』を書いた方。どうやらこうしたビジネス系の書き物が得意な方のようである。そんな著者が、今回対象にしたのは元シャープの役員であった佐々木正。若き日の孫正義やスティーブ・ジョブズに力を貸した人物と知って興味を抱く。

佐々木は戦前の台湾で生まれ育つ。高校時代、成績は優秀だったが全校生徒を率いてストライキをやるなど破天荒であったという。卒業すると父の命で京都大学へ進学する。卒業後は学者になるつもりだったらしいが、在学中から逓信省の研究所に呼ばれて働き、軍の意向で川西機械製作所に送られレーダーの研究をする。戦時中はドイツへ行き、Uボートで帰国する。別便で帰国した同僚は、撃沈されたというから運も良かったのであろう。

戦後はGHQの命令でアメリカに行く幸運を得る。真空管、トランジスタ、時代の変化の中で、その時の最先端技術の世界で佐々木は生きる。この時以来築き上げた人脈と、教えあう『共創』という概念が佐々木の心に刻み込まれる。通産省に通って予算をつけてもらい、トランジスタの研究を始める経緯は、時代を感じることができる。この頃、のちにノーベル賞を受賞する江崎玲於奈を育てたというのも興味深いエピソードである。

そして佐々木が真骨頂を発揮するのが、早川電気(現在のシャープ)に入社したあと。初めは大学で教えるつもりであったものの、創業社長らから日参して口説かれる。そしてここからのドラマは日本のエレクトロニクス産業史そのものである。世はコンピューターの時代となり、早川電気は電算機の開発に着手する。佐々木は独自の人脈を生かし、技術と資金を確保する。

やがて始まる電卓戦争。各社騒乱状態となるも、小型化・低価格化の争いで早川電気とカシオが抜け出る。MOS-LSIなど専門用語はよくわからないが、佐々木はあちこちと自由に飛ぶ発想の豊かさから、米ロックウェルの技術者たちに「戦闘機のスピードでは追いつけない、ロケット・ササキだ」と言わしめる。これがタイトルの由来。

結局、最後に太陽電池を採用し、シャープは電卓競争で勝利する。自由な発想と「共創」という佐々木の信念のなせる技と言える。一人の頭よりもみんなの頭、考えてみれば当然であるが、アイデアを生み出すのには「共創」という保育器の役割は大きいのかもしれない。自分の仕事でも何か役立つことが多い気がする。

時代は下り、栄光のシャープも業績不振で台湾ホンハイ・グループの傘下に入った。そんな現状に対し、101歳になった佐々木は現社長にあるアイデアを授ける。ラストのエピソードは心温まるものであり、時代を走り抜けたシャープの再生を期待させるものがある。時代背景は違うものの、基本的な考え方ではまだまだ我々にも参考になるところが多い。

ビジネスの先人の教えとしてもよく、物語として読んでも面白い。さすが著者はよくこういう人物を見つけてきたものだと思う。著者の出版動向には、これからも注目していきたいと思うところである。



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