2017年05月16日

【海と毒薬】遠藤周作



 この本は、その昔映画化されたものを観ている。モノクロ画面の映画で、手術室のシーンが印象に残っている映画である。もうほとんど筋は忘れてしまっているが、「いつか原作を読んでみたいと思っていたもの。ちょうど『侍』を読んだ時にチェックしていたものである。

 物語は戦後しばらくした夏の日から始まる。1人の男が妻とともに越してきて、持病の相談に行く医者を探す。そうして紹介されたのが、勝呂(すぐろ)という個人医院。愛想はないものの、腕はいい。気胸の手当の見事な腕前から、男はこの勝呂という医者に興味を抱く。そして義妹の結婚式に訪れた北九州で、偶然勝呂医師の過去にまつわる話を聞く。それは終戦間際、勝呂らがアメリカ人捕虜に人体実験を行ったというものであった・・・

 そして物語は、終戦直後の北九州へと時を戻し、今度は若き日の勝呂の視点から日常が語られる。『侍』もそうであったが、遠藤周作の作品は、この視点変換がよく行われる。冒頭の男、主人公ともいうべき勝呂、勝呂の同僚の戸田、そして同じ病院の看護婦(当時はまだ看護「婦」である)の上田。それぞれの視点で語られる時は、当然その人物の視点になるのだが、視点が変わればその人物は周りにいる人の1人になる。意識してのものかわからないが、最近の作家にないスタイルのような気がする。

 物語の中心は、あくまで米兵捕虜になされる人体実験。冒頭の男の視点も、勝呂という医師を登場させるイントロであるし、その勝呂の視点を通して人体実験の様子が描かれて行く。ただし、勝呂はまだこの時点で研修医でしかなく、そして人体実験を主導するのは勝呂の上司ともいうべき医師たち。視点を変えるといっても、肝心の人体実験は勝呂の視点から描かれる。実験を行った医師の視点からだったらどんな様子だっただろうと、ふと思う。なぜそうならなかったのかは知る由もないが、研修医だったからこそどこか客観的になったのかもしれない。

 考えてみれば、勝呂の同僚の研修医戸田は、少年時代からどこか冷めていて冷酷なところがある。それは小学生の頃に、先生の貴重な蝶の標本を盗んで友達が濡れ衣を着せられるのを眺めていたり、自分で孕ませてしまったお手伝いを自ら堕胎するところなどからも察せられる。実験を執刀した医師たちも、もしかしたらそうした冷酷な人たちだったのかもしれないと思わされる。それゆえに戸田の視点を登場させたのかもしれない。

 もっとも肝心な人体実験よりも、大学病院内での権力争いや、そのために手術される患者の様子などが個人的に不気味だったと思う。印象に残っている映画の手術シーンも、人体実験ではなくこの手術のシーンであり、それはやっぱり映画も本も感じるところは同じということなのかもしれない。もっとも、映画の方はちょっと患者の手術の描き方が違っていたのは確かであるが・・・

過去に読んだ本にも通じる独特の暗い雰囲気が、この本でも流れている。これが遠藤周作の世界なのかもしれない。次については、今のところ考えているのはないが、少しアマゾンでも眺めてみて、良さそうなのがあればとも思う。昭和の雰囲気をよく感じられる一冊である・・・


海と毒薬.jpg



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2017年02月15日

【コーヒーが冷めないうちに】川口俊和



第1話 『恋人』結婚を考えていた彼氏と別れた女の話
第2話 『夫婦』記憶が消えていく男と看護師の話
第3話 『姉妹』家出した姉とよく食べる妹の話
第4話 『親子』この喫茶店で働く妊婦の話

 最近ベストセラーになっているので、読んでみようと手に取った一冊。こういう選び方もたまにある。物語の舞台は、とある街の、とある喫茶店。もっと正確に言えば、その店の中のとある座席。その席には不思議な現象が起き、そこに座っていると、その席に座っている間だけ、望んだ時間に移動できるという。つまりタイムトラベルが可能なのだという。その不思議な席を巡る物語。

 タイムトラベルと言っても、この物語には厳格なルールがある。
1. 過去に戻っても、この喫茶店を訪れたことのない者には会う事ができない
2. 過去に戻ってどんなに努力しても、現実は変わらない
3. 過去に戻れる席には先客がいて、席に座れるのはその先客が1日に1回だけ席を立った時だけ
4. 過去に戻っても、席を離れる事は出来ない
5. 過去に戻れるのは、コーヒーをカップに注いでからそのコーヒーが冷めてしまうまでの間だけ
 なんと極めて限定的なタイムトラベルなのである。

 第1話は、この喫茶店で別れ話をした恋人たちの話。正確に言えば、男は恋人にアメリカに行く事が決まったと告げるだけ。だから別れるともついてきてくれとも言わない。女も何も言わない。そういう恋人同士。後から思うところのあった女が、この話をした瞬間に戻ることを願う。過去に戻っても、男がアメリカに行く現実は変わらない。だけど、過去に戻って素直になれた彼女の気持ちは大きく変わる・・・

 第2話は、若年性アルツハイマーに罹ってしまった夫と看護師をしている妻の話。次第に薄れて行く記憶。夫はとうとう妻の記憶を失ってしまう。「他人」に戻ってしまった妻は、それでも看護師として夫を見守る覚悟を決める。しかし、記憶がなくなる前、夫が手紙を書いていたことを知ると、妻はその手紙を受け取りに行くことにする・・・

 第3話は、地方の古い旅館の女将の座を妹に押し付け東京に出てきた姉と、その姉を迎えにきた妹の話。月に1回上京しては姉の説得を試みる妹。最近ではそれが煩わしくて、妹が来ると隠れてしまう姉。今回もそうして隠れて過ごした姉だが、妹はその帰り道、自動車事故で帰らぬ人となってしまう。姉は、妹が最後に迎えにきた日に戻り、妹と話をすることにする・・・

 第4話は、この店で働くマスターの妻、計の話。計は妊娠しているが、生まれつき心臓が弱く、医師からは出産に耐えられないと宣告されている。計はそれでも出産を望むが、心配なのは無事に産む事ができるかどうか。そして計はそれを確かめるために未来へ向かう事を決める。極めて限られた条件下、どうなっているかわからない未来に向かうリスク。それでも計は時間を指定して席に座る・・・

 人は常に、「あの時ああしていれば」という思いを持っている。登場人物たちにとって、まさにその「あの時」があるのである。それは極めて限定的な瞬間だ。色々と制約があったとしても、限られたその瞬間に戻れるなら、自分の人生を変えられるかもしれない。そう考えると、限定された条件もそれはそれで十分物語として成り立つものである。まぁ、いつも席には「幽霊(過去から戻れなかった女)」が座っていて、無理にどかそうとすると「呪われる」という前提には苦笑せざるを得ないが・・・

 それでも4つの物語には味わいがあって、特に最後の話には思わずウルウルとさせられてしまった。ベストセラーになっているのもなんとなくよくわかる。作者は、この小説がデビュー作らしい。今後、ちょっと名前を覚えておきたいと思う作家である。
 そんな喫茶店があったら、自分ならどうするだろう。ちょっと想像してみたい一冊である・・・

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2017年02月02日

【潮騒】三島由紀夫



 三島由紀夫の本は、一時期凝っていて集中して読んだものである。何となくもう一度読んでみたくなって、あまりヘビーなものより軽いものとして本棚から取り出したのがこの一冊。三島由紀夫の本の中では、ちょっと他と違って異彩を放つ恋愛小説である。

 舞台となるのは伊勢湾にある歌島。人口1,400人、周囲一里に満たない小島であるという。その島に住む18歳の若者久保新治がこの物語の主人公。新制中学(今の高校)を出た後、島の多くの若者がそうなのであろう、親方の船に乗り漁に出ている。父親は戦争中に敵機の機銃掃射を受けて死んでおり、母親が女手一つで海女をしながら新治と弟を育て上げたのである。

 そんな新治が、漁の後ヒラメを燈台長のところに届けるべく歩いて行くと、浜で見知らぬ少女を見かける。のちに村一番の金持ち宮田の照爺が呼び戻した娘初江だとわかるが、新治は初江に心を動かされる。金持ちの娘と貧乏人の男の恋物語という構図は、いかにもありふれている。そうしてそういう物語の大概がそうであるように、主人公には名門の息子安夫というライバルが登場する。

 自分には縁のないものと考えていた新治だが、ある日偶然山の中で道に迷って泣いている初江と出会う。道案内をしつつ、ほんの短いひと時を新治は初江と過ごすが、このひと時を新治はこの上なく幸せに感じる。何の娯楽もない島で、しかも戦後間も無くで初江はモンペを履いている。そんな時代の若者の純情が伝わってくる。

 どちらともなく、新治と初江は惹かれ合い、やがて密かに逢瀬を重ねるようになる。ある嵐の日、待ち合わせした二人は密かに観的哨(戦時中、砲弾の着弾地点を見極めるための軍施設)で合う。互いに裸になり濡れた服を乾かすが、清らかな関係のままである。これも時代であろうか。時代といえば、昼食を中食(ちゅうじき)と表現しているなど随所に古い言葉が使われていて、時代を感じさせるところである。昭和30年に発表された作品であることを考えると、不思議ではない。

 村で二人の関係が噂になると、初江の保護者である照爺は初江に新治と会うことを禁ずる。これも王道ストーリー。禁断の恋はますます二人の気持ちを盛り上げる。田舎の小さな島の戦後間もない頃の話であるが、純粋に心が洗われるような爽快感が漂う。夏目漱石もそうであったが、昭和の文豪たちの小説には独特の味わいが含まれていて、妙な懐かしさを覚えるのは自分が若い頃に読んだという影響もあるのだろうか。

 ビジネス書もいいけれど、こういうかつて読んだ小説を時を経てもう一度読んでみるというのもいい気がする。三島由紀夫の小説はまだ本棚に並んでいるから、折を見て手にとって見たいと改めて思う。忘れかけていた純情を思い出させてくれるかのような一作である・・・



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2016年12月26日

【ファイティング40、ママはチャンピオン】鈴木一功



 物語の語り部は、小さな劇団を率いる「50も半ばの」俳優。離婚後体調を崩した折、自宅にやってきて料理を作ってくれた劇団員の佳代子と気がつけば一緒に暮らし始め、二人の子供をもうけて現在に至っている。語り部は確かにこの俳優兼劇団長だが、話題の中心となるのはタイトルにもある通り妻の佳代子となる。

 ある時、劇団で毎年恒例の公演が行われる。そこで佳代子は勝てない女ボクサーの役が振られる。初めこそ、渋々その役を受け、役作りのためにボクシングジムに通い始めた佳代子だが、元々凝り性の佳代子はそのままボクシングに夢中になっていく。公演が終了してもその熱は冷めず、本格的にジムに通うようになる。

 やがて単独で旅公演に出た佳代子だが、3ヶ月後に帰ってくると、佳代子の体は筋骨隆々となっており、家族はど肝を抜かれる。その熱は止まる所を知らず、同じジムの男子ボクサーの世界タイトルに同行して判定に文句をつけてしまうまで至る。そしてとうとうジムの会長の思惑もあってプロデビューすることになる・・・

 物語はこんな具合に40歳のママボクサーの姿を描いていく。語り部は夫であるためか、妻の心境はわからない。それに圧倒的な実力でデビューすると、あっという間に元世界チャンピオンとの対戦が組まれるところまで行く。それは男だったら不自然なのであるが、層の薄い女子の世界ゆえに違和感はない。この違和感がないところが個人的には重要で、違和感があると多分そこで興ざめしてしまっていたであろう。

 それはそれでいいのであるが、この物語は、クライマックスが佳代子と元世界チャンピオンとの試合。デビューからわずか3戦目であり、展開が早いのなんの。紙幅の関係もあったのかもしれないが、どうにも早すぎて味が染み込む前に終わってしまったような感じである。男子の若手ボクサーをスパーリングで翻弄したりと、途中までは面白かったので、残念な気もする。

 それにこうしたスポーツドラマを小説で語る難しさとして、どうしても言葉で試合展開を説明しないといけないということがある。映画や漫画は動きをビジュアルに表現できるが、小説は言葉だけに難しい思う。同じボクシング小説でも『BOX!』などは全くそのハンディを感じさせられなかったが、この本はもう少し感が残った。

 短い小説でもあり、まぁこういう小説も箸休め的にはいいだろうと思えた一冊である・・・


   
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2016年12月10日

【キネマの神様】原田マハ



友人に勧められて手にした一冊。
主人公は、大手企業の管理職にあった円山歩。しかし、失意のまま退職し、ちょうどマンションの管理人をしていた父が入院したこともあり、臨時に管理人の仕事を手伝っている。父はギャンブルと映画をこよなく愛し、妻と娘には迷惑をかけ通し。入院してもなお、行きつけの名画座「テアトル銀幕」で何が上映されているかが気になる有様。

この父親がもう一人の主人公と言えなくもない。7歳の頃からすでに映画を観はじめたという筋金入りの映画好き。映画館には「キネマの神様」がいると語る。これがタイトルの所以。そしてギャンブル好きはもはや病気であり、今回も入院代などを知人らに借りた挙句、麻雀につぎ込んで負け、300万円の借金を作る。

しかし、そんな父ではあるが、その父がネットに投稿したことから、歩は映画の出版社である映友社に再就職することになる。映友社は、映画業界では老舗であるが、映画雑誌の販売部数は落ち続け、凋落し続けている。そんな映友社には、社長兼編集長の高峰好子がいて、3人の社員がいる。テアトル銀幕の支配人寺林新太郎(通称テラシン)、歩の後輩清音、高峰好子の引きこもりの息子興太と登場人物たちが出揃うと物語は動いていく。

きっかけは、歩が父にインターネットの使い方を教えたこと。長年のキャリアから織りなす父の映画評は好評を博していく。タイトルからもどっぷりと映画に浸かったストーリー。映画好きには余計に興味深い。父の書評も「フィールド・オブ・ドリームス」など観たことのある映画だと、そのシーンが脳裏に浮かんでくる。次々と採り上げられる映画を「観た、観た」と思いながら読んでいくのは、それだけで楽しい。

登場人物の一人、テラシンが支配人を務めるのは、名画座。ロードショーの終わった映画を二本立てで上映している映画館で、昔はあちこちにあった。物語で登場する実在の名画座「シネスイッチ銀座」にも行ったことがあるし、池袋文芸座もしかり。今はDVDで簡単に観られるようになり、かくいう自分もそれが主流となってしまっている。映画と名画座への愛が溢れるこの本を読むと、ちょっと反省させられる。

さすがに友人が勧めてくれただけあって、ラストでは涙腺が緩んでしまう。物語で、ゴウとローズバットが人生最良の映画としていたあの映画をもう一度観てみたくなった。
映画好きであれば、それだけで一読の価値はある一冊である・・・



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2016年11月30日

【鏡の花】道尾秀介



第1章 やさしい風の道
第2章 つめたい夏の針
第3章 きえない花の声
第4章 たゆたう海の月
第5章 かそけき星の影
第6章 鏡の花

 著者の作品は、これまで短編(『Story Seller』『短編工場』)で読んだことがあるのみなのであるが、そのテイストが気に入っていて、いずれ小説を読んでみたいとずっと思っていた経緯がある。

物語はそれぞれ不思議に重なり合った短編である。「やさしい風の道」と「つめたい夏の風」は章也と翔子という姉弟の話。「やさしい風の道」では、章也は一人バスに乗り、一軒の家を訪ねていく。そこは章也が生まれる前、章也の両親が住んでいた家。そこでは、章也の姉である翔子が、幼い頃ベランダから落ちて亡くなっていた。一方、「つめたい夏の風」では、かつて事故で弟の章也を無くした翔子が、章也と同じ年の中学生直弥とデートする。

同じ登場人物なのに、シチュエーションが異なる。パラレルワールドの物語なのだろうかと不思議な気分で読み進む。「きえない花の声」では、また話が変わり夫に先立たれた主婦栄恵が主人公となる。息子俊樹の行為が原因となる事故で亡くなった夫瀬下が、実は職場の同僚結乃と浮気していたのではないかとの疑惑に駆られてしまう。しかし、次の「たゆたう海の月」では、瀬下は生きていて、栄恵と亡くなった息子俊樹の遺体を引き取りにくる話となる。

「かそけき星の影」では、瀬下夫妻の友人の娘である葎が、バスで直弥と真絵美の姉弟と一緒になる。姉弟と親しくなった葎は、姉弟の両親が火事で焼死したと聞く。そして直弥は、その原因を作ったのが自分であることでひどく自分を責めている。最後の「鏡の花」では、これまでの登場人物たちが、偶然一軒の宿で同宿することになる。顔に火傷を負った宿の娘美代が登場する。

どれもこれもが心にじんわりと滲むエピソード。どの話にも亡くなった人が登場し、登場人物たちは死者を悼む。こうしたパラレルワールドとも言える物語では、独特の効果があると思う。それは「かそけき星の影」の物語に現れている。ここに登場する直弥と真絵美の姉弟は、両親を火事で失っている。そしてその原因は、直弥は自分にあると思い、それが心に大きな傷を残している。

しかし、「鏡の花」では二人の両親は健在で、旅先の宿で真絵美は電話で母親から叱責される。そして思うのである。以前、火事になりそうなことがあったが、あの時両親が死んでいたらと・・・一つの世界では、両親の喪失が心の傷となっており、別の世界ではそれを願う。人間て勝手なものである。だが、見方を変えれば、鬱陶しいと思う人もいなくなればと考えれば、考えも変わるかもしれない。なんとなく、人間関係を考える上でのヒントになりそうである。

なかなか面白い設定の物語であると思う。全編を通して優しいテイストに溢れ、もしかしたらこれが著者のテイストなのかもしれない。ともかく、短編を読んで感じたことは間違いではなかったと思う。また別の作品も読んでみたいと思わせられる一冊である・・・


     
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2016年11月20日

【坂の途中の家】角田光代



角田光代の名前はまだそんなに馴染みがないのであるが、『八日目の蝉』の作者と聞くと、思わず興味を惹かれてしまう。『八日目の蝉』はそれだけインパクトのある内容であったからである。この作品も、小さな子供を育てる女性が主人公という点で『八日目の蝉』と共通点があると言えなくもない。そして思わず引き込まれてしまうのは、その心理描写だ。

主人公は結婚4年目の専業主婦理沙子。2歳になる娘がいる。ある日、理沙子の元に裁判所から裁判員に指名する通知が届く。意に反して補充裁判員という形で選ばれる理沙子。そして夫の実家に子供を預け、裁判所に通う日々が始まる。担当する事件は、同年代の女性が8ヶ月になる我が子を殺したというもの。育児ノイローゼから、我が子をバスタブに落として溺死させたという事件であった。

物語は、事件を起こした女性と理沙子という2人の女性の心の内を描いていく。被告となる女性水穂は、検診の際の保健師や義母の何気ない言葉から自分の子供の発育が遅いと気にし始める。そしてそれが高じて保健師や義母の援助を断るようになり、頼れる友人知人もない中、次第に孤立を深めていく。夫は育児に協力してくれるものの、2人の思いはことごとくすれ違う。そして事件が起こる。

事件の概要を知り、弁護人が語る水穂が追い込まれていく過程を知ると、理沙子はいつの間にか水穂と似ている自身の境遇を思うようになる。反抗期に入った娘は何かにつけて泣き喚き、理沙子の神経をさか撫でる。協力してくれている義母や夫の思いやりも、裏に隠れた真意を疑い素直に受け取れない。無理が神経を疲弊させ、いつの間にか水穂の境遇に自分自身を当てはめていく・・・

物語は、裁判の過程を順に1日ずつ追っていく形で進む。理沙子は毎日、娘を預けるため義父母宅を訪れる。ちょっとした言葉の行き違いから、夫や義母と思いがすれ違い、自分の行動を誤って解釈される。磨り減った神経を癒そうとビールを飲めば、キッチンドランカーになるようなことを言われる。以心伝心とは言うけれど、実際はお互いの心の内はわからない。水穂の犯行も、弁護人と検察の主張とは真っ向から異なる。

そして理沙子自身も、自分自身の思いが夫や義母に理解されないというもどかしさを味わう。全般的に理沙子の視点で物語は進む。理沙子の心の動きを追ううちに、理解されない恐怖がこちら側にも伝わってくる。例えば、裁判で精神的に疲労した梨沙子が、娘を迎えに義母宅へ行く。ところが娘は帰りたくないと駄々をこねる。義母の勧めもあって娘を置いて行くが、自宅を目前にして義母から電話が入り、娘が帰りたいと泣きわめいて手に負えないと言う。理沙子の心境が痛いほど伝わってくる。

いつの間にか梨沙子の気が狂わんばかりの思いが伝わってきて、こうして精神を病んだり、瑞穂のように思わぬ犯罪を犯したりするものなのだろうという気になる。作家だからとは言え、実に巧みなものだと思わされる。女性ならではなのかもしれないストーリー。男の作家には書けないのではないかと思ってしまう。
角田光代の作品は、今度同じく映画化された『紙の月』を観る予定であるが、これから注目したいと思う作家である・・・




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2016年11月11日

【教団X】中村文則



著者の名前はなんとなく記憶に残っていたのであるが、思い出せない。調べてみたら、4年前に『王国』という本を読んでいた。にもかかわらず、はっきり記憶に残っていなかったのは、やっぱりあまり面白くなかったからである。著者の本は、この本で2冊目であるが、手にしたのは著者名ではなく書評だったと思う。

物語は、タイトルにある通り2つの教団の物語である。もっとも1つは「教団」と言えるのかどうか曖昧である。名前も教義も定まっていないその教団に、楢崎透が訪ねてくる。目的は、姿を消してしまった恋人(と呼べるかは微妙)である立花涼子の行方を追ってであるが、すでにそこに涼子はいない。そこは、教祖(と呼べるかは微妙)である松尾正太郎を中心とした信者たちの緩やかな集まり。楢崎はそこで、吉田と峰野の案内で教祖の話を集めたDVDに見入る。

教祖の話は不思議な話。ブッダの話から宇宙の話まで多岐にわたる。教義らしき内容、説教くさい内容はまるでない。ただ、人間を含む個体は原子の集まりで、それが次々と入れ替わりながら個体が維持され、死ねば分散し、またいずれかの個体の構成要素となるといった内容の話が個人的な興味を惹く。

一方、タイトルにもなっている教団Xは、沢渡という男を教祖とした立派な教団。毎週月曜日には、信者たちは乱交を繰り広げる。教祖に呼び出された女性信者は必ず教祖とすることになっていたりして、もろ怪しげな組織である。その組織のNo.2である高原は、涼子の戸籍上の兄であり、その実態は恋人に近い。涼子を探す楢崎は、この2つの教団の間を行き来し、その不思議な世界に触れる。

危険な宗教集団といえば、我が国でもオウム真理教のテロが記憶に新しいが、ここでも教団Xはテロに走る(もっとも本当にそれがテロかどうかは微妙である)。沢渡が意図する行動。そしてアフリカで、危険な体験をした高原が取り憑かれている組織YGの信仰R。そこに公安の50代の男と30代の男が絡む。

読んでいくうちに、登場人物たちの関係がしばしわからなくなる。というのも、色々な人物にスポットライトが当たり、正直言って真の主人公が誰であるのかよくわからない。その漠然としたところが、ストーリーにイマイチ身が入らない原因となっている。それに登場人物が語る内容にしばし政治的メッセージ性が強く現れているのも鼻につく。

・「(我が国は)平和平和と連呼する、戦争を望む国から煙たがれる存在になるべき」
・「他国で紛争が起こり民衆が苦しんでいても見捨てるのかという意見はその通りだが、その紛争の裏に大国の思惑があることを考えるべき。
・我々は平和理念を維持すべき。
・「紛争」を事前に防ぐ行為をし続けたい
さらには、警官たちの怒りを招く行為。自衛隊機の暴走。
危機を煽っていたずらに右傾化していく国家を諌める言葉が続く。実にわざとらしく、いやらしい。

・理想を捨てれば人類は後退するだけ
・あの理想を掲げながら、現実の中でどう平和に向かい奮闘するするかが大事
なんだか必要以上にメッセージ性が強すぎてげんなりとしてしまう。結論的に面白かったか否かと問われると、正直言って及第点は与えにくい。前作に続いて連続の「もう一歩」。次はよほどの評判でもない限り読みたいとは思えない著者である・・・



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2016年08月08日

【短編工場】



【かみさまの娘】桜木紫乃
【ゆがんだ子供】道尾秀介
【ここが青山】奥田英朗
【じごくゆきっ】桜庭一樹
【太陽のシール】伊坂幸太郎
【チヨ子】宮部みゆき
【ふたりの名前】石田衣良
【陽だまりの詩】乙一
【金鶏のもとに】浅田次郎
【しんちゃんの自転車】萩原浩
【川ア船】熊谷達也
【約束】村上由佳

 タイトルにある通りの短編集。それも1人の作家の手による短編集ではなく、その名も知れたる作家たちの手による短編集であり、なんとも贅沢といえば贅沢な短編集である。共通項といえば、2000年代に「小説すばる」に掲載されたという点らしい。初出を見ると古いので2000年、新しいので2008年とあるから、ちょっと前のものである。しかし、「小説すばる」なんて読まないので、もちろん、ほとんど読むのは初めてである。

「かみさまの娘」は、母と離れて働く娘が、母の訃報を受け取るところから始まる。母は生前霊能者のような振りをして、相談料をもらうようなことをしていたという。そんな「かみさま」をしていた母に反発していた娘の心境を綴ったもの。道尾秀介の作品は、これからちょっと読んでいきたいと思っていたので期待していたのであるが、わずか5ページで終わってしまった。

「ここが青山」は、14年勤めた会社が倒産した男の話。「人間いたるところ青山あり」という諺がキーワードになっている。「人間」を「じんかん」、「青山」を「せいざん」と読むということを改めて思い起こしてくれる。再就職よりも、むしろ主夫業に喜びを見出していく主人公に、妙に共感してしまう。「じごくゆきっ」は、生徒と逃避行に走る教師の話。

「太陽のシール」は、唯一読んだことのある作品。かつて読んだ『終末のフール』の一編である。そういえば、伊坂幸太郎を読まなくなって久しい。「チヨ子」は、宮部みゆきの作品。ウサギの着ぐるみを着たアルバイトの女性が、着ぐるみを通すとその人がかつて愛玩したおもちゃの姿で見えるという物語。

「ふたりの名前」は同棲カップルの話。別れる時に揉めないようにと、互いの持ち物に名前を書いていているふたりが、ある日子猫をもらってくる。子猫が急病となったのを契機に、ふたりの未来が明るくなる。読んでいるこちらの心も温かくなる、石田衣良のテイスト溢れる作品。「陽だまりの詩」は、近未来絶滅に瀕した人類の話。死の病原菌に侵された男が、自分を埋葬するため、アンドロイドを造る。

「金鶏のもとに」は、浅田次郎の作品。戦地から帰還した主人公が、廃墟でなりふり構わず生き抜く男たちと過ごす。決してきれいごとだけでは生きていけなかった世界。似たような話が溢れていたんだろうなと想像してしまう。「しんちゃんの自転車」は、オカルトの入った話。何気なく読んだが、考えてみればちょっと怖い。

「川ア船」は、ちょっと長い一編。タラ漁に携わる親子の物語。戦後間もなくのどこか東北の話であろう、全編にわたる方言が心地よく、そしてラストの父親の愛情に思わずホロリときてしまう。最後の「約束」は、仲の良かった同級生4人の物語。1人が病に倒れ、治療法がないと言われるその友を治すべく、残りの3人はタイムマシンを作り始める・・・

短編集とはいえ、名の知れた作家の作品をまとめて読めるというのは、贅沢な気持ちがする。多分この本を出版した意図もそこにあるのかもしれない。「これが良かった」という一品を選ぶとしたら、「川ア船」だろうか。板子一枚下は地獄と言われる漁師の生活。その中で父子の対立があり、そして親子の愛情がある。思わずホロリとさせられたところが良かったところである。作者のことは知らなかったから、今度は他の作品を読んでみようかという気にさせられた。

お馴染みの作家の作品を楽しむのもよし、そして今まで読まなかった作家の作品を楽しむのもよし。しかしながら、個人的には「新しい作家との出会い」という意味で、意義ある短編集であったと言える一冊である・・・

   
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2016年07月24日

【儲けすぎた男 安田善次郎】渡辺房男



序章  東大安田講堂
第1章 鰹節と一文銭
第2章 金貨銀貨を集めねば
第3章 維新の嵐
第4章 太政官札を買い占めろ
第5章 円が生まれる
第6章 公金を手に入れろ
第7章 公債を買い占めろ
第8章 我が安田銀行
終章  栄光、そして不慮の死

安田善次郎と言われても、正直ピンとこないが、江戸から明治にかけての激動期に商人として財をなし、現みずほ銀行や明治安田生命保険などの企業グループの礎を築いた人物である。同時期の同じように三菱グループを創設した岩崎弥太郎や渋沢栄一などと比較すると、なぜか知名度が劣るが、それは政治家とあまり関係を持たず、表に出てこなかったからかもしれない。ともあれ、現在も東大の安田講堂にその名の残る人物を少し知りたくて、手に取った一冊である。

安田善次郎は、富山の下級藩士の家に生まれる。父親が苦労して藩士としての身分と姓を手に入れたが、実態は田畑を耕し、城下町でそれを売り歩いて生計を立てている身分。武家としての誇りだけが自慢のような生活に絶望し、善次郎は家を抜け出して江戸へと出てくる。そして両替屋で下働きを始め、身を粉にして働き、ようやく店を構えるまでになる。

当時の両替屋は、要するに小銭への両替をするところであったらしい。現代のようにお金が巷にあふれていて、小銭がなくて困るということは万札の使えない自動販売機くらいだし、店に行ってもお釣りがないなどということはほとんどない。しかし当時はお金の発行量も多くなかったのであろう、小銭もある程度用意しないと日々の買い物もできなかったようで、そうした小銭への両替を手数料を取って行っていたようである。

もともと志が違うから、商売に対する気持ちも違う。店に来る客を待つばかりではなく、両替ニーズのあるところには、荷車を引いて出かけて行ってそのニーズに応える。なんであっても、いつの時代であっても商売の鉄則は同じである。そして両替屋には、真贋判定というのも求められたようで、善次郎は修行時代にこの能力を磨き上げる。こうした「差別化」が商売に役立つのは、現代もなんら変わらない。

こうして次第に商いを大きくしていく善次郎だが、決して順風満帆というわけではない。江戸末期の社会の混乱の中で治安も悪化し、押し込み強盗が広まる。商売を中止する同業者を横目に、善次郎は店を開け続ける。やはり強盗に入られたりするのであるが、あらかじめ用意していた損害で切り抜ける。また、崩壊しつつある幕府の要人から古金、古銀の回収を頼まれ、治安の悪い中、大金を預かる決断をする。要所要所でのこうした決断が、善次郎の飛躍へとつながる。やはり、リスクを恐れていては、事業の拡大は覚束ない。

明治政府となり、紙幣が発行されるようになるが、この時の決断も後で大きくモノを言う。まだ金銀こそ価値があると信じられていた時代、紙の紙幣を誰もが信用しきれない。政府が流通を促そうとしても、値崩れが止まらない太政官札を善次郎はあえて両替に乗り出す。値が戻らなければ大損だが、値が戻れば大儲けできる。時代の流れを読んだ善次郎は、この勝負に勝利する。歴史を後から振り返れば、簡単な決断でも当事者の目から見れば危険な橋。こうした事例は、現代でもありふれている。

こうした勝負に勝ち続け、また人脈にも恵まれ、善次郎はやがて自らの銀行を開業させるまでになる。国立銀行が次々と開業されていく様子や、三井・三菱・住友といった財閥が、それぞれの功績者の下で発展していく様子が背景で描かれ、歴史の教科書としても役立つところがある。単なるエンターテイメントにとどまらないところが、この本の面白いところだろう。

歴史の教科書としても、ビジネスストーリーとしても、あるいは単なるエンターテイメントとしても楽しめる内容である。我が国近代黎明期の偉人伝としても、一読の価値はあるだろう。個人的には、ビジネスの先達の教えの本と位置付けたい一冊である・・・

posted by HH at 17:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする