2020年05月15日

【狭き門】アンドレ・ジイド 読書日記1149



 タイトルはよく知られたる言葉で、聖書のルカ伝(第13章第24節)からきている。また、マタイによる福音書(第7章第7節)にも同じ言葉がある。どちらもその内容はよく理解できるが、実践するとなるとかなり辛い。実にキリスト教的な言葉だと思うが、そんなタイトルが表す通り、アンドレ・ジイドの代表作である本書はキリスト教の精神が登場人物を通して描かれる。

 物語は主人公たるジェロームが過去を回想する形で展開される。それはジェロームが12歳の時まで遡る。毎夏、フランスはル・アーヴルの近くのフォングーズマールへ出かけるのを恒例としている。そこでいとこのロベール、アリサ、ジュリエットとともに過ごすのであった。記憶の回想が始まるその時、2つ年上のアリサと再会したジェロームは、自分たちがもう子供ではないことをはっきり感じる。

 ジェロームといとこたちは離れて暮らしている。したがって会うのはジェローム一家が夏ごとに訪れる時に限られる。子供ではないと意識したとて、実際の年齢的にはまだ子供の2人は、母親と教会に行って、牧師の話を聞いたりする。そこで「狭き門より入れ」という説教を聞く。ジェロームの夢想する狭き門は、アリサの部屋のドアに変わったりする。

 回想は時を追って行く。中学になり2人の言動も大人びていく。ジェロームの回想の中心は常にアリサ。1つ年下のジュリエットもいるが、ジェロームはアリサ一筋。しかし、当のアリサはそんなジェロームの心を知っても心は信仰が中心。「君に出逢えないんなら、天国だって僕は御免だ」と語るジェロームに、アリサは「先づ神の国と神の義とを求めよ」と答えるほどである。

 このアリサのスタンスは最後まで変わらない。一方。ジュリエットは密かにジェロームに想いを寄せる。だが、ジェロームはアリサ一筋。ジェロームの想いに対し、常に一定の距離をおくアリサ。ではアリサはジェロームに気がないのかと思いきやそうではない。それが随所にアリサの言葉で表されるが、アリサにとっては何より神が大事。神の前ではジェロームと愛を育むという世俗のことには身を染められないという感じである。

 読んでいて、もどかしくなることしばしば。この時代はそもそも貞操観念が現代とは比較にならないほど強い。純愛の時代であるが、それでもアリサの神への献身はちょっと理解が難しい。それは自分がクリスチャンではないからかもしれないし、現代とは感覚がそもそも違うからかもしれない。他に好きな男がいるならまだしも、そうではないのに自分の想いには答えてくれない。ジェロームの焦燥はよく伝わってくる。

 この小説が受け入れられた背景はよくわからない。当時のクリスチャンの感覚では、アリサの心もジェロームの気持ちも人々の胸を打ったのかもしれない。ただ、現代の感覚ではなかなか理解が難しい。それだけ世の中も変わったということなのだろう。そんな時代感を味わうという意味では参考になるかもしれない一冊である・・・




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2020年05月09日

【誰もが戻れない】 読書日記1146



原題:INNOCENT GRAVES

 本書は、実はカナダ在住の英国人作家である著者が発表しているシリーズ物の一冊だと言う。それは本書の主人公であるアラン・バンクス首席警部を主人公としたシリーズで、これが第8作目と言うことである。読むにあたりそんなことは知らなかったし、知らなくても本書は十分に楽しめる。それぞれ独立色の強いシリーズなのかもしれない。

 事件は、イギリスはヨークシャーの市場町イーストヴェイルで発生する。産業界の大物サー・ジェフリー・ハリソンの16歳になる一人娘デボラが絞殺体で発見される。着衣は乱れ、一見レイプされた末の犯行かと思われたが、さにあらず。所持金も取られていない。ただ、持っていたカバンの口は開いていて、物色されたかもしれない。一見、不可解なところがある。発見者は、遺体が発見された教会敷地を管理する教会の牧師夫人。すぐにアラン・バンクス主席警部が現場に到着する。

 捜査が開始されると、やがて捜査線上に怪しい人物が浮かび上がる。まずは教会の下僕を務めていたクロアチアの移民イェラチッチ。自らの行いを棚に上げ、クビにされたことの逆恨みで牧師を同性愛被害で訴えていた。そして当日同時刻、付近をうろついていた国語教師オーエン・ピアス。さらにはデボラと付き合っていたという不良青年のジョン・スピンクス。

 人の家庭というのは、外からはうかがい知れないもの。サーの称号を持つジェフリー・ハリソンの家には友人のマイケル・クレイトンが出入りしている。ジェフリーの親友で信頼も厚いが、実は大きな秘密がある。デボラも良家の子女であるにも関わらず、よからぬチンピラのスピンクスと付き合っている。そしてどうやらオーエン・ピアスが有力な容疑者として浮上する。

 昔の刑事コロンボのパターンは、初めに犯人がわかって、それをコロンボが追い詰めていくパターンだったが、このアラン・バンクスシリーズは犯人がわからない。パブで一人で飲んでいるところを目撃され、しかも当日着ていたコートにデボラの髪の毛が付着していたことが判明する。そのほかの物的証拠も出揃い、オーエン・ピアスが逮捕される。ところが本人はこれを否認する。

 果たしてピアスが犯人なのか。裁判が開始され、ピアスには不利な証人が登場する。アラン・バンクスは特に何か優れた資質があるというわけでもなさそう。推理力が鋭いでもなく、腕っぷしもそれほど強調されてはいない。そういう意味では、なんとなくどこにでもいそうな普通の中年刑事という感じである。ただ、一方的に決めつけるのではなく、地道に捜査をするという当たり前の資質は持ち合わせているようである。

 事件の犯人は、意外と言えば意外。ただ、特段、何かそこに至る過程で驚かされたりすることもなく、物語は進んでいく。それが特徴なのかもしれない。シリーズ化されているということは、それなりに人気があるのかもしれないが、これ一冊ではなんとも言えない。また、ではほかの作品も読んでみようかという気になるわけでもない。まぁ、こんなものもあるのかな、という感想を持った一冊である・・・






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2020年04月15日

【Red】島本理生 読書日記1142



 私にとってはまた新しい作家との出会いの一冊。新しい作家の本を初めて読むときは、いつも期待半分、不安半分である。

 主人公の村主塔子は、結婚して夫の両親と同居している31歳の専業主婦。一人娘の翠がいる。冒頭で友人の結婚式に出席した塔子は1人の男と再会する。それはかつて塔子がバイトしていた先で社長をしていた按田秋彦。思わせぶりな冒頭の再会シーンから過去に塔子との間で何かあったなと感じさせる。なかなかうまい描写だなと思わせられる。そしてその再会シーンにはその後の展開をうかがわせるものがある。

 塔子の姑麻子は人が良く、嫁姑問題も起きていない。夫も優しく安定した収入もあって一見、なんの問題もない幸せな家庭。しかし、実はセックスレスという問題がある。夫に性欲がないわけではないのは、塔子が口で奉仕していることからわかるのであるが、この描写も絶妙。著者が女性であることもあり、どうしてもこの小説の「女性からの視線」を意識させられる。普段、窺い知れない女性からの視線。妻の行為に無邪気に甘える夫の姿も視線の違いを意識させられる。

 結婚式での再会後、塔子は再び友人の付き合いで按田と再会する。友人と一緒だったこともあってか、別れてから現在までの空白が気安く埋まって行く。「男の恋愛は名前をつけて保存、女の恋愛は上書き保存」と言われるが、男は過去の女を忘れない。常に「あわよくば」と考える。別れ際、鞍田は塔子をこっそり誘い、塔子はこれに応じる。そして今度は2人きりで飲み直し、トイレで塔子は按田に後ろからされる。この描写も大胆である。

 不倫といえば男がするものというイメージが50代の自分にはあるが、決してそんなことはない。幸せな環境にあるはずの塔子が不倫に向かって行く過程も実に自然である。塔子も最初は抵抗感がある。子供もいるし、義理の両親も夫も優しい。生活には何1つ不満はない。セックスレスを除いて。結婚記念日に子供を両親に預けて夫婦で食事に行く。帰りにラブホテルの方へ向かう夫に対し、戸惑いながら喜びに溢れる塔子。しかし、夫はただコーラが飲みたくてホテルの前にある自販機に向かっただけとわかり、絶望的な気分になる。

 一方、按田はそれに対し、セックスもうまい。誘われれば塔子も心とは裏腹に誘いを断りきれない。女の「No」は「YES」だと言われるが、按田との関係を深めて行く塔子の心境が、男の視線からは新鮮である。そして塔子は按田の紹介で仕事を得る。それは妊娠を契機に働くことを諦めた塔子に忘れていた世界を思い出せることになる。男もそうであるが、やはり女も働くことで社会に参加している喜びを得られるのだろう。

 按田との関係。そして新たに務めた会社で塔子に近づいてくる男小鷹。読んでいて、果たして塔子の行為は許されざるものなのかと思えてくる。もちろん、小説は主人公目線であり、それは常に肯定感で描かれる。だから塔子の行為も許容的に見てしまう。どこからどう見ても塔子の行為は夫と家族に対する裏切り行為でしかないのであるが、それを責める気持ちにはなれない。人間はどうしてもそういう生き物なのだと思う。

 物語は大きな波乱が起きることもなく、静かに進んで行く。1人の主婦の心の内を小説という形ではあるが、覗いて行くのは男の目からは新鮮である。そして男も女も同じなのだと強く思う。ベッドシーンも実に官能的で、その点でも知られざる女の意識を覗く感じがする。
 幸せに見えても人はどこか満たされぬものがあって、ダメとはわかっていてもついつい求めてしまう。塔子を通じて少しだけ女というものがわかったような気がした。実に興味深く、著者の他の作品も読んでみたいと強く思わせてくれた一冊である・・・



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2020年04月09日

【地面師たち】新庄耕 読書日記1138



 地面師とは、ちょっと聞き慣れない言葉ではあるが、「他人の土地を自分のもののように偽って第三者に売り渡す詐欺師」のことだという。最近起こった、五反田の土地を舞台にして天下の積水ハウスが55億円も騙し取られた事件が脳裏をよぎる。この本は、そんな地面師たちを描いた物語。

 冒頭で、いきなりその地面師たちが、本番を前に打ち合わせをしているシーンが出てくる。売主になりすました男にあれこれとレクチャーする。地面師たちは、それぞれ仲介業者とコンサルタントに扮し、取引現場に臨む。相手の買主は、司法書士らを伴い、取引現場では所有権移転登記に必要な書類一式をやり取りする。司法書士は売主の本人確認をしなければならないので、初対面の売主にあれこれと質問をして確認をする。バレたら終わりなので、地面師たちも打ち合わせに余念がない。

 恵比寿駅にほど近い好立地の土地につられて名乗りを上げた不動産会社がまんまと騙されて7億円を騙し取られる。リーダーはハリソン山中。現場には顔を出さないが裏ですべての絵を描く。主人公の辻本拓海は、父親が詐欺の被害にあって世を悲観して一家心中を図り、巻き込まれた母と妻子を亡くしている。以来、社会からドロップアウト。デリヘルの運転手をしている時にハリソン山中と知り合い、地面師に加わっている。

 紙面師たちは、ハリソン山中の下、それぞれの役割に応じて準備をする。案件を探してくる者、売主になりすます者(たいていは金に困っている者)、取引現場で仲介業者に扮する者、拓海のように不動産コンサルタントを名乗って同席する者。小説なので架空の話ではあるが、手口は実に生々しい。積水ハウスのような大手がどうして騙されるのかと不思議に思っていたが、なるほどこれなら引っ掛かるのも無理はないと思わされる。

 冒頭の取引をうまく成し遂げ、大金をだまし取った一味はすぐに次の案件に取り掛かる。高輪ゲートウェイ駅開業を控えた品川のお寺に隣接した、不動産デベロッパーからしたら垂涎の物件。しかも、直前で大型案件がボツになって焦る石洋ハウスの役員青柳にしてみれば、社内でライバルに負ける直前の大逆転が可能になる案件。総額100億円の取引がこうして動いていく。持ち主の行動を探り、挙句には架空の話をでっち上げ、沖縄に招待して本人になりすます手口の良さ。

 単純に物語としての面白さもあるが、こうした地面師たちの手口を見られるというのは実に興味深い。積水ハウスの事件でも、おそらくこんなこれに近いような事が行われていたんだろうなと思いながら読み進む。こうした物語の難しさは、主人公を英雄的に描くと「犯罪推奨」になってしまう事。この物語も100億円という取引が進む中、一味の崩壊の予兆も内包していく。不動産業界に身を置く者としては、実に興味深い物語である。

 世の中の悪を知ることは、身を守ることにもつながる。巨額の不動産取引になど縁はないかもしれないが、似たようなことはあるかもしれない。いろいろな意味で、読んでおいて損はない一冊である・・・


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2020年02月25日

【まち】小野寺史宜 読書日記1124



 同じ作家の本を読み続けるというのもいいが、それだと幅が広がらない。たまには知らない作家の本に手を出してみるのもいいだろうと思って手にした一冊。

 主人公の江藤瞬一は、群馬県の片品村で祖父と2人で暮らしていたが、高校卒業を機に東京に出てきて今はアルバイトをして一人暮らしをしている。両親は瞬一が小学生の時に火事で亡くなっている。それが原因で今でも火が怖く、両親の死に責任を感じている。祖父は歩荷(ぼっか)という荷運びの仕事をしていたが、今はもう引退している。瞬一に東京へ行けと背中を押したのはこの祖父である。

 東京に出てきた瞬一は、江戸川区のアパートに住むことにする。初めはコンビニで働き、今は187センチという体格を生かしてか、引越しのアルバイトに転じている。そんな瞬一の姿を物語は追う。アパートの向かいの部屋にはシングルマザーの母娘が住む。虫が苦手で、ゴキブリが出ると瞬一に助けを求めてくる。一階には高齢の得三さんがいて、アルバイト先ではちょっと変わった友人野崎万勇がいる。

 体はデカイが瞬一は朴訥とした人柄。それゆえどこに行っても敵を作らない。辞めたコンビニで今も働くパートの主婦にも行けば歓迎される。得三さんには弟が社長をしている会社で人を探しているからと言って、そこで働かないかと誘われる。シングルマザーの敦美さんにはおかずのおすそ分けをもらう。その娘の男の人が苦手な彩美ちゃんにも慕われる。ケンカは苦手のようだが、それもまた良しである。

 そんな瞬一の日常は大きな事件が起こるというわけではない。それでも敦美さんの別れたDV夫が訪ねてきたり、じいちゃんが田舎から出てきたり、バイトの高校生と仲良くなったりする。誰にもそれぞれの物語があったりする。高卒でアルバイト生活というのも考えれば問題と言えなくもない。いくら人柄が良くてももう少しなんとかしたい。東京に出てきて5年。同級生も大学を卒業して就職している。普通、この立場は問題だ。

 けれど瞬一はそんな懸念を感じたのか、きちんと自分の生きる道を見出して行く。それはとても清々しい。初めて読む著者の文章も朴訥としている。

 「川どうだった?」と敦美さんが尋ね、
 「流れてた」と彩美ちゃんが答える。
 いい答えだな、と思う。

読む者の気持ちを柔らかくしてくれる文章である。著者には本屋大賞第2位になった著作(『ひと』)があるようである。今度はそちらを読んでみようかという気にさせられた一冊である・・・



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2020年02月15日

【危険な弁護士】ジョン グリシャム 読書日記1120



原題:Rogue Lawyer
第一部 侮辱
第二部 ずどん・ずどん部屋
第三部 兵隊気取りの警官たち
第四部 取引
第五部 ユーホール法
第六部 有罪答弁取引

 ジョン・グリシャムといえば、法廷モノが得意な作家というイメージがある。『評決のとき』や『ザ・ファーム 法律事務所』、『ペリカン文書』といった映画化された初期の作品が記憶に残っている。最近は読んでいなかったが、久々に手にした一冊はやっぱり法廷モノである。

 原題は「悪党、ゴロツキ」といった意味らしいが、邦題は随分マイルドになっている。そんなタイトルからもわかるように、主人公の弁護士セバスチャン・ラッドは、極悪の犯罪者などの弁護を引き受ける「下位分類」に位置する弁護士である。そんな仕事ぶりからか、狙われることも多く、事務所を構えるのも危険でバンが事務所がわり、銃を携行し、危険を避けるため安モーテルに泊まり続けるのもしばしばという有様である。

 そんなラッドの活動を物語は描いていく。最初の事件は2人の少女を殺したとされるガーディーという男の弁護。漆黒に染めた髪、首から上にはピアスのコレクション、それに見合うスチールのイヤリング、首から下はタトゥーのコレクション。「誰もが一目で有罪だと断言するような出で立ち」である。もっとも他の罪はともかく、ガーディーは少女殺しは否定している。町中がガーディーとその弁護士であるラッドを敵視する中、ラッドは裁判を行う。

 ラッドには別れた妻と、間違ってできてしまった息子がいる。パートナーは弁護士補助人兼運転手兼ボディーガード。事件の合間合間に元妻や息子スターチャーのこと、それからスターチャーの美人の担任との関係が描かれる。弁護士稼業のかたわらで総合格闘技の選手のサポートもしているが、せっかく支援していた選手タディオが、あろうことか判定に腹を立てて審判を殴り殺してしまうという事件を起こす。

 下位分類の弁護士といっても、悪人と手を組んで悪事を働くというのではない。弁護の対象が裕福な企業などではなく、クズのような犯罪者というだけで、本人はきちんと弁護士の仕事をしていく。もっともどんな悪人であろうと、裁判を受ける権利は保証されているのが現代社会。法治主義国家である以上、ラッドのような弁護士は必要である。ただし、憎まれ役にはなってしまうため、検察や警官に敵が多いのも事実。

 そして事件は次々と起こる。警察の副署長の娘が行方不明となり、ラッドは「行方を知っている」という男アーチ・スワンガーから依頼を受ける。また、薬物取引の容疑者と間違われた老夫婦が深夜にSWATの襲撃を受け、妻が射殺されるという事件が起きる。それぞれの事件の弁護活動に走るラッドだが、その方法は必ずしも正攻法ばかりではない。アメリカ独特の司法制度を使いながらの弁護は単純に面白い。

 久々のジョン・グリシャムだったが、その法廷の世界は健在。アウトロー的な主人公にスポットライトを当てた物語は映画化されても面白いかもしれないと思う。まだ読んでいない他の作品も読んでみようかなと思わせてくれる一冊である・・・
  




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2019年12月20日

【そして、バトンは渡された】瀬尾 まいこ 読書日記1106



 著者は、個人的にはあまり馴染みのない作家。作品を読むのもこれが初めてである。そういう新しい作家との出会いは、期待させてくれるものがある。
 
 主人公は女子高生の森宮優子。普通とちょっと変わっているのは、その家庭環境。父親と2人暮らしであるが、実はその父親とは血の繋がりはない。生まれた時は、水戸優子であったが、そのあと田中優子、泉ヶ原優子と三度苗字が変わっている。なぜ、そんなことになったのかと、冒頭から興味を惹かされる。その経緯が明らかになっていく過程が縦のストーリーとなっている。高校生の優子の生活と同時に、過去の優子の生活が描かれていく形で物語は進むのである。

 優子は、初めはもちろん血の繋がった両親の元に水戸優子として生を受けている。しかし、産みの母が早逝し、父は優子が小学校2年の時に再婚する。その女性は田中梨花と名乗り、優子は産みの母に対するこだわりもそれほど見せず梨花を受け入れる。梨花と優子はウマがあったのか、仲良く過ごすがやがて父がブラジルに転勤となる。この時、優子は梨花と一緒に日本に残ることを選択する。まだ小学校の4年生だったせいか、「友達と離れるのが嫌」というのがその理由。そして父はブラジルに単身赴任する。

 しかし、父とはやがて音信不通となり(理由はのちに明かされる)、梨花は「ピアノが欲しい」という優子の望みを叶えるため、優子が中学生の時、泉ヶ原茂雄と結婚する。合間に高校生の優子の日常が描かれる。それは友達同士の他愛ないやり取りだったり、血の繋がりのない父親(優子は「森宮さん」と呼ぶ)とのやり取りだったりする。優子がどういう経緯でこんなに苗字が変わり、そして血の繋がっていない人たちと親子関係になっていったのか。非常に興味を惹かされたまま物語は進む。

 優子の親が変わっていく経緯は、なるほどそんなこともありそうな感じがする。いわゆるたらい回しとはまったく違い、どの親も優子に愛情を持って接する。特に最後の親である森宮は、優子の食事を作ったりと献身的に面倒を見る。親子のやりとりもユーモラスである。高校生の優子の日常もごく普通の女子高生のそれ。特に波乱があるでもなく、物語は静かに進んでいく。この作家のこれが作風なのだろうかと思ってみたりする。

 変わっているのは、親が次々に変わっていった優子の身の上だけで、何があるというものでもない。ちょっと軽い感じの物語である。読み終えてみれば、タイトルの意味もよくわかる。なんとも言えないが、ユニークな作品である・・・




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2019年11月09日

【ソビエト・ミルク ラトヴィア母娘の記憶】ノラ・イクステナ 読書日記1092



 著者は、現代のラトヴィアを代表する小説家の1人だという。サブタイトルでもわかるように、この小説はラトヴィアを舞台としたある母娘の物語。ラトヴィアは、あまり日本では馴染みがないが、「バルト三国」の一国であることぐらいはなんとか知っている。小国の悲哀か、旧ソ連の支配下に組み込まれ、長年ソ連を構成する共和国の1つの地位を占めてきた。この小説の随所に、ソ連下のラトヴィアの様子が描かれていて興味深い。

 この小説の1つの特徴として、物語が母娘それぞれの視点から一人称で語られる。それがくるくると切り替わるので、ぼぉっと読んでいると、果たしてこれは母親の話か娘の話かわからなくなる。時代は母親の生まれた第二次世界大戦末期と1970〜1980年代が並行して描かれる。母親は女医であるが、娘を産んですぐ五日間失踪してしまう。自分の母乳が子供にとって毒だとなぜか考えたらしい。こんなイントロで物語は始まる。

 母親は大戦末期に生まれる。幼い頃、父親がソ連兵がモミの木を伐採するのに抵抗して連行されてしまう。祖母と母はクローゼットに隠れて難を逃れるが、町へ逃げてアパートに移り住むが、まずやらなければならなかったのは、夜中に凍死しないように爆撃で破壊された窓を修復することだった。混乱期の出来事とは言え、母親にとっても辛い幼少期である。

 そんな経験が影響したのかはわからないが、母乳の事件といい、母親は娘にあまり愛情を注がない。「母に抱きしめてもらった経験はない」と娘は語る。それどころか、学校の送迎をしてくれたこともなく、送迎は母を養子にした義父で、娘は祖父母が事実上の育ての親となって育つ。それでも母親なりの愛情はあり、娘にはひたすら体制に従うように教え諭す。「先生の言うことは全部覚えて模範生になりなさい。反抗しちゃだめ。共産主義青年同盟の行事には積極的に参加しなさい」と。

 母親は、ソ連の人間に尋問され、反体制派とみなされた父親との関係を聞かれる。娘もまた、校長室に呼ばれ、灰色のコートを着た人物に尋問される。「母親に学校で教えられていないようなことを教えられていないか」と。娘は咄嗟に女性の妊娠について教えられていると機転を聞かせて答える。日頃、ソ連批判をしていた母親の言動がどこかで漏れたのであろう。母娘二代に渡っての経験である。

 クリスマスを祝うことは禁じられ、新年にはアナウンサーがロシア語で「新年おめでとう!同志諸君!」と呼びかける。「ロシア人を粉砕してゴミにすれば食料計画は達成できる」と誰かが落書きを残す。やがてチェルノブイリで原発事故が起こり、娘の担任は胸を張って医師である息子を事故現場に行くように説得する。そして2週間も経たずに息子は現場で命を落とす。ソ連の一部だという印象しかなかったラトヴィアだが、物語に描かれているラトヴィアはそんなイメージとはまるで違う。

 あくまでも小説なのであろうが、背景に描かれているラトヴィアは、たぶん現実の姿だったのだろうと思われる。事実は小説よりも奇なりと言われるが、小説の中で描かれる事実もまた奇なりであると思う。最後はベルリンの壁が崩壊するのを祖父がデレビで観るところまで描かれる。小説ではあるものの、日本にいてはなかなか窺い知れないラトヴィアの現代史を覗き見ることのできる小説である・・・

 

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2019年10月09日

【充たされざる者】カズオ・イシグロ 読書日記1081



 著者のカズオ・イシグロのことは、2017年にノーベル文学賞を受賞したことでその名をはじめて知った経緯がある。一度は読んでみようと思っていたところ、たまたま父親の本棚で見つけて拝借したのが本書である。何でも良かったのであるが、結果的にはやっぱりよく選べば良かったという感想を持った一冊である。

 主人公は世界的に高名なピアニストであるライダー。そのライダーが、とある街のとあるホテルにやってくるところから物語は始まる。ライダーの名声をよく知るホテルマンが恭しく迎える。どうやら街全体での歓迎のようである。皆がライダーの過密スケジュールを気にしているが、不思議なことにライダー自身はスケジュールの中身を把握しておらず、なんとなく周りに合わせて行動していくことになる。そしてなんとも言えない不思議な物語が展開される。

 ライダーはホテルに努めるグスタフに頼まれて娘のゾフィーと孫のボリスに会いに行く。過密スケジュールを抱えているはずなのに、本人がその内容を知らないせいか、ライダーは請われるままゾフィーとボリスに会う。そして家での食事に招待され、一緒に歩いてゾフィーの家に向かう。ところがゾフィーは1人でどんどん歩いて行ってしまい、ライダーはボリスとともに迷子になってしまう。普通、そんな事態にはならないだろう。

 不思議な展開はそれに限らず、ライダーはボリスを連れたままあちこちと街をさまよい、挙句にあっさりホテルに戻ってきたりする。ライダーの周りの人たちも、やれアルバムを見てくれだの、ピアノの演奏を聴いてくれだのと寄ってくる。しかし、ピアノの演奏にしても部屋の外で聞いていたり(なぜそばで聞かない)、いずこかのパーティー会場に案内されて行くのだが、ドアをいくつか開けるとホテルに戻っていたり・・・

 ライダーの前に登場する人物は、皆が皆恭しくライダーに話しかけるが、その話の内容は冗長で回りくどく、何を言いたいのかはっきりしない。それに加えてライダーの身の回りに起きることはどうも現実感に乏しいことばかり。そんなやり取りが長くダラダラと続き、読んでいてイライラしてくる。よほどもう読むのをやめようと何度も思うも、ノーベル賞作家だし、きっと何か劇的なオチがあるに違いないと思い直して読み進む。

 読んでいる最中、以前観た『ジェイコブス・ラダー』という映画を思い出した。この映画で主人公はベトナム戦争から帰国した後様々な不思議な経験をする。しかし、実はジェイコブはベトナムの野戦病院で死にかけていてすべては夢だったというオチの映画。この物語もきっとそんなオチが待っているに違いないと信じて読み続ける。これはなかなかの苦行。

 そして物語では、最大の目的だったはずのライダーのピアノコンサートも行われないまま朝を迎える。それはちょうど夢を見ていて、目的地に行こうとするのに次々と脇道にそらされていき、なかなか目的地に着けないうちに目が覚めたという経験を思い起こさせる。ライダーもコンサートの舞台へ向かおうとするのに、あちらで話しかけられ、こちらで頼み事をされとリハーサルさえさせてもらえない。そうして長い物語はエンディングを迎える。

 あれほど期待していたオチはまったくないまま物語は終わる。この本を評価する人はもちろんいるのだろうが、それがどんなに権威のある人の評価だとしても、個人的には「つまらない」の一言である。読まなければよかったと断言できる。ただし、この一冊を持ってカズオ・イシグロは合わないと決めるのは間違っていそうである。もう一冊くらい読んでみて、合う合わないを決めたい。そう思う一冊である・・・



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2019年09月12日

【砂の女】 安部公房 読書日記1071



 名前は知っているが、読んだことのない作家というのは何人もいる。読まずに終わらせるのはもったいない。安部公房はそんな読んだことのない作家の1人であり、父の本棚にあったのを良いことに手にした一冊。「20数カ国語に翻訳された名作」という説明も興味をそそられる。

 冒頭、1人の男が行方不明になったことが説明される。一体何があったのか。男は教師であるが、昆虫採集を趣味としており、8月のある日、休暇を利用して昆虫採集に出かける。砂地に住む昆虫の採集のため、男はある砂丘へとやってくる。思うような成果が得られぬまま時間が経ち、男はたまたま出会った村の老人の親切な申し出を受けて、一軒の家に泊めてもらうことになる。その家には三十前後の女が1人住んでいる。

 その家は、砂地の底にあり、男は砂の崖を梯子を伝って降りる。ランプ一つしかなく、風呂もない家。夜になると、外では砂かきが始まる。男も成り行き上、興味もあってかその作業を手伝う。聞けば毎晩の作業だと言う。不思議に思いつつも一夜を過ごす。そうして朝になり、男は外に出る。そこで降りてきた梯子がなくなっていることに気がつく。よじ登ろうとしても砂が崩れてうまくいかない。女を問い詰めても明確な答えが返ってこない・・・

 こうして男は砂の底の家に女と2人取り残された形となる。帰るために上へ行こうにも梯子がない。そうして実は村人たちの企みで、砂の中の暮らしを維持して行くために男を呼び入れたのだと知る。当然、そこに閉じ込める意図でなされたわけである。立派な監禁なのであるが、村を維持して行くためには仕方ないのだとする。

 そんな村の勝手な事情で人生が左右されるのはたまったものではない。女を叱り飛ばしてもラチがあかず、砂地からは脱出できない。村人もグルであるゆえ、助けを叫んでも無駄である。何もできぬまま、1日また1日と時間は経過して行く。自分がいなくなって、家族や職場の同僚はどうしているかと男は考えてみるも、行く先を誰にも告げておらず、誰も男の居場所を知りようがない。

自分だったらどうするだろうとやっぱり考えてみる。ネックは「時間」だろうか。休暇にも限度はあるし、時間が経てば仕事や家庭生活にも支障をきたしてくる。自分に置き換えてみればローンの支払いだってあるし、などと考えてみる。個人の企みならともかく、村ぐるみとなるとなかなか脱出は無難しいかもしれないが、やっぱりとことん諦めずにチャンスを伺うかもしれない。

 突拍子も無い想定の小説はカフカの小説のようでもある。全く日常とはかけ離れた世界の話を想像力を逞しくしながら読むのも面白いものである。ラストの男の心境の変化もなんとなく頷ける。思わずいろいろと想像させられてしまう小説である・・・




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