2018年05月10日

【ボクたちはみんな大人になれなかった】燃え殻 読書日記918



最愛のブスに友達リクエストが送信されました
暗闇から手を伸ばせ
ビューティフル・ドリーマーは何度観ましたか?
好きな人ってなに?そう思って生きてきたの
そしてまたサヨナラのはじまり
「海行きたいね」と彼女は言った
1999年に地球は滅亡しなかった
ギリギリの国でつかまえて
東京発の銀河鉄道
雨のよく降るこの星では
東京という街に心底愛された人
あの子が知らない男に抱かれている90分は、永遠みたいに長かった
ワンルームのプラネタリウム
ボクたちはみんな大人になれなかった
君が旅に出るいくつかの理由
やつらの足音のバラード
永遠も半ばを過ぎて
必ず朝が夜になるように
バック・トゥ・ザ・ノーフューチャー

著者はなんとも言えないペンネーム。なんでも都内で働く会社員で、休み時間にはじめたTwitterで、ありふれた風景の中の抒情的なつぶやきが人気となり、ウェブで連載した小説が本作となったようである。昼休みもボンヤリしてはいられないということかもしれない。

主人公は43歳のボク。仕事のアシスタントとの打ち合わせに行く途中、開いたFacebookで「知り合いかも?」と1人の女性のアイコンが表示される。それはかつて付き合っていた女性。ついついそのページを読み耽ってしまい、自分と別れた時に既にいまの旦那と知り合っていたことなどを知ってしまう。打ち合わせはすっぽかしてしまい、おまけに混雑の中で誤って友達リクエストを送ってしまう。

その女性はお世辞にも美人とは言えないが、ボクの心は1995年へと遡って行く。その時、ボクはエクレア工場で外国人たちと一緒にアルバイトをしている。唯一の日本人は、キャリア11年の七瀬。工場の休憩室でたまたま手にした雑誌の文通コーナーに目が止まり、1人の女の子の投稿を読む。そしてボクはその子に手紙を出す。1995年と言えば、自分も社会人生活7年目だったが、あの頃もまだ文通文化なんか残っていただろうかとふと思う。やってみたかったかもしれない。

こうしてボクは彼女と文通を始め、そしてそれが高じてやがて会おうということになり、自然な流れで付き合い始める。デートコースは渋谷の安さだけが取り柄のラブホテル。ブスでオタクな彼女と冴えないバイト男のカップルの話はどこからどう見てもロマンチックのかけらもない。やがてボクは美術制作のアルバイトへと転身し、それが現在までと続く。会社の成長とともに身分は正社員。

この物語の魅力は、どこからどう見ても自分の人生以外では主役にはなれそうもないボクの回顧物語。話は特にこれといった盛り上がりがあるわけでもない。ただ、なんとも言えない文章がその魅力と言える。どこか気取ることもなく、人目を意識するでもなく、それでもなんとも言えない味わいを残して行く。それもさり気なく。

・マーク・ザッカーバーグがボクたちに提示したのは「あの人は今」だ。
・彼女の前では、自分に正直な人間になるよりも、自分が憧れる人間になりたかった。
・ボクは眠りそうで眠れないスローモーションのような時間の中で、今日起きたら彼女に電話をして、好きだよと言おうと思った。この瞬間の気持ちがずっと続けばいいのに。明日も、明後日も、何年も先もずっと。それは夢だよと誰かに言われたとしても。
・あの子が知らない男に抱かれている90分は、永遠みたいに長かった
・中目黒の朝は、自分の居場所を確保するために皆が少しずつ殺気立ってみえる。
・「世界が終わりそうな天気だね」
・始まってしまったボクたちは、いつか終わる運命にある。
・こうしている間にも、刻々と過去に仕上がっていく今日。達観した彼女の今日も、まだアップダウンを繰り返しているボクの今日も、先に続いているのは未来であって、過去じゃない。どんなに無様でも「大人の階段」は上にしか登れない。その踊り場でぼんやりしているつもりだったボクも、手すりの間から下を覗いたら、随分高い場所まできていて、下の方は霞んで見えなかった。

そんな言葉の余韻を味わいながら、ボクと一体化して物語の中で過去を振り返る。日常生活から離れて、違った人生を疑似体験しているかのような気分。もう若くもない中年男の気持ちが、少しだけ理解できる。
こういう小説もいいかなと思える一冊である・・・



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2018年04月16日

【死の島】福永武彦 読書日記910



 この本はもう40年以上前に出版されたものであるが、書評を読んで興味を持ち、手にしたもの。テーマは「原爆」。いささか古い感があるが、それでも40年以上前の当時ではまだ身近なものだったのかもしれない。いろいろな意味で興味深い。

 主人公は出版社に勤める相馬鼎。物語は、主人公の相馬鼎と2人の女性、画家の萌木素子と相見綾子との交流が描かれていく内容。素子はかつて広島で被爆し、家族を失い、自身も傷跡の残るけがを負っている。一方、綾子は再婚した父親と継母と妹にあたる連れ子の家庭に居心地の悪さを感じ、家を出て男と暮らしていたが、今はそこを飛び出して素子と暮らしている。相馬鼎は、偶然展示会で素子の描いた「死の島」という作品に惹かれ、素子に手がけている本の装丁を依頼するために訪ねて行ったことから2人との交流が始まる。

 この作品は、読み始めてすぐに読む者を戸惑わせる。いろいろなシーンと登場人物とが表れ、話がバラバラと錯綜するのである。だが、慣れてくるとそれぞれ大きなパーツに分かれていることに気がつく。それは以下の通り。
1. ある1日の相馬鼎の行動
2. 相馬鼎が素子の作品と出会う300日前から前日までの物語
3. 相馬鼎が書いている小説「恋人たちの冬」、「カロンの艀」、「トゥオネラの白鳥」の筋書き
4. 素子の内面の声
5. 或る男の物語
 できれば始めにこれがわかっていたら、もう少しスムーズに物語の世界に入っていけたと思う。

 この5つの物語が交互に描かれていく。中心となるのは、ある1日の相馬鼎の行動。時に昭和29年1月24日である。夢から始まるその物語は、暁から朝、午前と時刻が移り変わっていく。一番の中心となるのが、その日届けられた一通の電報。そこには広島に行った素子と綾子が心中をしたというもの。取るものも取りあえず広島へ向かう相馬。しかし、当時はまだ急行電車で東京から広島まで16時間の旅。道中2人に思いを馳せる相馬の胸中。

 その合間に、300日前に知り合ってから今日に至るまでの付き合いが描かれ、素子の死を決意するに至るまでの心の声が描写され、2人をモデルにした相馬の未完成の小説の筋書きが書かれる。それとは一見何の関係もなさそうな或る男だが、実は登場人物と繋がっている男の物語が加わる。心中したと伝える電報。詳細はわからない。車中で受け取った第二弾の電報では1人死亡が伝えられる。果たして死んだのはどちらなのか。

 知り合ってから今日に至るまで、相馬は素子と綾子とそして2人が下宿している家の家主との交流する。相馬は、素子にも綾子にも心惹かれるものがあるが、果たして自分はどちらを愛しているのかよくわからない。否、両方を愛しているとも言える。男であればこの気持ちは理解できる。それぞれにいいところがあるのだろう。素子はどことなくミステリアスで、相馬とは距離をおこうとしている。そして綾子はどこまでもしおらしい。

 一見、綾子の方が男としてはいいように思うが、相馬は素子にも惹かれる。そんな2人のうち、どちらが生き残ったのか。長い列車の旅に時間の経過がもどかしい。そして広島の病院に到着した相馬を待っていた結末。これはなかなか面白い試みだと思う。被爆した素子の心の動きが死を選ぶに至った心境をよく表す。読み終えて深い余韻が残る。どこまでも切なさが漂ってくる。

 原爆の記憶も風化しつつある中、こういう小説も改めていいなと思う。露骨に悲惨さを訴えかけるものではなく、静かにそれによって狂わされてしまったものがあったことが描かれる。
 傑作と言われるのも頷ける一冊である・・・



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2018年03月19日

【終わった人】内館牧子 読書日記904



 人に薦められた本は基本的に読むことにしているが、この本も知人に紹介された一冊。「終わった人」と言うのはなんとも言えないタイトルであるが、ここでは「現役を終わった人」と言う意味。主人公はこの度、定年退職した田代壮介。岩手県出身だが、東大法学部を出てメガバンクの万邦銀行(のちに合併してたちばな銀行になる)に入行。惜しくも出世街道から外れたが、子会社に転籍し専務で退職の日を迎える。サラリーマンとしては、まずまず成功したと言えるキャリアである。

 さて、退職した壮介であるが、長年連れ添った妻の千草は美容師の資格を取ってサロンに働きに出ている。生活のためというより、自身の趣味のためと言える。したがって、退職したからといって、2人で旅行する時間もない。1人手持ち無沙汰になる壮介。このあたり、定年退職したバリバリのサラリーマンの何もできないもどかしさが妙にリアル。しかも壮介は、定年退職していった先輩たちが昔の風を吹かせる愚かさを熟知しているから、なおさらすることがない。生き生きと働く妻とのギクシャク感が、己の未来図を見ているような気がしてくる。

 「やることがない」とはプライドにかけて言いたくない壮介。従兄弟のトシを相手にやることを探す。ボランティアやスポーツクラブ、カルチャースクール等々。しかし、見学に行ったフィットネスクラブがジジババばかりなのに嫌気がさす。この気持ちはよくわかる。昼日中から喫茶店に行き、本を読んで時間を潰す。やっぱり自分も定年のない仕事をしないといけないとつくづく思う。

 この前半部分は、つくづく身につまされる。自分も「終わったら」間違いなくこうなるわけである。お中元、お歳暮、年賀状は激減し、世話になった取引先の会長のパーティーに出かけていけば、招待状を出さなかったかつての部下が気まずい顏で出迎える。思い余って再就職を決意し、ハローワークに行くも、今度は立派な経歴が邪魔をして面接に行った中小企業の社長からは敬遠されてしまう。

 この身につまされる前半から、中盤は壮介が大学に戻ることを考えカルチャースクールに通うようになり、物語が動く。カルチャースクールで会った女性と親しくなり、淡い希望が脳裏をよぎり、そして思いもかけない再就職の道が開かれる。顧問に迎え入れられたその会社で、予想外の展開が起こり、壮介の人生はリスタートする。まだまだ六十代は働き盛り。一昔前はそんなこと思いもしなかったが、五十代も半ばに近づくと、実感として湧いてくる。

 後半は小説らしい展開となり、その内容は読む人の好き好きによるだろう。個人的には前半部分の「終わった感」が非常に心に響いたと言える。著者の内館牧子は、相撲審議委員会などで名前を目にしたことはあるが、小説を読むのは初めて。たくさん著作はあるが、今までなんとなく敬遠してきたところがある。これから他の著作を読んでみるかと問われるとなんとも言えないが、この本は読み甲斐があったのは確かである。

 「終わり」に近づいている人には、一読の価値ある一冊である・・・

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2018年02月07日

【海の見える理髪店】荻原浩 読書日記888



海の見える理髪店
いつかきた道
遠くから来た手紙
空は今日もスカイ
時のない時計
成人式

 以前、『あの日にドライブ』という小説を読んで馴染みのある作家の今度は短編作品集。短編は『短編工場』でも一話だけ読んでいる。短編というのは、短い中でそれなりのストーリーを紡ぎ出さなければならないので難しい気もするが、ここにある短編はどれもちょっと心に引っかかるものである。

 「海の見える理髪店」はその名の通り、海の見えるところに立つ一軒の理髪店が舞台。1人の男がやって来て髪を切ってもらう。店主が男の髪を切りながら問わず語りに自分の人生を振り返って語っていく。昔ながらのやり方で髪を切りながら、店主の語っていく内容に引き込まれていく。そしてその話が、最後に目の前の現実と結びつく。

 「いつか来た道」は、長年母とソリが合わなくて家に寄り付かなかった娘が実家に帰ってくる話。弟から「今あわないと後悔する」と言われて渋々の里帰り。ところが家で待っていた老いた母親は、どこか様子が違う。脳裏を過るのは、かつての母親の言動。それを知ると娘にも同情したくなる。だが、目の前の老いた母はもうかつての母親ではなくなっている・・・

 「遠くから来た手紙」は、夫婦喧嘩をして子供を連れて実家に帰宅した妻の話。実家は弟が結婚して所帯を持ち、出戻り娘には居心地がよくない。そんな中、夜の10時過ぎに奇妙な文面のメールが届く。初めは夫からと勘違いしていたが、仏壇から取り出した重箱から手紙の束を見つけ、そうではないとわかってくる。かつて自分も中学時代の同級生だった夫と文通していたが、そんな自分たちの昔の手紙と祖父母の間の古い手紙が物語を彩る・・・

 「空は今日もスカイ」は小学校3年生の茜の物語。茜は英語を習っていて、目につくものの名前を英語で言いながら家出の道を歩いている。道中神社で男の子と出会い、行動を共にする。海を目指して。どうやら母親はダメな夫に愛想を尽かして実家に戻ったらしいが、そこも母娘にとって居心地の良い場所ではなかったよう。そして海に出た茜と男の子は、暗くなった海岸で途方にくれる・・・

 「時のない時計」は、父の形見としてもらった腕時計を修理するために古い時計店を訪れた息子の話。他の店では部品がないからと断られてしまっていたが、偶然入った昔ながらの古い時計店の主人はいとも簡単に修理に取り掛かる。店内に飾られた時計の数々。修理の合間に店主がそれぞれの時計に込められた思い出を語っていく・・・

 「成人式」は、娘を15で無くした夫婦の話。娘が死んで5年、生きていれば成人式という年。2人とも死んだ子供の年を数えて生きている。そんな夫婦の元に、成人式の着物の案内が届く。さらに悲しみが深まる妻に、夫は娘の代わりに2人で成人式に出ようと提案する。半分冗談のつもりだったが、その気になった妻は準備を始める・・・

 どれもこれも読後にじんわりと胸に沁みるものがある。少し優しい気持ちになれる物語が並ぶ。あまり数多く読んでいるわけではないが、ここまで読んで来た中から判断すると、著者の作品にはどれもそういう味わいがあるように思える。主人公が大人の男であったり女であったり子供であったりするが、どれもそれぞれの立場からの味わいがある。ほっとしたい時に読むといいような気がする作家である。

 また次も、そんな気分になりたい時に手にしたいと思える一冊である・・・




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2018年02月04日

【アナログ】ビートたけし 読書日記886



 ビートたけしと言えば、お笑いの世界の人という認識はもはや古びたものであり、個人的には今や役者、あるいは映画監督という感覚を強く持っている。マルチタレントと言えばその通りであり、その上に「超一流」とつけたくなるくらいである。そんなビートたけしはさらに文筆までこなしているが、最近はビジネス書(『【間抜けの構造】ビートたけし著』『【新しい道徳】北野武著』)を読んできたが、これは純粋な小説。非常に興味を持って手にした一冊である。

 物語の主人公はデザイン会社に勤務する水島悟。バリバリ仕事をこなすというよりも、目立たないながらもきっちり仕事をこなすというタイプの人物のようである。そんな水島は、仲の良い3人組の高木と山下といつものように飲みに行く約束をし、「ピアノ」という名の喫茶店で待ち合わせをする。そしてそこで偶然1人の女性と出会う。

 女性の名はみゆき。もともと悟はナンパなどするような男ではないが、それでもみゆきに一目で心惹かれ、勇気を出してまた会ったら声をかけてもいいかと尋ねる。現代ならすぐに携帯の番号を聞くか、メルアドを聞くか、Lineをフリフリするのだろうが、声をかける許可をもらうというところが、なかなかである。タイトルの「アナログ」はこんな悟の様子を指している。

 悟の問い掛けにみゆきは毎週木曜日にピアノに来ていると答える。考えてみれば、一昔前まではこんな具合だったと思い起こす。そんな悟を高木と山下はからかうが、個人的にはいきなり繋がる現代は便利なのか味気ないのかよくわからないところである。そうして悟は毎週木曜日が待ち遠しくなる。

 物語は、悟のみゆきに対する恋物語。恋をすれば、人間誰でも世の中バラ色になる。どんなに仕事があっても木曜日にはピアノに行きたい。ピアノに行くには仕事を終えなければならない。そんな中で、悟は徹夜をこなし木曜日にピアノに行く時間を確保する。考えてみれば、恋するこういう時期が一番楽しいものだと今だからこそわかる。

 そして大阪転勤を言い渡された悟は、みゆきと会えなくなるよりはとついにプロポーズをする決意をする。そして指輪をポケットに秘めてピアノに行くが、その日とうとうみゆきは現れない。ドラマの展開というのはこういうものであろう。それにしてもたけしのストーリーテリングもなかなかのものだと思う。ところどころ読みにくいところが無きにしもあらずだったが、総じてまぁ面白かったのではないかと思う。

 アラを言えばきりがないように思えるが、手軽に読める厚さであることを考えれば、たけしの小説という話題性について行く為にも読む意味はあると思える恋愛小説である・・・




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2018年01月22日

【羊と鋼の森】宮下奈都 読書日記881



 なんだか不思議なタイトルの本だというのが、この本の第一印象。小説にとってタイトルは大事なファクターゆえに、そこには作者の意図が含まれている。それがどんなものなのか、いつも興味深いところであるが、こういうタイトルの作品については尚更である。

 主人公はピアノの調律師である外村。外村は高校2年の時、たまたまその場に居合わせたことから、担任の先生に体育館のピアノのところに調律師を案内するように頼まれる。そして調律師による作業を見学していて感じるものがあり、調律師を志す。そう言えば私も中学生の時、映画『ジャスティス』を観て将来弁護士になろうと思った(ならなかったけど・・・)。将来の職業なんてこの年頃では曖昧で、そしてふとしたキッカケから決めてしまったりするものである。

 そうして外村は調律師になるための専門学校へ進み、そして調律師となって地元に戻り、キッカケを作ってくれた調律師板鳥が勤務する江藤楽器に就職する。入社して半年間は店内で業務研修。そしてそれが終わると先輩についてお客さんのところへ出向き、調律作業を学んで行く。調律師というのは、学校を出てすぐに一人前というわけにもいかないのだろう。そんな事情はなんとなく理解できる。

 こうして新米調律師が、先輩たちに教えられ、そして取引先との交流を通じて成長して行く。先輩もいろいろな人がいて、キッカケを作ってくれた板鳥は、外国のピアニストからご指名が入るほどの腕前。そして最初についた先輩が柳。柳と共に通う家の双子の姉妹由仁と和音とが印象的な客として登場する。

 読み進むうちに、「羊と鋼の森」という不思議なタイトルは、ピアノのことだとわかってくる。実は、ピアノは羊の毛を使って作ったフェルトのハンマーが、鋼の弦を叩いて音を出している。ピアノの蓋を上げればそこには無数の弦が貼られており、まさに「森」である。そんな様子をタイトルに込めているのである。

 調律師と聞くと、ついつい『地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」』『数学×思考=ざっくりと』などで紹介されていた「シカゴにはピアノの調律師が何人いるか」という設問を思い出す程度の認識しかないが、職業としてはメジャーではない。そんなメジャーではない職業に就く人物を主人公にするのはなんとなく静かなブームであるような気もする。ちょっと振り返っても『舟を編む』の辞書編纂者や、『おくりびと』の納棺夫などである。

 主人公が、周りの人との交流を通して成長して行く。そして調律師とはどんな職業なのか、その仕事の魅力はどんなところにあるのかが描かれて行く。何事もそうであるが、普段はうかがい知れない世界の仕事というのも興味深いものである。そしてその世界の奥深さも。基本的に音楽は昔から苦手で、五線譜も楽器も自分には向かないものだと避けて生きてきた。そんなだからよけい「知らない世界」なのである。

 ストーリー自体は、静かなストーリー。大きな事件も波乱もなく、静かに進んで行く。寡黙で真面目な主人公の成長を静かに見守る物語である・・・




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2017年12月20日

【消えない月】畑野智美 読書日記871



著者のことはこれまでまったく知らなかったが、これまで地道に著作活動をし、それなりに評価されていた方のようである。この小説は、「ストーカーを被害者、加害者両方の視点から描いた小説」という評価を読んで、読んでみたくなったものである。

被害者側の主人公は、マッサージ店に勤務する28歳の河口さくら。長野県の生まれで、もともと地元の信用金庫に就職したものの、ストーカー被害にあって退職し、心機一転マッサージ師の資格を取って東京に出て来たという経歴。今は福々堂というマッサージ店で働いている。力の弱い女性の弱点で贔屓客は少ないが、そんな中で、大手出版社に勤める松原が馴染みの客となっている。28歳の誕生日の日、何気なく松原に誘われたさくらは、松原と食事に行き、そこで告白されて付き合うことになる。

一方の加害者の松原は、エリート記者の父を持つ金持ちの家に生まれ育つ。厳しい祖母のもとで躾けられ、そんな祖母と母は折り合いが悪い。父はすでに亡くなり、父の後を追って記者になろうとした松原は、ことごとく面接で落とされ、やむなく小さな出版社に勤務している。しかしそれは松原が本来望んだ仕事ではなく、ギャンブル系を扱う雑誌の仕事に身が入るはずもなく、仕事はほとんどしていない。さくらに説明した大手出版社勤務という経歴も嘘なのである。そんな2人が付き合ってしまう。

松原の異常性はすぐに表れる。独占欲が強く、女は黙って男に従うものという価値観の中で育てられている。極度のマザコンであり、さくらの料理を母親のそれと比較する。母にも当然さくらのことを微に入り細に入り話す。そして極め付けは、さくらのスマホから男のアドレスをすべて消去してしまったこと。そんな異常性に気づいたさくらは、別れたいと伝えるが、その時には既に寝ているうちに裸の写真も撮られてしまっている。

そうして松原のストーカー行為が始まるが、これが異常。何が異常かというと、さくらが別れたいというのは本心ではないと勝手に思い込む。電話もLineにも応じないのは何かやむを得ない事情があるのだと思い込む。すべてを都合よく解釈し、自分の作り上げた世界に浸る。「ストーカーなんてやる奴の気が知れない」と思っていたが、なるほどそんな心裡なのかと理解できる。

一方、さくらの方も甘さが残る。Lineはブロックせずに置くし、相手が部屋の鍵を返してくれないのなら鍵を変えれば良いのに、それをしない。だから松原もさくらの留守中に部屋に入り込んだりしている。優柔不断な性格も災いしてしまう。相談に行った警察の対応も署によって違っていたりする。現実にどうかはわからないが、さもありなんとも思う。よく新聞紙上を賑わすストーカー事件もこんな感じなのかも知れないと思ってみたりする。

松原の執念と、ストーカーは運も味方するという警察の担当者の説明も、背筋が寒くなる気がする。特にネットワーク化された現代では、逃げ隠れしてもどこから居場所がわかるかわからない。そういう怖さが随所に溢れる。ストーリーも怖いが、いつでも身の回りにあり得るという怖さもある。

ホラーではないものの、背筋が寒くなる内容である。物語の展開は、実にショッキング。
これはなかなかの小説だと唸らされた一冊である・・・



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2017年10月26日

【仮面の告白】三島由紀夫 読書日記851



昔読んだ三島由紀夫をまた本棚から取り出して読んでみる。これを読んだのは、多分30代の頃だから、20年ほど前ということになると思うが、もう内容も忘れてしまっている。そういう意味では、二度目ながら初めて読む感覚である。

主人公となるのは、「私」。これは三島由紀夫自身と思われる「私」の告白録的なものと言える。最初に5歳の頃の記憶として登場するのは、道端で行き違った「汚穢屋=糞尿汲取人」。現代では絶滅職種であるが、よりによって「私」はその汚穢屋になりたいとなぜか思う。と言っても職業に憧れたというよりもその格好である。続いての記憶は、女中に読んでもらったジャンヌ・ダルクの話。女なのに男の格好で戦争に行ったという話に「私」は興味を持つ。

そして幼き日の「私」は、母の着物を着て、当時流行っていた女流奇術師の真似をする。すでに後の姿の兆しは現れているが、それを決定づけたのは、物語を読んでも王女より王子に興味を惹かれたというところ。そして13歳になると最初の射精を迎える。この頃、倒錯的な衝動とサディスティックな衝動とが「私」の中に芽生える。

中学生ともなれば、女性への興味も湧いてくる。そんな同級生達を尻目に、「私」は体育の時間、上半身裸で懸垂をする友人の筋肉と脇毛に目が釘付けになる。また別の機会では、幾何の若い男性教師に目がいく。つまり、「私」は同性愛者なのである。時は、日中戦争の最中の時代。この時代に同性愛者であることがバレると世間的にはまずかったであろう。「私」も無理に女性への関心を持とうとするがうまくいかない。

なぜ、本のタイトルが、「仮面の告白」なのか。よくできたタイトルだと思う。三島由紀夫が同性愛者だったのかどうかわからないが、ちゃんと結婚もしているようだからあくまでもフィクションなのかもしれない。それよりも、自然に湧き上がる自らの嗜好と世間的な常識との間に苦悩する様が妙に迫ってくる。

世間同様、女性への興味を示そうと友人の妹と親密になり、相手もその気(結婚を意識する)のであるが、キス(表現は「接吻」である)まではするもののどうしてもそこから先へ進めない。そんなことをしていて、結婚してしまったその女性と再び逢い引きをするようになるが、それでもまだ手が出ない。そんな葛藤が妙に迫力を持って迫ってくる。

この作品は、当時(昭和24年)高い評価を得たらしいが、それは当時としては衝撃的な内容だったこともあるのかもしれない。もちろん、同性愛がLGBTと称されて受容されている現代でも伝わるものはある。時代を感じさせる描写が雰囲気を盛り上げているところもある。ラストの友人の妹とのギリギリの逢い引きシーンは、それまでのすべてを濃縮していて、素人目にもうまいなぁと感じさせる。

こういう作品は、多分何度でも読めるのだと思う。
また、別の三島作品の再読もしてみたいと思わされる一冊である・・・



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2017年09月27日

【失われた時を求めて 1】プルースト 読書日記838



第一篇 スワン家のほうへ
コンブレー

マルセル・プルーストの名前と『失われた時を求めて』という小説のタイトルについては以前より知ってはいたが、読んだこともなく、またその内容についても概要すら知りもしなかったが、そういう「読まずに来た名作」を少しずつ減らしていきたいと考えている。そんなこともあって、ついに手を伸ばした一冊。手にしてわかったことは、本編は長大でこの第1巻は全編のプロローグに当たるものだという。この後を読み続けるかどうかは、第1巻の感触次第と覚悟を決めて読み始める。

物語の主人公は、語り部となる「私」自身。物語は、「私」が眠りについて語るところから始まる。長いこと早めに休むことにしていて、すぐに寝入ってしまうこともあれば、途中で目覚めてしまうこともある。そんなことをあれこれと語るうちに、ベッドの中でまどろみつつ、昔のことを思い出すと語っていく。そうして語られるのが、「私」が子供の頃を過ごしたコンブレーという土地の話。「失われた時」とは過去のこと。そんな過去の追想がこの物語そのものという形になっている。

子供の頃の「私」はお母さんが大好きで、それが故にお母さんと離れ離れになる時間が嫌いで、特に夕食後にお母さんが他の人たちとおしゅべりに興じる時間であった。そしてその後の唯一の慰めは、寝る時にベッドまで来ておやすみのキスをしてくれることであったとする。子供らしい感情であるが、お母さんはキスをすると階下に降りていってしまい、結局「私」は1人で寝る羽目になる。そんな感情の名残が、冒頭の回想のきっかけとなっているのかもしれない。

「私」の周りには、両親をはじめとして祖父母がいて、レオニ大叔母がいて、その大叔母に使える女中フランソワーズがいる。タイトルにある通りスワン家の人々もいる。それらの登場人物たちが、次々と回想の中に登場してくる。「私」の家は、ブルジョワ階級に属しており、そうした回想の生活の隅々から当時のブルジョワ階級の生活ぶりが伺えて興味深い。夕食時にはそれにふさわしい服に着替えたりするのである。

「私」はそんな日常を子供らしい視点から眺める。スワン家の人たちが夕食に来て帰りが遅くなると、母親がお休みのキスにベッドまで来てくれない。それが「私」には寂しくてたまらない。かと思うと、ある時は父の許しが出て母親が一晩そばにいてくれるが、「私」はこの時の喜びを長々と綴る。この晩、「私」は母に本を読んでもらって過ごす。

こうした出来事に加え、「私」の住むコンブレー(これは架空の町だという)の描写にもかなり字数が割かれている。コンブレー自体、「ひとつの教会」と称されるほど、ステンドグラスと鐘塔が特徴的なサン=チレール教会がその中心をなしている。特に鐘塔に関する描写は随所に登場する。「長い散歩の後に、広々とした高原に出ると四方の水平線はノコギリ歯状の森に囲まれて、その上方にサン=チレールの鐘塔の尖った先端がぽつんと飛び出している」といった具合である。

ただ、読んでいるだけだと、時として眠気を催すところもあるが、随所に挿入された絵画や挿絵や写真などが、物語をビジュアルにイメージさせてくれる。当時はちょうどパリ万国博のあとで、日本ブームが起きたとされる様子を反映してか、日本に関する描写もあったりする。そうしたアクセントが、長い回想に伴走する支えの一つとなっている。

この小説は、「20世紀フランス文学の最高傑作」として評価が高まっているという。そう言われても、フランス文学に詳しくない身としては、何か違いがわかるでもない。原文で読むことができるわけでもないので、翻訳者の方は随分と苦労して訳しているらしいが、文章を読んでそれがわかるわけでもない。ただ、当時の社会の様子と、登場人物たちの行動から当時の世相がわかって興味深いのと、そして様々な描写が名作の雰囲気を醸し出しているのを味わうのみである。

読み終えて続きを読んでみたいかと問われるならば、YESと答えたい。時間はかかると思うが、ゆっくりと続きを読んでいきたいと思わされる最初の一冊である・・・

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2017年08月30日

【見上げれば、星は天に満ちて】浅田次郎 読書日記829



百物語 森鴎外
秘密  谷崎潤一郎
疑惑  芥川龍之介
死体紹介人 川端康成
山月記 中島敦
狐憑  中島敦
ひとごろし 山本周五郎
青梅雨 永井龍男
補陀落渡海記 井上靖
西郷札 松本清張
赤い駱駝 梅崎春生
手   立原正秋
耳なし芳一のはなし 小泉八雲

実家を訪れた時、本棚に浅田次郎の名前があるのを見つけて借りてきた一冊。てっきり浅田次郎のまだ読んでいない本かと思ったら、なんと「浅田次郎が選んだ短編小説」というものであった。なかなかややこしい。作家の名前を見て行くと、そこには日本の文壇を代表するような作家の名前が並ぶ。中には名前は知っていても、まだ作品を読んだことがないという作家も入っている。それはそれで興味を惹かれる。

森鴎外は、「舞姫」に何度かチャレンジしたが、読みにくくてその都度ギブアップしている。タイトルから怪談めいたものを想像していたが、ちょっと肩透かしを食ったところがある。谷崎潤一郎は、やっぱり独特の雰囲気がある。「秘密」は、目の前を悠然と通り過ぎて行くようなイメージの作品である。

芥川龍之介は、「藪の中」をはじめとして、この中では一番多くの作品を読んでいる。この「疑惑」は、関東大震災で崩れた家屋の下敷きになった妻を火災が迫る中、殺してしまった男の話。自らの疑念に潰されて行く男の心情がなんとも言えない。

川端康成は実は一冊も読んだことがない。もちろん、有名作品のタイトルくらいは知っているが、読んだことがないという事実には改めて愕然とする。収録されている中では一番長い「死体紹介人」は、バスの中で見かけた女車掌と部屋を交代で使うことになった男の奇妙な話。なんとも言えない後味の作品である。

1人だけ2作品掲載されているのは、中島敦。正直言って知らなかった作家。中国の虎になった男の話と、奇妙な異国の話はこの人の作風なのかと思わなくもない。井上靖は、映画化された『天平の甍』『敦煌』などの名前だけを知っているだけであるが、この「補陀落渡海記」はそんなテイストを残したある僧侶の話である。

変わっていたのは、松本清張だろうか。ミステリー作家というイメージでいたのだが、「西郷札」はそんな雰囲気が微塵もない。西南の役の際に発行された西郷札をめぐる話。『砂の器』『ゼロの焦点』といった作品とはまるで趣が変わっていて、意外であった。

全ての作家の作品を読むのはなかなか難しい。されどこういう形で、浅田次郎が心に深く残った作品をまとめてくれているのは、やはりいい機会になる。正直に言って、「これらの作品のどういう点が心に残ったのか」は、大いに興味のあるところである。これはこれで、やっぱり「浅田次郎の作品」なのだろうと改めて思わされる一冊である・・・



posted by HH at 23:49| Comment(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする