2017年10月26日

【仮面の告白】三島由紀夫



昔読んだ三島由紀夫をまた本棚から取り出して読んでみる。これを読んだのは、多分30代の頃だから、20年ほど前ということになると思うが、もう内容も忘れてしまっている。そういう意味では、二度目ながら初めて読む感覚である。

主人公となるのは、「私」。これは三島由紀夫自身と思われる「私」の告白録的なものと言える。最初に5歳の頃の記憶として登場するのは、道端で行き違った「汚穢屋=糞尿汲取人」。現代では絶滅職種であるが、よりによって「私」はその汚穢屋になりたいとなぜか思う。と言っても職業に憧れたというよりもその格好である。続いての記憶は、女中に読んでもらったジャンヌ・ダルクの話。女なのに男の格好で戦争に行ったという話に「私」は興味を持つ。

そして幼き日の「私」は、母の着物を着て、当時流行っていた女流奇術師の真似をする。すでに後の姿の兆しは現れているが、それを決定づけたのは、物語を読んでも王女より王子に興味を惹かれたというところ。そして13歳になると最初の射精を迎える。この頃、倒錯的な衝動とサディスティックな衝動とが「私」の中に芽生える。

中学生ともなれば、女性への興味も湧いてくる。そんな同級生達を尻目に、「私」は体育の時間、上半身裸で懸垂をする友人の筋肉と脇毛に目が釘付けになる。また別の機会では、幾何の若い男性教師に目がいく。つまり、「私」は同性愛者なのである。時は、日中戦争の最中の時代。この時代に同性愛者であることがバレると世間的にはまずかったであろう。「私」も無理に女性への関心を持とうとするがうまくいかない。

なぜ、本のタイトルが、「仮面の告白」なのか。よくできたタイトルだと思う。三島由紀夫が同性愛者だったのかどうかわからないが、ちゃんと結婚もしているようだからあくまでもフィクションなのかもしれない。それよりも、自然に湧き上がる自らの嗜好と世間的な常識との間に苦悩する様が妙に迫ってくる。

世間同様、女性への興味を示そうと友人の妹と親密になり、相手もその気(結婚を意識する)のであるが、キス(表現は「接吻」である)まではするもののどうしてもそこから先へ進めない。そんなことをしていて、結婚してしまったその女性と再び逢い引きをするようになるが、それでもまだ手が出ない。そんな葛藤が妙に迫力を持って迫ってくる。

この作品は、当時(昭和24年)高い評価を得たらしいが、それは当時としては衝撃的な内容だったこともあるのかもしれない。もちろん、同性愛がLGBTと称されて受容されている現代でも伝わるものはある。時代を感じさせる描写が雰囲気を盛り上げているところもある。ラストの友人の妹とのギリギリの逢い引きシーンは、それまでのすべてを濃縮していて、素人目にもうまいなぁと感じさせる。

こういう作品は、多分何度でも読めるのだと思う。
また、別の三島作品の再読もしてみたいと思わされる一冊である・・・



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2017年09月27日

【失われた時を求めて 1】プルースト



第一篇 スワン家のほうへ
コンブレー

マルセル・プルーストの名前と『失われた時を求めて』という小説のタイトルについては以前より知ってはいたが、読んだこともなく、またその内容についても概要すら知りもしなかったが、そういう「読まずに来た名作」を少しずつ減らしていきたいと考えている。そんなこともあって、ついに手を伸ばした一冊。手にしてわかったことは、本編は長大でこの第1巻は全編のプロローグに当たるものだという。この後を読み続けるかどうかは、第1巻の感触次第と覚悟を決めて読み始める。

物語の主人公は、語り部となる「私」自身。物語は、「私」が眠りについて語るところから始まる。長いこと早めに休むことにしていて、すぐに寝入ってしまうこともあれば、途中で目覚めてしまうこともある。そんなことをあれこれと語るうちに、ベッドの中でまどろみつつ、昔のことを思い出すと語っていく。そうして語られるのが、「私」が子供の頃を過ごしたコンブレーという土地の話。「失われた時」とは過去のこと。そんな過去の追想がこの物語そのものという形になっている。

子供の頃の「私」はお母さんが大好きで、それが故にお母さんと離れ離れになる時間が嫌いで、特に夕食後にお母さんが他の人たちとおしゅべりに興じる時間であった。そしてその後の唯一の慰めは、寝る時にベッドまで来ておやすみのキスをしてくれることであったとする。子供らしい感情であるが、お母さんはキスをすると階下に降りていってしまい、結局「私」は1人で寝る羽目になる。そんな感情の名残が、冒頭の回想のきっかけとなっているのかもしれない。

「私」の周りには、両親をはじめとして祖父母がいて、レオニ大叔母がいて、その大叔母に使える女中フランソワーズがいる。タイトルにある通りスワン家の人々もいる。それらの登場人物たちが、次々と回想の中に登場してくる。「私」の家は、ブルジョワ階級に属しており、そうした回想の生活の隅々から当時のブルジョワ階級の生活ぶりが伺えて興味深い。夕食時にはそれにふさわしい服に着替えたりするのである。

「私」はそんな日常を子供らしい視点から眺める。スワン家の人たちが夕食に来て帰りが遅くなると、母親がお休みのキスにベッドまで来てくれない。それが「私」には寂しくてたまらない。かと思うと、ある時は父の許しが出て母親が一晩そばにいてくれるが、「私」はこの時の喜びを長々と綴る。この晩、「私」は母に本を読んでもらって過ごす。

こうした出来事に加え、「私」の住むコンブレー(これは架空の町だという)の描写にもかなり字数が割かれている。コンブレー自体、「ひとつの教会」と称されるほど、ステンドグラスと鐘塔が特徴的なサン=チレール教会がその中心をなしている。特に鐘塔に関する描写は随所に登場する。「長い散歩の後に、広々とした高原に出ると四方の水平線はノコギリ歯状の森に囲まれて、その上方にサン=チレールの鐘塔の尖った先端がぽつんと飛び出している」といった具合である。

ただ、読んでいるだけだと、時として眠気を催すところもあるが、随所に挿入された絵画や挿絵や写真などが、物語をビジュアルにイメージさせてくれる。当時はちょうどパリ万国博のあとで、日本ブームが起きたとされる様子を反映してか、日本に関する描写もあったりする。そうしたアクセントが、長い回想に伴走する支えの一つとなっている。

この小説は、「20世紀フランス文学の最高傑作」として評価が高まっているという。そう言われても、フランス文学に詳しくない身としては、何か違いがわかるでもない。原文で読むことができるわけでもないので、翻訳者の方は随分と苦労して訳しているらしいが、文章を読んでそれがわかるわけでもない。ただ、当時の社会の様子と、登場人物たちの行動から当時の世相がわかって興味深いのと、そして様々な描写が名作の雰囲気を醸し出しているのを味わうのみである。

読み終えて続きを読んでみたいかと問われるならば、YESと答えたい。時間はかかると思うが、ゆっくりと続きを読んでいきたいと思わされる最初の一冊である・・・

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2017年08月30日

【見上げれば、星は天に満ちて】浅田次郎



百物語 森鴎外
秘密  谷崎潤一郎
疑惑  芥川龍之介
死体紹介人 川端康成
山月記 中島敦
狐憑  中島敦
ひとごろし 山本周五郎
青梅雨 永井龍男
補陀落渡海記 井上靖
西郷札 松本清張
赤い駱駝 梅崎春生
手   立原正秋
耳なし芳一のはなし 小泉八雲

実家を訪れた時、本棚に浅田次郎の名前があるのを見つけて借りてきた一冊。てっきり浅田次郎のまだ読んでいない本かと思ったら、なんと「浅田次郎が選んだ短編小説」というものであった。なかなかややこしい。作家の名前を見て行くと、そこには日本の文壇を代表するような作家の名前が並ぶ。中には名前は知っていても、まだ作品を読んだことがないという作家も入っている。それはそれで興味を惹かれる。

森鴎外は、「舞姫」に何度かチャレンジしたが、読みにくくてその都度ギブアップしている。タイトルから怪談めいたものを想像していたが、ちょっと肩透かしを食ったところがある。谷崎潤一郎は、やっぱり独特の雰囲気がある。「秘密」は、目の前を悠然と通り過ぎて行くようなイメージの作品である。

芥川龍之介は、「藪の中」をはじめとして、この中では一番多くの作品を読んでいる。この「疑惑」は、関東大震災で崩れた家屋の下敷きになった妻を火災が迫る中、殺してしまった男の話。自らの疑念に潰されて行く男の心情がなんとも言えない。

川端康成は実は一冊も読んだことがない。もちろん、有名作品のタイトルくらいは知っているが、読んだことがないという事実には改めて愕然とする。収録されている中では一番長い「死体紹介人」は、バスの中で見かけた女車掌と部屋を交代で使うことになった男の奇妙な話。なんとも言えない後味の作品である。

1人だけ2作品掲載されているのは、中島敦。正直言って知らなかった作家。中国の虎になった男の話と、奇妙な異国の話はこの人の作風なのかと思わなくもない。井上靖は、映画化された『天平の甍』『敦煌』などの名前だけを知っているだけであるが、この「補陀落渡海記」はそんなテイストを残したある僧侶の話である。

変わっていたのは、松本清張だろうか。ミステリー作家というイメージでいたのだが、「西郷札」はそんな雰囲気が微塵もない。西南の役の際に発行された西郷札をめぐる話。『砂の器』『ゼロの焦点』といった作品とはまるで趣が変わっていて、意外であった。

全ての作家の作品を読むのはなかなか難しい。されどこういう形で、浅田次郎が心に深く残った作品をまとめてくれているのは、やはりいい機会になる。正直に言って、「これらの作品のどういう点が心に残ったのか」は、大いに興味のあるところである。これはこれで、やっぱり「浅田次郎の作品」なのだろうと改めて思わされる一冊である・・・



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2017年08月17日

【ノルウェイの森】村上春樹



いつか読んでみようと思っている小説はいろいろあるが、その中でも割と高いランクに位置していたのがこの小説。村上春樹の小説はいずれも人気が高く、つい最近も新作『騎士団長殺し』が発売されたり、ノーヘル賞のたびに受賞が期待されたりしている。しかし、個人的に何冊か読んだが(『1Q84』『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の旅』)、どれもピンと来るものがなく、したがって新刊にも食指が動かないでいる。ただ、この作品だけは、映画で観た時から、原作を読もうと決めていたこともあり、今回手にした次第。

物語は、37歳の主人公ワタナベが、ドイツに到着した時に機内に流れていたビートルズの「ノルウェイの森」を聞き、18年前を思い出す形で始まる。その18年前、ワタナベは東京で寮生活を送りながら私大に通っていた。高校時代、親友のキヅキとその恋人直子と楽しく遊んでいたが、ある日キズキが突然自殺してしまう。逃げるようにして出てきた東京で、その時、ワタナベは直子と再会する。

以来、ワタナベは毎週直子と会い、奇妙な散歩を重ねる。そしてある日、ワタナベは直子と寝る。てっきりキズキともそう言う関係であったと思っていたワタナベは、直子が初めてだったことに驚く。そして直子は突然ワタナベの前から姿を消し、京都の療養所に入ってしまう。ストーリーは映画と(当たり前だが)同じ。ただ、小説は描写が細かい。友人も少なく、本を読んで過ごすことが多いワタナベ。寮の同室のちょっと変わった男、突撃隊。ナンパが得意な先輩永沢。途中から登場する奔放な女の子緑。小説ならではか、みんな特徴を持って描かれる。

ワタナベは、よく本を読む。読んでいる本は、「グレイト・ギャツビー(『華麗なるギャツビー』)だったりする。当時流行っていたビートルズも当然、BGMとして流れる。療養所で直子は同室のレイコさんがギターで弾くビートルズが好きで、特に「ノルウェイの森」はお気に入り。それで冒頭、ワタナベは「ノルウェイの森」を聞いて直子を思い出す訳である。よく知っているだけに、読みながら頭の中で「ノルウェイの森」が流れる。

ビートルズの「ノルウェイの森」の歌詞は不思議な内容だ。この本の物語も歌の歌詞の雰囲気を醸し出しているような感じがする。誰もが過去に対して抱いているノスタルジーというものがある。この物語全編にわたって流れているのもそんなノスタルジー感と言える。次第次第にワタナベの経験が己のものになって行くような感じがして来る。なぜ、18年経ってもワタナベの胸に思い出が蘇ってきたのか、読み終えるとそれがよくわかる。

これまで読んだ『1Q84』『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の旅』とはまったく別物の物語。これを最初に読んでいたら、間違いなく村上春樹のファンになっていたと思う。映画の方ももう一度見て観たくなったくらいである。本を読む幸せ感を味わえる本であると言える。

深い読後感を得られた一冊である・・・



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2017年05月16日

【海と毒薬】遠藤周作



 この本は、その昔映画化されたものを観ている。モノクロ画面の映画で、手術室のシーンが印象に残っている映画である。もうほとんど筋は忘れてしまっているが、「いつか原作を読んでみたいと思っていたもの。ちょうど『侍』を読んだ時にチェックしていたものである。

 物語は戦後しばらくした夏の日から始まる。1人の男が妻とともに越してきて、持病の相談に行く医者を探す。そうして紹介されたのが、勝呂(すぐろ)という個人医院。愛想はないものの、腕はいい。気胸の手当の見事な腕前から、男はこの勝呂という医者に興味を抱く。そして義妹の結婚式に訪れた北九州で、偶然勝呂医師の過去にまつわる話を聞く。それは終戦間際、勝呂らがアメリカ人捕虜に人体実験を行ったというものであった・・・

 そして物語は、終戦直後の北九州へと時を戻し、今度は若き日の勝呂の視点から日常が語られる。『侍』もそうであったが、遠藤周作の作品は、この視点変換がよく行われる。冒頭の男、主人公ともいうべき勝呂、勝呂の同僚の戸田、そして同じ病院の看護婦(当時はまだ看護「婦」である)の上田。それぞれの視点で語られる時は、当然その人物の視点になるのだが、視点が変わればその人物は周りにいる人の1人になる。意識してのものかわからないが、最近の作家にないスタイルのような気がする。

 物語の中心は、あくまで米兵捕虜になされる人体実験。冒頭の男の視点も、勝呂という医師を登場させるイントロであるし、その勝呂の視点を通して人体実験の様子が描かれて行く。ただし、勝呂はまだこの時点で研修医でしかなく、そして人体実験を主導するのは勝呂の上司ともいうべき医師たち。視点を変えるといっても、肝心の人体実験は勝呂の視点から描かれる。実験を行った医師の視点からだったらどんな様子だっただろうと、ふと思う。なぜそうならなかったのかは知る由もないが、研修医だったからこそどこか客観的になったのかもしれない。

 考えてみれば、勝呂の同僚の研修医戸田は、少年時代からどこか冷めていて冷酷なところがある。それは小学生の頃に、先生の貴重な蝶の標本を盗んで友達が濡れ衣を着せられるのを眺めていたり、自分で孕ませてしまったお手伝いを自ら堕胎するところなどからも察せられる。実験を執刀した医師たちも、もしかしたらそうした冷酷な人たちだったのかもしれないと思わされる。それゆえに戸田の視点を登場させたのかもしれない。

 もっとも肝心な人体実験よりも、大学病院内での権力争いや、そのために手術される患者の様子などが個人的に不気味だったと思う。印象に残っている映画の手術シーンも、人体実験ではなくこの手術のシーンであり、それはやっぱり映画も本も感じるところは同じということなのかもしれない。もっとも、映画の方はちょっと患者の手術の描き方が違っていたのは確かであるが・・・

過去に読んだ本にも通じる独特の暗い雰囲気が、この本でも流れている。これが遠藤周作の世界なのかもしれない。次については、今のところ考えているのはないが、少しアマゾンでも眺めてみて、良さそうなのがあればとも思う。昭和の雰囲気をよく感じられる一冊である・・・


海と毒薬.jpg



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2017年02月15日

【コーヒーが冷めないうちに】川口俊和



第1話 『恋人』結婚を考えていた彼氏と別れた女の話
第2話 『夫婦』記憶が消えていく男と看護師の話
第3話 『姉妹』家出した姉とよく食べる妹の話
第4話 『親子』この喫茶店で働く妊婦の話

 最近ベストセラーになっているので、読んでみようと手に取った一冊。こういう選び方もたまにある。物語の舞台は、とある街の、とある喫茶店。もっと正確に言えば、その店の中のとある座席。その席には不思議な現象が起き、そこに座っていると、その席に座っている間だけ、望んだ時間に移動できるという。つまりタイムトラベルが可能なのだという。その不思議な席を巡る物語。

 タイムトラベルと言っても、この物語には厳格なルールがある。
1. 過去に戻っても、この喫茶店を訪れたことのない者には会う事ができない
2. 過去に戻ってどんなに努力しても、現実は変わらない
3. 過去に戻れる席には先客がいて、席に座れるのはその先客が1日に1回だけ席を立った時だけ
4. 過去に戻っても、席を離れる事は出来ない
5. 過去に戻れるのは、コーヒーをカップに注いでからそのコーヒーが冷めてしまうまでの間だけ
 なんと極めて限定的なタイムトラベルなのである。

 第1話は、この喫茶店で別れ話をした恋人たちの話。正確に言えば、男は恋人にアメリカに行く事が決まったと告げるだけ。だから別れるともついてきてくれとも言わない。女も何も言わない。そういう恋人同士。後から思うところのあった女が、この話をした瞬間に戻ることを願う。過去に戻っても、男がアメリカに行く現実は変わらない。だけど、過去に戻って素直になれた彼女の気持ちは大きく変わる・・・

 第2話は、若年性アルツハイマーに罹ってしまった夫と看護師をしている妻の話。次第に薄れて行く記憶。夫はとうとう妻の記憶を失ってしまう。「他人」に戻ってしまった妻は、それでも看護師として夫を見守る覚悟を決める。しかし、記憶がなくなる前、夫が手紙を書いていたことを知ると、妻はその手紙を受け取りに行くことにする・・・

 第3話は、地方の古い旅館の女将の座を妹に押し付け東京に出てきた姉と、その姉を迎えにきた妹の話。月に1回上京しては姉の説得を試みる妹。最近ではそれが煩わしくて、妹が来ると隠れてしまう姉。今回もそうして隠れて過ごした姉だが、妹はその帰り道、自動車事故で帰らぬ人となってしまう。姉は、妹が最後に迎えにきた日に戻り、妹と話をすることにする・・・

 第4話は、この店で働くマスターの妻、計の話。計は妊娠しているが、生まれつき心臓が弱く、医師からは出産に耐えられないと宣告されている。計はそれでも出産を望むが、心配なのは無事に産む事ができるかどうか。そして計はそれを確かめるために未来へ向かう事を決める。極めて限られた条件下、どうなっているかわからない未来に向かうリスク。それでも計は時間を指定して席に座る・・・

 人は常に、「あの時ああしていれば」という思いを持っている。登場人物たちにとって、まさにその「あの時」があるのである。それは極めて限定的な瞬間だ。色々と制約があったとしても、限られたその瞬間に戻れるなら、自分の人生を変えられるかもしれない。そう考えると、限定された条件もそれはそれで十分物語として成り立つものである。まぁ、いつも席には「幽霊(過去から戻れなかった女)」が座っていて、無理にどかそうとすると「呪われる」という前提には苦笑せざるを得ないが・・・

 それでも4つの物語には味わいがあって、特に最後の話には思わずウルウルとさせられてしまった。ベストセラーになっているのもなんとなくよくわかる。作者は、この小説がデビュー作らしい。今後、ちょっと名前を覚えておきたいと思う作家である。
 そんな喫茶店があったら、自分ならどうするだろう。ちょっと想像してみたい一冊である・・・

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2017年02月02日

【潮騒】三島由紀夫



 三島由紀夫の本は、一時期凝っていて集中して読んだものである。何となくもう一度読んでみたくなって、あまりヘビーなものより軽いものとして本棚から取り出したのがこの一冊。三島由紀夫の本の中では、ちょっと他と違って異彩を放つ恋愛小説である。

 舞台となるのは伊勢湾にある歌島。人口1,400人、周囲一里に満たない小島であるという。その島に住む18歳の若者久保新治がこの物語の主人公。新制中学(今の高校)を出た後、島の多くの若者がそうなのであろう、親方の船に乗り漁に出ている。父親は戦争中に敵機の機銃掃射を受けて死んでおり、母親が女手一つで海女をしながら新治と弟を育て上げたのである。

 そんな新治が、漁の後ヒラメを燈台長のところに届けるべく歩いて行くと、浜で見知らぬ少女を見かける。のちに村一番の金持ち宮田の照爺が呼び戻した娘初江だとわかるが、新治は初江に心を動かされる。金持ちの娘と貧乏人の男の恋物語という構図は、いかにもありふれている。そうしてそういう物語の大概がそうであるように、主人公には名門の息子安夫というライバルが登場する。

 自分には縁のないものと考えていた新治だが、ある日偶然山の中で道に迷って泣いている初江と出会う。道案内をしつつ、ほんの短いひと時を新治は初江と過ごすが、このひと時を新治はこの上なく幸せに感じる。何の娯楽もない島で、しかも戦後間も無くで初江はモンペを履いている。そんな時代の若者の純情が伝わってくる。

 どちらともなく、新治と初江は惹かれ合い、やがて密かに逢瀬を重ねるようになる。ある嵐の日、待ち合わせした二人は密かに観的哨(戦時中、砲弾の着弾地点を見極めるための軍施設)で合う。互いに裸になり濡れた服を乾かすが、清らかな関係のままである。これも時代であろうか。時代といえば、昼食を中食(ちゅうじき)と表現しているなど随所に古い言葉が使われていて、時代を感じさせるところである。昭和30年に発表された作品であることを考えると、不思議ではない。

 村で二人の関係が噂になると、初江の保護者である照爺は初江に新治と会うことを禁ずる。これも王道ストーリー。禁断の恋はますます二人の気持ちを盛り上げる。田舎の小さな島の戦後間もない頃の話であるが、純粋に心が洗われるような爽快感が漂う。夏目漱石もそうであったが、昭和の文豪たちの小説には独特の味わいが含まれていて、妙な懐かしさを覚えるのは自分が若い頃に読んだという影響もあるのだろうか。

 ビジネス書もいいけれど、こういうかつて読んだ小説を時を経てもう一度読んでみるというのもいい気がする。三島由紀夫の小説はまだ本棚に並んでいるから、折を見て手にとって見たいと改めて思う。忘れかけていた純情を思い出させてくれるかのような一作である・・・



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2016年12月26日

【ファイティング40、ママはチャンピオン】鈴木一功



 物語の語り部は、小さな劇団を率いる「50も半ばの」俳優。離婚後体調を崩した折、自宅にやってきて料理を作ってくれた劇団員の佳代子と気がつけば一緒に暮らし始め、二人の子供をもうけて現在に至っている。語り部は確かにこの俳優兼劇団長だが、話題の中心となるのはタイトルにもある通り妻の佳代子となる。

 ある時、劇団で毎年恒例の公演が行われる。そこで佳代子は勝てない女ボクサーの役が振られる。初めこそ、渋々その役を受け、役作りのためにボクシングジムに通い始めた佳代子だが、元々凝り性の佳代子はそのままボクシングに夢中になっていく。公演が終了してもその熱は冷めず、本格的にジムに通うようになる。

 やがて単独で旅公演に出た佳代子だが、3ヶ月後に帰ってくると、佳代子の体は筋骨隆々となっており、家族はど肝を抜かれる。その熱は止まる所を知らず、同じジムの男子ボクサーの世界タイトルに同行して判定に文句をつけてしまうまで至る。そしてとうとうジムの会長の思惑もあってプロデビューすることになる・・・

 物語はこんな具合に40歳のママボクサーの姿を描いていく。語り部は夫であるためか、妻の心境はわからない。それに圧倒的な実力でデビューすると、あっという間に元世界チャンピオンとの対戦が組まれるところまで行く。それは男だったら不自然なのであるが、層の薄い女子の世界ゆえに違和感はない。この違和感がないところが個人的には重要で、違和感があると多分そこで興ざめしてしまっていたであろう。

 それはそれでいいのであるが、この物語は、クライマックスが佳代子と元世界チャンピオンとの試合。デビューからわずか3戦目であり、展開が早いのなんの。紙幅の関係もあったのかもしれないが、どうにも早すぎて味が染み込む前に終わってしまったような感じである。男子の若手ボクサーをスパーリングで翻弄したりと、途中までは面白かったので、残念な気もする。

 それにこうしたスポーツドラマを小説で語る難しさとして、どうしても言葉で試合展開を説明しないといけないということがある。映画や漫画は動きをビジュアルに表現できるが、小説は言葉だけに難しい思う。同じボクシング小説でも『BOX!』などは全くそのハンディを感じさせられなかったが、この本はもう少し感が残った。

 短い小説でもあり、まぁこういう小説も箸休め的にはいいだろうと思えた一冊である・・・


   
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2016年12月10日

【キネマの神様】原田マハ



友人に勧められて手にした一冊。
主人公は、大手企業の管理職にあった円山歩。しかし、失意のまま退職し、ちょうどマンションの管理人をしていた父が入院したこともあり、臨時に管理人の仕事を手伝っている。父はギャンブルと映画をこよなく愛し、妻と娘には迷惑をかけ通し。入院してもなお、行きつけの名画座「テアトル銀幕」で何が上映されているかが気になる有様。

この父親がもう一人の主人公と言えなくもない。7歳の頃からすでに映画を観はじめたという筋金入りの映画好き。映画館には「キネマの神様」がいると語る。これがタイトルの所以。そしてギャンブル好きはもはや病気であり、今回も入院代などを知人らに借りた挙句、麻雀につぎ込んで負け、300万円の借金を作る。

しかし、そんな父ではあるが、その父がネットに投稿したことから、歩は映画の出版社である映友社に再就職することになる。映友社は、映画業界では老舗であるが、映画雑誌の販売部数は落ち続け、凋落し続けている。そんな映友社には、社長兼編集長の高峰好子がいて、3人の社員がいる。テアトル銀幕の支配人寺林新太郎(通称テラシン)、歩の後輩清音、高峰好子の引きこもりの息子興太と登場人物たちが出揃うと物語は動いていく。

きっかけは、歩が父にインターネットの使い方を教えたこと。長年のキャリアから織りなす父の映画評は好評を博していく。タイトルからもどっぷりと映画に浸かったストーリー。映画好きには余計に興味深い。父の書評も「フィールド・オブ・ドリームス」など観たことのある映画だと、そのシーンが脳裏に浮かんでくる。次々と採り上げられる映画を「観た、観た」と思いながら読んでいくのは、それだけで楽しい。

登場人物の一人、テラシンが支配人を務めるのは、名画座。ロードショーの終わった映画を二本立てで上映している映画館で、昔はあちこちにあった。物語で登場する実在の名画座「シネスイッチ銀座」にも行ったことがあるし、池袋文芸座もしかり。今はDVDで簡単に観られるようになり、かくいう自分もそれが主流となってしまっている。映画と名画座への愛が溢れるこの本を読むと、ちょっと反省させられる。

さすがに友人が勧めてくれただけあって、ラストでは涙腺が緩んでしまう。物語で、ゴウとローズバットが人生最良の映画としていたあの映画をもう一度観てみたくなった。
映画好きであれば、それだけで一読の価値はある一冊である・・・



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2016年11月30日

【鏡の花】道尾秀介



第1章 やさしい風の道
第2章 つめたい夏の針
第3章 きえない花の声
第4章 たゆたう海の月
第5章 かそけき星の影
第6章 鏡の花

 著者の作品は、これまで短編(『Story Seller』『短編工場』)で読んだことがあるのみなのであるが、そのテイストが気に入っていて、いずれ小説を読んでみたいとずっと思っていた経緯がある。

物語はそれぞれ不思議に重なり合った短編である。「やさしい風の道」と「つめたい夏の風」は章也と翔子という姉弟の話。「やさしい風の道」では、章也は一人バスに乗り、一軒の家を訪ねていく。そこは章也が生まれる前、章也の両親が住んでいた家。そこでは、章也の姉である翔子が、幼い頃ベランダから落ちて亡くなっていた。一方、「つめたい夏の風」では、かつて事故で弟の章也を無くした翔子が、章也と同じ年の中学生直弥とデートする。

同じ登場人物なのに、シチュエーションが異なる。パラレルワールドの物語なのだろうかと不思議な気分で読み進む。「きえない花の声」では、また話が変わり夫に先立たれた主婦栄恵が主人公となる。息子俊樹の行為が原因となる事故で亡くなった夫瀬下が、実は職場の同僚結乃と浮気していたのではないかとの疑惑に駆られてしまう。しかし、次の「たゆたう海の月」では、瀬下は生きていて、栄恵と亡くなった息子俊樹の遺体を引き取りにくる話となる。

「かそけき星の影」では、瀬下夫妻の友人の娘である葎が、バスで直弥と真絵美の姉弟と一緒になる。姉弟と親しくなった葎は、姉弟の両親が火事で焼死したと聞く。そして直弥は、その原因を作ったのが自分であることでひどく自分を責めている。最後の「鏡の花」では、これまでの登場人物たちが、偶然一軒の宿で同宿することになる。顔に火傷を負った宿の娘美代が登場する。

どれもこれもが心にじんわりと滲むエピソード。どの話にも亡くなった人が登場し、登場人物たちは死者を悼む。こうしたパラレルワールドとも言える物語では、独特の効果があると思う。それは「かそけき星の影」の物語に現れている。ここに登場する直弥と真絵美の姉弟は、両親を火事で失っている。そしてその原因は、直弥は自分にあると思い、それが心に大きな傷を残している。

しかし、「鏡の花」では二人の両親は健在で、旅先の宿で真絵美は電話で母親から叱責される。そして思うのである。以前、火事になりそうなことがあったが、あの時両親が死んでいたらと・・・一つの世界では、両親の喪失が心の傷となっており、別の世界ではそれを願う。人間て勝手なものである。だが、見方を変えれば、鬱陶しいと思う人もいなくなればと考えれば、考えも変わるかもしれない。なんとなく、人間関係を考える上でのヒントになりそうである。

なかなか面白い設定の物語であると思う。全編を通して優しいテイストに溢れ、もしかしたらこれが著者のテイストなのかもしれない。ともかく、短編を読んで感じたことは間違いではなかったと思う。また別の作品も読んでみたいと思わせられる一冊である・・・


     
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