2017年04月25日

【侍】遠藤周作



 最近映画が公開されて話題になった遠藤周作の『沈黙』を読んだのは、結構前のことである。以来、他のも読んでみようと思いつつ月日を重ねて来たが、思い立って2冊目に手を出すことにした。それがこの本。

 『沈黙』もそうであったが、この本も江戸時代初期が舞台。そしてベースにあるのが「キリスト教」というのも同じ。時に徳川家康が幕府を開き、豊臣家はまだ残っていて、すなわち時は大坂夏の陣の前である。東北地方のある藩の下級武士である侍は、ある時上役から呼び出される。そして牢から出された宣教師らとともにノベスパニヤに向かい、交易を開始する交渉をしてこいと命じられる。召出衆という身分の低い立場の自分がなぜと訝しがりながらも、かつて領地替えとなった所領を取り戻すチャンスでもあると侍はこれを受ける。
ノベスパニヤと言われてもわからなかったが、それは現在のメキシコらしい。

 一方、使節一行の案内役となるのは宣教師のベラスコ。ベラスコは日本語を話す通辞でもあるが、時に幕府によるキリシタン禁制の動きが出ており、こうした日本における禁制の動きは、対立するペテロ会の失策であり、自分に任されれば時の権力者と協調し布教ができると考えている。この交易を実現させ、ローマ教会の承認を得て日本における布教を主導しようと目論んでいる。

 こうして、船が造られ、侍を含む4人の召出衆が使者となる。使者はそれぞれ4人の供の同行を許され、他にも同船する商人らとともに船に乗り込む。そして出港の日を迎える。実は、侍は現在の領地で良いと思っている。元の知行を望んでいるのは伯父であり、その手前調子を合わせているのである。寡黙な侍は、そんな心の内を叔父に話せない。そして内心では、故郷を遠く離れることになるこの役目を嫌がっている。

 途中まで侍の本名は伏せられたままで、タイトルにある通り「侍」と称されたまま進んでいく。しかし、その名は長谷倉六右衛門と明かされる。実は、これは伊達政宗によって派遣された慶長遣欧使節団の支倉常長(支倉六右衛門)をモデルとしているとのこと。史実はそうだが、実は細部のところはわかっておらず、それを著者が小説という形で補って描いたものの様である。

 それはともかくとして、一行は暴風雨にさらされたりして、苦難の航海を続けていく。使者の1人である松木は、自らの役目を「捨石」と見なしている。殿の書状を持参する使節としては、自分たちの身分が低すぎるのがその理由。しかし、侍はその意見を否定し、上司の思いやりのある言葉をその理由とする。このあたり、冷静に分析する松下と侍たち「信じる」派との心理描写が面白い。

 侍たちからすれば、お役目として受けた以上、それに従わないといけない。何かあれば腹を切らなければならない時代である。そして、キリスト教との関わり。侍も初めはキリスト教を理解できないでいる。その心情はよくわかる。しかし、やがてお役目のためにキリシタンに改宗することを迫られる。断ればお役目を果たせず、さりとて心から信奉できないキリスト教に改宗する意味はあるのか、故郷にある家族を裏切ることになるのか、その葛藤がよく伝わってくる。

 そして一行は長い苦難の旅の果てに、ローマ法王との謁見に臨む。お役目と自らの心中との葛藤。苦難以外の何物でもない旅。そして予想もしなかった国内の変化。ラストに待つ理不尽な結末に、なんとも言えない気分になる。果たして、自分が主人公の立場だったらどう行動するであろう。そして実在の支倉常長の旅は実際はどんなだったのであろうと、思いは馳せる。

 それにしても、この宗教というものは、実に重いと思う。神などいないと合理的に考える考え方も理解できるが、キリスト教がなぜ世界中に蔓延していったのかということも理解できる。エンターテイメントとしても十分楽しめるが、「宗教とは何なのか」という疑問に対し、ヒントを与えてくれる要素もある。三浦綾子の『氷点』は、キリスト教の原罪という概念を良く理解させてくれたが、この本もキリスト教に帰依する理由を良く理解させてくれる。ただの小説として捉えるだけでは不十分だろう。

 遠藤周作の著書については、まだまだ興味深いものがある。慌てずゆっくりと一つ一つ読んでいきたいと思わされる作家である・・・



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2017年01月19日

【つまをめとらば】青山文平



ひともうらやむ
つゆかせぎ
乳付
ひと夏
逢対
つまをめとらば

 著者のことはよく知らず、その作品を読むのも初めてであるが、江戸を舞台とした6編の短編集である。

 「ひともうらやむ」は、本条藩御馬廻り組の番士である長倉家の庄平と克巳の物語。本家の克巳がある時、庄平に相談を持ち掛ける。克巳は本家筋でありながら剣の筋もよく、おまけに好男子であり人も羨む存在であるが、藩内のお抱え医師の娘世津に恋をしていたのである。庄平に背中を押された克巳は、誰もが認める美女である世津と願い叶って祝言を上げる。だが、しばらくして庄平は克巳の深刻な相談を受けることになる。

 「つゆかせぎ」は、妻が亡きあと、実は妻が密かに戯作を書いていたと知らされた男の物語。父から受け継いだ俳諧が元で妻と知り合った男。妻は男に俳諧師として独立するように勧めていたが、食べていく自信のなかった男はその言葉を聞き流してきた。そんな男が勝手掛用人として知行地へ向かう途中の宿屋で女を買わないかと持ち掛けられる。雨が降るとその日の稼ぎを得られない女が、子供を養う為に身を売る。それが「つゆかせぎ」。

 「乳付」は、家格の違う家に嫁いだ民恵の話。初産で男子を儲けるが、熱に襲われ一命を取り止める。しばらくは負担を避けるべしと親戚の瀬紀が赤子に乳を与える。粉ミルクなどない時代である。自らが産んだ子に乳をあげられないもどかしさに襲われる民恵。しかし、やがて姑や瀬紀の過去を知ることになる。

 「ひと夏」は、高林家の次男啓吾の物語。当時の次男以下は、一家の厄介者としての存在。そんなある日、啓吾に新規お召出の話が来る。半信半疑で城に登城したところ、得られたのは杉坂村の支配所勤め。実はそれは幕領地内の飛び地であり、赴任したものは精神的に追い詰められて二年と持たずに鬱になると言われる仕事であった・・・

 「逢対」は、貧乏旗本の竹内泰郎の物語。ふとしたきっかけで泰郎は幼馴染の北島義人と出会う。実は二人とも武家であり藩から禄をもらっているが、無役である。そんな無役の者が、出仕を求めて登城する前の権力者の屋敷に日参することを逢対というのだそうで、真面目に逢対に励む義人の影響を受け、泰郎も義人に習って逢対に同行する。

 タイトルとなっている「つまをめとらば」は、すでに隠居している深堀省吾と幼馴染の山脇貞次郎の物語。ふとしたことで、貞次郎は省吾の家の敷地内にある家作を借りて共に暮らし始める。実は貞次郎は再婚を考えていたが、省吾との生活が心地よく、再婚に踏み切れないでいる。互いに女には恵まれなかったが、そんなある日、省吾の家にかつて省吾の元に奉公に来ていて、心中騒動を起こした里が訪ねてくる・・・

 こうした時代劇は、藤沢周平の影響ですっかり好きになっているが、やはりどこかのどかな雰囲気と、当時の文化を背景とした世界が良くて、よく読んでいる。この作家の作品は初めてであるが、どこか心に染み入る物語が心地よい。特に「逢対」はその制度のことは初耳で、生まれた時から身分が定められている武家の男の、定められてはいない世界への思いと友情とが特に心に響いてくる。読んでホッとできるところがあるのである。

 どの時代でも必死に生きている人々がいて、時に己の置かれた立場に違和感を感じながらも生きざるを得ないでいる。現代でも通じるような話だが、時代背景を超えて主人公たちの心情が伝わってくる。藤沢周平の新作が読めなくなった以上、こういう新しい作家との出会いは大切にしたいと思う。今後も動向に注目していきたい作者の作品である・・・


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2015年09月17日

【村上海賊の娘】和田竜



村上海賊といえば、戦国時代に瀬戸内海を支配していた海賊という程度の知識しかなかったが、『のぼうの城』の原作者の手による小説ということで、興味を持って手にした一冊。

時は天正4年。
織田信長はその勢力を関西に伸ばし、今や7年にわたって対立してきた大阪本願寺を包囲して殲滅しようとしている。
窮地に陥った大阪本願寺は、西の雄毛利家を頼り、兵糧の支援を要請する。
強力な信長勢との全面対決に慎重な毛利家では、当主毛利利輝を中心にこれを支える小早川隆景らが協議を重ねる。

織田方の包囲網を突破し、兵糧十万石を大阪本願寺に届けるには、陸路はほぼ不可能であり、唯一の可能性がある海路が検討される。
そしてそのために、瀬戸内海を支配する村上一族に支援を要請することとなる。
村上海賊は、能島・来島・因島と3家に分かれており、最大勢力である能島村上がその鍵を握っている。

主人公村上景(きょう)は、この能島村上の当主村上武吉の娘であるが、この手のストーリーにありがちな美女ではなく、醜女であるというところが面白い。
女主人公と言えば、最近のハリウッドで流行っているアクション女優はみんな美女なのであるが、醜女となると、映画化する時はどうするんだろうと余計な心配が湧いてくる。
そしてそれに加え、男勝り。
弟の影親をいたぶるだけではなく、その行動すべてが男より男らしい。

そんな景は、海で大阪本願寺に加勢に行こうとしていた源爺や留吉ら農民グループを助ける。
行き掛かり上、船で大阪まで送るが、そこで織田方の勢力下にある眞鍋海賊と知り合う。
眞鍋海賊は、眞鍋道無斎から家督を譲られた七五三兵衛(しめのひょうえ)が当主として指揮を取っている。

物語の前半は、全体の導入部と、眞鍋海賊と景との絡みとなる。
そして当主七五三兵衛がまた凄い。
強力はもちろん、ハチャメチャながら一本筋の通った屈強な男で、豪傑として描かれる。
その描写は、誰が主役だったかわからないくらいである。
何となくこの展開に違和感を覚えていたが、それは後半への布石。
ここで豪快なリーダーとして強烈に印象付けられたがゆえに、クライマックスの海戦が実に大迫力となってくる。

とにかく、眞鍋海賊の男たちが熱い。
その熱が、同じ織田傘下の沼間家の当主義清に伝播する。
さらには、毛利方の当主児玉就英や乃美宗勝の行動も熱い。
計算打算で動く男よりも、信念に従って動く熱い男たちが物語を動かしていく。
そして主人公の景も、負けず劣らずそれについていき、そして追い越していく。
損得を超えて動く登場人物たちの行動が、読む者の心も熱くしてくれる。
なかなかの物語。

最後まで、どうなるかわからぬ合戦の行方。
途中で読むのをやめるのが実に苦痛となる。
登場人物は、みな実在の人物。
実際はどうだったかはわからないし、それは問題ではないが、とにかくストーリーは面白いの一言に尽きる。
この分だと、『のぼうの城』の原作も相当面白かったのかもしれないと思えてくる。

時代劇が好きな人はもちろん、そうでない人も、刺激を欲する人は是非とも一読すべき一冊である・・・
    
   
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2014年12月26日

【武田信玄 山の巻】新田次郎




全4巻に及ぶシリーズの最終巻。
北条と対立が続く武田家。
しかし、信玄の基盤は盤石で、京都へと向かう西上の声が上がるようになる。
西上のためには北条との問題を片づけないと、後顧の憂いを残す事になる。
一方、信玄の体調もおもわしくなく、労咳(結核)の症状は一進一退の状態。

そんな状況下、北条のトップである氏康が癌との情報がもたらされる。
トップの死により、北条の風向きも変わり、そして上杉との同盟を破棄して武田との同盟が復活する。
こうして信玄は西上への地盤固めを行っていく。
その頃、信長は比叡山を攻め、反攻していた比叡山の勢力を鎮圧する。

この時代は群雄割拠の時代。
それを強烈に感じさせられる。
戦って勝つばかりが能ではない。
戦えば味方も被害を受ける。
それはそのまま戦力ダウンへと繋がる。

一方、各地には豪族が分散している。
有力大名の動きを様子見していて、ギリギリのところで配下につくという事が当たり前に行われている。
そしてそれもそのまま戦力増強という結果になる。
現在の中央集権国家をイメージしているとなかなか理解しにくい部分である。

武田家では勝頼がいよいよ信玄の後継者としての地位を固める。
そしてついに信玄は西上に向けて出陣する。
その体は、確実に労咳にむしばまれている。
西上する信玄の前途に横たわるのは、徳川家康の支配する三河。
後半のクライマックスは、有名な信玄対家康の三方ヶ原の戦いである。

かつての家康の居城である浜松城を訪れると、今でもこの三方ヶ原の戦いが解説されている。
信玄の3万の軍勢に対し、信長の援軍を入れて1万の軍勢の家康軍。
数の上では勝負にならない。
そして浜松城の展示でも、家康は信玄勢に大敗を喫したとされている。
その経緯が著者の手によってリアルに再現される。

信玄の死には確定した説はないという。
映画『影武者』では、野田城攻略中に城から銃撃を受けて死亡したとされているが、その説ももちろんあるという(ただし、信用度は一番低いらしい)。
本小説では病死となっていて、「死して3年は死を伏せろ」という指示も描かれている。
ただ、その3年間の動きはこの小説の範疇ではないらしい。

信玄を取り巻く武将たちも、西上途中で無念のUターン。
事実かどうかわからないが、信玄が京都へ上れなかったのは歴史上の事実である。
やがて武田家は、これも有名な長篠の戦いで織田徳川連合軍に大敗し、歴史から姿を消していく。
武田家の有力武将たちは、多くが徳川に吸収されたという。

天下を取った者だけが、歴史の主役ではない。
全4巻に及ぶこの『武田信玄』も、その内容は圧巻である。
もう40年前の著作であるが、時代劇ゆえに古さは感じない。
こうした時代劇に興味のある人なら、一度は目を通すべき歴史小説かもしれない。

機会があれば、今度はまた違う人物について挑戦してみようかと思わせられる一冊である・・・



    
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2014年11月11日

【武田信玄 火の巻】新田次郎



新田次郎による『武田信玄』シリーズの第3弾。

前作では、川中島で上杉景虎を破り、上杉の脅威はここでは減っている。
そして変わりに関東と駿河が信玄の視野に入ってくる。
この時代、天下に号令をかけるには京に上る必要がある。
既に織田信長は京に向かっており、信玄も西に目を向ける。

かつては同盟を組んだ関東の北条と駿河の今川。
冒頭では北条の要請で信玄は松山城を攻める。
しかし、信玄の力が及ぶのを嫌った北条は、単独で松山城を降伏させる。
武田と北条に不信感が募る。

一方、桶狭間で義元が討たれた今川は、氏真が跡を継ぐ。
西進を目指す信玄は、今川討伐を検討するが、信義を重んじる嫡男義信はこの方針に反発する。
信玄・義信親子の対立は深まり、義信は傅役の飯部兵部に父信玄の追放を依頼する・・・

かつて信玄は実父信虎を追放した。
しかし、これは信虎が人心を失っていた為、成功したこと。
家臣から支持されている信玄の追放に、他の家臣が賛同するわけもなく、クーデターは失敗する。
義信は信玄の命によって幽閉される。
一方、湖衣姫の長男勝頼は初陣を飾り、こうして信玄の後継者が決まる・・・

武田信玄は有名であっても、その実績は詳しく知らない。
ここで語られるエピソードも、したがってすべて新鮮である。
当時は、“常備軍”がなく、兵士は農閑期に戦争に出ていたという。
田植えのために兵を引いて領地に帰ったというエピソードも、現代の“常備軍”的な発想からすると、意外な発見である。

また兵士も“混合部隊”である。
武田・北条・今川・徳川・上杉など大名の直系軍だけでなく、近くの小豪族が大大名に兵を率いて加わったりする。
そうした勢力は、しばしば“寝返り”のリスクがあり、戦場では最前線に置かれた事も多かったという。
そうした本筋から離れたエピソードも興味深い。

北条と対立する武田。
一方、勢力を伸ばした徳川は、北条と通じている。
後に豊臣秀吉が小田原を攻めるが、徳川家康が北条に上洛を説得したのは、この頃からの結びつきかと改めて思う。
いよいよ物語は最終巻へ。

ラストが楽しみである・・・
    
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2014年10月28日

【武田信玄 林の巻】新田次郎



新田次郎による『武田信玄』シリーズの第2巻。
「風林火山」に合わせ、「林の巻」である。

『風の巻』に続くこの巻、信玄はまだ“晴信”である。
そして晴信と正妻三条氏との間にできた嫡男太郎と今川義元の娘との祝言で、この巻は始まる。
この時代、今川義元はまだ一大勢力を保っている。
そして武田は、今川家そして関東の北条氏と姻戚関係を通じた同盟を結ぶ。
北からは長尾景虎(上杉謙信)の脅威が迫る。

晴信はしばしば影法師を利用する。
以前、黒澤明監督の『影武者』を観たが、あの映画は武田信玄の影武者を描いたモノであった。
そんな事がふと脳裏をよぎる。

長尾景虎との有名な川中島の戦いは、前哨戦に入る。
また、諏訪で養生していた湖衣姫が病でこの世を去る。
この湖衣姫というのは、実は著者の命名なのだと言う。
昔は女の名前など記録に残さなかったから、本名がわからず苦肉の策だという。
ただウィキペディアなどでは既にこの“湖衣姫”で説明されており、既成事実化しているから、ちょっと驚くべき事実である。

やがて晴信は僧侶の心を掴むべく剃髪する。
ただし、還俗はせず出家だけした形であるが、それをもってようやく法名として「信玄」を名乗る。
こうした細かい経緯など知らなかったため、このあたりは非常に興味深く読む。

そして今川義元が上洛すべく、2万の大軍を率いて駿府を出発する。
この時代、上洛するのが天下統一への道。
武田は西に今川義元がいて上洛できない。
信玄は山本勘助にある密命を与えて織田家へと送る・・・

桶狭間のあと、物語は川中島の大会戦へと進む。
長尾景虎は上杉謙信と改名。
信玄は海津城を築いて川中島制圧の意図を示す。
双方とも地元の百姓の協力を得て、“地の利”を得ようとする。
キーワードは“霧”。
武田側は山本勘助、上杉側は風間勘兵衛が諜報を担う。
武田は17,000、対する上杉は13,000の兵力がついに激突する・・・

迫力ある合戦が続く終盤は読むのをやめられない。
信玄の後継者は湖衣姫の子勝頼であるが、ここでは嫡男太郎義信がその地位にある。
この後、どのようにしてその地位が入れ替わるのかわからないが、この合戦でその兆しが現れる。

やっぱりこの川中島が全体を通じてのクライマックスになるのだろうか。
かなりページも割かれており、読み応えは十二分にある。
挿入されている地図も想像力を補ってくれる。
読み終えて多少の脱力感を覚えつつ、気持ちは第3巻へ。
やめられない止まらないシリーズである・・・

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2014年09月17日

【武田信玄 風の巻】新田次郎



有名な戦国武将を描いた全4巻のシリーズの第1巻である。
これも有名な旗印“風林火山”に合わせ、第1巻は「風の巻」となっている。
この本が世に出たのは昭和44年頃らしいから、もうかなり古い本と言えるが、読んでみると古臭さはまったく感じない。

主人公は当然のことながら武田信玄なのであるが、ここではまだ“武田晴信”である。
世はまだ父武田信虎の時代。
晴信19歳の時から、物語は始まる。
既に政略結婚によって京都の三条左大臣公頼の娘三条氏と結婚している。

しかしこの三条氏、晴信より3歳年上で公家出身を鼻にかけ、考え方も晴信とは隔たりがあり、夫婦仲はあまり良くない。
それもあってか、晴信は三条氏の侍女として来ていたおここを側室とする。
晴信はおここに夢中になるが、おここは三条氏の不興を買って毒殺されてしまう。

一方、父信虎からは臆病者と低く見られていた晴信。
信虎は晴信を追い出し、次男の信繁を跡継ぎにしようと計画する。
それに対し、信虎の残忍性を嫌い、これを追い出して晴信を主にしようという動きが進行する。
晴信も信虎も、ともに相手を今川義元に預けようとするところが興味深い。下剋上の戦国乱世ではあるが、そこは親子だからか、相手を殺すと言う発想はなかったようである。

今川義元は、桶狭間の前でまだ健在。
武田家とは政略結婚で姻戚関係となっている。
ここでは武田家の本拠地甲府から見て、西の有力大名として登場する。

結局、この親子間の争いは人心を集めた晴信が勝ち、信虎は今川義元の下へと送られる。
実権を握り、“お館様”となった晴信は、今の長野県へと勢力を伸ばしていく。
三条氏との仲は相変わらずだが、諏訪家から湖衣姫、そして禰津城主禰津元直の娘里美をそれぞれ側室として迎える。

側室二人はともに美女として描かれており、実際にどうであったのかは定かではないが、物語の中ではともに美女である以上、羨ましい限りである。
湖衣姫は勝頼という男子を生む。
正室三条氏にも男子が生まれるが、歴史としては信玄の跡継ぎは勝頼であるだけに、今後の展開に楽しみが及ぶ。

若き晴信は、今の諏訪、松本、小諸、上田と勢力を伸ばしていく。
今川義元からは、山本勘助が送られてきて、晴信のために働く事となる。
晴信は、若くて戦上手なところを見せるも、時に失敗し板垣信方等重臣を失う失態を犯す。
小笠原長時、村上義清という反対勢力を制圧していくが、その背後に長尾景虎(上杉謙信)の姿が見え隠れする。
川中島の戦いはまだ先のお楽しみである。

特に何の考えもなく手に取った本であるが、意外に引き込まれてしまった。
続く「林の巻」も是非読んでみる事にしよう。
古い本も掘り出し物があるかもしれない。
これからも幅広く目を向けていきたいと思わせられた一冊である。

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2014年03月05日

【弥勒の月】あさのあつこ



かつては、時代劇など年寄りの読むものという感覚があった。
だが、藤沢周平の世界に触れ、時代劇に抵抗はなくなった。
最近では、藤沢周平以外にも手を広げているが、これもまた初めて読む作家による時代劇である。

履物問屋稲垣屋惣助が女遊びをして帰る道すがら、橋の上に女が一人佇んでいるのが目に入る。
気がつけば水音がし、女が飛び込んでいた。
調べにあたるは、北定町廻り同心小暮信次郎と岡っ引の伊佐治。
やがて女は、小間物問屋遠野屋の女房りんと判明する。

どう見ても身投げと処理されるところ、りんの主人遠野屋清之介は信次郎に、状況を調べてほしいと願い出る。
“匂う”ところのあった信次郎は、伊佐治に調べさせる。
こうして調べが進むにつれ、遠野屋清之介の人物像が浮かび上がってくる。

どう見ても普通の商人には思えない身のこなし。
実はもともと武士であったと判明する。
それがどういうわけで、商人になったのか。
その出自ながら、商才もあって商売は繁盛している。
夫婦仲も良かったのに、なぜおりんは身投げしたのか。

同心信次郎もただの同心には思えない振舞いもあり、それを老兵である伊佐治が支える。
果たしておりんはなぜ身投げしたのか。
清之介の隠された過去は。
次第にストーリーが浮かび上がり、そしてその先が気になってしまう。

何の予備知識もなく読み始めたのだが、意外にストーリーに引き込まれていた。
派手な剣戟はないものの、江戸の物語らしく、静かにゆっくりとストーリーは進む。
やがて迎える結末。
藤沢周平の世界とも宮部みゆきの時代劇の世界とも違う味わい。
藤沢周平の新作が期待できない今、その他の世界にも少しずつ目を向けていきたいと思うところであるが、この作家も面白いかもしれないと思わせられた・・・
    
    
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2012年10月02日

【吉原御免状】隆慶一郎



以前、 「一夢庵風流記」という本を読んでいるが、これは同じ作者の初の長編小説。
同じ時代劇ものであるが、 「一夢庵風流記」と同じテイストである。

主人公は剣豪宮本武蔵によって育てられた松永誠一郎。
物心つく頃から教え込まれただけあって、今や無敵の剣士である。
今は亡き武蔵の遺言に従って、25歳まで故郷の山中で暮らし、26歳になった今、やはり遺言にしたがって、吉原の庄司甚右衛門を訪ねるため江戸に出てくる。

吉原はその時、元の地から移動し、現在の所在地に移動していた。
そのあたりの様子が詳しく書かれ、それはそれで興味深い。
当時の吉原の様子が描かれる。
それも挿絵つきなのでわかりやすい。
妙なところで感心。

そして吉原を訪れた誠一郎を待っていたのは謎の吉原一族と、裏柳生の面々。
“神君御免状”を狙ってきた裏柳生。
誠一郎の出生の秘密と吉原一族の狙い。
吉原ゆえに、花魁との“手合わせ”も当然に登場する。

この作者のスタイルなのであろうか、 「一夢庵風流記」同様、この物語でも際立つのは“主人公の強さ”。
さすが宮本武蔵より仕込まれただけあって、誠一郎の強さは並ではない。
それに加えて、取り巻き連中も並みの人間ではない。
このあたりは好き嫌いの差がでるかもしれない。
ちなみに私は、個人的には好きではない。

老若男女入り乱れての賑やかなストーリー展開は飽きる事はない。
無敵の主人公の八面六臂の活躍スタイルも悪いわけではない。
こういう時代劇も一つのスタイルであると思う。
ただ、藤澤周平の世界観に馴染んだ身からすると、違和感を覚えてしまう。
しかしながら、私の友人は著者の作品が大好きのようであるから、やはり人それぞれと言えるのだろう。

ちょっとした暇つぶしに読んでみて、合う合わないを判断してみるのも面白いかもしれない・・・

    
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2012年03月04日

【蜩ノ記】葉室麟



第146回直木賞受賞作品。
豊後・羽根藩の奥祐筆・檀野庄三郎は、城内で些細な事から親友と口論になり、その場の勢いで刃傷沙汰に及ぶ。
事は切腹にあたる事態。
しかしながら家老の配慮でからくも切腹を免れ、代わりに向山村に幽閉中の元郡奉行・戸田秋谷の元へ遣わされる事になる。
秋谷は七年前、前藩主の側室と不義密通を犯した廉で、家譜編纂と十年後の切腹を命じられていた・・・

時代劇モノは藤澤周平ですっかり抵抗感がなくなっている。
新しい作家の時代劇という事でちょっと期待して手に取った。
武士の世界は名誉を重んじる世界。
現代ではありえないような話も、時代劇では可能となる。
十年後の切腹とそれまでの間に家譜編纂を命じられた元郡奉行戸田秋谷。
そしてその切腹までの監視と家譜の中味の報告を命じられた庄三郎の物語。

戸田秋谷は、前藩主の側室と不義密通を犯したと言うが、まずはその事情に自然と興味が湧く。
読み手は庄三郎の立場から、秋谷の人となりを見て、そして向山村での生活を体験していく。
そして少しずついろいろな事がわかってくる。

こうしたストーリー展開は実に巧妙。
いつのまにか、秋谷とその過去に興味をそそられていく。
秋谷の家族とともに暮らし、次第に情も移ってくる。
筋を通した秋谷の生き方、それを受けた息子もまた父同様背筋を伸ばして生きている。
武士道の世界と言ってもよいのだろうが、俗世間的な他の登場人物と比較すると、武士道ばかりでは説明がつかない。
やはりどの時代でも筋の通った生き方をする人間とそうでない人間はいる。

自分としては、武士ではないが、筋の通った生き方をしたい、と漠然と思う。
切腹の時は近づき、不義密通の真相も明らかになってくる。
派手な斬り合いがあるわけでもないが、深い人間ドラマは安易なチャンバラに遥かに勝るものがある。

この作家、今後も時代劇を書いていくのだろうか。
もしもそうであるとしたら、是非次回作以降もマークしたいと素直に思った・・・

    
    
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