2018年05月27日

【ナポレオン時代−英雄は何を遺したか−】アリステア・ホーン 読書日記924



原題:The Age of Napoleon
序 章 ナポレオン時代
第1章 権力への意志
第2章 時代はいつも次代を夢見る
第3章 運は女性のようなもの
第4章 栄光を求めて
第5章 建築・施工主
第6章 帝政様式
第7章 帝国の娯楽
第8章 ロマン主義の表象
第9章 没落
第10章 ラシーヌ通りにコサック兵が
終 章 一つの時代の終焉

ナポレオンと言えば、知らぬ者がいないほどの歴史上の有名人。そんなナポレオンの名前のついた本であるが、「ナポレオン時代」とあるように、この本はナポレオン個人に焦点を合わせたというよりも、ナポレオンを中心に動いていた時代の本というべき一冊。特にここで扱われるのは、1795年から1820年までの25年間である。

1795年の秋、パリに滞在していたナポレオンは、反革命王党派の反乱をパリの街中で大砲を使用するという大胆な作戦でわずか1日で鎮圧し、イタリア方面軍司令官に任じられる。コルシカ島出身の貧しい工兵が大いに飛躍する。そして対仏大同盟という危機の中、有名なエジプト遠征を実行し、取って返したパリでクーデターにより任期10年の第一執政に就任する。そして婚姻制度の復権、カトリック教会との融和を進める。

ナポレオンの本であれば、名を馳せた軍事的成功の数々にスポットライトを当てると思うが、この本はあくまでも「ナポレオン時代」の本であるがゆえに、そうした軍事的な成功譚よりも、当時は結婚制度が緩んでいて、夫も妻も互いに相手を「コートを変えるように」変えていたなどという風潮を紹介している。カトリック教会との融和は、革命期に教会が革命勢力によって荒らされたという事実があるようである。

そうした当時の時代風景はやはり興味深い。ロベスピエールやその一派の堅苦しい道徳律から解放され、パリの女性の間では薄くて軽い生地のブラウスが着用されたそうであるが、これらは雨に濡れるとシースルーだったという描写がなされているのはとても興味深い。しかし、一方でパリは荒廃の地でもあり、ぬかるんだ地面は悪臭を放ち、下水道には蓋もなかったという。そんなパリをナポレオンは再建という野望を掲げる。セーヌ川河岸の整備、近代的上水道、美術館、凱旋門等々今に連なる礎をこの頃築いたようである。

ナポレオンは国民投票によって次々と改革を行う。著者によれば、「民衆は1789年の革命以来の無政府状態、悪政、腐敗そして破壊行為に背を向ける者ならなんでも賛成した」という状態でナポレオンを支持し、ナポレオンは有名な民法典を成立させ、教育制度の改革や文化育成等も行い、やがて皇帝に就任し戴冠式を行う。こうしたよく知られたエピソードも面白いが、やはり当時の社会の様子も興味深い。

失業率は低いレベルで抑えられていたものの、労働は過酷で労働時間は長かったという。建設労働者は午前6時から午後7時まで働かされ、1813年までは10歳以下の子供も働いていたという。さらにパン屋の寿命は50年に届かなかったという。それでも革命前よりは良い暮らしだったというから驚きである。

長引く戦争で、ナポレオンは常勝軍団を形成したが、実は脱走兵もかなり多かったという。さらに戦場は主に国外だったせいか、パリの暮らしには戦争の影響はほとんどなかったとか。こうしたことが諸々語られていく。それらはやはりナポレオンの名は冠しているが、メインは「時代」である。こういう視点の本も歴史好きとしては面白いと思う。

ナポレオン時代の特にパリを、いい面も悪い面も含めて伺い知ることのできるという意味で興味深い一冊である・・・




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2018年05月16日

【朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実−文化人類学者が読み解く『慰安所日記』−】崔 吉城 読書日記920



序 章 「慰安婦問題」とは何か
第1章 慰安所日記の概要
第2章 慰安婦たちはなぜ死んだのか
第3章 慰安所日記を読み解く
第4章 軍政と慰安所
第5章 慰安所日記から見えてくるもの
終 章 韓国は慰安婦問題を政治的なカードにすべきでない

いわゆる従軍慰安婦問題は、個人的には大変興味深いところである。こういうタイトルの本が出れば当然手が出る。これはもともと戦時下の日本軍慰安所で帳場人として働いていたある朝鮮人の日記なのだという。「従軍慰安婦問題を理解する上で最も価値あるもの」と考えた著者が、2年の月日をかけて読み解いたという。そんな著者は、東亜大学の教授である。

日記は、ハングル、漢字、平仮名、片仮名混じりで、同じ立場の著者としてはそれだけでも自分がやるべしと考えたようである。その根底には、軍と性の問題に対する関心もあるようである。というのも、自身の体験として朝鮮戦争下の故郷で、共産化から守ってくれるはずの国連軍が村の女性をレイプし、それを機にムラが国連軍の売春村と化したという経験があるようである。

従軍慰安婦問題が初めて報道されたのは、1991年12月2日。著者によれば韓国の反日感情は主に国内向けで、それを日本が過剰反応してメディアを使って増幅しているのだと言う。この微妙なニュアンスは、日本にだけいるとわからないと思う。そうした慰安婦問題に対する著者の考えが、前半部分を占める。個人的には、早く本題に入って欲しくてもどかしく思うところであった。

そして肝心の日記部分になるが、これは本当に朝何を食べたから始まり、何をして夕食はどうしたという普通の日記そのものである。自分の日々書いている日記と大差ない。著者はこの日記に対し、「反日・親日・親韓・嫌韓の立場を超えて、偏見なし、先入観なし、自他なし、敵味方なし」の公平な立場で読もうとしたとする。期間は1943年から1944年までの2年間である。

個人的に興味深かったのは、以下の事実。
1. (利用時に)軍人は管理人のところで札を買い、それを持って部屋に来た
2. 軍人はコンドームをつけることが原則
3. 1日10人から20人の軍人の相手をした
4. 軍事郵便貯金をして総額1,800円くらい貯金した

当時既にコンドームが使われていたというのは、大変参考になる事実。お金の価値は現在と異なるが、「1,000円あれば大邱に家が一軒買える」という表現があることからすると、総額1,800円の貯金というのはかなりの大金であることがわかる。今も昔も性風俗産業は稼ぎがいいのだということであろう。「強制連行された性奴隷」が果たしてこんなに稼げるものであろうかと思わなくもない。

酔って日本刀を抜いて斬りかかってきた下士官から刀を奪って刺してしまった慰安婦が、軍法会議で無罪になったという話も出てくる。その真義を疑う人もいるらしいが、そもそもありえない話なら噂にも出てこないであろう。もっともらしく語られるということは、すなわちそういうこともありうるということである。「強制連行された性奴隷」に正当防衛など認められるだろうか。

慰安所が軍の施設なのかただの関連施設なのか、日記からはわからないという。しかし、「移転せよ」という軍の命令に、「慰安婦たちが反対して行かなかった」という記述もあるという。著者も「強制連行の有無」については多大な関心を寄せて、日記を読み込んだというが、ついに決定的な証拠はなかったという。それを著者は、「関係者や慰安婦たちにとって関心事ではなかった」のではないかとする。

さらに当地では、日本人も朝鮮人もまとめて「邦人」と呼ばれていたという。慰安婦を連れて内地帰還の旅行証明願いを提出したという記述から、ある程度の移動の自由もあったと伺える。「強制連行」についての記述の有無も確かに大事かも知れないが、当時の知られざる事情をうかがい知るのも興味深い。直接的な表現はなくとも、十分なのではないかと思われる。
白黒をつけるものではないにせよ、興味深い内容であることは間違いのない一冊である・・・



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2018年04月24日

【サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福】ユヴァル・ノア・ハラリ 読書日記912



原題: Sapiens A Brief History of Humankind
第1部 認知革命
 第1章 唯一生き延びた人類種
 第2章 虚構が協力を可能にした
 第3章 狩猟採集民の豊かな暮らし
 第4章 史上最も危険な種
第2部 農業革命
 第5章 農耕がもたらした繁栄と悲劇
 第6章 神話による社会の拡大
 第7章 書記体系の発明
 第8章 想像上のヒエラルキーと差別
第3部 人類の統一
 第9章 統一へ向かう社会
 第10章 最強の征服者、貨幣
 第11章 グローバル化を進める帝国のビジョン
 第12章 宗教という超人間的秩序
 第13章 歴史の必然と謎めいた選択
第4部 科学革命
 第14章 無知の発見と近代科学の成立
 第15章 科学と帝国の融合
 第16章 拡大するパイという資本主義のマジック
 第17章 産業の推進力
 第18章 国家と市場経済がもたらした世界平和
 第19章 文明は人間を幸福にしたのか
 第20章 超ホモ・サピエンスの時代へ

 「サピエンス全史」というのは、随分大上段に構えたタイトルであるなと思ったが、内容を読んでみれば納得の大作。ホリエモンも読んでいるベストセラーなのも頷ける内容である。
現在の人類は「ホモ・サピエンス」と名付けられているが、実はアウストラロピテクス属に属するサピエンスは多岐にわたっていたという。いわゆるホモ・ネアンデルターレンシスやホモ・エレクトスなど多数である。今も猿が何種類もいるのを見れば納得する。

 そんな人類が、ホモ・サピエンスに統一されたのは、70,000年前の「認知革命」の結果だという。これにより比類なき言語と架空の事物について語る能力を手にし、ホモ・サピエンスは非常に多数の見知らぬ者同士の協力を可能にし、他のサピエンスを駆逐したのだと言う。チンパンジーは150という個体数を超えると大混乱に陥るという説明は説得力がある。デモなんてできないわけである。

 初期の狩猟採集生活は、実に栄養も豊富で、幼児死亡率の高さから平均年齢は低かったものの、80代まで長生きした者もいたというのは驚きである。これが旺盛な大移動で各地に広がり、それによって多くの大型動物を絶滅させたというのは、意外な事実である。そしてサピエンスは次に「農業革命」を迎える。一段の飛躍かと思いきや、実はここで見れば狩猟採集生活の方が豊かだったと著者は論ずる。これも意外。

 要は生産性がアップして食料自給も増えたが、個体数もその分増加して、個々人ベースで見ればそうなのだという。
・子供が増えれば余剰の小麦はより多くの子供が分けあわなければならない
・母乳を減らせば免疫系が弱まり、永続的な定住は感染症のリスクを増やす
・単一の食料への依存は干ばつのリスクが高くなる
そうした事実から、著者は「農業革命は罠だった」とする。そして大きな発明は何と言っても貨幣。これにより最も普遍的で最も効率的な相互信頼の制度を可能とする。

 こうした農業革命は、神々を生む。豊作と家畜の多産に対する願いが起源だという説はなるほどである。しかし、それがアミニズムから一神教になると様相が変わる。ローマ皇帝がキリスト教徒を迫害したのは300年間で4回、犠牲者は数千人だが、その後1,500年間でキリスト教はわずかな解釈の違いを守るため同じキリスト教徒を数百万人殺したという指摘には考えさせられる。

 そして最後の「科学革命」が来る。この科学と帝国主義と資本主義のフィードバックがその後の歴史を動かす原動力となる。探検と支配の精神構造が優っていたヨーロッパが、アジアを逆転して繁栄をもたらす。西暦1,000年から1,500年までの変化と、1,500年から2,000年までの変化には同じ500年でも格段の差がつく。国家と市場経済がもたらした平和は、人類の存続も脅かすほどになるが、一方で大戦後は史上空前の平和社会を実現する。

 人類史と言ってしまえばそれまでであるが、3つの革命を通じての発展は、気がつかなかった見方を様々与えてくれる。目から鱗の感があるところが多々ある。さらにサピエンスの未来は、これまでの自然淘汰ではなく、生物工学、サイボーグ工学、非有機的生命工学からの可能性にも言及していて、思わず唸らされてしまう。改めて「人間とは」と考えさせられてしまった。

 壮大なスケールで展開されるサピエンスの歴史。地球にとって善か悪かはわからないが、これからどう発展していくのだろうか。実に考えさせられる一冊である・・・




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2017年12月14日

【逆説の日本史23】井沢元彦 読書日記869



第1章 近現代史を歪める人々
第2章 琉球処分と初期日本外交
第3章 廃仏毀釈と宗教の整備

第1巻から足掛け20年以上続いているシリーズであるが、ようやく時代は明治に至る。さてと楽しみにしていたところ、第1章はどうも今までと勝手が違う。ここでは、近年周辺国を巻き込んで大変な問題にさらされている「歴史捏造」についてページが割かれる。一応、「近現代史を考察するための序論」となっていて、著者にとっては流れとして必要なところらしいのであるが、私からすると違和感たっぷりの章となっている。

ここで採り上げられるのは、主として朝日新聞による事実の捏造。かつて日本史の教科書の検定で、「中国への侵略」を「進出」と改変させたと報じられて大問題となり、これによって日中関係が悪化した。しかし、これが事実誤認(私は今になって知った)であり、マスコミ各社は訂正・謝罪したが唯一やらなかったのが朝日新聞。そして読者からこの点について問われた朝日新聞は、著者が「日本新聞史上最低最悪の記事」と称する説明文を掲載する。

朝日新聞には、「世論を自分たちの望む方向に導くことこそ正義」という鼻持ちならないエリート意識があると断罪する著者。その気持ちはよくわかるし、まったくの同感なのであるが、それはくどくどとページを割かねばならないことなのだろうかと思わずにはいられない。朝日新聞のこれまでの「罪状」について一覧できるという利点はあるが、それ以外にはどうにも納得できない章である。この第1章だけで全体の半分に及ぶ。

そして第2章からようやく「正常化」する。ここでは琉球について語られる。薩摩藩の求めに応じて家康は琉球王国への進出を許可する。それまで明の冊封体制下にあった琉球王国は、あっけなく降伏する。琉球のそれまでの貿易など、改めて学べる意義は大きい。そして沖縄が今も本土と異なる独特の文化を持つ理由もわかってくる。そしてここでも大きな意味を持って扱われるのは朱子学。朱子学がいかに「毒酒」であるのかが語られる。

第3章は「廃仏毀釈」。仏教と神道が分立する我が国であるが、実は明治初期に仏教の廃止が行われた。それは欧米列強に負けないための「神道+朱子学」といういわば新宗教が整備されるためだったという。言葉は歴史の授業で知っていたが、その実態についてはよくわからないままであった。こうして採り上げられると改めて新鮮で面白い。

歴史を学校で教えるのは大事なことであるが、縄文時代から始まる授業はたいてい駆け足で、しかも近代史前で終わってしまう。急いで通り過ぎてしまったところをこうして好きな人は後で補うというのも仕方ないが、このシリーズはそれに最適だと改めて思う。特に宗教については、常に時代背景として意識しないといけないのだと思わされる。早く明治史に入って欲しいと思うものの、ここで廃仏毀釈に代表される宗教政策が取り上げられる意味は大きいと思う。

さらにここで採り上げられている朱子学の悪影響については、これまで知ることのなくきてしまっていた。これが著者の主張する通りだとすると、日本人のDNAにもかなり浸透しているように思う。著者がかねがね主張する「歴史の宗教的側面」を意識することはかなり重要ではないかという気がする。
まだまだ続くこのシリーズ、これから本格的に突入する近現代史を楽しみにしたいと思う一冊である・・・




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2017年11月14日

【ノモンハン秘史】辻政信 読書日記857



一. 眼と眼
二. 歯と歯
三. 誇る伝統
四. ノモンハンは何処ぞ
五. 一勝一敗
六. 拡大の責は何人ぞ
七. 敢戦苦闘
八. フラルキ爆撃さる
九. 第六軍の戦場統帥
十. 骨を曝して

ノモンハン事件にはもともと興味を持っていて、その実態を少しでも知ろうと手にしたのが、半藤一利の『ノモンハンの夏』。そこで当時東京の大本営と現地の関東軍との温度差が指摘されており、大本営の曖昧な命令とそれを軽視する現場との対立が描かれていたが、半藤一利がもっとも問題視していたのが、辻政信少佐。その元凶とされた人物の手記が本書である。

何事も一方向からの意見だけで語るのは良くない。本人には本人なりの言い分があろうというもの。なるべく偏見のない目で、それらの言い分を聞きたいと思って本書を手にする。冒頭で、国際政治学者である人がノモンハン事件を振り返って、「実際には日本の勝利だった」と語る。近年の情報公開によって様々な事実がわかってきているという。戦力は日本軍3万に対し、ソ連は23万。それでいて被害はソ連の方が大きく、日本軍は10万の増援を得たところで停戦命令が出てしまったという。現地がまだまだやりたがったのも無理はないとする。

『ノモンハンの夏』でも紹介されていたソ連将校のジューコフは、対ドイツ戦の英雄ながら「生涯で最も苦しかった戦い」にノモンハンを挙げていると紹介されている。冒頭からして『ノモンハンの夏』とは真っ向から方向が違う。『ノモンハンの夏』では、最後はようやく停戦させたという安堵感が漂うが、冒頭の学者はその判断を「情報不足と情勢判断の誤り」と断じる。まことに面白いものである。

手記は昭和13年から始まる。既にソ連の満州国境への圧力は増してきており、著者はその最前線を視察する。全般を通じて描かれているが、辻少佐は決して後方で指示だけしている人物ではない。その姿勢は立派である。最初にカンチャーズ事件というのが説明される。これは領土侵犯したソ連砲艇に対し、東京の指示を無視して現地が攻撃したという事例で、「積極果敢に敵の不法を膺懲して事件の拡大を防止」したと著者は語る。

中央と現場の意識の違いを著者は「中央部は侵されても侵さないことを希望し、関東軍は侵さず侵されざることを建前とした」とする。この考え方の対立がすべてであろう。事件の推移は、それほど大きくは異ならない。ただ、現場の迫力はやはり違う。事件の初期に東支隊主力がソ連戦車部隊と交戦し、全滅する。少佐は山縣支隊とともに戦場に出て、その惨劇を目撃し、越権行為となるのを厭わず死体回収を命じ陣頭指揮を取る。

第一次ノモンハン事件では、中央も信頼と好意を持って支援したとある。だが、その後中央と現場との意見は大きく食い違っていく。「左の頬を叩かれて右の頬を叩かすか、あるいは断固として敵の出鼻を挫き、白熊の巨手を引っ込めさすか」との表現にそれはよく表れている。少佐の言い分にはもちろん、説得力がある。侵攻作戦に反対する中央に対し、正式に中止命令が来る前にやってしまおうという意見が平気で出て来る。現場の雰囲気は当然ながら正しいものをまとっている。

現場と中央の対立も激化していく。「現場サイド」から見れば、中央の参謀本部作戦課の大佐は「実戦の経験が全くなく」、「戦果の陰で死んでいった英霊に対し無礼」となる。現場にいれば「ソ連が対日宣戦の意志を持っていなかったことは明らか」である。中央との交渉と最前線との視察を繰り返す著者。「ああ東京が恨めしい。足枷手枷を外してくれたら、と毎日天を仰いで嘆息する」と語る。

結局のところ、本部と現場との対立というのは現代でもどこにでもある話であるが、一読してどちらが正しいとは判断がつかない。著者は、軍人としては確かに立派だと思う。偉そうに安全なところで指示だけしている人間ではなく、最前線で堂々と立ち居振舞っている。最後の遺書でも「卑怯な行動は断じてなかった」と子供たちに書き残しているが、その通りだったのだろう。全体を見て判断する作戦本部と、現場感覚でモノを言う最前線とどちらが正しいのかは難しい。

自分が正しいと信念を持って行動する姿が終始一貫して語られるが、また一方で本部の統帥が効かなかったのも事実であり、このあたりが帝国陸軍の問題点だつたのだろうと思う。本書と『ノモンハンの夏』とは、一つの事件を別々のサイドから比較すると言う意味で、対にして読むべき非常に面白い2冊である・・・


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2017年06月27日

【応仁の乱−戦国時代を生んだ大乱−】呉座勇一 読書日記807



第1章 畿内の火薬庫、大和
第2章 応仁の乱への道
第3章 大乱勃発
第4章 応仁の乱と興福寺
第5章 衆徒・国民の苦闘
第6章 大乱集結
第7章 乱後の室町幕府
終 章 応仁の乱が残したもの

 基本的に歴史好きである自分は、面白そうだと思うものにはなんでも手を出す方である。この本もタイトルを見ただけで即、読むことにした次第。その理由としては、歴史の授業でも学んでいて有名であり、後の戦国時代へと繋がったという事件である割に詳しいことを知らないということである。そんな興味を持ちつつ、ページをめくったのである。

 はじめに、著者自身、「応仁の乱が日本社会に残したものは何だったのか」記したいとしている。まさに自分が願った通りの狙いなわけである。応仁の乱は難解だと言われているらしいが、その理由は「なぜ戦乱が起こったのかよくわからないし、最終的に誰が勝ったのかもよくわからない」からだとする。そんな戦乱を、著者は時代を少し前に遡って丁寧に描いて行く。

 応仁の乱の38年前の1429年、奈良にある興福寺大乗院衆徒の豊田中坊と興福寺一乗院衆徒の井戸氏とが対立し、合戦へと発展する。これが大和永享の乱であるが、南北朝時代が終わったあと足利将軍は第8代義教の時代、畿内は火薬庫状態であったところに起こった事件であったらしい。これが結城合戦へと繋がり、やがて嘉吉の乱では将軍義教が暗殺されるという事態にまでなる。こうなると、将軍家の威光も地に落ちている。

 そして大乱直前には、伊勢貞親を中心とする将軍義政の側近グループと、これと敵対し義政の弟義視の将軍就任を支援する山名宗全をリーダーとするグループ、そしてその中間の細川勝元をリーダーとするグループの3つの勢力が対立するようになる。要は、将軍継承問題をめぐる争いであるが、これが御霊合戦へと進む。将軍義政による停戦命令が出され、細川勝元と山名宗全は一旦従うも再び戦火が上がる。

 これが細川勝元を東軍とし、山名宗全を西軍とする勢力の衝突であり、応仁の乱がスタートするのだが、当初は東軍側に大義名分もあり兵力も多かったが、やがて西軍に足利義視が寝返り、西幕府を宣言したことからややこしくなる。さらに井楼(物見櫓)や御構という陣地による要塞化といった戦法の変化が、乱が長期戦と化していった背景だと語られる。また、この時代に足軽が誕生したらしい。

 応仁の乱を著者は、第一次世界大戦と類似していると言う。それは、
・新興勢力(山名宗全=ドイツ)が覇権勢力(将軍家=細川勝元=英仏)に挑戦した戦いであったこと
・最初から全面戦争を意図していたわけではなく、共に短期決戦を志向していながら長期戦化したこと
・最後は補給路を絶たれた方が破れていること
などである。なるほど、面白い比較だと思う。

 一応、東軍に軍配は上がった形となるが、勝った東軍も内紛が起こり一枚岩が崩れていく。そして中央の将軍の力が衰え、その取り巻きである参戦大名も没落していく。そしてそれ以外の各大名は、京都から地方の支配地へ戻り統治力を高め、これが後の「戦国大名」となっていく。まだ、織田信長も豊臣秀吉も徳川家康も出てこない時代。何となく漠然とした時代の雰囲気がよく伝わってくる。

 正直言って、登場人物の数が多くとても覚えきれない。読んでいても誰と誰がどういう関係でというのが複雑化していき、読んでいてわからなくなることしばしば。多分、一ヶ月くらいしたら忘れてしまいそうである。気がついたらベストセラーになっている本書だが、なぜそうなったのか正直よくわからない。まぁ、大まかな流れは理解できるし、面白いことは面白い。歴史好きにはいいだろうと思う。
 
 戦国時代へと繋がる時代の雰囲気がよく伝わってくる一冊である・・・



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2017年06月01日

【ノモンハンの夏】半藤一利 読書日記800



第1章 参謀本部作戦課
第2章 関東軍作戦課
第3章 五月
第4章 六月
第5章 七月
第6章 八月
第7章 万骨枯る

 個人的には歴史好きである私は、「ノモンハン事件」にはもともと興味を持っていた。戦争に負けた日本であるが、この時点でそれまでの方向変換をすれば悲劇は避けられたのではないかと言われていたからである。そんな興味を持っていたゆえに、『昭和史』の著者の手による本書を見つけて迷わず手にした次第である。

 本書が始まるのは、1939年(昭和14年)である。この年、ヨーロッパではドイツがポーランドに侵入し、第二次世界大戦が勃発する。その前夜、日本は中国と泥沼の日中戦争を展開している。すでに防共協定を結んでいたドイツから急速な接近があり、「持たざる国(日独伊)が持てる国(英米仏)とのアンバランスを解消して世界秩序を打ち立てる」との考えで、日独伊三国同盟締結の機運が流れている。中国の天津では、イギリス租界に逃げ込んだテロ犯の引き渡しをイギリスが拒み、反英のムードが漂っている。

 ノモンハン事件といっても、その背景事情も重要だということが、本書を読んでいてよくわかる。特に日独伊三国同盟締結に関する動きは、本書の記述の多くを占めている。ヒトラーは犬猿の仲であるはずのスターリンに接近し、ソ連と英仏との連携をけん制する。この時期、英仏対独伊、独対ソ、ソ対日、日対中英ソという対立模様が各所に存在している。そして国内では、三国同盟を強固に主張する陸軍と、それに反対する天皇と海軍との対立構造がある。

 街角には「三国同盟即時締結せよ」などのビラが貼られ、世論は後押しムード。反対する海軍の先頭に立つ山本五十六次官には、暗殺の噂さえ流れる。当初はすぐ終わるとタカをくくっていた支那事変が、泥沼の長期戦になったのは、それを支援するソ連とイギリスの動きがあり、ヨーロッパにおいてそれをけん制するという理由で、三国同盟推進派は突き進む。

 ソ連とは朝鮮の朝鼓峰で衝突し、日本軍は手酷い損害を被っているが、根拠のないソ連軽視が支配する。そんな中で、関東軍が事件の中心になる。陸軍も一枚岩ではなく、統帥部は天皇の意向もあり、ソ連との衝突には積極的ではない。しかし、もともとくすぶっていた満蒙国境で紛争が発生すると、関東軍は積極的に排除に動く。そして本来、天皇の統帥命令が必要なはずの越境爆撃を進言し、参謀本部は「自発的中止勧告」という曖昧な指示に終始し、これを「明確な中止命令がないからやってしまいましょう」と関東軍は実施してしまう。

 その関東軍で中心的な役割を果たすのが、司令部第一課の辻政信少佐。強硬派の少佐に率いられた関東軍は、ノモンハンに第23師団を中心とした軍を派遣する。しかし、その装備は日露戦争から進化しておらず、歩兵が持つのはシングルボルトアクションの三八式歩兵銃であり、戦車は軽戦車。以前からなんで日本軍はおもちゃのような軽戦車しかなかったのか不思議だったが、そもそも戦車は「歩兵支援」という考えに立っていたのだと解説される。戦車対戦車の戦闘という概念はなかったようである。

 実際の戦闘は、ソ連の戦車に日本兵は火炎瓶を投げつけるという肉弾戦。しかし、これで日本軍は健闘する。のちにソ連のジューコフが日本軍についてスターリンに「下士官は頑強で勇敢、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが高級将校は無能」と報告するが、まさにその通りである。第23師団の戦死傷病率は76%に及び、これは太平洋戦争でもっとも激戦だったガダルカナルの34%を大きく上回るという結果にもよく表れている。事件後には、捕虜になった将校には自決させるなどの事後処理もショッキングである。

 本来、大元帥である天皇が反対している以上、ノモンハンでの衝突はありえなかったはず。なのに「大御心が間違っている場合だってある」という雰囲気さえ出てきてしまう恐ろしさ。大敗の後すら、関東軍は「戦場掃除」の名目でさらなる攻撃を進言し、さすがに参謀本部に阻止されるが、最後の最後まで「やれる」という暴走機運がみなぎっている。そして事件を主導した人物たちは、ほとんどお咎めなく陸軍の中枢部へと進んでいく。読めば読むほど滅入ってくるし、著者の抑えた怒りも伝わってくる。こんな時代に生まれなくて良かったとつくづく思う。

 「天皇の戦争責任」を問う声をよく聞く。しかし、こうした歴史の経緯を学べば自然とそういう考えは出なくなるだろう。そういう意味で、歴史を学ぶ意義は大きい。戦争に限らず国家の崩壊を防ぐためにも、特にこの時代の流れはよく学びたいところである。
単にノモンハン事件だけではなく、現代にも生かせる教訓として、学び多き一冊である・・・



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2016年11月26日

【明治維新という過ち】原田伊織 読書日記730



はじめに 〜竜馬と龍馬〜
第1章 「明治維新」というウソ
第2章 天皇拉致まで企てた長州テロリスト
第3章 吉田松陰と司馬史観の罪
第4章 テロを正当化した「水戸学」の狂気
第5章 二本松・会津の慟哭
第6章 士道の終焉がもたらしたもの

 すでに『官賊と幕臣たち』『大西郷という虚像』と、シリーズ第2,3弾を読んでいるのだが、改めてシリーズ第1弾である本書を手に取った次第。本来は、ここから始めなければならなかったのであろうが、まぁ仕方ない。

 前2著で著者のテイストは分かっているのであるが、ここでもそれは変わらない。著者の歴史観は、言ってみれば「反長州史観」ともいうべきもので、「長州憎し」一辺倒の偏った歴史観である。この本を書いたのは、今の長州が書いた歴史の蔓延に「止むに止まれぬ思いに駆られ」たそうである。我々が学ぶ歴史とは、「長州薩摩が書いた歴史」であり、明治維新という出来事を冷静に総括する必要があるのだとか。

 歴史は勝者によって書かれるというのは、世の常であるが、どうも著者の主張はわからない。さらに歴史については、資料の裏付けばかりが全てではないという主張は、『逆説の日本史』シリーズで井沢元彦氏もしているのでそれ自体不思議ではない。しかし、井沢氏の鋭い推理に基づくものと違い、この本の著者が主張するのは「皮膚感覚」である。

 「京都八坂通りの夕靄の中に佇めば、会津藩士や新撰組隊士が腰をかがめて長州のテロを求めて疾駆する姿が眼前に浮かび上がる」のだそうである。笑止千万とはこのことだろう。こうした激しい偏向ぶりが全編を通して根底に流れる。「明治維新という過ち」がなければ、「徳川政権が江戸期の遺産をうまく活かして変質し、国民皆兵で中立を守るスイスか自立志向の強い北欧三国のような国になっていたのではないか」だそうである。

 長州憎しの著者によれば、長州の奇兵隊などはテロリスト集団であり、「吉田松陰は特に過激な若者の一人で、若造と言ってもよく、今風に言えば東京から遠く離れた地方都市の悪ガキ」だそうである。さらに「何らかの思想を持っていたとしても、それは未来に向けて何の展望もない虚妄」と手厳しい。さらに水戸黄門は試し斬りをやった人非人であり、水戸学はファシズムだとする。

 水戸藩の公家好きを批判するが、これは『逆説の日本史16』では違う解釈がなされていて、対比すると興味深い。同じ徳川でも幕府側でなければ、一刀両断である。こんな調子なので、当然幕府側はべた褒めである。老中阿部正弘などは、講武所を開き海軍伝習所はのちの世界三大海軍国への道を開いたと絶賛。歴史家司馬遼太郎も著者にかかれば、「(長州が設立した)陸軍戦車隊に所属していた個人的な体験が大きく(悪)影響している」らしい。

 「明治政府はテロリストが作った政府(だからダメ)」というのが著者が言いたいことなのだろう。確かに会津攻めにしても酷いのは事実だろう。だが、「勝てば官軍負ければ賊軍」という言葉が今でも残っていることは、「勝てば(テロリストだろうと)官軍=正義になってしまう」という意味で、それは裏を返せば明治政府は勝ったから正当化されている(テロリスト扱いされていない)ことを表しているのである。今更著者が強調しなくても皆わかっているだろう。

 今の世で「長州が、薩摩が」と言って何になるのであろう。私自身薩長政権に支配されている意識はないし、自分の祖先が幕府側だったのかどうかもわからない。関ヶ原で東軍西軍のどっちについたのかもわからないし、わかったところで敵対勢力に対する反感など湧いてこない。著者は京都八坂の夕靄の中に佇むと、一瞬にして幕末の世界に身を置けるらしい。今だ幕末に生きている所は、すごいことだと畏敬の念が湧いてくる。

 歴史の検証には何が必要なのか。そのことを改めて思い起こさせてくれる一冊である・・・





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2016年11月12日

【世界を作った6つの革命の物語】スティーブン・ジョンソン 読書日記727



原題:How We Got to Now/Six Innovations That Made the Modern World
序 章 ロボット歴史学者とハチドリの羽 
第1章 ガラス
第2章 冷たさ
第3章 音
第4章 清潔
第5章 時間
第6章 光
終 章 タイムトラベラー

物事は、何事であれ違う角度から見るとまた違って見えることがある。歴史もしかり。以前、『帳簿の世界史』という本を読んだが、これは「簿記」という観点から歴史を見たもので、通常の歴史とはまた違った世界の見方ができるのだと思ったものである。この本では、何気ない6つの発明が歴史に大きな影響を与えたということを示した本である。

まず初めに紹介されるのが「ガラス」。人類によるガラスの発見はおそらく偶然で、リビア砂漠あたりで旅人が躓いたか何かした程度であろうとする。しかし、その発見されたものは貴重品扱いされ、ツタンカーメン王の墓の装飾品に使われる。やがて、ガラスの加工技術が進歩し、まず眼鏡が発明される。そして鏡が作られ、それによって画家が自画像を描けるようになる。さらにグーテンベルクによる印刷機の発明は、人々の識字率の向上をもたらし、眼鏡の市場が急拡大する。

2つのレンズを使用する眼鏡が普及すると、それを重ねることで顕微鏡の発明へと繋がり、それは細菌の発見と伝染病予防等へと繋がる。また、顕微鏡は望遠鏡へと発展し、ガリレオはその望遠鏡を利用した天体観測データから地動説を導き出す。時代は下り、カメラ用レンズが開発され、グラスファイバー、光ファィバーの出現により、今や我々はスマホで写真を撮り、SNSで投稿することができるようになっている。いずれにもガラスの技術無くしては不可能である。

続いて、「冷たさ」。これは冷凍技術であるが、昔は天然の氷しかなく、当然寒いところ限定のものであった。それをボストンの実業家フレデリックが、西インド諸島に氷を運ぶ事業を始めることからチャレンジが始まる。商売になるとなれば、工夫がなされる。氷の採取、断熱、輸送、保管に成功すると、天井から吊るした氷が部屋を冷やすことが発見され、それはエアコンへと繋がる。大量製氷装置は、肉の保存のための冷却室、そして冷蔵庫へと繋がり、フリーズドライにより美味しく食べ物を保存することが可能になる。

単に、発明の歴史かといえばそうではなく、例えばエアコンの影響として大統領選挙への影響も語られる。エアコンの登場により、アメリカでは北部の共和党員が南部へと大量に移住。フロリダ、テキサス、南カリフォルニアの人口が急増し、それは大統領選挙人の移動をも伴う。今や大統領候補はこの地域から出ることも多く、無視できない地域となっている。何気ない歴史の推移にエアコンが絡んでいるという見方は面白い。

音に関しては、音の記録という歴史もさることながら、真空管の発明、拡声器の出現、ラジオ放送の開始等の流れを追い、ヒトラーは真空管アンプとマイクを使って演説をしたと続ける。ビートルズは戦後同じものを使ってライブを行う。これも目に見えない歴史の裏側である。音はさらにソナーによる海洋探査、超音波による妊婦健診に繋がっている。

さらに「清潔」、「時間」、「光」が取り扱われるが、いずれも発明の発展とその影響という形で興味深い。特に昔は風呂に入ることがなく、毎日体を洗うことが唱道されたのが19世紀も半ばになってからというのは驚きだ。医師でさえ患者の処置前に手を洗うということをしていなかったのだとか。トレビア的なところもあるが、モノの発明と世の中の変化の歴史という点では、どれも興味をそそられる物語である。

 こういう視点で物事を捉えられるというのも、着眼点として素晴らしいと思う。雑学として読んでも面白い一冊である・・・


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2016年10月16日

【逆説の日本史22】井沢元彦 読書日記715



第1章 明治維新編-近代国家へと踏み出す「廃藩置県」の断行
第2章 明治政府のグランドデザイン編-日本の骨格作りと留守政府の奮闘
第3章 明治六年の政変編-「征韓論」とは何だったのか?
第4章 サムライたちの反抗編I-陰謀に散った不運の男・江藤新平
第5章 サムライたちの反抗編II-“最強”の西郷軍はなぜ敗れたのか?
第6章 補遺編

 シリーズ第22弾、とうとう時代は明治を迎える。毎回楽しみにしているシリーズの最新刊。今回は、先日読破した『大西郷という虚像』に違和感を抱いたこともあり、また内容的に重なることもあって、読み比べをしてみたいと楽しみにしていた経緯があった。結果的には、「重みが違う」という内容で、『大西郷という虚像』の浅薄さが際立つ結果となった。

 中国古典『易経』から取られ、元号は「明治」と改められる。当初は首都を大阪にする案もあったようであるが、日本郵便の父前島密から大久保利通へ手紙で献策がなされ、東京が首都になったという。まだ函館では榎本武揚率いる幕府軍が最後の抵抗を続けており、その様子が解説される。幕府軍は、当時世界最大級の戦艦「開陽」を擁し、せっかくの城五稜郭も設計は良かったが施工が悪く、防御には役立たなかったなどという説明が興味深い。

 その一方で、中央では版籍奉還、廃藩置県と近代国家への歩みが進む。そんな近代化と朱子学に毒された薩摩藩の島津久光の反対との間で、西郷隆盛は苦労する。また、太政官布告によって個人の名前に関する制度が統一される。それまで日本ではいくつもの名前を持つのが当たり前だったのが、これによって今の姓名の制度になったという。西郷隆盛は、本当は「隆永」が諱であったらしいが、なかなか手続きをしないことに業を煮やした知人が手続きをしたところ、間違えて父の諱である「隆盛」にしてしまったいうエピソードが面白い。

 通貨制度改革、地租改正、秩禄処分と、そういえば学校で習ったことが続く。鉄道建設をめぐる米英の思惑と、国力としては分不相応ながら、富国強兵を目指して敷設を進めた伊藤博文と大隈重信。その陰では尾去沢銅山事件や山城屋和助事件などの汚職事件も起こる。『大西郷という虚像』でも徹底的に批判されていたが、この本では、「汚職まみれだったが実務的には極めて有能」と評価している。こうしたバランスの良さも公平感が強く、読んでいて心地よい。

 明治六年の政変では、「征韓論」が詳しく語られる。西郷隆盛が主張した征韓論の内容。特に征韓論=悪というイメージは、第二次大戦後の反省に基づくもので、明治の常識では征韓論=善とされていたことが解説される。西郷隆盛は公平な態度で改革を進め、その結果留守政府で土肥勢が増え、欧米視察団のメンバーであった大久保らが「留守政府潰し」にかかったとする。西郷隆盛の征韓論はこの過程で否決されたという。

 『大西郷という虚像』では、感情的に新政府を批判し、大西郷は虚像だとし、批判を重ねるがこの本と比べるとその説明は稚拙。西郷隆盛の行動をその時代背景とともに追うこの本の方がはるかにわかりやすい。西南戦争の経緯も実に詳細で、なぜ西郷軍は堅固な熊本城の攻略という無謀に走り、そして敗北したのかが詳述される。これこそ歴史的な態度であろう。

 そして連載から25年を経て、歴史界による発見などにより補足・修正が必要になったこととして補遺編が付属する。ケガレ忌避の思想は現代の護憲思想につながるという説明は、一概に頷きにくいが、「言霊思想」や「話し合い絶対主義」などの説明は、なるほどである。元寇における神風勝利説が実はそうではなかったという説明は、著者の発見ではないが、ちょっと衝撃的な事実である。

 これから激動の時代へとシリーズは続いていくが、どんな内容となるのであろうか。ますます続きが楽しみなシリーズである・・・

   
posted by HH at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする