2016年11月26日

【明治維新という過ち】原田伊織



はじめに 〜竜馬と龍馬〜
第1章 「明治維新」というウソ
第2章 天皇拉致まで企てた長州テロリスト
第3章 吉田松陰と司馬史観の罪
第4章 テロを正当化した「水戸学」の狂気
第5章 二本松・会津の慟哭
第6章 士道の終焉がもたらしたもの

 すでに『官賊と幕臣たち』『大西郷という虚像』と、シリーズ第2,3弾を読んでいるのだが、改めてシリーズ第1弾である本書を手に取った次第。本来は、ここから始めなければならなかったのであろうが、まぁ仕方ない。

 前2著で著者のテイストは分かっているのであるが、ここでもそれは変わらない。著者の歴史観は、言ってみれば「反長州史観」ともいうべきもので、「長州憎し」一辺倒の偏った歴史観である。この本を書いたのは、今の長州が書いた歴史の蔓延に「止むに止まれぬ思いに駆られ」たそうである。我々が学ぶ歴史とは、「長州薩摩が書いた歴史」であり、明治維新という出来事を冷静に総括する必要があるのだとか。

 歴史は勝者によって書かれるというのは、世の常であるが、どうも著者の主張はわからない。さらに歴史については、資料の裏付けばかりが全てではないという主張は、『逆説の日本史』シリーズで井沢元彦氏もしているのでそれ自体不思議ではない。しかし、井沢氏の鋭い推理に基づくものと違い、この本の著者が主張するのは「皮膚感覚」である。

 「京都八坂通りの夕靄の中に佇めば、会津藩士や新撰組隊士が腰をかがめて長州のテロを求めて疾駆する姿が眼前に浮かび上がる」のだそうである。笑止千万とはこのことだろう。こうした激しい偏向ぶりが全編を通して根底に流れる。「明治維新という過ち」がなければ、「徳川政権が江戸期の遺産をうまく活かして変質し、国民皆兵で中立を守るスイスか自立志向の強い北欧三国のような国になっていたのではないか」だそうである。

 長州憎しの著者によれば、長州の奇兵隊などはテロリスト集団であり、「吉田松陰は特に過激な若者の一人で、若造と言ってもよく、今風に言えば東京から遠く離れた地方都市の悪ガキ」だそうである。さらに「何らかの思想を持っていたとしても、それは未来に向けて何の展望もない虚妄」と手厳しい。さらに水戸黄門は試し斬りをやった人非人であり、水戸学はファシズムだとする。

 水戸藩の公家好きを批判するが、これは『逆説の日本史16』では違う解釈がなされていて、対比すると興味深い。同じ徳川でも幕府側でなければ、一刀両断である。こんな調子なので、当然幕府側はべた褒めである。老中阿部正弘などは、講武所を開き海軍伝習所はのちの世界三大海軍国への道を開いたと絶賛。歴史家司馬遼太郎も著者にかかれば、「(長州が設立した)陸軍戦車隊に所属していた個人的な体験が大きく(悪)影響している」らしい。

 「明治政府はテロリストが作った政府(だからダメ)」というのが著者が言いたいことなのだろう。確かに会津攻めにしても酷いのは事実だろう。だが、「勝てば官軍負ければ賊軍」という言葉が今でも残っていることは、「勝てば(テロリストだろうと)官軍=正義になってしまう」という意味で、それは裏を返せば明治政府は勝ったから正当化されている(テロリスト扱いされていない)ことを表しているのである。今更著者が強調しなくても皆わかっているだろう。

 今の世で「長州が、薩摩が」と言って何になるのであろう。私自身薩長政権に支配されている意識はないし、自分の祖先が幕府側だったのかどうかもわからない。関ヶ原で東軍西軍のどっちについたのかもわからないし、わかったところで敵対勢力に対する反感など湧いてこない。著者は京都八坂の夕靄の中に佇むと、一瞬にして幕末の世界に身を置けるらしい。今だ幕末に生きている所は、すごいことだと畏敬の念が湧いてくる。

 歴史の検証には何が必要なのか。そのことを改めて思い起こさせてくれる一冊である・・・





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2016年11月12日

【世界を作った6つの革命の物語】スティーブン・ジョンソン



原題:How We Got to Now/Six Innovations That Made the Modern World
序 章 ロボット歴史学者とハチドリの羽 
第1章 ガラス
第2章 冷たさ
第3章 音
第4章 清潔
第5章 時間
第6章 光
終 章 タイムトラベラー

物事は、何事であれ違う角度から見るとまた違って見えることがある。歴史もしかり。以前、『帳簿の世界史』という本を読んだが、これは「簿記」という観点から歴史を見たもので、通常の歴史とはまた違った世界の見方ができるのだと思ったものである。この本では、何気ない6つの発明が歴史に大きな影響を与えたということを示した本である。

まず初めに紹介されるのが「ガラス」。人類によるガラスの発見はおそらく偶然で、リビア砂漠あたりで旅人が躓いたか何かした程度であろうとする。しかし、その発見されたものは貴重品扱いされ、ツタンカーメン王の墓の装飾品に使われる。やがて、ガラスの加工技術が進歩し、まず眼鏡が発明される。そして鏡が作られ、それによって画家が自画像を描けるようになる。さらにグーテンベルクによる印刷機の発明は、人々の識字率の向上をもたらし、眼鏡の市場が急拡大する。

2つのレンズを使用する眼鏡が普及すると、それを重ねることで顕微鏡の発明へと繋がり、それは細菌の発見と伝染病予防等へと繋がる。また、顕微鏡は望遠鏡へと発展し、ガリレオはその望遠鏡を利用した天体観測データから地動説を導き出す。時代は下り、カメラ用レンズが開発され、グラスファイバー、光ファィバーの出現により、今や我々はスマホで写真を撮り、SNSで投稿することができるようになっている。いずれにもガラスの技術無くしては不可能である。

続いて、「冷たさ」。これは冷凍技術であるが、昔は天然の氷しかなく、当然寒いところ限定のものであった。それをボストンの実業家フレデリックが、西インド諸島に氷を運ぶ事業を始めることからチャレンジが始まる。商売になるとなれば、工夫がなされる。氷の採取、断熱、輸送、保管に成功すると、天井から吊るした氷が部屋を冷やすことが発見され、それはエアコンへと繋がる。大量製氷装置は、肉の保存のための冷却室、そして冷蔵庫へと繋がり、フリーズドライにより美味しく食べ物を保存することが可能になる。

単に、発明の歴史かといえばそうではなく、例えばエアコンの影響として大統領選挙への影響も語られる。エアコンの登場により、アメリカでは北部の共和党員が南部へと大量に移住。フロリダ、テキサス、南カリフォルニアの人口が急増し、それは大統領選挙人の移動をも伴う。今や大統領候補はこの地域から出ることも多く、無視できない地域となっている。何気ない歴史の推移にエアコンが絡んでいるという見方は面白い。

音に関しては、音の記録という歴史もさることながら、真空管の発明、拡声器の出現、ラジオ放送の開始等の流れを追い、ヒトラーは真空管アンプとマイクを使って演説をしたと続ける。ビートルズは戦後同じものを使ってライブを行う。これも目に見えない歴史の裏側である。音はさらにソナーによる海洋探査、超音波による妊婦健診に繋がっている。

さらに「清潔」、「時間」、「光」が取り扱われるが、いずれも発明の発展とその影響という形で興味深い。特に昔は風呂に入ることがなく、毎日体を洗うことが唱道されたのが19世紀も半ばになってからというのは驚きだ。医師でさえ患者の処置前に手を洗うということをしていなかったのだとか。トレビア的なところもあるが、モノの発明と世の中の変化の歴史という点では、どれも興味をそそられる物語である。

 こういう視点で物事を捉えられるというのも、着眼点として素晴らしいと思う。雑学として読んでも面白い一冊である・・・


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2016年10月16日

【逆説の日本史22】井沢元彦



第1章 明治維新編-近代国家へと踏み出す「廃藩置県」の断行
第2章 明治政府のグランドデザイン編-日本の骨格作りと留守政府の奮闘
第3章 明治六年の政変編-「征韓論」とは何だったのか?
第4章 サムライたちの反抗編I-陰謀に散った不運の男・江藤新平
第5章 サムライたちの反抗編II-“最強”の西郷軍はなぜ敗れたのか?
第6章 補遺編

 シリーズ第22弾、とうとう時代は明治を迎える。毎回楽しみにしているシリーズの最新刊。今回は、先日読破した『大西郷という虚像』に違和感を抱いたこともあり、また内容的に重なることもあって、読み比べをしてみたいと楽しみにしていた経緯があった。結果的には、「重みが違う」という内容で、『大西郷という虚像』の浅薄さが際立つ結果となった。

 中国古典『易経』から取られ、元号は「明治」と改められる。当初は首都を大阪にする案もあったようであるが、日本郵便の父前島密から大久保利通へ手紙で献策がなされ、東京が首都になったという。まだ函館では榎本武揚率いる幕府軍が最後の抵抗を続けており、その様子が解説される。幕府軍は、当時世界最大級の戦艦「開陽」を擁し、せっかくの城五稜郭も設計は良かったが施工が悪く、防御には役立たなかったなどという説明が興味深い。

 その一方で、中央では版籍奉還、廃藩置県と近代国家への歩みが進む。そんな近代化と朱子学に毒された薩摩藩の島津久光の反対との間で、西郷隆盛は苦労する。また、太政官布告によって個人の名前に関する制度が統一される。それまで日本ではいくつもの名前を持つのが当たり前だったのが、これによって今の姓名の制度になったという。西郷隆盛は、本当は「隆永」が諱であったらしいが、なかなか手続きをしないことに業を煮やした知人が手続きをしたところ、間違えて父の諱である「隆盛」にしてしまったいうエピソードが面白い。

 通貨制度改革、地租改正、秩禄処分と、そういえば学校で習ったことが続く。鉄道建設をめぐる米英の思惑と、国力としては分不相応ながら、富国強兵を目指して敷設を進めた伊藤博文と大隈重信。その陰では尾去沢銅山事件や山城屋和助事件などの汚職事件も起こる。『大西郷という虚像』でも徹底的に批判されていたが、この本では、「汚職まみれだったが実務的には極めて有能」と評価している。こうしたバランスの良さも公平感が強く、読んでいて心地よい。

 明治六年の政変では、「征韓論」が詳しく語られる。西郷隆盛が主張した征韓論の内容。特に征韓論=悪というイメージは、第二次大戦後の反省に基づくもので、明治の常識では征韓論=善とされていたことが解説される。西郷隆盛は公平な態度で改革を進め、その結果留守政府で土肥勢が増え、欧米視察団のメンバー出会った大久保らが「留守政府潰し」にかかったとする。西郷隆盛の征韓論はこの過程で否決されたという。

 『大西郷という虚像』では、感情的に新政府を批判し、大西郷は虚像だとし、批判を重ねるがこの本と比べるとその説明は稚拙。西郷隆盛の行動をその時代背景とともに追うこの本の方がはるかにわかりやすい。西南戦争の経緯も実に詳細で、なぜ西郷軍は堅固な熊本城の攻略という無謀に走り、そして敗北したのかが詳述される。これこそ歴史的な態度であろう。

 そして連載から25年を経て、歴史界による発見などにより補足・修正が必要になったこととして補遺編が付属する。ケガレ忌避の思想は現代の護憲思想につながるという説明は、一概に頷きにくいが、「言霊思想」や「話し合い絶対主義」などの説明は、なるほどである。元寇における神風勝利説が実はそうではなかったという説明は、著者の発見ではないが、ちょっと衝撃的な事実である。

 これから激動の時代へとシリーズは続いていくが、どんな内容となるのであろうか。ますます続きが楽しみなシリーズである・・・

   
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2016年09月22日

【大西郷という虚像】原田伊織



第1章 火の国薩摩
第2章 西郷と島津斉彬
第3章 西郷の幕末動乱
第4章 明治復古政権の成立と腐敗
終 章 田原坂への道

 前著『官賊と幕臣たち』に続く続編であり、『明治維新という過ち』シリーズの完結編という位置付けである。実は、『明治維新という過ち』はまだ読んでいない。気がつかないまま前著を読んでしまった結果であるが、あまり順番には意味がないと思うので、気にしない。
 
 今回は、「維新三傑の筆頭」と称される西郷隆盛を中心に添えている。と言っても、実は周辺事情が多く、ご本人に対する分析は心なしか中途半端である気がする。そもそもであるが、本書の狙いは明治維新を単なるクーデターととらえ、官軍教育としての薩長史観の産物である現代の歴史教育に対し、明治維新なるものの実相を史実に忠実にあからさまにすることとされている。それはそれでいいのだが、どうも偏り感がきつい。

 話は西郷の故郷鹿児島からスタートする。著者が訪問した時、知り合いに紹介されて行った飲み屋のママに世話になった例を挙げ、これぞ「薩摩おごじょ」だと持ち上げる。薩摩の気風を言いたかったのであろうが、たった一人の飲み屋のママを挙げてそう言われても、という気がする。そんなママなら全国津々浦々どこにでもいそうである。ここからして著車の思い込みの激しさが伝わってくる。

 そこから話は薩摩藩に及ぶ。蘭癖大名と言われた島津重豪が莫大な借財を作り、家督を斉興に譲る。藩財政を立て直した斉興は、同じく蘭癖性のある斉彬に家督を譲るのを躊躇し、藩内で対立要因を作る。西郷隆盛は斉彬につき、やがて斉興の側室の子久光との間でお由羅騒動が起きる。西郷には、「テゲ」という薩摩男の気風があると説明。「テゲ」とは、上に立つものは下に対しては細々としたことは任せておけとする気風だとする。なんとなく、西郷さんのイメージにあっている。

 ペリーの来航前にすでに西洋との接触はなされており、ペリー来航で初めて日本人がアメリカ人と接したかのような歴史教育は事実と異なるとする。このあたり『逆説の日本史18』と同様である。さらに大政奉還、王政復古の大号令によって明治維新とするのも間違いで、特に王政復古の大号令は失敗だったとする。このあたり、もう少し詳しい説明をして欲しかったところである。

 王政復古の大号令は、幼い天皇を人質とした岩倉具視、西郷隆盛、大久保利通らのクーデターだとする。作家の司馬遼太郎が、明治維新を「革命であった」と評したことを指し、「これは単なるクーデター」だと断じる。正直言って、よく違いがわからない。革命とは、天の意思を背景とするイメージがあるが、そうではないと言いたいのであろうか。ともかく著者には「反薩長・親幕府」の思想があり、そうした思想が随所に言葉として現れる。

 会津戦争は、戊辰戦争とは切り離して考えるべきで、倒幕とは無用の単なる復讐とする。そしてそもそも倒幕という目的を著者は「大義とは言わない」と断ずる。こうなると、違和感を覚える。もうはるか150年も昔のことである。今更薩長も幕府もないであろう。そもそも徳川幕府も家康の巧妙な策により豊臣家を滅ぼして成立しているのである。政権を取ったものが歴史の主人公となるのは、洋の東西を問わず行われていることである。とはいえ事実は事実であるから、冷静に論ずれば良いことだと思う。

 むしろ新政府の腐敗の説明が個人的には目新しかった。著者としては、にっくき薩長の新政府の腐敗を白日に晒したかっただけかもしれないが、こうした事実を知らなかった立場としては、単に興味深い。まぁ酷いことだとは思うが、150年前のことだし、「そういうこともあっただろう」と思うだけである。伊藤博文も井上馨も、女癖悪く金銭欲も強かったと蔑むが、だからどうだとも思わない。

 それよりも「大西郷という虚像」というタイトルを掲げながら、当の西郷隆盛に対する記述が少ない。有名な征韓論については、さらりと触れられているだけであり、西南の役も記述はほとんどなく、没後わずか12年で復権し上野に銅像まで建立されている。それを著者は、西郷を死に追いやった新政府指導者の「後ろめたさと断言して間違いない」と主張する。「後ろめたさ」というのもいかがかと思う。薩長史観を排除し、歴史を正しく認識せんとするなら、このあたりも冷静に論じてもらいたいと思わざるをえない。

 大西郷の虚像を剥がすと勇ましかったが、どうも剥がれなかったというのが正直なところ。『逆説の日本史』の著者井沢元彦氏との力量の差は否めない。こうなると、『明治維新という過ち』も知れてくる気がするが、売れていることもあり、結論は読んでみてからにしたいと思う。どちらにせよ、西郷隆盛については、『逆説の日本史』最新刊に期待したいと思うところである・・・

  
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2016年08月27日

【逆説の世界史2】井沢元彦



序 章 一神教の起源
第1章 ユダヤ教と『旧約聖書』の謎
 第1話 ユダヤ民族が体験した二大奇蹟
 第2話 聖地エルサレムをめぐるローマ帝国との攻防 
第2章 キリスト教と『新約聖書』の謎
 第1話 民主主義社会における「平等化推進体」
 第2話 『新約聖書』で読み解くイエスの生涯とその復活
第3章 イスラム教と『コーラン』の謎
 第1話 メッカで布教を開始した使徒ムハンマドと聖戦
 第2話 誰がムスリムのリーダーを務めるのか
第4章 十字軍遠征と聖地エルサレム
第5章 オスマン帝国の崩壊と中東戦争
 第1話 近代資本主義社会の成立を阻むもの
 第2話 中東平和をこじらせる最大の障害

 『逆説の日本史』シリーズの著者が、世界史に進出したシリーズ。第1巻『逆説の世界史』はまずまず期待を裏切らない内容。それに気を良くして本書に進む。

 今回のテーマは宗教。今や地球人類の3人に1人はキリスト教徒であり、2人に1人は一神教(キリスト教徒またはイスラム教徒)の信者であることから、「世界史を知るということの根本に宗教を知るということがある」と著者は語る。一神教というものを我々はよくわかっているようであるが、実はそうでもないと読むに従ってわかってくる。

 人類最初の完成された一神教はユダヤ教である。その神の名は、「ヤハウェ」とされる。神聖四文字では「YHWH」と表記されるらしい。このあたりは旧約聖書の世界。イスラエル王国のソロモンの栄華からバビロン捕囚までの苦悩が語られる。そして「エジプト脱出」と「バビロン捕囚からの解放」がユダヤ民族としての二つの奇跡体験だとする。この間、神殿を失ったことからユダヤ民族は律法中心となり、聖典が重視され、それは識字率と教育水準の向上という副産物を生む。

 多神教と一神教との大きな違いは、多神教は多神教ゆえに他の神を信じることに寛容だが、一神教はそれゆえに自分の信じる神以外の神は絶対悪と決めつけるところにあるとする。それは大航海時代のスペイン・ポルトガルによる大虐殺にもつながる。考えてみれば、我が国も宗教には寛容だ。

 ユダヤ民族の受難は、ユダの裏切りだけにその原因があるのではない。イエスの処刑を記したマタイによる福音書に、イエスの処刑について「その血の責任は我々と子孫にある」とユダヤ人たちが語ったとされている記述がある。聖書にこう書かれたら、その運命は明らかであるが、同じ場面を記した他の三つの福音書にはこの記載がない。それについての「逆説」を期待したいところであったが、著者は「削除されることが望まれる」とするだけである。

 そしてもう一方の一神教であるイスラム教の成立が語られ、コーランの説明やスンニ派とシーア派の違い、十字軍の遠征などが続く。ユダヤ人差別はシェイクスピアの『ベニスの商人』にも現れる。唯一へぇぇとなったのが、なぜアントニオはキリスト教徒の金貸しにお金を借りなかったのかという疑問について、「当時良心的なキリスト教徒の経営する金融機関など存在しなかった」と説明するところである。単なる小説でも奥が深いものである。

 こうして、キリスト教とイスラム教を通じて、「世界史」が語られるわけであるが、気がつくとそれは普通の歴史の説明で、著者の得意とする「逆説」的な解釈部分が見られなかった。歴史は歴史でもともと好きだからいいのであるが、「逆説」の著者であるだけに、いつもの切れ味ある「逆説」を求めたかったというのが正直なところである。とはいえ、さすがに難しいのかもしれない。今後、このシリーズはどうなるのであろうか。多分、続いていくのであろうと思うが、「逆説」は期待できるのであろうかと思ってしまう。

 期待できるか否かは別として、もともと世界史好きではあるし、なければないで普通に歴史書として読めば良い。そう考えて、また次も読もうと思うのである・・・


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2016年05月22日

【官賊と幕臣たち−列強の日本侵略を防いだ徳川テクノクラート−】原田伊織



其の一 鎖国とは何であったか
其の二 オランダの対日貿易独占
其の三 幕府の対外協調路線
其の四 幕末日米通貨交渉
其の五 官と賊

よく知らなかったのであるが、この本は『明治維新という過ち―日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』という本の続編であったらしい。知らないうちに、順序を違えて読んでしまったことになる。一見、幕末を舞台とした小説家と思いきや、実は真面目に歴史を研究した本であった。

まずは鎖国について説明される。実は鎖国というのはそういう政策があったわけではなく、貿易管理を目的として時間をかけて事実として出来上がったものだという説明がされる。
そもそも戦国時代、戦場では略奪が当然で、その対象は人間にも及んだという事実がある。捕らえられた人々は、奴隷として売買され、そうした奴隷の一部はポルトガル商船などによりアジアに売られたりしていたらしい。

そんなポルトガルなどの人身売買を防止するため、幕府はポルトガルを追放し、オランダとは海外の情報収集を目的として交易を認めたのだという。そして幕末の黒船騒動についても、オランダから事前に情報はもたらされていたらしい。それに対し、幕府は老中首座阿部正弘を中心に対応する。同じ日本史を扱う『逆説の日本史18』はでは、幕府の無能ぶりが説かれていたが、この著者はどちらかといえば幕府擁護のスタンスである。

逆にタウンゼント・ハリスらのアメリカ側の要人に対しては、私服を肥やす目的であったと手厳しい。有名な国富の流出についても、悪逆なハリスらの交換レート交渉に対し、水野忠徳が防戦し、「1ドル=1分と1ドル=3分」とで争ったとする。結局、したたかな米英によってうまくやられ、金の流出=「コバング漁り」を招いてしまう。『逆説の日本史18』でも「ハリスの主張は誤り」としている点では同じであるが、ハリスを「善人」と見ている点で、この本の主張とは大きく異なる。

そして倒幕の動きについては、幕府=善、長州=テロ集団というスタンスが貫かれている。坂本龍馬の活躍も後講釈であり、薩長同盟も「同盟と呼べるものではない」という主張は『逆説の日本史21』と同じであるが、それは坂本龍馬の功績などではなく、坂本龍馬はただグラバー商会の手先になって薩摩と長州貿易を行っていただけとする。
「実態はグラバー商会の意向に沿って動く、薩摩・長州の密貿易システムに組み込まれた徒党の集団に過ぎない」との表現は、坂本龍馬ファンには厳しいだろう。

事実はもちろん一つであり、不変であるが、その解釈が大きく違っている。両者とも自分なりに調べて研究しているわけで、どちらの解釈が正しいかということは私には判別できない。当事者がいない歴史の「真実」が一体何なのかは興味深いところである。
歴史的真実はともかくとして、様々な見方があるという意味で、この本は興味深いところである。
次は『明治維新という過ち―日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』を読んで、また『逆説の日本史』と比較して読んでみたいと思うのである・・・

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2016年04月29日

【最速で身につく世界史】角田陽一郎



第1章 文明の話     第13章 国家の話
第2章 水の話      第14章 約束の話
第3章 宗教の話     第15章 理想の話
第4章 思想の話     第16章 革命の話
第5章 帝国の話     第17章 産業の話
第6章 商人の話     第18章 統合の話
第7章 中華の話     第19章 分割の話
第8章 民族の話     第20章 戦争の話
第9章 征服の話     第21章 イデオロギーの話
第10章 周縁の話    第22章 お金の話
第11章 発見の話     第23章 情報の話
第12章 芸術と科学の話  第24章 未来の話

著者はTBSテレビでプロデューサーをやっている方らしい。そんな著者が、東大在学中に専攻した世界史の面白さを伝えたいと記した一冊とのこと。歴史の勉強というと「暗記もの」というイメージであるが、そうした無味乾燥のものではなく、「世界史とはバラエティである」として歴史の面白さを知らしめたいとの意図から出版されたようである。

早速始まる人類の歴史は、四大文明の発生から。アフリカで誕生した人類は住んでいる場所が住みにくくなって、「グレート・ジャーニー」と呼ばれる移動の旅に出る。そして過酷な乾燥地帯が続く中、乾燥に強いムギとアワが取れる地域にとどまり、農耕と牧畜を始めたが、それが四大文明につながったとする。確かに、頭の中ではるか遠くの人類の祖先の旅が思い浮かび、そんな物語は、「勉強」という気がしない。

その四大文明はすべてナイル川、チグリス・ユーフラテス川、インダス川、黄河という大河のほとりという共通点があり、その反乱の周期性から暦が生まれ、それぞれ現代に続く独特の世界観を形成する。中でも閉鎖的だった黄河文明は、集団主義的な傾向を宿し、中華思想を発展させていったという説明は、改めてなるほどと思わせられる。

そして早々に宗教の話となるのも、人類の話としては当然であろう。宗教とはズバリ「思い込み」であり、アーティストも神様も基本は一緒という主張は、聞く人が聞いたら怒るかもしれない。しかし、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も同じ神様を崇拝しており、ただその「崇拝の作法が違うだけ」という説明は、わかっているつもりだった身にも新鮮であった。

人が増えれば国も大きくなる。大きくなれば、離れていた地域が接するようになる。民族が移動し、それに伴い衝突が起こり、巨大な帝国が生まれる。一方、人と人の交流は商売を生む。近代とは世界史が一つになる話という定義は、言い得て妙である。
イスラム帝国、中華思想、東西冷戦の原型はカトリックvs東方正教会、そういった考え方は歴史が連続していることの証でもある。

人類の誕生からインターネットまで登場するのに、この本はそれほど分厚いものではない。「最速で身につく」というタイトルも、実に適切で、歴史の流れをつかむという意味では、この本はなかなか優れている。歴史とは勉強するものではなく、「物語」として楽しむものだと思っていたが、まさにそれを実感させてくれる。歴史の苦手な高校生の娘に読ませようと思って買ったのであるが、是非読ませてみようと思う。
これで歴史に対する抵抗感が少しでも薄れてくれればと思う次第である。

歴史は単に勉強のためだけでなく、それ以外の意味でも子供には興味を持って欲しいと思っている。そんな子供に興味を持たせるためにも、娘の次には息子にも読ませたいと思う一冊である・・・
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2016年04月14日

【日本軍はなぜ満州大油田を発見できなかったのか】岩瀬昇



第1章 海軍こそが主役
第2章 北樺太石油と外交交渉
第3章 満州に油田はあるか
第4章 動き出すのが遅かった陸軍
第5章 対米開戦、葬られたシナリオ
第6章 南方油田を奪取したものの
第7章 持たざる者は持たざるなりに

第二次大戦で敗戦した日本にとって、その敗因の一つに「石油」がある。もともとABCD包囲網で石油の輸入を止められ、開戦に踏み切らざるをえなかったという事情があり、一方で満州を確保しながらのちに中国経済を支えることになる満州の油田を発見できなかったことにも興味があって、手にした一冊。歴史好きでもあって大いに興味をそそられた。

はじめに石炭から石油へと変わりゆく時代背景の説明があり、当初は新潟などの国内の油田から始まり、そしてサハリンへと開発が進む。北樺太のオハ油田は、日本人が自らの手で掘り出した最初の海外油田だということである。しかし、これは交渉上手なソ連にやられ、大きな供給源となることなく終わってしまう。

そして肝心の満州であるが、ここからは戦後、「大慶油田」、「扶余油田」、「遼河油田」などの油田群が発見される。日本の調査隊も石油系アスファルトを発見するなど、その兆候に気づいて調査を行っていたものの、発見できずに終わる。当時は、探鉱技術はアメリカが進んでいたが、その力を借りることはなかった。その原因は、「軍事機密」という名のもとにすべてを自分たちの手で行おうとした過信があったとする。

タイトルでは、「日本軍はなぜ満州大油田を発見できなかったのか」とあるが、これは日本の石油史ともいうべき内容。そこにあるのは、やはり資源のない「持たざる国」の悲哀ともいうべきものであろうか。北樺太では交渉負けし、満州では技術力が未熟かつ過信、大戦では南方油田を確保するものの、輸送力を軽視してこれを生かせずに終わる。特に使用する航空揮発油の「オクタン価」でアメリカとは大きな格差があったというのは、つくづく悲哀を感じる。

内容は石油史にとどまらず、彼我の国力差を認識しながらも、戦争へと向かっていく軍部の姿も描かれる。猪瀬直毅の『日本人はなぜ戦争をしたか』も引用されていて、「総力戦研究所」も紹介されている。石油を中心としながらも、それにとどまらない戦史という内容である。

著者は、エネルギーアナリストとのことであるが、もともとは三井物産の商社マンだったようである。のちに三井石油開発に出向したらしいから、そのキャリアの中で「石油」という専門分野を磨いていって、本書を含めて著作を記すまでになったようである。「仕事を極める」という点では、サラリーマンの見本のような方である。

歴史好きともあって、興味深く読了した一冊である・・・


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2016年01月09日

【帳簿の世界史】



序章  ルイ16世はなぜ断頭台へ送られたのか  
第1章 帳簿はいかにして生まれたのか
第2章 イタリア商人の「富と罰」
第3章 新プラトン主義に敗れたメディチ家
第4章 「太陽の沈まぬ国」が沈むとき
第5章 オランダ黄金時代を作った複式簿記
第6章 ブルボン朝最盛期を築いた冷酷な会計顧問
第7章 英国首相ウォルポールの裏金工作
第8章 名門ウェッジウッドを生んだ帳簿分析
第9章 フランス絶対王政を丸裸にした財務長官
第10章 会計の力を駆使したアメリカ建国の父たち
第11章 鉄道が生んだ公認会計士
第12章 『クリスマス・キャロル』に描かれた会計の二面性
第13章 大恐慌とリーマン・ショックはなぜ防げなかったのか
終章  経済破綻は世界の金融システムに組み込まれている

もともと歴史好きであり、しかもかつて銀行員をしていた関係で会計分野に興味がある。
となると、その二つがミックスされたようなこの本を手に取ってみようと思ったのも、必然かもしれない。
ここでいう帳簿とは、会計システムと言い換えることもでき、世界史を会計システムから見てみようという試みは面白いと思う。

この本では、「会計の歴史は人間と政治の物語」と言い切っており、一方で「会計は財政と政治の安定に欠かせない要素だが、信じがたいほど困難で脆くやり方によっては危険にもなる」と主張する。
さらに、「企業と政府の会計責任は民主主義においても未だ確立されない」と述べているが、我が国においても昨年東芝の不正会計事件が起きていることを取っても、まさにその通りである。

そんな会計であるが、歴史はローマ帝国時代にまでさかのぼれる。
皇帝アウグストゥスはすでに帳簿を利用しており、ハンムラビ法典にも会計原則が定められている。
古代アテネ、ローマ帝国の会計システムは、帳簿はつけられ監査もされていたが、不正の余地は大きく、しかも組織的に不正が容認されていたという。

現代につながる複式簿記は、中世イタリアで発明されたが、これは当時のイタリアではアラビア数字が使われており、貿易が発展し多くの資本が必要になって共同出資方式が考案され、出資者への利益配分が必要になっていたという事情が背景にある。
まさに「必要は発明の母」であったのである。

15世紀には、世界初の複式簿記の教科書『スムマ』が誕生し、以後五百年にわたり会計の基本は変わっていない。
16世紀オランダは貿易で大繁栄し、アムステルダムは会計の中心地となる。
世界初の株式取引所が作られ、外国為替の決済が大幅に円滑化され、その様子はオランダの富の秘密は複式簿記にあるという詩が創られるほどであった。

フランス・ブルボン朝では、コルベールがルイ14世を支え、会計の技術は会社から国家へと広がる。
ルイ14世は、常に小型の帳簿を持ち歩いていたという。
陶磁器で名高いイギリスのウェッジウッドは意外にも会計の歴史では大きな影響を持ち、緻密な原価計算がその後に影響を与えたという。

18世紀、革命直前のフランスでは、ネッケルが「国王への会計報告」を発表。
実はこれは初めて国民に対し、国家財政を詳しく説明したものだという。
それまで不満が高まっていた国民は、公開されないがゆえに誤った憶測を生んでおり、それを回避する目的であったようである。
贅の限りを尽くした王家に国民の不満が爆発したフランス革命にも、会計は切っても切り離せないつながりがある。

新大陸で建国されたアメリカでは、フランクリンが国家の会計に大きな役割を果たし、発展する鉄道において、財務会計は複雑化し、やがて公認会計士が生まれる。
ディケンズは、「会計はすばらしく輝かしく、途方もなく大変で、圧倒的な力を持ち、しかし実行不能」と述べる。

長い歴史を振り返り、ますます複雑化する財務会計は、現代においても政府やプロフェッショナルでさえ正確な数字を入手できないほどであるというが、その実態に携わってみればそれは真実だというほかない。
歴史をこうした角度から眺めてみるというのも、興味のある人にとっては非常に面白いだろう。
考えてみれば、お金というのはいつの時代も人間の生活、そして欲望の的であり、したがって争いも生じやすい。
そこから歴史が生まれるのも必然とも言える。

興味のある人には興味深い、そうでない人には退屈かもしれない。
ちょっとした教養を深めるにはいい一冊かもしれない・・・


posted by HH at 21:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月26日

【昭和史】半藤一利



はじめの章 昭和史の根底には“赤い夕陽の満州”があった
第1章 昭和は“陰謀”と“魔法の杖”で開幕した
第2章 昭和がダメになったスタートの満州事変
第3章 満州国は日本を“栄光ある孤立”に導いた
第4章 軍国主義への道はかく整備されていく
第5章 二・二六事件の眼目は「宮城占拠計画」にあった
第6章 日中戦争・旗行列提灯行列の波は続いたが・・・
第7章 政府も軍部も強気一点張り、そしてノモンハン
第8章 第二次大戦の勃発があらゆる問題を吹き飛ばした
第9章 なぜ海軍は三国同盟をイエスと言ったか
第10章 独ソの攻略に振り回されるなか、南進論の大合唱
第11章 四つの御前会議、かくて戦争は決断された
第12章 栄光から悲惨へ、その逆転はあまりにも早かった
第13章 大日本帝国にもはや勝機がなくなって・・・
第14章 日本降伏を前に、駆け引きに狂奔する米国とソ連
第15章 「堪へ難キヲ堪へ、忍ビ難キヲ忍ビ・・・」
むすびの章 三百十万の死者が語りかけてくれるものは?


歴史問題は、韓国と中国との間で、昨今盛んに言い立てられている問題である。
「自衛戦争論」「侵略戦争論」あるが、果たして歴史の真実はどうだったのだろうということは、誰にとっても関心のある問題であると思う。
いったい何が真実だったのか、そんな興味から手に取った一冊である。
もちろん、これを読めば真実がわかるなどと思っていたわけではないが、ある程度知られている本だけに、大いに参考になることは確かだろうと思った次第である。

まず昭和史の前にざっとそれまでの流れが語られる。
「開国から40年で近代国家を作り上げ、次の40年でそれを滅ぼした」という指摘は印象深い。
中国に対しては、対華二十一か条の要求を突きつけ、自衛のためとはいえ、侵略を進めていく。
排日運動も盛んになり、日本兵の横暴も語られる。
ワシントン軍縮条約で英米比の戦力制限を受け、日英同盟を廃棄する。
このあたりから、徐々に道を過ち始めている。

そして昭和に入り、張作霖爆殺事件が起こる。
事件を起こしたのは関東軍であり、驚くことにこの事件では陸軍のトップのコントロールも効いていない。昭和天皇は事件の究明を命じるも、軍部はこれを事実上拒否。怒った天皇は、時の田中総理に辞職を迫り、内閣解散となった数日後に田中総理は亡くなる。これ以降、側近の忠告もあり、天皇は「内閣の上奏に拒否しないことを今後の大方針とする」と決める。「君臨すれども統治せず」は、立憲君主制の原則であるが、一貫して戦争反対の立場を取っていた昭和天皇の考えを考慮すれば、我が国にとってはこの原則は凶と出たことになる。

有名な石原莞爾は、実は以下のような構想を持っていた。
「満州をしっかり確保し発展させ国力を養う。中国とは戦わずに手を結んで、最終的には中国の協力を仰ぎ日中共同で満州を育てていく」
実現していたら、歴史もさぞかし変わっていたであろう。

印象的だったのは、新聞社が戦争への世論を煽ったこと。
満州事変に際しては、「毎日新聞後援、関東軍主催」と揶揄されるほど、毎日新聞と朝日新聞が競って世論を煽る。
世論の後押しを受けた軍部はますます強気になる・・・
言論統制が激しくなって批判的なことが一切書けなくなるのはずっと後のこと。
新聞社の責任も実はかなり大きいとわかる。

上海事変、五・一五事件、二・二六事件と続き、軍部に反対するものは殺されるというムードが出来上がっていく。
上海事変では、天皇が陸軍を引き上げさせろと要求するが、一方で「勝っているのになんでやめる」という現場の意見が勢いを増す。

南京事件は、陸軍の戦史などをもとに冷静に分析する。
中国が主張する30万人は虚報だが、「中国人捕虜・便衣兵などへの撃滅・処断による死者16,000人、一般市民15,760人」の中には、日本兵による「虐殺」と各種非行事件の被害者は確実にいると指摘する。
そのあたりは冷静に受け止めなければならない事実なのだろう。

対米英戦争に反対する勢力が次第に強硬派に押されていく。
「半年はなんとかなるにしてもその後の補強や資源の確保はどうするのか」という山本五十六の冷静な反論が無視される。
4度の御前会議が開かれるが、天皇はせめてもの抵抗として明治天皇の歌を披露するに留まる。
そして、開戦が決定される。

著者は、この昭和史を振り返り、日本人としの反省点を挙げている。
・国民的熱狂を作ってはいけない
・抽象的な観念論を好み、具体的な方法論を検討しようとしない
・主観的思考による独善
・対処療法的なすぐに成果を求める短兵急な発想
これらはいずれも現代の我々に相通じるものがあるような気がする。
「平和憲法」を掲げてさえいれば、「平和が維持出来る」という思考はまさにその典型だろう。

一冊の本を読んでそれを丸ごと鵜呑みにするのは愚の骨頂である。
そこは冷静に判断したいと思うが、歴史上の事実に基づき記述されている部分はそのまま受け入れられるところである。
そうして改めて感じるところは、やはり軍部(特に陸軍)の暴走という部分が大きいというところである。
そしてマスコミの煽り。
当事者にしてみれば、その時は最善の判断だと思っていたのであろう。
必要なのは、他者の意見に冷静に耳を傾け、複眼的に思考することだったと思える。

日本人なら誰もが一度はきちんと見直してみたい昭和史。
その一助になる一冊である・・・

posted by HH at 18:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする