2020年06月16日

【世界史の針が巻き戻るとき 「新しい実在論」は世界をどう見ているか】マルクス・ガブリエル 読書日記1160



《目次》
第1章 世界史の針が巻き戻るとき
第2章 なぜ今、新しい実在論なのか
第3章 価値の危機―非人間化、普遍的な価値、ニヒリズム
第4章 民主主義の危機―コモンセンス、文化的多元性、多様性のパラドックス
第5章 資本主義の危機―コ・イミュニズム、自己グローバル化、モラル企業
第6章 テクノロジーの危機―「人工的な」知能、GAFAへの対抗策、優しい独裁国家日本
第7章 表象の危機―ファクト、フェイクニュース、アメリカの病
補講 新しい実在論が我々にもたらすもの

 著者は、世界で最も注目を浴びる天才哲学者らしい。29歳の若さで名門ボン大学の哲学科正教授に抜擢され、新しい哲学の旗手とされているようである。その独自の哲学は「新しい実在論」ということのようである。そんな哲学者が現代の世界を語った一冊。

 移民問題と財政問題を契機にヨーロッパでは19世紀の歴史が戻ってきているという。「アメリカの植民地化」というたとえは興味深い。メディアも大きな過渡期を経ているという指摘はなんとなく理解できる。そんな世界では、5つの危機が進行していると言う。それは「価値の危機」「民主主義の危機」「資本主義の危機」「テクノロジーの危機」そして「表象の危機」である。それらが章を追って語られる。

 一方、著者の主張する「新しい実在論」であるが、これには2つのテーゼがあって、
1. 現実は1つではなく数多く存在する
2. 私たちは現実をそのまま知ることができる
というもの。当たり前すぎてよくわからない。これが「真に哲学上の新発見」「デジタル革命の結果として出てきた知見」と言われても、ピンとこない。哲学らしいといえばらしい。リアルとフェイクの境界線を再度明確に引くという説明はなんとなく理解できた気にさせられる。

 さらに重要な概念として、「意味の場」なる言葉を説明してくれる。これは図書館のたとえがわかりやすい。すなわち、通常は本を冊数で数える。しかし、デジタル革命を経た現代ではページ数でも文字数でも情報の数でも数えることが可能であり、そこで大事なのは「問い」。つまり「問い」こそが「意味」であり、それに対する答えが「場」であるとする。こちらはわかりやすい。

 道徳には「善い」「中立」「悪い」の3つのカテゴリーがあって人から人間性を奪うにはそのうちの2つがある。すなわち、相手を悪だと思うことと相手を善だと思うことだと。移民にたとえ、移民を歓迎することは移民の人間性を奪うことだとする。「移民の人間性を保つには彼らが移民だと気づかれないようにすべき」と主張する。相手を神格化することもダメだという。解決法は「意味の場」。様々な現象を支配するルールを学び、間違った方法で表象するのが「表象の危機」である。

 イスラム教と同様、キリスト教もテロだという指摘は、自分も以前から感じていたこと。民主的な制度とは、意見の相違に直面した時に暴力沙汰が起きる確率を減らすことだとする。頭に浮かんだことならどんなたわごとでも口にできるのが民主主義だと考えられているが、それは民主主義ではなくフェイスブック。民主主義の基本的な価値観はコモンセンス(良識)。このあたりの流れるような説明はよく理解できて心地よい。

 「ラッセルの解決法」というのが目からウロコであった。これは「排除者を排除する」という考え方で、これは「民主主義撲滅を掲げる政党を認めるべきか」という矛盾的な問いに対し、「NO」と答えることだという。さらにいかなるシステムも罰として誰かの命を奪うべきではないとし、死刑制度廃止を支持している。個人的には死刑制度賛成であるが、こういう反対意見はなるほどと、同意はできないが理解はできる。

 産業と国家は一体で、資本主義そのものは必ずしも悪ではないが、「悪」の潜在性があるとする。スティーブン・ピンカーは『21世紀の啓蒙』で万事順調、世界から貧困は減っていると主張するが、それは相対分布を見ているだけで、絶対的にみると下層にいる人の数がこれほど多くなったことは人類史上ないという。このあたりは正直、どちらが正しいのかわからない。

 自然科学とテクノロジーの発展こそがすべてという考え方が今まさに地球を破壊している。自然科学は価値を論じることができないとする。労働力が機械に置き換わるほど経済は停滞していく。「GAFAにタダ働きさせられている」というたとえはわかりやすい。日本は優しい独裁国家だと論じる。「時間に遅れてはいけない、問題を起こしてはいけない・・・」我々には当然の道徳もそんな風に見えるのだろうか。

 最後は哲学らしい講義がなされる。自分の思考は必ずそれ自体を真だと考える。「私の考えることはすべてうそだ」という思考は存在しない。自らを正す唯一の方法は、自分とは別の視点を持つこと。それが人間社会であり、シリコンバレー的、統計的な世界観というのは、社会が間違いを犯す可能性を上げているとする。新しい実在論はすべての物事に対する実在論で、すべてが実在しているとする。やっぱり哲学的な話は理解が難しくなる。それでもまだ平易な言葉で説明がなされている方だと思う。

 著者の主張はなかなか興味深いところがある。まだ理解しきれていないところが多いが、他の著書も読んでみたいと思わせてくれる。「世界は存在しない」という話は特にもう少し深掘りしてみたいと思わせてくれた。深く追求したい思想の一冊である・・・




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2020年05月08日

【人性論ノート】三木清 読書日記1145



 著者は、昭和初期の哲学者、社会評論家、文学者。教科書でも読んだ記憶がある。この本は学生時代に読んだ記憶があるが、まだ人生経験が不足していたのか、あまり感じることなく終わった記憶がある。改めて読んでみたくなって手にした一冊。内容は、「死について」「幸福について」「懐疑について」等、23のテーマについてそれぞれ書かれている。

 普段、「死について」など改めて考えることもない。「死は観念、生とは想像」と著者は述べる。「死別した親しかった者と再会するチャンスは、生きている限りゼロだが、死んだ場合は可能性がある。」と言う。個人的にはそれもゼロだとは思うが、死んだこともないので否定はできない。改めて言われればその通り。

 「幸福について」は、「倫理の中心問題」と捉えている。「幸福である者は幸福について考えない」というのもそうかもしれない。幸福について述べられている意見は1つ1つがやはり深い。
 1. 幸福そのものが徳
 2. あらゆる事柄において幸福は力
 3. 生とは想像、幸福も想像
 4. 幸福は人格
 5. 幸福は表現的なもの。自ずから外に現れて他の人を幸福にするものが真の幸福
自分でもいろいろと考えてみたくなる。

 「懐疑について」では、懐疑は人間的なものだとする。「神には懐疑はなく、動物にもない。」確かにその通り。「論理によって懐疑が出てくるのではなく、懐疑から論理が求められる。」このあたりになると、ついていくのが苦しくなる。「人生は形成作用によって作られる故に、すべての懐疑にもかかわらず人生は確実なもの。」デカルトもおそらくこんなふうに考えていたのだろう。

 それぞれ難しく書かれているところもかなりあるが、ドキッとさせられるものもある。「習慣について」では、「習慣を自由になし得る者は人生において多くのことを為し得る」とある。これは深い。「虚栄について」では、「虚栄は人間の存在そのもの。人間は虚栄によって生きている」「虚栄心とは自分があるよりも以上のものであることを示そうとする人間的なパッションである」とする。わが胸に手を当てるとそうかもしれないと思ってみたりする。

 「孤独について」では、印象的な表現があった。「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の「間」にあるのである。孤独は「間」にある者として空間の如きものである。「真空の恐怖」−それは物質のものではなくて人間のものである」。実に深い表現である。

 つらつらと読んでいくと、テーマは実にバラバラである。「死」「幸福」「懐疑」「人間の条件」「孤独」「利己主義」「秩序」「希望」なんてものはなんとなく選びそうなものだという気がする。されど「嫉妬」「瞑想」「噂」「偽善」「娯楽」などというテーマは、どうも偉い人が取り上げるようなテーマでもない気がする。それであるのに、それぞれ深い考えが表されていて、そこは凡人には及びもしないところである。

 もっともっといろいろなテーマについて書いて欲しかったとつくづく思う。大人物ならどんなふうに分析してみせるのか。興味が湧くところである。今更ながらであるが、何度も読み返してみたい一冊である・・・




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2020年04月12日

【構造主義(図解雑学)】小野功生 読書日記1139



《目次》
第1章 構造主義の登場
第2章 主体性の系譜
第3章 近代哲学の発展
第4章 近代哲学の彼方
第5章 構造主義前史
第6章 構造主義の展開
第7章 構造主義を超えて
第8章 構造主義と同時代思想
第9章 構造主義と神学的思想
第10章 科学と構造主義
第11章 実践的な知性に向けて

 かつて浅田彰の『構造と力』を読み始め、あまりに意味がわからなくて読むのを断念したが、その時以来、「構造主義」というのは私の知的好奇心を刺激してくる言葉であり、思想である。「もっとよく知りたい」が、「難しくて理解できないかもしれない」。そんな思いでいたところに目にした一冊。「絵と文章でわかりやすい」という謳い文句に惹かれて手にした一冊である。

 見るからに初心者向けであるが、その通りに「構造主義とは」という質問に徹底的に優しく説明してくれる。どういう経緯で登場してきたのか。それ以前の哲学界の流れから始まり、その内容まで。1960年台半ばにフランスで登場。レヴィ=ストロースの「野生の思考」がその始まりとされる。当時は実存主義のサルトルが幅を利かせていた時代だが、その御大を堂々と批判。「野生の思考」というタイトルの通り、構造主義の考え方は未開人の研究の中から現れてきたものである。

 そもそも構造主義とは、それまでの歴史の主体であった「自由で理性的で歴史とともに進歩する人間」という考え方を徹底的に批判したもの。「構造」とは「物事を考える時のあるパターン」であり、人間はこの構造の中で考え行動する。そして文明人の思考だけが正しい思考なのではないとする。未開人を研究していたからこそ気づいた考え方なのだろうと思う。

 さらにはそもそも実存主義とは、とか同時代のマルクス主義等の近代哲学も対比して説明してくれる。この比較もなかなか嬉しいところ。近代哲学のこうした流れがあって、構造主義が生まれてきたのだとわかる。また、構造主義という考え方は、数学の思想から生まれたものだとする。構造とは、全体でもなく部分でもなく、「部分同士の関係」という数学的な関係なのだという。

 そして内容は、構造主義の後の「ポスト構造主義」にも及ぶ。「構造主義とは、新たな思想を生み出すための重要な地ならしだった」とし、構造主義が最終的な形ではないことを示す。神学との関係や科学との関係など、構造主義自体の説明よりも周辺との関係の説明の方がむしろ多い。簡単に解説してくれてはいるが、そうはいってもこれ一冊ですべて理解できるというものではない。やっぱり難しいことは確かである。

 個人的に興味深いのは、構造主義が外から入ってきた思想であるという点。それまで哲学界では実存主義のサルトルが君臨し、哲学を学ぶ者たちは時代の先端を行っている感覚だっただろうと思う。そこへ部外で未開人を検討していたレヴィ=ストロースから、予想もしなかった批評が出てきたわけで、言ってみれば革命的な思想だったのだろうという点。最先端の学会の人たちは形無しだったのである。

 逆に言えば、いつ何時業界にまったく予想もしない外部から激震が走る可能性もあるわけであり、そんな経緯が思想そのものだけでなく、大いに興味を惹かれる。もう少し学べば、『構造と力』を読めるようになるかもしれないと思えてくる。そんな思いで、これからも学び続けたいと思わせてくれる一冊である・・・




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2019年12月05日

【過酷なるニーチェ】中島義道 読書日記1100



《目次》
第1章 神は死んだ
第2章 ニヒリズムに徹する
第3章 出来事はただ現に起こるだけである
第4章 人生は無意味である
第5章 「人間」という醜悪な者
第6章 没落への意志
第7章 力への意志
第8章 永遠回帰

 著者は最近個人的に興味を持っている哲学者。以前、『善人ほど悪い奴はいない ニーチェの人間学』を読んでいるが、それはどちらかというと「ニーチェの思想をベースにした著者の考え」という感じがしたが、今回はきちんとしたニーチェの解説本となっている。その中心となるのが、『ツァラトゥストラかく語りき』である。

 冒頭から「ニーチェの言説はほとんどの者には全く役に立たない」とくる。その理由は、「人が誠実にニーチェの言葉を読解するなら、自分自身の卑小さを自覚して絶望するかとうていかなわない高みを眺めて溜息をつくだけ」なのだとする。『ツァラトゥストラかく語りき』も超人(候補者)のための書であり、それを自覚している者にとってだけの書だとする。なかなか手厳しいイントロである。

 そんなニーチェであるが、だからと言って諦めるのではなく、そこで立ち止まって考えるべきだとフォローが入る。『ツァラトゥストラかく語りき』を手に取った人は、自分はこの書を読む資格があるのかと問いつつ、悩みつつ読むのが正しい読み方だとする。深く苦悩した人間はいずれもみなどれほど深く苦悩しうるかということがその人間のランクを決定するというが、このあたりは理解が難しい。

 有名な「神は死んだ」ということについては、「人間が神がもともと存在しないことに気づいた」と解釈すべきだとする。原語のドイツ語の解釈についてはよくわからないが、「生きていたのが死んだ」ということではなく、「もともと死んでいる」という解釈は、なかなか新鮮である。ただ、そう説明されると理解が深まるのも事実である。しかし、これはハイデッカーの解釈を否定するものでもあり、なかなか大胆だなと感じる。

 死後の世界などなく、したがってこの世で不幸な人があの世で救われるわけではない。この世しかないという考え、つまり「神の死」は人間の死の意味を根底から変えるというのはその通りだと思う。幾多の人間があの世での救いを頼りにこの世の不幸に耐えてきたと思う。こうしたニーチェのニヒリズムは、ただのニヒリズムではなく、「ヨーロッパのニヒリズム」だとする。我々日本人が上辺だけで理解すべきものではないらしい。

 神はもともと死んでおり、あの世などない。いまここがすべてであり、だからこそ生きる勇気が湧いてくるものでなければならない。著者はこれを「能動的ニヒリズム」と説明し、諦めてしまう「受動的ニヒリズム」と区別する。「よく生きる」とは、この能動的ニヒリズムのうちに生きることだとする。これも有名な「超人」は、能動的ニヒリズムに陥る強さを持った者だとする。『ツァラトゥストラかく語りき』を読んだのはだいぶ昔であり、内容もかなり忘れてしまっているが、この著者の解説を片手に読むとよく理解できるかもしれない。

 超人になりうる者とは、「永遠回帰の心理を受け入れる力量のある者」とする。この「永遠回帰」も理解が難しいが、ツァラトゥストラはこの真理を伝えるために洞窟を出て人間たちの元へ行くことが描かれている。「神が死んだ」という真理と一体となっている「永遠回帰」という真理を伝えるためであるが、醜悪で低劣な人間はそれを理解できずツァラトゥストラを殺すかもしれない。自分の掴んだ心理を伝えるために殺されることをも厭わないことを「没落」と表現する。「力への意志」とは、徹底的没落への意志である。

 こうして説明されていくと、難解な『ツァラトゥストラかく語りき』もよく理解できそうである。なら「もう一度」、『ツァラトゥストラかく語りき』にチャレンジしてみるのもいいかもしれない。ニーチェのことについていろいろ学ぶにあたっては、参考にするべき一冊である・・・



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2019年11月22日

【哲学と宗教全史】出口 治明 読書日記1095



《目次》
はじめに──なぜ、今、哲学と宗教なのか?
第1章──宗教が誕生するまで
第2章──世界最古のゾロアスター教がその後の宗教に残したこと
第3章──哲学の誕生、それは“知の爆発"から始まった
第4章──ソクラテス、プラトン、アリストテレス
第5章──孔子、墨子、ブッダ、マハーヴィーラ
第6章(1)──ヘレニズム時代にギリシャの哲学や宗教はどのような変化を遂げたか
第6章(2)──ヘレニズム時代に中国では諸子百家の全盛期が訪れた
第6章(3)──ヘレニズム時代に旧約聖書が完成して、ユダヤ教が始まった
第6章(4)──ギリシャ王が仏教徒になった?ヘレニズム時代を象徴する『ミリンダ王の問い』
第7章──キリスト教と大乗仏教の誕生とその展開
第8章(1)──イスラーム教とは? その誕生・発展・挫折の歴史
第8章(2)──イスラーム教にはギリシャ哲学を継承し発展させた歴史がある
第8章(3)──イスラーム神学とトマス・アクィナスのキリスト教神学との関係
第8章(4)──仏教と儒教の変貌
第9章──ルネサンスと宗教改革を経て哲学は近代の合理性の世界へ
第10章──近代から現代へ。世界史の大きな転換期に登場した哲学者たち
第11章──19世紀の終わり、哲学の新潮流をヘーゲルの「3人の子ども」が形成した
第12章──20世紀の思想界に波紋の石を投げ込んだ5人

 タイトルはわかりやすくそのものズバリ。著者はライフネット生命の創業者で、最近はこの手の歴史関係の著作を多数手がけている方。多分、著作業が最後の「本業」なのかもしれない。そんな大著の始まりは、人類がはるか昔から抱いてきた問いかけから始まる。すなわち、
  1. 世界はどうしてできたのか、また世界は何でできているのか?
  2. 人類はどこからきてどこへ行くのか、なんのために生きているのか?
非常に大きな問いかけであると思う。これを今の知識で簡単に答えてしまうのは何か違う気がする。

 本書は世界最古の宗教ゾロアスター教から始まる。その昔、高校の授業で習ったような記憶がある程度。それを改めて丁寧に簡単に説明してくれる。善悪二元論と最後の審判。なんとなく馴染みがあるのは、ゾロアスター教がのちにユダヤ教、キリスト教、イスラーム教に多大な影響を与えているからである。代々受け継がれていくうちに混ざり合っていったのだろうと素人でもわかる。

 日々、生き残るのに精一杯だった時代を経て、生産性が向上し、有産階級が生まれてくる。奴隷に労働をさせて働かなくなった有産階級から知識人や芸術家が生まれる。それが人類の知識的発展史であるが、現代人としてはなんとも言えない感覚を覚える。そしてギリシャでは特にそれが顕著であり、タレスが哲学の祖となる。こうして「知の爆発」が起こるが、それはギリシャだけではなく、インドと中国でも同様である。

 ギリシャではソクラテス、プラトン、アリストテレスが登場する。中国では孔子、老子、墨子、インドではブッダにマハーヴィーラ。名前だけは覚えている。それでも改めてその思想を簡単に説明されると興味が湧いてくる。アリストテレスの『ニコマコス倫理学』や『形而上学』、『墨子』などは今度読んでみたいと思わされる。

 中には間違って記憶していたのもある。「性善説」と「性悪説」は互いに相対するものだと思っていたが、実はそうではなくて、社会を構成する別々の階層について言及したものであったと教えられる。性善説は理解力のある教養高い上流階級の人々のことで、性悪説は下層の労働者階級の人々のこと。そうした知識の補完修正がなんとなくできていく。中国諸子百家の思想も興味深い。

 キリスト教も拡大していくが、その中で解釈が様々生まれ、公会議が幾度となく開催される。イスラム教は専従者がなく、個々が信仰を全うする。クルアーンは何人であろうとすべてアラビア語で理解されなければならず、「翻訳」という概念がだからない。一夫多妻制は夫を失った妻は生きていくことができなかったことから生まれた制度であること。現代につながるそんな諸々の知識も興味深い。

 イスラム帝国がササーン朝ペルシャを征服したことで、ササーン朝が有していたギリシャ、ローマの古典がアラブ世界に取り入れられる。それがアラブに新しい知識をもたらし、それが今度はヨーロッパに伝わってルネッサンスになる。プラトンやアリストテレスが大事に受け継がれていったのは、改めて不思議な気がする。

 人間が何千年という長い時間の中で、よりよく生きるために、また死の恐怖から逃れるために必死に考えてきたことの結晶が哲学と宗教の歴史だという著者の解説は素直に頷ける。手に重たい大著であるが、そうした人類の哲学と宗教を解説するにはむしろ薄い本だと言えるかもしれない。いわば「ダイジェスト版」ではあるが、各々について簡単に理解するには大いに参考になる。個人的には中国の古典とアリストテレスの思想、そしてヨーロッパの近代の思想には改めて興味をそそられたところである。

 ざっと理解し、個々の興味を惹かれたところについて改めて専門書を手に取るきっかけとするにはいいかもしれない。そんな風に興味を深めていける大著である・・・
 



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2019年10月24日

【正義の教室 善く生きるための哲学入門】飲茶 読書日記1085



プロローグ ある男の選択
第1章 倫理的な彼女たち
第2章 3種の正義「平等、自由、宗教」
第3章 平等の正義「功利主義」
第4章 幸福は客観的に計算できるのか? ――功利主義の問題点
第5章 自由の正義「自由主義」
第6章 格差を広げ、弱者を排除してもいいのか? ――自由主義の問題点
第7章 宗教の正義「直観主義」
第8章 人は正義を証明できるのか? ――直観主義の問題点
第9章 正義の終焉「ポスト構造主義」     
エピローグ 正義の決断

 著者は、難しい哲学をわかりやすく解説してくれるため、個人的にファンである方。今回の一冊は、高校生を主人公として、タイトルの通り「正義」の問題を「功利主義」「自由主義」「直観主義」の立場から考えようとするもの。その表現は優しいが極めて奥が深い内容となっている。

 主人公は山下正義(まさよし)という高校生。これが生徒会のメンバーである3人の女子高生とともに倫理の授業をベースに正義の問題を考えていく。倫理の先生は「正義の判断基準は3つ」だと教える。すなわち、「平等・自由・宗教」だと。ちょっとピンとこないが、下記の通り整理して考えると簡単である。

1. 平等:共産主義や社会主義といった平等を絶対的な正しさとする国
2. 自由:自由を絶対的な正しさとする国
3. 宗教:宗教すなわち自分たちの伝統的な価値観を絶対的な正しさとする国
見事に今の世界の国々を分類している考え方である。

 上記それぞれに哲学が対応している。平等は「功利主義」、自由は「自由主義」、宗教は「直観主義」。「功利主義」はベンサムの唱えた「最大多数の最大幸福」であるが、大勢の人の幸福を追求する功利主義は一見正しそうであるが問題がある。それは幸福をどう測るかということ。有名なトロッコ問題に例えると、5人を救うために1人を犠牲にするのは良しとするところはわからなくもないが、では「臓器くじ」(5人の病人を救うために1人の健常者を犠牲にする)ことはどうかと問われると答えに窮する。

 功利主義では、富の再配分や福祉国家は肯定される。しかし、自由主義では否定される。それは、幸福度が増大したり多くの人が救われるからといって他人の権利(財産等)を侵害して良いということにはならないとの主張である。今のアメリカに見られる考え方であろう。その自由主義においては、自己責任、個人主義の横行によりモラルが低下したり、当人同士の合意による非道徳行為(売春、違法薬物売買等)の増加等の問題が増加したりする。

 人には自分で決めた人生を生きる権利がある。その生き方によって結果的にその人が不幸になろうと構わないとも言える。しかし、そうではなくて人には従うべき普遍的な善があるとするのが直観主義の立場。「普遍的な善」はどこにとは言えないが、存在していると信じる立場である。3人の高校生の考え方は、それぞれの立場の考え方そのものであり、その主張によってそれぞれの考え方の立場がよくわかる。

 一体、どの立場がより正しいのか。1つのヒントとして示されるロールズの実験が面白い。黒い袋をかぶり、自分という人間をすべて忘れて世の中がどうあるべきかを問うもの。すると自然と世の中のあるべき姿が浮かび上がってくる。自分が貧乏人や障害者の立場に置かれたらと考えると、福祉的な考え方を否定するわけにはいかない。そう気づかせてくれる優れた実験であるし、応用の効く考え方でもあると思う。

 そしてソクラテスから続く、哲学の相対主義対絶対主義の歴史が簡単に振り返られる。これがとてもわかりやすい。ソクラテスが始めた善を追求する哲学の絶対主義の流れは、ニーチェの実存主義によって終止符が打たれる。それゆえに哲学史ではソクラテスとニーチェが重要なのだとする。

 倫理の授業を通じ、主人公の正義は何が正しいのか学んでいく。自分が「善い」と思ったこと、社会的に「善い」ということではなく、自分的に「善い」と思うこと。万人に見られていなかったとしても、もしくは観られていたとしてもそれにかかわりなく自分がやるべきだと思ったことが、自分にとっての「善い」ことである。ラストの正義の行動は蛇足だったと思うが、読みながらいろいろと考えさせてくれる。

 結局、哲学を学ぶのは、それを元に自分はどう考えるかを考えさせてくれることだと思う。そういう意味では、難しい哲学書よりもこの著者のように難解な理論をわかりやすく解きほぐしてくれて考えさせてくれる方がはるかにありがたい。これからも読み続けていきたいと思わせてくれる一冊である・・・




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2019年09月02日

【新・考えるヒント】池田晶子 読書日記1067



《目次》
常識
プラトンの「国家」
読者
良心
天という言葉
還暦
言葉
学問
考えるということ
ヒューマニズム
哲学
歴史

道徳
無私の精神
小林秀雄への手紙

著者は最近ちょっと意識している哲学者。残念ながら既に故人なのであるが、これから少し著書を読みたいと考えている。この本は、『14歳からの哲学 考えるための教科書』に次いで2冊目である。タイトルに「新」とあるから、「旧」があるのかと思っていたら、なんと元ネタは小林秀雄(『考えるヒント』)なのだと言う。ちょっと面白い試みだと思う。

内容は各テーマごとに分かれている。元ネタの『考えるヒント』3部作と同じなのかと思っていたらそうでもなく、同じなのは「常識」「プラトンの『国家』」「読者」「言葉」「歴史」「考えるということ」「哲学」であり、あとはテーマとしては異なっている。ただし、「信じることと知ること」などは「常識」の中にも触れられているので、全体としては元ネタ3部作をベースにしているのだと思う。

各テーマについては、著者のまさに考えていることが書かれている。タイトルに「ヒント」とあるように、「著者はこう考えるがあなたはどう思うか」という問いかけがなされているようにも感じる。ただ、そう言われて「こう考えます」などと出てくるものでもない。著者の思考レベルは遥かに高くて、内容についていくのが精一杯と言うのが正直なところである。

「常識」では「信じる」という言葉について、「そもそもこれは何なのか」という問いかけがなされる。「これがこれ自身できわめて不思議で特異な言葉であるという事実に気がついてみるだけでも世界を見る目は少なからず変わる」と言う。「私とは何であるか、考えるものである」という思考過程も普段考えてもいない思考の深みへと誘ってくれる。「考えるものとは、すなわち疑い、理解し、肯定し、否定し、意志し、意志しない、なおまた想像し感覚するもの」とする。デカルトの哲学もこの流れでよくわかる。

この定義に著者は、「なぜ信じるが入れられていないのか」と疑問を呈する。「疑うがあるのに信じるがない」確かに言われてみればその通り。哲学的思考に慣れていないとこういう疑問すら湧かない。科学主義が神や魂などの形而上的存在を「目に見えない」「証明できない」から信じないとするなら、感情や科学主義そのものの思想はどうなのかと問う。普通に考えれば、「屁理屈」だと言われてしまうだろうが、そもそも「考える」というのは突き詰めていくとこういうものなのかもしれない。悪くない。

プラトンの『国家』については、普通に読もうと思ったら多分途中で断念するかもしれない。されどここに書かれていることを読んでいくと、根底に流れる考え方がわかりやすく理解できる。「正義もしくは善いということも、それが魂にとって正しく、魂にとって善いものでなければ意味がない」「哲学を語ること自体が実践」などは考え方の筋道を示してくれる。

「善良な魂は善良な生を選び、欲深な魂は欲深な生を選ぶとは、そのままこの人の世の真実であろう。あるいは、それを自ら選んだものであることを忘れ、神や運命にその責を負わせる姿もそうである。冥府などはどこにもない。現在以外の何がある。われわれは今現にその物語を生きているのだ。形而上も形而下も、われわれがそれによって生きられている物語なのだ。すると今や、『善く生きる』とは何が何を生きることなのであろうか。存在するとは、何が存在することなのであろうか」
 実に深く考えさせてくれる。

「読者」で、著者とある放送局のディレクターとの会話が載せられている。
D : わかりやすい哲学の本は、人々に受け入れられる
著者: なぜ哲学がわかりやすい必要があるのですか
D : わかりやすく書かなければ、人々にはわからない
著者: 何がわかれば、分かったと思うのか
D : どうかわかりやすく言って下さい
 両方の言い分がよくわかるからこそ、議論が噛み合わない理由もわかる。そしてこれこそが哲学の本質なのかもしれないと思う。

• 「しょせん言葉だ、現実ではない」、この言葉を、現実に言葉を業とする人々からすら聞かなければならないのが、現代の不幸だ(「読者」)
• 物を考えるとは、物を把んだら離さぬということだ。考えれば考えるほどわからなくなるというのも、物を合理的に究めようとする人には、きわめて正常なことである(「良心」)
• 善悪は存在する・・・内にあるこの絶対性を、外にあるかのように思う時、人は自ら判断する自由を放棄する(「良心」)
• 「わかる」とは、確認であり、再認なのだ。われわれが、それを自身であると思っている自身よりも、先に存在しているその実在を、自身の経験として確認した時、人は「分かった」と発語する(「還暦」)
• 生きるという経験が初めてのわれわれには、老いるということもまた初めての経験である。これはいったいどんな新しい経験なのか、驚きとともにそれを味わうということが、なおわれわれには可能である(「還暦」)
• 哲学用語などというものは、天才たちが、言葉を越えた実在に触れた絶対的経験に、なんとか姿を与えようと言わば苦しまぎれにひねり出した、絶句としての言葉である(「言葉」)
• どこの偉い先生がそれを書いたかという私心や邪心を離れて、耳を澄ましさえするなら、判じ難い専門用語とて、絶句する精神の息遣いとして聞こえてくるはずである(「言葉」)

 メモを取っていたらきりがなくなる。考えながら読んでいると、先に進めない。一度読んでもなかなか理解しきれない。実に厄介であるが、実に面白い。読み終えて、「もう一度」と思わずにいられない一冊である・・・




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2019年08月22日

【あらゆる悩み・不満・ストレスが消える!最強の人生相談−ビジネスの成功にも共通する人間関係、深すぎる40の教訓−家族・結婚・夫婦編】ミセス・パンプキン/ムーギー・キム 読書日記1061



<目次>
はじめに
協力者からのメッセージ
第1章 ささいな行き違いが大問題に発展!?「コミュニケーション」の悩み
第2章 金の切れ目が縁の切れ目!?「お金」の悩み
第3章 絶対許せない! 「浮気・不倫」の悩み
第4章 どこまで耐えればいいの!?「暴言・暴力・虐待」の悩み
第5章 いいこともあれば、悪いことも……「子ども」の悩み
第6章 もう、ガマンの限界! 「義父・義母・親族」の悩み
第7章 幸せになりたい! 「離婚後と再婚」の悩み〜離婚後の心構え、離婚後の子育て、そして再婚〜
総括――結婚関係・人間関係のベストプラクティスとは

 著者は、ミセス・パンプキンとなっているが、内容的に判断すると日本人の方のようである。なんと6年間で600件の家庭・人生相談をこなしてきたとのことで、そのすべてのエッセンスを本書に集約したとのことである。それゆえに本書は、「結婚生活の教科書」であり、「パートナー選びの教科書」であり、「人の本質を見抜くための教科書」「人間関係の教科書」であるとする。それもまぁ頷ける内容である。

 内容は、これまで著者が受けてきた相談。その典型的な例を挙げて解説をする形をとっている。家庭問題を通じた人生相談であるが、内容的にはすべての人間関係および人生に関する本質的な問題を論じているとする。個人的には家庭に悩みを抱えており、そういう意味でも興味が湧くところである。

 それぞれのケースで教訓として書かれていることはなかなか重みがある。
1. 嫌なことははじめから嫌と言うべし。家庭内で演技してはならない。
2. 相手に対して不快に思うことは伝えるのが誠意
3. 性格の不一致は解釈次第でうまくいくことも
4. 結婚生活では触らぬ神ほどたたるもの
5. 毅然とした態度で思いを伝える。離婚を切り出す前に「窮鼠猫を噛む」決意を
やはり豊富な相談経験のなせる技だろうか、「そうだよなぁ」と思わされるところが多い。

 一方、「浪費家の妻には断固自分で稼ぐことの大変さを教えるべし」なんていう、ちょっと無理ではないかと思うようなアドバイスもある。金銭感覚の違いというのは、なかなか超えられないものがあるような気がする。「ギャンブル癖は死ぬまで治らない」というのは、そうなのかもしれない。

 問題ある配偶者というのもやはり数多くいるようである。
1. 妻の出産時に最低限の誠意を見せられない夫は再起不能である
2. 「これまで我慢したから」を理由に相手の横暴に耐え続けてはならない
3. 虐待されて自尊心を貶められている時に我慢しても事態は悪化するだけ
読んでいるだけでも気の毒になるケースがある。そんな例に対し、「不幸の出口は自分で作るべし」というアドバイスは秀逸である。

 子供の教育に対して、「人生の進路はたとえ幼くても子どもの意思を尊重する」というアドバイスはどうも違う気がする。やはり親がリードすべきところだと個人的には思う。「夫は嫁姑のパイプ役をしっかり果たす」とは、言うは易しである。当たり前だが、できないから苦労しているのである。「嫁姑問題」とは言われるが、「婿舅問題」とは言われない。女は狭量な証拠である。男が苦労させられる理不尽さである。

 「子どもへの無償の愛が伝わっている限り会話が少ないのは大きな問題ではない。子どもの日常に適切に関わり、親に愛されていると言う安心感を与えよう」は、娘との関わり方に対するいいアドバイスである。参考になるものもあればそうでないものもある。参考になるものは参考にすればいいし、そうでないものは、「他人の不幸は蜜の味」で読みものとして面白い。世の中、いろいろな夫婦がいルものだし、やはり豊富な経験をバックボーンにした回答内容は考えさせてくれるものがある。

 サブタイトルにあるように、人間関係を学ぶつもりで一読すると面白いかもしれない一冊である・・・



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2019年08月10日

【堕落論】坂口安吾 読書日記1057



《目次》
堕落論
続堕落論
日本文化私観
恋愛論
不良少年とキリスト
FRARCE(ファルス)について
文学のふるさと
風博士
桜の森の満開の下

 ここ最近、坂口安吾の名前を『堕落論』とともに何度か目にし、読んでみるかと手にした一冊。目的の『堕落論』の他、『続堕落論』など9作品が収納されている。

 お目当の『堕落論』であるが、事前の期待から肩肘を貼りすぎたのか、さらりと読んだだけでは理解できず、もう一度読み直す。時代背景は戦後間もなく。半年間で見事に変わった世相。特攻隊の勇士が闇屋になり、未亡人が早くも次の面影を胸に宿す。それを嘆くではなく、そういうものだと語る。武士道はそんな我が国の国民の弱点を隠すためのものであり、権謀術数をこととする我が国民には、大義名分のためにも天皇制が必要だったとする。

 日本は負け、そして武士道は亡びたが、堕落という真実の母体によって始めて人間が誕生したと説く。堕落と言ってもいわゆる自堕落というようなダメなイメージの意味ではなく、原点に帰るというような意味であろうか。「人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ」とし、「堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない」とする。原点に戻って再生するという感じであろうか。

 「続堕落論」ではさらに、堕ちることを「裸となり、とらわれたるタブーをすて、己の真実の声をもとめよ」とする。天皇制や武士道や耐乏の精神などを「ニセの着物」とし、それらを剥ぎ取るべしとする。堕落は制度の母胎とするのも本来の姿への回帰を意味するのであろう。総じて感じるのは、時代の雰囲気である。終戦直後の価値観の大転換の時代背景がここにはある。それゆえ、書かれていることは理解できるが、現代の感覚ではそれほどのインパクトのある内容かと言えば疑問に感じる。もちろん、読解力、感性の問題もあるだろうが、あくまでも個人のそれが感想である。

 「日本文化私観」は、戦前の日本を背景に、『「日本的」ということ』「俗悪について」「家について」「美について」をテーマにした話がなされる。ここはエッセイのようなもので、戦前の日本、特に京都の様子がちょっと興味をそそられる程度。続く「恋愛論」も時代背景の影響を強く受けているように感じる。つまり、「愛」という言葉を軽々しく語れない時代背景である。

 目的であった「堕落論」だが、期待値には届かなかった。大作家の文章を批判するつもりなどないが、1つには時代背景の違いによる感覚の違いはあると思う。終戦直後の日本人の感性と、現代の自分の感性とはそもそも価値観からして異なるし、だいぶ違いがあるだろう。読解力を批判されれば返す言葉はない。こういう文章は難しい。だが、面白いと思う一冊である・・・



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2019年07月11日

【苦しかったときの話をしようか−ビジネスマンの父が我が子のために書きためた「働くことの本質」−】森岡 毅 読書日記1048



《目次》
第1章 やりたいことがわからなくて悩む君へ
第2章 学校では教えてくれない世界の秘密
第3章 君の強みをどう知るか?
第4章 君自身をマーケティングせよ!
第5章 苦しかったときの話をしようか
第6章 自分の「弱さ」とどう向き合うのか
おわりに あなたはもっと高く飛べる

 著者は、『USJを劇的に変えた、たった一つの考え方』『USJのジェットコースターはなぜ後ろ向きに走ったのか?-V字回復をもたらしたヒットの法則』の森岡毅氏。現在はすでにUSJを退職し、マーケティングの会社を立ち上げてその代表者をしているという。娘さんがいて、就活の時に悩む娘さんにアドバイスをしようとしてまとめたのが本書の元ネタらしい。サブタイトルがその内容を表している。

 その時、娘さんは「何がしたいのかわからない」という悩みを抱えていたと言う。自分自身振り返ってみても、就活時に何かこれといった考えがあったわけではない。なのでその気持ちはよくわかる。また、著者がこの本で明らかにしようとしたのは「自分や将来のことを考える際の考え方(フレームワーク)」だという。それだけでも興味深い。そもそも「何がしたいかわからない」という悩みは、自分の中に「軸」がないことが原因。悩むべきは重視すべき「軸」だとする。

 「会社と結婚するな、職能と結婚せよ」と著者は語る。この場合の「職能」とは「スキル」であり、それこそが最も維持可能な個人財産だという。「会社は今よりもっとあてにならない結婚相手」という意見には素直に同意したい。「正解はたくさんある。不正解以外はみんな正解」という言葉は、自分の娘に対する愛情を感じさせる。この場合の「不正解」とは、「自分にとって決定的に向いていない仕事に就いてしまうこと」だとする。「内定を取るために別人格を演じるのは不幸の始まり」という言葉は、すべての就活生が耳を傾けるべきだろう。

 そもそも人間は平等ではなく、経済格差は知力の格差がもたらした結果だとする。資本主義社会とは、サラリーマンを働かせて資本家が儲ける構造。無知であることと愚かであることに罰金を科す社会という説明は、言われてみれば真実である。その社会で年収を決める要素は、「職能の価値」「業界の構造」「成功度合いによる違い」。お金がすべてではないが、「自分にとっての成功」を定義づける目的を明確にしなければならない。

 毎年、就職人気ランキングが発表されているが、「今の大企業に入るのではなく、将来の大企業に入る」という考え方には素直に同意できる。ただ、それを見分けるのは困難である。「どんな状態であれば自分はハッピーだろうか」という理想状況から発想するといいと著者は語る。避けた方がいいのは、「どんな職能が身につくかわからない会社」。心に響いたのは、「自分がナスビなら立派なナスビへ、キュウリならキュウリになるようにひたすら努力を積み重ねる」という言葉。具体的な事例があるので説明もわかりやすい。

 要所要所で、著者の体験談が語られる。学生時代から波乱に富んだ経験をこなし、P&Gに就職して苦しみながらも結果を出し、日本人ながらアメリカ本社のマネージャーに抜擢される。そんな経験を積み重ねてきたからこそ、1つ1つの言葉にも重みが感じられるのだろう。面接で緊張しないためには、「自分はこういう人間だ」というMy Brandを設計してしまい、その通りに行動するなんていうのも実に面白い考え方である。つくづく、成功を支えるのは「考え方」だと実感させられる。

 変わりたい時にうまく変われるコツは、「最初からすぐに変われないことを覚悟して時間がかかることを織り込んで変わる努力を継続すること」だと言う。いい言葉だなと思う。
自分も子どもたちが社会に出る時には、こんな言葉を送りたいと思わせてくれる一冊である・・・


posted by HH at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | 人生論・哲学・生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする