2017年08月04日

【「自分らしさ」はいらない くらしと仕事、成功のレッスン】松浦弥太郎



CHAPTER 1 ようこそ!「心で考える」へ
CHAPTER 2 「心を動かす」のは、仕事のきほん
CHAPTER 3 「心をつかう」のは、くらしのきほん
CHAPTER 4 「心」と「頭」のバランスのとり方

著者は、「くらしのきほん」主宰でエッセイスト。元は「暮らしの手帖」の編集長を務めていた方だという。そんな方が、我々に肩の力を抜いて生きることを語った一冊。

タイトルにある「自分らしさ」であるが、著者はその考え方が既に「美しい呪縛みたいなもので、必要以上に人を力ませる」と説く。それゆえに、「何かを始めたいなら、『自分らしさ』など捨てた方がいい」というのが著者のこの本における主張である。

「自分らしさを捨てる」ことのほかに、著者がこの本でもう1つ強調しているのが、「心で考える」こと。これを頭で考えることとは区別している。
・心には限界がなく、心で考えれば自分の枠を超えられる
・(年齢に関係なく)これから何かやりたいなら、心で考えるスイッチを入れる
・正しい道を選びたいなら、意図的に「心で考えて」意思決定をする
・3つのエンジン「感受性」「想像力」「愛情」で心は働く
等々、「心で考える」ことを説く。

「自分らしさ」については、これを捨てろと著者は説く。それが「自分らしさはいらない」の意味。「自分らしさ」を捨てれば、心が解放されて伸びやかに心で考えられるようになる。「自分らしさ」を捨てると時代とともに変化できる。自分自身に執着しないということなのだろう。「自分の意見を変えることは勇気がいるが、自分をアップデートする近道」という言葉に思わず考えさせられる。

・心の働かせ方を学ぶ最良の道は人とのコミュニケーション
・人は「心で考えてつくられたもの」に時間とお金を使う
・最高のマーケティングとは、自分に関係ないものは何もないという意識で日々を過ごすこと
・心で考え、最高と最悪の結末を想定しておけば、失敗しても心が折れずにいられる
これらは、仕事でのヒントになる。

幸せを感じたいなら次の4つを目指すべきとする。
1. 役に立つこと
2. 褒められること
3. 必要とされること
4. 愛されること
まさにその通りだと思う。

力を抜いて読むといいことが次々と書かれている。まさに「自分らしさ」を捨てて読むということだろうかと思ってもみる。ビジネスでも日常生活でも、周囲と対立することなく、柔らかく生きていくことができそうなヒントの数々である。著者の人柄もなんとなく伝わってくる。

自分にとっては、「自分らしさはいらない」というところよりも、「くらしと仕事、成功のレッスン」というサブタイトルの方がしっくりきた一冊である・・・



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2017年07月18日

【反哲学入門】木田元



第1章 哲学は欧米人だけの思考法である
第2章 古代ギリシアで起こったこと
第3章 哲学とキリスト教の深い関係
第4章 近代哲学の展開
第5章 「反哲学」の誕生
第6章 ハイデガーの二十世紀

著者は中央大学の名誉教授。哲学をずっとやってきた方のようである。そんな著者が、「反哲学」と言う聞きなれない言葉を西洋の哲学の流れとともに語った一冊。
著者は、「哲学を勉強し、大学でも哲学を教えてきたが、自分のやっている思考作業は『西洋』と言う文化圏で伝統的に哲学と呼ばれてきたものの考え方とは決定的に違うところがある」とし、「哲学を批判しそうしたものの考え方を乗り越えようとする作業」を「反哲学」と呼ぶとする。正直言ってよくわからない。

そもそもであるが、哲学とは「人間を含む生物やモノなど地球上にあるありとしあらゆるものが『ある』と言うのはどういうことか」、それを全体として研究しようとする学問だとする。もう既に難しい。哲学は好きなのであるが、どうもこの難解さが気になる。日常では、難しいことを簡単に言うことが大事という価値観で動いているが、哲学は逆で簡単なことを難しく言う世界だと言える。

ハイデガーは、「哲学するとは、なぜ一般に存在者が存在するのであって、むしろなにもないのではないのかを問うこと」とする。この本では、特に「存在するとは何か」が問われる。
「存在」すなわち「ある」と言う状態だが、同じ「ある」でも「つくる」「うむ」「なる」という3つの状態があるとする。「つくる」とは、「つくられてある」状態、「うむ」は「産み出されてある」状態、「なる」は生成されてある状態だとするが、こういう一般人が気にもしないことを哲学者は問うている。そしてソクラテス、プラトン、アリストテレスから解説が始まる。

意外なことに、西洋の哲学はいまだにソクラテス、プラトン、アリストテレスの影響下にある。単に歴史順で出てくるのではなく、源流として今も無視できないから出てくるのである。そしてカントやヘーゲルらの有名哲学者が出てくるが、例えばカントの前後から文体が変わるが、それは哲学者が大学にポストを持つことができるようになったからなどという背景の話が興味深い。同様に、ヘーゲルはフランス革命、テルミドールの反動、ナポレオンの登場などの時代背景があり、考えてみれば各哲学者の思想について学ぶ際、その時代背景まで意識した方がいいのは当然かもしれない。

そして著者は、ニーチェを西洋哲学の分岐点としている。「ニーチェ以前と以後とを同じ哲学史に一線に並べるのはおかしい」とする。それは、ニーチェの目指したことは、これまで哲学と呼ばれてきたものをすべて批判して乗り越えようということだかららしい。このあたりは、正直言ってよくわからない。ただ、「力への意志」「永劫回帰」「神は死せり」といったニーチェ哲学のキーワードの解説がわかりやすい。「そうだったのか」と改めて思わされた。

はっきり言って、部分部分の理解は比較的できたとは思うが、著者が反哲学と名づけたものの正体はイマイチわからなかった。本文でカントがわからなくて70回以上繰り返し読んでいる学者さんの話が出てくるが、平易な解説書である本書であっても、1回で理解するのは難しいのかもしれない。ただ、個人的には改めてニーチェやデカルトの思想には興味を持ったところである。『デカルト方法序説を読む』をもう一度読んでみたいし、哲学に対する好奇心が大いに刺激されたところである。

難しいのではあるが、知的好奇心を大いに刺激される一冊である・・・



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2017年06月29日

【あなたの人生の意義】デイヴィッド・ブルックス



原題:The Road to Character
はじめに アダムII
第1章 大きな時代の変化
第2章 天職 フランシス・パーキンズ
第3章 克己 ドワイト・アイゼンハワー
第4章 闘いの人生 ドロシー・デイ
第5章 自制心 ジョージ・マーシャル
第6章 人間の品位 ランドルフとラスティン
第7章 愛 ジョージ・エリオット
第8章 神の愛 アウグスティヌス
第9章 自己省察 サミュエル・ジョンソンとモンテーニュ
第10章 大きい私 

 著者は、ニューヨーク・タイムズのコラムニスト。本書は、ビル・ゲイツが「2015年に読んだ本ベスト6」の筆頭に選んだことで話題になり、ベストセラーにもなったと言う。そんな評判を耳にして手にした一冊。邦題のサブタイトルに「先人に学ぶ『惜しまれる生き方』」とあるように、人間の内面の重要性を説いた本である。

 はじめに、人間の美徳には2種類あると説く。「履歴書向きの美徳」と「追悼文向きの美徳」である。どちらが大事かと問われれば、たいていの人は後者と答える。しかし、現代の教育制度をはじめとして、メディアも世間の関心も前者に向けられている。ジョセフ・ソロウェイチックは、前者をアダムI、後者をアダムIIと分類している。アダムIは、職業的な成功でアダムIIは、道徳的な成功である。

 この本は、アダムIIに関する本であると著者は定義する。「私はこの本を自分の心を救うために書いた」とし、過去の偉人の人生を手本としてそれを明らかにするのが目的とされる。そしてその通りに、偉人たちがその人生とともに採り上げられる。それによって、読者には「良い人間になりたい」「この人のように生きたい」と言う気持ちに火がつくことを期待しているとのことである。アメリカでも、「自分のことを重要な人物と思うか」と言う質問に対し、1950年前後には12%だったのが、1989年には男で80%、女で77%にもなったと言う。そう言う謙虚さがなくなっていると言う危機感が背景にはあるのであろう。

 そして、フランシス・パーキンズから、モンテーニュまで10人の偉人が採り上げられる。10人の偉人たちが偉人であることは間違いない(半分は知らなかったが・・・)。ただ、著者はその人生を淡々と要所だけ解説し、さらに真理と思われる事項の解説をその合間に挟む形で話を展開する。その結果、話のアウトラインはわかるものの、登場人物たちに対する感情移入があまり沸き起こらない。

 例えば、フランシス・パーキンズは、ロビー活動により労働時間を週54時間に制限し、社会運動を天職として、のちにルーズヘルト大統領に請われて労働長官になっている人であるが、その人生を語るのに、合間にはフランクルの「大事なのは私たちが人生に何を求めるかではなく、人生が私たちに何を求めるか」といった言葉を紹介したりし、教訓めいた解説が挿入されている。言いたいことは伝わってくるが、フランシス・パーキンズに対する共感が湧いてこないのである。

 以下も同様。
「罪が罪によって大きくなる」
「底の浅い人間は、自我というごく狭い世界の中だけに生きている。だが、愛を知った人は真の豊かさが自分の中にではなく、外側にあるといったことに気づく」
「人間は強い感情が湧くとその感情を消すために行動することが多い。飢えていると感じれば何かを食べて満腹になろうとする・・・・・・・しかし悲しみだけは例外で、悲しみは悲しみを生み悲しみにくれる人間は悲しみを消すべく行動せず、悲しみだけが積もっていく」
こうした言葉は、なるほどと思わせるものであるが、偉人たちの人生への共感には繋がらない。

 偉人たちの共通点は、みんなそれぞれに欠点を抱えていたが、それぞれの欠点と闘い、困難に直面するとそれを機会に人間性を磨き成長したということ、そして全員謙虚であったことだという。個人的には、こういう「偉人に学ぶ」形であれば、『運命を開く』のように、1人の人物を徹底して追って行くタイプの方がずっといいような気がする。偉人たちがよくないというのではなく、あくまでも共感性の話である。

 誤解のないように言えば、この本が示唆するところは全く同意できるが、ただそれを「偉人に学ぶ」という割には、共感性がわかないというだけのことである。伝えられているメッセージはよく理解できたと考えている。ある意味理想に生きる生き方であり、普段からの意識が大事。それを改めて認識したのは事実である。
そういう意味では、自分もかくありたいと思わされる一冊である。



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2017年04月27日

【はじめに言葉ありき おわりに言葉ありき】島地勝彦



 著者は、元「週刊プレイボーイ」の編集長。現在は引退してコラムニストとして生計を立てているようである。そんな方が、本領発揮し、様々なテーマについて語ったものがこの本となっている。著者のことを知ったのは、日経BPのウェブサイトである。「乗り移り人生相談」というコーナーの記事を何度か目にしたことがあり、その語り口が実に爽快だったことから興味を持っていた。だがこの本を手に取るまで、同じ著者によるものと気が付かなかったのは事実である。

 この本も、日経BPのサイトと同様、実に豪快・爽快である。いきなり不倫について肯定的な発言が出てくるし、自らも経験ありと語ってしまう。「オッパイの大きい女は決してバカではない」なんて堂々と語るし、「大きな乳を揉んだり乳首をくわえながら女の胸に顔を埋めて寝ることに無上のしあわせを感じる」などということも堂々と書いている。いや実にその通りなのだが、それをそう公言するには、自分はあまりにもシャイ過ぎるから羨ましい気もする。

 ご本人はもう70歳を超えているようなので、そうしたものから達観しているのかもしれない。そう言う立場からずばりと裏表なく本音で語る雰囲気が実にいい。もっとも、「おっぱいネタ」ばかりではない。
・社長の最大の仕事は、その次の社長を選ぶことである
・本は速く読むとすぐ忘れてしまい、ゆっくり読むとなかなか忘れない
・人を待たせるより、待ったほうがいい
・悔しいときは、奥歯を噛みしめて笑え
・コンプレックスを武器にした瞬間、人はコンプレックスから解放されて、ひとかどの人になる
・こつこつ積み重ねた努力が一瞬にして崩壊するときがある
などと言う至極真面目な言葉も普通に出てくる。これはやはり深い人生経験のなせる技なのであろう。

 一方、やっぱり元「週刊プレイボーイ」編集長のなせるワザなのか、男と女に関する話がやっぱり面白い。
・本番の恋愛を経験するには、スポーツと同じように数々のウォーミングアップが必要
・一つの深い恋情は、沢山の浅い情事にまさる
・男と女の愛にはタイムラグがある
・プレイボーイには巨根がいない
・女の臭いがしないと、男は女にモテないものである
・プレイボーイの秘訣は恋の二番手になることである
どれもこれも明るいところでは言いにくいようなことをさらりと語ってのけるところが実に良い。女の目を気にして綺麗事で飾るよりも、ズバリ思っていることを何の気兼ねなく語れるところは、真似てみたいと思わされる。

 さらに男としての生き方においても、至言が溢れる。
・ダンディズムとはやせ我慢である
・人生で大切なことは、一に健康、二に話し相手、三に身の丈の金
・今日の異端は明日の正統
・人は独りのときどう過ごすかで将来が決まる
・失敗を笑いに変えることができる人は、人生のワザ師である
・人生でいちばん楽しくて飽きないものは勉強である

 シングルモルトとシガーを愛し、思う通りに生きる人生は愉快に違いない。器の違いもあるから、真似すると言っても限度がある。されど一つの生き方の見本として、大いに参考にさせていただきたいと思う。自分がチマチマとして小さいと感じているなら、この方の生き方、考え方に触れてみると人生観が変わるかもしれない。自分もいずれこんな風に達観した境地にたどり着きたいと思う。気持ちの良さに溢れる一冊である・・・



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2017年04月24日

【運命をひらく】本田健



序 章 5分で理解する「松下幸之助」の生涯
第1章 人間関係の達人になれば、運命はひらける
第2章 衆知を集めて任せれば、運命はひらける
第3章 経営のコツを知れば、運命はひらける
第4章 素直な心で物事を見れば、運命はひらける
第5章 運と愛嬌があれば、運命はひらける
第6章 世界を愛し、与え続けた松下幸之助
終 章 感謝の心が、運命をひらく

 著者は、『ユダヤ人大富豪の教え』シリーズでおなじみの方。もともとお金の専門家として名が通っている方であるが、実は昔から松下幸之助のファンなのだそうである。そこからこの本の話があり、改めて資料を研究し記したという。何でも45巻に及ぶ『松下幸之助発言集』を3セット買い集め、自宅、オフィス、別荘に置いて聞いたそうである。ご本人の著作もいいが、こういう「研究本」も「知っているつもりで実はよく知らない」私の様な人間には良いと思う。

 著者は、基本的なスタンスとして、「松下幸之助が生きていたらどんな話を聞きたいだろうか」と考え、好きなエピソードを集めていったそうである。その松下幸之助であるが、没後間も無く30年だそうである。亡くなったのは、私の学生時代であるが、当時のニュースの記憶はあまりない。関心がなかった証拠で、ちょっと恥ずかしい気がする。

 松下幸之助が世界的な注目を集めた理由は、以下の通りだと著者は分析する。
1. ビジネスで成功し、億万長者となった
2. 思想家、哲学者としての顔も持ち、著作はベストセラーを連発
3. 雑誌、出版社(PHP研究所)のオーナー
4. 経営者だけでなく、一般の人からも広く尊敬されている
5. 学歴もなく貧乏だったところからスタートし大成功した
このあたりは、私の認識とも一致していてホッとするところである。

 松下幸之助は、1894年の生まれ。8人兄弟の末っ子だった。父は小地主であり資産家であったが、幸之助が4歳の時に米相場で失敗して破産。極貧生活となる中、父母兄弟姉妹と幸之助が26歳になるまでにみんな亡くなったという。「神も仏もない」と嘆いてもおかしくない状況である。そして本人は9歳で丁稚に出る。このため小学校しか出られずに終わる。朝5時から夜10時までの仕事。休みは年に2回。食事は一汁一菜、魚がつくのは月2回。今なら「ブラック」以外何者でもない。

 学歴もなく、さらに体も弱く病気がちで、貧乏の極みだった幸之助。それでも億万長者になった理由を著者は次の様に分析する。
1. 学歴がなかったから、誰からでも話を聞き学んだ
2. 病気がちだったので、自然と部下に仕事を任せるしかなかった
3. お金がなかったので、できる限りお金を使わずに物を作る工夫をした
すべてに恵まれているからといって、成功が約束されるわけではなく、何もないからダメだというわけでもないのである。

 丁稚時代に初めて自転車を売った時のエピソード、部下のお弁当を味の違いまで意識して手配したエピソード、出てくるエピソードはどれも唸らされるものである。トースターを開発して持って来た部下と取引先の社長が幸之助にそれを見せに来る。幸之助は重役会をキャンセルして話を聞く。その人柄に触れ、初めは松下電器に距離を置いていた取引先の社長がこれからは松下電器一筋になるとファンになる。「この人と一緒に仕事がしたいと相手に思わせる力は圧倒的」と著者は評価するが、その評価に寸分も異論はない。

 「上に立つ人が自分の部下は自分より偉いなと思うかアカンなと思うかによって商売の成否が分かれてくる」
「部下が動いてくれないと嘆くリーダーは、自分の人間的魅力がまだ足りないだけ」
リーダーの立場にある人は、心しないといけないだろうが、自分を含めこの様な考え方ができる人はほとんどいないのではないかと思わされる。

 「商売でモノを売る時、大事なものは一所懸命に売りたいという熱意から生まれるいろいろの姿」
「雨が降ったら傘をさすのと同じ様に当たり前のことをやる」
「生涯大事にしたいことは『素直になる』こと」
1つ1つの言葉が重い。

 人を採用する時に、「運がいいかどうか」を基準にしたというのは有名な話。それは運の良し悪しは、結局「事実をどう解釈するか」ということだという考え方かららしい。雨が降ったという事実も、解釈によって良し悪しは分かれる。どんな状況でも希望を捨てないこと、運が悪いと考えずに前向きに考えること、そういう人であれば確かに何事でもうまくいくだろう。実に深い基準だと改めて気付く。

 著者が、本を書きたいと思ったのも無理からぬ話であり、この本一冊ではまったく足りないであろうことは想像に難くない。一読して今度はご本人の著作も改めて読んでみたくなった。温故知新ではないが、今度は『道をひらく』を読んでみようと思う。改めて松下幸之助を知ることができる良い本である・・・


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2016年09月19日

【ミライの授業】滝本哲史



ガイダンス きみたちはなぜ学ぶのか?
1時限目 世界を変える旅は「違和感」からはじまる
2時限目 冒険には「地図」が必要だ
3時限目 一行の「ルール」が世界を変える
4時限目 すべての冒険には「影の主役」がいる
5時限目 ミライは「逆風」の向こうにある

 著者は京都大学の准教授。これまでに『僕は君たちに武器を配りたい』『君に友だちはいらない』を読んでいるが、いずれも内容、テイストともに気に入っている。この本は、14歳の中学生向けに書かれている。だからといって大人が読んで悪いということでもないだろう。そう思って手にした本である。

 内容は、といえば、やはり14歳向け。冒頭から世の中の変化を説明する。かつてもてはやされた「メイド・イン・ジャパン」は、今やユニクロにも見られる通り、「メイド・イン・世界」となっている。そして世界全体で「人件費が安い」人が選ばれ、それはいずれロボットに代替されていく。しかし、「未来をつくる人」はロボットに置き換えられない。だから「未来をつくる人」になろうと呼びかける。

 学校では何を学ぶのか、どうして勉強をしなくてはいけないのだろうか。著者は、勉強とは「魔法の基礎」だと説明する。かつて机の上を占拠していた電話やカレンダーや時計、国語辞典や英和辞典、漫画や本やゲーム等々、今やそれはスマホ一台に収まっている。これが魔法でなくて何なのかと言うが、確かにその通り。そしてそれらの魔法を生み出した過去の偉人たちを紹介していく。

 万有引力の法則で有名なニュートンは微積分を発明している。中学生の頃の成績は学年で下から2番目。中学生の頃の成績は関係ないという証拠。そして「知は力なり」のベーコンからは、「観察と実験」の大切さを学ぶことができる。さらに人間は4つの「思い込み」(「人間の思い込み」「個人の思い込み」「言葉の思い込み」「権威の思い込み」)に支配されており、そこからの脱却を勧める。自分の中に生じた小さな「違和感」を掘り下げ、常識を疑い、嘘を見破る。ただし、「人」を疑うのではなく、「コト」を疑う。

 戦場の兵士たちを救い、世界の医療・福祉制度を変えていったのは、「看護師としてのナイチンゲール」ではなく、「統計学者としてのナイチンゲール」だったという話は面白い。「事実」の持つ力とそれを追求する重要性がよくわかる。この「事実」を拾えなかったため、森鴎外は医者としてではなく、文学者として記憶される事になったというのも面白い。コペルニクスの世紀の発見も、詳細な観測データという事実が元になっている。大人でも重視しなければいけないところであろう。

 冒険には地図が必要だとするが、ここでいう「地図」とは「目的地」とか「狙い」とでも言えるだろうか。日本人ノーベル賞学者大村智やビル・ゲイツは、仮説を立て、自分の描いた目的地に向けて努力して成功する。そしてその仮説は、「空白地帯」である方が良い。この本での扱いは違うものの、ファッションのココ・シャネルも同じだと思える。このあたりは、子供達にとって良い刺激になるかもしれない。

 『ハリー・ポッター』シリーズの作者JKローリングは、小説家になるという自分の夢を最後まで諦めず、栄光を手にする。そしてそれを見出したのは、出版社社長の8歳になる娘だったという事実も面白い。それ以前に原稿を持ち込まれた12の出版社は、大ベストセラーを出版するチャンスを手にしながら、それまでの常識にとらわれて出版を断ってしまっていたのである。これは、「偏見」という常識に凝り固まった大人達こそ意識しないといけないことだろう。

 結局、14歳向けと言いながら、大人にとっても示唆に富む内容である。過去の偉人達と自分の境遇を比べ、いつの間にか偉人達の打ち破ってきた「壁」に自分たちがなっていないか。胸に手を当てて考えてみる必要がある。いつの間にか「古いパラダイムの住人」になってはいないか、我が身を省みてみないといけない。子供達に背中で語れるような大人であるためには、そんな意識も持っていたいと思わせられる。

 著者の本からは、いろいろと学ぶことが多い。これからもまた、意識して読んでいきたいと思うところである。次は我が家の子供達に読ませたい一冊である・・・


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2016年08月31日

【幸せになる勇気】岸見一郎



第一部 悪いあの人かわいそうなわたし
第二部 なぜ「賞罰」を否定するのか
第三部 競争原理から協力原理へ
第四部 与えよ、されば与えられん
第五部 愛する人生を選べ

 この本に先立つ、『嫌われる勇気』を読んで興味を抱いたこともあり、その続編たる本書を手にした次第。正直言って、前著ではアドラーの考え方について判断のつかないところもあり、もう少し知りたいと思ったところである。そしてその目的は、この本を読むことによって概ね達せられたと思う。

 物語は、またもや前著で出てきた青年と哲人との対話形式で進む。前著で哲人によってアドラーの考え方に魅了された青年は、その後教育者となる。ところが子供たちを相手とする現実の日常で、アドラーの考え方がうまくいかず、悩んだ青年がアドラーとの決別を宣言しに哲人の元を訪れるところから始まる。

 青年は、「褒めることも叱ることもしない」アドラーの教育に限界を感じてやってきたのであるが、哲人は「誤ったアドラー像を捨て、本当のアドラーを知るべき」と青年を諭し、議論が始まる。教育の目標はズバリ「自立」。しかも介入ではなく、「自立」に向けた「援助」だとする。そして哲人は青年に「子どもたちに対して尊敬の念を持つ」ことを勧める。その根源にあるのは「人間への尊敬」であり、その第一歩として青年に「他者の関心事に関心を寄せよ」と説く。

 学級は民主社会であり、その主権者は教師ではなく生徒であるとする。生徒を怒ることと叱ることは同義であり、怒りとは人と人を引き離す感情だとする。子どもたちの決断を尊重し、その決断を援助する、そしていつでも援助する用意があることを伝え、近すぎない援助できる距離で見守るとする。なんだかわかったようなわからないような説明である。

 こうして、主として教育論から入り、それが展開されていく。そして前半で説かれた自立とは「わたしの価値を自らが決定すること」であるとし、話題は「愛」へと続く。「愛」とは他者を愛する技術であり、「ふたりで幸福なる生を成し遂げる課題」だとする。「わたし」ではなく、「わたしたち」の幸せを築きあげることが愛であり、結局、自立とは「わたし」からの脱却であるとする。

 こうして人生の主語が「わたし」から「わたしたち」へと変わり、それがやがて共同体全体に、そして人類にまでその範囲を広げていくとする。前著で登場した「共同体感覚」がここでも登場する。読めばもちろん、意味はわかるものの、その本質が理解できたかというとそれは心もとない。正直言ってよく分からないといったところである。抽象的すぎて具体的にイメージできないのである。

 アドラーとの決別を決意して哲人の元を訪れた青年は、議論の挙句、納得・感動して哲人との会話を終える。しかし、二人の議論を読んでいて、ちっとも理解できない。本当に青年はこれで理解できたのであろうかと思わざるを得ない。またすぐに限界を感じて哲人の元に乗り込んでくるのかもしれない。現にこの本に続く第3弾が出ているようでもある。その内容については、全く知らないし、もはや知りたいとも思わない。もうアドラーはいいかなというのが正直なところである。

 あえてアドラーを批判するつもりはないが、よくわからないしわかりたくもない。興味はもはやここまでということで、私も物語の最初の青年のごとくアドラーとは決別したいと思うのである・・・


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2016年08月12日

【家族という病】下重暁子



序 章 ほんとうはみな家族のことを知らない 
第1章 家族は、むずかしい
第2章 家族という病
第3章 家族を知る
第4章 旅立った家族に手紙を書くということ

「家族」と聞くと、そのイメージは「幸せ」だろうと思う。そして「病」のそれは「不幸せ」だろう。そんな正反対のイメージを持つ言葉が重なり合うと、なんだか違和感を覚えるが、実は自分自身、思うところあって手にした一冊。もちろん、ベストセラーになっているという興味もあったのは事実である。

日本人は家族を盲信しているが、実は家族間でもかなり事件は起こっている。家族だから問題が起こらないというのは間違いで、「家族だから」問題が起こるということもある。冒頭からそんな覚めた意見が出てくるが、著者はもともと父母と折り合いが悪かったらしく、異母兄ともそれほど親しくなかったようである。「つれあい」と呼ぶ夫との間に子供は作らなかったそうで、そんな背景もこの本の根底に影響を与えていると思われる。

著者の考えは実に冷ややかな感じがする。
・子離れができない親は見苦しい
・仲の悪い家族の中でも子はまっとうに育つ
・大人にとってのいい子はろくな人間にならない
・夫や妻への不満は、あれをして欲しいこれをして欲しい、それなのに何もしてくれないということ
・夫婦でも理解し合えることはない
・結婚ぐらいストレスになるものはない

どっぷりと家族に浸かっていると気がつかないことだろうが、もともと愛ある家庭に育っていないからこそ、冷ややかに見つめられる真実なのかもしれないと思う。言っていることは、確かにその通りである部分もあるだろう。

最近では女性の社会進出が後押しされており、それに関する問題も噴出している。しかし著者は、「国は女性の生き方について口をはさむ前に社会環境を整えるだけで十分」とする。あとは「女の選択に任せるべき」と。その提言は、確かにその通りだろう。そしてやはり社会問題となっている孤独死も、「不幸ではない」とする。「心ない家族に看取られるよりは満ち足りているかもしれない」と言うが、言われてみればそれもそうであろう。

そんな著者は、家族否定論者かというと、そうでもないらしい。「家族というもたれ合いは好きではないが、共に暮らす相手がいるのは良かった」としているのである。女優高峰秀子とその養子になった女性編集者を例にして、「一番よく理解できる者同士が家族になる」のも良しとする。要は、家族はDNAではないということである。

日本人は血のつながりにこだわるが、何より「安心」が得られることが大事で、その「安心」とは、「何も言わないでもわかる、自分の味方になってくれる人がいる場所、自分が自分で居られる場所」だという。その根底には「愛情」があって、「黙って自分を愛してくれる者が存在しない家族は家族とは呼べない」と語る。考えてみれば、その通りであろう。

「家族とは何か」
この本を読みながらつくづく考えさせられる。
「家族とは幸せの基本単位」
そんな答えを自信を持って言えたら、なんて素晴らしいことだろうと思わざるをえない。ベストセラーになっているということは、みんな何かしらの思いを抱えているのかもしれない。自分の家族について、考えてみたくなる一冊である・・・

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2016年07月20日

【持たない幸福論】pha



第1章 働きたくない
第2章 家族を作らない
第3章 お金に縛られない
第4章 居場所の作り方

著者はちょっと変わった人物。京都大学を卒業して就職するも、「働きたくない」と言って仕事を辞め、以来最低限の生活費を稼ぎながら自由に暮らしているという。そんな人物が、自らの胸中を語った一冊。「人は働かねばならない」と基本的に考える私にとって、一瞬「とんでもない人物」と思えた。世の中、「働かざるもの食うべからず」である。だが、この方、働いていないわけではない。とりあえず先入観だけでなく、読んで判断しようと読破した次第。

気になるのは、「やはりどうやって生活しているか」だ。基本的な収入は、ネットでものを書いたりしてわずかな収入を得ているとのこと。年収百万円前後というから、まぁそのくらいは稼げるのかもしれないと思う。住まいはシェアハウスで、従って家賃は格安。贅沢をしなければ、十分やっていけるようである。肉体労働で稼いでいると、年取って体が動かなくなったらという懸念はあるが、PCに向かう仕事であれば、とりあえずその心配はないのだろう。

もともと無欲なようで、欲しいものがあるわけでもなく、家族も不要らしい。子供も「人間は遺伝子の運び屋ではない」としている。子供を育てたいというのは、有力な生き方の選択肢の一つであるが、そうでなくてもいいというのは、その通りだろう。実際、望んでいても子宝に恵まれない人もいるわけである。

「働きたくない」と聞くと、なんだか怠け者のように聞こえてならない。だが、今はかつてのように社会も「人の生き方を包括的に支えてくれる力」を失っており、人それぞれが自分にあった生き方を考えられるという。「今までの歴史の中で一番なんでもできる自由な時代」と逆に説得されてしまうところがある。それは確かにその通りであろう。この方、さすが京大出だけあって、言葉を持っている。

考えてみれば、恵まれた社会であるとはいえ、我が国は年間3万人もの自殺者を生んでいる国である。その理由は人それぞれだろうが、著者の説明する社会と自分とを肯定・否定で四つのマトリクスに分けた考え方はわかりやすい。すなわち、「社会肯定・自分否定」(やらなきゃいけない仕事はあるけど辛い)、「社会否定・自分否定」(自分はもうダメ、仕事も何もかもどうでもいい)は、その説明としてなかなかである。一方著者は、「社会否定・自分肯定」(ひたすら自分の好きなことをしているだけで楽しい)なわけで、これで生きられるなら、苦しみながら生きるより、あるいは命を絶つよりいいとも言える。

「『幸せ』とか『意味』を感じられる手がかりになりそうなものは何でもいいから利用して自分がうまく生きられる世界を作り上げればいい」という主張は、それはそれで一つの立派な考え方である。実際、著者はうまく社会と折り合いをつけている。今は「男がお金を稼いで女が家庭を守る」という生き方から外れることもそれほどハードルが高くない。それを主張する「頭の古いおっさんはほっとこう」と気楽だ。

従来の価値観については、「少しずつ改造してアップデートしていくしかない」と考えられれば、こういう生き方も楽かもしれない。事実、シェアハウスについては可能性を言及していて、例えばシングルマザーなんかと一緒にシェアハウスで暮らせれば、「子育てを手伝ったりできて面白そう」と屈託がない。それも考え方次第だ。

著者はさらに友人と熊野の山中に家を借りていて、都会と田舎を行き来する暮らしをしているという。居場所とは「安心して居られる場所」であり、「合わない人とは棲み分けをする」としている。こうした暮らしぶりからは悲壮感は伝わってこない。たださすがに将来については不安もあるとしていて、「認知症になったらキツい」し、「できれば60代前半くらいにサクッと死んでおきたい」と語る。まぁこのあたりは誰にも同じように当てはまる懸念である。

当初は、違和感・嫌悪感のイメージがあった著者の生き方だが、読んでみればまぁこれも一つの生き方だと思う。ホームレスなんかよりずっといいし、下手に心を病んで自殺なんてするよりもいいだろう。自分に合った生き方をしているなら、他人がとやかく言うことではない。一つの生き方として、真似はしないが立派だと思う。何はともあれ、本一冊書くのは並大抵ではないし、そういう意味では尊敬できるかもしれない生き方だと思うのである・・・

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2016年05月21日

【松本零士未来へ翔び立つ名言集】松本零士



第1章 勇者の歌
第2章 友の歌
第3章 愛の歌
第4章 戦場の歌
第5章 彷徨の歌
第6章 哀愁の歌
第7章 不屈の歌
第8章 真理の歌
第9章 明日ヘの歌

子供の頃、マンガが好きだった私は、様々なコミックを買い込んでいたものである。そして、その中でも最も好きだったのが、松本零士のマンガである。
『銀河鉄道999』、『宇宙海賊キャプテン・ハーロック』、『クィーン・エメラルダス』、『男おいどん』、『ミライザーバン』、『大四畳半大物語』等々数え上げればキリがないくらいである。

主人公は、大概がひ弱な少年で、ただし「強い信念を持っている」という共通項がある。少年時代の私にとっては、かっこいい二枚目ヒーローもさることながら、「男として信念を持っている」ということに強く惹かれ、そこに心地よさを発見したのかもしれない。SFのメカニックという男の子のらしい興味と合わせて、そうした共通項にファンになった理由があると思う。

最近はマンガを読む機会もなかったが、ふと手にしたこの本で、久々に松本ワールドを思いだしてしまった。この本は、私が昔夢中になった松本零士の世界を久しぶりに思い出させてくれる。
「ぼくの未来や運命は自分で決めたい!!他人に指図されたくない、そのために死んでも後悔はしないぞ!!」
『銀河鉄道999』での星野鉄郎の言葉である。自分の意思に反した行動を「仕方がない」と言って甘んじてとることは、誰が見てもいいものではない。でも実際は結構あるだろう。変に妥協することが嫌いな私の心にヒットしたのは不思議ではない。

「信念に殉じた男の生涯には後悔という言葉はない」(メーテル:『銀河鉄道999』)
「ぼくだって人からお金をただでもらうことなんて恥ずかしことだと思っていた。ほしかったら働くべきだと思ったよ・・・体が動かないならともかく、少しでも動けるなら働いて自分で稼ぐべきだと・・・他人にほどこしを受けるくらいなら死んだほうがマシだと・・・」(星野鉄郎:『銀河鉄道999』)
「最後の一瞬まで、絶対、希望を捨てないのがほんとの戦闘機乗りだ・・・その信念があってこそ、空戦に勝てるのだ!!」(『戦場マンガシリーズ:ゼロ』)

マンガだからストーリーがある。その中で登場人物たちが語る言葉は、当然ストーリーの一環である。場面場面において登場人物たちの語る言葉に、「自分もかくありたい」と思うから心に響くのだと思う。そしてそれは間違いなく、私の人格形成に大きな影響を残している。

「しあわせにしてくださいともたすけてくださいとも死んでもたのみません おいどんはおいどんのやりかたでがんばるけん、見ていてください」(大山登太:『男おいどん』)
「サナギをみにくいとあざけり笑う者はサナギから生まれでる蝶の姿を知らない」(『大純情くん』)
「どんな男でもくやしいときには泣くもんさ みんなそうだったよ そしてね いずれ一人前になるのさ はずかしいことじゃないよ」(下宿館のバーサン:『男おいどん』)

どれもこれも読んだことがあるマンガばかりで、懐かしさも蘇る。兄弟でも私の弟などはほとんど興味を示さなかったから、同じものを見ても心にヒットするかどうかは人次第で、面白いものである。ただ、私にしてみれば、こうした物語に触れられたことは影響も大きくありがたかったと思う。

この本のおまけとして、メーテルとクイーン・エメラルダスが双子の姉妹だったというのは衝撃の事実かもしれない。マンガの中にはどこにも描かれていないと思うが、一応「松本零士著」となっているから嘘ではないのであろう。松本零士のマンガは、一方で「中途半端」が多く、こうした「補足」は今更ながらに面白い。

かつて読んだマンガをもう一度読んでみたくなった一冊である・・・


posted by HH at 16:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生・哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする