2018年06月22日

【女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと】西原理恵子 読書日記932



第1章 母と娘のガチバトル
第2章 スタート地点に立つために、できること。
第3章 夢見る娘とお金のハナシ
第4章 かあさんの子育て卒業宣言
第5章 巣立ちのとき
第6章 女の子が生きていくときに、覚えていてほしい5つのこと。
終 章 女の子たちの《エクソダス》

著者は漫画家。ほとんど読んだことはないものの、「毎日かあさん」シリーズはその存在を知っている。そんな著者が、漫画論とは関係なく、タイトルの通り人生論を語ったもの。読めばわかるが、これは自分の娘に対するメッセージにもなっているようである。

著者は、高知県出身。19歳で公務員の彼氏を振りほどいて美大に入学するために上京。しかし、才能の差に美術の道を諦め、とにかく必死にエロ本の漫画を描いたりしてなりふり構わず生きてきたようである。地元にいたら、ちょっといけてる男は「やんちゃ自慢の不良」、言い換えれば「無職のバカ」という状況が嫌だったらしいが、とにかく苦労した方のようである。それが行間と、時折ずしりと響く言葉にあふれている。

1. 若さや美貌はあっという間に資産価値ゼロ。仕事のスキルや人としての優しさ、正しい経済観念などゼロになる前にやっておくべきことはたくさんある。
2. 結婚はゴールではない。相手が病気になることもリストラされることもある。つぶれない会社、病気にならない夫はこの世に存在しない。
3. 王子様を待たないで。社長の奥様になるより社長になろう。
すべての若い女性に聞かせたい言葉である。

そんな言葉は、思春期の娘や実の母親との日々のバトルから、そして自分の経験などから生まれている様子。反抗期の娘とはガチでバトルをしていると言うが、その眼差しは暖かい。血が上ったら、「5分間ルール」として、5分間別の部屋に行って冷静になるというのは自分も心がけていることである(自分は議論が加熱すると一晩おくことにしている)。

美術の道を断念した経験から、「道は1つじゃない。人生にも抜け道、けもの道がある。自分が進むべき道を曲げるプライドのない切り替えが大事」と説く。自立するために営業千本ノックと称し、イラストレーターからエロ本に転じた著者の強い生きる力が伝わってくる。「一人暮らしの家賃とそれに見合う収入が自立のバロメーター」であり、家賃を男とシェアするべからずとする。

「好きなことで生きて生きたいなら、それでちゃんとお金が稼げるようにならなくてはダメ」とお金については特にしっかり説く。「そこを具体的に考えた時に、ふわふわした夢が現実味を帯びる」とする。「(そうして得られる)自由は有料」という言葉が心に響く。さらに「(子育ての)責任も有料」と続く。

続く言葉はどれも重みがある。
1. 天下取るなら自分で取れ、糟糠の妻にはならない
2. 彼の夢を支える人ではなくて、自分の夢を叶える
3. 人に頭を下げるくらいなんだ! プライドで飯が食えるか!
4. いい子にならなくていい、いい子は幸せを人に譲っちゃうから。いい嫁になんかになっちゃダメ、いい嫁っていい女中
5. あなたが笑うとあなたの大切な人が笑う
6. 結婚か仕事かだったらどっちも取る
7. 子供の熱が出たら会社を休む、休める会社に勤めている人がいたらそれは素晴らしい白馬の王子様
8. ダイヤモンドをくれる男より、一緒にリヤカー引いてくれる男
9. しょぼい1日を2人で笑い話にできるなら怖いもんなし
10. 転んだ時の受け身の上手い人ならもう言うことなし
11. どんな時でも次の一手は自分で考えて自分が選ぶ。王子様は待たない。幸せは自分で取りに行く。

我が家にも高校生の娘がいる。常日頃、結婚がゴールという生き方はしないでほしいと考えているが、まさに我が娘に聞かせたい言葉の数々。多分、厳しい経験を積んできたのであろう。そんな経験に裏打ちされた言葉が重みを持って伝わってくる。薄い本ではあるものの、ずしりと重い一冊である・・・




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2018年06月09日

【フライト・ゲーム―高校生が自分と向き合うための18の方法】松葉 健司 読書日記929



フライトI 優先順位をつけて整理
フライトII 夢の見つけ方
フライトIII 仮の意思決定
フライトIV 変えられるもの、変えられないもの
フライトV 裏百点
フライトVI 習慣
フライトVII テーマと写真
フライトVIII 発信と受信
ファイナルフライト 「ありがとう」の反対の言葉
第1ゲーム 天秤の法則
第2ゲーム 今に集中
第3ゲーム センスとがんばり
第4ゲーム 儀式と名前
第5ゲーム 二重否定の禁止
第6ゲーム 買い物となりたい人生
第7ゲーム 火事場の馬鹿力の計算式
第8ゲーム 賢い脳をつくるには
第9ゲーム 空気中に情報は満載
ファイナルゲーム 「ありがとう」の反対の言葉

サブタイトルに「高校生が自分と向き合うための18の方法」とあるように、これは物語形式で若者に教えを授ける内容となっている。ちょうど我が家には高校生の娘がおり、何かの参考になるかもしれないと手にした一冊。

主人公は双子の姉弟実紗と颯人。ともに高校生だが、それぞれ別々の高校に通っている。実紗は美術部に入り、颯人は野球部に入部する。2人とも高校生らしく、将来に対する漠然とした不安や、現状に対するちょっとした悩みを抱えている。そんな2人にある日、メールが届く。それは10年後の未来の自分から。何でも未来では過去の自分にメールを送る技術が確立されたらしい。

細かいところは敢えて問うことなく、そのままの前提を受け入れて読み進める。実紗は10年後の自分自身(ミサ)から、そして颯人も10年後の自分自身(ハヤト)からメールを受け取り、それぞれがミサとハヤトからメールで人生指南を受けることになる。自分にも未来からのメールが来たらいいのにとつい想像してしまう。そしたら上がる株を教えてもらうのにと欲にまみれて考えてしまうが、過去へのメールでは未来の結果を教えてはいけないというルールになっていると釘を刺される。

さて、そんな未来の自分に対し、実紗は「ミサお姉ちゃん」と呼び、さっそく何を相談して良いかわからないと打ち明ける。それに対し、ミサは「優先順位をつける」方法を伝授する。悩んでいるものをとにかく片っ端からリストアップしていき問題ないものには×をつけ、悩ましいものに○をつける。これは大人でもいいかもしれない。

実紗については「フライト」と称する章になっていて、颯人のそれは「ゲーム」とされている。どうやら10年後の実紗はCAになっているらしく、颯人は野球部であるがゆえにそのように命名されているようである。そして2人に対するそれぞれの未来の自分からのアドバイスが物語に沿ってなされて行く。

将来の「夢」について、ミサは実紗に「探すものではない」と語る。小さい頃の夢は、「考えたものではなく、自然に発生したもの」として、「まずは興味・関心を持つこと」とする。「好きなことと出会い、感動を大切にする。そうすれば夢は勝手に湧いてくる」と。なるほど、これは若者に対してはいいアドバイスだと思う。若者でなくても、かもしれない。

「仮の意思決定」というのも面白い試みだと思う。仮に決めてみる。そしてその通りに動いてみる。あくまでも「仮」なので、途中で何かあれば柔軟に変更したっていい。そうすることが行動につながる。これもその通りだろう。まず登ってみる。そうすれば、今いるところでは見えない景色が見え、その次の道を見つけられるかもしれない。

最後の「ありがとうの反対言葉」もなかなか考えさせられた。内容は、やっぱり高校生向けであるが、自分だったら高校生にこんなアドバイスができるだろうかと思って読むと得るものは多い。我が家の娘にも是非読ませてみようと思う(読むかどうかわからないけど・・・)。

「過去」と「他人」は変えられない。変えられるのは「未来」と「自分」。娘にも是非知ってほしい言葉であり、是非とも読ませたい一冊である・・・





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2018年05月30日

【飲茶の「最強!」のニーチェ−幸福になる哲学−】飲茶 読書日記926



I. 哲学ってなに?
II. 人生に意味はないってホント?
III. 道徳なんて弱者のたわごと?
IV. 死にも未来にも意味はない?
V. それでも哲学を学べば生き方が変わる

変わったペンネームの著者は、哲学の入門書ばかりを10年近くにわたり書き続けてきたという哲学作家。哲学に興味はあるものの、代表的な哲学者の本を読んでは挫折してきた経緯から、入門書からやり直そうとしているが、それでもカントは難しい。ならばとニーチェに矛先を変えてみたのが、この本を手にした理由。表紙の優しげな様子に意を決してページをめくる。

ニーチェと言えば、『ツァラトゥストラはかく語りき』を読んだが、正直印象に残っていない。7年前に『超訳ニーチェの言葉』を読んだが、これはニーチェの哲学というのとはちょっと違う気がしていた。そんなイメージから始まったが、内容はアキホという女性が、先生に教えを請う展開で語られていく。それ故にか、内容はとてもわかりやすい。

まずはニーチェの哲学の位置付けから。哲学には物事の本質を考える「白哲学」と実存を考える「黒哲学」があって、ニーチェの哲学は黒哲学に当たる。黒哲学は、物事の本質についてばかり語る白哲学を批判するために生み出された反逆の学問だとする。「物事の本質について」考えることが好きな私からすると違和感がある。しかし、現実の我々は外部から押し付けられた社会的価値観である背後世界に縛られているという説明を聞いていくと、違和感はなくなっていく。「かくあるべし」という価値観にこの世の中は確かに覆われている。

そういう背後世界はただの空想であるから、現実存在(=実存)である我々はそれを自分に当てはめて落ち込んだりする必要はないとする。だからと言ってそれを否定するだけだとニヒリズムに陥って生の高揚を失ってしまう。毎日を忙しく働いて暇をつぶすだけの「末人」が増えてしまうという。そういう絶対的な価値観はいつか必ず壊れるとして、これをニーチェは有名な「神は死んだ」という言葉で表現する。

サブタイトルに「幸福になる哲学」とあるが、ニーチェの哲学がこういう内容のものだとは、遅まきながら初めて知った。永劫回帰は最強最悪なニヒリズムの世界で、これを乗り越えるにはそういう意志を持つ人間である超人になる必要がある。「今この瞬間を肯定して力強く生きよう」という主張が「力への意志」などの有名なキーワードとともに説明される。
「そうか、そうだったのか」と初めてニーチェの哲学がわかる。

著者は、実は若い頃吃音で随分と悩んだのだという。そんな悩みの日々の中、ニーチェの哲学を知り、そしてより優れたものを目指したいという力への意志を感じ取ったという。そういう背景もあるのだろうか、内容がわかりやすいだけでなく、「(自分を救ってくれた)ニーチェの哲学を伝えたい」という気持ちがヒシヒシと伝わってくる。薄いし、無知な女の子との対話形式だし、表紙は漫画だし、されど内容はとてつもなく重い。まさに「最強の」入門書である。

霧が晴れるようにニーチェの哲学が理解できたが、俄然著者にも興味を持った。これからこの人の哲学入門書を極めていきたいと思う。
「ならば、よしもう一度!」
改めて哲学を学ぼうと思わされた一冊である・・・



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2018年04月19日

【成功している人は、なぜ神社に行くのか?】八木 龍平 読書日記911



プロローグ 科学者が商売あがったり≠ノなっても伝えたい「神社の真実」
第1章 成功している人は知っていた、神社に仕組まれた秘密の力
第2章 知らなきゃもったいない!神様とご縁が深まる祈り方のルール
第3章 世界を動かす見えない仕組み
第4章 神社式コミュニケーションで仕事も人間関係もうまくいく
第5章 人生を加速させる次元上昇を起こそう
エピローグ 「神社のある日本」という人を幸せにするシステム

 著者は現在大学でインターネットマーケティングの教鞭をとっている方なのだと言う。科学者としてPh.Dの学位を持ち、しかし一方で触覚型の霊能者と称する方である。なんとも複雑である。そんな学位を持つ科学者兼霊能者である著者が、日本の神社についてその効能を語った一冊である。

 著者がこの本で一番伝えたい事は、「神社には意思のある知的生命体がいて世界に大きな影響を与えている」ということらしい。神さまとは、いわば知的な空気であり、意思と目的を持った透明な存在だとする。神社にお参りをした際、タイミングよく風が吹いてきたとすると、それは神様のサインだと著者は語る。ちょっと読むのをやめようかどうしようかと躊躇させられる。

 著者の語る内容は、どうも素直には受け入れ難いものがある。ただ、それはそれで参考になる部分も多いし、頭から否定するのもいかがかと言うところもある。例えば、お参りした際は、住所・氏名を名乗り、参拝の感謝とともにお願いをするのだと言う。お願いの後は、「はらいたまえ、きよめたまえ、かむながら まもりたまえ さきわえたまえ」という祝詞を唱えるとする。よく神様にはお願い事ではなく、感謝を伝えろと説く本やメルマガなどを目にするが、著者ははっきりと「お願いしろ」と言う。

 神さまとの交流は「スキマを作る」ことが大事だとする。あれやこれやと心を悩ませるのではなく、無心の心で対峙すれば神さまが入って来やすくなるのだと言う。そして神さまとは祈る人の祈りの集合体だとする。人が祈る事ですべてのものに神様が入りやすくなるとする。そのほか、ちょっと変わった考え方もある。

1. 年3回参拝すべし家族と、1人で、そして大切な仲間と
2. 産土神と鎮守が自分を守ってくれるネットワークの入り口
3. 物を大切にすると運が良くなる
などが説かれる。神さまとは「祈る人の祈りの集合体」でもあると著者は説く。それゆえに意識の集合体として長年愛用されてきたもの自体にも神が宿るため、物を大切にすべしと言う事らしい。

 意識の集合という意味では、ライブも集合意識であり参拝するのと同じだとする。意識の集合体である点では、法人も神社であるとする。会議室さえも神社化することができるとその方法を説く。神社化は己の体にも7つの神社があるとする。まぁなんでも主張するのは自由なわけであり、著者が信じていることを否定するつもりはないが、受け入れるのは難しい。ただ、参拝の仕方などは、そうかもしれないと思うところもあり、これからは遠慮なく願い事をしたいと思う。

 頭から否定するのではなく、受け入れられるところだけ受け入れたらいい。そんな風に捉えたい一冊である・・・




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2018年03月26日

【ありがとうの魔法】小林正観 読書日記905



第1章 「お金」が味方になる習慣
第2章 ぜんぶを受け入れる
第3章 「ありがとう」は魔法の言葉
第4章 「人間関係」に恵まれる
第5章 「病気」にならない人の習慣
第6章 「喜ばれる」存在
第7章 「子ども」を伸ばす子育て
第8章 悪口・戦う・否定をしない
第9章 「神様」が味方になる習慣

 著者は、もう故人であるが、多数の著作や講演などで主として生き方の点でいろいろと啓発をされていた方のようである。それを「ベストメッセージ集」としてまとめたのが本書であるという。実は「ベストメッセージ集」は既に2冊出ていて、これが第3弾らしい。そのベストメッセージ集のキーワードは、タイトルの「ありがとう」。40年間の研究の結果、「ありがとう」を言うだけで「神様を味方につける」ことができる(らしい)というのが、その主な主張。

 小林正観氏の説明は、下手をすると「胡散臭い」と取られても無理はない。なにせ、「ありがとうを言い続けて130万回に達したところ、病気の進行が止まった」などという話が出てくるのである。とてもではないが、素直に聞ける説明ではない。「人生は自分が生まれる前に書いたシナリオ通りに進んで行く」なんて、それなら無残に殺されたりした人はよほど下手なシナリオ書きだったのかと突っ込みたくなる。だから、そういう部分には目をつぶり、共感できる部分にスポットを当てて読まなければならない。

・幸せと不幸せは本人の捉え方次第
・不条理を受け入れる(感謝する)と幸せを感じられる
・五戒(不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句)の禁止
・人間関係も仕事も「お陰様=謙虚さ」こそが大切
・どうしたら喜んでもらえるかを考えると商売はうまくいく
・悩み、苦しみという泥水が濃いほど幸せという大輪の花が咲く
・一日中汗をかいて仕事をすれば、冷たい水の一杯でも幸せとなる
一つ一つが、「その通りだなぁ」と思わされる事が続く。こういう考え方は、本当に大事だと思う。

 特に家族についての記述には、今まで自分にはなかった視点がある。それが「家族という名の甘え」である。見知らぬ他人が朝晩食事の支度をしてくれたら、手を合わせて感謝するだろうというが、それはその通りである。家族であるがゆえに、「当然」と思って感謝もしていない(それは夫婦双方がそうであろう)。こういう「家族」という特別視がなければ、悩み・苦しみの9割はなくなるという主張も頷ける。

・尊敬という概念があれば上下関係はスムーズになる
・投げかけたものが返ってくる。投げかけないものは返ってこない
・仕事の原点は、一人一人を大切にすること、一つ一つを大事にすること
・「この子はこのままでいい」と丸ごと受け入れることが子育ての本質
・子どもに何かを伝えるときは、叱る必要はない
仕事、家庭生活、子育てと正観氏の言葉は多岐にわたる。だが、その根底に一貫して流れるのは、「ありがたい」という感情。

 正観氏は生前いろいろと人生相談もされていたようで、その悩みの98%は自分以外のことで悩んでいることだとする。しかし、他人のことなどどうすることもできず、自分にできることは「笑顔になること」「自分が太陽になること」だとする。それも丁寧に受け止めたい言葉である。「胡散臭い」部分は確かにあるが、それで大事なものを見落としたくはない。
一つ一つ、丁寧に感じたい言葉が並ぶ。自分の成長に繋がるものとして、そして常の心のあり方として受け止めたい一冊である・・・



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2018年02月23日

【『純粋理性批判』を嚙み砕く】中島義道 読書日記895



序 章 難しくて易しいカント 
第1章 アンチノミーとは何か?
第2章 宇宙論的理念
第3章 無条件者への無限背進
第4章 矛盾対当と反対対当
第5章 哲学の競技場
第6章 世界は時間的始まりを持つか?
第7章 世界は空間的に無限か?
第8章 空虚な空間・空虚な時間
第9章 世界は無限分割できるか?
第10章 世界は単純な部分から成っているか?
第11章 単子論の弁証的原理
第12章 自由は認められるか?
第13章 現象の系列における絶対的な始まり
第14章 絶対に必然的な存在者はあるか?
第15章 必然性と偶然性
終 章 易しくて難しいカント

 ここのところ少し哲学を勉強したいという気持ちが湧いてきていて、しかしいきなり哲学者の著作を読んでも理解できないことから、入門書から始めることにしたのだが、この本は『カント「純粋理性批判」入門』に次いで二冊目のカント入門編ということになる。と言っても、『カント「純粋理性批判」入門』が「入門」と言いながら実に難解でよく理解できなかったことからかなり不安を持って手にしたのが事実である。

 著者は元大学教授であり、ウィーンへの留学経験もある研究者だということである。かなりドイツ語も堪能であるという事は、端々からわかる。その著者が、「カントとはわからなさの代名詞」だと言う。現代ドイツ人にとっても「純粋理性批判」は読めたシロモノではなく、カントの同時代の哲学者たちにとっても「頭を抱えるほど難解」だったのだと言う。と言うことは、言葉も違う現代日本人が読んでも理解できるわけがない。最初からそう言ってくれるのはありがたい。正直、ここで読むのをやめようと思ったほどである。

 しかし、そんな著者が「噛み砕く」と言っているのだから、それを読んでみたいという誘惑から読み進めた次第。ただし、噛み砕くのはカントの思想すべてではなく、タイトルにある通り「純粋理性批判」。それも全部ではなく、全体の1/6を占める「純粋理性のアンチノミー」という部分だけである。と言っても厚い本であることを考えると、残りを噛み砕くと一体何冊の本になるのやらと思ってしまう。

 カントの難しさは、解説することすら難しいようで、それはとどのつまり「理性(vermunft)」という用語のわからなさに行き着くとする。とりわけ「理性の自然本性」という概念をカントはいかなる厳密な定義なく規定もなしに使っていると言う。専門に研究していなければこんなことわかりようがない。そして「カントの難しさとは、『理性の自然本性』を理解する難しさに他ならない」とまで言い切る。素人にはやっぱり無理そうである。

 しかし、「噛み砕く」としているのはやはりその通りで、例えば『カント「純粋理性批判」入門』ではよくわからなかった「カテゴリー」については、「悟性の中には純粋な思考の形式が潜んでいてそれらを一覧にしたもの」と説明してくれていてわかりやすい。そしてそれは12個に分かれていて、内容としては「量」「質」「関係」「様相」のそれぞれが3通りに区別されているもの(3×4)だとする。こういう風に解説されると、『カント「純粋理性批判」入門』ももう少し理解できたかもしれないと思う。

 そしていよいよ中心となる「アンチノミー」を噛み砕くことになるのだが、それにはまずカントも学んでいた古典論理学の知識がないとダメなようである。カントはこれを下敷きにして、独特のかなり癖のある「技法」を使っており、これを知らなければ読み解けないとする。事実、著者が解説に別の方の翻訳を利用しているが、文中でしばしばその誤訳を直していく。つまりドイツ語がわかるだけでもダメなのである。

 アンチノミーは4つあり、それぞれ
第一のアンチノミー:世界は時間的始まりを有するか/世界は空間的に無限か
第二のアンチノミー:世界は無限分割できるか
第三のアンチノミー:自由は認められるか
第四のアンチノミー:絶対的に必然的な存在者はあるか
となっている。それぞれテーゼとアンチテーゼがあって、その内容が説明される。テーゼとアンチテーゼと言われると、何か対立的なものを考えるが、その関係は「矛盾ではないが一見そう見えてしまうような対立」だとされる。ここから確かに噛み砕いてはくれているが、それでもど素人には飲み下すのが難しい。

 カントは易しくて難しいと著者は語る。「難しい」のはわざわざ言われなくてもわかる。だが、「易しい」のは理解が難しい。それが証拠に著者自ら(カントを理解するのに)手軽な方法はなく、膨大な時間(最低10年!)かかるとしている。正直言って「そこまでして」という感じがする。もっとわかりやすい解説書はないかと探すより、哲学に対する興味がまだまだ残っている間に、違う思想に触れてみる方がいいと思う。

 そんなことを教えてくれた一冊である・・・





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2018年01月30日

【禅と生きる 生活につながる思想と知恵20のレッスン】宇野全智 読書日記883



I
1. 無心とは、空っぽの状態ではない - 禅問答から
2. 道元禅師が伝える「働く」意味 - 仕事と修行
3. 張りすぎず、緩めすぎず - 坐禅と片付け
4. 「目には、見えないものを見る」という思考実験
5. 牛は水を飲んで乳を出し、蛇は水を飲んで毒を出す
6. 自分が生み出す、みずからを傷つける三つの毒
7. 話す言葉がシンプルになるとき - 非難と反省
8. 釈尊はなぜ出家したのか - 人生の四苦八苦
9. 「心頭滅却すれば火もまた涼し」は本当か
10. よい子のマネをした悪い子の話 - 「まねぶ」と「学ぶ」
II
1. 情報と人との常時接続からいったん離れてみる
2. 布施とは貪らざるなり - もらう喜びか、与える喜びか
3. 放てば手に満てり - 達磨と武帝の話
4. 正しい教えを説く師匠に、正しく学ぶために
5. 守るか守れないかは二の次でよい - 戒の意味
6. 悲しみとどう付き合うか - 同悲・同苦の思想
7. とてつもない状況に身を置く人に寄り添う - 僧侶の難問
8. 何を目標に人生を生きれば安らぐのか - 『修証義』から
9. 人は長い人生を歩いて行く - 挫折と「本来の面目」
10. 仏に会っては仏を殺せ - 人間の「強さ」の意味

 禅といえば「禅問答」と瞬間的に思い浮かぶが、もちろんそれだけではない。最近、「思想」的なものに凝っていて、その対象として禅に関する本を読んでみようと、目についたこの本を手にした次第。著者は、曹洞宗総合研究センターの専任研究員だそうである。禅の教えをわかりやすく伝えるための研究をしているらしいから、この本も当然その一環で、「日常生活で考えあぐねてしまうような問題を禅ではどう教えるか」を伝える本だという。

 禅に限らずだが、仏教には「無心」という言葉がある。著者は、それは何も感じない境地ではなく、「聞こえたこと、感じたこと、思い浮かんだことをそのままに流して行くこと」だという。「聞こえないように」と教えるのではなく、「聞こえたなぁ」と流して行くのだそうである。「お腹が空いた」と感じるのはいいが、「どこで食べようか」と発展させてはダメという例えはわかりやすいし、これなら素人でも出来そうだという気になる。

 そして禅といえば「坐禅」。坐禅を組んだ修行は厳しそうだが、坐禅を組む時に格好は必ずしも背筋をピンと伸ばす必要はなく、体が無理なくバランスが取れる姿勢が大切だという。なんだか意外である。このバランスは姿勢だけでなく、理性と感性、規律と欲望、できる・出来ないの間を行ったり来たりするバランスとしても紹介される概念。人にはいい面も悪い面もあり、職場での嫌いな同僚に対し、見ていた(嫌っていた)のは職場での一部の顔だけで、それでは「正しく(その人を)観る」ことが出きないという話は重みがある。

 そのほか、やはり考え方に考えさせられるものが多い。
1. 食べて残飯にする無礼-食べた生命に値する行いや生活ができていたか
2. 不自讃毀他戒-自慢話をし、他人を非難してはならない(他人を非難することは思い上がりの心を生む)
3. 仏教の平等はプラスの平等ではなく、マイナスの平等
4. 「ままならないこと」「苦しいこと」のつながりを断ち切ることが禅の修行の目的
5. 「布施」とは「与える喜び」
6. 禅の「与える」とは、喜べること、奪わないこと、譲ること、貪らないこと、無駄にしないこと
7. 喜捨とは、お金に対する執着をお金と一緒に捨てること

 禅といえば、厳しい戒律を守らなければならないイメージがあって、自分にはとても無理だと思っていたが、実はそうではないのだという。(戒律を)「守れるか守れないかは二の次」で良いのだという。何が正しくて何が間違っているのかという価値観の共有こそが大切という考え方は、新鮮である。

 最後に禅問答で、人生最高の晴れ舞台に上がったが、その身は不治の病に冒されている僧が、その身の不運をなんとすると問われ、「選り好みはしない、全部いただく」と答えた事例は心に残る。建物の免震構造は揺れないようにするのではなく、揺れることで地震の力を逃すことにたとえ、「揺れない心、動じない心を作るのではなく、揺れていることに気づいて感じて丁寧に味わう」としている言葉も印象的。

 禅そのものを解説した本ではないが、禅僧としての考え方がよくわかって興味深い。こんな考え方が徹底できたら、人生も深く味わえるのかもしれないと思う。禅についてはまだまだ興味は尽きない。折に触れていろいろな関連書籍に触れてみたいと思わせてくれた一冊である・・・




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2017年12月26日

【カント『純粋理性批判』入門 】黒崎 政男 読書日記873

カント『純粋理性批判』入門.jpg
序 章 すべての哲学が失敗した理由
第1章 「純粋理性批判」の建築現場
第2章 「純粋理性批判」見学ツアー
第3章 「純粋理性批判」の動揺

 基本的に哲学好きということもあって、以前からカントやヘーゲルなども読んでみたいと思っていたが、その昔チャレンジしたキルケゴールや浅田彰(『構造と力―記号論を超えて』)が難解すぎて断念した経緯がある。その結果得た結論は、「哲学とは、簡単なことを超難しく説明する学問」という考え。そんな自分に、カントは到底読めない。しかし、『勉強の哲学』で「入門書から始めよ」とあったので、諦める前にもう一度と思い、試してみることにして手にしたのがこの一冊。

 勇んで手にしたものの、結果としてはまたしても玉砕というところである。「入門書ですら難しい」という現実の前に、ただただ呆然と立ち尽くすのみである。
冒頭では、「本当に在る」とは、が語られる。犬笛は人間の耳には聞こえないが、確かに実在している。実在していても人間にはわからず、見る側の都合で世界は変わる。その中で、「本当に在る」とはどういうことか?
こういう議論は哲学的で好きである。

 これに対し、カントの「コペルニクス的展開」と言われる議論が紹介される。すなわち、従来は「モノがまず存在していて、それを人が認識する」という実在論的発想であったというが、カントはこれを「人が認識することによってモノが在る」とする。モノを見るから存在するという観念論的発想であるが、このあたりはなんとなくわかる。カントは主観が世界を成立させるとし、ただし認識の対象は物自体ではなく現象とするが、このあたりでもうすでに怪しくなってくる。ここで「現象」とは一般的な意味ではなく、カントなりの意味付けのある言葉なのであるが、そういう1つ1つが哲学を難しくしていると思う。

 著者は折に触れ、簡単に解説してくれているようなのであるが、それが既に難しい。例えば、カントの基本的立場が次のように説明される。
1. 主観が世界を成立させる
2. その世界は物自体の世界ではなくて現象の世界
3. 現象の認識は客観的だが、物自体に対する認識は主観的なものに過ぎない
言葉1つ1つの意味および表面的な言葉の意味は理解できるが、全体としての真意がわからない。「それはどういうこと?」と問いたくなる。

 カントの『純粋理性批判』は、「西洋哲学二千年の伝統を破壊した衝撃の書」、「哲学史上最大の金字塔」と称されるが、著者の優しい説明でも理解が難しい。「超越論的観念論」「超越論的分析論」「超越論的演繹論」など、「超越論的○○」とはどういうものか。説明をいくら読んでも理解できないもののあはれ・・・
 しかしながらこれで諦めるのも残念な気がする。今度はもう少し噛み砕いている内容の本を読んでみたいと思わされる一冊である・・・



『カント『純粋理性批判』入門』
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2017年12月10日

【漫画 君たちはどう生きるか】吉野源三郎 読書日記867



1. へんな経験
2. 勇ましき友 前編
3. 勇ましき友 後編
4. ニュートンのリンゴと粉ミルク
5. 貧しき友
6. ナポレオンと4人の少年
7. 雪の日の出来事 前編
8. 雪の日の出来事 後編
9. 石段の思い出
10. 凱旋
11. 春の朝

この本の元ネタは、同名タイトルでなんと80年前に出版されたものだという。それが漫画化され、話題になっているのを小学生の息子が興味を持ったことから買い与えた次第。読み終えた息子が面白かったというので、父親である自分も読んでみようと思ったのである。

登場人物は、1人の中学生とそのおじさん。時に1937年。私の父が生まれた年でもある。少年はおじさんにコペルニクスをもじって「コペル」とあだ名をつけられる。以後、友人たちからも「コペルくん」と呼ばれるようになる。コペルくんとおじさんは、しばしいろいろなことについて議論する。そしておじさんが渡してくれたノートにはその時々にコペルくんのアドバイスとなるようなことが書いてある。

ある日、おじさんに連れられて銀座に行ったコペルくんは、人間はちっぽけな分子のようなものかもしれないと気付く。物質は分子が集まって様々なものを構成する。人間も世の中という大きな流れを作る分子かもしれないと思ってみたりする。なかなか哲学的である。そんなコペルくんにおじさんは「ものの見方」ということを教える。さらにコペルくんは、学校でいじめられている友達のことについておじさんと話をする。どうすればいいのかというコペルくんの問いに、おじさんは「自分で考えるんだ」と教える。

学校でいじめられていた友達がある日学校に来なくなる。家を訪ねたコペルくんは、そこで子守や家業の手伝いをしている友達の姿を目にする。毎日お弁当に入っていた油揚げは、その商品だと知る。そこから気づきを得ていくコペルくん。まだ日本が貧しい時代、そういう風景はあちこちにあったのだろうし、コペルくんのように学びの機会を得る子も多かったのだろう。

さらに上級生たちに睨まれた友人をみんなで守ろうと約束するが、肝心な時、コペルくんは足がすくんで友人を助けることができなかった。そのことで学校を休み、後悔の念に苛まれるコペルくん。ここでもおじさんのノートがコペルくんに気づきをもたらす。こうして、コペルくんの経験を同時体験することで、読む者も気づきを得られることになる。

漫画だから子供でも読みやすいのだろう。おじさんのノートの部分はしっかりと文章で読ませるようになっているが、コペルくんの経験部分は漫画になっている。なるほど、漫画化され話題になるほどだから内容の方も80年という月日を経ても古さがない。時に人には心にしっかりと持たなければならないものがあり、そういうものがこの本には詰まっている。小学生に読んでもらうには、漫画という形式はとてもいいものかもしれない。

小学生の子供ばかりでなく、当選するためには風見鶏よろしくコロコロ主張を変える政治家にもいいかもしれないと思う。漫画だけに読みやすいからなおさらである。そして子供に読ませた後は、大人も読んで子供と感想を語り合えたらいいかもしれない。
そういう意味で、親子で読みたい一冊である・・・



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2017年11月12日

【勉強の哲学 来たるべきバカのために】千葉 雅也 読書日記856




第1章 勉強と言語−言語偏重の人になる
第2章 アイロニー、ユーモア、ナンセンス
第3章 決断ではなく、中断
第4章 勉強を有限化する技術

タイトルに惹かれて手に取った一冊だが、冒頭で著者はこの本について、「勉強が気になっているすべての人に向けて書かれている」と説明する。現代は何かあればすぐ検索でき、良い入門書が溢れていて、英語のニュースも読んでいてわからない単語があればクリックしてすぐに意味がわかるし、今日ほど勉強するのに良い時代はないとする。それを「勉強のユートピア」とするが、確かにその通りである。

この本は、最初に勉強とはこれまでの自己破壊だとし、次の章で「真理を目指すアイロニーと見方を変えるユーモア」という考え方を披露し、どのように勉強を開始するのかを説明する。それを「自分の現状をメタに観察し、自己アイロニーと自己ユーモアの発想によって現状に対する可能性を考える」と説明するが、そのままでは意味がわからない。ただし、この本を読んでいけばその意味が分かるようになっている。そして最後に「勉強とは何かの専門分野に参加すること」と教えてくれる。

哲学の本となると、とにかく「難しい」というイメージがある。簡単なことを難しく言うのが哲学というイメージがある。だが、同じ哲学の本でも著者の説明は丁寧である。そもそも我々は「環境」という「他者関係(自分以外のモノすべて)」に属している。その「環境」には「こうするもんだ」という目的(=環境のコードと呼ぶ)があって、これに順応・適応している状態(=ノリ、乗っていること)にある。勉強とはこれまでのノリから自由になる自己破壊であると定義するが、このように説明されると難しい言葉もよく理解できる。

環境から自由になり、外部へと向かうための思考スキルを著者は「アイロニー(漫才で言うツッコミ)」と「ユーモア(同ボケ)」と定義する。「アイロニー」は根拠を疑う。「本当にそうか」と。「アイロニー」は、言葉をはぎ取られた現実それ自体を目指す。ジュリエットではないが、バラはバラと言う名前がなくても甘い香りには変わりはないのである。そして「ユーモア」は見方を変える。

こういう風に考えると、哲学も面白さが伝わってくる。「環境に成約されて可能性を狭くしか考えられない状態から抜け出すために言語をもっと自由に使う=言語偏重になる。環境のノリによって即断せず、立ち止まって環境をメタに眺め、言語をアイロニー的、ユーモア的に使って別の可能性をたくさん考える」。これは賢くなることを意味するとする。著者はフランスの哲学者ドゥルーズの研究をしているというが、その考え方も取り入れているようである。

最後に勉強の仕方を教えてくれる。ネット社会とはいえ、「まともな本を読むことが勉強の基本」と説く。入門書を複数比較することが肝心で(「専門書の名前」「教科書」で検索するといいとする)、その次に教科書、そして基本書と辿るのが筋道だと言う。勉強を嫌にならずに続けるには「完璧主義」を避けることが肝要で、難しければ無理に納得しようとせず納得より構造をを分析するようにすべしと言う。どこまでが他人の考えで、どこからが自分の考えなのかはっきり区別して意識すべしとする。このあたりは参考になる。

哲学には興味はあるものの難しいのがネックになっていたが、その抵抗感が薄れた感がある。今何か勉強したいテーマがあるわけではないが、今後是非とも何か勉強してみたいと思っているので、その時の参考にしたいと思う一冊である・・・




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