2018年06月23日

【琥珀の夢 小説鳥井信治郎】伊集院静 読書日記933



上巻
第1章 鳥井家の次男坊
第2章 丁稚奉公
第3章 ハイカラ修行
下巻
第4章 寿屋洋酒店
第5章 赤玉ポートワイン
第6章 山崎蒸溜所
第7章 ジャパニーズ・ウィスキー
第8章 琥珀の夢

タイトルの「琥珀」とは、ウィスキーの色のことを指すのだろう。これは日本で初めて国産ウィスキーを発売したサントリーの創業者鳥井信治郎の物語。うまいタイトルをつけるものだと思わず唸ってしまう。

冒頭に描かれるのは、明治40年(1907年)の大阪。ここで丁稚時代の松下幸之助が、当時まだ珍しかった自転車を納品に行き、店主の鳥井信治郎と出会う姿が描かれる。鳥井信治郎没後の銅像の除幕式に、その時既に高齢で公の場から退いていた松下幸之助がわざわざ参列したというが、2人のつながりを表す心温まるエピソードである。

その鳥井信治郎は、明治11年(1878年)に大阪の船場の薬問屋で次男として誕生する。母のこまに小さい頃から付き添っていたことから、信心と陰徳を学ぶ。大阪商業学校で2年学んだ後、次男の宿命として丁稚奉公に出ることになる。出た先は同じ薬問屋の小西儀助商店。これがのちに信治郎の運命を決める。主人の小西儀助は、商売のかたわらワインやウィスキー、ビールに興味を持ち、自ら手掛けようとしていたのである。

朝早くから起き出して仕事をする丁稚生活。特に丁稚仲間で敬遠されていたのは、主人が夜な夜な行う薬の調合に付き合わされること。睡魔との戦いであり、丁稚にはきつい。しかし、信治郎は研究熱心な主人の姿に感化され積極的に付き合う。それがゆえに主人も信治郎を指名することが増える。薬の調合の他にも葡萄酒の調合(当時の日本人に本場のワインは飲みにくかったようである)も行なっており、のちに信治郎はこれを発展させることになる。

信治郎はとにかく仕事熱心で好奇心が旺盛。現代でも自ら積極的に雑用をこなす人と、言われてやむなくやる人がいるが、そのスタンスは後々に大きな差となってくる。信治郎のスタンスもまさにそれで、丁稚仲間にも信治郎と同様なチャンスはあったわけであるが、すべては日頃の仕事に対するスタンスが、かたや日本を代表する企業の創業者とその他無名の存在とに分けていくのであろう。

こうした信治郎の成長に加え、当時の日本の事情も描かれていて興味深い。日清戦争が勃発し、その勝利で多額の賠償金を獲得。日本は活況に沸いていく。主人に付き添い、初めて上京した信治郎は、当時売れていた蜂印香鼠葡萄酒の存在を知るが、売り出していたのは神谷傳兵衛。はっきりとは書かれていないが、今に残る日本最初のバーである浅草の「神谷バー」の創業者である。こうした時代背景も興味深いところである。

やがて信治郎は独立し、三方良しの精神と熱心な働きぶりで事業を拡大する。自らを「大将」と呼ばせ、社員を家族のように扱う。やはりことを成す人物というのは、大勢の人の支持を受けていくものであるが、それはこういうところに表れているのだろうと思う。赤玉、トリスなどは今にも残る商品名であり、トリスの名前の由来は、「サントリー」のそれとともにユニークである。(「トリス」は“トリイ’s”から来ており、「サントリー」は「とりい SUN(太陽)」から)

最愛の奥さんを早くに失い、事業を託すはずだった長男も亡くなってしまう。跡を継いだのは、次男で養子に出た佐治敬三。だから苗字が違うのだと読んでいて頷く。まっさんこと竹鶴政孝氏と二人三脚で日本オリジナルのウィスキーを山崎の地で創り上げる経緯は胸踊るものがある。サントリーオールドが出荷量世界一を達成したなんて知らなかったし、物語の楽しみと戦後のウィスキー事情がわかって読むのをやめられなくなる。

サントリーといえば、「ウィスキー」。ビールではキリンとアサヒの後塵を拝していたが、最近「プレミアムモルツ」が登場し、私の中ではNo. 1になっているが、ビール事業への挑戦は信治郎が息子に託した夢だったのだという。そういう背景を知ると、ビールの味もまた一味違ってくる。この本を読んでしまうと、サントリーがますます好きになってしまう(個人的にはそれでもウィスキーよりバーボンなのだが・・・)

1人の偉大な経営者とサントリーの歴史と背景での日本の歴史がミックスされて、実に面白い一冊である・・・






posted by HH at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | 小説(人物伝) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする