2019年06月28日

【情報なき国家の悲劇 大本営参謀の情報戦記】堀栄三 読書日記1044



《目次》
陸大の情報教育
大本営情報部時代
山下方面軍の情報参謀に
再び大本営情報部へ
戦後の自衛隊と情報
情報こそ最高の“戦力”

 著者は元大本営情報参謀。さらに戦後は自衛隊統幕情報室長を務めた情報のプロ。そんな著者が、戦時中の情報活動について綴った一冊。それだけでも大変興味深い。

 陸軍士官学校教官から辞令を受けて大本営の情報参謀となった著者。まず戦史教育で周りの者が様々なケーススタディで表層的な観察に走る者が多い中、「支那軍は弱い」という固定観念に気がつく。「鉄量(火力)を破るものは突撃ではなく、ただ1つ、敵に勝る鉄量のみ」と認識する。当たり前と言えば当たり前であるが、当時はそうではない。

 様々な当時の様子が紹介される中で、きちんと考えている者とそうでない者の差が光る。例えば独ソ戦では、ソ連担当の十六課がソ連軍の実情を正確に把握し、ドイツ軍が破竹の進撃をする中で冬以降の反攻を予想するが、ドイツ担当の五課は、ヒトラーや外相の発表を根拠にドイツ軍の勝利を予測している。当然、五課の声の方が大きく影響する。

 やがて著者は対米担当になり、前線に行くことになる。ここで米軍の戦法を学んで行く。アメリカが日米開戦時に日系人を強制収容したが、著者はこれを情報の観点から、「スパイ網を破壊するための防諜対策」と説明する。そんな見方があるとは思いもつかなかった。さらに台湾航空戦の大戦果に際し、帰ってきたパイロットを捕まえて戦果確認方法を問いただしていく。そしてその結果、戦果が課題報告されていることに気づく。

 今でも「大本営発表」と言えば、過大な成果発表の代名詞とされているが、これまでそれは現地からの戦果報告を大本営でわざと過大発表していたのかと思っていたが、実はそうではなかったらしい。帰還したパイロットの怪しげな報告をしっかり審査せずにそのまま大本営に報告していたのが実際のようである。それゆえに、この過大戦果を元に(敵を過少評価して)作戦を立てていたりしたらしい。意外な真実であるし、なんとなく情けなくも思える。

 立場的に一歩引いたところから全体を冷静に観察していたからかもしれないが、こういう視点が戦争指導者たちにあったら、もっと結果は違っていたかもしれない。現地の簡単な地図だけを見て安易に作戦を立案したり(地図では近距離でも実際は密林を移動しなければならないとか)、制空権を軽視し、軍の主兵は歩兵という考えから脱却できず、補給を軽視する。鉄量の差は精神力で克服できるという呪術的思考にとらわれる。

 著者は米軍の動きを観察し、思考し、フィリピンにあって米軍の作戦を次々と的中させていく。その能力を惜しまれ、山下司令から帰京を命じられる。死なすに惜しいと考えられたのも当然であろう。そして今度はサイパンのB-29の動きをコールサインから追う。何と原爆を投下した別働隊の動きも(それとは知らずに)掴んでいたという。このあたりのスリリングな動きは読み物としても面白い。

 改めて日本軍の問題点として挙げられているのも興味深い。
1. 国力の判断の誤り(アメリカの国力を過小評価)
2. 制空権の軽視
3. 組織の不統一(陸軍海軍の対立だけでなく、陸軍内でも作戦部、情報部、技術本部、航空本部等がバラバラに活動)
4. 精神主義(目隠しの剣術)

 情報機関と言うと、何やらきな臭く、現代でも共産党あたりが噛みつきそうであるが、著者は一元化された情報機関の必要性を説く。戦争をするためだけでなく、防ぐためにも賢く立ち回るためにもそうなのかもしれない。兎の武器は長い耳か早い足かというたとえが最後になされる。「兎の長くて大きな耳こそ、欠くべからざる最高の戦力」という言葉が力強く光る。

 「あやまちを繰り返さない」ためにも、省みなければならない言葉ではないかと深く思う一冊である・・・




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2010年05月01日

【自由への長い道】ネルソン・マンデラ 読書日記62

 

原題:LONG WALK TO FREEDOM
第1章 田舎の少年時代
第2章 ジョハネスバーグ
第3章 自由の戦士の誕生
第4章 闘争はわが人生
第5章 反逆罪裁判
第6章 黒はこべ
第7章 リヴォニア
第8章 ロベン島・暗黒の日々
第9章 ロベン島・希望の始まり
第10章 敵との対話
第11章 自由

反アパルトヘイトの闘士であり、元南アフリカ大統領ネルソン・マンデラの自伝である。
発表後、英米でベストセラーになったらしいが、あまり記憶にはない。
今年に入って「インビクタス/負けざるものたち」という映画を観て、無性に興味が沸き、手に取った本である。
上下巻で1,000ページ近くある本書はかなり読み応えがある。

もともとネルソン・マンデラの名前は知れ渡っており、名前こそよく知っていたがどんな人物かと問われるとほとんど知らないという有り様だった。
そういう者にとって、自伝というものは本人の考え方がよくわかるという点で優れている。
「インビクタス/負けざるものたち」という映画を観てまず思ったのは、なぜあそこまで復讐心を捨てられたのか、という点だ。

27年もの長きにわたって投獄されたにもかかわらず、出所後は一貫してすべての人種の平等を説く。白人などどうでもいいという姿勢はどこにもない。私などは基本的に「目には目を」と考えてしまうからよけい不思議だったのだ。
ところがこの本を読むと、その謎は氷解する。

黒人が差別されていた南アフリカ。
幸運にも教育を受けられて学ぶうちに、マンデラは現状を何とか変えたいと思うようになる。そしてその思いとは「すべての南アフリカ人が平等に生きる社会の実現」であり、けっして黒人の解放だけではない。南アフリカには白人と黒人の他にもインド系やカラードと呼ばれる混血系もおり、それらすべての人々の平等を訴えていく。

白人自身、黒人を差別しながらも、実はあらかじめ植えつけられていた先入観が原因だったり、自分と接するうちに考えが変わっていく白人を目にし、マンデラはアパルトヘイトという制度自体の解体を目指す。
白人への復讐心はどこにも出てこない。
そうしたスタイルの一貫性を見ていくと「目には目を」とならなかった理由がよくわかる。

それにしても南アフリカという国は不思議な国だ。
マンデラ自身は当初は弁護士として活躍する。
そして至る所で弁護士として法的に筋を立てて当局に立ち向かっていく。
裁判で、刑務所で、あらゆる場面で。
そしてそれがかなり通るのである。
黒人弁護士だからと言って白いモノでも黒といって押し切られたりはしない。
しばしマンデラの正当な主張が認められる。
差別社会とは言え、そういうところは公平なのである。

そして刑務所から27年振りに解放されても社会の混乱は続く。
味方であるはずの黒人勢力からも攻撃を受けて多数の死者が出る。
マンデラが大統領になるまで信じられないような混乱と波乱が続く。
よくぞ混乱を収拾して全国民による普通選挙実施へと漕ぎつけたものである。

戦後アフリカでは多くの新興独立国が誕生した。
しかし、支配者であった白人を追い出した国はみな混乱し治安も悪化していく。
ところが融和を説いた南アフリカはずっと安定している。
それは白人勢力をうまく社会に取り込んでいったためだと言われている。
そうした状況もよくわかる。

南アフリカのために戦い続けたマンデラ。
しかしその陰で家庭は犠牲となる。
逮捕された時にまだ幼かった娘が、成人になって会いに来るシーンでは考えてしまった。
幼い子がいきなり成人だ。
その間の思い出は何もない。
自分に果たして同じ事が出来るだろうかと問われれば、「そこまでしたくない」と答えてしまう。つくづく偉大な人物である。

マンデラの自伝ではあるが、同時に南アフリカの現代政治史でもあると言える一冊である・・・
    



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2010年04月03日

【時の風】廣岡洋子 読書日記56


時の風

時の風

  • 作者: 広岡 洋子
  • 出版社/メーカー: 明石書店
  • 発売日: 2003/07/16
  • メディア: 単行本




≪目次≫
源流
オコちゃん誕生
楽しい日々
逃避行
亡き母の引揚体験記
帰国
心の旅
母との別れ
信頼―あとがきにかえて

著者は現在スクールカウンセラーをやっている方。人に勧められるまま手にした一冊であるが、サブタイトルに「母と娘の引揚体験記」とある通り、この本は著者が幼い頃の満州からの引揚体験を綴ったものである。

当時著者は8歳。
体験記と言っても記憶が不確かな年齢だ。
しかしそこは実際に大人として経験した母親の手記で補うという形を取っている。
当時の様子を伺うには十分である。

父親は関東軍の兵士だったようである。
勤務地は当然満州。
階級ははっきりと書いてないが、様子からするとかなり高かったようである。

戦争末期の8月。
ソ連の突然の参戦で大混乱の満州。
父は覚悟を決め、4人の子供を妻に託し帰国するように手配する。
優先的に飛行機に乗れたのであるが、連れて乗れないお手伝いさんを気遣って列車を選ぶ。
平壌に着いたところで足止めをくらい、ソ連兵と北朝鮮兵に捕まり収容所へ入れられる。
このあたりは「人間の運命」の五木寛之と同じだ。

ここから逃亡できた五木寛之は親が父親だったが、著者の場合は母親。
そこが逃げられた者と最後まで逃げられなかった者との差であろう。
この収容所で著者は弟二人(一人は生まれてすぐ)を失う。
絶望的・劣悪な環境下での1年に及ぶ収容所生活。
人間とは他者に対しては残酷なものだとあらためて思う。

書かれている体験記は、しかし「一部分」という感じが強い。
正直に言って物足りない感じすらある。
そこは著者が当時8歳だったという限界と、時間の経過による忘却と、「書き表せない」という表現力の問題とがあるのかもしれない。
粗末な食事、泥水でさえ飲みたくなるほどの渇きなどは、想像力で補うのも限界があるという問題もあるだろう。

限度があるとは言え、不足する部分はやはり想像力で補うしかないが、8歳の長女を先頭に4人の子供を抱えた女性が、混乱の中大陸から引き揚げてくる苦労は並大抵の事ではなかったはず。人間は残酷であると感じたが、一方で著者たちを助けてくれた人達もいた。
歩くのが辛くて泣き出した妹。止まれば置いていかれるという中で、妹をおぶってくれた人。
著者の母親を働かせてくれ、食べ物もくれた朝鮮人夫婦。
読んでいて救われる部分である。

こんな経験をしなくて済むのは何よりであるが、こういう経験をした人達がいたと知ることもまた必要な事だとも思う。
今の自分たちがいかに幸運な時代に生きているか。
実感させてくれる本である。




posted by HH at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 自伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする