2017年06月19日

【幻庵(上) (下)】百田尚樹



第1章 鬼因徹
第2章 仙人の碁
第3章 天才少年
第4章 桶狭間
第5章 両国小町
第6章 天保の内訌
第7章 吐血の局
第8章 黒船来航

久しぶりの百田尚樹の小説。いつもいろいろな分野で小説を書かれているが、今度は囲碁の世界。囲碁はもともと中国発祥のものであるが、江戸時代の日本では中国のレベルを凌駕する発展を見せたという。その発展の舞台となった江戸時代後期が物語の舞台。それを担ったのは、「本因坊家」「井上家」「安井家」「林家」の4つの家元。当時の囲碁事情が語られる背景の話が興味深く、例によって小説を読み進むうちに囲碁に詳しくなっていく。

主人公の幻庵は、幼名は吉之助。服部家の当主で、後に「鬼因徹」と異名を取った服部因淑にその才能を見出され、弟子入りする。しかし、この小説の変わったところは、主人公を中心に追って行くのではないところ。前半は、吉之助が弟子入りすると、あとは当時の囲碁界の状況説明が続く。本因坊家では、碁界中興の祖と言われた名人察元が出て、その後烈元、元丈と続く。元丈には安井家の知得というライバルがいる。この2人はそれぞれ名人となるべき腕前を有していたが、名人になれるのは1人だけであったため、2人とも名人になれずに終わる。

本因坊家は元丈の跡目候補として智策という名手がいたが、病に倒れその地位を丈和に譲る。丈和は典型的な大器晩成型。智策亡き後の本因坊家で、跡目候補がいなくなったにもかかわらず、当主の元丈は丈和に対する不安感からなかなか跡目に指名しない。そして丈和は、後に幻庵となる因徹との数々の勝負を経て、ようやく跡目に指名される。しかし、そこから実力を発揮し、囲碁界最高峰の名人位を目指す因徹の前に大きな壁として立ちはだかる。この2人の対決が、物語の主軸となる。

囲碁の歴史を学びつつ、当時の実力者たちの対決が語られて行く。当時の棋譜はかなり残されているようで、その戦いぶりは現代でも「観戦」できる。それが碁の面白いところなのかもしれない。そしてそれに現代の囲碁界のプロの解説が加わったりするので、素人にもなんとなくの雰囲気はわかる。盤面の戦いは、「ハネる」「ツケる」「ノビる」「スベリ」など専門用語がならび、素人には何が何だかわからない。実際の碁面も載せられているが、もちろんそれを見ても何が何だかわからない。ただ、その迫力だけは伝わってくる。

当時の実力者たちの腕前は、現代でもすごいそうである。本因坊道策などは、今でも「史上最強の棋士」と現代の実力No.1の方も語るほどである。しかし、現代と当時とでは、「時間制限」という違いがあるという。現代は持ち時間が決まっていて、その制限内で打たないといけないが、当時は無制限。長考となれば1日では終わらず、「打ち掛け」が宣言されると翌日以降に持ち越されたらしい。この小説でも、何日にもわたる対局が描かれている。

当時の名人は、比類なき実力を持っているとみんなが認めてなれたという。したがって、四家のうち、1つでも反対があれば名人にはなれない。しかし、そういう異議に対し、実力で認めさせるという「争碁」の制度もあり、それがこの物語でも出てきて、ストーリーを盛り上げる。時代は外国船が来航する騒乱期、名人の座を目指す幻庵の戦い。実在の人物なだけに、ググれば物語の結末もわかる。ついついそういう誘惑に耐えながら読み進めて行く。

それにしても、著者がなぜ幻庵を主人公にしたのかはとても興味深い。他にも主人公になりそうな人物がゴロゴロいるのである。幻庵では不満というわけではないし、この小説も面白かったのではあるが、是非とも聞いてみたいところである。
小説以外の政治的なところで注目を浴びる著者であるが、小説はやっぱり面白い。これはこれで書き続けて行って欲しいと心から思う。

早く次が読みたい。またもそう思わせてくれる一冊である・・・




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2017年02月14日

【雑談力】百田尚樹



第1章 人を引き付ける話をする技術
第2章 その気になれば、誰でも雑談上手になれる
第3章 こんな話に人は夢中になる
第4章 親友とする真面目な話

百田尚樹は、ツイッター等での発言を目にしているが、その政治的言動もさることながら、関西人ならではのユーモアに満ちていて面白いと常々感じていた。実際に話をさせるとさらに面白いらしく、その「面白い話をする秘訣のようなものを本にしてくれ」と言われて書いたのが本書であるという。百田尚樹は、小説が面白いのだが、小説以外の本となると『大放言』以来である。

ご本人は、小説家でありながら書くことよりも喋る方が100倍も好きなのだそうである。「起承転結を考えて、なおかつ盛り上げにも留意して最後のオチも決める、これを即興でやるのがトーク」と簡単に説明するが、一般人には言うが易しである。しかし、素人でも参考になりそうな説明がちゃんと続く。

まずは「つかみ」が大事とのこと。これは小説を書く場合にもすごく気を付けていて、「極端な話、最初の1ページから面白いシーンがないと気に入らない」と語る。
『しかしあのゼロだけは忘れない。悪魔のようなゼロだった。』(『永遠の0』)
『磯貝彦四郎殿は亡くなっておられました。』(『影法師』)
確かに、最初の1ページからこちらも引き込まれてしまっている。

「質問から入る」と言うのも良いと言う。『惑星って、どうして惑星って名前が付けられているのか知ってる?』と聞かれれば、確かに惹きつけられる。「常識を揺さぶるような話から入る」のも良しとする。『人工衛星というのは、永遠に落ち続けている』と言われれば、「えっ!?」となる。そして面白い話にはストーリーがあるというのも納得。無味乾燥な歴史の年号も、それにストーリーが加われば俄然生き生きとしたものになってくる。

面白い話をする秘訣は何よりインプットが大事。話の急所を理解し、本や新聞を読む時も、テレビを見る時も、人の話を聞く時も、「面白いと思えばそれを覚える」という気持ちを持つことが大事らしい。そんな著者なりのアドバイスが続いていくが、なるほどと思うところがある。
・失敗談ほど面白いものはない
・相手ではなく、自分が関心を持つ話題を探せ
・自分の感性に自信を持て(自分ならどんな時に感動し、笑い、びっくりするのか)
・ネタをどう仕込むか(話を聞く時にただ一方的に聞き役になるのではなく、積極的な聞き役になる)
・話し方が上手くなるコツはとにかく実践あるのみ

特に、「話し上手は聞き上手」という部分に興味を持つ。これは確かにそうかもしれない。そしてとっておきの練習法として、映画や小説の話をするのだとか。話題としてはそれ以外でも、個人的な思い出でも普遍性を持たせればOKだという。それにしても野口英世が、現在は世界的には評価されていない研究者だという話は驚きでもあったが、こういうネタもかなり含まれている。

最後に「親友とする真面目な話」として、南京大虐殺や慰安婦問題、靖国問題などの話題が取り上げられる。このあたり、『大放言』の続きとも言える。
話題もそうであるが、やはり一番大切なのは「人を楽しませたいという気持ち」なのだというところに強く共感した。それが何よりなのだろう。そして百田尚樹は、その気持ちが人一倍高いのだろうと思う。
この本を読んだからといって、すぐに話が上手くなれるわけではないが、「人を楽しませたいという気持ち」だけは、常に持っていたいと思うところである。

面白い小説が書けるというのは、やはりそれだけには止まらないのだと改めて思わされる。小説もいいが、それ以外の分野の本も読んでいきたいと思わされる一冊である・・・




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2016年05月15日

【カエルの楽園】百田尚樹



百田尚樹の作品は、どれもこれも面白く、発売されたものはほとんど読んでいる。そんな百田尚樹は、実は政治的な発言も多く、最近はツイッターなどでそちらの方が目につくようになっている。もちろん、批判者も数多い。そんな政治的な意見がついに書籍化されたのが、『大放言』であった。そしてまた小説の世界に戻るのかと思ったら、今度はその政治的なメッセージを小説の世界に持ち込んでしまった。それがこの一冊。

タイトルにあるように、物語はカエルの世界。子供向けの感があるが、百田尚樹には『風の中のマリア』という実績もあり、大人でも十二分に耐えうる。そんなわけで抵抗感なくカエルの世界に入っていける。もっとも読み終えてみると、カエルの世界にしたのは秀逸だと感じるところがある。このあたりは流石である。

主人公は、アマガエルのソクラテス。ある春の日、平和に暮らしていたソクラテスたちアマガエルの世界に凶悪なダルマガエルの群れがやってくる。凶悪なダルマガエルによって仲間たちが次々に食べられていき、ソクラテスは60匹の仲間たちとともに安住の地を求めて旅に出る。しかし世界はどこも危険で過酷であり、ようやくツチガエルの世界ナパージュに着いた時、ソクラテスの仲間はロベルトだけになっていた。

それでもナパージュは平和で安全であり、この世の楽園にも思われる。外の危険な世界とのあまりに対照的なその世界。そこでは「カエルを信じろ」「カエルと争うな」「争うための力を持つな」という「三戒」があり、それで平和が守られていると教えられる。その平和な精神に心酔するロベルトと、どうしても疑問を禁じえないソクラテス。2匹はナパージュを隅々まで探索し、その姿を知るようになる。

ナパージュの外には、やはり危険なウシガエルの住む世界がある。しかし、ナパージュには実は鷲のスチームボートが住んでいて、睨みを利かせている。ウシガエルたちはそれ故にナパージュに近寄らないのであるが、ナパージュの住民は「三戒」のおかげだと信じている。もちろん、「三戒」の精神は大事だとしつつも、現実論を説くグループはいるが、「三戒」を信じる者たちとは徹底して意見が合わない。やがてスチームボートも高齢により力が衰え、相互に守り合うことを提案してくるが、「三戒」絶対派のカエルたちは猛反対する。そんな中、とうとうウシガエルたちが南の崖に登ってくる・・・

平和なナパージュが我が国のことであり、スチームボートがアメリカ、ウシガエルが中国、ナパージュのカエルたちが信じる「三戒」が憲法第9条と置き換えれば、現在の我が国が置かれている状況そのものだということがよくわかる。昨年の安保法案改正をめぐる動きもそのままであるし、SEALSを意識したと思われるフラワーズというグループも登場する。自分たちの祖先が犯したとされる残虐な罪を反省し、「三戒」を守っていれば平和が保たれると信じている。ハンニバルという名の体の大きなカエルは、自衛隊に当たる。「三戒」派に疎まれながらひそかにウシガエルの侵略を阻んでいるが、「三戒」派はその動きを封じようと躍起になる。

そんなナパージュに対し、第三者であるソクラテスは冷静なる第三者の目で眺めている。「三戒」派の主張と行動がいかにおかしいかとわかるのだが、当事者たちにその意識はない。やがてスチームボートがナパージュを去って行き、追い出した「三戒」派は高らかに勝利宣言する。そしてそれと同時に、南の崖にウシガエルが集まってくる・・・

今まで平和が保たれてきたのは「三戒」を守ってきたからだと疑わないカエルたち。スチームボートが去った後のナパージュには、予想通りの事態が訪れる。だが、怖いのはむしろ「三戒」派たちの行動である。ただひたすらに、どんな事態になっても信念を曲げない。巷でよく言われる「ゆでガエル」たちの姿がそこにある。そしてそれは、現実の護憲派の人たちの姿に他ならないのかもしれない。

読み終えて、くだらない寓話だとバカにする気にはなれなかった。あまりにもリアリティに富んでいるからである。しかし、ではナパージュのカエルたちはどうすればよかったのか。「三戒」を破棄する道を選べば正解だったかというと、果たしてそれもどうだろうかと思わざるをえない。「どちらが良いか」ではなく、「どちらがマシか」という世界であろう。我が国はどのような未来を選ぶべきなのか。ひょっとしたらそこには「どちらが良いか」という選択肢はないのかもしれない。ナパージュに起きたような事態が起こればなおさらである。そんな未来が来ないことを祈りつつ、一方では選択肢についてよく考えておきたいものである。

政治的なメッセージを含めた物語の世界。次はもう少し心穏やかに読める物語を綴って欲しいと願わざるをえない一冊である・・・


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2016年04月07日

【大放言】百田直樹



第1章 現代の若きバカものたちへ
第2章 暴言の中にも真実あり
第3章 これはいったい何だ?
第4章 我が炎上史

百田尚樹に関しては、『永遠の0』以来魅了されほとんどの著作を読んでいるが、一歩小説の世界を離れると、たびたびその発言で物議を醸していて、面白おかしく感じながらツイッターなどでフォローしている。
今回はこれまでの小説とは異なり、その物議を醸す発言をまとめた一冊である。

まずは「まえがき」で、「言葉狩りの時代」ということに警鐘を鳴らしている。
マスコミなどが、ある人の発言の一部分を切り取って報じることの危うさを、「私は寝てないんだよ」という一時批判を浴びた発言を例に解説する。
「言葉の自由を失った国は滅びる。皆が一斉に同じことを言い、一斉に誰かを攻撃する時代も同様だ」という言葉は重い。冒頭から著者の炎上覚悟の宣戦布告として、実に心地よい。

第1章では、「現代の若きバカものたちへ」と題して、若者への警告を発する。
・「やればできる」は「やればできた」者の言葉
・自分は誤解されているというバカ
・他人の目は正しい
野村監督もその著書(『野村ノート』)の中で、「評価は人が下した評価こそ正しい」と語っているが、人生経験を積んでくるとその言葉も自然と受け入れられるようになる。
さらに著者は、「プラスの評価は実体とズレることもあるが、マイナス評価はズレが非常に小さい」とする。
これもそうだろうと、私の年齢になれば素直に同意できる。

・ブログで食べたモノを書くバカ
・好きな仕事が見つからないバカ
・尊敬する人は両親と言うバカ
・なんでもコスパで考えるバカ

すべてについて「大同意」というわけではないが、一つの意見としてなるほどと思うところは多い。それよりも、なんとなく今の若者に対する著者の意見に違和感を覚えたのは、実は自分自身今の若者とあまり接点がなく、実感がわかないということからなのだった。少々愕然とした事実である。

地方議員がその仕事とは裏腹に多額の議員報酬をもらっているという事実は、もっと声を出して世の中に知らしむるべきだろう。
原爆慰霊碑の碑文への苦言は、もしもNY市が9.11テロの犠牲者に同様の碑文を書いたらいかに異様かという喩えでわかりやすく説明している。多分、反百田派の人が読んだら納得はしないだろう。

「日本は韓国に謝罪せよ」という部分は、「劣等文字とされているハングルを文盲率90%以上の国民に小学校から教えて教育を破壊した」、「朝鮮にもともとあった禿山に六億本も植樹して自然を破壊した」などと「日本の罪」を挙げて謝罪すべきと提言している。これらは証拠のない従軍慰安婦問題と違って、「はっきりとした証拠が残っている」と主張する。これも顔をしかめられるだろう。

・殺人の量刑が軽すぎる
・図書館には新刊を1年は入れるべきではない
・セクハラのおかしな基準
・チャリティ番組への苦言
・昔から比べればはるかに改善されている社会の格差
・テレビドラマで殺人犯が「シートベルトを締めて」逃走せざるを得ない道路交通法
などなど、言われるまでは気が付かなかったこともあって、なかなか小気味好い。

最後にマスコミに対する苦言が、「我が炎上史」として語られるが、ここの指摘は個人的にも「大同感」である。日本のマスコミの酷さを理解している者なら、大いに共感するだろう。
過去に著者が猛批判を浴びた事実を著者側から明かしてくれている。
反百田派からすれば、「何を戯言を」となるのであろうが、マスコミを斜に見ている立場としては、「やっぱりな」と思う舞台裏である。

反百田派以外の人には、なるほどと思ったり、小気味好く感じる「暴言」が並ぶ。
抵抗感のない人には面白く感じるだろう。だが、世の中は一方からの意見だけでもないのもまた事実。「百田め」と快く思わない人もいるんだろうなと思ってしまう。
こういう本もまた良し。

でもやっぱり百田尚樹には、本業の小説で頑張ってもらいたいと強く思うのである・・・

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2015年01月12日

【フォルトゥナの瞳】百田尚樹



百田尚樹の久しぶりの新刊。
毎回違う分野の本を書くと言っている著者だが、これはどちらかと言えば「不思議系」とでも分類されそうな物語である。

主人公は木山慎一郎という一人の男。
幼い頃、両親と妹を亡くし、今は天涯孤独な身。
自動車のコーティング工場で働いている。
主として高級車を対象とするこのコーティング、実は初めてその存在を知った。
もっとも、純国産のファミリーカーが愛車という身では、それも当然だと思う。

真面目な性格で、仕事熱心。
それゆえに社長にも目をかけられている。
ただ、苦労して育ってきたため女性との接点はなく、当然彼女もいないし女性に積極的にアプローチするタイプでもない。
そんな木山が、ある日電車の中で吊革を握る男の手が透けて見える事に気がつく。

何が起こったのかはわからない。
周りの人は平然としていて、どうやら透けて見えるのは自分だけらしい。
そしてさらにその後、体全体が透けて見える男を見かける。
思わず後をつけるが、その透明な男は木山の目の前で事故死する。
そんな経験を重ね、どうやら自分には人間が死ぬ前兆が、体が透明に見えるという形でわかるのだと気がつく・・・

こうして今回は、そんな不思議な“目”を持った男の物語が描かれる。
タイトルの「フォルトゥナ」とはローマ神話に出てくる運命の女神だとのこと。
人間の運命が見えるとされていて、そこから人間の死を見ることのできる目を持ってしまった主人公をたとえているのである。
普通の人にはない能力を持っているという事は、羨ましいことのように思える。
しかし、この物語の主人公木山慎一郎が持つ「フォルトゥナの目」はどうだろうか。

読み進むうちに、結末は何となく想像できてしまった。
それでも、エピローグでの百田尚樹らしい味付けはきちんと残されていたところはさすがである。
野球にたとえれば3塁打といえる作品だろうか。
十分だと思う反面、ホームランバッターにはホームランを打って欲しかったと思うところである・・・

 
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2013年05月14日

【夢を売る男】百田尚樹



1 太宰の再来
2 チャンスを掴む男
3 賢いママ
4 トラブル・バスター
5 小説家の世界
6 ライバル出現
7 戦争
8 怒れる男
9 脚光
10 カモ

百田尚樹のまた新しい一冊。
出るたびに新しいジャンルに挑戦するかのようであるが、今回の舞台は出版社。
主人公はその出版社丸栄社の編集長牛河原勘治。
丸栄社は出版社ながら、ちょっと変わった作家を相手に、変わった出版方法で商売している。

作家はいずれも無名の人々。
新人賞に応募してきたようなそんな人々をおだてあげ、丸栄社自慢の「ジョイント・プレス方式」で出版させる。
売れるのか、という心配は無用。
出版費用は著者持ちであるため、丸栄社はこの費用だけでペイしている。
自費出版ではないのかと思うも、自費出版と「ジョイント・プレス方式」との違いは、牛河原編集長が言葉巧みに説明してくれる。

「本を出したい」という欲望は、多かれ少なかれ誰もが抱いている。
そんな欲望を巧みに絡め取り、商売に活かす。
詐欺じゃないかと思うも、本を出版した人はみんな満足。
痛快小説と言って良いのだろうかと、迷いつつページをめくる。

百田尚樹の本を読むと、どの本もその分野のちょっとした専門家になってしまう。
この本でも、不況と言われる出版業界の状況が手に取るようにわかるようになる。
新人賞の狙いや仕組み。
作家と編集者の関係。
楽しみながら業界事情がわかってしまうのは、この本も同じである。

「作家」をうまくあしらい、部下のコントロールをし、ライバルが出現すれば蹴落とし、時に名の売れた作家でさえ、手玉に取る。
牛河原編集長は、やり手ながらとても好きになれそうにない人物である事も確か。
比較的薄い本だし、最後にどんなオチを見せてくれるのかと思っていたら、さすが百田尚樹。
見事なエンディング。
牛河原編集長の編集長としての矜持は見事。
ちょっとウルウルしてしまった。

それにしても、よくこれだけのストーリーが紡ぎ出せるものだと毎回感心させられる。
こんな大作家には、ジョイント・プレス方式はもろん不要。
ますます目が離せない作家である・・・

     
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2012年12月22日

【海賊とよばれた男】百田尚樹



第1章 朱夏
第2章 青春
第3章 白秋
第4章 玄冬

個人的に、今最もお気に入りの作家の一人である百田尚樹の最新刊。
出光興産の創業者である出光佐三をモデルとした男の一代記である。
実在の人物の自伝小説という意味では、ファイティング原田を主人公とした 「リング」があったが、今度は経済界の人物。
出光佐三という人の事は、これまでまったく知らなかったが、それが非常に残念に思われる。

物語は終戦直後から始る。
すでに還暦を迎えていた国岡鐡造は、焦土となった国を今一度建てなおすという決意の下、奇跡的に空襲から焼け残った自らの会社国岡商店の本社に戻る。
そして、社員を前にして号令をかける。

「愚痴をやめよ。戦争に負けたからといって、大国民の誇りを失ってはならない。すべてを失おうとも、日本人がいるかぎり、この国は必ずや再び立ち上がる日が来る。ただちに建設にかかれ。日本は必ずや再び立ち上がる。世界は再び驚倒するであろう。しかし、その道は死に勝る苦しみと覚悟せよ」

一言で言えば信念に貫かれた男の物語。
日本に初めて内閣が設立した明治18年に生まれる。
神戸高商(現神戸大学)を卒業し、卒業生の多くが進む大企業には背を向け、小さな商店に就職する。
そしてそこで石油の存在を知る。

信念に基づく行動は、敵も作るが味方も作る。
やがて知り合った日田重太郎から出資を受け独立する。
日田は持っていた不動産を売り払ったお金を無償で鐡造に提供する。
こういう人物もそういるものではない。
その意気に感じ、鐡造は猛烈に働く。

鐡造の前には既得権者が次から次へと立ち塞がる。
商売であればライバルの存在はやむを得ないが、集団となると分が悪い。
しかし鐡造は知恵を振り絞り、歯を食いしばってこの壁を突破していく。
その様は実に痛快。

終戦直後の号令の後も、次から次へと壁が立ちふさがる。
「一人も馘首はしない」と宣言し、仕事のない中1,000人の社員を抱えてスタート。
財産を切り売りして糊口を凌ぐ。
わずかなチャンスにすがりつき、自社の事ではなく、日本のためという信念から行動する。
そんな行動は、アメリカの石油メジャーや、国内の業界団体の不興を買う事になる。

次から次へと襲いかかる危機を信念で突破していく様は実に痛快。
そして危機の都度、そんな信念の男に共感して手を差し伸べてくる者が現れる。
「社員は家族」と宣言し、それを行動で貫く。
社員もそれに応え、獅子奮迅の活躍をする。
出勤簿もなければ労働組合もないが、しかし労働争議などは起こらない。

鐡造の奮闘の歴史は、日本の石油の歴史。
物語を読み進めるうちに、日本の石油の歴史も自然と頭に入ってくる。
鐡造と国岡商店以外は概ね実名で登場してくるようであるから、そういう意味でも歴史教科書的である。
特に第二次大戦と石油の関係、そして今に至るまで石油が世界に及ぼす影響がよくわかる。

鐡造の信念の行動を読みながら、しばしば胸が熱くなる。
こういう人物ばかりだったら、日本は世界一の国になり、世界から深い尊敬を集められていただろうと思えてならない。
しかしながらこんな傑出した人物を待望しているばかりではいけない。
自分だったら、どうするべきだろうと考えてみたい。
大きな事はできなくても、信念ある行動は小さなことでもできるはず。
そんな事を考えてみた。

今もメインでガソリンを入れている出光。
これからもそうしようと改めて思った・・・
    
     
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2012年09月15日

【プリズム】百田尚樹



百田尚樹の本は出版されれば一も二もなく読む事にしているが、これはその新刊の一つ。
主人公はある金持ちの家に家庭教師として雇われた主婦梅田聡子。
出版社に勤める夫と結婚して、不妊治療の傍ら気分転換を兼ねてのアルバイト。
採用されて通う事になった岩本家。
その豪邸の庭で、一人の男と出会う・・・

こうして出会ったのが、もう一人の主人公とも呼ぶべき男。
しかし、彼には村田卓也、岩本広志、宮本純也、タケシ、セイイチ、ヒロコという名前と、そしてそれぞれの異なる性格を持っていた。
いわゆる多重人格というやつである。

今度のテーマはそういうわけで、「多重人格」。
映画などでしかお目にかかった事はないが、実際はどうなんだろう。
そう言えば昔、「『24人のビリー・ミリガン 』ダニエル・キイス著」という本を読んだ事がある。
精神世界に疎い私としては、少々理解しにくいところがある。
しかし、読み進むうちに詳しくなってしまうのが、百田尚樹。
この本もまたそうである。

戸惑いながらも卓也に惹かれていく聡子。
しかし、卓也はいつも変わらず卓也でいるわけではなく、人格はころころと変わり、そして人格が変わるとともに、まったく別人と化してしまう。
そして変わるのは性格だけではなく、基礎代謝や薬物反応や運動能力その他の医学的テストでも違いが出るのだと言う。

そうした複雑な相手と付き合いが進んでいく聡子。
レベル的には、百田尚樹トップ3( 「永遠の0」 「影法師」 「BOX!」)までにはいかないが、そこそこ楽しめると言ったところだろうか。

毎回違うジャンルで楽しませてくれるという部分では衰えがない。
タイトルは光を屈折させるプリズムから取っている。
様々な人格を内面に抱え込んだ多重人格の男を、光をあてると角度によって違う色に見えるプリズムに喩えるのはなかなかの妙である。
百田尚樹ファンなら読んでおいても損はない一冊である・・・
    
     
      
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2012年03月17日

【幸福な生活】百田尚樹



「永遠の0」ですっかりハマってしまった百田尚樹の短編集である。
表題作を含めて全18作品で構成されている。

面白いのはすべての作品が同じパターンで構成されているという事。
最後のページをめくるとそこに1行だけ1文が書かれている。
それが物語のオチなのであるが、「幸福な生活」(最後のストーリーでもある)というタイトルとは裏腹に、出てくる話はすべてブラックユーモアで包まれている。

傍で読んでいる分にはもちろん面白い。
だがもしも自分の事だったら、と考えると背筋が寒くなる。
どれもこれも、みんなそんな話である。
(1作だけ例外があって、これは途中暗くさせておいて逆に最後に明るく笑わせてくれる)

短編だから短い話の中で、うまく起承転結をつけて、最後にオチをつけている。
うまいなぁとこの構成には感心してしまう。
ストーリーも前半にさり気なく触れた話題を、最後にオチと絡めている。

例えば最初の話である「母の記憶」。
痴呆症の母を尋ねる息子。
女手一つで育ててくれた母。
その象徴的なエピソードが庭に作った池。
父親が家を出て行くきっかけとなった事が、その池を作ってくれと息子がねだった事だった。
昔のエピソードを思い出しながら、痴呆症の母が最後に語った一言。
それまでのエピソードがすべてつながり、その池に絡んで背筋の冷たくなる事実が浮かび上がるのである。

百田尚樹の描きだす小説は実に変化に富んでいる。
これまで長編が多かったが、今回は短編という形式。
内容の面白さは変わりない。
そんな変化球の数々は本当に楽しませてくれる。
次回作も是非期待したいと思う・・・


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2011年03月18日

【錨を上げよ】百田尚樹


すっかりファンになってしまった百田尚樹の最新刊である。
百田尚樹はこれまでにもいろいろなテーマで本を書いている。
主人公も太平洋戦争のパイロット、オオスズメバチ、アマチュア高校ボクサー、武士・・・
そして今回は破天荒な主人公を登場させ、これまでとはまた違った雰囲気の物語となっている。

「錨を上げよ」とタイトルにあるが、物語は主人公作田又三の生まれてから31歳までの人生を船旅に譬えて進んでいく。
又三が生まれたのは昭和30年。
つまりこの物語の時代背景は、昭和30年からバブルに突入する昭和61年までとなる。
なぜ現代ではなく、少し前のこの時代なのか。
もしかしたら、著者自身が自分の若き日の時代を追体験しているのかもしれないと思う。

又三というちょっと古風な名前のこの男は、ちっとも枠に当てはまらない。
小学生の頃からいわゆる悪たれで、教師や親の手を焼かせる存在。
本人は根っからの悪人というわけでもなく、ある意味無邪気なのであるが、枠にはめられようとすることに、本能的な抵抗感を示すところがある。
坊主頭が決まり事なのに、夏休み明けに面倒くさくて伸ばしたまま登校。
すぐに教師に怒鳴られるが、頭ごなしに言われると逆にカチンときて翌日もそのまま登校し、教師はおろかクラスの友人たちとも対立する、といった具合だ。

小学校からこんな調子だから、中学・高校もそんな調子。
勉強もせずに、かと言って道を誤ってヤクザの世界になんて事もない。
時折見せる魅力的な面が、ストーリーに幅を持たせる。
そして女性との関係も様々に織りなされる。
いったい、どこに向かっていくのか皆目見当もつかない又三の人生。
本人もわからないのだから当然と言える。

破天荒でとても真似のできない生き方。
いつか破滅しそうで、それでも要所で何かに導かれるようにまともに進んでいく。
上下巻で1200ページにも及ぶ長編であるが、そこに凝縮された又三の人生は読みごたえ十分。
なんとなく今までの本と違い、文学チックな雰囲気もある。
やっぱりある程度著者の人生と重なっているのかもしれない。

32歳から又三がどんな人生を歩んでいくのかは、それぞれが想像するしかない。
いつか続きを読んでみたいと思わせられる一冊である・・・


錨を上げよ(上) (100周年書き下ろし) [単行本] / 百田 尚樹 (著); 講談社 (刊)

錨を上げよ(下) (100周年書き下ろし) [単行本] / 百田 尚樹 (著); 講談社 (刊)
posted by HH at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 百田尚樹 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする