2019年02月27日

【日本国紀】百田 尚樹 読書日記1001



第1章 古代〜大和政権誕生
第2章 飛鳥時代〜平城京
第3章 平安時代
第4章 鎌倉幕府〜応仁の乱
第5章 戦国時代
第6章 江戸時代
第7章 幕末〜明治維新
第8章 明治の夜明け
第9章 世界に打って出る日本
第10章 大正から昭和へ
第11章 大東亜戦争
第12章 敗戦と占領
第13章 日本の復興
終 章 平成

 百田直樹と言えば、今や純粋小説分野と政治的分野とに著書は分かれている。この本は、後者に分類されうる一冊である。純粋に歴史の本なのではと思わなくもないが、江戸時代までで全体の半分であり、幕末から現代までの150年ほどが後半半分の分量を占めていることから、その「言わんとしているところ」は明らかである。背後に一貫して流れているのは、祖先から受け継いだ我が国の良さを中国・韓国の歴史の歪曲に惑わされずしっかり認識しようというところだろう。

 日本ほど素晴らしい歴史を持っている国は他にないと著者は語る。神話とともに成立し、以来2,000年近く1つの国が続いた例は世界のどこにもないとする。このあたりは地理的な要因も大きいと思うが、その通りかもしれない。歴史としては何か大きな発見があるわけでもないが、随所にこれまで意識しなかった、あるいは知らなかった事項があって興味深い。

 1. 平安時代に『源氏物語』など女性によって書物が記されたが、日本以外では女性が書物を記すのは近代になってから(イスラム圏では今もできないところがある)
 2. フランシスコ・ザビエルは、当時の日本人について「これまで会った国民の中でもっとも盗みを嫌う」と記している
 3. キリスト教宣教師たちは、布教にあたり禅宗の僧たちの鋭い知性(質問)に戸惑った
 4. 江戸時代の治安は良く、京都から江戸まで女性が1人で旅行できた
等、学校の教科書にはここまでは書かれていない。

また技術面においても、
 1. 鉄砲伝来では、当時の日本人がヨーロッパの鉄砲と火薬の技術をたちどころに吸収し、量産化に成功したこと。それにより戦国時代は鉄砲保有数は世界有数(おそらく世界一)だった
 2. 秀吉の朝鮮出兵(慶長の役)では、日本軍は明軍を圧倒。巷の言説と異なり、露梁海戦でも明・朝鮮軍を破っている。
 3. 幕末、反射炉を見よう見まねで独自に造り、アームストロング砲を完成させている
 4. 同様に蒸気船も佐賀藩、宇和島藩、薩摩藩で本と図面だけで完成させている。アジア、アフリカの国も同様の状況にあったが、完成させている国はない。
戦後、世界最貧国に転落した状態から20年も経たずにオリンピックを誘致できるまでに奇跡の復興を遂げた我が国の資質がすでに現れている。

 明治末期になると、著者の鼻息も荒くなる。韓国併合については、当初国内には「朝鮮人を日本人にすると日本人の劣化につながる」と反対論が強くメリットもなかった。列強に併合を打診しても反対はなく、それゆえに政府も最後に踏み切ったとする。欧米のような収奪型の植民地経営をしなかった日本のスタンスはきちんと理解したい。また、明治の知識人たちの吸収意欲はすごく、和製漢語を次々と作り出し、それらは中国語・韓国語にも取り入れられたこと、当時世界中の文献が日本語に翻訳されており、1つの言語で世界中の本が読める国はなく、それゆえに東南アジアのインテリたちは必死に日本語を勉強したということは誇らしく思える。

 戦争中の記述では、やはり海軍と陸軍の縦割りの弊害が説明されていて暗澹たる気分になる。互いに情報を秘匿し、零戦の製造では道路の整備といったインフラの欠如に生産の足が引っ張られる。各部署がバラバラで「戦争は総力戦」という基本的な取り組みができていなかった。輸送船の護送を「くされ士官の捨て所」とバカにするなど、輸送・生産も戦争のうちということが理解できていなかった。試験に強いだけの官僚は答えのある問題には強いが前例のない事態への対応力に劣る。官僚組織の弊害として、これは今でも笑えないかもしれない。

 戦後の占領政策も、実は酷い部分が多い。そもそもハーグ陸戦条約では、戦勝国が敗戦国の法律を変えることは許されていなかったそうである。東京裁判もそうだが、「勝てば官軍」は何処も同じ。さらにWGIPによって我が国は徹底的に痛めつけられ、それは現代にも及ぶ(だから筆者がこういう本を書く)。戦時徴用も中学生や女学生たちはタダで働かされたそうであるが、朝鮮人たち(いわゆる徴用工)には正規の給料が支払われていたそうである。

 慰安婦問題などについての記述は従来通り。朝日新聞が日露戦争の講和条約反対を煽ったことから始まり、随所で国民をけしかけ、それが戦争の一因にもつながっていること。戦後は慰安婦問題で我が国を貶めていることは周知の通りで、やはりこれにも暗澹たる気分にさせられる。しかし、この本に一貫して流れているのは、中国・韓国・朝日新聞に対する批判ではなく、「我が国の良さ(本当の姿)をきちんと理解しよう」というところ。それはその通りだと思う。だからこそ歴史をきちんと学ばないといけないのである。

 改めてこの本を書いた著者の意図を感じることができるし、自分の国の歴史を正しく理解するすべとして、子供にも読ませたい一冊である・・・



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2018年11月14日

【逃げる力】百田尚樹 読書日記973



第1章 積極的逃走のすすめ
第2章 人生の勝利者は「逃げる達人」
第3章 会社や仕事から逃げる
第4章 人間関係から逃げる
第5章 逃げてはいけないとき
第6章 突発的危機から逃げる
第7章 国の危機から逃れる
第8章 守るべきものがあれば、逃げられる

 最近は、小説よりも趣味や主義主張の本が多い百田尚樹であるが、この本は「逃げる」をテーマに著者がその考えを語ったもの。残念ながら「小説」分野ではなく、「主義主張」分野の一冊である。とは言え、これはこれで興味深く思い手に取った次第である。

 特に男から見ると、「逃げる」ことは「よくないこと」「恥ずかしいこと」というイメージがある。しかし、著者はそれは消極的な態度ではなく、むしろ戦うことと同じくらい積極的な行動だとする。孫子の兵法三十六計にも最後に「走為上(=走るを上と為す)」と記されていて、逃げるが最善の策とされている。「三十六計、逃げるにしかず」の語源であるが、理不尽な環境の中に置かれている人に、人生で最終的な勝利を得るための積極的逃走を著者は勧める。

 最近、ドラマで『逃げるは恥だが役に立つ』というのがあったが、これはハンガリーの諺だとか。逃げる力を持つことは、成功へと近づくことだと著者は語る。負けることにおいて最も大切なことは、「負けを素直に認めること」。「負けの原因と真正面から向き合って反省しなければ次も負ける」というのは、その通りだと思う。戦国武将や華僑、ユダヤ人の例が列挙され、わかりやすい。

 サラリーマンでは、よく左遷出向などというのがある(特に金融機関)が、そこを人生の墓場のように感じるかもしれないが、そこで元から働く人にとっては普通の職場という考え方は、言われてみればその通りである。
 1. 人生は電車ではなくオフロード車、いろんな道を走っていい
 2. 孤独や退屈を恐れるな
 3. 仲間外れになっても大丈夫
 4. 人間関係の悩みは本当は些細なこと
 5. 人間は悩み事がなくなったら、新たに悩み事を作ってしまう
「逃げる」というテーマから少し外れるが、悩める人には悩みが軽くなる考え方が列挙される。これはこれで大事な考え方だと思う。

 終盤は悩める個人から国家へと及ぶ。このあたりは、著者の真骨頂か。日本をブラック企業のサラリーマンにたとえ、「滅茶苦茶な要求をする得意先中国」、「やっかいな同僚朝鮮半島」とし、「力の均衡なくして話し合いはあり得ない」と続く。そこから逃げるとは、「親しい付き合いをやめること」とする。韓国に対しては大いに賛成したい意見である。

 最後に何よりも「幸せの絶対基準」を持つことを著者は勧める。自分にとって大切なものを守るために戦うのか逃げるのかを決めるときに、それは必要になるのだと。
「この仕事は家族の幸せを犠牲にしてまで取り組むべきものなのか」
「替えがきかないのは家族と自分」と著者は語る。最近は、仕事で鬱になったり、挙句に過労死だとか自殺だとかというニュースを耳にするが、そんな当たり前の問い掛けを忘れないようにしたいものである。
 一つの考え方として、心したい一冊である・・・



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2018年09月04日

【クラシック天才たちの到達点】百田 尚樹 読書日記952



第1部 天才たちの青年期・壮年期
 第1曲 ショパン「ピアノ協奏曲第一番」
 第2曲 ベートーヴェン「第七交響曲」
 第3曲 モーツァルト「フィガロの結婚」
 第4曲 リヒャルト・シュトラウス「ツァラトゥストラはかく語りき」
 第5曲 メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」
 第6曲 ドヴォルジャーク「新世界より」
 第7曲 ヨハン・シュトラウス二世「美しき青きドナウ」
 第8曲 バッハ「無伴奏チェロ組曲」
 第9曲 プッチーニ「ラ・ボエーム」
 第10曲 ストラヴィンスキー「春の祭典」
 第11曲 フォーレ「レクイエム」
 第12曲 ベートーヴェン「第八交響曲」
 第13曲 リヒャルト・シュトラウス「サロメ」
 第14曲 ベートーヴェン「ピアノ協奏曲“皇帝”」        
第2部 天才たちの到達点
 第15曲 モーツァルト「三大交響曲」
 第16曲 ベートーヴェン「ピアノソナタ第三二番」
 第17曲 ブラームス「クラリネット五重奏曲」
 第18曲 スメタナ「モルダウ」
 第19曲 モーツァルト「ピアノ協奏曲第二七番」
 第20曲 ベートーヴェン「ディアベリ変奏曲」
 第21曲 シューベルト「ピアノソナタ第十九〜二十一番(遺作)」
 第22曲 モーツァルト「レクイエム」
 第23曲 ベートーヴェン「後期弦楽四十奏曲」
 第24曲 バッハ「フーガの技法」
 第25曲 リヒャルト・シュトラウス「四つの最後の歌」

 様々な小説を読ませて楽しませてくれ、ツイッターでは政治的発言で反対派を刺激している百田尚樹のクラシック音楽を扱った一冊。意外な気もするが、実はご本人は十代の頃にその魅力にとりつかれて以来、40年以上も耽溺しているクラシックファンなのだという。これはそんなクラシック音楽に対する思いを爆発させたような本。はっきり言って、クラシック音楽に興味のない人には面白くもない本だと思う。

 ここで採り上げられているのは、百田尚樹が厳選したのであろう全25曲。それぞれについて、曲にまつわる簡単なエピソードや著者のその曲に対する思いなどが綴られていく。元ネタを聞かないと解説だけ読んで想像するのも難しいが、それを見越してなのか巻末には全25曲のさわりを収録したCDが添付されている。聴きながら、というわけにはいかなかったが、気になる曲はすぐ確認できるのがありがたい。

 個人的にクラシックは嫌いではないし、現にバッハやモーツァルトやブラームス、スメタナなどのCDは個人的に所有している。そんな背景もあって、この本を手にしたという経緯がある。それでもただ聴くだけではなく、独自の解説がなされていたりすると、また違って聞こえるような気もする。例えば、最初のショパンの「ピアノ協奏曲第一番」については、「ショパンの代表作であり、恋人と破局した直後に作曲しもの」。著者も「大人になって鑑賞し直すと深い感動を与えられた」と語るとなると、イメージが変わってくる。

 それぞれの曲に対する著者の解説も興味をそそられるものである。
1. ベートーヴェン「第七交響曲」− ロック好きな友人が夢中になった!
2. モーツァルト「フィガロの結婚」− もっともモーツァルトらしさが詰まっている、台本と音楽の齟齬は微塵もない!
3. ヨハン・シュトラウス二世「美しき青きドナウ」− (父と子のワルツ戦争のエピソードが面白い)
4. バッハ「無伴奏チェロ組曲」− (バッハの妻アンナの物語が新鮮であった)
5. ストラヴィンスキー「春の祭典」− 才能を爆発させた若き天才の最高傑作!
6. リヒャルト・シュトラウス「サロメ」− 恋に狂った女の狂気を音で表現!
7. ベートーヴェン「ピアノソナタ第三二番」− 人類が残した最も偉大な曲!

 こうした解説を読めばどの曲も聴いてみたくなる。また、自分のよく知っている曲であれば、何気なく聴いていたあの曲にこんな背景があったのかと思わせてくれるものがある。25曲の内訳は、ベートーヴェンが最多の5曲であり、以降モーツァルト4曲、リヒャルト・ストラウス3曲、バッハ2曲となる。著者の好みがわかるようで興味深い。

 考えてみれば、音楽を言葉で表現するのは難しい。言葉は読めば誰でも理解できるが、音楽は黙って聴くと感じ方は人それぞれだからである。それでも、言葉で表現された音楽を聴くというのもまた新しい感じ方になるのかもしれない。
 ここに出てくる曲だけでなく、改めてクラシック音楽をじっくりと聴いてみたいと思わせてくれる一冊である・・・




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2017年12月30日

【今こそ、韓国に謝ろう】百田尚樹 読書日記874



第1章 踏みにじられた朝鮮半島
第2章 伝統文化の破壊
第3章 「七奪」の勘違い
第4章 ウリジナルの不思議
第5章 日本は朝鮮に何も教えなかった
第6章 慰安婦問題
第7章 韓国人はなぜ日本に内政干渉をするのか

かつて「誉め殺し」という言葉が流行ったことがある。相手を褒める形を取りながら実は批難するというものである。百田尚樹と言えば、最近は政治的発言が目立ってしまっているが、その内容はこの本のタイトルとは正反対。「謝ろう」と言いながら、その内容は全く正反対。言ってみれば「謝罪殺し」の本である。

「謝ろう」と言いながら、著者はその理由を挙げていく。
1. 教育の強制
2. 自然の破壊
3. 農業を歪めた
4. 工業化
5. 身分制度の破壊
すべていいことのように思われるが、強制したことを著者は謝罪の理由とする。

例えば「教育の強制」は、小学校の設立に代表される。もともと日本に併合される前は、朝鮮には小学校は100校しかなかった(保護国になる前は40校)。それを無理やり莫大な予算をつぎ込んで1943年までに4,271校も設立した。頼まれもしないのにそこで劣等文字とされていたハングルを教えさせ、普及させた。インドネシアを200年支配したオランダは現地人の通う学校など1校も作っていないのに。

薪にするため伐採して禿山ばかりだったのに、植林を行い朝鮮の風景を変えてしまった。世界最大級のダムを作り、鉄道を敷設し、橋を架け海岸を整備して自然を破壊した。農業指導をして農業の変革を強制し、耕地面積は倍増し収穫量も増え、その結果人口も約1,300万人から2,550万人に増加してしまった。工業化して百万人を超える雇用を創設し、さらには伝統的な身分制度を破壊した。

こうした批判を読んでいくと、ついでに朝鮮半島の文化も知ることになる。両班をトップとした身分制度は、日本の士農工商より非人道的だったようである。朝鮮の文化は、相当汚ないものだったようで、なんとなく悪意的なものを感じるが、それでも同時代の外国の旅行者の記録などを参照しているところから、客観的に見ても事実だったのだろう。それでも糞尿にまつわる記述は気分が悪くなる。

また、「勘違い」と指摘する部分もある。韓国人が「七奪」と批判する「主権・国王・国語・人命・姓名・土地・資源」の奪取である。これは奪ったのではないとする。例えば「主権」はもともと朝鮮は中国の属国で、主権などなかったとする。確かに国王が中国からの使者を迎恩門に出迎え、三跪九叩頭の礼をするなどは主権国家とは言えないだろう。こうした朝鮮の歴史や文化を何気なく知ることができる。

創氏改名は日本人でも勘違いしている。もともと朝鮮には両班以外に姓はなく(だから今でも「金」などの姓が多い)、日本風の名前に改名することはそもそも総督府は禁止していたのだとか。それが証拠に朝鮮名のまま陸軍中将になったり、議員になったりする者もいたとする。これは確かにその通りだろう。こんなことだと、現代でも日本名の通称を使っている在日韓国人が多くいることから、彼らに将来「強制された」と言われないか心配だと著者は語る。

さらに著者は「ウリジナル」というモノマネ文化を紹介する。モノマネならまだいいが、韓国は「自分たちこそオリジナル」と主張する。それによると、茶道・華道・歌舞伎・折り紙・神社・寿司・刺身等々あらゆるものが韓国オリジナルらしい。最近、1955年に創設されたテコンドーが空手のルーツだと認められる事件があったが、これは日本人が反論しないからだと著者は警告する。世界の中では、沈黙は美徳ではないのである。

最後に日本の罪として、著者は韓国併合時代にモラルを教えなかったことを挙げる。これは痛烈である。多くの死者を出したセウォル号事件では、法廷限度の積載量を三倍オーバーした上で、船長・船員が避難誘導もせずに自分たちだけ逃げて助かっている。毎年の安全点検で使えない救命ボートが問題なしとされていたことを紹介する。さらに手抜き工事が原因である三豊百貨店崩落事故や聖水大橋崩落事故、スポーツでの不正、法概念の欠如と手厳しい。

読めば読むほど、韓国人の立場からするとこの本が主張するのは「正当な批難」なのかもしれないと思えてくる。日本人からすれば「謝罪殺し」であっても、韓国人からすれば正当な主張なのかもしれない。皮肉たっぷりの内容ではあるが、その部分を冷静に削いでいくと、本当の歴史の姿が見えてくる。慰安婦問題なんかも理解が深まるのではないかと思う。批判テイストは無視するとして、日本の支配は本当はどんなものだったのか、理解に役立つものであることは確かである。

そういう意味で、朝鮮半島支配を学ぶことができるいい本だと言える一冊である・・・




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2017年06月19日

【幻庵(上) (下)】百田尚樹 読書日記806



第1章 鬼因徹
第2章 仙人の碁
第3章 天才少年
第4章 桶狭間
第5章 両国小町
第6章 天保の内訌
第7章 吐血の局
第8章 黒船来航

久しぶりの百田尚樹の小説。いつもいろいろな分野で小説を書かれているが、今度は囲碁の世界。囲碁はもともと中国発祥のものであるが、江戸時代の日本では中国のレベルを凌駕する発展を見せたという。その発展の舞台となった江戸時代後期が物語の舞台。それを担ったのは、「本因坊家」「井上家」「安井家」「林家」の4つの家元。当時の囲碁事情が語られる背景の話が興味深く、例によって小説を読み進むうちに囲碁に詳しくなっていく。

主人公の幻庵は、幼名は吉之助。服部家の当主で、後に「鬼因徹」と異名を取った服部因淑にその才能を見出され、弟子入りする。しかし、この小説の変わったところは、主人公を中心に追って行くのではないところ。前半は、吉之助が弟子入りすると、あとは当時の囲碁界の状況説明が続く。本因坊家では、碁界中興の祖と言われた名人察元が出て、その後烈元、元丈と続く。元丈には安井家の知得というライバルがいる。この2人はそれぞれ名人となるべき腕前を有していたが、名人になれるのは1人だけであったため、2人とも名人になれずに終わる。

本因坊家は元丈の跡目候補として智策という名手がいたが、病に倒れその地位を丈和に譲る。丈和は典型的な大器晩成型。智策亡き後の本因坊家で、跡目候補がいなくなったにもかかわらず、当主の元丈は丈和に対する不安感からなかなか跡目に指名しない。そして丈和は、後に幻庵となる因徹との数々の勝負を経て、ようやく跡目に指名される。しかし、そこから実力を発揮し、囲碁界最高峰の名人位を目指す因徹の前に大きな壁として立ちはだかる。この2人の対決が、物語の主軸となる。

囲碁の歴史を学びつつ、当時の実力者たちの対決が語られて行く。当時の棋譜はかなり残されているようで、その戦いぶりは現代でも「観戦」できる。それが碁の面白いところなのかもしれない。そしてそれに現代の囲碁界のプロの解説が加わったりするので、素人にもなんとなくの雰囲気はわかる。盤面の戦いは、「ハネる」「ツケる」「ノビる」「スベリ」など専門用語がならび、素人には何が何だかわからない。実際の碁面も載せられているが、もちろんそれを見ても何が何だかわからない。ただ、その迫力だけは伝わってくる。

当時の実力者たちの腕前は、現代でもすごいそうである。本因坊道策などは、今でも「史上最強の棋士」と現代の実力No.1の方も語るほどである。しかし、現代と当時とでは、「時間制限」という違いがあるという。現代は持ち時間が決まっていて、その制限内で打たないといけないが、当時は無制限。長考となれば1日では終わらず、「打ち掛け」が宣言されると翌日以降に持ち越されたらしい。この小説でも、何日にもわたる対局が描かれている。

当時の名人は、比類なき実力を持っているとみんなが認めてなれたという。したがって、四家のうち、1つでも反対があれば名人にはなれない。しかし、そういう異議に対し、実力で認めさせるという「争碁」の制度もあり、それがこの物語でも出てきて、ストーリーを盛り上げる。時代は外国船が来航する騒乱期、名人の座を目指す幻庵の戦い。実在の人物なだけに、ググれば物語の結末もわかる。ついついそういう誘惑に耐えながら読み進めて行く。

それにしても、著者がなぜ幻庵を主人公にしたのかはとても興味深い。他にも主人公になりそうな人物がゴロゴロいるのである。幻庵では不満というわけではないし、この小説も面白かったのではあるが、是非とも聞いてみたいところである。
小説以外の政治的なところで注目を浴びる著者であるが、小説はやっぱり面白い。これはこれで書き続けて行って欲しいと心から思う。

早く次が読みたい。またもそう思わせてくれる一冊である・・・




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2017年02月14日

【雑談力】百田尚樹 読書日記760



第1章 人を引き付ける話をする技術
第2章 その気になれば、誰でも雑談上手になれる
第3章 こんな話に人は夢中になる
第4章 親友とする真面目な話

百田尚樹は、ツイッター等での発言を目にしているが、その政治的言動もさることながら、関西人ならではのユーモアに満ちていて面白いと常々感じていた。実際に話をさせるとさらに面白いらしく、その「面白い話をする秘訣のようなものを本にしてくれ」と言われて書いたのが本書であるという。百田尚樹は、小説が面白いのだが、小説以外の本となると『大放言』以来である。

ご本人は、小説家でありながら書くことよりも喋る方が100倍も好きなのだそうである。「起承転結を考えて、なおかつ盛り上げにも留意して最後のオチも決める、これを即興でやるのがトーク」と簡単に説明するが、一般人には言うが易しである。しかし、素人でも参考になりそうな説明がちゃんと続く。

まずは「つかみ」が大事とのこと。これは小説を書く場合にもすごく気を付けていて、「極端な話、最初の1ページから面白いシーンがないと気に入らない」と語る。
『しかしあのゼロだけは忘れない。悪魔のようなゼロだった。』(『永遠の0』)
『磯貝彦四郎殿は亡くなっておられました。』(『影法師』)
確かに、最初の1ページからこちらも引き込まれてしまっている。

「質問から入る」と言うのも良いと言う。『惑星って、どうして惑星って名前が付けられているのか知ってる?』と聞かれれば、確かに惹きつけられる。「常識を揺さぶるような話から入る」のも良しとする。『人工衛星というのは、永遠に落ち続けている』と言われれば、「えっ!?」となる。そして面白い話にはストーリーがあるというのも納得。無味乾燥な歴史の年号も、それにストーリーが加われば俄然生き生きとしたものになってくる。

面白い話をする秘訣は何よりインプットが大事。話の急所を理解し、本や新聞を読む時も、テレビを見る時も、人の話を聞く時も、「面白いと思えばそれを覚える」という気持ちを持つことが大事らしい。そんな著者なりのアドバイスが続いていくが、なるほどと思うところがある。
・失敗談ほど面白いものはない
・相手ではなく、自分が関心を持つ話題を探せ
・自分の感性に自信を持て(自分ならどんな時に感動し、笑い、びっくりするのか)
・ネタをどう仕込むか(話を聞く時にただ一方的に聞き役になるのではなく、積極的な聞き役になる)
・話し方が上手くなるコツはとにかく実践あるのみ

特に、「話し上手は聞き上手」という部分に興味を持つ。これは確かにそうかもしれない。そしてとっておきの練習法として、映画や小説の話をするのだとか。話題としてはそれ以外でも、個人的な思い出でも普遍性を持たせればOKだという。それにしても野口英世が、現在は世界的には評価されていない研究者だという話は驚きでもあったが、こういうネタもかなり含まれている。

最後に「親友とする真面目な話」として、南京大虐殺や慰安婦問題、靖国問題などの話題が取り上げられる。このあたり、『大放言』の続きとも言える。
話題もそうであるが、やはり一番大切なのは「人を楽しませたいという気持ち」なのだというところに強く共感した。それが何よりなのだろう。そして百田尚樹は、その気持ちが人一倍高いのだろうと思う。
この本を読んだからといって、すぐに話が上手くなれるわけではないが、「人を楽しませたいという気持ち」だけは、常に持っていたいと思うところである。

面白い小説が書けるというのは、やはりそれだけには止まらないのだと改めて思わされる。小説もいいが、それ以外の分野の本も読んでいきたいと思わされる一冊である・・・




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2016年05月15日

【カエルの楽園】百田尚樹 読書日記656



百田尚樹の作品は、どれもこれも面白く、発売されたものはほとんど読んでいる。そんな百田尚樹は、実は政治的な発言も多く、最近はツイッターなどでそちらの方が目につくようになっている。もちろん、批判者も数多い。そんな政治的な意見がついに書籍化されたのが、『大放言』であった。そしてまた小説の世界に戻るのかと思ったら、今度はその政治的なメッセージを小説の世界に持ち込んでしまった。それがこの一冊。

タイトルにあるように、物語はカエルの世界。子供向けの感があるが、百田尚樹には『風の中のマリア』という実績もあり、大人でも十二分に耐えうる。そんなわけで抵抗感なくカエルの世界に入っていける。もっとも読み終えてみると、カエルの世界にしたのは秀逸だと感じるところがある。このあたりは流石である。

主人公は、アマガエルのソクラテス。ある春の日、平和に暮らしていたソクラテスたちアマガエルの世界に凶悪なダルマガエルの群れがやってくる。凶悪なダルマガエルによって仲間たちが次々に食べられていき、ソクラテスは60匹の仲間たちとともに安住の地を求めて旅に出る。しかし世界はどこも危険で過酷であり、ようやくツチガエルの世界ナパージュに着いた時、ソクラテスの仲間はロベルトだけになっていた。

それでもナパージュは平和で安全であり、この世の楽園にも思われる。外の危険な世界とのあまりに対照的なその世界。そこでは「カエルを信じろ」「カエルと争うな」「争うための力を持つな」という「三戒」があり、それで平和が守られていると教えられる。その平和な精神に心酔するロベルトと、どうしても疑問を禁じえないソクラテス。2匹はナパージュを隅々まで探索し、その姿を知るようになる。

ナパージュの外には、やはり危険なウシガエルの住む世界がある。しかし、ナパージュには実は鷲のスチームボートが住んでいて、睨みを利かせている。ウシガエルたちはそれ故にナパージュに近寄らないのであるが、ナパージュの住民は「三戒」のおかげだと信じている。もちろん、「三戒」の精神は大事だとしつつも、現実論を説くグループはいるが、「三戒」を信じる者たちとは徹底して意見が合わない。やがてスチームボートも高齢により力が衰え、相互に守り合うことを提案してくるが、「三戒」絶対派のカエルたちは猛反対する。そんな中、とうとうウシガエルたちが南の崖に登ってくる・・・

平和なナパージュが我が国のことであり、スチームボートがアメリカ、ウシガエルが中国、ナパージュのカエルたちが信じる「三戒」が憲法第9条と置き換えれば、現在の我が国が置かれている状況そのものだということがよくわかる。昨年の安保法案改正をめぐる動きもそのままであるし、SEALSを意識したと思われるフラワーズというグループも登場する。自分たちの祖先が犯したとされる残虐な罪を反省し、「三戒」を守っていれば平和が保たれると信じている。ハンニバルという名の体の大きなカエルは、自衛隊に当たる。「三戒」派に疎まれながらひそかにウシガエルの侵略を阻んでいるが、「三戒」派はその動きを封じようと躍起になる。

そんなナパージュに対し、第三者であるソクラテスは冷静なる第三者の目で眺めている。「三戒」派の主張と行動がいかにおかしいかとわかるのだが、当事者たちにその意識はない。やがてスチームボートがナパージュを去って行き、追い出した「三戒」派は高らかに勝利宣言する。そしてそれと同時に、南の崖にウシガエルが集まってくる・・・

今まで平和が保たれてきたのは「三戒」を守ってきたからだと疑わないカエルたち。スチームボートが去った後のナパージュには、予想通りの事態が訪れる。だが、怖いのはむしろ「三戒」派たちの行動である。ただひたすらに、どんな事態になっても信念を曲げない。巷でよく言われる「ゆでガエル」たちの姿がそこにある。そしてそれは、現実の護憲派の人たちの姿に他ならないのかもしれない。

読み終えて、くだらない寓話だとバカにする気にはなれなかった。あまりにもリアリティに富んでいるからである。しかし、ではナパージュのカエルたちはどうすればよかったのか。「三戒」を破棄する道を選べば正解だったかというと、果たしてそれもどうだろうかと思わざるをえない。「どちらが良いか」ではなく、「どちらがマシか」という世界であろう。我が国はどのような未来を選ぶべきなのか。ひょっとしたらそこには「どちらが良いか」という選択肢はないのかもしれない。ナパージュに起きたような事態が起こればなおさらである。そんな未来が来ないことを祈りつつ、一方では選択肢についてよく考えておきたいものである。

政治的なメッセージを含めた物語の世界。次はもう少し心穏やかに読める物語を綴って欲しいと願わざるをえない一冊である・・・


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2016年04月07日

【大放言】百田直樹 読書日記645



第1章 現代の若きバカものたちへ
第2章 暴言の中にも真実あり
第3章 これはいったい何だ?
第4章 我が炎上史

百田尚樹に関しては、『永遠の0』以来魅了されほとんどの著作を読んでいるが、一歩小説の世界を離れると、たびたびその発言で物議を醸していて、面白おかしく感じながらツイッターなどでフォローしている。
今回はこれまでの小説とは異なり、その物議を醸す発言をまとめた一冊である。

まずは「まえがき」で、「言葉狩りの時代」ということに警鐘を鳴らしている。
マスコミなどが、ある人の発言の一部分を切り取って報じることの危うさを、「私は寝てないんだよ」という一時批判を浴びた発言を例に解説する。
「言葉の自由を失った国は滅びる。皆が一斉に同じことを言い、一斉に誰かを攻撃する時代も同様だ」という言葉は重い。冒頭から著者の炎上覚悟の宣戦布告として、実に心地よい。

第1章では、「現代の若きバカものたちへ」と題して、若者への警告を発する。
・「やればできる」は「やればできた」者の言葉
・自分は誤解されているというバカ
・他人の目は正しい
野村監督もその著書(『野村ノート』)の中で、「評価は人が下した評価こそ正しい」と語っているが、人生経験を積んでくるとその言葉も自然と受け入れられるようになる。
さらに著者は、「プラスの評価は実体とズレることもあるが、マイナス評価はズレが非常に小さい」とする。
これもそうだろうと、私の年齢になれば素直に同意できる。

・ブログで食べたモノを書くバカ
・好きな仕事が見つからないバカ
・尊敬する人は両親と言うバカ
・なんでもコスパで考えるバカ

すべてについて「大同意」というわけではないが、一つの意見としてなるほどと思うところは多い。それよりも、なんとなく今の若者に対する著者の意見に違和感を覚えたのは、実は自分自身今の若者とあまり接点がなく、実感がわかないということからなのだった。少々愕然とした事実である。

地方議員がその仕事とは裏腹に多額の議員報酬をもらっているという事実は、もっと声を出して世の中に知らしむるべきだろう。
原爆慰霊碑の碑文への苦言は、もしもNY市が9.11テロの犠牲者に同様の碑文を書いたらいかに異様かという喩えでわかりやすく説明している。多分、反百田派の人が読んだら納得はしないだろう。

「日本は韓国に謝罪せよ」という部分は、「劣等文字とされているハングルを文盲率90%以上の国民に小学校から教えて教育を破壊した」、「朝鮮にもともとあった禿山に六億本も植樹して自然を破壊した」などと「日本の罪」を挙げて謝罪すべきと提言している。これらは証拠のない従軍慰安婦問題と違って、「はっきりとした証拠が残っている」と主張する。これも顔をしかめられるだろう。

・殺人の量刑が軽すぎる
・図書館には新刊を1年は入れるべきではない
・セクハラのおかしな基準
・チャリティ番組への苦言
・昔から比べればはるかに改善されている社会の格差
・テレビドラマで殺人犯が「シートベルトを締めて」逃走せざるを得ない道路交通法
などなど、言われるまでは気が付かなかったこともあって、なかなか小気味好い。

最後にマスコミに対する苦言が、「我が炎上史」として語られるが、ここの指摘は個人的にも「大同感」である。日本のマスコミの酷さを理解している者なら、大いに共感するだろう。
過去に著者が猛批判を浴びた事実を著者側から明かしてくれている。
反百田派からすれば、「何を戯言を」となるのであろうが、マスコミを斜に見ている立場としては、「やっぱりな」と思う舞台裏である。

反百田派以外の人には、なるほどと思ったり、小気味好く感じる「暴言」が並ぶ。
抵抗感のない人には面白く感じるだろう。だが、世の中は一方からの意見だけでもないのもまた事実。「百田め」と快く思わない人もいるんだろうなと思ってしまう。
こういう本もまた良し。

でもやっぱり百田尚樹には、本業の小説で頑張ってもらいたいと強く思うのである・・・

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2015年01月12日

【フォルトゥナの瞳】百田尚樹 読書日記500



百田尚樹の久しぶりの新刊。
毎回違う分野の本を書くと言っている著者だが、これはどちらかと言えば「不思議系」とでも分類されそうな物語である。

主人公は木山慎一郎という一人の男。
幼い頃、両親と妹を亡くし、今は天涯孤独な身。
自動車のコーティング工場で働いている。
主として高級車を対象とするこのコーティング、実は初めてその存在を知った。
もっとも、純国産のファミリーカーが愛車という身では、それも当然だと思う。

真面目な性格で、仕事熱心。
それゆえに社長にも目をかけられている。
ただ、苦労して育ってきたため女性との接点はなく、当然彼女もいないし女性に積極的にアプローチするタイプでもない。
そんな木山が、ある日電車の中で吊革を握る男の手が透けて見える事に気がつく。

何が起こったのかはわからない。
周りの人は平然としていて、どうやら透けて見えるのは自分だけらしい。
そしてさらにその後、体全体が透けて見える男を見かける。
思わず後をつけるが、その透明な男は木山の目の前で事故死する。
そんな経験を重ね、どうやら自分には人間が死ぬ前兆が、体が透明に見えるという形でわかるのだと気がつく・・・

こうして今回は、そんな不思議な“目”を持った男の物語が描かれる。
タイトルの「フォルトゥナ」とはローマ神話に出てくる運命の女神だとのこと。
人間の運命が見えるとされていて、そこから人間の死を見ることのできる目を持ってしまった主人公をたとえているのである。
普通の人にはない能力を持っているという事は、羨ましいことのように思える。
しかし、この物語の主人公木山慎一郎が持つ「フォルトゥナの目」はどうだろうか。

読み進むうちに、結末は何となく想像できてしまった。
それでも、エピローグでの百田尚樹らしい味付けはきちんと残されていたところはさすがである。
野球にたとえれば3塁打といえる作品だろうか。
十分だと思う反面、ホームランバッターにはホームランを打って欲しかったと思うところである・・・

 
posted by HH at 20:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 百田尚樹 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月14日

【夢を売る男】百田尚樹 読書日記332



1 太宰の再来
2 チャンスを掴む男
3 賢いママ
4 トラブル・バスター
5 小説家の世界
6 ライバル出現
7 戦争
8 怒れる男
9 脚光
10 カモ

百田尚樹のまた新しい一冊。出るたびに新しいジャンルに挑戦するかのようであるが、今回の舞台は出版社。主人公はその出版社丸栄社の編集長牛河原勘治。丸栄社は出版社ながら、ちょっと変わった作家を相手に、変わった出版方法で商売している。

作家はいずれも無名の人々。新人賞に応募してきたようなそんな人々をおだてあげ、丸栄社自慢の「ジョイント・プレス方式」で出版させる。売れるのか、という心配は無用。出版費用は著者持ちであるため、丸栄社はこの費用だけでペイしている。自費出版ではないのかと思うも、自費出版と「ジョイント・プレス方式」との違いは、牛河原編集長が言葉巧みに説明してくれる。

「本を出したい」という欲望は、多かれ少なかれ誰もが抱いている。そんな欲望を巧みに絡め取り、商売に活かす。詐欺じゃないかと思うも、本を出版した人はみんな満足。痛快小説と言って良いのだろうかと、迷いつつページをめくる。

百田尚樹の本を読むと、どの本もその分野のちょっとした専門家になってしまう。この本でも、不況と言われる出版業界の状況が手に取るようにわかるようになる。新人賞の狙いや仕組み。作家と編集者の関係。楽しみながら業界事情がわかってしまうのは、この本も同じである。

「作家」をうまくあしらい、部下のコントロールをし、ライバルが出現すれば蹴落とし、時に名の売れた作家でさえ、手玉に取る。牛河原編集長は、やり手ながらとても好きになれそうにない人物である事も確か。比較的薄い本だし、最後にどんなオチを見せてくれるのかと思っていたら、さすが百田尚樹。見事なエンディング。牛河原編集長の編集長としての矜持は見事。ちょっとウルウルしてしまった。

それにしても、よくこれだけのストーリーが紡ぎ出せるものだと毎回感心させられる。こんな大作家には、ジョイント・プレス方式はもろん不要。ますます目が離せない作家である・・・

     
posted by HH at 23:12| Comment(2) | TrackBack(1) | 百田尚樹 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする