2018年07月02日

【長く高い壁】浅田 次郎 読書日記935



浅田次郎の小説は、なぜか中国を舞台にしたものが多い。それと戦時中のものが多いという特徴がある。そしてこの小説は、まさに両方が一体となった物語である。
時代は1938年。太平洋戦争前夜である。主人公は、探偵小説家の小柳逸馬。時代から従軍作家として中国に赴任し、北京飯店に宿泊している。冒頭、書き上げた原稿を検閲するのは、陸軍の川津中尉。川津中尉は原稿の書き直しを指示するが、その内容に時代が現れている。

そんな2人に対し、突然軍命が下る。長城の張飛嶺で憲兵隊の手に余る大事件が惹起したため、真相を究明せよとのこと。かくして従軍作家の小柳と、川津中尉が現地へと向かう。中国大陸は広い。地名を聞いてもピンとこないが、2人は奥地へと分け入って行く。現地で迎えたのは、憲兵隊の小田島曹長。現地の憲兵隊のトップは山村大尉であるが、軍隊は「星の数より飯(メンコ)の数」と言われており、実質は叩き上げの小田島総長が仕切っている。

そんな風にして登場人物たちが揃うと、いよいよ事件が明らかになる。張飛嶺守備隊は歩兵一個小隊30名が交代で任務に就いている。そのうち監視廠勤務の10名が毒殺されて全滅するというもの。監視廠は万里の長城の一部にあり、それがズバリタイトルの所以であろう。本体は武漢制圧作戦に動員されており、30名は留守番部隊。手薄なところを共産ゲリラの「共匪」に襲われたというのが、支配的な見方。しかし、小柳は安易な答えをよしとせず、きちんと調査を進めて行く。

果たして犯人は誰なのか。状況からして真っ先に疑われるのは共匪ではあるが、それにしては武器と食料が手付かずで残されており、国旗も掲揚されたまま。共匪であれば、当然武器・食料を奪い、国旗は焼いて行くと思われるところ。普通に考えれば、まず「解剖」となるが、守備隊は留守番部隊であり、軍医すらいない状況でそれは期待できない。浅田次郎の小説にしては推理モノのミステリーというのも珍しい。

本の最初には、軍における階級が示してある。これが物語を読み進めるのに大いに役に立つ。階級の他に「下士官」や「将校」、「尉官」や「准士官」「兵卒」などの違いが実にわかりやすい。軍隊の特性・習わしなども描かれていて興味深い。盧溝橋事件に端を発し、日中戦争へと突入していった当時の状況が背景に描かれているのも然りである。

小柳が推理し当てた事件の真相。それは当時でもあったかもしれない日本軍の蛮行とともに明らかにされる。推理そのものは東野圭吾のような本格的ミステリーほどではないが、読み物としては満足いくレベル。何より浅田次郎の薫り漂う物語の空気が心地よい。

期待に十分答えてくれる浅田次郎の世界である・・・





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2017年04月04日

【日輪の遺産】浅田次郎 読書日記780



 かつて映画版を観ており、なんとなく原作も読まねばと思っていた作品。ここに来てようやく手にした次第。やっぱり原作を読んでみると、映画版とは差異があるようである。

 物語は昭和二十年八月にさかのぼる。冒頭、ある女学生たちの姿が描かれる。担任の野口先生は生徒たちに慕われているが、その平和主義的思想から憲兵に連行されてしまう。まもなく野口先生は戻ってくるが、1クラス35名は、軍から重要任務に就くことを命ぜられ、トラックに乗せられてある場所へと向かう・・・

 翻って現代、不動産会社社長の丹羽明人は、商売も傾き半ばどうでもよくなって競馬で一攫千金を狙う。そしてそこで真柴と名乗る老人と出会う。ひょんなことから真柴老人に付き合い飲みに行く丹羽。そこで老人に一冊の手帳を手渡されるが、老人はそこで急に亡くなってしまう。成り行きで病院に付き添った丹羽は、霊安室で真柴老人から預かった手帳を読み始める。そこには、終戦間際に真柴老人が関わった指令のことが書かれていた・・・

 終戦間際、陸軍少佐の真柴司郎は、突如師団長から呼び出される。降伏か徹底抗戦かで不穏な空気が自らが属する近衛師団内に漂う中、真柴少佐は同時に呼び出された小泉主計中尉とともに大臣室へと案内され戸惑う。阿南陸軍大臣、杉山元帥、梅津参謀総長、森師団長、田中軍司令官と並み居る面々から直々に密命を受ける。それはマツカーサーから摂取した900億円分の財宝。敗戦後の祖国復興資金とすべく、国内に秘匿せよというのがその内容。

 物語は、現代と終戦直前とを往復しながら進んでいく。小泉中尉とともに財宝秘匿の任務に就いた真柴少佐は、指令に従ってそれを多摩の火工廠へと運ぶ。それを洞窟に運び込むのに使役されたのが野口先生の引率する女学生35名。何も知らない女学生は、黙々と指示に従って作業にあたる・・・

 過去と現在を往復する物語。終戦間際に隠された日本の復興資金。現代に生きる丹羽は、ボランティアの海老沢と地元の有力者である金原と隠された財宝を密かに手に入れようと考える。しかし、果たして財宝は今だ火工廠跡にあるのか。手帳を読む丹羽も、この本を読む立場からもそれは大いに気になるところ。そして終戦間際の真柴少佐には最後に過酷な命令が下される。

 様々な登場人物たちが、過去と現在とで登場するが、過去と現在は意外な形で結びつく。その結末は、深い味わいとともに円団を迎える。ある程度は読む者も結末を予想すると思うが、この結末はなかなか予想はできないのではないかと思う。そこが浅田次郎らしいところかもしれない。映画版は正直言ってあまり心に響かなかったが、原作小説はさすが浅田次郎と思わされる。この物語は、映画ではなく原作で味わうべきだろう。

 解説によれば、デビュー以来の路線を変更する一作だったとのこと。映画は観たが、原作はまだという作品はまだある。それもぜひ読んでみたいと改めて思う。急がず、折を見てと思わされる一作である・・・



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2017年01月14日

【オー・マイ・ガアッ!】浅田次郎 読書日記747




浅田次郎の作品は数多く読んでいるが、その作品は大雑把に分けて「時代物系」、「中国系」、「不思議系」、「コメディ系」となる。この本は、「コメディ系」に分類できる一冊である。

舞台はラスベガス。主人公は3人。友人に裏切られ大きな負債を押し付けられた大前剛、エリート会社員から娼婦に落ちた梶野理沙、そしてベトナムでシルバースター勲章をもらうも今や落ちぶれたジョン・キングスレイ。それぞれ人生の底辺を漂いながらラスベガスにやってくる。そしてたまたまスロットマシンで隣り合って座り、嘘のようなシチュエーションで史上最大のジャック・ポッド(大当たり)を出してしまう。その額、5,400万ドル(1ドル100円で54億円)。

一方、そのジャック・ポッドを出したのは、ホテル・バリ・ハイ・カジノ&リゾーツにあるプログレッシブ・マシン「ダイナマイト・ミリオン・・バックス」(通称DMB)。6年間溜まった当たりがいっきに出たものであり、支払いをするのは運営会社のPGT社。PGT社の社長は、マイケル・ペスカトーレ。元マフィアのドン・ビトーの息子であり、ペスカトーレ・ファミリーのトップである。

映画『ゴッド・ファーザーPARTII』でも描かれていたが、ラスベガスもかつてはマフィアが支配していた町。ドン・ビトーとその息子マイケルは、名前からして『ゴッド・ファーザーPARTII』のコルレオーネファミリーそのままであるが、5,400万ドルも払うお金がない。ラスベガスには「メガバックスの呪い」と言われる大当たりをしたものが不慮の事故で死んでしまうというジンクスがあり、きな臭さが漂う。

タイトルは英語ではお馴染みだが、主人公の一人の名前がこれにかけており、梶野という名も含めてダジャレ的である。それぞれ人生の底辺を歩んできたのに、いきなり人生がひっくり返るような大金が転がり込んでくる。しかし、受け取りのルールは一括で受け取ると39.6%の税金が引かれた上に6割に減額されるという。25年の分割だと満額もらえるが、死んだら遺族は受け取れない。ここから「メガバックスの呪い」がでてくるのであるが、この受け取りルールは実際にそうなのかどうか興味のあるところである。

大前剛にも梶野理沙にもジョン・キングスレイにもそれぞれの人生模様がある。そこにペスカトーレファミリーが絡み、ホテル・バリ・ハイのオーナーであるアラブの大富豪も登場する。面白おかしく絡み合って物語は進み、そして最後は3人ともお金以上のものを手にして大円団となる。コメディではあるものの、最後はしっかりと心にインパクトを与えるところは浅田次郎らしい。ラスベガスに行ったのは、もう18年も前になるが、あの町並みとカジノの絢爛たる様を思い浮かべて楽しく読めた。

ラスベガスに行ったことがある人なら、楽しめる一冊である・・・


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2016年12月06日

【帰郷】浅田次郎 読書日記735



歸郷
鉄の沈黙
夜の遊園地
不寝番
金鵄のもとに
無言歌

浅田次郎の短編集をまた一冊。
全編にわたって共通しているのは、戦中・戦後の時代背景。
「歸郷」は、終戦直後の日本。娼婦として身を立てている綾子がタバコを吸っていると、一人の復員兵が声をかけてくる。戦地から生きて帰ってきた男だが、故郷には戦死の報がもたらされており、妻は弟と再婚。男は帰るところがない。そんな二人の出会いの物語。

「鉄の沈黙」は、ニューギニアのある砲兵陣地が舞台。敵の攻撃でわずかに生き残った分隊に、一人の修理係が赴任する。壊れた高射砲の修理が目的であったが、味方の多くはすでに転進。孤立無援の陣地に、敵機がやってくる。
「夜の遊園地」は、戦後少し豊かになった日本。後楽園の遊園地で客の呼び込みをする勝男。ナイター帰りの客に次々に声をかけていく。一見幸せな世の中であるが、一組の親子に戦争の影がよぎる。

「不寝番」はちょっと不思議な話。不寝番に立つ陸上自衛官片山が、交代時間が来て仲間を起こしにいく。そして起こした兵士が陸軍上等兵の仙波。互いに不審に思うも噛み合わない会話を経て、互いの身の上を知る。
「金鵄のもとに」は、既読感があったと思ったら、『短編工場』に掲載されていた作品。

「無言歌」は、軍務に就く兵たちが故郷に残して来た女たちの話をしている。一見平和な会話であるが、彼らの置かれた状況を知ると言葉を失う。映画『出口のない海』を思い出してしまった。どの作品も、読み終わったあとにじんわりとしたものが心に残る。浅田次郎らしい後味と言えるかもしれない。

「歸郷」は、一人の娼婦と復員兵の物語だが、娼婦といっても生きていくためにやむなく体を売っている。当時はたぶんたくさんいたのだと思う。そして戦地から帰って来たものの、故郷に帰れなくなってしまった男。故郷に残して来た妻子にようやく会えると思っていたのに、思いもしなかった変遷。当時の社会ではやむを得なかったのだろうが、皮肉である。そんな二人が出会うのだが、思わず二人の幸せを願ってしまう。

どの作品にも兵士達が出てくるのであるが、勇敢な英雄の姿はない。みな絶望的な状況に置かれていたり、地獄のような体験をしたり、心に深い傷を負っていたりする。唯一戦後しばらくした時代の話である「夜の遊園地」でも、ある父親がかつての激戦を思い出して蹲ってしまう姿が描かれる。何も知らずに途方に暮れる子供。そこにも戦争の影が落ちる。

そうした世界に、すっかり引き込まれてしまう。浅田次郎の作品にはいくつかのジャンルがあるが、この手の戦争ものはいつも心に何かが残るものが多い。読み終わって、普通の生活に戻るのに少し時間を要する一冊である・・・



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2016年08月13日

【わが心のジェニファー】浅田次郎 読書日記695



 浅田次郎の作品は、まず読んでハズレがない。新刊が目に止まれば、迷わず手に取るところである。今回も迷わず手に取る。
 物語の主人公は、意外にもアメリカ人のローレンス・クラーク、通称ラリー。恋人のジェニファーにプロポーズをしようとしている。プロホーズの場所として選んだ店が、日本贔屓のジェニファーのリクエストによるそば屋。そしていざフロポーズとなった時、ジェニファーから「プロポーズの前に日本を見てきてほしい」と言われる。さらに日本滞在中は、電話でもなく、メールでもなく、手紙を書いてほしいと頼まれる。かくして恋人の願いを聞き入れ、ラリーはやむなく日本へと旅立つ。

 ラリーは、両親を知らず、海軍軍人だった祖父に育てられている。その祖父からは、女性に手紙を書く時は、もしもその女性が特別の人なら、「ディア○○」ではなく、襟を正して「○○・オン・マイ・マインド」と書けと教えられている。それゆえに、ラリーは日本に向かうJALの機内で最初の手紙をジェニファーにしたためる。「ジェニファー・オン・マイ・マインド」。これがタイトルの所以となっている。なかなか勉強になる。

 ラリーがやってきた日本の季節は10月。ジェニファーのお気に入りの季節でもある。成田に到着したラリーは、トイレに飛び込む。日本人はみな小さいのに、どうして便器がこれほど立派なのかとラリーは疑問に思う。そしてその設備に感嘆する。続いてバスで都内へ向かうラリー。渋滞でバスの到着が15分遅れる。15分の遅れを詫びるドライバーの姿勢に、アメリカ人ドライバーとの違いに思いを馳せる。さらに予約していた安いビジネスホテルの狭さに愕然とする。

 翌日ラリーは新幹線で京都へ向かう。手にするのは、ジェニフアーが貸してくれた正統派のガイドブック「ポジティブ・ガイド」と、空港で買ったアナーキーな「ネガティブ・ガイド」。両者は同じものでも表現方法が異なる。その説明の違いも、ラリーとともに旅する読者の楽しみでもある。そして東京駅では、『新幹線お掃除の天使たち』でおなじみのテッセイのサービスに驚く。そして3分ごとに発車する時速170マイルの列車に言葉を失う。

 京都の清水寺では、日本人女性マコトと知り合い、三十三間堂を案内してもらう。そしてホテルまで共にしてしまう。その間も書き綴るジェニファーへの手紙には、もちろんそんなことは書かない。大阪ではたこ焼きを食べ、お好み焼きを食べる。さらには串揚げ。日本の食事の量は少ないとこぼすラリーは食べまくる。そして次は温泉。ラリーは日本を代表する温泉と言える別府温泉に行く。こうしてラリーは日本を旅し、およそ日本の、そして日本人の特性ともいうべきものを体感していく・・・

 日本にいればそれが当たり前で特に何も感じないが、実は海外の人から見たら実に特徴的ということがある。近年、日本のそういう日本人だと当たり前すぎて気がつかない点が海外から称賛される例が目につく。この本も、小説の形をとりながら、そういう日本の特徴を浮かび上がらせていく。なぜ、ジェニファーがラリーに対し日本へ行けと言ったのかは、最後まではっきりと語られない。そこは想像するしかないが、なんだったのかクイズの答えを知りたいように教えて欲しい気がする。

 アメリカ人を主役とし、その視点から日本を見てみるということで、自分たちの姿を鏡で見ているような気分になる。それもまた良し、である。浅田次郎の作品も実にバラエティに富んでいる。どれもこれも最高に面白いというわけではないが、まずハズレだと思うものがない点がいい。これもそんな作品の一つとしたい一作である・・・


    
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2016年06月28日

【獅子吼】浅田次郎 読書日記677



獅子吼
帰り道
九泉閣へようこそ
うきよご
流離人
ブルー・ブルー・スカイ

浅田次郎の本は、出ればまず読むことにしている。そう決めている作家の一人である。
ちょっと変わったタイトルのこの本、タイトルの表題作を含む六つの短編集である。

「獅子吼」は、戦時中の動物園の話。文字通り檻の中のライオンの独白で物語は始まる。そして人間の登場人物である草野二等兵。とても兵隊向きとは思えない人物で、入隊前は動物園の飼育係をしていた。そして部隊の残飯を動物たちの餌にすべく、持ち出そうとして見つかり鉄拳制裁を受ける。そして草野には、ある命令が下される。

「帰り道」は、ある若者たちのスキー旅行の帰り道が描かれる。時に昭和40年。まだ週休二日制など夢の世界の時代。会社の同僚たちで示し合わせた日帰り旅行のバス。妙子は密かに憧れる光岡の隣の席に座る。
「九泉閣へようこそ」は、ある男女の旅行が描かれる。真知子は付き合っている春夫と二人で旅行に来ている。そしてかつては団体旅行で賑わったものの、今やすっかり寂れてしまった伊豆の老舗旅館に宿泊する。

「うきよご」は、ある腹違いの姉弟の物語。京都から東大受験の名目で東京に出てきた弟を、「厄介払いされた」と気の毒に思う姉が迎える。そして弟は紹介された寮で浪人生活を始める。
「流離人」は、ある列車で正面に座った老人が、ポツポツと語る若かりし頃の思い出。それは昭和20年、終戦間際に応召し、中国大陸に向かった時の話。車中で出会った不思議な中佐との思い出話。

「ブルー・ブルー・スカイ」はアメリカのラスベガスが舞台。アメリカを訪れた納豆製造会社の社員戸倉幸一は、一晩で5,000ドル負けた翌朝、一軒のグロサリーストアでなけなしの100ドルをポーカーマシンに入れる。するとそれが大当たりし、なんと2万ドルが当たる。小さな店にそんな大金があるわけでもなく、店主は幸一を残したまま金を受け取りに行く・・・

どれもこれもが短いながら、味わい深いものがある。一つの特徴として共通するのは、すべて時代が少し前の時代ということ。戦後しばらく経ってからの高度成長期時代である。「帰り道」では、まだ週に6日働いていた時代の話。たった1日の休みである日曜日に、職場の若者たちがスキー旅行に行く。次の日は仕事だから日帰りである。今なら土曜日に行って日曜日に休むか、土日の一泊だろう。つくづく、我々の親世代は大変だったと思う。そんな時代の香りを背景に漂わせる。

週に1日しか休みもなく、新幹線も東海道のみ。今から考えると、あまり戻りたくない時代だが、そんな時代の雰囲気が、物語に彩りを添えている。そしてどの物語も、結末は余韻を残して終わる。続きは、読者が想像力を働かせないといけない。しかしながら、そうした続きを想像してみる心地よさがある。この心地よさが、浅田次郎ならではだと感じる。

長編も短編も、それぞれ趣がある浅田次郎の小説。目をつぶって手にしてもまずハズレがない。この本は、そういう安心して読める一冊である・・・


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2016年04月30日

【一路】浅田次郎 読書日記653



其の壱 御発駕まで
其の弐 左京大夫様御発駕
其の参 木曽路跋渉
其の四 神の里 鬼の栖
其の五 風雲佐久平
其の六 前途遼遠
其の七 御本陣差合
其の八 左京大夫様江戸入

浅田次郎の時代劇は、藤沢周平のそれと並んで外せないと思っている。そして浅田次郎の時代劇の特色の一つとして、舞台が「江戸末期」であることが多いが、この作品もまたその江戸末期を舞台としている。

時は十四代将軍家茂の治世。浦賀にペリーが来航し、桜田門外の変が起こり、尊王攘夷の動きもあって世の中は騒然としている。そんな中、西箕輪田名部郡を領分とする旗本蒔坂左京大夫が参勤交代の時を迎えている。主人公の小野寺一路は、その参勤交代を取り仕切る御供頭を代々務める一家に生まれる。生来江戸に育ち、剣術と学問を修めていたが、突如父が急死し、跡目を継ぐため故郷に戻る。そしていきなり参勤交代の御供頭を務めることになる。

父の死因は焼死であり、不慮の失火で大事な屋敷を焼き、逃げ遅れての焼死は家禄召し上げも当然の不始末ではあったが、参勤交代が近いゆえの仮処分としての家督相続であった。しかし、19歳の今日まで一路は御供頭の心得を伝授されておらず、失敗必死の役目であった。焼け跡に残された文箱から、古くから伝わる「御供頭心得」が出てくる。江戸で暮らしていた一路に故郷に知人はなく、それになぜか人々も冷たい。困り果てた一路は、古色蒼然とした「御供頭心得」に従って進めるべく決意する。

この「御供頭心得」は江戸の初期から伝わるもので、長い年月を経て参勤交代の方式もだいぶ簡略されている。しかし、「最新の方式」を知らない一路は、この古式に則って差配することにする。「参勤交代之御行列ハ行軍也」と冒頭に記されたそれは、まだ戦乱明けやらぬ時代のもの。行軍に必要な朱槍や馬など、方々を駆け回って調達する一路。その様はコミカルであり、笑いを誘う。

物語は、そうこうするうちに、お家騒動の動きが出てき、また父の急死もそれに関するものだとわかってくる。数少ない味方に手助けを受けながら、出発の「御発駕」の時を迎える。熱い武士の思いに胸が熱くなることもしばしばで、「涙あり笑いあり」というのは、こういう物語のことを言うのだろう。

そうして始まった道中であるが、参勤交代は御供頭が差配するとか、大名同士が出会った時の様子とか(当然そういうことも起こりうるわけである)、しきたりだとか、今まで知り得なかった諸々が興味深い。主君の左京大夫も、うつけのバカ殿と言われる一方、感情を表に出すことはできず、「大義じゃ」とか「祝着である」とか、使える言葉が限られている様子が描かれる。そんな物語の側面も興味深い。

道中の苦難、困難、左京大夫の命を狙う動きが、「初心者」の一路の前に立ちふさがる。涙あり笑いありの物語は、西箕輪(今の岐阜県か)の架空の国から中山道を経由して江戸へと向かう。個人的に佐久は母親の故郷であり、岩村田や碓氷峠、安中などの地名は親しみがあって読んでいて嬉しい部分もある。そうして結末に至るわけであるが、そこには移りゆく時代という名の現実が待っている。

盛り沢山の要素があって、久々に唸らされる内容。浅田次郎の真骨頂と言えるかもしれない。コミカルな要素がある分、物語に軽さがあるが、それもまた良しであろう。
大いに楽しめた一冊である・・・

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2015年08月27日

【ブラックオアホワイト】浅田次郎 読書日記579



浅田次郎の作品は、目につくたびに手に取るようにしている。
感動モノはいくつもあったし、そうでなくても読んで損したということがないからだろう。
もちろん、ほどほどというものもあるから、常に面白いというわけではないが、まぁ好みにあっていると言える。
この物語も、ほどほどの範囲だ。

“私”は都築君とともにいる。
都築君は、祖父から3代にわたる商社マンだった男だが、今は引退して親の残した資産で悠々自適に暮らしている。
そんな都築君が“私”に語る不思議な夢の話。

最初の話はスイスのとあるホテル。
まだ若かりし頃の都築君がホテルに着き、なかなか寝付けぬ夜、バトラーに硬い枕を要求する。
バトラーは白と黒の二つの枕を持ってきて、都築君に尋ねる。
「ブラックオアホワイト?」

「ホワイト」と特に理由もなく枕を選んだ都築君は、枕を変えた途端、深い眠りに陥る。
夢には恋人と(といっても実在の恋人ではない)死んだ祖父が登場する。
ちょっとスリリングな逃避行とビーチでの甘い逢瀬。
満足して目覚めた都築君は、次の晩、今度は黒い枕を選択する。
そして同じような夢なのに、今度は恐ろしい展開に悲鳴とともに目覚める。

その後、商社マンとして世界各地に出張した都築君は、パラオ、ジャイプール、北京、そして京都とそれぞれの地で、白と黒の枕で夢を見る。
白い枕の時は良い夢を、そして黒い枕の時は怖い夢を。
パターンがわかってくれば、白い枕だけを選んでも良さそうだが、そこは巧みに黒い枕が入ってくる。

夢と現。
どちらが夢で、どちらが現か。
都築君の夢の話にいつのまにか引き込まれていく”私”。
それは” 読む私”も同様である。
不思議系の物語が多い浅田次郎だけに、どこか不思議の雰囲気が漂う。
そして、何だか夢を見ているような気分で物語は終わる。

特段大きなインパクトがあるというほどではないが、読んでいるひと時を楽しむことはできる。
やっぱりそこは浅田次郎ならではの世界が感じられる一冊である・・・

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2015年06月13日

【神坐す山の物語】浅田次郎 読書日記552



神上がりましし伯父
兵隊宿
天狗の嫁

見知らぬ少年
宵宮の客
天井裏の春子

浅田次郎の作品の内、密かに個人的に“不思議系”と名付けている系統の作品である。
舞台となるのは、東京は奥多摩の山中。
御嶽山の神社。
その神社に住む一族の、それぞれのエピソードを集めた短編集である。
短編が集まって、一つの物語になっているとでも言えるだろうか。

『神上がりましし伯父』は、文字通り伯父の話。
死者が見える“私”の下に、ある朝伯父が訪ねてくる。
されどその姿は普通の人には見えない。
やがて届けられた伯父の入院の知らせ。
だが、“私”には伯父がもうこの世の人ではないことがわかっている。
伯父の葬儀は、御嶽山の本家の神社で取り行われる。

『兵隊宿』はおばさんのイツの昔話。
日露戦争の頃、ある雪の降る夜、兵隊の一隊が神社を訪ねてくる。
聞けば行軍の途中で行方不明となった一兵士を探していると言う。
外の気温は低く、迷ったら命はないかもしれないと思われる中、その一兵士は見つからない。
そしてその兵士である古市一等卒が、後日イツの婚礼の日に訪ねてくる。
古市一等卒がこの世の人ではないのではないかと恐れたイツであるが、意外な事実が明らかになる。

『天狗の嫁』は、伯母のカムロの話。
カムロは子どもの頃、いずことも知れずに3日ほど行方不明になったことがあったという。
そしてある時、御嶽山の神社に台風が到来する・・・
『聖』は、子どもの頃、寝物語に聞いた喜善坊と名乗る山伏の話。
その喜善坊が、修業をさせてほしいと神社にやってくる・・・

『見知らぬ少年』は、“私”が子どもの頃、神社で出会った少年の話。
「かしこ」という不思議な名の少年。
かしこは、“私”に神主である祖父から習ったという軍歌を教えてくれる・・・
『宵宮の客』は、神社に一夜の宿を求めてやってきた男の話。
その男には、一人の女が付き添っていたが、その女の姿が見えていたのは、応対した神主の祖父とちとせ伯母だけであった・・・

『天井裏の春子』は、きつねに憑かれた少女春子の話。
狐払いで名を知られた神主の祖父を訪ねて、母子が神社にやってくる。
春子に取り憑いていたのは、老狐であった・・・

まだ不思議な物語は、当たり前のように存在していた昭和の頃。
御嶽山の神社の神主一族の話は、どれも味わい深いものがある。
死者と話をしたり、狐に憑かれたり、今ではとても信じられぬ話でも、浅田次郎の物語の中では素直に受け入れられる。
そんな話があったんだと、素直に思えるのである。

今でも奥多摩の御嶽山には、この物語に出てくるロープウェイはあるし、物語に出てきた神社もありそうな気がする。
いつか行ってみたいものである。
取り立てて心を動かされるというほどではないが、各物語ともしみじみと伝わってくるものがある。

浅田次郎の作品としては、まずまずと言える一冊である・・・

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2015年05月16日

【五郎治殿御始末 】浅田次郎 読書日記542



椿寺まで
函館証文
西を向く侍
遠い砲音
柘榴坂の仇討
五郎治殿御始末

浅田次郎の時代劇短編集である。
浅田次郎も幅の広い作家だと思う。
現代ものから中国のものや、はたまた時代劇まで。
そしてそのどれもが温かみをもって描かれている気がする。
そんなことから、期待して手に取った一冊である。

6編のストーリーはどれも独立したものだが、ただ一つ、時代が江戸の終わりから明治にかけてという点で共通している。
長く続いた侍の時代と新しき時代が交差する時代。
そこに戸惑いながら生きる人々が登場する。

「椿寺まで」は商家の旦那小兵衛とそのお供の新太の旅道中の話。
商人といいながら、夜道で追い剥ぎを返り討ちにする腕前を持つ旦那。
なぜ自分が共に指名されたのか疑問に思いながら、新太は初めての旅を楽しむ。
湯船に入り、偶然見てしまった旦那の背中の古い傷跡。
そしてやがて旦那に連れられてある寺へ行く。
そこで新太は、自分の出生の秘密を知ることになる・・・

「函館証文」は、明治政府の工部少輔として努める大河内敦が主人公。
ある時、自宅に名前に聞き覚えのない男が訪ねてくる。
会ってみれば、その男はかつて大河内と函館で敵味方に分かれて斬り合い、組伏せられた大河内が己の命と引き換えに千両の証文を書いた相手であったことがわかる。
約束の千両の支払いを迫る相手に、そんな大金があるはずもない大河内は1週間の猶予を願い出る・・・

「西を向く侍」は、幕府で暦法の専門家であった成瀬勘十郎の物語。
成瀬は、明治政府に仕官の可能性があるが、今は旧碌の1/10をもらい待命の身。
いつ新政府からお呼びがかかるともわからぬ中、日々を暮らしている。
そんなある日、新政府は新暦の施行を発表する。
それは成瀬が専門とする旧暦を否定するもの。
そしてそれはすなわち成瀬自身の仕官の道が閉ざされたことを意味するもの。
それを知った成瀬は、文部省へと出掛けていく・・・

「遠い砲音」は、毛利の支藩である旧長門清浦藩の土江彦蔵の物語。
新政府の近衛砲兵隊に将校として努めるも、家では旧藩主の世話を息子の長三郎とともにしながら暮らしている。
隊からは懐中時計を支給されているが、いまだに西洋式の時間に馴染めず、苦労を重ねている・・・

「柘榴坂の仇討」は、桜田門外の変で、井伊直弼の御籠回りの近習であった志村金吾が主人公。
護衛の失敗で両親は責任を取って自害し、以来13年、逃げた水戸藩士を追って仇討狙いの日々を過ごしている。
生活は困窮し、しかも既に幕府も藩もなくなり、仇討の意味はなくなってしまっている。
それでもある手掛かりを得た金吾は、目指す相手を訪ねていく・・・

タイトルになっている「五郎治御始末」は、回想録。
主人公の曾祖父から聞いた5代前の祖先岩井五郎治の話。
曾祖父は寡黙な人であったが、ある時、「自分は子供の頃死にそこなった」と語る。
そうして話されたのは、かつて桑名藩に仕えていた岩井五郎治の晩年の物語。

どの主人公も時代の端境期で苦悩する。
慣れない暦、慣れない時間。
今でこそ当たり前であるが、改めて当時は大変な変革期、混乱期だったのだろうと思わせられる。
そんな時代の主人公たちの物語は、どの物語も心に沁み入ってくる。

時代劇といっても、派手な剣劇はない。
どの物語も根底に切なさが漂う。
時代の波に戸惑いながら、それでも侍として生きる主人公たち。
よくこういう物語が書けるなぁと今さらながら感心してしまう。
これだから、浅田次郎はやめられない。
早く次を、と思わずにはいられない一冊である・・・

posted by HH at 14:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 浅田次郎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする